クロスアンジュ 天使と竜の輪舞 紫銀の月 作:MIDNIGHT
アンジュとセラが去り、残りの面々も足早にロッカールームを後にした後、ロザリーはアンジュに切られたライダースーツを縫って修繕していた。
だが、その手元はどこかおぼつかなく、針を動かす手が震える。
「たぁっ!」
縫い針を指に刺してしまい、血が滲み出る。指を舐めながら痛みに悶える。
「新しいの買う?」
心配そうに手元を見ていたクリスがそう訊ねると、大仰に怒鳴る。
「そんな金ねえよっ」
こういったちまちましたことが苦手なロザリーにしてみれば、裁縫なんて好き好んでしたくはない。できるのなら、新しいライダースーツを買えればいいのだが、生憎と稼ぎが少ない彼女にそんな余裕はない。
「クソッ! 何もかも、あのクソアマのせいだ! もっと徹底的にやらねえとダメだっ」
完全に自業自得なのだが、頭に血が上ったロザリーには、アンジュに目にもの見せなければ気が済まないという考えしかなかった。
「でも、アンジュをやったら、セラが何かしてこないかな……」
意気込むロザリーにクリスがやや怖れながら呟くと、途端にロザリーも動きをピシッと止め、顔が青くなる。
「――マジで殺されるかと思った」
「うん……」
二人は先日の戦いでアンジュを狙おうと戦闘中に仕掛けようとし、セラに邪魔された。その際に銃口を向けられ、何の躊躇いもなくトリガーを引いたセラに戦々恐々した。
結果的には二人を襲おうとしていたドラゴンを狙ったものだったのだが、助けられたとはいえ、あの時に感じた殺気は本物だった。
もし本当にアンジュを墜とそうとするなら…今度は絶対に本気で狙う――それこそ間違いなく。それを確信してしまうほどだった。
かといって標的にセラを含めるのも後でどうなるか考えると恐ろしい――アンジュを狙っただけでああなのだ。その矛先が自分に向けば―――その結果を想像し、悪寒が全身を襲う。
「それに、セラはお姉様を助けてくれたし――」
「うっ……」
結果的にだが、セラはゾーラの命の恩人でもある。彼女を慕う二人からしてみれば、憎い相手を庇うと同時に慕う相手を助けたというなんとも二律背反の状態だった。
二人からしてみれば、何故セラがアンジュを庇うのか理解に苦しむところなのだ。
悩みに悩み、頭から湯気でも出そうなほど考え込むが、ロザリーは声を上げる。
「だぁぁぁぁっ、考えてても埓があかねぇ! とにかく、まずはあのイタ姫をやるぞっ」
考えることが苦手なロザリーは当初の目的通りにアンジュを狙うことを決めた。この際、セラのことは後回しだ。
「でも、どうやって?」
「うっ…どうしてやっかな――ヒルダ、何かねえか?」
さっきから会話に参加せず黙々と着替えていたヒルダに声を掛けると、ロッカーを閉め、背中越しに呟いた。
「さあね…ま、とにかくやってみな。あたしもいろいろ忙しいんだ。それに、バレなきゃいいんだろ――あのクリソツ女に」
どこか不適に告げると、ヒルダはロッカールームを後にし、その様子に二人は怪訝そうに見やる。
「どうしたんだろ、ヒルダ……?」
「ショック受けてんじゃねえか。ゾーラお姉様があんなことになっちまって」
悔しいが、ゾーラの一番の寵愛を受けていたのはヒルダだ。それだけに、ゾーラのあの姿に塞ぎ込んでも不思議ではない。
「それもこれもあのイタ姫のせいだっ、クリス、あたしらで絶対あいつをイタイ目にあわせてやるぞっ」
「うん、泣いて赦しを請うまでね」
お互いに意気込みを新たにし、二人は気概を燃え上がらせた。
後日、ロザリーとクリスは食堂でアンジュを待ち伏せ、配膳の列に並ぶとすぐその後ろに並んだ。
その行動に一瞬、不審そうに見るもすぐに無視して食事を受け取る。次に受け取ったロザリーはすかさず、それを放り投げる。
「おおっと、手が滑った!」
わざとらしくアンジュの背中に向けて投げつけるが、それを事も無げにかわし、その前方にいた別のノーマに当たる。
