クロスアンジュ 天使と竜の輪舞 紫銀の月 作:MIDNIGHT
モモカが商品として告知されて数時間後には、アルゼナルすべてにその情報が行き渡っていた。誰もが驚きと物珍しさから一目見ようとジャスミンモールを訪れる。
だが、その額に誰もが買おうなどという行為に出る者はいない。しかし、それはジャスミンモールの販促を促し、いつになく賑わう様子にジャスミンは満足気だった。
「あんたのおかげで今日は大儲けだよ」
「は、はあ……」
なにか釈然としない面持ちで応じるモモカにジャスミンは背中を叩く。
「今日はもういいよ。夕食でも食べてきな」
「は、はい……」
解放されたモモカはどこか疲れた面持ちで休憩所に移動するも、長時間見世物のようにされて疲労はさすがに隠せなかった。
アンジュとも拗れたままでどうしようかと休憩所で悩んでいると、その頭に突然冷たい感触が触れ、驚く。
「ひゃっ」
顔を上げると、そこには缶を持つセラが佇んでいた。
「お疲れ」
「あ……」
「セラよ」
「す、すいません」
アンジュリーゼと呼びそうになり、慌てて口を噤むモモカに名を告げると、気まずそうに頭を下げる。
「ほら、これでも飲みなさい」
「あ、ありがとうございます」
冷えた缶を受け取り、喉を潤すモモカの横にセラが腰掛ける。
「大変だったわね」
この事態を仕組んだのは自分だが、それは億尾にも出さず労うと、モモカはやや緊張した面持ちで頷いた。
「いえ――この程度でしたら。ただ、あのようにされたのは初めての経験だったもので……」
苦笑しているが、人間を売買にするというのは、経験などしたことは誰もないだろう。遥か昔の奴隷でもあるまいし…いや、こうして道具のように扱われているだけでさして変わらないが。とはいえ、今日びノーマでもあのように売買の商品にされることはない。それに対してはセラも若干不審感を憶えていた。
ノーマは女性のみにしか現われない。あまりいいたくはないが、生まれたばかりの赤ん坊ならともかく、皇女として生きてきたアンジュは容姿に優れている。そんな彼女なら、そういった権力者の奴隷よろしくの扱いをされてもおかしくないというのに、アルゼナルへ送り込まれただけだ。
下手をしたら、その場で殺されててもおかしくない状況だったとは聞いている。過去にも一度、どこかの皇女が送られてきたと、ジャスミンが零していたのを聞いたが…それとも、ノーマにはそういった扱いすら浮かばないのか―――まるで、意図的に誘導しているような………
「あの――どうかしましたか?」
「――別に」
突然黙り込んだセラに話し掛けると、セラは頭を振る。しばし無言が続いていたが、やがて意を決したようにモモカが口を開いた。
「あの! セラ…さま、でよろしかったでしょうか?」
「呼び捨てでいい――そんな御大層に呼んでもらう必要はないわよ。『ノーマ』だから」
どこか含むような言い方で告げた言葉にモモカはアンジュの言葉と重なり、一瞬言い淀むも、おずおずと口を開く。
「あの…どうして、アンジュリーゼ様と同じ顔を―――?」
やはりその事か――モモカとしてもここに来た当初から気になっていたのだろう。アンジュの豹変振りについそちらに意識が向いていたが、最初の出会いでの勘違いからずっと気になっていた。
「さあ? 何で同じなのか――私が知りたいぐらいだけどね」
自分でも分からないのだ。皮肉混じりに揶揄するように告げる。モモカは要領を得ない面持ちだったが、それ以上追求はしてこなかった。
「私からも訊いていい?」
「あ、はい…私でお答えできることなら」
唐突な問い掛けに頷くが、次に発せられた言葉に眼を見開く。
「あなた、アンジュ――アンジュリーゼ・斑鳩・ミスルギがノーマだって最初から知ってたの?」
息が止まるかと思った――アンジュと同じ顔でこちらを見つめるセラにモモカはどこか後ろめたいものが湧き上がり、沈痛な面持ちで俯く。
それ以上追求することはないが、セラはモモカをジッと凝視している。その視線に先日のアンジュに咎められた光景が重なり、戸惑うも――やがて、小さく頷いた。
「はい――アンジュリーゼ様にお仕えする時にジュライ皇帝陛下よりお伝えいただきました」
モモカがアンジュに仕えるようになったのは彼女が5歳の時だった。元々モモカはミスルギ皇室に代々仕えていた家系の一員であり、モモカも幼少時よりその教育を受けていた。そんな中、突然アンジュの筆頭侍女に抜擢され、家族は喜んでくれたものの、まだまだ半人前の自分が主に仕えられるのかと不安だった。
「その時にソフィア皇后様から頼まれました。アンジュリーゼ様の姉妹になってほしいと――あの方を守ってほしい、と……」
アンジュリーゼの専任侍女として皇室に招かれた時、謁見したジュライとソフィア――アンジュの両親からアンジュの秘密と役目を伝えられた。
「それに対してなにも思わなかったの?」
いくら皇室に仕える家系とはいえ、アンジュの最大の秘密を他人に漏らせば、下手をすればその時点でアンジュの運命は流転していたはずだ。
