クロスアンジュ 天使と竜の輪舞 紫銀の月   作:MIDNIGHT

27 / 66
月下の小夜曲《セレナーデ》

夢を視ていた―――いや、夢か現実かも知覚できないほど曖昧な感覚だった。

 

ぼやけた視界の中で見えるのは、数人の人影。だが、その顔はまるで逆光でも背中から掛かっているように知覚できない。だが、感じからして男と女が一人ずつ――自分を合わせて三人の人間がその場にいることだけは自覚できた。

 

二人を視ている自分は何かを話しているが、その内容も相手がどういった言葉を返しているのかも分からない。自分の夢なのにまるで他人の眼を通して見ているような感覚だ。

 

時間の経過すら感じないほどのなか、光景はまるで映像のように続いていた。だが、周囲にある用途の分からない実験機器や実験器具などから、そこがなにかしらの研究室のようなものではないかとぼんやりと見える。

 

そして――――その場にいた自分を…いや、通して視ている『誰か』の眼が上げられる。そこに佇むのは、巨大な四肢を持つ『何か』――――その場にいる全員がどこか誇らしげに見上げている。

 

(わた…ち……ゆ―――ラグナメイル………アイ――ン――――)

 

紡がれた言葉が断片的に聞こえ、セラの意識は急速に引っ張り上げられた。まるで、憑依でもしていたように視ていた人物から意識だけが抜け出し、セラの意識は覚醒した。

 

 

 

 

「――――っ」

 

眼を見開き、息を呑むセラの眼に飛び込んできたのは、薄暗い無骨な天井――――小さく乱れる呼吸とぼやけた視界のなか、少しずつ感覚がクリアになっていく。

 

ゆっくりと身を起こすセラは、どこか憔悴した面持ちで額を押さえる。

 

(何だったの、アレ―――)

 

今まで何度か見覚えのない光景や不思議な映像が見えたことは何度かあったが、ここ最近は頻度が増しているような気がする。

 

まるで、『他人』の夢を視ているような―――そこまで考え、セラは自嘲した。

 

(そんな馬鹿なこと――頭がおかしくなったんじゃないの、セラ………)

 

自身に悪態をつきながら、セラは乱れていた呼吸を落ち着ける。横を見ると、アンジュはまだ眠っていた――外はまだ暗く、かといってもう一度眠るには気分が優れない。セラは髪をクシャっと掻いて、少し喉が渇いたと身を起こし、ロッカーの中に置いてあった水を取ると、飲み込む。

 

小さく息を吐くと、その背中に小声が掛かった。

 

「あの…セラ様―――」

 

「あ……ごめん、起こした?」

 

振り返ると、そこにはモモカがどこか不安そうに見ており、セラは小さく謝罪する。

 

「悪い夢でもみられたのですか? 酷く魘されていましたが……」

 

モモカが眼を覚ましたのはまったく偶然だったが、セラがベッドの上で微かに呻きながら魘されているのが視界に過ぎり、思わず息を呑んだ。

 

すぐにセラが起き上がり、声をかけあぐねていたのだが、セラは苦く肩を竦める。

 

「大したことじゃない――ただ疲れてるだけだから」

 

そう言いながら、セラは髪を雑に掻き、モモカは思わず口を挟む。

 

「いけません、そんな風に扱っては髪を傷めてしまいます―――そこに座ってください」

 

アンジュを起こさないように小声だが、それでも妙な迫力を漂わせながら迫るモモカに圧倒され、セラはそのまま椅子に腰を下ろす。

 

モモカはテキパキと片付けていた姿見をそっと引き出し、セラの前に立てかけると、座るセラの後ろに立ち、手にブラシを持って乱れたセラの髪を櫛で梳かしていく。

 

優しく、そして髪に負担をかけないように梳かしながら、整えるモモカは実に楽しげだ。

 

「懐かしいです……今のアンジュリーゼ様も素敵なのですが、以前はこうしてアンジュリーゼ様の髪を梳かしていました」

 

過去に思いを巡らしながら、モモカは手慣れた様子で行い、セラも微かに感じる心地よさに先程まで荒んでいた心持が僅かに緩和していた。

 

どれだけ経ったのか――不意にセラが呟いた。

 

