クロスアンジュ 天使と竜の輪舞 紫銀の月   作:MIDNIGHT

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すれ違う想い

デッキでの騒ぎから数時間後――侵入者の身元を確認したエマは、すぐれない面持ちで通信を取っていた。

 

「モモカ・荻野目、元皇女アンジュリーゼの筆頭侍女です。はい…元皇女に世話を、と――え? ですが、はい…では」

 

エマは受話器で本国の管理委員会の上層部と連絡し合っていたが、その内容に驚き、困惑するも渋々受話器を置き、やや憂鬱気味にシートに身を預ける。

 

その様子に隣で聞いていたジルは煙草を吸いながら問う。

 

「委員会はなんと?」

 

それに対し、エマはやや沈痛な面持ちで首を振り、それで事情を理解――いや、訊くまでもなかったことにジルは淡々と受け取った。

 

「予想通り……ですか?」

 

「あの娘を国に戻せば、『ドラゴン』の存在とそれと戦う『ノーマ』――最高機密が世界に漏れる可能性があると……」

 

別に事実が公になったからといって、『ノーマ』に対する同情論などが出ることを懸念しているわけではない。委員会が憂慮しているのは、知らぬところで『ドラゴン』なる異形の侵略者が侵攻しているという事実で世界が混乱、その矛先が政府――しいては、自分達に向くことだ。

 

鼻を鳴らすジルにエマは、顰めた面持ちで問い掛ける。

 

「何とかならないのですか? 彼女はただ、ここに来ただけなのに……」

 

同じ『人間』として、その身を案じるエマが問い掛けるとジルは冷ややかに応じる。

 

「『ただ来ただけ』…ね――ノーマである私には、『人間』の作ったルールを変えられる力などありませんよ」

 

皮肉を織り交ぜた事実に、エマも口を噤む。

 

「せめて一緒にいさせてあげようじゃないですか…今だけは―――」

 

それが微かな優しさなのか、それともどうでもいいのか――判断はしかねたが、エマもどうすることもできず、ただため息をつくのみだった。

 

 

 

居住区を歩くセラの後ろをアンジュとモモカが付いてきている。歩く中、誰もが『エマ』以外の人間に興味津々、もしくは怖れや嫌悪といった感情を浮かべながら遠巻きに見ている。

 

彼女の世話を任されたわけではないが、セラは厄介事が尽きないことにため息をこぼす。その様子にモモカが上擦った声を上げる。

 

「あ、あの――先程は大変失礼しました! あまりにアンジュリーぜ様とそっくりだったもので……」

 

戸惑いながら謝罪するモモカ。どう声を掛けるかタイミングを計りかねていたのだろうが、セラは肩を竦める。

 

「別に気にしてない――慣れてるから」

 

一時に比べれば減った方だが、いまだに自分とアンジュの顔を見て驚く者もいるのだ。初見の彼女が間違えても仕方あるまい。

 

「は、はい……ありがとうございます」

 

背中越しにはにかむモモカを一瞥する。裏表のなさそうな笑み――これも長年ここで育った性質だからだろうか、人の素性を探ることが習慣づいている。

 

笑顔の裏にどんな醜悪なものが隠れているか分からない――それが『人間』…いや、『ヒト』だ。そういった意味では、自分も『同類』だが…と内心自嘲する。

 

とはいえ、このモモカという少女にいたってはそれは心配なさそうだ。純粋にアンジュを追って来たのだろうが、その行動に走らせた動機まではさすがにセラには分からない。

 

(当のアンジュは会いたくなかった…ってとこみたいだけど)

 

こちらも普段から表情を隠すのが下手なだけに、不機嫌を張りつけて先程からモモカを見ようとしない。

 

「あ、あのっ…御髪、短くされたのですね……」

 

なにか話すきっかけをつかもうと一番雰囲気が変わった髪型で話し掛けるも、アンジュは無言のままであり、モモカはやや落ち込むも、めげずに話し掛ける。

 