「――最初は、少し戸惑いました」
『ノーマ』が人間に害なす存在と幼少時に多少教えられていたものの、まだ実際に見たことはなかったモモカはその事実を告げられた瞬間に困惑した。だが、必死に頼み込む両親に頷き、アンジュリーゼと謁見した。
「ですが、アンジュリーゼ様とお会いした時に思ったんです。この方にお仕えするために、私は生まれたのだと」
初めて会った時に、モモカはアンジュに何かを感じたのかもしれない。そのまま今日まで来た――大げさに聞こえるが、それでもモモカの表情はどこか活き活きとしている。
それが生き甲斐――とでもいうように、何の迷いもなく意気込む姿は若干引いてしまう。
「なるほど…ホント、変わってるわ、あなた」
アンジュといい…『ノーマ』と聞いてなお、そのように思える――類は友を呼ぶというがと、どこか呆れた面持ちと微かな称賛を込めて告げる。
「ですが、あんな事になってしまって―――」
沈痛になるモモカ――洗礼の儀での出来事は、彼女の心にも傷を残し、アンジュと引き離された。その事は、渡されたプロフィールで既に知っていたが、そこでひとつの疑問を覚えた。
「もう一つ訊いていい?」
「あ、はい」
「アルゼナルのことはどこで知ったの?」
『アルゼナル』の存在は一般には知られていない。管理委員会か、各国の首脳陣のみ――いくら皇室に仕えていたとはいえ、一介のメイドが独自に調べ上げて、さらにはそこに向かう輸送船に密航するなどという真似がおいそれとできるはずがない。
「そ、それは――」
その疑問に対して、モモカが歯切れが悪くなり、視線が泳ぐ。その様子から、迂闊には話せないということ、そして…それが別の何かの思惑が絡んでいることを察し、小さく肩を竦める。
「別にいいわ。悪かったわね、余計なこと訊いて」
会話を切り、残っていた缶を飲み干す。追求が来なかったことに戸惑うモモカの前でセラは飲み終わった缶を手の中で握り潰す。
息を呑むモモカの前で、セラは徐に立ち上がり、モモカに背を向ける。
「アンジュの両親がどういった思いであなたを付けたのかは知らない――けど、本当にアンジュのことを思うのなら、自分達でやるべきだったのよ」
「え……?」
「いくらあなたを付けて、アンジュを、周囲を騙しても、嘘で塗り固めたものはいつか絶対に暴かれるわ。それを上回る『悪意』でね」
そう指摘され、モモカは口を噤む。
「そうなる前に、変えるべきだったのよ――『世界』を、ね」
『ノーマ』が差別されるのなら、その世界を変えればいい。『娘』が大事なら、自分達で変えるべきだった――たとえ、私的な理由だとしても、それができるだけの立場にいたはずだ。なのに、それをせず『騙す』ことを選んだ。
見捨てたとまでは言わない――だが、変えることを放棄した………結局は、都合の悪いことに眼を逸らしただけ。もしそう動いていたなら……もしかしたら、何かが変わっていたかもしれない。
こんな地獄に来る必要はなかったのかもしれない―――出会うことさえなかったら、お互いに知らぬまま生きていけた………そこまで無意識に思考していたセラがハッとする。
何故そんなことに苛立っているのか――湧き上がる感情に戸惑い、それを打ち消すように首を振る。
「『アンジュリーゼ・斑鳩・ミスルギ』はいなくなったわ。今ここにいるのは、『アンジュ』なのよ」
既にその結果は出てしまった。
そして、今のアンジュは『ノーマ』として生きることを決意して生きている。それを簡単には変えられないだろう。
かつてのアンジュリーゼとは思えない行動に戸惑い、なんとかかつてのように笑って欲しいと行動してきたモモカにとって、セラの言葉は重く圧しかかる。
アンジュ自身の拒絶の言葉と、セラの言葉が重なり、どうしたらいいのか悩み、迷ってしまう。そんなモモカに小さく息を吐き、潰した缶をゴミ箱へと放り投げる。
軽快な音を立てて入る缶に注意を取られ、顔を上げるモモカにセラが笑う。
「でも、あなたのアンジュに対する気持ちはよく分かったわ。それだけ変わらずに持ち続けていることだけはすごいと思う。だから、『今』のアンジュを見てあげなさい」
環境の変化はあったからかもしれないが、ヒトの心は変わっていく。いつまでも同じというわけにはいかない。だが、本質が変わるわけでもない。
「そうすれば、あなたの想いは届くと思うわよ」
「は、はい! ありがとうございます! それでは、私アンジュリーゼ様のお世話がありますので!」
モモカは元気を取り戻し、明るく元気よく頷き、アンジュを探して休憩所を飛び出していった。なんというか、どこまでもブレない子だな、と感心してしまう。
まあ、これで自分の役目は終わりだ。お膳立てはした――あとは、当人同士の問題だ。その時、押し殺すような笑いが聞こえ、思わず振り返る。
「――エルシャ?」
「ごめんなさい、盗み聞きするつもりじゃなかったのだけど」
小さく笑うエルシャがセラに近づき、優しく微笑む。
「やっぱりこれは、セラちゃんの仕業だったのね」
