クロスアンジュ 天使と竜の輪舞 紫銀の月 作:MIDNIGHT
「ガス抜きと思って見逃していたけど、あまりにも目に余るわね」
サリアの言葉に正座させられ、項垂れるロザリーとクリス。
幼年部が使用する指導教室で、ここ最近のアンジュに対する嫌がられせをしてきたロザリーとクリスに対し、サリアはさすがにこれ以上は見過ごせなくなったのか、二人を呼び出し、注意を喚起していた。
なぜこの場に呼ばれたのか、エルシャとヴィヴィアンの姿もある。二人は諌めることこそしないが、それでもどこか困ったように事態を見守っている。
「あの子が気に入らないのは分かるけど……」
どこか歯切れが悪いものの、そう話すサリアに我慢がきたのか、ロザリーが声を荒げる。
「アンタら、何とも思わないのかよ!? 仲間を危険な目に合わせて、その上、あたしらの大切な隊長をあんな姿にした奴がのうのうとしている事にさ!」
その言葉にクリスも同意するように頷いている。
アンジュ達が来るまでは、このメンバーで長くゾーラの下でやって来た。無論、問題が無かった訳ではないが、それでも今よりはマシだった。
それだけに、部隊をここまでガタガタにした原因がアンジュにあると言われても強く否定できない。
「でもアンジュちゃんはちゃんと戦場に戻ってきた。それに、ココちゃんとミランダちゃんもアレ以来、必死に強くなろうとしている。ゾーラ隊長だって、アンジュちゃんのせいでああなったと言われても仕方ないけど、セラちゃんが二人を救ったのは事実よ。そのセラちゃんがアンジュちゃんを助けたなら、これ以上はするべきじゃないわ」
「そうそう、アンジュも、もちろんセラ達も仲間だよ」
やや辛そうながらも、エルシャは現状を…アンジュを受け入れようとし、ヴィヴィアンは深く考えていないのか、無邪気に告げる。
あまり言いたくはないが、アンジュのような例など過去にも幾度もあった。戦闘中に錯乱して味方を巻き込んで自爆した新兵も数え切れない。それがアルゼナルの現実だ。それをどこかで受け入れなければ、戦うことなどできはしない。
そのアンジュを自身を盾として守ったセラ――あんな真似が誰にでもできるか、と言われれば答えられない。そこまでのことを見せつけられた以上、どこかで折り合いをつけるべきだ。
「そ! それだけで…!」
ロザリーは一瞬、言い淀み、言葉が彷徨うも、それに続くように別の声が割り込んだ。
「それだけで納得しろってのかい?」
全員が声の方に振り向くと、ヒルダが不敵に笑いながら入室してくる。
「あんたらみたいな優等生ならともかく、アタシら凡人には無理だね――あんな奴を仲間だなんて認められるもんか」
「ヒルダ……」
サリアを鼻で笑い、そして明らかな拒絶を見せて吐き捨てる。ゾーラと懇意にしていただけに、その確執が深いことを改めて見せつけられ、サリアも反論できずに口を噤む。
「それに助けたって言っても、それもどうだか――あのクリソツ女だって、あのイタ姫さえ助けられれば、ゾーラのことはどうなっても知ったこっちゃなかったかもね」
「ヒルダ!」
揶揄しながらセラを貶す様に、さすがに黙ってられなくなったのか、サリアが咎めるように叫ぶも、意にも返さず逆にサリアを嘲笑う。
「だいたい、あのイタ姫にしろ新兵にしろ、みぃんなあのクリソツ女に尻尾振ってやがる。隊長としてそれはどうなのかな、ねぇサリア隊長?」
「……っ」
その指摘にサリアが悔しげに唇を噛む。
ナオミをはじめ、ココやミランダ――そしてアンジュもセラの指示を仰ぐような状態ができつつあることをサリアは嫌でも実感していた。
分かってはいた――自分は、隊長の…ましてや、こんな
怒りと不甲斐なさが行き場を失い、手を震わせるサリアに肩を竦める。
「たくっ、司令も何考えてんだか。あの女にあんなポンコツ機を与えて、ちょっとペナルティ与えただけであとはお咎めなしとはね。おまけにクリソツ女には機体を融通する始末だし。ホント、揃いも揃って――ああ~、そういうこと? 司令も気に入っちゃったんだ、あの女共に」