「モモカ……別に私の世話をしなくてもいいのよ」

 

その言葉にモモカが一瞬動きを止める。セラは別にモモカの身柄を買い取ったわけでもない、主でもない…ただアンジュと似ているだけでこんなことをするなら、セラはアンジュが止めようがこの部屋から出て行くつもりだった。

 

無言が漂うなか、モモカは小さく頷き、止めていた手を再開する。戸惑うセラにモモカは小さく呟く。

 

「ジャスミンさんから聞きました―――私がここにいられるよう、セラ様がやってくれたと」

 

不意打ちに近い言葉にセラは眼を見開く。

 

(あのおしゃべり…っ)

 

次の瞬間には、内心でジャスミンに大仰に悪態をつくと、肩を竦める。

 

「別にあなたのためじゃない――あなたがいなくなったら、アンジュが面倒臭くなるからよ」

 

投げやりな口調でそう返すも、モモカはクスリと小さく笑う。

 

「お優しいですね、セラ様は―――アンジュリーゼ様をそこまで気に掛けていただいて。それに…これは私が好きでやっていることです。決して、軽い気持ちじゃありません」

 

本人としてはそんなつもりはないのだが、モモカはどうもかなり美化して受け取っているようで、セラとしてはバツが悪いのだが……もう何を言っても無駄と諦めたのか、セラはそのままモモカの好きなようにさせた。

 

それから数分後――終わったのか、モモカは流れるようにサラサラになったセラの髪をいつもしているように首筋で束ねる。

 

「終わりました」

 

「ありがと」

 

立ち上がると、窓の向こうから微かな光が差し込むのが見える。幾分か気分が晴れた――とはいえ、今から休むことはできないだろう。

 

「私はこのまま先に起きるわ」

 

「はい、私はアンジュリーゼ様がお目覚めになるのを待ちます」

 

小さく頷くと、セラはベッドにかけていたジャケットを羽織ると、身を翻す。部屋を出ようとし、何かを思い出したように振り返った。

 

「それと――今の話、アンジュには内緒よ」

 

モモカのこと、そして先程のセラのこと―――余計な気遣いや心配をさせる必要はない。その意図を察したモモカは小さく頷く。

 

それを確認すると、セラは静かに部屋を後にし、モモカが見送る―――そのやり取りを、アンジュはシーツの中で聞いていた。

 

不意に眼が覚め、視界の端でモモカがセラの髪を梳かしているのを視認し、思わず声を上げそうになったが、なんとか呑み込み、そして微かに聞こえる会話に耳を集中させていた。

 

「――――バカ」

 

聞こえた内容にアンジュはどこか不機嫌気味に、シーツの奥で言葉を呑み込んだ。

 

 

 

 

 

 

「アンジュ、機嫌悪いけどどうかした?」

 

「―――別に」

 

昼の食堂で休息を取るなか、ナオミは横に座るアンジュがずっと憮然としていることを訊ねると、トゲのある口調で返され、思わず萎縮する。

 

「分かった、アンジュまだお腹減ってるんだろー!」

 

「アンタじゃないんだから」

 

眼前の席に座るヴィヴィアンに悪態を返し、エルシャは困ったように首を傾げる。

 

「あらあら~本当にご機嫌ナナメね。『アノ日』かしら?」

 

「――殴るわよ」

 

エルシャの身も蓋もない言葉に思わずそう返し、横で聞いていたナオミも若干顔を引き攣らせる。午前中の訓練を終えた第一中隊は食堂での休息を取っていた。

 

先日の一件以来、第一中隊内でどこか浮いているヒルダは訓練後も誰とも言葉を交わさず、昼休みも一人で取り、その拒絶する背中に普段から一緒にいたロザリーやクリスなどは戸惑っている。二人にしても今更態度を変えるわけにもいかず、戸惑うばかりだった。

 

とはいえ、いきなりアンジュ達と仲良く食事、というのも二人にはハードルが高いのか、食事は別々に取っていた。そして、朝の訓練の時からずっと不機嫌気味にしているアンジュの様子が気に掛かっていた。

 

というよりも、誰が見ても明らかなほど不機嫌オーラを発しており、ココやミランダなどは慄きながら声を掛けられずにいる。そして、その理由もだいたい見当がついていた。

 