「いいと思います! 大人の雰囲気というか…これまでの姫様から脱皮されたような……そんな感じがします」

 

できる限り明るく振舞うも、アンジュは冷めた面持ちのまま、無視している。やがて、部屋に到着するとセラは先に部屋に入る。

 

アンジュは無言で扉に立ち、モモカを無言で促す。

 

「ここがノーマの更生施設なのですか…? 随分と埃っぽいといいますか、なんだか鉄の臭いが……」

 

恐る恐るといった面持ちで部屋を覗き込むモモカをやや低い声で促す。

 

「入って」

 

「は、はい…失礼します……」

 

部屋に入るモモカにセラが苦笑する。

 

「人間には馴染みないかしらね――」

 

肩を竦め、セラはそのまま部屋を出ようとし、アンジュが声を掛ける。

 

「セラ、どこへ?」

 

「『人間』に床で寝させるわけにはいかないでしょ。私のベッドを使っていいわ……」

 

アンジュの横を過ぎる時、顔を近づけ小声で囁く。

 

「明後日まで部屋を空けるわ。こんなとこまで追いかけてきたのよ――話ぐらいはしてあげなさい」

 

余計なお世話かとも思ったが、老婆心から出た言葉だった。少なくとも、ノーマに会うためにこんな場所まで来た人間は過去皆無だ。どういった理由にせよ、そこまで親しい関係だったのは想像に難くない。

 

アンジュは顔を顰めたままだったが、セラは部屋を後にする。

 

「それじゃ、お休み…侍女さん」

 

ドアが閉まると、モモカが感心したように声を上げる。

 

「お優しい方ですね。あの方は――」

 

『ノーマ』に対してやや畏れを持っていただけに、そう呟くとアンジュも小さく微笑む。

 

「そうね……」

 

優しくて――それでいて強い………穏やかになるアンジュだったが、モモカはどこかそれを呆然と見ている。

 

「何?」

 

その視線に気づいたのか、振り向くアンジュに我に返ったモモカが首を振る。

 

「い、いえ…少し安心しました。アンジュリーゼ様が孤独になっているのではないかと不安だったのですが、アンジュリーゼ様のことを気に掛けてくれる方がいることが嬉しくて」

 

モモカとしては何気ない気遣いだったのだろうが、アンジュにとっては苦くなる。事実、アルゼナルに来た当初は周りとぶつかって孤立し、セラとも対立していた。そこはさすがに、付き合いの長さ故か―――

 

「それはそうと、ここは何ですか? ベッドと仰ってましたが……」

 

モモカはまだ自分が入った部屋の様子が分からずにいたが、セラの言葉にふと自分の前にある簡易なベッドを見つめ、それがそうだと理解し、やがてそれが『その』答えに辿り着くと、驚きの声を上げた。

 

「まさか…アンジュリーゼ様のお部屋なのですか? こんな狭いところが……」

 

あまりのギャップに愕然となるが、アンジュは憮然と棚を開ける。

 

「―――私達の部屋よ」

 

不機嫌そうに告げ、アンジュは制服を着替え始めると、モモカが慌てて駆け寄る。

 

「お召し替えですね! お手伝いしま……」

 

差し出すモモカの手を払い除け、固まるモモカを一瞥し、上着を脱ぎ捨てるとベッドに放り投げる。

 

「た、畳みます! マナの光よ……」

 

翳した手が光ると、淡い光が上着を包み、空中に浮かんだ制服がひとりでに畳まれていく。次々に放り投げられたものを光で片付けていく光景を冷めた眼で見ていたアンジュは揶揄するように呟く。

 

「そうやって使うんだ…マナって……」

 

その指摘にハッとしたモモカはマナを止めてしまい、申し訳なさそうになる。

 

「す、すみません……」

 

そんな彼女を一瞥したまま、タンクトップに着替えたアンジュはベッドに腰掛け、鬱陶しい眼差しで窺うよう見ているモモカを見やる。

 