アンジュやセラへの便宜は、傍から見ればおかしい。通常なら、セラはともかくアンジュなどは処罰されてもおかしくはない。それに対してのペナルティも軽く、ヒルダから見ればジルが特別扱いしていると勘ぐっても仕方なかった。
その理由を知るサリアとしては、反論できずにいたが、次の言葉に堪忍袋の緒が切れる。
「ま、そう考えれば変に優遇されているのにも納得ができるか…あの司令をたらしこむなんて大したもんだねえ――皇女殿下にクリソツ女、両手に華じゃないか。いや、逆に司令が夢中になるほど、ベッドの上でも優秀なのかね―――」
舌を舐めて揶揄する様に眼を見開き、次の瞬間、サリアは瞬時にアーミーナイフを抜き、ヒルダに突きつける。
「それ以上言うなっ! 上官侮辱罪よ!」
珍しく感情的になるサリアに他の面々は驚くも、ヒルダは動揺することなく、逆に銃を抜き、銃口を向ける。
「はっ、やる気かい? あたしはいいよ――隊長?」
互いに得物を向けたまま睨み合う二人に、気圧され、割って入ることもできず、唖然と見入るしかない。一触即発の空気が充満し、相手の動きを窺うなか、なにかを叩く音が指導室内に響いた。
「「っ!」」
互いの間にあった緊迫した空気を壊すように響いた音に反応し、視線が互いから外れ、他の面々も思わずそちらに視線を向けると、入口にセラが憮然と佇んでおり、その背後でナオミがオロオロとしている。
セラは壁に持っていたボードを叩きつけていた。
「――で、これはいったいどういう状況なのか説明してほしいわね」
鼻を鳴らし、冷めた眼で見るセラだが、おおよその見当がつく。理由は知らないが、大方、ヒルダが挑発してサリアが過剰に反応したというところだろう。
別に二人の間で問題が起ころうとも関係ないが、厄介な事態を誘発するのだけはセラにとっても望むところではない。セラの登場に毒気を抜かれたのか、ヒルダは舌打ちし、銃をしまう。
「けっ、興醒めしたな。いくよ、ロザリー、クリス」
「あ、ああ」
「う、うん」
声を掛けられ、我に返った二人がヒルダに従い、そのまま出ていこうとする。
「――これ以上、アンジュに手出しするのは許さないわ! 今はこれで許しておくけど…」
「負け惜しみはみっともねえぜ――ま、取り敢えずは隊長に顔を立てておくよ」
あくまで挑発する態度を崩さず、セラの横を抜けようとするが、立ち止まる。
「随分入れ込んでるじゃねえか、あのイタ姫に。嫌ってたんじゃねえのか?」
挑発するヒルダに応えず、無視する。
「はっ、あまり調子に乗るとイタイ目をみるよ」
「――何が言いたい?」
それでもしつこく絡んでくるヒルダに、セラは横眼で見やる。
「言葉通りさ――あんた、昔は随分いろんな奴に恨み買ってたらしいじゃないか? イタ姫と一緒だね」
嘲笑するヒルダだが、セラは逆に鼻を鳴らす。
「だから? 陰でコソコソするしか能のない奴に言われる筋合いはない」
言外に誰を指摘しているのか――ヒルダは微かに怒りを憶え、銃を抜く。
「調子にのるんじゃねえよっ」
真っ直ぐにセラの眉間に銃口を向けるヒルダに、ナオミが息を呑み、サリアが声を上げる。
「ヒルダ、それ以上は!」
他の面々も驚愕しているが、当の向けられているセラは一切の動揺を見せず、ヒルダを無機質に見ている。
「へっ、肝が据わってんのかね――あたしが撃たないとでも。それとも、ビビっちまって動けないのかい?」
「――それより早く、あんたの命がなくなるわよ」
冷静に告げる言葉に、余裕を見せていたヒルダはハッと下を見ると、心臓付近にセラの握るアーミーナイフが向けられている。少しでも伸ばせば殺られる位置だ。
いったいいつの間に抜いたのか、周りの面々は驚きに包まれる。確かに、あの位置ならトリガーを引くよりも突き刺す方が早い。
「ちっ」
さすがに分が悪いと悟ったのか、ヒルダは舌打ちして銃を下ろし、セラもナイフを引く。