(やっぱり……)

 

アンジュの視線の先――セラがコーヒーを飲んでいるのが眼に入る。少し寝不足気味なのか、ブラックで飲んでいるが、そのセラの様子にアンジュがチラチラと視線を向けていることからも、原因は明白だった。

 

エルシャもその辺は察しているのだが、どうしたものかと悩んでいる。とはいえ、ずっとこのままの状況も悪いので、ナオミが思い切ってセラに声を掛けようとした瞬間、別の声が割り込んだ。

 

「セラ、ちょっといい?」

 

掛けられた声に振り向くと、サリアが佇んでおり、セラは小さく首を傾げる。

 

「何か用?」

 

「実は、新しいフォーメーションをいくつか考えたの。それで、あなたの意見を少し聞きたくて」

 

手に持った資料を見せると、セラはどこか面倒くさげに眉を顰める。

 

「そういうのは、副長と決めた方がいいんじゃないの?」

 

「もちろん後でヒルダにも確認は取るわ。でもその前に、あなたの忌憚のない意見を聞かせてほしいの」

 

これはサリアの率直な意見だった。事実、先の戦闘でも垣間見たように、セラは咄嗟の状況判断能力が高い。突発的なアクシデントに対する即応力はサリアにはないものだ。無論、それを活かすために冷静な分析力もあるのだが、それはサリアにとって使わない手はない。

 

先に指摘されたことを踏まえ、サリアは自分の足りない部分を補うためにセラに目をつけていた。

 

「―――了解」

 

サリアの言葉に諦めたように肩を竦め、セラは席を立つ。既に昼休みも終わりだが、今日は半日で訓練を含め終わりだ。『明日』に対しての準備などもあり、既に食堂は空席が目立ち、少し離れた席に着くと、セラは口を開く。

 

「で、どういったものなの?」

 

「これよ、まず……」

 

先に確認された新型ドラゴンは『フリゲート級』と新しく呼称されることになった。収集されたデータは貴重なものとして各部隊に現在配布中だが、まだまだ謎が多い上、この先も現われる可能性がある。それらを踏まえてのフォーメーションの構築案をサリアは立てていた。

 

渡された資料を確認し、サリアから要所要所の説明を受けながら思考を巡らせていると、サリアが唐突に別のことを口にした。

 

「それよりセラ、少し訊きたいんだけど……」

 

「―――なに?」

 

資料に眼を落としたまま投げやりに訊ねると、サリアが思い切った口調で訊ねた。

 

「あなた、コスプレとかに興味ない?」

 

「―――は?」

 

一瞬聞き間違いかと思い、思わず顔を上げると、サリアはどこかキラキラした眼差しでこちらを窺っており、セラはやや引いてしまう。

 

「―――付き合わないわよ」

 

にべもなく断ると、サリアは眼に見えて落ち込んでしまう。結果的に『秘密』のことは何の解決もしていなかったことに後で気づいたサリアはいっそのこと『こちら側』に引き込めばいいのでは、と思いつき、そう提案したのだが、あっさりと玉砕してしまった。

 

そんな様子にセラは呆れた面持ちでため息をつく。二人のそんなやり取りを遠巻きに見つめるアンジュ達は少し戸惑っている。

 

「ねえナオミ、サリアってセラのこと嫌ってなかった?」

 

「だと思うけど……」

 

数日前は、風呂場で殺そうとまでしたほどなのだが、あのドラゴンとの一戦以来、サリアはよくセラとシミュレーションや訓練の後の反省などを行っている。

 

なにか百面相をしているサリアと楽しそうに…少なくとも、アンジュからはそう見えており、今朝のことも重なってアンジュにしてみれば面白くない。

 

「セラもなんで平然としてるのよ」

 

殺されかけた相手に特に何の意識もせずにいるセラの様子にもアンジュは戸惑うばかりだが、当のセラ自身も別に気に留めるほどのものではない。陰湿な嫌がらせに比べれば、真っ直ぐな分マシな方だ。

 

「なんだかんだでセラって、頼りにされたら断らないから……」

 

ナオミがどこか苦く笑う。面倒見がいいといえばそうだが―――それに対し、アンジュは小さく鼻を鳴らす。

 