「――で? 何しに来たの?」

 

「アンジュリーゼ様のお世話をするために…です」

 

本題を切り出したアンジュに戸惑いがちに告げると、アンジュはますます冷めた視線を浮かべる。

 

「誰、それ?」

 

驚いて顔を上げるモモカにアンジュは吐き捨てるように続ける。

 

「私はアンジュ――『ノーマ』のアンジュよ」

 

拒絶するように告げるアンジュに気圧され、萎縮するモモカに、素っ気なく言葉を続ける。

 

「命令だから、明後日まであなたのお世話をさせてもらうわ。だから、私には構わないで」

 

言い終えると、アンジュは制服を畳もうと手に取ると、モモカがひったくるように制服を掴み、腕に抱く。

 

「や、やめてください! アンジュリーゼ様はアンジュリーゼ様です! 私、帰りません! 離れません! これからは、私がずっとずっとお世話いたします! だから……」

 

泣きながら懇願するモモカに、アンジュは憮然としたまま、視線を逸らす。

 

「帰る場所…ないものね」

 

「え……?」

 

それは、彼女に対しての後ろめたさから出たものかもしれない。だが、モモカは一瞬困惑し、声を漏らす。

 

「聞いたわ。ミスルギ皇国、もう無いんでしょ?」

 

その指摘に息を呑むモモカに、燻っていた疑問が事実だと悟り、自嘲気味に笑う。

 

「私が…潰した――――」

 

脳裏に母の最期とともに過ぎる光景――全てが反転してしまったあの日……無意識に手を握り締め、震わせる。

 

「私が、ノーマだったから、お母様は死に、国は滅んだ………」

 

忌むべき現実と自身に沈痛な面持ちを浮かべるアンジュに思わずモモカが口を挟む。

 

「ち、違います! それは……」

 

「ねえ、いつから? いつから知ってたの? 私がノーマだって……!?」

 

遮るように咎める口調で迫るアンジュにモモカは怯えるように瞳を震わせるも、アンジュはため息を吐く。

 

「最初からに決まってるわよね。私にマナを使わせないために、お父様が連れてきたのがあなた――でしょ?」

 

今思えば、専任侍女が付いていたのはアンジュのみ。ジュリオやシルヴィアにもお世話係はいたが、モモカはそれこそ四六時中アンジュと共に過ごし、学校まで付き合い、エアリアではパートナーだった。すべては、アンジュがマナを使わないようにするための処置だったと考えれば、辻褄は合う。

 

そう彼女に指示を出していたのが両親だとしたら、自分のことを聞いていないはずがない。アンジュの指摘に黙り込む様子から、それが図星だったと悟る。

 

「よくまあ騙し続けてくれたものだわ。何年も……ま、どうでもいいけどね…今となっては………」

 

気づかなかった自分も間抜けだった。今更モモカを責めたところで、何が変わるだけでもない―――アンジュはもう話すことはないとベッドに横になる。

 

「寝るわ。そっちのベッド――セラが使っていいって言ってたから、使っていいわよ」

 

背を向けて眠るアンジュに、モモカは切なげに、どこか毅然と告げる。

 

「私の居場所は、アンジュリーゼ様のお側だけです。追いかけて、追いかけて…やっとお会いできたんです。どうか、ここに置いてください」

 

震える声で懇願するモモカに、アンジュは唇を小さく噛む。

 

「ここは、『人間』の住むところじゃない―――」

 

冷淡に拒絶するアンジュにモモカは、ショックを隠せず、部屋の中には重い沈黙が満ちるのみだった。

 

 

 

部屋を後にしたセラはこの数日の寝座をどうするか、と考えながら居住区を歩いていた。

 

(いっそ、部屋を変わったほうがいいか……)

 

元々さして私物を持っていない身――別に今の部屋に愛着があったわけでもない。身一つで出ていける…その気になれば、こんな場所からも―――

 