「も、もうそこまでにしようよっ、セラも、ね」
唖然となっていたナオミが上擦った声で割って入り、仲裁する。
「せいぜい気をつけな、クリソツ女」
負け惜しみとも取れる捨て台詞を吐き、ヒルダは部屋を後にし、ロザリーとクリスも慌てて退出していった。ようやく空気が緩和されたのか、誰とはなしに深く息を吐き出す。
「はぁ~心臓に悪いわね」
「ヒルダ、ピリッピリだ~~」
エルシャは肩を落とし、さしものヴィヴィアンもヒルダの様子には戸惑っている。
「セラ、大丈夫?」
「別に――隊長、整備班からのレポート。あとで眼を通しておいて」
まるで何もなかったように振る舞い、アーミーナイフをしまう。そして、歪んだボードに挟んである報告書をサリアに差し出す。
「あ…え、ええ」
ハッと我に返ったサリアが反射的に受け取ると、セラは踵を返し退出しようとする。
「理由は知らないけど、隊のトップ同士が啀み合うのは感心しないけどね」
背中越しに告げるその一言がサリアの心情を逆なでる。その背中にサリアは思わず声を掛けた。
「セラ、ちょっといい」
低い声に動きを止め、振り返るセラにサリアは一瞬、躊躇うも、やがて口を開く。
「アンジュのことだけど…彼女の戦闘中の行動は目に余るわ――あなたの口から、彼女に指示に従うように伝えてくれないかしら」
「―――それは普通、隊長の仕事じゃないの」
心なしか、呆れた面持ちで返すセラだったが、そんな事は百も承知だ。恥を忍んで告げるサリア――彼女とて、自分が碌でもないことをしていると実感しているが、しかたがなかった。
「分かっているわ。けど、アンジュはあなたの言葉には従うはずよ」
内心に毒づきながら強引に押し通すサリアだったが、セラは肩を竦める。
「素直に聞くとは思えないけどね……だいいち、アンジュが仮に従ったとして、それで丸く収まるの?」
「そ、それは……」
そう切り返され、サリアは返答に窮する。
「ヒルダ達が今すぐ、アンジュを受け入れる余裕があるとは思えないけどね」
セラの評通り、アンジュとヒルダ、ロザリー、クリスの間の溝は深い。仮にアンジュが指示に従うようになったとしても、彼女に対する態度が変わる保証もない。
一度できた溝を簡単になくすなど、土台無理な話だ。
「それに…味方を狙うような連中を、私自身が信用できない。自分が納得できないものを他人にすることなんか、できやしない」
「それはっ、全部あの子のせいじゃないっ」
思わず声を荒げるサリアに、セラ以外の面々が驚く。
「あの子が全部、滅茶苦茶にしたんじゃないっ」
「サ、サリア……」
「サリアちゃん……」
「サリア、怖いのだ……」
サリアとて、八つ当たりに近いことは分かっていても、言わずにはいられなかった。肩で息をするサリアにセラは否定することなく、小さく嘆息する。
「そうね――アンジュの責任よ。けど、だからといって味方を殺すような真似は別問題よ」
真っ直ぐに告げるセラにサリアは息を呑む。
「私はゾーラ隊長とそれ程付き合いがあったわけじゃない。ヒルダ達の感情も分からない――けど、今更起きてしまったことを無かったことにはできない。なら、今すべきことをするべきじゃないの」
ゾーラの負傷の直接の原因をつくったアンジュをヒルダ達が嫌悪するのも分からないでもない。だが、それはセラには関係ないことだ。一度壊れたもの――起きてしまった過去を無かったことにはできない。なら、それを受け入れていくしかない。
そして今すべきこと――メイルライダーである自分達の役目はドラゴンを駆逐することだ。
だが、セラにも譲れない一線がある。
「―――
唐突に漏らしたセラの一言に、サリアだけでなくナオミ達の表情もどこか強張るように固まる。
アルゼナルのメイルライダーの間では決して侵してはならない領域。言うまでもないが、アルゼナルに来るノーマすべてが同属意識が強いわけではない。
