イエロー・フラッグの血まみれ妖精   作:うみ

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続いた。なぜ人生の瀬戸際に限って筆が進むのか神様に問い詰めたい。
ちなみに双子とのR18不可避な絡みも用意はしているが投稿するかは様子を見てからにする。
子供たちに迫られる父様ポジションってエロいよね


疫病神が通る

 つい二か月ほどから、イエロー・フラッグは少し様変わりしていた。

 より具体的には、カウンターの内側に限って多大な変化が起こっていたのだ。

 今では物珍しい視線が向けられることも少なくなったカウンターの内側に、ふたりの男が立っていた。

 一人はアジア系の中年バーテンダー、バオ。イエロー・フラッグの創設者であり、オーナー兼店長である。度重なる店の半壊及び全壊、逃亡兵仲間の離散などにもめげず店を運営する姿は、この地獄の釜の底に住まう荒くれ共をして、哀れを誘わずにはいられない。だからといって自重するような人間は存在しない。安定と安心のロアナプラクオリティ、とどこかの日本人に呼ばれている原因だ。

 もうひとりはヨーロッパ、より正確にはヴラフ人の少年バーテンダー、ミハイル。つい最近雇われた新人であり、接客、調理、修理、電話応対までなんでもござれの万能バーテンでもある。幸いというべきか、ミハイルがこの店に収まって以来、イエロー・フラッグ内で銃を抜くような事件は未だに起こっていないため、用心棒が務まるかどうかは不明のままである。

 しかしながらブレン“ザ・ブラックデス”の傘下の殺し屋であるという噂はしっかりと広まっており、どことなく騒ぎを自重するかのような風潮ができてはいた。もちろん、気休め程度であるが。

 尤も、ここロアナプラの理性的人間というやつは、なにかしら考えがある場合は他人のことなど配慮せず躊躇いなく抜く(・・)連中しかいない。よって厳しく締め付けすぎると上位組織に羽虫よろしく潰される恐れがあり、その境目を見極めねばならなかった。さらに言うならば、阿呆が激発しないように適度に緩めるという意味でも、過度な秩序維持は望ましくないというのがバオとミハイルの共通見解だった。

 なにはともあれ、今日も今日とてミハイルは労働に勤しんでいた。奥のこじんまりとした厨房で、注文のあったソーセージを焼きながら、バオに話しかける。

 

「……バオさん。なんですかね、あれ」

「わからねェよ。俺に聞くんじゃねえ」

 

 話題の中心にいたのは、たった今入店してきたラグーン商会の面々である。普段と違うところは人数だ。明らかに堅気らしい、それもホワイトカラーらしきアジア系の男が混じっていたのだ。

 明らかに憔悴しきっているところを、ダッチとレヴィに挟まれて連れてこられている。ミハイルの目には死刑台に護送される死刑囚のようにしか見えなかった。大方レヴィのカトラスに命を刈り取られかけたとかそんなだろうな、と予想もできる。

 その内にラグーン商会+謎の男グループはカウンター席を四つ占拠した。

 

「ラグーンのやつらが八九年のサンデーサイレンスよろしく俺に幸せを運んできたことなんざ一回もねェが、どこぞの会計士を逃がしてるってわけでもなさそうだ。ありゃどう見てもカタギだ」

 

 ミハイルは小さく吹き出してしまった。ケンタッキーダービーの優勝馬に比べれば、ラグーン商会でなくとも見劣りするに決まっている。

 バオから咎めるような目を向けられて、逃げるようにソーセージを弄繰り回した。

 

「ロアナプラの青い鳥はまだ影も見えませんよ。とりあえず、手が離せないんでお願いします」

「けっ」

 

 しかめ面のバオが応対している間に、ソーセージを焼き上げ、ケチャップとマスタードをつけてテーブルまで運ぶ。注文したのは地元のチンピラたちで、喧嘩を見物しながらどちらが勝つか賭けていた。

 ミハイルはひとつ頷いて笑顔になった。うん、今日も平和な日常だ。

 カウンターに戻ると、ラグーン一行とアジア系の男には飲み物が配り終えられていた。男はダッチのアーリータイムスを飲んでいる。バオに、こいつなにか注文しましたか、と目で問うとシン・ハーの空き缶を指した。

 どうもこの場違いなアジア人とダッチは親しみだしたらしく、自己紹介をしていた。

 