そう言って見せたのは、誰が発行したのか分からない号外だった。『人間』を商品としたのはそれだけ予想以上のインパクトがあったようだ。
どこか含みのある笑みを浮かべるエルシャにセラはそっぽを向く。
「アンジュちゃんのため? 優しいわね、セラちゃん――」
「なんのこと? 私は別になんにもしてないけど」
惚けるも、エルシャは困ったように肩を竦める。
「素直になればいいのに――でも、私はそんな風にできるセラちゃんがすごいって思う」
年上振って見やっていたエルシャの視線に、どこか羨望的なものが浮かび、セラは小さく眉を顰める。
「みんな、ここじゃ自分のことで精一杯だもの――そんな風に誰かのために行動できることが羨ましいな」
アルゼナルで生きることは、ほとんどのノーマにとって不安定な世界だ。明日も分からない――未来なんて描けないが故に、『今』に傾倒する。だが、皆が皆、自分のことだけで精一杯なのだ。仲の良い友人を気遣うことぐらいはできる。だが、本当にその相手のために行動までできるノーマはほとんどいない。
特にメイルライダーでは、そういった嫉妬や嫌悪感が出やすく、疑心暗鬼になる部分も多い。そんな中で、アンジュのためを思ってこんな行動を起こしたことをエルシャは素直に感心していた。
だが、当のセラは別に何の感慨も見せず、静かに告げる。
「どうかしら? 私だって自分のことだけしか考えてない最低なやつよ」
ドラゴンに限らず、同じノーマだろうが撃てるし、別に人間でもその気になれば殺ることも厭わない。自分の生きるためなら、そんな禁忌すら犯せる最低な存在だ。
「本当にそう思ってる人は、そんな風には言わないわよ」
嗜めるように告げるエルシャに、セラは小さく鼻を鳴らし、踵を返す。
「エルシャ―――あなただって幼年の子達の面倒を見てるんでしょ? それは誇れることじゃないの…たとえあなたが、それを『自分』のためだと思っていても」
背中越しに告げられた一言にエルシャは思わず、眼を見開く。
「―――誰かのため…耳障りはいいけど、結局はそうなんじゃないの?」
他人のためなら何でもできる――そんな大言壮語を吐くつもりはない。ましてや、そんな風に言われても自分は信用しない。打算的なことも否定しない。他人が『そう』だとしても関係ない。
「けど、だからかしらね――」
長くそういった世界で生きてきた故に、『モモカ』の在り様は驚きだった。他人を――ましてや、『ノーマ』をあそこまで慕う姿には。ノーマには悪意しか、『人間』は持っていないと思っていただけに。だからだろうか――アンジュと一緒にいさせてやりたいと思ったのは。
本当に――人間がノーマの『敵』なのかどうかを………浮かび上がった疑念にセラ自身が驚く。
(なに考えてるのよ、セラ――)
自身を嗜め、セラはエルシャを一瞥すると、静かにその場を後にした。それを見送るエルシャはどこか悲しそうに見ている。
「『自分』のため、か……結構キツイわね」
苦い面持ちで俯くエルシャだったが、やがてその表情を隠すように微笑み、呟く。
「でも、あなたは誰かに優しくできる子よ――じゃなきゃ、自分を犠牲になんかできないはずだから」
既に去ったセラに向かって呟くエルシャは、穏やかに笑っていた。
陽が落ち、夜の帳がアルゼナルを包み込む。食堂は既にピークを過ぎているのか、人もまばらだ。そんな中、アンジュはひとりで食事を取っていた。
だが、その表情はどこか心ここにあらずといった様子だった。
昼の訓練時の出来事がアンジュの中でせめぎ合う。ヒルダの口から語られた内容は動揺させてくれたものの、普段からの態度から、ただのブラフとも思ったが、セラが肯定したことがより真実味を持たせた。そして、その彼女からの問い掛けがずっと内で燻っている。
小さく歯噛みし、持っていたスプーンを落として額を押さえる。モモカが『商品』になったという情報は既にアンジュにも伝わっていた。というよりも、それが公開されてから数時間でアルゼナル全体に伝わったのだから、むしろ当然だが。
それに対してもなにか、余計な苛立ちを煽り、アンジュを悩ませる。
葛藤するなか、アンジュの背後に気配を憶えた。混み合ってる時ならともかく、今はテーブルに余裕がある。そんな中で、彼女の隣に座りたがるような物好きは限られる。
「失礼します」
だが、聞こえてきた声の予想外に――いや、敢えて意識から除外していた相手だっただけに、アンジュは小さく息を呑むも、それに構わずトレーを抱えたモモカが席に着く。
「よっこいしょ…」
席に着きながら、ぎこちなくはにかむ姿に戸惑いながら、徐に置かれたトレーに気づく。
「なに、それ……?」
トレーにはノーマのための貧相な食事が盛られており、戸惑う。
「え、と…あの、その……多分、ここでの最後のお食事になると思いますので、キチンと頂こうと……あ、もちろんちゃんとお金も払いましたよ!」
初日の失敗を覚えていたのか、嬉しそうに告げるモモカにアンジュは呆れる。キャッシュもそれなりの額を渡した。それこそ、エマ監察官のように『人間』用の食事も用意できるはずだ。なのにわざわざノーマと同じ食事を選んだことに、モモカの寄り添いたいという気持ちが見え隠れし、アンジュはますます気持ちが重くなる。