なかには、妬みや嫌悪といった悪辣な感情も芽生える。ただの嫌がらせならいい――だが、その感情をドラゴンとの戦いの場にまで持ち込むことは赦されない。
過去には、アンジュのように個々の能力に優れていたライダーもいた。だが、その能力故に妬まれ、戦場で見殺しにされた者、わざとドラゴンの真っ只中に置き去りにして喰われるように仕向けられた者など、汚点は多々ある。
そして、そういった連中はのうのうと生き延びる。いつか、同じ地獄へと堕ちる時まで―――それが、アルゼナルの陰だ。
「味方を殺すような奴に、私は容赦はしない」
殺られる前に殺る――敵となるなら、迷わず墜とす。たとえ相手が、同じノーマだとしても………ハッキリと告げるセラにサリアは怖れるように思わず後ずさる。
やがて、小さく肩を竦める。
「……隊長はあなたよ、サリア。ゾーラ隊長じゃないんだから―――話はそれだけ」
「あ、セラ!」
呆然となっているサリアに背を向け、セラは部屋を退出し、後を追ってナオミも部屋を後にした。
残されたなか、エルシャが徐にサリアの肩を叩く。
「優しいわね、セラちゃん」
「え?」
唐突に告げるエルシャに戸惑うサリアだったが、彼女は小さく苦笑する。
「サリアちゃんはサリアちゃんってことよ。ゾーラ隊長のように振舞う必要はないって」
そう告げられ、サリアはハッとする。ずっとゾーラの下で副長をしていたということもあり、彼女ならどうするかを必死に考えながら指示を出していた。
「その上で、セラちゃんは自分の覚悟を見せたんだと思うの。なにかあったら、汚れるのは自分でいいって」
無論、彼女の言葉は本気だろう。現実に起これば、彼女は間違いなく味方でも墜とす――だが、問題はその後だ。戦闘中とはいえ、故意に味方を墜とせば、そのあとの処罰はどうなるか分からない。
彼女はその責を負う覚悟を見せた。それだけの覚悟を持つに至ったのは何なのか、想像もできない。
「彼女、昔から悪意のなかで育ったのかもしれないわね」
「およっ、どういうこと?」
聞いていたヴィヴィアンが訊き返すと、エルシャは顔を寂しげにする。
「子供って、時には善悪の区別なく人を傷つけることがあるの――でもそれは、なんでもないことでも強く心に残るものなの」
幼年部の少女達と長く接するエルシャだから分かる。子供は無邪気だ――それ故に善悪の判断が曖昧になり、感情が表に出る。それは美徳であり、時には悪意となる。
先程のヒルダの言葉からも、セラも昔は今のアンジュと似たような境遇だったのかもしれない。それ故に、強くならなければならなかった―――晒される悪意に屈しないために。
「だから、あれだけアンジュちゃんを気に掛けているのかもしれないわね」
彼女の不器用な優しさにエルシャは寂しげに微笑み、ヴィヴィアンはイマイチ理解できていないのか、首を傾げている。
サリアは一人、なにかを考え込むように逡巡するのであった。
陽も落ち、夜の帳が満ちるなか、サリアはルームメイトであるヴィヴィアンとともに、自室にいた。
部隊長ではあるが、サリアは一般の部屋と同じだった。彼女のスペースにはベッドの他にデスクが置かれ、棚には本がズラリと並んでいる。
ほとんどが部隊の運用や戦術論、さらには指導本までと並んでいる。ゾーラの下で副長を務めていた頃から変わらぬ勤勉なスタイルなのだが、今日ばかりは開いている本の内容もほとんど入らず、かけている眼鏡を直しながら、先程のことを思い出す。
(私は、私――か)
エルシャの――いや、セラに言われた言葉が反芻される。
既に何度かサリアの指示で戦闘を行ったとはいえ、それでもまだゾーラの下で行っていたフォーメーションがほとんどだ。無論、その方が戸惑いが少ないということもあるが、ゾーラのように臨機応変に対応できない。
それは、所詮ゾーラの判断に頼っているからであり、サリアとしても反応が遅れてしまう。
元々、想定外のことには弱いという欠点をゾーラからも指摘されており、常々頭を悩ませていた。だが、どうすればそれを克服できるのか思いつかない。