(それで、どうなる……)

 

不意に過ぎった考えに自嘲する。

 

居住区の窓から夜を――いや、この世界を見つめる。アルゼナルだけではない――この世界そのものが『ノーマ』の牢獄だ。ただ戦う相手が変わるだけ。

 

結局、ノーマには戦うことでしか生きることができない。

 

(だけど、もしその時が来たら―――)

 

顔を上げて遠くを見るセラに声が掛かったのはその時だった。

 

「セラ?」

 

呼び声に振り向くと、ナオミが首を傾げながら近づいてくる。

 

「どうしたの? もうすぐ就寝時間だけど?」

 

「今日の寝床探し」

 

「へ? あ、そっか!」

 

一瞬首を傾げるも、その理由がすぐに思い当たり、納得とばかりに頷く。

 

「それで、どうするの?」

 

「別にどこでもいいんだけど、いざとなったら待機所で寝るわ」

 

寝ようと思えばどこでも休める――戦闘待機用の控え室なら、交代用の寝袋ぐらいはある。向かおうとするセラにナオミがおずおずと声を掛ける。

 

「あのさ、よかったら私の部屋に来ない? 今一人だから……」

 

そう提案するナオミに首を傾げる。ナオミは確か誰かと相部屋ではなかったか――そこまで考えて、思い出した。確か、ナオミの相部屋だった相手は数ヶ月前のテスト飛行で死んだライダーだった。彼女が死んで、一人でいたのだろう。本人がこう言っているのだから、間違いない。

 

「なら、世話になる」

 

「うん! あ、久々にマッサージしてあげよっか?」

 

応じるセラにはにかみ、そう提案する。ナオミはこう見えてマッサージが上手い。昔から世話になっているぐらい、これだけはいまだに頼っている。

 

「そうね、なら頼むわ」

 

「うん、いいよ♪」

 

鼻唄でも歌いそうなぐらい楽しげにするナオミに戸惑いながらセラは後をついていった。

 

 

 

 

夜が明け、朝食の時間には食堂に多くのノーマが集まっていた。配膳の列にアンジュの後ろに付いて並ぶモモカはその環境に驚いていた。

 

(なんという不衛生な環境に、貧相な食事なのでしょう……!)

 

大勢で使用するものだから仕方ないといえばそうだが、それでも皇居での使用人が使用する食堂はもっと綺麗に掃除されていたし、清潔に保たれていた。食事も充分な量が支給されるが、それと比べてのギャップ感があまりにあり、モモカに憤りを齎していた。

 

(アンジュリーゼ様は、こんな所でこんな物をずっと……ああ、なんとお労しい………!)

 

こんな劣悪な環境の中で過ごすことを余儀なくされている敬愛する主人の境遇に同情するも、当のアンジュはなんの不満も違和感も抱かず並んでいることが戸惑いを誘い、モモカを悩ませている。

 

その光景を誰もが物珍しく眺めるなか、一緒のテーブルで食事を取っていたサリア、ヴィヴィアン、エルシャ、ココ、ミランダも好奇心混じりに見つめていた。

 

「やっぱり、私達と住む世界が違うのね……アンジュちゃんは」

 

エルシャがどこか羨望を抱くように呟く。

 

アンジュが元皇女だということは最初に伝えられていたものの、どこか半信半疑だっただけに、ああして彼女を慕ってきた者がいたという事実に驚きを隠せない。

 

「侍女ってなんぞ?」

 

朝食のポテトフライを頬張りながら、ヴィヴィアンはモモカの肩書きについて問い掛けると、横に座るサリアが応えた。

 

「高貴な身分の人をお世話する人のことよ、『メイド』とも言うらしいわね」

 

漫画で読んだ知識だが、その答にココが眼を輝かせる。

 

「すごいです、本当にお姫様ってお世話する人がいるんですね!」

 