「では、いただきます」
そんなアンジュに気づかず、モモカはスプーンで料理を掬い、口に運ぶ。
「むっ…これは、なかなか――お、おいしいですね」
明らかに顔が引き攣っており、慣れない味付けに戸惑っている。自分も最初はそうだっただけに視線がさまよう。
「それより、どういうことなの? 『商品』って?」
会話のきっかけを探りながら、気になっていたことを訊ねると、モモカは乾いた笑みを浮かべる。
「それが…私にも何が何だか、でも私がお役に立てたみたいで」
正確には『利用』されたのだが――と、アンジュは口に出すのもなんなので、呑み込んだ。とはいえ、自分の知り合いが見世物にされたことには些か不快な気持ちだった。
「あ、でも――終わった後でセラさまに声を掛けていただきました」
「セラに……?」
意外な相手の名が出たことに思わず反芻すると、嬉しそうに頷く。
「はい! 私のことを気遣っていただいて――アンジュリーゼ様のことも、気に掛けておられて……本当に、お優しい方なのですね。アンジュリーゼ様と同じく……」
その言葉にアンジュは視線を逸らす。真っ直ぐに見るモモカの視線を見ていられなくなり、アンジュは席を立つ。
「アンジュリーゼ様……?」
「――お風呂よ」
素っ気なく告げると、モモカは縋るように話し掛ける。
「あの…お背中、お流ししても………」
消え入りそうな細い声で呟き、不安そうに見上げるモモカに、いたたまれないものを憶え、脳裏にヒルダの嫌味とセラの問いが交錯する。
逡巡していたアンジュは、やがて口を開いた。
「好きにすれば」
返事を待たずそのまま離れていくが、その返答にモモカは輝くような笑顔で頷く。
「は…はいっ!」
弾けるような表情で立ち上がり、モモカはアンジュの後を追う。
食堂を後にした二人はそのまま、バスルームに入る。ライダー用に設置されたシャワールームの横には、岩壁をくり抜いたように海を見渡せる露天風呂が設けられており、ライダー達の憩いの場の一つでもある。
運がいいのか、露天風呂は誰もおらず、貸切に近い状態だった。洗い場に腰掛けるアンジュの背中にうっとりするように見つめながら、モモカはタオルにボディソープを噴きかける。
そして、アンジュの白い肌を労わるように優しく背中を洗っていく。
「いつ振りでしょうね…こうしてお背中を流せていただくのは……」
そう口にするモモカ――最後にこうしてもらったのは、洗礼の儀の前日の夜だ。あの日を境に運命が変わってしまったのだ。もう、自分も『アンジュリーゼ・斑鳩・ミスルギ』ではなくなった。過去の全てを捨てて、ここで生きる決意を固めた矢先の再会は、アンジュにとって嬉しくもあり、したくもなかったという矛盾したものだ。
そんなアンジュの心情に気づかず、モモカは泡が切れたので、追加しようとボトルに手を伸ばし、ふと視線を向けたアンジュの眼に右腕にはしる傷跡が入る。
「その傷……」
見覚えのある傷跡に思わず呟くと、モモカが恥ずかしげに頷く。
「はい、あの時のものです。マナを使えば、元に戻ると言われたのですが…思い出の傷なので……」
懐かしそうに、そしてまるで宝物を扱うように傷跡を撫でるモモカに、アンジュも過去を思い出す。
あれはモモカがアンジュに仕えてまだ間もなかった頃、部屋の掃除をしていたモモカが不注意でアンジュの人形を壊してしまい、その際に腕を切ってしまった。泣きじゃくる彼女にアンジュは自分のドレスを破いて傷の手当をした。
驚く彼女に、壊した人形や破いたドレスはまた直せる、だけどモモカは一人しかいないと怒り、そして秘密を共有するように微笑んだ。モモカはそれが嬉しく、またアンジュへの想いを強くしたきっかけでもあった。
嬉しそうに、まるで昨日のことのように話すモモカに顔を顰める。
「そんな、昔のこと……」
アンジュも忘れていた。いや、既に皇女の時のことを忘れようとしていた。
「私は、決して忘れません……今の私は、アンジュリーゼ様でできていますから………」
洗う手が止まり、愛しそうにアンジュの背中に寄り添い、その感触にアンジュが息を呑む。
「これまでも…そして、これからも…ずっと…ずっと…お慕いしております……アンジュリーゼ様……」
吐露するモモカの想いにアンジュは沈痛に俯く。無言が続き、星明かりが照らすなか、やがてアンジュは決然と顔を上げる。
「――出て…行け……」
「え……?」
絞り出すように聞こえた声にモモカが顔を上げる。だが、アンジュは背を向けたまま、低く告げる。
「出て行きなさい…こんな場所から……今すぐっ」
「あ、はい…明日には…だから今は……」
頑ななモモカの様子に苛立ち、アンジュは思わず振り向く。
「違う! 今すぐよ! マナを使えば、海を渡ったり、潜ったりするぐらいはできるんでしょ!?」
捲し立てるようにモモカの肩を掴み、アンジュは叫ぶ。これ以上、自分のせいで大切なものを巻き込みたくはなかった。
