艦隊これくしょん The Bridge 君でないとだめなんだ 作:Piyodori
ラボール港に寄港中のマツエダ艦隊は翌日の昼に抜錨、再び単縦陣で北西へと進路をとった。航海中は何事もなく、各艦は之字運動を続けて西をめざし、二日後には無事メジロ諸島へとやってきた。
小雨模様のなか、那智はタグボートの指示に従い、先に着岸した重巡高雄に並んで自艦を係留する。港内には巡洋艦と駆逐艦が数隻、錨をおろしていた。もやい綱を繋ぎ終えた那智はふと、構内に錨泊している扶桑型戦艦を見つめた。缶を炊いているらしく、積み木を積み上げたような複雑な形状と艦橋の後ろにある煙突からは、黒煙が上がっている。
「戦艦山城……か」
那智は奇怪な塔のような艦橋を見上げた。程なく自分が元いた艦隊に配属され、そこで旗艦となることが決まっている戦艦だった。六基の砲塔に二門ずつ装備しているのは、那智の二十センチ砲よりはるかに高威力を持つ三十五・六センチ砲だ。
一瞬、那智は無力感に襲われ奥歯を噛みしめたが、考えまいと言い聞かせて舷梯へと歩きだした。
雨に濡れたコンクリの上で那智を迎えたのはマツエダ提督と高雄、そして三人の艦娘だった。
「やっほー、こっちの世界では初めてだよね? 青葉型重巡二番艦の衣笠だよ。よろしくね!」
白いセーラー服を着たミドルヘアの艦娘がウインクして手を振った。隣にいる駆逐艦娘も元気溌剌な調子で頭を下げる。
「夕雲型十八番艦の清霜よ」
三人目の髪を短くショートカットにしたセーラー服姿の艦娘も笑顔で自己紹介する。
「長良軽巡の鬼怒です! 長良姉さんは元気にしてますか?」
那智はかかとを合わせて敬礼してから自己紹介した。
「妙高型重巡の二番艦、那智だ。縁あってこの泊地で世話になることとなった。よろしく頼む」
那智は手をおろして、ブーメラン島沖での長良の活躍や、先日テレビジョンに映った元気そうな様子を鬼怒に話すと、鬼怒は目を輝かせて喜んだ。
「そうなんだー。あー、わたしももっと強くなって姉さんみたく活躍したいなぁ。もっとトレーニングしないと」
あの姉にしてこの妹ありといった様子で、鬼怒はストレッチでもするかのように両腕を真上に持ち上げてポーズをとった。
「ねえねえ、やっぱり那智さんも提督にナンパされて連れてこられちゃったわけ? やっぱりそうなの?」
「な、ナンパだと……。そ、それは、どういうことだ?」
茶目っ気いっぱいで衣笠が那智に聞く。那智は少し顔を赤らめて首をふった。
「いやー、衣笠さんがここの艦隊に来るときだって、提督のアタックがすごくて、もう大変だったんだから」
「衣笠さん、変なこと言わないの」
呆れて高雄がたしなめる。マツエダ提督はそんなやりとりに慣れているのか、笑顔で艦娘達のやりとりを眺めている。
「高雄さん、普段は優しいんだけど、提督のこととなるとムキになるから、那智さんも気をつけてね」
衣笠は那智の耳元でいたずらっぽく言った。
――悪くない雰囲気の艦隊だな
那智は衣笠に応えて微笑しながらうなずいた。
「衣笠君、山城君はどうしてる?」
マツエダ提督が周りを見回しながら尋ねると、衣笠は肩をすくめる。
「二日前に提督が電話くれたでしょ。山城さんの転属と連合艦隊への編入のことで。そのことを本人に伝えたら、急に元気になっちゃって。ほら? 前線の連合艦隊には扶桑さんがいるって、提督言ってたでしょ?」
提督はそうかとうなずいた。
「じゃあ、今は艦にいるの?」
「二日前から不眠不休でずっと……。『姉様……。扶桑姉様……』ってとり憑かれたようにつぶやきながら、缶に火入れて。弾薬の積み込みも完了。あと重油の補給が終わればいつでも出港できるみたい」