「てめぇぇっっ!」
振り返った褐色肌のノーマがいきり立ち、睨まれたロザリーは顔を引き攣らせる。
次の瞬間、ロザリーの悲鳴とクリスの慄く声が食堂に響き渡った。
――――作戦1、失敗。
翌日――第一中隊の面々はシミュレータールームにて自主訓練に励んでいた。
「おい、セラは?」
「いない――ナオミと一緒に整備班に呼ばれてるって」
新しくなったアーキバスのデータ取りとナオミもグレイブを改修するとのことで、メイに呼ばれて工廠の方に行っており、この場にはいなかった。若干、忌々しく思うも、好都合だと、顔に痣が残るロザリーはニヤリと笑い、クリスを伴ってアンジュが使用している筐体に近づく。
操作パネルのシートにはタオルがかけられ、足元には水の入ったボトルが置かれている。周囲を窺いながら、ボトルを持ってきた別のものと擦り替える。水の中で小さな錠剤がシュッと溶ける。
やがて、シミュレーションを終えたアンジュが筐体から出て、タオルで軽く汗を拭くと、足元のボトルを持ち上げ、蓋を開けて一口飲むと、すぐに違和感を憶えて顔を顰める。
気配のする方を見やると、ロザリーが得意気にボトルを振っている。すかさず、アンジュは首にかけていたタオルを投げる。
ロザリーの注意が逸れた瞬間、一気に駆け寄り、口に含んでいた水を口移しで飲ませ、軽く首を掴み、締め付ける。息ができず、もがくロザリーは口の中に水を入れられ、移し終えると突き飛ばすように離し、その反動で思わずロザリーは口に含んだ水を飲み込んでしまう。
そんなロザリーを一瞥して口を指で拭い、アンジュは立ち去る。
「て、てめえ、なに―――うぁぁっ」
怒鳴るより早くロザリーのお腹から嫌な音が鳴り、すぐさまお腹を抱えて悶える。今しがた飲んだ水に溶かしたのは、即効性の下剤だった。
「ロ、ロザリー……きゃっ」
気遣うクリスを突き飛ばし、ロザリーはお腹を抱えて一目散にトイレへと走る。駆け込むと同時に扉を閉め、トイレにロザリーの苦悶が響く。
「ど、どうしたんだろ――?」
「悪いものでも食べたんじゃない? ココも何日も取っといたプリンで、お腹壊さないよう注意しなさいよ」
「こ、怖いこと言わないでよ~」
飛び込んだ際の顔があまりに鬼気迫るものだったので、ココは半泣きな表情でミランダを叩きながら、トイレを後にする。入れ替わりで入ってきたクリスが個室に近づく。
「ロ、ロザリー……?」
窺うように声を掛けると、トイレから水の流れる音が響き、同時にドアが開くと、中から青い顔で肩で息をするロザリーが出てきた。
「ぜぇぜぇ、エライ目にあった――ちっくしょぉ…あのアマァ、ぜってぇ赦さねぇ……うぉぉっ」
アンジュへの怒りを燃やすも、再び襲ってきた腹痛にまたもやトイレに逆戻りするのであった。
――――作戦2、失敗。
通路を歩くアンジュを少し離れた前方で窺うロザリーとクリス。
「見てろよ、これでズブ濡れにしてやる」
「ねぇ、ロザリー…これで本当にうまくいくの?」
「ったりめえだろ」
二人は今、通路の天井付近に仕掛けた水が満載したバケツを吊っているロープを持って左右に控えていた。
アンジュが通路を通過した瞬間、一気にロープを引っ張ってずぶ濡れにしようという作戦だが、クリスは不安で仕方がない。
他にもいろいろ仕掛けたものの、ものの見事に空振り、返り討ちにあっているのだが、当のロザリーは諦めが悪く、懲りていなかった。意外と執念深い。
「おっ、くるぞ。いいか、せーので引くぞ」
「う、うん」
足音が近づき、二人は息を潜めてその瞬間を待つ。影が差し掛かった瞬間、二人は反射的にロープを引いた。
「今だっ」
「ええいっ」
次の瞬間、バケツの水が流れ、真下にいた人物に降りかかった。
「やったっ」
「あっはっは! いい気味だぜ! よかったじゃねえか、水も滴るいい女になったんだしな!」