こちらも絵本で読んだ知識だが、横で聞いていたミランダは呆れ気味にため息を零す。

 

「ねぇねぇミランダ、やっぱり『ご主人様』とか言うのかな?」

 

唐突に聞かれ、ミランダは思わず噴出す。

 

「ごほっごほっ、知らないわよ、そんなこと!」

 

声を荒げるミランダにココが泣きながら謝る。そんなやり取りを微笑ましく見ながら、ヴィヴィアンは感心する。

 

「ふぇー、すごいんだね~」

 

口元にケチャップを付けたままの様子に、エルシャが困ったように笑う。

 

「ケチャップついてるわよ」

 

徐にヴィヴィアンの口元についたケチャップを拭うと、何かを思いついたようにヴィヴィアンはポンと手を叩いた。

 

「って事は、エルシャとサリアは私の侍女って事だね?」

 

「「違います!」」

 

間髪入れず、サリアとエルシャが同時にツッコむ。

 

そんなやり取りを他所に、食事を受け取れず困惑していたモモカは、アンジュがトレーを持ったまま席を探して佇んでいるのを見つけ、眉を吊り上げる。

 

「なんたる事! アンジュリーゼ様をお待たせするなんて! あなた達、席を譲りなさい! アンジュリーゼ様ですよ!」

 

一目散に駆けつけ、手前のテーブルに座っている面々に怒鳴る。その言葉に座っていた面々は呆気に取られるが、運の悪いことに、そのテーブルにはヒルダ、ロザリー、クリスの面々も座っていた。

 

アンジュも呆れたような表情をしており、場が白けるだけだった。

 

「余計なことしないで」

 

ウンザリした面持ちで制するが、モモカは鼻息も荒く、引き下がらない。その忠誠心だけは称賛ものだが、ここでは皇室の権威など何の意味もない。

 

ヒルダ達もあまりの馬鹿さ加減に失笑する。

 

「席を譲れだって…はっ、いいご身分だねぇ、イタ姫様? 生きてたかと思ったら、仲間一匹増やしてきやがって…ホント、害虫女」

 

嘲笑するヒルダに続くようにロザリーとクリスも悪態を返す。

 

「調子にのるんじゃねえぞっ、このクソアマ!」

 

「ホント、目障りなメスブタ」

 

口々に罵倒する面々にモモカが怒り、喰って掛かる。

 

「今、何と言ったのですか!? アンジュリーゼ様に何たる無礼! いかにノーマが低俗で好戦的とはいえ、今の言葉は断じて……!」

 

「そいつもノーマだけどな」

 

怒り心頭という剣幕でヒルダ達に怒鳴り返すが、ヒルダの冷静な指摘に一瞬、勢いを削がれる。

 

「っ! ち、違います! アンジュリーゼ様は、アンジュリーゼ様です!」

 

だが、それをモモカが否定すると、一瞬眼を剥くも、やがて一斉に笑い上げた。一様に「何言ってんだこいつ?」とばかりに、嘲笑が響く。

 

「ここに来たばかりの頃のアンタそっくり!」

 

「痛い姫様に痛い侍女…お似合いじゃないか!」

 

「これで夜も寂しくないねぇ」

 

口々に言いたい放題罵るも、当のアンジュはそんな様子を逆に嘲笑う。

 

「低俗ね…相変わらず」

 

「――ノーマなもんでね」

 

ばっさりと切り捨て、見下す視線にさすがにカチンと来たのか、ヒルダ達が立ち上がり、空気が緊張に包まれる。まるで殴り合いでも始まりそうなほどの剣呑な空気に、同じ席にいた面々は慌てて逃げ出し、遠目に見ていたサリアが止めなければと席を立とうとした瞬間―――

 

「あいたっ!」

 

「ぎゃぁっ!」

 

「いたいっ!」

 

突如として、どこからともなく回転しながら飛来したトレーがヒルダ、ロザリー、クリスの後頭部に直撃し、衝撃に三人はその場で蹲る。

 