「逃げなさい、モモカ!」
帰る国はない…でもせめて、生きてほしい。このままいけば、彼女は間違いなく殺されてしまう。それはとても耐えられない。もう会えなくてもいい…何処かで静かに暮らして欲しい。それがせめてもの、アンジュにできることだった。
その思いで感情を露にして叫ぶアンジュだが、モモカは潤んだ瞳で見つめる。
「やっと、呼んでくれました…『モモカ』って………」
泣きそうな表情で呟く彼女に、自分もようやく向き合ったことを理解し、アンジュも息を呑む。
「ですが、時間のある限り…アンジュリーゼ様のお側にいさせてください………」
静かに首を振り、アンジュの言葉を拒否する。まるで、この先どうなるか察しているように―――それでもなお、モモカは笑顔を浮かべる。
「『モモカ・荻野目』は…アンジュリーゼ様の筆頭侍女ですから」
そう告げる彼女は何の迷いもなく、真っ直ぐに見えた。その一途さにアンジュは小さく唇を噛む。
「バカ―――っ!」
感情が爆発しようとした瞬間、突如警報が鳴り響く。それは、シンギュラーの発生を告げるものだった。第一中隊にスクランブルがかかり、アンジュも静かに立ち上がる。
「アンジュリーゼ様! どうか…ご無事で……」
その言葉にいいようのない感情を抱き、アンジュはバスルームを飛び出した。
少し前――待機室に、ココやミランダ、ナオミを加えた三人にセラの姿があった。
「すいません、セラさん、訓練に付き合ってもらって」
「別にいいわよ、腕を上げたいっていうのなら文句はないし」
頭を下げるココに手を振る。夕食後、セラはココやミランダから自主練をするので、シミュレーターを見てほしいと頼まれ、ちょうど一緒にいたナオミも加えて先程までシミュレーションをこなしていた。
「といっても、シミュレーターと実戦じゃ違うから慢心はしないこと」
「は、はい…っ」
いくらシミュレーションをこなし、撃墜されても死にはしないが、実戦は一度で終わりなのだ。これが実戦なら、既に何回も死亡しているだけに、ココも表情を引き締める。
「でもナオミ、あんた随分上手くなったわね?」
今のシミュレーションでも、ミランダも撃墜されたが、ナオミは被弾しつつも最後まで生存した。その操縦の腕の伸びにはさすがに驚きを隠せない。
「そ、そんなことないよ。私なんてまだまだだし」
昨日セラに嗜められてからか、謙遜するも、第一中隊の中では準突撃兵としてフォローに回ることも多く、その操縦技術も眼を見張るぐらいに成長している。まだ知らないが、サリア辺りはポジションを変更しようかと考えているぐらいだ。
「だけど、そろそろ特性を見つけたほうがいいかもね」
シミュレーションを見ていたセラがそう提案する。現状、ナオミ、ココ、ミランダの三人は正式なポジションが決まっていない。機体もナオミこそ高機動型に換装されているものの、ココやミランダなどはまだノーマルのグレイブだ。現在は、特定のポジションを持たず、戦況に応じて後方支援や、前衛支援を行っている。
だが、パラメイルに搭乗して既に数ヶ月――そろそろ、自身の特性に気づき始める頃だ。なら、それに従って訓練していけば、自然とポジションも決まる。
「そうだな…私はやっぱり突撃兵かな」
ナオミが一瞬思案するも、すぐにそう呟く。支援もできるが、ナオミはどちらかというと前線で戦うアタッカーだ。まだ被弾率こそ高いが、何度も実戦を繰り返す内に腕を上げてきている。
「私は、どちらかというと後方で支援する方が向いてる気がします」
反対にココはあまり前線で戦うようなタイプではない。だが、射撃の腕は悪くない。長距離支援型のハウザーなどに乗り換えて重砲兵として戦う分にはいいかもしれない。
「私はどっちだろ? 自分でもハッキリしないんだよね~」
ミランダは自身の特性を決めあぐねているように頭を掻く。ミランダは接近戦も射撃も腕は悪くないものの、飛び抜けてどちらが高いというほどでもなく、言い方を変えれば器用貧乏だった。ロザリーみたいに軽砲兵で支援しつつ、アタッカーもできるような感じでいいのかもしれない。
お互いに議論し合い、今後の方針を決めてそろそろ上がろうとすると、ナオミが思い出したように声を上げた。
「あ、そう言えばセラ――例のモモカさんのことなんだけど……」
声を掛けられたセラが振り向くと、ナオミが思っていたことを訊ねる。
「モモカさんを商品にしたのって、やっぱりアンジュのため?」
ナオミまでそれを訊くのか――と、やや辟易した面持ちで肩を竦める。
「ノーコメント」
誤魔化すも、その態度で悟ったナオミは、どこか嬉しそうに笑う。
「っていうか、驚きよね、この値段……」
件の号外を取り出し、ミランダもやや呆れた声でぼやく。パラメイルの装備でもこんな額は見たことがない。とはいえ、これだけの高値にしなければ、要らぬ介入があったかもしれないというジャスミンなりの配慮もあったのだが。
「でも、アンジュさん持ってるんでしょうか?」