喝采気味に嘲笑するが、次にはとてつもなく威圧感のある声が静かに響いた。
「へぇ……随分、うまいこというもんだねえ」
聞こえてきた声はアンジュのものではなく、ロザリーとクリスは間の抜けた顔で、相手を見てみると、そこにはずぶ濡れになったマギーの姿があった。
「へ?」
てっきりアンジュだと思っていたのだが、二人は現状に思考が追いつかない。二人は陰になって気づかなかったのだが、アンジュは直前で角に曲がり、入れ替わりで出てきたマギーがロザリー達の方へとやって来たため、勘違いをしてしまっていた。
だが、そんな理由など知る由もなく、二人は次の瞬間にはマギーの冷笑を向けられた。
「せっかくここまでしてくれたんだ――たーっぷり、お礼をしてあげなきゃねえ……」
顔は笑っているのだが、眼が笑っておらず、絶対零度のような寒気を憶え、腰が震える。マギーは瞬時に手にメスを構え、二人は本能に従って駆け出した。
「に、逃げろー!」
「ご、ごめんなさーい!」
背後から飛ぶメスを受けながら、脱兎のごとく逃げ出すのだった。
――――作戦3、失敗。
翌日――訓練を終えたアンジュがシャワーを浴びているなか、ロザリーとクリスはロッカールームで様子を窺いながら、なにか弱点はないかと思案していた。
「くっそ、あのアマァ、平然としやがって――っ」
仕掛けることが次々に失敗しているのに、当のアンジュは意にも返さず――いや、まったくもって相手にされていないことが余計に腹が立った。
「へっへー…見てろよ」
アンジュのロッカーを開け、中に入っていた制服にナイフを突き立て、自分がやられたのと同じように胸の部分を切り裂いた。
「どうだぁ、思い知ったかっ」
得意気に笑うも、やる事があまりに小さく――というよりも、二回目だけにクリスも若干呆れている。
「ねえ、ロザリー、まだやるの?」
昨日投げられたメスで掠められた恐怖がまだ残っているのか、クリスはもう懲り懲りになっていた。
そうでなくても、悉く失敗しているので、ロザリーの作戦に不安を覚えても仕方なかったのだが、当のロザリーは睨みつける。
「なに言ってやがる! あのイタ姫のいけ好かないツラに吠え面かかせなきゃ、気が済まないだろうがっ」
制服を切り裂いたことで、少しは気が紛れたのか、未だ衰えない気迫にクリスはやや躊躇いながらも頷く。元々、主張するのが得意ではないので、従うしかなかった。
「けど、どうするの?」
「うっ――どうしてやろうか、あのクサレアマ……」
さすがにいい案が浮かばずに考え込むも、ふとクリスが脱衣カゴに入っているものに気づいた。
「ロ、ロザリー、これ……」
「え? うひゃぁ、あいつ、こんなの履いてやがんのか!」
クリスが手に取ったのは、布地が極端に少ない――もっといえば、勝負下着とでもいえるほどの派手なパンティーだった。
さしものロザリーも顔を真っ赤にしている。
「と、とんだアバズレじゃねえか、あの女」
クリスから受け取った下着を翳しながら、悪巧みを思いついたとばかりに笑う。
「廊下に張り出してやろうぜ、これで生き恥かかせてやるっ」
すっかりテンションが上がったロザリーにクリスが小さく頷く。
「うん、ブスメス豚の色ボケビッチパンツ、晒し者にしちゃおうっ」
「おお、いいねいいね!」
二人は手に持った下着がアンジュのものだと信じて疑わず、これからのことに盛り上がっていたが、その様子をシャワールームから出た人物が見つけ、その会話を聞き、頬を微かにヒクっとさせ、ゆっくりと歩み寄る。
「……もう一度、言ってくれる?」
「うん、ブスメス豚の色ボケ、ビッチ…パンツ……」
はて、自分は誰と話しているのか――クリスがふと顔を上げ、ロザリーもようやく気づいて振り返る。
そこには指を鳴らし、仁王立ちしている阿修羅――もとい、聖母のように笑うエルシャが佇んでいた。
「はぁーい…ブスメス豚の色ボケビッチでーす♪」