ため息をつくなか、不意に、開いていた本の一文が眼に留まる。
(――欠点を直すよりも、長所を伸ばせ……)
物事にはそれぞれ一長一短があり、短所はそう簡単には克服できない。それを無理に矯正するよりも、長所を伸ばし、自分だけの特性をつくり出すことで、部隊をより昇華させることができる―――要約すればそういうことらしい。
「それができれば、苦労はしないんだけどね……」
確かに理に叶ってはいるのだが、言うは易く行うは難し――長所だけを伸ばせば、好き勝手しそうな連中が多い部隊だけに、やはりそう簡単にはいく問題ではない。
アンジュのこと、ヒルダのこと、セラのこと――どれもが一筋縄ではいかなさそうな難題にまたもやため息が出てしまい、ヴィヴィアンがハンモックの上でこちらを見やった。
「サリア、さっきからため息ばっかなのだ~」
「ため息しか出ないのよ……」
疲れた面持ちで返すと、ヴィヴィアンはなにかを思いついたいように指を立てる。
「ここでクイズ!」
「何?」
またなにかくだらないことでも思いついたのかと振り返ると、無邪気に笑う。
「サリアは何を読んでいるでしょうか?」
「――指導教本よ。部隊を安定させ、どうやって動かせば効率的に戦果を挙げられるのか……」
「ほんで…分かったの?」
「簡単にできたら苦労しないわ」
「なーんだ、つまんないのー」
ハンモックに寝転ぶヴィヴィアンの呑気さに呆れ、サリアは別のことを考える。
(ジル…約束したじゃない、
サリア自身もアンジュを快く思わない理由は別にある。ジルが何故、ヴィルキスを自分ではなく、アンジュに与えたのか――それが、ジルへの不審感にも繋がりかけ、眉間に皺が寄り、思考に沈む。
「サリアまた怖い顔してるぞ!」
背後から近づいたヴィヴィアンが、サリアの顔から眼鏡を取り外す。
「あ、ちょ、ちょっと!?」
慌てるサリアにヴィヴィアンはニコーっと笑う。
「サリアは、いつものアレを読んでいる時の方が良い顔してるぞ」
「アレ?」
首を傾げるサリアにヴィヴィアンは指を立てる。
「ほれ、引出の二段目にあるやつ、男と女がチュッチュするやつ!」
その瞬間、サリアの顔が真っ赤に染まる。そんなサリアを尻目にヴィヴィアンはハンモックに飛び乗り、腕を広げる。
「ふふ~ん、さあ、見せてごらん! 君の全てを! あ~ん♪ そんなこと~♪」
一人芝居で再現するのは、サリアのお気に入りの恋愛小説の1シーンだった。勤勉な傍ら、そういった少女趣味的な部分も持つのだが、絶対に他人は知られたくない部分でもある。
真っ赤になっていた顔が羞恥から怒りに変わり、瞬時にホルダーから抜いたアーミーナイフをヴィヴィアン目掛けて投擲する。
「ぎょっ!」
浸っていたヴィヴィアンが眼を見開き、慌てて避ける。
髪を掠め――というよりも少し切れたが、ナイフは壁に突き刺さる。落ちる髪にヴィヴィアンは冷や汗をかく。
「今度勝手に漁ったら…本当、刺すわよ」
誰でも、秘密をからかわれれば、怒りを覚える。
睨みつける眼はまるで仇敵を見るような殺気に満ちており、今のも避けるのが少しでも遅ければ間違いなく刺さっていた。
ヴィヴィアンの反射神経を見越してか、それとも本気で刺すつもりだったのか――どちらにしろ、ヴィヴィアンは頷くしかなかった。
「ご…ごめんちゃい」
引き攣った笑みで謝るヴィヴィアンに一瞥をし、サリアは再び教本に向き直り、これ以上からかうと身の危険だと思うと同時に腹の虫が鳴り、ヴィヴィアンは夕食をとろうと、食堂に向かうのであった。
その頃――セラはナオミとともに医務室を訪れていた。
診察するマギーの前で、右腕の包帯を取り、手を開く仕草をしながら感覚を確かめる。その手を取り、触診をしながら、マギーは考え込む。
「もう大丈夫みたいだね――よくもまあ回復したもんだよ」