ふと疑問に思ったココがそう呟くと、セラも思わず首を捻る。そう言えば、肝心のアンジュの預金額を調べていなかった。そこそこの額は貯めているとは思うが、お膳立てをしても肝心の手段がなければどうにもならない。
そこまで考えていなかったことに、セラは内心、自身に呆れるも、今更言っても仕方ない。
「あ、じゃあさ! 私達でカンパするのはどうかな?」
名案とナオミがそう提案すると、ココやミランダはしぶい顔を浮かべる。
「正直、私らあんた達ほど稼いでないわよ」
セラはアンジュの次ぐらいに稼ぎ、ナオミもそこそこの額を稼いでいるが、ミランダやココなどは微々たるものだ。冷静なツッコミに思わず落ち込む。
その時、警報が鳴り響く。ハッと顔を上げ、内容に耳をすますと、シンギュラーの発生と第一中隊へのスクランブルが指示された。
そのタイミングの良さに、セラは不敵に笑う。
「ちょうどいいわ――今日襲ってきたことを呪いなさい」
これから相対するドラゴンに対してそう述べると、セラ達はフライトデッキに向かって駆けていく。
フライトデッキに到着すると、既にサリア以下のメンバーもライダースーツに着替えた状態で待機していた。アンジュを見ると、いつもより強ばった面持ちを浮かべていることに気づく。
パラメイルが格納庫から移送され、カタパルトに固定される。それを見ながら、ロザリーはアンジュに厭らしく笑う。
「頑張って稼ぎなよ、あの子の墓石の分まで」
「うわぁ、悪趣味」
嫌味をぶつける二人を無視するも、微かに動揺しているのが見て取れる。
(これは…どうやら、腹が決まったみたいね―――)
それを確信すると、セラはナオミ達に目配せし、それを察したナオミ、ココ、ミランダが静かに頷く。
「総員騎乗! いくぞ!」
全パラメイルの出撃準備が整うと、サリアの号令で一斉に各々の機体へと駆け出す。乗り込むなか、ヴィルキスに飛び乗ったアンジュのもとにいつの間にやって来たのか、ジルの姿があり、それを見たセラは眉を顰める。
アンジュと少し話すと、すぐに離れていく。何を話したかは察しがつくが、総司令がフライトデッキまで出向くことはほとんどない。それをわざわざ伝えにまで出向く――不審な点はあったが、今は後回しだった。
やがて、管制からの発進コールが響き、サリアを先頭に第一中隊のパラメイルが発進し、闇夜の空に舞い上がる。
シンギュラーの開口ポイントに向かって飛ぶなか、アンジュはモモカのことを考えていた。出撃前にジルから通達を受けた。明日の夜明けにモモカを迎えに輸送機が到着する。それに伴い、世話役は終了となる――わざわざ労いにくるとは思えないが、今のアンジュにはどうでもよかった。
セラが言っていた――このまま戻されれば、モモカは機密保持のために殺される。それがアンジュの心を掻き乱す。
再会した当初は、戸惑いがあった。だが、微かな嬉しさがあったのは否定しない。もう二度と会えないと思っていた友人と会えたのだから――それも一瞬、すぐに彼女を疎ましく思うようになった。
(何が筆頭侍女よ…ずっと、騙してきたくせに―――!)
ようやくこのアルゼナルという環境に慣れ、戦う決意をした。図らずも、ここで『仲間』と思える者達ができた。自分を受け入れてくれる相手と出会えた。自分の新しい居場所を見つけられたと思えた矢先の再会…そんなアンジュを元の彼女に戻そうとしてくる煩わしい邪魔者――そう思っていた。
何を今更―――と憤る。ずっと、ずっと騙してきた。騙され続けてきた…だが、彼女は何も知らないだけなのだ。アルゼナルのことも、ドラゴンのことも、残酷なノーマの現実も――でなければ、そんな言葉は出なかっただろう。
バスルームでのモモカの言葉がアンジュの苛立ちを煽る。
大切な友人だった――それこそ、本当の姉妹のように過ごし、信頼していた。そして、今も――ノーマに堕ちた自分を慕ってこんな地獄までやって来た。
彼女は恐らくおぼろげながら悟っている…自分の末路を――だからこそ、逃げろと言った。なのに、モモカは頑として離れなかった。少しでも長く自分の傍に居たい…馬鹿だと、心底の馬鹿だと。
――後悔しない方を選びなさい……
セラの問い掛けがアンジュの胸中を過ぎり、彼女の意思を促す。
(馬鹿…ホント、救いようのない―――)
「ばかっ……!」
そう叫んだ瞬間、アンジュはヴィルキスを急加速させる。編隊から飛び出すヴィルキスにサリアが叫ぶ。
「アンジュ! 隊列を乱すな!」
いつものことだが、そう叫ぶサリアだったが、その時セラのアーキバスがサリアの機体の前に出る。
「セラ……?」
「悪いけど――今日は好き勝手やらせてもらうわ」
戸惑うサリアに平淡な口調で告げると、突如アーキバスが急加速し、ヴィルキスを追う。
「ちょ、ちょっと……!」
混乱するサリアだったが、そこへ次々と通信が入る。
「サリア、ゴメン!」
「隊長、すいません!」
「悪いけど、今日だけは勘弁してちょうだい!」
謝罪の言葉を述べながら、セラに続くようにナオミ、ココ、ミランダも機体を加速させ、編隊から飛び出していく。いつもは能動的に動かない彼女ららしからぬ態度にますまる混乱する。