「ロクロウ・オカジマ? 変な名前だ」

 

 ダッチはくつくつと笑う。サングラスとアメリカン・スピリットを手放さない知識的変人は、オカジマとかいう日本人の名前にどのようなユーモアを見出したのかはラグーン商会の仲間たちですらわからない。

 

「気にしてるんだ。放っといてくれよ」

 

 オカジマは疲れたジト目を向けて言い返した。

 バオもミハイルも少しばかり驚いてオカジマを見た。この華奢なビジネスマンが、絵に描いたような「タフでムキムキな黒人の悪党」であるダッチになにか言い返せるとは思ってもいなかったのだ。ひょっとすると裏の人間なのかもしれない、という考えが頭の端を掠める。

 ダッチは特に気分を害したようでもなく、軽い調子でグラスを上げる。

 

「おっとすまねえ。口さがねえのが性分でな」

「いや、いいさ。……しかし……」

 

 なにかを躊躇った様子のオカジマは、ダッチが続きを促すと意を決したのか、再び口を開く。

 

「この酒場はひどい。地の果てだ」

 

 あ、こいつカタギだ。ミハイルは僅かに生まれていた疑念を雲散霧消させ、元通り仕事に戻った。

 ダッチは今の比喩にセンスを感じたらしく、愉快気に口の端を持ち上げる。

 

「うまい喩えだ。ここはもともと南ベトナムの敗残兵が始めた店だが――」バオをチラリと見て、話は続く。「逃亡兵なんぞを匿ったりしてるうち、気が付きゃ悪の吹き溜まりだ。娼婦(フッカー)ヤク中(ジャンキー)傭兵(マーシー)殺し屋(ジョブキラー)。どうしようもねえ、無法者ばっかりさ」

 

 バオが鼻を鳴らして新聞を広げた。抗議のつもりだろう。ミハイルはオカジマの反応が面白くて彼ばかり見ていた。

 ダッチもカタギの反応が楽しいらしい。ずっと愉快そうにしている。サングラスが蛍光灯の明かりを受けて奇妙に光った。

 

「嫌いかね、ロック?」

「居酒屋が一番いいや。だいたい、俺、争いごとには向いてないんだよ」

 

 オカジマもとい、ダッチ命名のロック氏はグラスの中のバーボンを見つめて物憂げに答える。骨の髄まで平和な男らしい。

 ――もし自分たちが、この男のような場所で生まれていたなら。

そんな羨望の念を抱いている自分にふと気づいて、ミハイルの胸の奥から重い息が出た。

 思考の隙間を縫うようにしてイエロー・フラッグの電話が鳴った。動きかけたバオを手で制し、ミハイルが受話器を取る。

 

「はい、こちらイエロー・フラッグ」

『ブレンだ』

 

 ミハイルの背筋に冷たいものが走った。名乗りがなくともすぐわかったはずだ。

 ロアナプラに割拠する悪党共の中でも一際大きい畏怖を持って呼ばれるビッグネームの一角、ブレン“ザ・ブラックデス”。

 ロアナプラ市内では一切仕事をしないにも関わらず、その悪名が轟いているところからも脅威のほどが知れるというものだった。

 仕事、召集。そんな言葉が頭をよぎるが、すぐに気を取り直す。殺しの要件ならわざわざ店の電話にかける必要はないし――ミハイルの部屋には専用の電話がある――ブレンが殺しの依頼をしてくる際には、決まって使いの者がやってくるのだ。

 第一、ブレンは味方の側だ。なにを恐れることがあるのか。ミハイルは自分に言い聞かせた。少なくとも、今のところはね――そう囁くもうひとりの自分は叩き潰して脳髄の奥にしまいこむ。

 声が震えないように心掛け、ひとつ深呼吸してから言葉を紡いだ。

 

「こんばんは。こちらにお電話をくださるなんて珍しいですね。もしかして飲みにいらっしゃるんですか?」

『違う。今日はお前の日頃のに教えとくほうが良いことがあったんで電話した。俺がわざわざすることでもねェんだが、暇だったんでな』

 

 酒でも飲みながら片手間に電話しているようで、氷がグラスにぶつかる音やテレビの音声が漏れ聞こえる。暇だったという言葉に一切の気遣いは含まれていないらしかった。

 人が忙しく仕事をしているときにこういう形で寛がれると不快に思う人間だったらしい、とミハイルは初めて自覚した。

 