医者としてそれはどうなんだ、と思うような言葉とともに呆れ気味に呟き、カルテに経過を記入するマギーを横に、背後で聞いていたナオミは当人よりも安堵したようにホッと肩を落としていた。
「ま、あとはもう大丈夫だと思うよ。違和感があったらきな」
「ありがと」
短く礼を告げると、セラはグローブを手にはめる。
「よかったね、セラ」
自分のことのように喜ぶナオミにセラは、軽く微笑を返す。
「しっかし、あの状態からこの短期間で回復するなんてね――一度、解剖して調べてみたいねぇ」
マギーの眼が獲物を狙うような眼になり、セラは肩を竦め返す。
「慎んで遠慮させてもらうわ――」
「けど、それぐらいあんたの傷は深かったんだよ。あたしもいろんな奴の怪我見てきたけど、正直もうダメだって思ったよ」
長年、アルゼナルで軍医を務めてきたマギーは、豊富な経験を持っている。それ故に、ある程度の傷の具合をはかることぐらいはできる。経験から言えば、セラのあの傷は、仮に助かったとしても後遺症が残るであろうと思えるほどの重傷だった。
それがこの一ヶ月足らずで回復したのは、正直驚きなのだ。
「さあ? ノーマだから頑丈にできてるのかもね」
揶揄するように嘲り、セラは椅子から立ち上がる。そして、視線が奥の仕切りで区切られた部屋へと向けられる。
「ゾーラ隊長、まだ起きないのね?」
「ああ――傷はもうあらかた塞がってるんだけどね。ホント、いつまで寝てるんだか」
奥では未だ、昏睡状態のゾーラが寝かされている。傷はほとんど塞がったのだが、肝心の意識が未だ戻らずだった。頭部負傷による衝撃が脳になにかしらの損傷を与えたのではないかと思われるが、生憎とその辺はマギーの専門外だった。
「案外、王子様のキスで目覚めるかもね?」
「ええ? キス――!」
重くなった空気のなか、冗談めかしていうマギーにナオミが驚き、赤くなって狼狽する。そんな様子にセラは失笑する。
「そうね――なら、司令にでも頼んでみたら」
「そりゃ無理だ」
ゲラゲラ笑うマギーに一礼し、セラとナオミは医務室を後にした。
医務室を後にした二人はそのまま食堂に向かっていた。
「あ、セラさん、ナオミ」
「あんた達も今から夕食?」
道すがら、ココとミランダと合流し、頷き返す。
「そうだよ」
「じゃ、一緒にいこっか」
四人で連れ立って歩くなか、不意にココが呟いた。
「そう言えば、アンジュさんは一緒じゃないんですか?」
「ううん、私達今日までほとんど工廠にいたし、午後は見なかったよ――ね、セラ」
ナオミの問い掛けに頷く。ここ数日はセラとナオミは工廠の方に缶詰めだったので、訓練には参加していない。また、夕方までは丘の上で二人で休んでおり、その間はアンジュを見かけていない。
セラの脳裏に先程の一件が過ぎる。
(ヒルダ達の方も気に掛かるわね――)
未だアンジュに対する確執が強い彼女達の態度と、その標的に自分も含まれていることを考えると、また何か仕掛けてこないとも言えない。
先のフレンドリファイアがいい例だ。悪知恵が回りそうなヒルダが、あの二人ほどあからさまに仕掛けてくるとは考えにくい。
(アンジュにもそれとなく伝えておくか)
戦闘中に何かを仕掛けてこないとも限らない。できる限りのフォローはするつもりだが、最悪は―――自分の手でヒルダを墜とす。
静かに決意を秘めるなか、食堂への角を曲がろうとした瞬間、奥から出てきた人物とぶつかった。
「アンジュ……?」
「っ、セラ――!」
顔を上げると、そこにはアンジュがおり、セラの顔を見るなりどこか畏れるように顔を引き攣らせ、すぐさま横を抜けて離れていった。
「ど、どうしたんだろ……?」
不可解なアンジュの行動にナオミは戸惑い、ココやミランダも怪訝そうになっている。セラも微かに眉を顰め、考え込むが分からずに戸惑う。
困惑したまま一行が食堂に入ると、俄かにざわついており、どこか剣呑な空気だ。遠巻きにこちらを見る視線が癪に障るなか、端のテーブルで困ったように座るヴィヴィアンが留まり、そちらに近づく。