突然のことに周囲が驚きに眼を丸くし、アンジュやモモカもポカンとなっている。というよりも、トレーが飛んでくるなど誰が想像できようか。しかも、角がモロに直撃したので、頭を抱えている。

 

「……食堂で騒ぎを起こすな」

 

そんな空間に響く呆れた声とともに、全員の視線が向くと、そこには冷めた面持ちで佇むセラがおり、ナオミは「やっちゃった」とばかりに額に手を当てている。

 

「セラ……」

 

「てめえ、何しやがる!?」

 

あまりの痛みに頭を押さえながら、涙目で睨むヒルダに鼻を鳴らす。

 

「言ったでしょ、食堂では騒ぐなって――それぐらいの分別もつかないほど頭が貧相なのかしら?」

 

「てめえ、前々から言おうと思ってたけどな! 一度年上に対する口の利き方ってやつを――!」

 

馬鹿にされていきり立つロザリーだったが、セラは動じた様子もなく、冷笑を浮かべる。

 

「やる気? いいわよ、二度とパラメイルに乗れなくなってもいいならね……」

 

指を鳴らし、睨みつける視線がどこか殺気を帯び、今までの勢いを殺がれ、圧倒されるロザリーと震えるクリス。さすがにヒルダも分が悪いと悟ったのか、舌打ちする。

 

「いくよ、ロザリー! クリス!」

 

すごすごと退散するヒルダ達を一瞥し、肩を竦める。

 

「セラ……」

 

「あんたはとことんトラブルが絶えないわね」

 

呆れた視線で見やるセラに不本意とばかりにそっぽを向く。それを一瞥すると、今度はモモカに視線を向ける。

 

「あ、あの…ありがとうございました!」

 

礼を述べるモモカに冷ややかな視線を向ける。

 

「あんたも、少しは立場を弁えなさい」

 

「え……?」

 

突然の言葉に戸惑う。

 

アンジュが大切なのはいい――だが、ここはミスルギ皇国でもなければ、人間の世界でもない。アルゼナル(ここ)にはアルゼナル(ここ)のルールがある。国の権威だろうが、皇族の名だろうがそんなものはここでは関係なく、またいくら振りかざそうが、余計に反感を煽るだけだ。

 

「ここには『人間』を毛嫌いしている連中も多いんだから――なにより、アンジュの立場が悪くなるわよ」

 

『ノーマ』であること、『人間』に対しての卑屈感、劣等感から嫌悪する者も少なからずいる。ましてや、皇女でもなくなったアンジュを皇女のように持ち上げても、失笑を買うだけで、余計に本人を惨めにするだけだ。

 

そう諭らされ、モモカは気まずげになるも、募るように返す。

 

「で、ですが、アンジュリーゼ様への無礼はこの私が……ぁ……」

 

言葉の途中で突然、モモカはフラフラと千鳥足になるも、バランスを失い、倒れる。

 

「っと」

 

予想もしていなかった事態に倒れてきたモモカをセラが受け止める。

 

「モモカ!?」

 

「ど、どうしたの?」

 

モモカの様子にいつになく狼狽えるアンジュと、戸惑うナオミだったが、直後、かわいい――それでいて場違いな音が周囲に響いた。

 

「「え……?」」

 

ともに眼を丸くするアンジュとナオミだったが、またもや鳴った音は、モモカのお腹から聞こえており、セラがよく見ると、モモカは眼を回しているようなフラフラの状態だった。

 

「この子、お腹空いてるんじゃないの?」

 

セラがそう指摘すると、まるでそれが『正解』とばかりにモモカのお腹から音が鳴り、アンジュは大きく脱力し、ナオミは引き攣った笑みをこぼす。

 

セラもやや呆れたように頭を掻くが、とはいえこうしているわけにもいかず、モモカの抱えていた身体を片手に預け、空いた手でモモカの脚を持ち上げ、身体を抱え上げた。

 