「それはますます珍しい。それで、どういうことをご教授してくださるんでしょうか? ご存じないかもしれませんが、夜の九時というのは営業時間内なんですよ、ブレンさん。神様の直通電話もお断りしたいくらいには忙しい」

『まあ急くな。読み上げるぞ、一度しか言わねェからしっかり聞いとけ』

 

 ブレンは皮肉をそよ風ほどにも感じていないようで、構わず紙をめくる音が聞こえる。

 

『今日の午後十二時四十分頃、傭兵派遣会社エクストラオーダー、通称E.O社の一部隊がヘリと船の補給作業を終え、タイのどっかの港を出港した。そしてついさっき、港のレンタカー屋でいくつかワゴン車を借りた迷彩服姿の連中がいたらしい』

 

 今度冷えたのは背中でなく脳髄だった。

 レヴィとロックがバカルディの飲み比べ対決を始めている。周囲の飛ばす野次がうるさいほどだ。現実感に欠けた、やけに遠くの喧噪のように感じる。

もうひとつ紙のこすれる音が響く。

 

『で、そいつらを尾行させたんだが……イエロー・フラッグにまっすぐ向かっているようだ。E.O社が重武装の傭兵共に慰安旅行を手配するわけもねェ。奴ら本腰入れてきてるってことだよ、ミハイル。ついでに言っとくが、奴らロアナプラ処女ではあるが、戦争屋としての実績は確かなクソ共だ。俺からの親切は以上、精々用心するこった』

 

 言葉の終わりまで聞き取ったミハイルが一呼吸もしない内に、かかってきたのと同じように唐突に通話は切断された。

 その事実を脳が認識してすぐ、迷わずミハイルは二階に走った。バオがなにか言っているが後回しだ、レヴィたちも驚いているが知ったことじゃない。瞬きをする度に双子の姿が映りこむ。

 猛烈な勢いで階段を上りきった先では、接客スマイルを浮かべたフローラがお決まりの台詞を口にするところだった。

 

「いらっしゃいませェ……ってなに、ミハイルじゃないの」

 

 フローラは首を傾げていた。ミハイルが血相を変えて仕事を放棄することなど今までになかったし、階下でなにか騒ぎが――いつもと違う騒ぎが、という意味で――起こった様子もなかったからだ。

 ミハイルは逸る心を落ち着けてフローラの手を取る。

 

「フローラ。ここに銃を持った戦争屋共が来る。一階にはラグーン商会の人たちもいるから撃退できるのは間違いないだろうけど、みんなが下りてこないように気を付けて」

 

 いきなりまくし立てられたフローラは瞬きするばかりだったが、すぐに持ち直して両頬に両手を当てた。

 

「なんですってェ!? わかったわミハイル、とりあえず女の子たちはみんなセーフルームに集めましょ。お客もいないことだしネ。ティナとニコも連れておいでなさい!」

「僕は階下で防衛線になるよ。バオさんひとりも可哀想だ」

 

 首を振ったミハイルに対して、フローラはなにかを言おうとした。

 しかしそれが言葉になる前に、複数のブレーキ音が窓の外から聞こえる。

 フローラとミハイルは示し合わせたように窓に駆け寄った。まさに、狙い澄ましたかのようなタイミングだが、迷彩服を着た男たちがライフルを手に降車していた。

 ミハイルは舌打ちして背を向けた。武器はカウンターの中に置いてきてしまっている。

 

「フローラ、ふたりを頼んだ」

「あッ、待ちなさい!」

「あいつらは待ってくれない!」

 

 制止を振り切って階下へと急ぐ。

 数段飛ばしで駆け戻った一階では、カウンターの飲み比べを取り囲むように客が集まっていた。集まるのも無理はなかった。ラグーン商会の女ガンマンが、ボンクラの日本人にデカい面されていきり立っているというのは中々に珍しいイベントだ。

 レヴィが切れて発砲しやしないかと不安げなバオは、ミハイルを見るなり声を上げる。

 

「おい、どうしたってんだミハイル! 急に二階に上がっちまって!」

 

 バオの怒鳴り声が野次をかき分けて届いた。野次馬も何人かが顔を巡らすが、ミハイルは気にも留めない。

 ミハイルはカウンターに飛び込み、ショットガンと自分の得物を手に取る。ショットガンをバオに押し付け、自分は得物の感触を確かめるように何度か握り直す。心が落ち着くのがわかった。殺しの脳に切り替わればなにと言うほどの苦難でもない。