「衣笠さん似てる、似てる!」
衣笠のモノマネがツボだったらしく、清霜がお腹を抱えてケラケラ笑う。
「そうか、キリのいいところでこちらに呼んでくれ」
提督はそう言うと、沖の戦艦へと目を向ける。
「山城さん、やる気になってくれて、よかったですね」
高雄が言った。
「こちらの世界では、山城というのはどういう艦なんだ?」
那智が尋ねると、高雄とマツエダ提督、それに衣笠の三人は相互に顔を見合わせた。
「三十五・六センチ砲を十二門、戦艦としての火力は十分だが、率直なところ、弩級戦艦がこの泊地の任務に適していたとはいえない。実際、護衛任務や哨戒、威力偵察の任務では、彼女だけ留守にまわることも多かった。那智君も前世の世界では、スリガオ海峡での彼女達の悲劇は、僕らよりもずっとよく知っているだろう」
那智は前世のレイテ沖における記憶を思い返し、心の中の古傷が痛む思いがした。
「彼女の艦歴は不遇だったが、こっちの世界でもいまだそれを引きずっているようでね。お姉さんや昔の仲間のことを思い出すと自室に引きこもってしまうことも多い。そんななか連合艦隊の再編成と戦艦供出令がここにも届いたから、火力を欲する連合艦隊のほうが、山城君も活躍しやすいだろうと思ってね」
「あの人、お姉さんのことが大好きだから、一緒にいさせてあげたほうが、いいんじゃないかな?」
マツエダ提督と衣笠の言葉に那智はそうかとうなずいて海の方をみた。
――あいつ、うまく乗りこなせるだろうか……
那智にはそれが気がかりになった。
那智はマツエダ提督に話を向けた。
「ブーメラン島の救出作戦、貴官はどういう方針で望むべきと考えている?」
マツエダ提督と高雄はまたも顔を見合わせた。
「なに、他意はない。貴官の考え方を知りたいだけだ」
那智が言い添えると、マツエダ提督は言葉を選ぶようにゆっくり言った。
「以前も話したが、私たちはブーメラン島沖の作戦には参加していない。先日、連合艦隊司令部が発行した戦闘詳報によれば、作戦失敗の主要因は敵の前哨を撃破するための火力集中が遅れたからとある。私達にはそれが当を得た分析かは判断できない。ただ、君もトビウメ提督もそうは思っていないみたいだね」
「その戦闘詳報を書いた奴は、戦闘中、昼寝でもしていたんだろう」
那智は不愉快な思いを隠さずに言った。
「艦隊司令宛に緊急入電です」
やってきたのは基地の電信員で、電文を携えマツエダ提督の元へ差し出した。提督はありがとうといって電文に目を走らせると、言葉もないといった様子で肩をすくめ、高雄に電文を見せて言った。
「軍令部はブ島奪還のため、本土から陸軍の師団三千をタロタロ島へ進出させるようだ。サキジマ諸島のニライニライ島からローリー泊地まで、船団護衛はうちが担うことになった。どうやら本気であの島を『奪還』するつもりみたいだ」
那智は何も言わず、顔を背けることしかできなかった。
シューズ・ベラ島の桟橋で、トビウメ艦隊の面々プラス一名はつかの間の別れを惜しんでいた。
「初風、ほんとにいいの?」
トビウメ提督は心配そうに言った。
「そうよー、無理すれば、重ーい初風ちゃん一隻くらい、なんとか曳いて行けないこともないのよー」
荒潮も荒潮なりに、島に残る初風の身を案じる言葉をかけた。
「大丈夫よ。仲間もいるし、さびしくなんかないわ。そのかわり、三日後には必ず迎えに来てよね!」
初風は両脇に立つ長良と、プラス一名こと早霜を見ながら言った。
「大丈夫。泳いででもくる」