「悪いけど、私は失礼するわ」

 

徐に席を立ち、アンジュは不機嫌なまま食堂を後にし、その背中を一同は苦笑いで見送るのだった。

 

 

 

 

「はぁ~」

 

「あんたがため息ついても仕方ないでしょ」

 

「だって~」

 

そんなやり取りをしながら居住区を歩くココとミランダ。先程の食堂の一件で、アンジュの不機嫌な様子に戸惑い、慄いていたものの、こちらの神経が磨り減ってしまう。さすがにエルシャ達のように振舞えるほどまだ肝が据わっておらず、そこまで神経も図太くないのだ。

 

とはいえ、アンジュがあのままの状態というのはあまり好ましくない。

 

「明日はせっかくの『フェスタ』なのに……」

 

ポツリと漏らす。明日に迫った『フェスタ』に備え、アルゼナル内はにわかに活気付いている。その準備のため、今日は訓練を含めたその他の業務も半日で終わり、準備を楽しそうに進めている。

 

ココとミランダの二人も一年に一度の特別な日だけに弾む気持ちを抑えきれずにいる。だが、仲間のアンジュがあの調子では素直に楽しめないのが本音だ。

 

「どうしたらいいんだろ……?」

 

「ま、どっかの『誰か』さんに頼めば簡単なんだろうけど」

 

本気で悩むココにミランダはそう返す。アンジュの不機嫌の原因は間違いなくセラ絡みだ。当人が自覚しているかは別にして、セラと話でもできれば違うのだろうが―――妙案が浮かばず考え込みながら、二人はいつの間にか居住区を抜け、アルゼナルの裏手が見渡せるテラスに来てしまった。

 

そこから見える眼下は、明日のフェスタの会場であり、多くのノーマ達がイベント用のステージや出店の準備に追われている。

 

陣頭指揮を執るのはジャスミンであり、皆が皆、生き生きとしている。その光景を見ると、二人も気分が高まってくる。その時、モモカが備品を抱えて海岸に飛び出し、ジャスミンに合流する。

 

頼まれた備品を渡し、不意に顔を上げると、ココとミランダに眼が合った。

 

「あ、ココさん、ミランダさーん」

 

手を振るモモカにやや驚き、慌てて応じる。二人からしてみれば、『人間』であるモモカから呼ばれることに慣れない。すぐさま身を翻し、二人は別の道を使って会場へと降りていく。

 

「おふたりとも、大丈夫ですか?」

 

全力疾走をしてきたのか、息切れを起こしている二人に声を掛けると、乾いた声で頷く。

 

「それにしても皆さん活気づかれていますね。いったい何があるのですか?」

 

ジャスミンを手伝っていたが、言われるままだったので、モモカはこの状況が分からずに戸惑っていた。

 

「明日は『フェスタ』なんですよ」

 

「フェスタ?」

 

「はい、私達の一年に一度のお休みの日なんです」

 

首を傾げるモモカにココが説明していく。正式には『マーメイドフェスタ』と呼ばれ、ノーマの公休日になる。この日だけは日頃の訓練や職務から解放され、ハネを伸ばせる日であり、この日のために生きているといっても過言ではないノーマもいるぐらいだ。

 

「ま、『人間』があたしらにくれた情けってやつさ」

 

そこへジャスミンが皮肉めいた口を挟み、ココとミランダは慌てて頭を下げる。それに軽く応じると、モモカを見やる。

 

「そういや、アンジュの奴は初めてだね―――あいつも少しぐらいは気を抜かないとね」

 

アンジュがここに来てまだ数ヶ月―――当然、フェスタのことも知らないだろう。アンジュの名を出した瞬間、三人が揃って微妙な表情を浮かべたことにジャスミンが首を傾げる。

 

「おや? どうしたんだい?」

 

「実は……―――」

 

今朝からアンジュの機嫌が悪いことを告げると、ジャスミンが顎に指を当てて考え込む。

 

「成る程――ま、理由は言わなくても分かるよ。けど、そこまでになった原因が分からないね。何か心当たりはないのかい?」

 

そう訊ねられると、ココやミランダは思いつかず顔を顰めるが、モモカが小さく声を上げる。

 

「ひょっとして……」

 