 脳裏に、囁き声が聞こえた。

 そうさ、いつものように――血と糞尿の詰まった、肉の袋にしてやろう。

 

「……そうだね。なあに、慣れたもんさ(・・・・・・)

 

 ミハイルが呟くと、クスクスと笑ったきり囁き声は聞こえなくなった。

 そうだ。その通りだ。いつものように、今までやってきたように、歩く死体を歩かない死体に変えてやろう。

 ミハイル自身も、いつしか小さく笑っていた。

 そうして、手に馴染んだのか手が馴染んだのかわからないくらい使い込んだ木製の柄と、腕と一体になっているようにすら思えるほどに慣れ親しんだ重さを確認してから、ミハイルはあっさりと答えた。

 

「フン族の大侵攻ですよ」

 

 バオがその意味を聞き返す暇はなかった。イエロー・フラッグの扉が勢いよく開かれ、噂の傭兵たちがライフルと手榴弾を伴って入場する。

 呆気に取られた客たち、カウンターの後ろ側に飛び込もうと身構えるレヴィやベニー、もはや熟練と言って差し支えない速度で頭を下げるバオ。沈黙しつつある酒場で、隊長格と思しき中央の男が笑顔で高らかに吠えた。

 

「イェア! 楽しく飲んでるかクソ共? 俺からのうォッ!?」

 

 皆まで言わせず、ミハイルは食用ナイフを投げつけた。男が大きくのけぞって回避したが、ナイフは鈍い銀色の光を放って飛来し、その後ろにいた不幸な隊員の喉仏を容赦なく食い破る。

 部下の鮮血を背中から浴びた隊長とその取り巻きは剣呑な目をミハイルに向けた。

 ミハイルは振り切った右手を再び構え、第二射の姿勢を取る。その手にあるのはアイスピックだ。

 右腕が鞭のようにしなり、再び必殺の矢が飛ぶ。

 男も只者ではない。左手に持った手榴弾を手放し、肩からかけているライフルの銃身をアイスピックの軌道上に置いて弾き飛ばした。

 

「やるな男娼(ボーイ)! 楽しくなってきやがったぜ!」

 

 哄笑する男が右手の手榴弾のピンを抜いて投げつけ、即座にライフルを構えた。周囲の隊員たちもそれに倣う。

 一拍も置かず、海の底よりなお黒々とした銃口から鉛の雨が放たれ、爆炎がそれを彩った。

 

「ここはARVN(ベトナム共和国陸軍)のたまり場だ! 死にかけ野郎にタマを齧り取られたくなけりゃ、かっちり殺した死体以外は残すんじゃねェぞ!」

「間違っちゃいねェな」

 

 いち早くカウンター内に飛び込んだレヴィがグラスのバカルディを飲み干して呟く。その隣にはどうにか這いずって付いてきたロックの姿もあった。

 バオの額に青筋が走る。

 

「ンな呑気なこと言ってねえで応対しやがれ! どうせ手前ェらの客だろうが、余所でやれ余所で!」

 

 レヴィはどこ吹く風でロックを指した。

 

「知らねェよボケ。あたしらだって迷惑してんだ、なあ日本人」

「誰のせいだ、誰のッ!」

 

 怒れるロックが姿勢を高くした瞬間、その頭の直上数センチにフルメタルジャケット弾が着弾した。ロックは悲鳴を上げてまた蹲る。

 ミハイルもバオもレヴィもそんな間抜けな失敗はしないが、頭を上げさせない制圧射撃には閉口しきっていた。

 

「モンティ・パイソンを見たいわけじゃないんですよ、レヴェッカさん。せめて頭数減らしてもらえませんか? どうせそこの日本人つながりでしょうし!」

「いくらあたしでも、この中を飛び出すのはお断りだ」

 

 確かにこの弾雨の中を無理押しするのは、流石の“二挺拳銃(トゥーハンド)”といえども困難だろう。しかしミハイルとしては、悠々とカトラスに弾丸を装填するレヴィに苛立つのを抑え切れる自信がなかった。

 レヴィは委細構わず、のんびりと弾丸を弾倉に装填し、カトラスに埋め込む。

 