「な、な、なんなのよ~~~!」
唖然となるサリアの絶叫が夜空に響く先で、爆発の華が咲き乱れるのだった。
数時間後―――夜明けとともに第一中隊は帰還していたが、収容されるパラメイルを見つめながら、ロザリーはワナワナと震えている。
「あんのクソアマァ! 戦闘中にアタシの機体を蹴っ飛ばしやがってえー!」
よくよく見れば、ロザリーの機体は装甲が一部ひしゃげている。戦闘中にヴィルキスに蹴り飛ばされ、そのまま失速してしまった。
「邪魔って…私のこと邪魔って…!」
その隣でクリスは頭を抱えて項垂れている。戦闘中に邪魔者扱いされたことは、依存心の強いクリスを凹ませるには充分だった。
「ちっ、あのクリソツ女――!」
その後ろでヒルダは苛立たしげにタオルを床に叩きつける。ヒルダの機体は右腕を欠損していた。だがそれは、ドラゴンにやられたのではなく、セラに後ろから銃撃されて砕かれたのだった。
体勢を崩すヒルダを尻目に『この間のカリは返したわよ』とすれ違いざまに毒づかれ、さらには眼の前で獲物をかっ攫われたのだ。
そんな三人を横にサリアとヴィヴィアンとエルシャは着替えるために更衣室に向かっていた。この三名は、機体を被弾させられたり、罵声を浴びせられることこそなかったが、撃墜数はヒルダ達と同じく0に近かった。
「いや~今日のアンジュはピリッピりだったし、セラやナオミ達もキレッキレだったにゃ~!」
「なに呑気なこと言ってるの! とんでもない命令違反よ、あんなの!」
のほほんと告げるヴィヴィアンにサリアが苛立ちを隠せず怒鳴り、ヴィヴィアンは思わず怯む。
「ピィ…!?」
「まあまあ、落ち着いて」
エルシャが宥めるも、サリアの怒りは収まらない。
「これが落ちついていられる訳ないでしょう!? アンジュ一人でほとんどのドラゴンを狩られるし、セラだけでなくナオミ達まで勝手なことして……なんなのよ、いったい!」
出現したドラゴンは大型種を含めて半分近くをアンジュに討ち取られた。その他の小型種もセラをはじめ、先行したナオミ達によってほぼ狩り尽くされ、戦果としてはともかく、部隊としては散々なことにサリアの憤りは収まらない。
「確かに…今日はナオミちゃん達も変だったわね」
いつもはあまり前に出ないココやミランダまでがどこか鬼気迫るものだっただけに、驚きはしたが、エルシャはその理由に見当をつけていた。
(きっとアンジュちゃんのためなんでしょうね……)
落ち着いて考えてみれば、それしか理由は浮かばなかった。アンジュが独断専行するのはいつものことだが、セラまでがそう動くのは珍しい。
とはいえ、またも頭痛を憶えているサリアの様子を見ると、エルシャも苦笑いしか出ないのだった。
当の問題を起こしたアンジュは、帰還と同時に一目散に事務へと駆け込んだ。先程の戦果と合わせて預金していたキャッシュを全て引き出し、額を計算してもらい、出された数字に愕然となった。
「足りない――っ」
そう――報酬と合わせても1億キャッシュには僅かに届いていなかった。アンジュは思わず拳をテーブルに叩きつける。何のために戦ったのか、分からなくなる。モモカを助けられなければこんなものは紙屑も同然だ。
打開策も浮かばず、行き場のない怒りに震えていると、積み上げていたキャッシュの前に、別のキャッシュの山が置かれた。
「え……?」
顔を上げるアンジュの視界に、キャッシュを抱えたセラがいた。
「セラ?」
「はい、これ…必要なんでしょ」
無造作に置かれるキャッシュに戸惑っていると、セラの後ろからナオミ達が現われる。
「アンジュ、はい、これ!」
「あの、これ少ないですけど使ってください!」
「大した足しにはなんないけど」
ナオミ達もキャッシュをアンジュの前に置き、アンジュは呆然となる。
「あなた達……」
アンジュは今回の戦闘はすべて自分でドラゴンを狩るつもりだった。だが、いくらアンジュとヴィルキスでも焦りと数の前には危険な場面も多く、そこへセラ達がフォローに入っていた。
「言っておくけど、これは『貸し』だからね。利息はつけないであげるから、ちゃんと返済しなさい」
釘をさすようにセラがそう告げると、アンジュは眼を剥く。
「ほら、急いで――あの子を助けるんでしょ?」
微笑を浮かべ、そう促すと、アンジュはハッと我に返る。急ぎ、キャッシュを用意していた紙袋に詰め、それを両手で抱える。
「セラ…その、ありがとう――あなた達も」
やや上擦った声で告げると、アンジュは脱兎のごとく飛び出して行った。それを見送ると、ナオミが徐にセラに訊ねた。
「ねぇ、セラ…どうしてあんな事言ったの? 私は別によかったんだけど……」
ナオミにしてもココやミランダにしても別にキャッシュをアンジュにあげてもよかったのだが、何故セラが『貸し』としたのか、意図が掴めずに困惑する。
「いいのよ、あれで――『貸し』ってことにしておけば、アンジュも余計な気を負わずに済むでしょ」
肩を竦めてそう告げると、ナオミ達は首を傾げる。
「『対等』にしてもらった方が、アンジュはいいってことよ」