トビウメ提督は何度もうなずいた。
「ええ、次は工作艦明石を連れてきます。そうしたら一緒に戻りましょう」
そう言うと、不知火は長良と早霜に向かって言った。
「本当は皆、連れて帰るつもりだったのですが、あと三日辛抱してください。長良さん、早霜、それまで初風をお願いします」
「大丈夫、任しといて! 一番に来てくれたんだから、大丈夫だよ!」
「待っているわ、不知火さん。フフ……、フフフフフ」
長良と早霜は笑顔で言った。
「今回はありがとうございました。上空の警戒は任せてくださいね」
島民らとともに見送りに来た翔鶴が挨拶した。
「はい、次は明石を含めた連絡船と一緒に来ます」
トビウメ提督と不知火、荒潮は内火艇に乗ってゆっくりと桟橋を離れた。島に残る四人の艦娘達はいつまでもな内火艇の三人へ向け手を振り続けていた。
少しでも早く明石を連れて戻るため、駆逐艦不知火と荒潮は即座に抜錨し、スクリューを回し始めた。
「ん、あれは? 飛行艇じゃない?」
羅針艦橋の窓越しに、トビウメ提督が空を見上げる。不知火も目をこらすと、機影は徐々に大きくなり、味方を示す両翼の日の丸が見えてきた。
「二式飛行艇、珍しいですね」
その四発の飛行艇はゆっくりと湾内を旋回し、ふわりと着水した。
「大きな飛行機だね。どこから来たんだろう」
普段目にする九七式飛行艇よりも一回り大きい威容にトビウメ提督は感心したように言って、カメラを向ける。
「司令、乗ってみたいのですか?」
不知火の問いに、トビウメ提督はとんでもないとばかりに首を振る。
「まさか! 僕は二度と飛行機には乗らない」
不知火はかすかに笑みを浮かべた。
「そうですか、不知火も飛行機は嫌いです。そろそろ外洋に出ます。行きましょう」
「うん」
駆逐艦不知火と荒潮は上空の九七艦攻の援護のもと二十五ノットまで増速し、タロタロ島へ進み始めた。
トビウメ提督は決してツイてる男とは言えなかったが、第五航空戦隊司令と自称「幸運の空母」にとって、シューズ・ベラ島滞在は非常に不幸なものとなった。
トビウメ艦隊の駆逐艦が出港するのと入れ違いに、大型飛行艇一機がゆっくりとボート用桟橋へと接近してエンジンを切った。
すぐに港の職員や島民がわんさかと集まってくる。みんな新しい補給物資に期待しているのだ。
すぐにパイロットがハッチを開けてバシャバシャと浅瀬に降り立つ。
「待たせたな! 食料、菓子、薬、持ってきてるぞ!」
歓声とともに、憲兵の制止もものともせず、島民による壮絶な争奪戦がはじまった。
「あーあ、まーたやってる。恥ずかしいわね」
だいぶ気持ちに余裕ができたのか、呆れたように初風が腰に手を当てた。飛行艇の前部ハッチから次々に木箱が外に放り出されるなか、それまで微笑んでいた翔鶴の顔が機体の一点に釘付けになった。
「ず、瑞鶴、それに提督……」
「え、翔鶴さん、どうしたの?」
飛行艇の後部ハッチからは白い制服のボタンを止めず、だらしなく羽織った男と胴着姿の長い髪をツーテールにした艦娘らしき二人連れが桟橋へと出てきた、誰かを捜しすように周りを見回している。
翔鶴が桟橋へ駆けてゆくと、二人はようやくそれに気づいたらしく、大きく手を振って走り出した。
「翔鶴ー! 翔鶴ー!」
制服をだらしなく着た若い男はそう叫び、猛ダッシュで翔鶴に抱きついた。
「翔鶴、良かった! お前が被雷したと聞いて、おれと瑞鶴がどんなに心配したと思ってんだ……。でも良かった。無事で良かった! それに、看護服姿のお前が見られて、おれはもう死んでもいい……」