何かに思い至ったのか――集中するジャスミン達にモモカは小声で今朝方のことを伝える。セラがアンジュに対していろいろ世話を焼いていること、さらには少し悩んでいることを知られたくないと告げたことをもしかしたら聞かれていたかもしれない。

 

話を聞くなか、ジャスミンはどこか神妙な面持ちを浮かべていたが、それに気づかずミランダは話を要約する。

 

「つまり――頼りにされていないことが嫌ってことなのかしら?」

 

アンジュも大概だが、セラはそれに輪をかけて自分ひとりで何でもこなすので、頼るよりも頼られる方が多い。それがアンジュには歯痒いのかもしれない。

 

「なにか、二人で楽しめるようなことができればいいんだけど……」

 

いつの間にか真剣に考え込む三人を見渡し、ジャスミンは小さく肩を竦めると、徐にモモカに訊ねた。

 

「モモカ、アンジュの奴はダンスは踊れるのかい?」

 

「え? あ、はい…それはもう! 皇室でのダンスパーティーでは皆様の注目の的でしたから!」

 

突然の問い掛けに反射的に応えるも、やがて力説するモモカに苦笑する。

 

「あ、私それ知ってます! お城でお姫様が皇子様と踊るんですよね!」

 

数ある絵本の中でもココの一番のお気に入りのシーンだ。盛り上がる二人を横に、ジャスミンは思案し、妙案を思いついたのか、どこか喰ったように笑う。

 

「そうかい――なら、アンジュを一晩だけ皇女に戻してやるとするかね」

 

唐突に告げた一言にモモカ、ココ、ミランダの頭に疑問符が浮かび、首を傾げる。そんな三人にジャスミンは顔を寄せ、小声で内容を説明していく。

 

その説明を聞き終えると、ココやモモカは喜色に弾む。

 

「それはいい考えです!」

 

「うん、私も見てみたい!」

 

盛り上がる二人を他所に、ミランダだけは当人達の意向を無視して進んでいるが、いいのだろうかと悩む。

 

「それじゃ、段取りはあたしの方でしといてやるよ」

 

「はい! あ、でも…お金は――」

 

そう訊ねるモモカにジャスミンは首を振る。

 

「いいさ、今回はあたしの奢りさ―――本番前に少し盛り上がるのも悪くはないだろうしね」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

感謝するモモカだが、ジャスミンを知る者からすれば驚天動地にも匹敵する出来事だった。あの吝嗇家のジャスミンが『奢る』などと口にするとは――明日はドラゴンの総攻撃かと疑うほどだが、幸か不幸かそれを指摘する者はこの場にはいなかった。

 

「アンジュはモモカ、あんたに任せたよ」

 

「はい、お任せください!」

 

意気揚々と頷くモモカを一瞥すると、次はココを見やる。

 

「ココ、セラの奴はカンが鋭いから絡め手を使いな」

 

「どういうことですか?」

 

「ナオミの奴に伝えさせるのさ――なんだかんだで、あいつはナオミに甘いからね」

 

ニヤリとするジャスミンは誰が見ても悪人の顔なのだが、肝心のココは今しがたの内容に夢中なのか、気づかず笑顔で頷く。

 

「分かりました!」

 

「よしっ、んじゃ時間は日が落ちたと同時にここ特設ステージ――ギャラリーも用意しておくからね」

 

「はい、最高の舞台にしましょう!」

 

「うん、楽しみ~♪」

 

もはや止められない―――眼前の光景にこの場で唯一冷静であるミランダはそう悟り、心の中でこれから巻き込まれるセラとアンジュに詫びた。

 

 

 

 

 

 

 

時間が経ち―――既に陽も傾き、アルゼナルが青紫に染まるなか、セラは小さく身体の関節をほぐしながら居住区へと向かっていた。

 

あの後、結局フォーメーションの確認だけに留まらず、シミュレーションを使用しての問題点の洗い出しと散々付き合わされた。

 

ある意味では吹っ切れたのだろうが、付き合わされる身としては勘弁して欲しいのが本音だった。

 

(だけど……いよいよ、か)

 

サリアの件で思い出す。

 

ここ最近の妙な事柄の連続――謎の竜のパラメイル、リベルタスなる画策を抱く司令部、そして……自分自身の身に起こっている不可解な現象―――自分のことはまだ割り切れるが、その他はそうもいかない。