「ヴィヴィアン」
「あ、セラにナオミ」
「何かあったの……?」
空気が非常に重いことに、小声で憚るように問い掛けると、ヴィヴィアンはぎこちなく笑う。
「にゃははは、アンジュにコレあげようとしたら、いらないって言われちゃって」
見せるのは、カレーまみれになった奇妙なキャラクターのマスコットが付いたキーホルダーだった。
「あ、これってもしかしてペロリーナ?」
「お、ココ知ってるんだ! そうだよ、ペロリーナだよ!」
ココの言葉に反応、途端に嬉しそうになるヴィヴィアン。かつて、人間の世界で一世を風靡したキャラクターだったのが、ご多分に漏れず、ブームはすぐに去り、多くの在庫が発生した。
何を思ったか、ジャスミンはそれを買い取り、モールで販売したのだが、ノーマ達の間では全然受けず、不良在庫となったため、さしものジャスミンも叩き売りしているらしい。ヴィヴィアンはその稀有なペロリーナの買い手だったようだ。
「っていうか、なにこのツギハギ…ココ、あんたこんなのがいいの?」
見た目はクマに見えるのだが、端切れをツギハギしたようなデザインにミランダは率直な意見として述べるが、ヴィヴィアンが口を挟む。
「そんなことないよ! ミランダ、このペロリーナはね―--」
ペロリーナに関するウンチクを語り始めるヴィヴィアンにミランダがココに助けを求めるが、ココは無理、と首を振る。
「ヴィ、ヴィヴィアン、それぐらいで…それで、それがアンジュとどうしたの?」
なんとか割って入ったナオミにミランダは拝むように感謝し、ヴィヴィアンは手を叩く。
「おお、つい熱くなっちまった。あたしとヒルダ、それにセラとアンジュの四人で突撃兵じゃん、だから一緒のマスコット付けたら仲良くなれるかな~って……」
先程のサリアとのやり取りや、中隊内の雰囲気にヴィヴィアンもなにかしら思うところがあったらしく、お揃いのマスコットを持てば、少しは仲良くなれるのではと思い、アンジュに提案したのだが、にべもなく断られたらしい。
事情を聞き、ナオミ達はなんともいえない表情になり、セラは小さく息を吐くと、ヴィヴィアンの頭をくしゃっと撫でる。
「およっ」
「ありがと、アンジュを気に掛けてくれて」
「へへ、なんか照れるのだ」
嬉しそうにはにかむヴィヴィアンに、この状況を大まかに悟った。多少丸くなったとはいえ、まだアンジュ自身も他人を受け入れる余裕が…いや、畏れているのかもしれない。
「それよりアンジュ、ご飯もあんま食べずに行っちゃったのだ。せっかくエルシャのカレーだったのに」
心配そうになるヴィヴィアンにセラは肩を竦める。
「アンジュは私が様子を見てくるわ。ナオミ、あんた達はヴィヴィアンと食事をしてて」
「う、うん」
頷くナオミを一瞥し、セラはカウンターへと向かう。カウンター越しに不安な視線を向けていたエルシャに近づくと、声を掛ける。
「セラちゃん……」
「エルシャ、悪いんだけどなにか簡単なもの頼めない?」
事態を見守っていたエルシャだが、唐突に掛けられた言葉に眼を瞬く。
「部屋で食べるから」
「! 分かったわ。ちょっと待ってて――」
意図を察したエルシャはすぐに厨房に戻り、釜を開けてご飯をよそい、それをせっせと握っていく。握った三角状にのりを巻き、ものの数分でおにぎりを数個完成させると、お盆にのせてラップをし、戻ってくる。
「はい、お待たせ」
「ありがと」
「アンジュちゃんと仲良くね。でも残念ね、セラちゃんにも私のカレーを食べてほしかったのに」
「次の楽しみにしておく」
困ったように笑うエルシャに微笑を返し、お盆を持つとセラは食堂を後にした。
数分後、部屋へと戻ったセラが扉を開けると、ベッドの上でシーツを被っているアンジュがいた。
基本訓練以外は、アンジュはこの部屋から出ない。ただ、いつもはセラが戻る時には起きているのだが、今日は珍しく不貞寝しているように見え、彼女が最初にアルゼナルに来た頃を思い出し、小さく苦笑した。
