私の脳内選択肢が、織斑一夏への制裁を全力で邪魔している 作:シモネタスキー
人生とは選択の連続であると、よく言われる。
生きていく中で、人間はいくつもの分岐点に遭遇する。その度に進む道を選び、結果としてそれが未来そのものを左右することになる、らしい。
実際、その通りなのだろう。
私も、これまでの人生で様々な選択を行ってきた。結果を残せと命じられればトップを目指すことを選び、挫折を味わえば這い上がることを選んだ。
今の私の存在を形作ったのは、紛れもない私自身の選択によるものなのだ。
そんな自負があった。プライドがあった。
――だが、当時の私はまだ理解していなかった。
選択という言葉が持つ、本当の重みを。
それを知ることになるのは、異国の地、日本にて。
すべては、あの瞬間から始まったのだ。
☆
「ラウラ・ボーデヴィッヒだ」
IS学園1年1組の教室。その教壇で、私は自らの名を名乗っていた。
日本に存在するこの学園は、国籍を問わずIS関連の職業に就く人間を養成する機関である。年度開始は4月だが、私も6月初め、つまり今日から在籍することになっている。
「………」
席に着いている連中からの視線が集中しているが、これ以上語ることなど何もない。私の隣にいるもうひとりの転入生は耳触りのよさそうな自己紹介をしていたが、私に同じことを期待しても無駄だというものだ。
馴れ合いなど、もとより必要ない。
「以上だ」
教室中をぐるりと見渡す。
少し離れたところに、無言で私を見つめる教官――織斑千冬教諭の姿がある。この場で唯一尊敬できる人物、私の憧れだ。
私の隣には、フランス出身の転入生が苦笑を浮かべて立っている。同時に転入する人間がいるとは聞いていたが、男だとは予想外だった。ただ、私にはさして関係のないことだ。
私が探しているのは、こいつではないもうひとりの男。教室内のどこかの席にいるはずなのだが――
「っ!」
見つけた。中央の最前列、教卓に最も近い席。近すぎて今まで視界に入っていなかったが、そいつは間の抜けた顔でこちらに視線をやっていた。
目標が確認できれば、次の行動はすでに決まっている。
教壇から降りた私は、奴――織斑一夏の目の前まで移動した。
「?」
私の行動が理解できないのか、織斑一夏は困惑した表情を浮かべる。
貴様が私のことを知らなくても、私は貴様のことをよく知っている。
教官の輝かしい経歴に泥を塗った、忌むべき存在。奴があの人の弟だなどと、私は決して認めない。
その意思表示として、まずは一発平手打ちでも。
――そう考えた、直後のことだった。
【選べ】
どこからか、高圧的な男の声が聞こえた。
「………?」
「あの、俺に何か用?」
違う、織斑の声ではない。もっと低く、有無を言わさぬ奇妙な力強さを持った声だった。
【選べ】
また聞こえた。思わず周囲を見るも、誰ひとりとして特殊な反応をしている者はいない。
この脳に直接響いてくるような声は、私にしか聞こえないというのか。
突然の事態に冷静さを失いそうになった矢先、今度は声が文字という形を作って脳内に浮かんできた。
【選べ ①私のおっぱい揉んでくれおっぱい ②お前のおっぱい揉ませてくれおっぱい】
「なっ……」
な ん だ こ れ は。
いったい何がどうなっているのか理解不能だが、こんな2択をはいそうですかと選べるわけがないだろう!