笑うエルシャはいつもの優しげなものではなく、恐ろしいほどの怒気を放っており、二人の顔が青褪める。ドラゴン以上の威圧感をその時は感じた。
笑いながらエルシャは二人に近づき、逃げようとする二人の首ねっこを掴み、奥へと引っ張っていく。
「エルシャ・ラリアット!」
「うぎゃぁっ」
「エルシャ・地獄突き!」
「いやぁぁっ」
「エルシャ・サソリ固め!」
「ぎゃぁぁぁ、ロープロープ!」
「あらあら、まだまだギブアップは早いわよ~エルシャ・コブラツイスト!」
「ぎょぇぇぇぇぇぇっっ」
普段は温和で母性溢れるエルシャではあるが、格闘術においては第一中隊内で一、二を争う猛者でもある。二人が手にしたのは彼女の下着であった。そういった趣向の下着を集めるのが、彼女の趣味だと知らなかったのが運の尽きだろう。
そんな騒動を他所にシャワーから上がったアンジュが興味なさげに一瞥し、ロッカーを開けた瞬間、眼を見開く。
切り裂かれた制服を持つと、その視線がキッと奥を睨む。制服を素早く身に付けるが、胸の部分が完全に破れてしまっている。静かに歩み寄り、地を這うように逃げるクリスの前に立ち塞がり、クリスが顔を上げると、顔を恐怖に引き攣らせる。
「これ、あんたがやったの――?」
「ひぃっ」
虫けらを見るような冷たい視線に声が裏返り、絶望に歪む。
「もう一度訊くわ、これ…あんたがやったの――?」
再度問い掛けられ、クリスは声すら出せないが、無意識に視線が背後のロザリーに向けられ――それだけで察したアンジュは視線を動かす。
「ふぎゃっ」
クリスの背中を踏みつけ、潰れた声を出すのを気にも留めず、エルシャに関節技を決められているロザリーに歩み寄る。
「あら? どうしたのアンジュちゃん?」
苦しむロザリーを横に、穏やかに声を掛けるエルシャを無視し、苦悶するロザリーの腕を取り………
「ふん!」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁっっ」
骨が外れるかと思うほどの痛みが襲い、これまでで一際大きい悲鳴が響き渡った。
数分後――もはや生ける屍と化したロザリーは身体をピクピクと痙攣させているが、それを鼻を鳴らして見下し、アンジュはロッカールームを後にした。
「ああ、いい汗かいた――もう一度シャワーを浴びましょう♪」
エルシャはエルシャでひと仕事終えたような充足感のなか、もう一度シャワーを浴びようと戻り、残されたロザリーとクリスはボロボロの状態で捨て置かれるのであった。
――――作戦4、大失敗。
夕方のジャスミンモールは仕事を終えたノーマ達が集まっている。レトロなゲームや運動に興じる者や、楽しくショッピングに和気藹々となるなど様々だ。
活気あふれるジャスミンモールにヴィヴィアンが訪れ、手に入ったばかりのキャッシュを袋に担いで、他には眼もくれず、一目散にパラメイルの装備コーナーへと駆け寄る。
「おお~! 新しいのはいってる~!」
ラックにかかった巨大な刃――パラメイルの丈ほどもあるかと思しき刃がカーブを描き、ブーメランのように見える。
「いいねぇ、おばちゃーん、コレいくら~?」
一目で気に入ったヴィヴィアンは眼を輝かせ、離れた位置にいるジャスミンを呼ぶ。
「お姉さんだろ! ったく…『超硬クロム製ブーメランブレード』か、1800万キャッシュだね」
その額に遠巻きに聞いていた他の面々はあまりの高額に驚きにどよめく。だが、ヴィヴィアンは特に動揺した素振りもみせず、はにかむ。
「喜んで~!」
持っていた袋を下ろし、中を開けて稼いだばかりの全財産を差し出す。第一中隊のなかでもアンジュやセラに次ぐ稼ぎ頭である彼女だが、手に入れたキャッシュをほぼ全てパラメイルの装備に注ぎ込むのが、サリアにとって悩みどころだ。
「毎度あり」
袋の中の札束を瞬時に数え、そう応えるとヴィヴィアンはガッツポーズを取る。