自分のベッドが視界に入ると、そこには新品の制服が置かれており、お盆を窓際の小さな台に置くと、起きているであろうアンジュに声を掛ける。
「制服、新しいの買ってくれたんだ。ありがと」
その言葉に反応したのか、シーツの中でもそもそ動く。
「夕食、食べてないんでしょ? 少しだけ貰ってきたから、一緒にどう?」
反応がないが、代わりにシーツの中から小さな音が鳴り、セラは一瞬眼を瞬くも小さく噴き出す。
「我慢は身体に毒だけど」
シーツの中で真っ赤になっていたアンジュはやがて観念したように身体を起こす。さすがに空腹には勝てなかったようだ。
向かい合わせのなか、セラはお盆のラップを取っておにぎりをアンジュに手渡す。
「なに、これ?」
「知らない? おにぎりって言うの。普通のご飯だと味気ないから、ね」
お椀に盛ってあるご飯とおにぎりを並べられれば、不思議とそちらに手が伸びる。多少の満腹時にも手が伸びるから不思議なものだ。
とはいえ、皇女の生活をしてきたアンジュには縁がなかったものだけに、恐る恐る口に含む。
「美味しい……?」
「エルシャって料理上手いのね。ちょっと惜しかったかな」
見た目はご飯なのに、少しきいた塩気と海苔の香ばしさがなんともいえず、アンジュは眼を剥き、セラはやや残念そうに今夜のカレーを諦めたことに肩を落とした。
すぐに食べ終わり、お互いに話さず無言の状態が続く。
「――なんで、私のとこにきたの? 食堂なら、みんないるのに」
やがて、アンジュがポツリと漏らし、セラは軽く肩を竦める。
「気分が悪いとこで食べても、しょうがないから」
単純に述べると、アンジュは幾分か顔を顰める。その空気を作り出したのは自分なのだ。丘で歌うセラとナオミの姿に、もやもやしたものを抱えたままだったため、落ち着かずにいたところにヴィヴィアンが話し掛け、同じフォワードだから一緒にフォーメーションを組もうと言い出し、思わず苛立ちをぶつけてしまった。
その後、逃げるように食堂を後にし、途中でセラとぶつかってしまい、逃げ出してしまった。
「セラ――あなた、私を嫌ってたんじゃないの?」
同情でこの場にいるのだろうか――アンジュは思わずそう訊いてしまった。
「嫌ってたわよ―――アンジュリーゼ・斑鳩・ミスルギはね」
一瞬、アンジュが顔を顰めるも、次に言われた言葉に上擦った声を上げる。
「今のあなたは『アンジュ』でしょ? 私の――私達の仲間、でしょ」
「っ」
真っ直ぐに告げられた言葉に息を呑み、アンジュは顔を俯かせる。今、顔を見られたくなかったからだ。だが、胸の内に沸くのは決して不快なものではなかった。
「今すぐ受け入れとは言わない。ここも、みんながみんな、信用できる奴ばかりじゃないし。けど、受け入れてくれる相手はいる――それだけは忘れないで」
かつての自分がそうだったように……そう告げると、セラはベッドに横になり、アンジュに背を向けた。
今はその態度がありがたかった。
「―――ありがとう」
聞こえないぐらい、小さな声で呟く。心の内に小さな変化が起こっていることに未だ気づかぬまま、アンジュもまた眠りへと落ちていくのだった。
なんとかゲーム発売前に更新できました。
思った以上に長くなってしまったので、最後の戦闘シーンまでいけませんでした。
次回は戦闘シーンとタスクの登場までいきたいです。
その前にゲームをやるので、少しばかり更新が滞る可能性がございますが(汗
次に書くのはどれがいいですか?
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クロスアンジュだよ
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BLOOD-Cによろしく
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今更ながらのプリキュアの続き