あまりに馬鹿げた文字の羅列に、私は無視を決め込もうと――
「つっ……!?」
突如として襲いかかる激しい頭痛。あまりの痛みによろめきそうになってしまった。
【選べ】
気づけば、黒板に書かれた文字もふざけた2択に変わっている。
【選べ】
掲示板に貼られた紙に書かれた文字も、織斑の机の上に置かれた教科書に載っている文字も。
ありとあらゆる文字がすべて、同じ文章に置き換わってしまっていた。
「く……何が、起きて」
「お、おい大丈夫か?」
「っ! ち、近寄るな!」
織斑の声をはねのける。誰が貴様の助けなど受けるものか。
しかし、頭痛は全く収まる気配を見せない。それどころか、時間が経つとともに痛みが増している始末。
……まるで、私に選択しろと強要しているかのように。
【選べ ①私のおっぱい揉んでくれおっぱい ②お前のおっぱい揉ませてくれおっぱい】
選べと言うのか、この頭の悪いこと極まりない言葉のどちらかを。
「………」
だが、他に頭痛を止める方法が思いつかない。痛みで思考能力が低下していることは自覚しているが、だからといってどうにかできるわけでもないのだ。
……いいではないか。言葉を口にするだけでこの苦しみから解放されるなら。
「お」
「お?」
「お、お前のおっぱい揉ませてくれ、おっぱい……」
藁にもすがる思いで、セリフを口からひねり出した。
その瞬間、今までの激痛が嘘のように消え去った。私の推測は正しかったのだ。
「ふう……」
肩の力が抜ける。これほどの解放感を味わったのは、正直初めてかもしれん。
意図せずに、安堵のため息をこぼしてしまうほどだ。
ただ。
「え、あの……はい? お、俺の?」
「おっぱいって……えぇ……?」
「開口一番すごいのが来たね~」
当惑する織斑。ざわめく他の生徒達。
今この時をもって、私のクラスにおける評判がおそらく間違った形で固定されてしまった。
……まあ、他人の評価など気にしないから、どうでもいいといえばいいのかもしれないが。
☆
授業終わりの休み時間。
1年1組の生徒達は、大きく2つの集団に分かれていた。
片方は、彗星のように現れたブロンドの貴公子、シャルル・デュノアに興味津々なグループ。織斑一夏に続く、世界で2番目のISを動かせる希少な男子なのだから、注目を集めるのは当然と言える。
ところが今回、クラスの半分はもうひとつの勢力――ラウラ・ボーデヴィッヒが気になる組に属している。ここがIS学園である以上、通常ならば女子の転校生より男子の転校生の方が人気になるはずにもかかわらずだ。
「ねえねえ、さっきからずっと思い詰めた表情で腕組んでるんだけど」
「何考えてるのかな」
「ギャップが大きすぎてキャラがつかめないよねー」
理由はもちろん、彼女が自己紹介の際にぶちかました例のセリフにある。いったい何をどう思って男の一夏の胸を揉もうとしたのか。
「すぐに『今の言葉は忘れろ』って言ってたし、やっぱり冗談? ウィットに富んだジョークだったのかな」
「でも、冗談にしてはすっごい迫真の表情だったよ?」
「転入早々披露したジョークだったとしても、そんなことする人が今現在近寄るなオーラを出してるのも変な話ね」
先ほどの言動と、今のラウラの態度が、どうにもかみ合わない。
そのことが不思議で不気味なために、彼女達はこうして集まって話し合っているのである。
「というわけでセシリア、行っておいで!」
「ふえっ? ど、どうしてわたくしですの?」
「だってセシリア代表候補生だし」
「私達の代表として話しかけてきてよ」
女生徒の固まりから押し出されそうになっているのは、金髪ゆるふわロールが特徴的な少女、セシリア・オルコットである。
「代表候補生であることは関係ないでしょう。代表ならそれこそ、委員長の鷹月さんにでも」
「でもセシリアはほら、貴族でしょ?」
「貴族ならいろんな人とコミュニケーションとれるようにならないと。上に立つ者として」
「……それは確かにそうかもしれませんけれど」
「大丈夫、君ならできる。なぜなら高貴な貴族のお嬢様だから!」
「そ、そうでしょうか……そこまで言われては、仕方ありませんわね」
ちなみに彼女、意外とちょろい部分があると評判である。今回もクラスメイト達にいい感じにヨイショされた結果、結構乗り気でラウラのもとへ向かうことになった。
☆
他人とのコミュニケーションを取るに足らないものだと考える私といえど、教室中から向けられる好奇の視線にはさすがに辟易気味だった。
これが私自身の意思から生まれた行動の結果であれば、どれだけ非難されようが気にしないのだが……わけのわからない選択肢に強要された行為が原因というのが、どうにも腑に落ちない。
「こほん。ごきげんよう、ボーデヴィッヒさん」
「……なんの用だ」
そんな折、着席していた私に声をかけてくる女がひとり。どこぞの貴族のような雰囲気を纏った西洋人である。
「はじめまして。わたくし、セシリア・オルコットと申しますの。イギリスの代表候補生ですわ」
「……それで? 用件は自己紹介だけか」
「それでって……自分で言うのもなんですが、代表候補生ですのよ? もう少し何か反応があっても」
「反応? なんだ、欲しいのは称賛か、それとも羨望の眼差しか? 残念ながら私に期待しても無駄だ。貴様と同じ代表候補生である以上、羨む要素などひとつもありはしない」
私は基本的に他人との会話は最小限に収めるのだが、朝からの出来事でイライラしていたからか、今は若干饒舌な返しを行っていた。
こいつを言い負かしてでもやれば、少しはこの陰鬱な気分も晴れるかもしれない。
「あなたもそうだったのですか。自己紹介は名前だけでしたが、響きから言って出身はドイツあたりですわよね」
「そうだな。私はドイツの出身だ」
「代表候補生同士、お役に立てることもあると思いますの。よろしければ、今後も仲良くしていただけませんこと?」
ふん、仲良くときたか。……くだらない。
「断る。私は異国の人間と馴れ合うためにここに来たのではない。そこをはき違えてもらっては困る」
悪意をこめて発した言葉に、オルコットの顔がわずかに歪む。私が挑発していることに気づいたのだろう。それでいい、私の嗜虐心を満たすための手伝いをしてもらうことにしよう。
「では、あなたはいったいなんのためにここにいらしたのでしょうか」
「ククッ。なんのため、だと? 私は――」
【選べ ①皆様の愛玩道具になりに来たのです、と言いながらおもむろに脱衣 ②セシリア・オルコットの頬にそっと触れ、君達を一人残らず私の虜にしに来たのだよ、と悩殺ボイス】
おい、またか……!