「バオ、ここの防弾性能は?」

「50キャリバーまでは問題ねェよ、特注品に変えたからな。だが俺の店が花火会場になってる現状は、お前らが今すぐ裏口から出ていけば解決するはずじゃねェか?」

「その内タイミングが来るだろうさ」

「その内? その内(・・・・)だと!? 信じられねェこのアマ!」

「レヴィ!」

 

 今この(・・)時がまさにその(・・)タイミングだった。外で電話をしていたダッチが店内に戻り、リボルバーを脇から連射したのだ。

 レヴィもダッチの呼びかけに素早く反応し、カウンターから飛び出す。

 ミハイルも機に乗じるべく、愛用の得物を握りしめて走り出した。

 

「なんッ、だ、あれ……!?」

 

 誰かが絞り出した疑問は誰もが抱くに違いないものだった。

 ミハイルの得物は大ナタだ。通常のものより少し幅が広く、そして遥かに分厚い。刃渡りは一メートルに少し足りない程度だが、峰の部分の厚みは四、五センチほどもあり、フルメタルジャケットの猛威もこれを突破するには不足だろう。

 そんな時代錯誤な代物を手にするミハイルは愚直なまでにまっすぐ進み、流れるような動作で、最も近くにいた不幸な傭兵の腹筋を横一文字に抉り取った。

 傭兵たちの注意がダッチに逸れていたこと、レヴィと同じタイミングで飛び出したためにさらに警戒が分散されたことを差し引いても、それはあまりに素早く滑らかな動作だった。

 さらに切り口から臓物を垂れ流す男を容赦なく踏みつけて跳躍、テーブルの上に着地する。

 

Open Sesami(開けゴマ)!」

 

 ミハイルの殺傷圏内にいたのがその男の不幸だった。

 大上段から落下エネルギーも加えて振り下ろしたナタは、その場にいた金髪の傭兵の頭を首元までかち割ってようやく止まる。

 

「くそッ、撃て、撃てッ!」

 

 そこでようやく傭兵たちが反応した。ミハイルは体を伏せて軽々と射線から退き、食い込んでいた鉈を無理に抜き取って振り向き様に背後の男の首を刎ね飛ばす。

 宙に舞う首に視線が集まった刹那、回転斬りの勢いを利用して転がり、すぐ隣の倒れていたテーブルの影に逃げ込んだ。

 そのテーブルを盾にしていたダッチが、口元を引きつらせながら呟いた。

 

「虫も殺さねえ面してるのになんて野郎だ、ジェイソンだってあそこまではやらん」

 

 もちろんミハイルは黙殺した。

 ダッチも口を動かすばかりではない。レヴィがカウンターに引っ込むタイミングで目くら撃ちを繰り返し、的確に援護する。

 もちろん、ライフルのフルオート射撃ならば、テーブルを木屑に変えてふたりに風穴を開けても釣りがきただろう。しかしミハイルの殺しに目を奪われてしまった傭兵たちはレヴィに対して無防備な姿を晒すこととなり、結果的にカトラスによる血の洗礼を受けていた。

 ダッチがローダーで弾薬を補充する。その顔には余裕こそないものの、焦燥もまたない。この程度の騒動、ロアナプラでは入門編に過ぎないとでも言うように。

 

「この調子ならここで倒しきれるかもしれんな」

「迷惑なんで一刻も早く出て行ってください!」

「まあそう言うなよ、俺たちだってこうなるとは思っちゃいなかったんだぜ……ん?」

 

 ダッチが怪訝な顔をした理由は見なくてもわかった。銃撃がやんだのだ。

 直後、野球のボールを投げ込んだような音がいくつもするに至って、ダッチとミハイルは顔面蒼白になった。

 

「ダッチ! グレネードだ!」

 

 レヴィに言われるまでもなく、二人はカウンター目がけて駆け出す。

 間もなく弾けたグレネードの爆風が背中を撫でたが手傷には至らず、どうにかカウンターの中にたどり着いた。

 再びグレネードが投げ込まれ、僅かに残っていた無事なテーブル、床板、ついでに客の命を燃やし尽くす。

 バオはショットガンを再装填し、汗を拭いてミハイルの鉈を見つめた。血がしたたる大鉈はロアナプラのベテランであるバオにも少なからず威圧感を与えているらしく、自分から近寄ろうとはしない。

 

「驚いたぜ、ミハイル。お前がそんな危ねェ殺し屋だとは思わなかった」

 