ようやくセラの意図を察したのか、三人が声を上げる。『特別扱い』はアンジュに壁をつくらせてしまうだろう。なら、『貸し』ということにしてしまえば、余計な気遣いはしなくてすむ。『対等』に扱うことが『仲間』だろう。
ドラゴンの撃退のため、やや到着が遅れたものの、管理委員会の輸送機がアルゼナルに着陸した。
そして、保安係りに付き添われてモモカが荷物を持って、滑走路にまでやって来た。曲がりなりにも『人間』の見送りのため、ジルとエマ、そしてジャスミンの姿があった。
三人の前で粛々とお辞儀をする。
「お世話になりました、アンジュリーゼ様に『短い間でしたがとても幸せでした』と、お伝えください」
「え、ええ……」
あまりに爽やかに御礼を言われたので、エマは戸惑う。そんなモモカにジャスミンが笑う。
「あんたのおかげで助かったよ。できれば、もう少し居て欲しかったけどね」
打算的な思いはあったものの、モモカの身を案じての言葉に苦笑を浮かべる。
「それでは……」
再度お辞儀をすると、待機していた管理委員会の兵士のもとへと移動する、その兵士が短刀付のライフル銃を背負っていることに、エマが気づき、息を呑む。
だが、どうしていいか分からずに悩んでいると、後方から声が響いた。
「待って!!」
その音量にその場にいた全員が振り向くと、アンジュが大量の札束を入れた紙袋を抱えて駆け寄ってくる。帰還してそのままなのか、ライダースーツ姿だが、焦っているのが見て取れる。
「アンジュリーゼ様!」
その姿に驚くモモカの前で、アンジュは札束が入った紙袋を置き、モモカを見た後、ジルとエマに向かって告げた。
「その子! 私が買います!」
「は? はあぁぁ!?」
アンジュの突然の発言にエマは驚きに眼を丸くする。だが、やがて戸惑いが怒りに変わる。
「ノーマが人間を買う~!? こんな紙屑で!? そんな事が許される訳が!」
「良いだろう」
「はい!?」
ジルの放った発言にエマはまたしても驚きを隠せず、声が上擦る。
「その娘はまだアルゼナルにいる。そして、まだ『商品』だ…そうだな、ジャスミン?」
「ああ、契約はまだ切れてないからね。確かに、毎度あり!」
いつの間に数えたのか、札束を勘定したジャスミンがいつもの喰った笑みで頷く。
「移送は中止だ。その娘はこいつのものだ。金さえあれば何でも買える、それがここの『ルール』ですから」
不適に笑うと、ジルは呆気にとられるエマを尻目に去って行く。
「ちょっ! 司令!?」
「ほらほら監察官、ボーっとしてないで運ぶの手伝っておくれ」
「ああもう! 司令、ちょっと待ってください!」
エマはすぐにマナで札束を持ち上げると、ジルの後を追いかける。ジャスミンはその後を楽しげに追うのであった。あまりに突飛なく進んだ事態に連行に来ていた兵士達も呆気に取られていたが、やがて憮然とした面持ちで輸送機に乗り込んでいく。
そんな中、取り残されたモモカは事態の推移に首を傾げていたが、そんなモモカの前にアンジュが立つ。
「聞いたわね? 今日からあんたは私のものよ」
やや乱暴な口調でそう告げると、ようやく意味を理解したのか、モモカの眼に涙が浮かぶ。
「本当に良いんですね? 私、アンジュリーゼ様のお側にいてもよろしいのですね?」
潤んだ瞳で呟くモモカにアンジュは肩を竦める。
「…アンジュ」
「え?」
「私の名はアンジュよ、これからはそう呼びなさい」
それが『答』だとばかりに告げ、背中を向けて歩くアンジュに、モモカは弾んだ声で応える。
「はい! アンジュリーゼ様!」
満面の笑顔でアンジュに付いていくモモカ。その二人をまるで見守るように昇った太陽が照らす。
その様子をコンテナの陰から見つめていたセラとナオミだったが、セラはやれやれとため息を零す。
(雨降って地固まる―――ってやつかしら)
「ううぅ、よかったよ~~」
その横でナオミは感動したのか、涙ぐんでいる。そんなナオミに苦笑し、セラは踵を返す。
(さて、と――アンジュはともかく、気になることができたわね)
そう――今回の件で芽生えた疑問……それを調べる鍵は――――
「ミスルギ皇国――アンジュの故郷、か」
そう呟く。ナオミはその声が聞こえなかったが、セラの浮かべる表情がどこか強張った真剣なものであったことに、微かな不安を憶えるのだった。
本来なら、前回の話と繋げての部分だったのですが、最後のセラとモモカの会話が思った以上の長くなってしまい、結局2パートになってしまいました。
これでようやくメインのメンバーはほぼ勢ぞろいです。
次に書くのはどれがいいですか?
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クロスアンジュだよ
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BLOOD-Cによろしく
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今更ながらのプリキュアの続き