人が大事な話をしようとしたところで、なぜ脳内にこんな選択肢が出てくるのだ。しかもさっきより内容が長いうえにふざけているではないかっ。
「ボーデヴィッヒさん? どうかしましたの?」
「いや、なんでも……っ!?」
ぐっ……やはり選ばなければ収まることのない頭痛が襲ってくるのも同じか。
理由は不明だが、今はこの状況を受け入れるほかない。
ではどちらを選ぶかというと、①はない。急場しのぎの策とはいえ、自らを愛玩道具などと呼ぶのは私のプライドが許さないからだ。
悩殺ボイスとやらをどう出せばいいのかわからんが、試すなら②だ。
「すごい汗ですわよ。具合が悪いのなら保健室に」
顔を近づけてきたオルコットに対し、私は立ち上がると同時に奴の頬に左手を当てた。
そして、できる限り、女を口説くような調子の声を出してみる。
「私は、君達をひとり残らず私の虜にしに来たのだよ?」
最後が微妙に疑問形になってしまったが、それを言い切ると再び頭痛は跡形もなく消え去った。ここまで来れば、選択肢と頭痛が連動していることを否定する必要はないだろう。
「は、はぇっ!? と、ととりこ? わたくし、その……ごめんなさいですわー!」
赤面したオルコットは、頭を下げるやいなや全速力で私のもとを離れていった。完全に真に受けてしまったらしい。
「い、一気に学園全体にターゲットが広がったよ!?」
「標的は織斑くんだけじゃなかったんだ。性別関係なくイケるクチなんでしょ」
「やばいよやばいよ。なんか目つきが必死だったし、冗談に見えないわよ? 私もやられちゃうの?」
そして、有象無象からの好奇の視線はさらに強さを増してしまった。
……憂鬱だ。これほど深いため息をつくなど、いつ以来だろうか。
今頭が痛いのは、選択肢のせいではないのだろうな……。
☆
「なぜこんなことに……」
昼休憩に入るも、気が滅入って食欲が出ない。なので資料室のパソコンで軽く検索をかけてみた。
が、当然ながら脳内に選択肢が現れるなどという奇妙な症状について述べているサイトなど見当たるはずもない。結局収穫のないまま資料室を出て、現在は教室に戻る途中である。
「ボーデヴィッヒ」
廊下で名を呼ばれ、私は足を止める。他の者に声をかけられたのなら無視するつもりだったのだが、この人に関しては別だ。
「教官」
「教官ではなく織斑先生だ。朝も言っただろう」
「失礼しました、織斑先生」
気持ちのこもった敬礼で応える。
教官と会うのは1年ぶりだが、以前と変わらぬ凛々しさに見惚れてしまいそうになる。やはりこの人は、私が理想とする、目標とすべき方に違いない。
「時間があるなら職員室まで来い。少し話がある」
「はい」
断る理由はないので、教官の後に続いて職員室に足を踏み入れる。
自らの席に腰を下ろした教官は、私に向かってやや真剣な面持ちでこう尋ねてこられた。
「何かあったのか」
「何か、とおっしゃいますと」
「私の知るラウラ・ボーデヴィッヒは、転入初日から過激なジョークを飛ばすタイプの人間ではない。加えて、どこか無理をしている様子もある」
一緒に過ごした時間が長い教官には、さすがに異常を勘付かれてしまったか。普段の私を見たことのある人間ならば、違和感を感じて当然だからな。
「いえ、その……」
だが、こんなわけのわからない症状について素直に説明したところで、果たして信じてもらえるのだろうか。からかっているように聞こえて、怒りを買ってしまうことも十分ありうる。
だからどうしても、話すことをためらってしまう。
「これでもお前とは長い付き合いだからな。心配なんだ」
私の様子を見かねたのか、教官が優しさを含んだ声で語りかけてくる。
ああ……そんな風に言われてしまうと、甘えてしまわざるをえなくなるではないですか。
「実は」
教官に頼ることを決めた私は、朝から今までに体験したことをひとつ残らず語ろうと――
「………っ!?」
瞬間、例の激しい頭痛が予兆なく襲いかかってくる。しかもどういうわけか、口がうまく動かないというおまけまで付いて来た。
まさか、私が選択肢について語るのを禁ずるつもりなのか……?