 ミハイルは気まずくなって、鉈の血を予備のトイレットペーパーで軽く拭き取り始める。

 

「隠してるつもりはなかったんですけどね」

「別に責めてるわけじゃねェよ。だが、なんで知ってたんだ?」

 

 なにを指しているのかは聞かずともわかった。ミハイルが鉈を拭く手を休め、ブレンからの電話のことを話すと、バオは怪訝な顔をする。

 

「ブレンについてはお前のほうが詳しいだろうが、俺から見ても無償の愛を分けるようなやつだとは思えねェな。……おい、ダッチ! 手前ェ、弁償しなきゃ店には入れねえからな!」

 

 バオがミハイルの肩越しに怒鳴りたてた。ミハイルが振り返った時には、一行の姿は消えていた。

 ラグーン商会とロックは裏口から逃げ出したようで、まばらな銃声が聞こえたかと思うとエンジン音が響いた。外の傭兵部隊もそれに気づいて店の裏手に走っていく。狙いはやはりラグーン商会だったか。ミハイルとバオは座り込んだまま安堵の息を漏らした。

 

「……やっと行ったか」

「ええ、やっと終わりです」

 

 そう言い合い、一服しようとバオがタバコに火を点けた直後だった。一際巨大な爆発が店全体を揺らし、上から零れ落ちてきた酒がふたりに降り注いだ。タバコは一息も吸われることなく消えてしまった。

 バオは呆然としていたが、やがて自分の顔から滴る酒を認識してようやく感情が追いついた。手に持っていたライターをあらん限りの力で地面に投げつけ、叫ぶ。

 

「こ、ン、の、ドチクショウがァァァアアアアアアッ!!」

 

 バオの怒りが遂に頂点に達した。ショットガンを握ったまま小刻みに震え、目の前の棚を二、三度蹴飛ばし、ベトナム語で悪態をひとしきり叫ぶ。

 そして叫ぶだけ叫んだ後に、植物のように萎びてしまった。

 

「修理費は合計で五万ドルと少し、それに服のクリーニング代ってとこか……」

 

 俯いた顔から洩れる声はどこまでも哀れを誘うものであり。

 ミハイルは、バオの肩をそっと叩いた。

 




いつもの。解説の皮を被った謎コーナー。


安定と安心のロアナプラクオリティ
=CNNのイヴニング・ニュースに出てなくても2chには出てそう。テンプレもあるだろうなぁ。

ヴラフ人
=ルーマニア人はここに分類される。スラヴ人だとか思っててごめんなさい。

八九年のサンデーサイレンス
=文字通り、89年のケンタッキーダービー優勝馬。バオは競馬好きそうだなーと思って。バオはこのレースで当たりを引いて大喜びした(という創作エピソード)。

シン・ハー
=タイのビール。飲んだことないので味は不明。知りたい人はググって、どうぞ

フン族の大侵攻
=ユーラシア大陸史上最強最悪の呼び声も高い蛮族。今の民族分布は大体こいつらのせい。

フルメタルジャケット弾
=貫通力が高いけど殺傷力は弱い弾。詳しくはwikipedia先生に。

ARVN
=少年兵が問題になった軍、とだけ言えば十分かな。詳しくはwikipe(以下略)。


モンティ・パイソン
=超高学歴のコメディアン集団。イギリスに隠れ住むナチの話が好き。

50キャリバー
=弾の種類。これに耐えられる防壁を破りたいなら、携行火器に限定すればアンチマテリアルライフル持ってくるしかないだろう。

大鉈
=ジェイソンのより少し短いイメージ。最初はひぐらしイメージだったが武器としてあまりに貧弱な気がした。

Open Sesami
=日本における英語版はアーカードの旦那のほうが有名になってしまった気がする。ひらけゴマ、なら本来の意味で通じるだろう。

修理費は合計で五万ドルと少し
=アニメを参照。もっといってそうな気もするけどバオが可哀想なのでこのへんで。





なんか話の区切りをどう終わらせるか悩まされた。
ミハイルはブレンからの依頼でもない限りイエロー・フラッグから離れないわけで、そういう意味で原作エピソードの途中から途中までしか存在できない。よって切り方に悩む。
あと双子出せなかった。誠に申し訳ございません。(ここ最重要)

とりあえずバオに肩ポンは定番になる予感。

感想によっては話の切り方を変えるかもしれないので遠慮なくどうぞ。

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