その光景にアンジュやナオミだけでなく遠巻きに見ていた他の面々も驚きに眼を見張るが、そんなことはどこ吹く風とばかりにセラはモモカを抱え上げたまま食堂を出て行く。

 

「「いいな……え?」」

 

それを呆然と見送ったアンジュとナオミが同時に呟くと、思わずお互いを見合う。互いに乾いた笑みを浮かべるが、すぐさまセラの後を追って食堂を出て行った。

 

残された面々が再起動すると、そこらかしこで声が飛び交う。

 

「うわぁ、アレが『お姫様抱っこ』ってやつだよね! 私初めて見た!」

 

「そ、そうね…」

 

興奮を隠せないココが顔を赤くしているが、ミランダもどこか見入ってしまっていた。

 

「あらあら~セラちゃん、ホント絵本の皇子様みたいね」

 

幼年部で絵本を読むこともあるエルシャもどこか感心している。

 

「およっ、サリアどったの?」

 

そんな中、サリアは顔を赤くして頭を抱えている。心持ちとしては、セラの行動に悩んでいることと恋愛小説で読んだシーンを思い出し、悶々としているのがせめぎ合っているせいで、頭を抱えたまま奇行を繰り広げるのだった。

 

 

 

食堂での騒ぎを他所に、セラはモモカを抱えたままジャスミンモールに来ていた。

 

「おや? まるでどこぞの皇子様だね」

 

楽しげに笑うジャスミンに鼻を鳴らし、セラは自動販売機が並ぶコーナーへと向かう。そこでようやくモモカが気づいたのか、顔を上げる。

 

「ふえ?」

 

「気がついた?」

 

「え? え? わわっ、お、下ろしてください!」

 

ようやく自分の体勢に気づいたのか、慌てるモモカに特に動揺せず、セラはそのままモモカを下ろし、当人は気恥ずかしげになる。

 

「し、失礼しました! お見苦しいところをお見せしてしまって……」

 

「別に気にしてない、それよりお腹空いてるんでしょ?」

 

「い、いえ! そんなことは……」

 

刹那、モモカのお腹から音が鳴り、モモカは羞恥に顔を真っ赤に染める。セラが肩を竦めると、モモカは俯いていしまう。

 

「も、申し訳ありません…実は三日ほどなにも食べてなくて………」

 

恥ずかしげに告げると、セラは納得とばかりに頷き、そのまま自動販売機の方へと移動する。そこへようやくアンジュとナオミが追いついてきた。

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

ナオミがモモカに訊ねると、やや乾いた面持ちで頷く。

 

「はい…ありがとうございます」

 

「どういうことなの?」

 

思わず咎めるアンジュに今しがたセラに告げた内容を反芻する。アンジュの居場所を捜して三日間動き回り、どうにかアルゼナル行きの輸送機に密航したことを説明すると、アンジュは呆れた視線を浮かべる。

 

「聞いてないわよ」

 

知っていれば、昨晩でも適当に食事を準備したのにと嗜めると、モモカは平謝りする。

 

「も、申し訳ありません、アンジュリーゼ様にお会いするのに必死で……」

 

その言葉にアンジュは複雑な面持ちだったが、その時『チーン』、という音が響き、顔を上げると自動販売機からハンバーガーを取り出したセラが振り返る。

 

「ほら」

 

「え? あの…私に、ですか?」

 

「それ以外に何があるのよ?」

 

差し出されたハンバーガーに困惑するモモカだったが、微かな湯気と香ばしい匂いに思わず、おずおずと受け取る。

 

「あ、ありがとうございます!」

 

はにかむモモカに軽く頷くと、アンジュとナオミにも同じものを手渡す。

 

「あ、セラ、キャッシュ――」

 

「いいわよ、別に。今更食堂に戻っても食べれないだろうしね」

 