そんなやり取りのなか、突然バルカンが唸り声を上げ、そちらに視線を向けると、訝しげに見やるノーマの中を、胸元が切り裂かれた制服を着たアンジュが特に動じた素振りもなく、悠然と歩いてきている。
「おおー、セクシー!」
「随分、胸元が涼しそうだね?」
二人もまた特に慌てることなく感想を述べるが、アンジュは札束を取り出し、ジャスミンに放り投げる。
「制服あります?」
「ありますか? ここはブラジャーから列車砲まで揃うジャスミンモールだよ。サイズはいくつだい?」
そう聞かれ、アンジュは困ったように顔を顰める。
皇女時代は彼女の身体に合わせてほぼオーダーメイドで作成していただけに、自分のサイズなど知りようもなく、考えた末――
「こ、これと同じもの――」
若干、上擦った声で今着ている服を指差す。
「およっ、そう言えばそれセラに貰ったやつじゃなかったっけ?」
事の一部始終を見ていたヴィヴィアンがそう首を傾げると、途端に怒りを交えて不快気味に顔を顰めるアンジュの様子に、ジャスミンがおおよそながら、事情を察した。
「そうかい、またあのお節介焼きかい? いいよ、あいつのサイズなら分かるから」
そう言って踵を返すジャスミンに思わずアンジュが声を掛ける。
「同じもの、二つお願い」
「毎度あり~~」
一瞬、小さく笑みを浮かべるもすぐに営業スマイルになり、ジャスミンはすぐさま制服を二着持ってきた。
受け取ったアンジュは試着室で着替え、姿を見せる。
「しっかし、どうしたらそんな風になるんだい?」
着替え終えたアンジュに声を掛けるも、無視してそのまま立ち去ろうとする。
「ま、そんな態度じゃ、仲間に狙われても仕方ないねえ」
揶揄するように告げた言葉にピクッと身を震わせ、動きが一瞬止まる。睨むように振り返るアンジュに不敵に笑いかける。
「しかし、だ……そんな問題も、金が解決してくれる。ここじゃあ、金がすべてなのさ」
ジャスミンの言い回しに、アンジュが眉を微かに顰める。
「――買収、ですか?」
皇女として、政治的な立ち回りや知識も一通りの教育を受けているアンジュは、すぐにジャスミンの意図を察した。
「さすが、元皇女殿下。理解が早い」
喰ったような笑みを浮かべたまま、徐に懐から出したそろばんを叩きながら、ニヤリと笑う。
「手数料込みで、一人当たり一千万でどうだい?」
本気なのか冗談なのか、図りかねるなか、ヴィヴィアンは一人置いてけぼりをくらったように両者の間でオロオロしている。
「くだらない…でも、さすがノーマ。浅ましい考えね」
まるで自嘲するように笑い、アンジュは軽く一瞥する。
「せっかくですけど、私には必要ありません」
金で買収した連中など信用できない。それこそ、後ろから撃たれてしまう――にべもなく断り、去っていこうとするアンジュに対し、ジャスミンは小さく零す。
「セラが居てくれるから…かい?」
初めてアンジュの様子が動揺したものに変わり、睨むように見るが、図星だといわんばかりの態度にジャスミンはソロバンで肩を叩く。
「ま、あいつは確かに金じゃ動かないね――あいつは、自分の意思で動く奴だからね。けどね、そんな奴だからこそ、一度自分の中でこうと決めたら曲げない頑固な部分もあるのさ」
それまで軽薄だったジャスミンの表情がどこか険しくなり、その様子にアンジュも息を呑む。
「あいつは自分の内で仲間と認めた奴は、絶対見捨てない。仲間と自分を天秤にかけたら、躊躇わず自分を差し出す――それこそ、命すらね。あんたはよく分かってるんじゃないのかい?」
アンジュの脳裏に、先の戦いが甦る――今から思えば、無様だった自分を命懸けで助けた姿を………いや、それ以外にも思いつくことが多々あり、アンジュは表情をどこか俯かせる。
「そういった意味ではお前さんは誇るべきさ。あいつに認められてるんだからね―――けどね、それに甘えてばかりじゃいけないよ。これでも、あいつの保護者代わりなんでね」