「て、提督、そんな急に、こんなところでだめですよ」
涙と鼻水と鼻血を垂れ流しながら抱きつく提督に翔鶴は戸惑いながら言うが、その提督は離さない。
「あー、提督さんばかりズルいー! 私も翔鶴姉とハグしたい!」
抱きつく提督のあとから、一緒に来た艦娘、空母娘の瑞鶴も割り込まんとばかりに抱きついた。
「翔鶴姉、潜水艦にやられたって聞いて、本当に心配したんだよ。また先に逝っちゃうんじゃないかって、私も提督さんも……」
そう言って艦娘は涙をこぼしながら翔鶴を強く抱きしめた。
「大丈夫よ翔鶴、それに提督も、二人をおいてどこにも行ったりしないわ」
戸惑っていた翔鶴もそう言って二人を抱擁する。
当人たちにとっては真剣で、涙なしには済まない感動の再会シーンとなったのだが、この若い提督、第五航空戦隊司令ナカツル ツバサ提督の不幸はこの瞬間に始まった。
争奪戦に参加している食い意地の張った職員や島民を除く男性陣の一部は三人の再会に冷ややかな視線を送っていた。
「なぁ、あいつ、何? おれたちの癒しの女神、翔鶴ちゃんになにしてくれちゃってんの?」
一人の兵士が額に青筋を浮かべて言うと、しゃがんでいた工廠部の作業員がつぶやいた。
「大艇の乗員に聞いたら、どうも五航戦の提督らしいですよ」
「へー、五航戦のねー。ふーん……」
椰子の木陰からじーっと様子を見ていた島の若者がつぶやく。軍刀を腰に下げた憲兵の一人も、抱き合う三人を見ながら舌打ちした。
「やりすぎんな……。それだけだ」
憲兵はそう一言残し、肩をいからせて去っていった。憲兵隊は関知しないという、これから起こることへの黙認の意思表示だった。
「やっこさんには、島の流儀ってものを十分に教えてやらねぇとな……」
男達はニヤリとサディスティックな笑みを浮かべた。
夕刻、ナカツル提督と五航戦の姉妹は二ヶ月ぶりにそろって夕食の席についた。
「びっくりしたわ、急に二人で来るんですもの。でも、二人の顔が見られて、本当によかったわ」
翔鶴がうれしそうに言った。
「わたしも提督さんも、どうしようかと思って。軍令部に作戦に南洋の参加できるように頼んだけど却下されちゃったから」
「やっと飛行艇の都合がついたから来られたんだ。遅くなってほんと悪かった」
瑞鶴とナカツル提督も翔鶴の元気そうな様子に心底安心したとばかりにうなずいた。
「ご心配おかけしました、提督。でも大丈夫、次は作戦を成功させますね」
「えー、翔鶴姉まだ戻ってこないのー?」
瑞鶴が駄々っ子みたいに足をバタバタさせる。
「わががまま言ってはだめよ。ブーメラン島には助けを待ってる人達が大勢いるんですもの」
「軍令部さえ許可すれば、おれも瑞鶴も出撃するんだけどなぁ」
ナカツル提督は悔しそうに言った。
「戦争は南方だけじゃないですよ、提督。わたしは大丈夫ですから、二人はリゾン島で待っていてください」
五航空戦隊の母港は外南洋よりずっと本土に近い、リゾン島のクレインフィールド港にあった。ブーメラン島沖海戦前に空母翔鶴が損傷して以来、ナカツル提督と瑞鶴はずっと、翔鶴のいうこのシューズ・ベラへ来る手段を探していた。シューズ・ベラ島へ臨時で飛行艇による物資の航空輸送が実施されることになり、たまたま本土から進出してきた秋津洲をつかまえた二人は、なんとか拝み倒して貨物と島へ向かう大艇に乗せてもらったのだった。
少し離れたテーブルで三人を見ていた初風、長良、早霜の三人は、五航戦の歓談を微笑ましく見守っていた。
「翔鶴さん、いつもより楽しそうね」
「そうだね、なんか笑顔が輝いてる感じがする」
初風と長良が麦飯を口に運びながら言った。