 

ドラゴンとこの戦いの謎、そして司令部――いや、『ジル』が何を考えているのかを探る………そのためには、アルゼナルのほとんどの注意が向く『明日』しかない。

 

(調べるとしたら、ドラゴンの焼却エリア――そして、司令部か)

 

アルゼナルでは時折排除したスクーナー級ドラゴンを回収し、生態を調査していると聞くが、詳細は伏せられ、さらにそのエリアは立ち入り禁止区域となっている。好き好んでドラゴンの死体を見たいという物好きもいないため、これまで問題にはならなかったが、セラには逆に引っ掛かっていた。

 

そして、ジルの過去――『リベルタス』とやらの仔細を知るには、ジルの執務室か司令部しかないだろう。前者はさすがに一筋縄ではいかないが、司令部は明日は最低限の人員しか配置されない。

 

(そしてもう一つ……)

 

セラにはもう一つ調べなければならないことがあった。モモカがアルゼナルに来てからずっと燻っていた疑問――これは、杞憂であればいいのだが………考え込むセラは明日の行動を組み立てながら歩いていると、眼前から声を掛けられた。

 

「あ、セラ」

 

「――ナオミ?」

 

唐突に掛かった声に顔を上げると、ナオミが安堵したように駆け寄ってきた。

 

「よかった、やっと見つけた」

 

「どうしたの?」

 

小さく息継ぎをするナオミに訊ねると、顔を上げて頷く。

 

「うん、探してたんだ――これから前夜祭なんだ、一緒に行こうって思って」

 

屈託なく笑うナオミにセラは思い至る。明日の本番を前に前日は半日で訓練が終了し、メイルライダーを除いた面々で準備を進める。そして、陽が落ちると会場のステージで前夜祭が行われる。

 

いくつかの簡単な催しが毎年行われており、セラも毎年ナオミに誘われていた。そのため今回もそうしたのだろうが、セラは悩んだ。

 

明日の準備のため、いろいろ調べたいことがあるのだが、その様子が伝わったのか、ナオミが不安そうに窺う。

 

「ダメ…かな?」

 

その表情にセラは小さく嘆息する。

 

「ダメとは言ってないでしょ」

 

「よかったぁ」

 

途端に笑うナオミに苦笑していると、ナオミがセラの手を取る。

 

「ほら、いこっ――アンジュ達も先に行ってるらしいから」

 

「ちょ、落ち着きなさいよ」

 

引っ張られながらセラはナオミと共に会場へ向かうのだった。

 

 

 

 

 

フェスタのメイン会場では、いくつもの屋台が組み立てられ、さらには簡易な遊園地も設置されている。たった半日でこの状態を整えたジャスミンの実務能力も驚嘆ものだが、それを実行したノーマ達も称賛に値する。

 

明日の本番を前に僅かにライトアップされた会場では、ノーマ達が思い思いに明日への興奮を隠せずに過ごしている。そして、彼女達の楽しみは前夜祭の催しだった。

 

海辺に面した場所に特別に設けられたステージ―――床面はクリアなガラス張りで真下の海が反射し、幻想的だ。そのステージ横の控え室では、ジャスミンが満足気に見ていた。

 

「ちょっと……」

 

そこへ不機嫌な声が掛かり、振り返ると――そこにはドレスに着付けされたアンジュが仏頂面で佇んでいる。横には、そんなアンジュとは対照的にどこか満足気に佇むモモカがいる。

 

「なんなのよいきなり、おまけにこんな格好までさせられて――」

 

部屋で休んでいたところに突然モモカが現われ、有無を言わせずこんな場所まで連れてこられた。そのまま混乱するアンジュはモモカによって着替えさせれ、皇女時代のようなドレス姿に些か辟易していた。

 

気分が悪いせいか、今現在の周囲の状況もほとんど視界に入らず、睨むアンジュにジャスミンが小気味よく笑う。

 

「まあまあ、そう興奮しなさんな。今夜だけ―――あんたを皇女に戻してやるよ」

 

佇まいを直し、そう告げるジャスミンにアンジュが顔を顰める。

 

「なによそれ…そんなもの、今更関係ないでしょ」

 