「どうした」
「……いえ。なんでも、ありません」
白状する意思をなくした途端、ふっと痛みが消え去る。規制がかけられているのは間違いないらしい。
「その、ですね。今日は久しぶりに教官、いえ織斑先生にお会いできたことで舞い上がってしまいまして。妙な言動をしたのは、それが原因です」
「………」
苦し紛れの言い訳に、教官は疑いの眼差しを向ける。生半可な嘘では通用しないことは十分承知しているのだが、形だけでも何か言っておく必要があると判断した。
「私はただ……」
【選べ ①先生を見ていると、お股がジンジンするんです ②先生を見ていると、股間がじゅんじゅんするんです】
「ほぼ同じではないか!?」
「な、なんだ突然叫び出して」
「あ、いえ、申し訳ありません」
待て、やめろ。
他の連中に対してならともかく、教官に対してだけは絶対に言いたくない。私の大切な物がいろいろと崩れ落ちてしまうという確信がある!
「あづっ……!」
逃れられない頭痛。なんとか耐えて見せようとするも、私が抗う姿勢を見せるにつれて痛みも強くなってくる。
だが、これは私の矜持の問題だ。必ず耐えてみせる。
「おい、本当に大丈夫か。体調が悪いのか、それとも他に何かあったのか」
私の様子を見た教官は、非常に珍しいことに感情を乱しているようだった。私のような者を、心から気にかけてくれている。
「ああ……」
……駄目だ。私が苦しむだけなら一向にかまわないが、これ以上この人にこんな顔をさせるわけにはいかない。
ならば、どうするべきか。
息を吸って、覚悟を決める。
「せ、先生を見ていると……股間がじゅんじゅんするんです!」
決意のもとに言葉をくり出したせいか、思った以上に大きな声を出してしまった。
目の前の教官だけでなく、職員室にいる教員全員が一斉に硬直する。
「なっ……!?」
「し、失礼します!」
驚愕に目を見開く教官の視線に耐えられなくなり、私は一言残して速やかに退室したのだった。
☆
ラウラと入れ違いになる形で職員室に入った山田真耶は、部屋中の空気がどこかおかしなことに気づいた。
「織斑先生、何かあったんですか?」
「……山田先生。ひとつ、聞きたいことがあるのだが」
「はい?」
「教え子から情熱的な告白を受けた場合、先生はどうすればいい?」
「……はい?」
呆然とした表情で尋ねてくる千冬の姿に、真耶は混乱するばかりであった。
☆
「はあ……」
夕刻。
与えられた寮の部屋に戻った私は、深く深く、かつ大きなため息をついた。あまりにも精神的な疲労が蓄積したために、ため息のひとつでもつかなければやってられなかったのである。
「精神病にでもかかったとでもいうのか、私は」
ベッドの上に寝転がり、浮かんできた考えをひとりつぶやく。
ありえないと否定したくなるが、幻覚が見えたり幻聴が聞こえたり、決まったタイミングで頭痛が襲いかかってくる以上、その可能性を頭ごなしに排除することはできない。
軍人として多少の人体改造を受けている私は、身体的な病にはかなり強いはず。しかし、心の問題となれば話は別、なのだろうか。
「それにしても、唐突すぎる」
最近ストレスが溜まるような出来事を経験した覚えはない。幻覚や幻聴の類も、記憶の中には一切ない。
だというのに、今日あの瞬間、突然強烈な症状が現れた。
「わからん」
考えれば考えるほど、理解不能。
いったい私の身に、何か起きたのか――答えの見えない問いに、迷い込みそうになった時のことだった。
「……電話か」
充電器に差していた、飾り気のない携帯電話が震えている。こちらは私用で使う代物なので、部下からの連絡といった類のものではないはずだ。
ゆえに、この携帯が着信を告げる機会は非常に少ない。何度も言うようだが、私は他人との無駄なコミュニケーションを好まないからだ。
さて、誰からの電話なのか。
「………」
画面を確認した私は、そのまましばらく硬直してしまっていた。
登録した覚えのない名が、通知に示されている。
しかも、その名前が。
「……神、だと?」
いい加減、混乱続きで頭がどうかしてしまいそうだ。
プロットはあるけれど、細かい部分はほとんど勢いとノリだけで書いています。R-15は不安なのでとりあえずつけておきました。
多分そんなに長く続きませんが、よろしくお願いします。