表情がもとに戻り、そして忠告のように釘をさすと、アンジュは持っていた制服を強く握り締め、背を向ける。
「お前さんも、もう少し仲間を、あいつを理解してやりな」
去っていく背中にそう声を掛けるも、アンジュは振り返ることなく去っていった。残されたヴィヴィアンはなにかを思案するように考え込むのだった。
ジャスミンモールを後にしたアンジュは、どこかもやもやしたものを抱えたままだった。
それは何に対してなのか――理由も原因も、さらにはどうすればいいかも分からない。唯一分かっているのは、今しがたジャスミンに言われたことがきっかけだということだけ。
セラの――彼女との最初の出会いを思い出す。
自身がノーマだと分かり、ここへと移送された嵐の夜――尋問の最中の出会い……自分と同じ顔の少女に、アンジュは記憶にある限り、一番驚いたと思う。
最初は嫌悪していた。自分と同じ顔がノーマとして存在していることに―――だが、彼女は自分を助けてくれた。最初の出撃、そして死のうと自棄を起こしたあの戦いで、自分の身を盾として助け、そして自分を受け入れてくれた。
先の戦闘でも後ろから狙われたところを助け、背中を守ってくれた。それを、決して不快だとは思わなかった。むしろ、安心するような不思議な感覚だった。
それが自然だとでもいうように―――彼女が居てくれれば、それでいい…今、アンジュは無意識だったものをハッキリと自覚した。
だからこそ、先程のジャスミンの言葉が過ぎる。
自分は…
元々、皇女として生きてきた彼女は自分が何もしなくても、人が集まってきた。誰も彼も、自分に合わせてくれた。だが、ここではそれは通じない。そして、自分からそうして能動的になった経験がほとんどないため、何をすればいいかまったく分からずにいた。
なにより、自分のせいでセラを傷つけてしまったら――彼女のあの血濡れの姿が過ぎり、話すことも怖れるような状態だった。
考えれば考えるほど深みにはまるなか、アンジュは視界にセラを見かけ、思わず歩みを止める。こちらに気づかず、セラはナオミと一緒に歩き、どこかへ向かっている。
アンジュは思わず気に掛かり、後をこっそりと追った。
数分後、二人はアルゼナルが見渡せる小高い丘の上に出て、アンジュも初めて見る場所に驚いた。
(こんな場所があったのね……)
あまり隠れる場所はないが、所々草むらがあり、それに隠れるように二人の会話が聞こえる位置まで来ると、セラが徐に寝転んだ。
「ここへ来るのも久しぶりね」
寝転びながらぼやくセラにナオミは苦笑し、横へと座る。メイルライダーになってからというもの、訓練やその他のことに忙殺され、こうしてのんびりすることもできない。
「セラ、昔からよく講義サボってここで寝てたよね」
「ここがこの場所で一番、静かだからよ」
幼年学校で教授されるノーマの歪んだ使命に辟易し、講義を抜けてはここへとやって来た。吹く風と穏やかな日差しが包むこの場所は、セラにとって心を落ち着かせてくれる場所だった。
そんなセラをずっと見てきただけに、ナオミもどこか穏やかな面持ちだ。
「だけど、データ取りも終わったし、やっと解放されたしね」
ここ数日は改修したアーキバスの実戦での戦闘データを解析したいとメイから依頼を受け、そのデータ取りのため、工廠に入り浸りだった。別に嫌ではないのだが、とにかく細かなデータを収集しなければならないので、手間が掛かった。
「仕方ないよ、セラってば整備班も顔負けなぐらいパラメイルの知識があるんだもん」
「『棺桶』にはしたくないからね」
揶揄するように肩を竦める。
機体の性能を発揮するには、ライダー自身も機体の性能を把握しておかなければならない。戦闘中にトラブルが発生することも皆無ではない。その際に冷静に対処するためにはある程度の知識も必要だ。生きるために―――
「でも、ナオミはなんで機体をあんな色にしたの? 目立つわよ?」