皇女時代の自分に決別したアンジュにしてみれば、余計なお世話だと言わんばかりに悪態をつくが、ジャスミンは気にも留めない。

 

「そうかね? 相手を知ったら喜んで―――おや、噂をすればだね」

 

ジャスミンが視線を横へ向けると、つられてアンジュも向ける。人ごみをかき分け、ナオミとセラが姿を現わし、小さく息を呑む。

 

そんなアンジュ達に気づかず、会場に到着したセラとナオミは周囲を窺っている。

 

「すごい人だね」

 

「ま、イベント絡みじゃない」

 

毎年前夜祭で行われる催しは直前まで秘匿されるため、何が出るか分からず、それもまた楽しみなのだが。

 

「あ、セラさん、ナオミ!」

 

「ココ? 来たけど何なの?」

 

駆け寄ってくるココに気づいたナオミが訊ねる。このステージ前に来るようにナオミは先程ココから伝えられていた。その際にセラも連れてきてほしいとも―――元々、セラも誘ってくるつもりだったので、特に疑問を挟むことはなかったのだが、そう訊ねるとココはやや挙動不審そうになるも、やがて意を決してセラに向き直る。

 

「あの、セラさん! これに着替えてください!」

 

唐突に告げられ、そして差し出されたものにセラは眼を白黒させる。ココが差し出したのは、制服のジャケットに僅かに装飾を施したものだった。言われるままに受け取ったセラが戸惑うも、ココは無言で睨むように見ており、釈然としないままセラは制服のジャケットを脱ぎ、渡されたジャケットを羽織る。

 

「あ、そうだ! 申し訳ないんですけど、髪型も上で束ねる方に変えてもらってもいいですか?」

 

「いったい何なの?」

 

訳が分からずに困惑するも、ココは頭を下げるだけで応えない。それを見ていたナオミも同じように戸惑っていたが、やがてセラの後ろに回る。

 

「まあ、ココが言ってるんだし……私がやるよ」

 

ナオミはセラの髪を束ねていたゴムを外し、ほどくと同時に髪を優しく束ね、それを普段の首筋ではなく頭の上に集め、束ねていく。

 

「はい、できたよ」

 

ものの数分でセラの髪型をポニーテールにすると、ココはどこか見惚れるように声を上げる。

 

普段とは違い、髪を上に移動しただけで凛々しく見えるその姿にナオミも思わず見入りそうになる。当のセラは戸惑っているが―――その様子を視認したジャスミンは満足気に頷き、横を見ると、アンジュもどこかセラを凝視している。

 

ジャスミンは内心でガッツポーズをすると、モモカを顎で促す。それに頷き、モモカはアンジュの肩を軽く押す。

 

「さ、アンジュリーゼ様」

 

「え、ちょ……きゃ」

 

軽く押されただけなのだが、アンジュは前のめりになるように動き、おぼつかない足取りでセラの傍まで移動する。

 

「え…アンジュ?」

 

「―――何やってんの?」

 

突然現われたアンジュのドレス姿に首を傾げるセラとナオミだったが、当のアンジュも混乱していた。

 

「し、知らないわよ! 私も何がなんだか……」

 

実際アンジュ自身もよく分からずにこんな格好をさせられてしまい、どう答えていいか分からないのだ。お互いに戸惑うなか、会場にスピーカーが入った。

 

《待たせたね――今年の前夜祭の催しは、第一中隊の二人によるダンスだよ!》

 

スピーカー越しに告げられた言葉にノーマ達の反応が変わり、セラとアンジュは青天の霹靂とでもいうように息を呑む。

 

セラはすぐさま横のナオミを見るが、ナオミは知らないと首を振る。そして――ゆっくりとココに視線を向けると、ビクッと身を震わせ、次の瞬間には平謝りする。

 

(ジャスミンね…こんな悪巧みするのは―――)

 

会場の横で不敵に笑うジャスミンを見つけ、思わず睨みつけるも、当人は悪びれることなく飄々としている。深々とため息をつき、呆然となっているアンジュに声を掛ける。

 

「私達――どうやら、ジャスミンに嵌められたみたいね」

 

「嵌め―――っ!?」

 

まだ思考が追いつかないなか、アンジュが声を上げそうになるも、その唇をセラが指で押さえる。

 