「自分の司令官や姉妹艦がわざわざ会いに来てくれるのは、艦娘にとって、とても、とても幸せなことだと思うわ……フフフ」
「そうだね。でもちょっと照れくさいね」
「まぁ……。それは、それなりに、ね……」
長良は照れくさそうにキシシっと笑い、初風は少し顔を赤くしてモゴモゴとつぶやく。
「そういえば、あんたの司令官はどうなの? 心配して、連絡くれたりしないの?」
初風の問いに、早霜はゆっくりと首を振った。
「わたしは数合わせで徴用され連合艦隊に編入されました。もしかしたら、私の司令官は自分の艦隊に早霜という艦がいたことすら覚えていないかもしれないわね」
艦隊にはいろんな事情があるからね、と長良がすかさずフォローする。初風は言葉を失い、変なこと聞いてごめんと謝った。
「大丈夫よ、初風さん。わたし、今は寂しくないわ。本当に……本当に寂しくないわ。フフ、フフフ」
早霜はそう妖艶に笑った。
翌朝、食堂にやってきたナカツル提督と瑞鶴の顔を見た翔鶴は驚いて口元に手をやる。
「て、提督、その顔はどうしたんですか。それに瑞鶴まで……」
二人は顔や腕にできた赤いぼつぼつをかきむしりながら眠そうに言った。
「提督さんとこの蚊帳、あちこち破けてて、寝てる間ずっと蚊に襲われちゃった……」
「あのボロ蚊帳、交換しないとだめだぞ……。まったく」二人とも寝ぼけ眼で、虫さされのあとをボリボリかきながらつぶやいた。
「この辺の蚊はマラリアを持ってるのも多いから危ない気をつけないと、新しい蚊帳を用意しておかないと、軍医さんに話しておきますから、二人ともあとで病院へ来てくださいね」
そんな三人の様子を食堂のすみで見ていた男達はニヤニヤ笑いながら親指を立てた。
「奴の蚊帳にちょっと細工をしてやりました。この辺の蚊は強力ですからね」
「でも、あの艦娘までやられてるぞ。そこまでしなくてもいいのに……」
「え? あいつの部屋の蚊帳しかいじってないっすよ。何で?」
男の一人がはっと思い立って思わず顔を赤くした。
「くそ、あの野郎、つまり、そういうことですよ! ちくしょう! 許せねぇ……」
みんな、合点した。
「まさか翔鶴ちゃんも一緒だったんじゃないだろうな?」
「そ、それは大丈夫、昨日は病院で夜勤でした」
「頭に来たぜ、もう手加減はいらねぇ……」
「ゲヘヘ、あいつが今飲んでる味噌汁、煮沸してない貯め水で作った特製です。それに、飯にはたっぷりフケをふりかけときました」
給仕係の一人が言った。
「おい、あれって確かボウフラが沸いて……」
「し、声が大きい……。フケ飯にボウフラ味噌汁、あいつの胃腸はどこまで持つかな……」
猛烈な殺意を向けられていることも知らず、ナカツル提督は指揮下の艦娘二人と楽しく歓談しながら味噌汁をすすった。
「ねぇねぇ、翔鶴姉ばっかり看護師さんのカッコしてずるーい。瑞鶴もお手伝いする」
「瑞鶴、これは遊びじゃないのよ。それに私だって好きでこんな服装をしてるわけじゃないんだから……。ねえ提督、提督?」
翔鶴が困惑して提督に助け船を求めるが、虫さされの顔をかきながら、ナカツル提督はうんうんとうなずいた。
「いいじゃん、超ーいいじゃん。姉妹でナース。わざわざ南の島まで来た甲斐があった……」
ナカツル提督は一人でそう納得し、何度もうなずいた。
提督の口添えで話はとんとん拍子で進み、病院が人で不足だったこともあり、さっそく瑞鶴も臨時看護師として手伝いに入ったのだが……。もって生まれたがさつな性格故に、患者の点滴袋を間違えたり、うっかり骨折している患者の足を蹴り飛ばしたりと、洒落にならない重大医療事故スレスレのミスを何度もやらかし、一日で野戦病院からつまみ出されてしまった。