さすがに食堂で目立った一因はあるだけに、今更戻っても変に注目されて食べにくいだろう。自動販売機で使用するキャッシュも安くはないが、別にお金に困っているわけでもない。

 

「ほら」

 

「ありがと」

 

アンジュも受け取ると、そのまま誰も使用していない卓球台に身を預けてハンバーガーを食べる。

 

まるで小動物のように食べるモモカの横で、アンジュも食べながら取り出したキャッシュをモモカの傍に放り投げる。

 

「あの、これは……?」

 

「キャッシュよ。これからはそれでどうにかしなさい」

 

淡白に告げるアンジュに、モモカは興味津々といった面持ちで札を手に取る。

 

「これが、『お金』というものなのですね? ありがとうございます、アンジュリーゼ様」

 

先程も食堂で配膳を受け取ろうとしたら、お金を請求されたが、初めて聞く単語に戸惑ってしまった。マナの世界では『貨幣』という概念がないだけに、あくまで大昔のものという捉え方がほとんどだ。

 

「貨幣経済なんて、不完全なシステムだと思ってましたけど、これはこれでなんだか楽しいですね」

 

初めての事柄にはにかむ様に、アンジュはあくまで冷静だ。

 

その時、耳に悲鳴が飛び込み、モモカはビクッと身を強ばらせ、そちらに振り向く。デッキの方から担架に乗せられたライダーが苦しげに暴れており、それをマギーをはじめ、医療スタッフが押さえつけながら搬送している。

 

今朝は、新兵が数名配属された第二中隊が哨戒に出ていたはずだ。戦闘で負傷したのか、血まみれのなか、マギーはベッドに置かれていた切断された腕を取って診察している。

 

金切り声とともに瞬く間に通り過ぎるも、切断され、真っ赤になった腕の断面が一瞬見え、それと今手に持っているハンバーガーのケチャップのついた断面が重なり、モモカは思わず嘔吐しそうになる。

 

アンジュは憮然と食べており、セラは無言で呑み込み、ナオミも幾分か沈痛な面持ちだ。

 

「さてと――アンジュ、訓練先に行くわね」

 

食べ終えたセラが身を起こし、そう言って場を離れると、ナオミもそれに付いていった。特に動揺した素振りも見せない様子に戸惑いながら、なんとか嘔吐だけは呑み込んだモモカが震える声でアンジュに問い掛ける。

 

「何なのですか? ここは、何をするところなのですか?」

 

初めて見る光景だが、セラやナオミはまるで取り乱さずしており、アンジュも冷静だ。モモカはここがノーマの更生施設としか聞いておらず、またマナの世界でも見ない凄惨な光景に動揺するが、そんなモモカを無視し、アンジュは食べ終えたナプキンを手の中で握りつぶし、歩いていく。

 

「『狩り』よ……」

 

侮蔑するように告げると、紙屑をゴミ箱に放り投げる。

 

「私もいつ『ああ』なることか―――」

 

まるで自嘲するように吐き捨て、アンジュは去っていった。その背中をモモカはショックを隠しきれない面持ちで見送る。

 

「アンジュリーゼ様―――」

 

以前なら、あんな光景を眼にしたら卒倒しそうなぐらい繊細なアンジュのあまりの変わりように、モモカは沈痛に俯く。

 

「傷ついておいでなのですね…お労しや………」

 

ノーマだと暴露され、このような環境に放り込まれ、敬愛する主の変貌にモモカは使命感のようなものが沸き上がってくる。

 

「私が、お救いしなければ―――! 私が、アンジュリーゼ様を!」

 

顔を上げて決然と叫ぶモモカに、周囲にいた面々は何事と不審そうに見やるが、生憎と今のモモカには周りを見るような暇はなかった。




モモカの奮闘は次回まで持越しです。
次回あたりで6話終わって、プリティサリアン回に入れるか?

次に書くのはどれがいいですか?

  • クロスアンジュだよ
  • BLOOD-Cによろしく
  • 今更ながらのプリキュアの続き

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