(ギャラリーが見てる…取り敢えず、落ち着きなさい)

 

小声とアイコンタクトでそう告げると、意味が伝わったのかアンジュは小さく頷く。ジャスミンの放送でこの場にいるノーマ達の視線がステージ前の自分達に集中している。こうなった以上、うまく逃げるのは難しい―――やはり最近はトラブルに憑かれているのかと本気で思ったが、セラは小さく嘆息するとアンジュに顔を近づける。

 

(この場を切り抜けるわよ)

 

その意図を図りかねるなか、セラは小さく微笑んでアンジュに手を差し出す。

 

「私と踊っていただけますか? お姫様?」

 

突然のその行動に戸惑うも、アンジュはセラを凝視する。いつの間にか周囲からまるで音が消えたように静かになる。その場にいた全員の視線が自分達に集中していたが、今のアンジュは気にもしなかった。

 

そして、アンジュも微笑を浮かべ、手を差し出す。セラがその手を取り、アンジュの身体を引くようにステージに向かっていく。

 

そのタイミングでジャスミンがスピーカーからBGM(挿入歌:奥井雅美/時に愛は)を流す。用意周到なことで、と内心で悪態をつきながら、海面に接したガラスのステージの中央に着くと、今一度互いを見つめ合い、どちらともなく身体を寄せる。

 

両手を取り合い、セラとアンジュはダンスを始める。

 

最初はたおやかにステップを踏みながら、セラがアンジュをリードする。セラはアンジュよりも少し身長が高く、見上げる形になるが、アンジュはそれに身を委ねていく。

 

皇室でダンスの作法も身につけさせられたアンジュと違い、セラはダンスの作法など知らない。だが、セラはまるで自ら表現するようにステージの上で踊り、アンジュもそれに応える。

 

時に穏やかに、そして激しく――まるで流れるように踊る二人の姿に観客達は見入る。さながら、絵本の中の本当の皇子様とお姫様のような光景に、少女達は見入る。

 

訪れていたサリアはどこか見惚れており、ヴィヴィアンは楽しそうに、エルシャはどこか羨ましげに見ている。ロザリーやクリスもどこか圧倒されたようにしている。そんなステージをヒルダはひとり、上のテラスから見下ろしていたが、その視線がどこか強張っている。

 

ジャスミンの傍にいるモモカは陶酔するように見つめ、ステージの前で踊る二人を見つめるナオミは、見入りながらも、心のどこかが何故かチクリと傷み、複雑な面持ちを浮かべる。

 

様々な思いが巡るなか、その感情の中でセラとアンジュは踊っていた。まるでお互いしか存在しないかのように踊る二人は自然と笑みを浮かべていた。

 

足元のガラスを通して海面に浮かぶ二人の影もまた同じステップで鏡合わせのように映り、星明かりとそれに反射する海面に挟まれ、さながら幻想的な世界を創り出す。

 

踊りながら、握り合う手を強く――――今しがたまでの心のざわめきが霧散したように、アンジュの顔は穏やかになっていた。

 

ずっとこうして踊っていたい―――――心の内でそう思うほど、アンジュは満ち足りた時間を過ごすのだった。

 

 

 

 

そんな二人を照らす月光は、まるで祝福するように降り注ぐ。

 

恋人達を包むたおやかな小夜曲(セレナーデ)のように―――-




今回はフェスタ編への導入エピソードです。
個人的には一度書いて見たかったエピソードなんですよね。

途中のダンスシーンは私の名作からです。ご存知の方がいたらうれしいですが、劇場版のあのダンスシーンは自分の中で名シーンの一つです。

挿入歌にのった導入が何度見ても最高で…今回の最後はあのシーンを意識して書いてみました。是非ご存知の方はあの曲を聴きながら読んでほしいです。

完全にオリジナルなので、やや表現がおかしいかもしれませんが、楽しんでいただければ幸いです。


そしてここから脱走劇へと続くわけなので、ここで一度セラとアンジュの仲を深く描写してみました。

次回もよろしくお願いします。

次に書くのはどれがいいですか?

  • クロスアンジュだよ
  • BLOOD-Cによろしく
  • 今更ながらのプリキュアの続き

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。