「ちぇー、わたしだって一生懸命だったのに……」
夕刻、瑞鶴は食堂のテーブルに突っ伏してふてくされていた。
「まぁまぁ、何かやろうとする気持ちが大切なんだよ。そんな気にしない」
提督の膳によそわれた味噌汁と生野菜のサラダをムシャムシャ咀嚼しながら瑞鶴の肩をたたいた。ナカツル提督は苦笑いをかみ殺しながら、食事を続ける。いざ実際にナース服の五航戦のコンビが並んでみると、個性の向き不向きが歴然と出てしまう結果となった。神々しいまでの包容力と清楚さ、それに控えめかつ健全なエロスを醸し出す翔鶴の看護師姿に比べ、瑞鶴はあまりに溌剌とした無邪気さと快活さが前面に出て、まるで学生が学芸会の衣装を着ているよう雰囲気だった。
――瑞鶴のナース服姿は可愛いかったけど、エロさがまだまだだからな仕方ないよな。そうだ、今度瑞鶴には女子高生の制服とメイド服着せたいな
ナカツル提督はそんな不届きな事を考えながら瑞鶴を慰めた。実際、もし瑞鶴に翔鶴並の色気があったら、どんなポンコツ看護師ぶりを発揮したとしても病院から追い出されなかったというのが、島内のもっぱらの噂だった。
翌日の朝が来た。
「あれ、提督さん食欲ないの?」
いつものように三人で朝の食卓を囲むこととなったが、ナカツル提督はなかなか箸が進まない。
「うん、なんか風邪っぽくって、ダルいんだよ」
「あら、それはいけないわ、しっかり食べていただかないと」
ナカツル提督は力無くうなずいて麦飯やおかずに手を付けるが、すぐにお椀を置いてイスの背もたれに身を預けた。
「もういらない……」
「じゃあ提督さんの分も、瑞鶴が食べたげる」
そう言うと、瑞鶴はナカツル提督のご飯やサラダをかすめ取っておいしそうに食べ始めた。
「だめじゃない瑞鶴、それは提督の分よ。提督も元気がないときこそ食べないと……」
翔鶴が瑞鶴をたしなめるが、提督は弱々しく首をふる。
「もったいないから全部食べていいよ」
「わーいやったー!」
一方、密かに見張っていた島の男たちも不安感じ始めていた。
「おい、あの艦娘、食っちまったぞ……。やばいんじゃないか?」
「これ以上はまずいよ……」
「あの嬢ちゃんには気の毒だけど、今更どうもできないだろ」
この世界の住人にとって艦娘は大切な存在だ。嫉妬に狂った男たちも艦娘まで痛めつけようとは微塵も思っていなかった。
「提督、大丈夫ですか? お熱はありませんか?」
翔鶴は心配そうに言って自分の額をナカツル提督の額に当てる。
「はぁぁぁ、あの野郎ぉぉぉぉ……」
それを見せつけられた男たちの良心は、ナカツル提督への憎悪を前に一瞬で消しとんでしまった。
その日夕方からナカツル提督と瑞鶴体調が急速に悪化した。
「しょ、しょ、翔鶴姉……、わたしちょっとお腹の具合が……。ああ、だめー」
顔を真っ青にした瑞鶴があわてて廊下へと飛び出していく。
「あああ、ずるいぞ、お、おれも……」
半纏に毛布をかぶっても悪寒でガタガタ震えているナカツル提督が腹部を押さえながらヨロヨロと後を追う。ちなみに現在の島の気温は摂氏37度、湿度96%である。仮に裸でいたって辛い暑さだ。
「あれ、たぶん悪性のマラリアだよ。きっと悪い蚊に刺されちゃったんだよ……」
遠くから様子を見ていた長良が気の毒そうに言った。
「あの二人、わざわざ病気になりにこんなとこまで来たのかしら……。呆れるわね。五航戦の提督って優秀だって聞いてたんだけど」
初風が言うと、早霜が首を振った。