この間、ナオミも稼いだキャッシュで機体の改修を行った。その際にメイにせっかくだからパーソナルカラーを決めたらどうかと提案があり、ナオミは機体を銀色に塗装し、薄紫とピンクのマーキングを行っていた。
それを見たセラは正直、目立つのではないかと思い、ナオミに苦言をしたのだが、当のナオミはどこか挙動不審になる。
「ひ、秘密だよっ(言えないよ――セラの髪と同じ色にしたかっただなんて……)」
恥ずかしげに首を振るナオミに、首を傾げる。
「そ、そう言えば、アンジュとは最近どう?」
不意にナオミがそう口にし、陰で聞いていたアンジュもドキッとさせられ、思わず耳を傾ける。
「まあ、以前のように言い合うことはなくなったけど――でもまあ、まだ嫌われてるというか、苦手なのかもね。あまり会話らしい会話してないし」
どこか苦笑混じりに呟く言葉に、こっそり聞いたアンジュは沈痛な面持ちを浮かべてしまう。
「そうなんだ――(でも、それって多分セラが思ってるのと違うんじゃ……)」
話を聞きながら、ナオミはセラが勘違いしているのではと直感したが、それを口には出さなかった。
「はぁ……(普段は鋭いのに、なんでこういうことには鈍いんだろ?)」
嫌っている相手に稼いだお金を渡すなんてことはしないだろうし、そもそもセラの考え方が偏っているのだが。軽くため息をこぼすと、別の懸念を口にする。
「でも、アンジュ大丈夫かな? ロザリーやクリスがまた何かしないかな……」
ナオミ自身もアンジュがメンバーとギクシャクしている現状はあまり良いものではないと思っている。元々、そういった争いを好まない性格だ。同じ部隊なのだから、もう少し仲良くしたいというのが本音なのだが、現状は難しい。
せめて、アンジュに対しての嫌がらせを止めさせられればいいのだが、セラはそれに対して軽く鼻を鳴らす。
「別に、あれぐらいならアンジュは応えないと思うけど――なんだかんだで芯はしっかりしてるし」
そう評すると、ナオミはクスッと笑い、セラは首を傾げる。
「やっぱり、アンジュのことよく分かってるんだね」
そう指摘され、セラはどこか照れ臭そうに顔を逸らす。
「今のアンジュ、昔のセラにそっくりだもんね」
幼年の頃のセラは、今のアンジュに近い立場だった。その頃から確かに潜在的な才能はあったが、それを気に喰わない連中もおり、嫌がらせも受けていたが、セラはそれらをすべてはね退け、逆にやり返した。
過去の自分と重ねているのか、その指摘にセラは顔を顰める。暫し、会話もなく無言の状態が続いていたが、やがてセラは上半身を起こし、水平線を見つめていたが、静かに口ずさむ。
「歌え…歌え、いま二つの願いは」
唄うセラにナオミだけでなく、アンジュも驚く。だが、ナオミはすぐに穏やかな面持ちでセラが唄うのを聞いていたが、やがてナオミも静かに口を開く。
「響け…響け、いまあるべき姿へ」
セラの旋律に重ねるように唄うナオミにアンジュは驚きを隠せない。セラだけでなく、何故ナオミまで『永遠語り』を知っているのか。アンジュは知る由もないが、幼い頃から唄うセラの姿をずっと見てきたナオミは、自然と歌を覚えた。
そして、こうしてセラと唄うことがなによりも好きだった。
唄う二人の旋律が重なり、風にのって響く。それを聞きながら、アンジュは苛立ちなのか、羨望なのか、それとも寂しさなのか――自分でも理解できない感情に覆われる。
ただ、逃げるようにその場から去るのであった。
ロザリーとクリスの珍劇場、もといアンジュの葛藤回――にもなっていない気が。
セラもそうですが、ナオミも謳う形にしたのは後々大きなキーになります。
まもなくゲームも発売ですが、ゲームの内容によっては現在組んでいるプロットも一部修正が入るかもしれません。
次に書くのはどれがいいですか?
-
クロスアンジュだよ
-
BLOOD-Cによろしく
-
今更ながらのプリキュアの続き