「どんなに善良でも、周りが見えなくなってしまっては駄目よ」
悲惨な二人を凝視しながら早霜が言った。
翌日、シューズ・ベラ島の埠頭には大勢の人が集まっていた。駆逐艦隊に護衛され、定期貨客連絡船と工作艦明石が入港するのだ。翔鶴は病気なった提督と妹の事がきがかりになりつつも、基地から哨戒機を離陸させ、船団の護衛につとめていた。
沖合に明石のひときわ大きな艦影が見えたときには、多くの島民や艦娘が歓声を上げた。
約束どおり駆逐艦不知火と荒潮も明石を護衛しつつシューズ・ベラ島の港内に投錨した。連絡船と護衛の艦船には物資が満載されていて、すぐに荷揚げの作業が始まり、島民は大喜びで物資を包んでいた木箱をばらしていく。
「長良さんは自走可能ですし、明石による初風の応急修理が終われば、すぐに曳航してタロタロ島へ連れて帰れます」
内火艇を海面におろしながら不知火が言った。周囲にには一緒に護衛任務についてきた白露型駆逐艦数隻も錨をおろして上陸の準備を進めている。
「司令、また飛行艇が来ていますよ」
不知火がトビウメ提督の袖を引っ張りながら言った。
「あ、本当だ。誰かいるね」
トビウメ提督は双眼鏡を向けてピントを合わせる。
「あれ、この前の二人じゃない? どうしたんだろう?」
トビウメ提督は双眼鏡を不知火に渡しながら言った。不知火が双眼鏡を覗くと、担架に乗せられた男と、艦娘らしき女がナース服姿の翔鶴に寄り添われて二式飛行艇に担ぎこまれるところだった。
「こんな暑いのに、あんな毛布掛けて、平気なのかな? 見ているこっちが熱中症になりそうだね……」
トビウメ提督が言うと、不知火はいつもの仏頂面を崩さずみ言う。
「震えていますし、腹部を押さえているところを見ると、恐らく赤痢かマラリアですね。いいですか司令、南洋での不摂生や落ち度は自身に病気を招き、艦娘もろとも、あのように航空機で後送される羽目になります。司令も注意してください」
不知火はトビウメ提督にグイと顔を近づけて言った。トビウメ提督は冷や汗をかきながら首をふった。
「やだ、飛行機なんか絶対乗りたくない!」
「不知火もです。お互い注意しましょう」
赤の他人からボロクソにこき下ろされているとも知らず、ナカツル提督と瑞鶴、それに見送りにきた翔鶴は愁嘆場を演じていた。
「瑞鶴、しっかりね。ローリー島には大きな病院があるから」
「じょーがくねーも一緒に帰ろうよ~、ねぇ、お願い~」
担架の上で身をよじりながら瑞鶴が泣き喚く。
「翔鶴、寒い、寒いよ~。おれを温めてくれよ~、翔鶴~」
ナカツル提督も滝のような汗をかき、震えながら言った。
「なんで二人とも、なんで……」
翔鶴は目に涙を浮かべ瑞鶴と提督の手を交互に握る。
「本当はわたしも二人と帰りたいけど、今は無理なの。任務を終えたらすぐに戻るから、二人とも必ずよくなって……。お願い」
瑞鶴とナカツル提督は軍医からマラリアと赤痢を併発したと診断され、急ぎローリー島の病院まで搬送されることになったのだ。
「じゃあそろそろ出しますよ」
二式大艇の搭乗員は、泣きわめくけったいな荷物二つを機内運び込むと、めんどうくさそうに言った。
「じょーがくねー、じょーがくね……」
ハッチがバタンと無情に閉じ、叫び声が聞こえなくなった。
発動機が回り、飛行艇はゆっくりと洋上へ滑り出す。飛行艇は外洋へ向けてゆっくり離水し東のローリー泊地目指し飛び去った。
桟橋に佇む翔鶴は機影が見えなくなるまで手を振り続けていたが、基地の男たちはお互い顔を見合わせ静かに笑い、邪魔者の退場を祝うのだった。