いくつか木をへし折り、一回り大きな木に激突したことによって雪華綺晶はようやく停止できた。彼女を象徴する純白のドレスは所々擦り切れ、幾度か地面に叩きつけられたせいもあって泥まみれになっていた。
個人的には綺麗な少女が泥だらけの傷だらけになるのは凄く唆るので有りだと思う(リョナラー並感)
彼女は身体を震わせながらなんとか立ち上がると、自身の身体を隅々まで確認した。肌の損傷はほとんどないが、それでも汚れてしまっている。片方だけの瞳を悲しく歪ませると呟く。
「痛いわ……お姉様……ドレスもこんなに汚れて……」
どこまでも少女らしい言葉で今の自分の心中を表す。そんな彼女の前に立ちはだかるのはローゼンメイデン第5ドールの真紅。清廉で高貴な彼女は、薔薇による変化後もそのイメージを崩さず、凛々しくも誇り高い面持ちでそこに佇んでいた。その碧い瞳に末妹を写して。
真紅は諭す。
「もうやめなさい、雪華綺晶」
その言葉に、雪華綺晶はおろか背後で回復中の水銀燈と雛苺までもが彼女を仰ぎ見た。
「貴女は大事な事を忘れているのだわ」
「大事な、こと?」
ええ、と。
「マスターを愛しているのは痛い程に分かる。でもね、だからといって貴女が身を汚すことはない。今貴女がしようとしている事は、その汚れない魂までをも闇に貶める最低の行為よ。たとえ事を成し遂げてマスターと結ばれても、それは人間ではない。悪魔、そのもの」
真紅は続ける。
「貴女は悪魔になる必要はないの。貴女は誇り高きローゼンメイデンでしょう?そう、私達はお人形。いくら大きくなっても、そこは変わらない。なら、そこで最大限マスターに愛して貰えばいい。今の貴女はただの道具で、悪意のある愛を互いに押し付けあっているに過ぎないのだから」
ああ、そうか。と。雛苺はとうとう分かってしまった。真紅は騒動の後にジュンの下へ戻ってきた。だけどそれは、人間として愛する事を選んだのではない。人形として生きる事を選び、それでも愛して欲しいだけだった。雛苺は、また裏切られた気分になったが……それでもまだ、真紅を尊敬している。きっと結論を出すまでにとてつもなく苦しんだのだろうから。
それを聞いていた雪華綺晶は、しばらく虚ろな瞳で真紅を見上げた。
「地獄まで」
「え?」
唐突に出た言葉に、聞き返さずにはいられなかった。
「地獄まで一緒だって、言ったの。どんなことがあっても、死んでも、いつでも一緒だって。そのためなら悪魔になることだって構わない。だってそれが、私達の愛なんだから。ねぇお姉様、知ってる?一番タチが悪いのは、自分が正義と思い込んでる人なんだって」
思わず口を閉ざしてしまった。その間に水銀燈はいつでも真紅を守れるように翼を展開しようとする。真紅は、ある意味純粋で乙女な人形なのだ。そんな、決意のある悪意を聞かされてまともでいられるほど強くない。
「私は悪魔。マスターは魔王。なら、それでいいじゃない。堕ちるところまで落ちて、最期も一緒。うふ、うふふ。ああマスター、魂になっても一緒よぉ」
一つ、真紅が雪華綺晶に対して見誤った事があるとすれば。それは、もう雪華綺晶という魂は既にジャンクだという事だった。それも救いようがないほどに。それを彼女も理解して、今に至っているというのに。
雪華綺晶が天に両手を広げる。狂気に満ちた笑みを月に向け、狂笑を大きく響き渡らせる。
「ねえ見て!私今こんなに輝いてるっ!昔はこんな事なかった!nのフィールドにいた時も、お父様の薔薇園に一人いた時も!でも今は違うッ!私は身体を持って、輝いているのッ!!!!!!もうすぐ、もうすぐなのよッ!有機の身体が手に入るッ!私はアリスを超えるのッ!私とマスターの力でッ!至高の少女になれるのよッ!」
その姿に、長く一緒に暮らしていた水銀燈は鼻で笑った。
「ハッ、どう真紅?ようやくわかったかしらぁ?あれが末妹なの。言葉は通じない。なら壊すしか私達に未来は無いのよ」
「っ……こうも人形が、あそこまで禍々しくなれるの?」
「なれるよ、真紅。少なくとも、私はそうだった」
雛苺が肯定する。知っていたのに目を逸らしていたのは自分だろう。
雪華綺晶が宙に浮き出す。同時に彼女は叫んだ。
「私とマスターの愛を邪魔する奴は殺すのッ!だってそれが私たちの愛を証明する近道なんだからッ!ねぇ賢太さん!?」
唐突に呼ばれた名前に真紅は凍りついた。なぜ今まで忘れていたのだろう。あれだけ自分の面倒を見てくれた、自分を化け物と嘲笑っていたあの心優しき少年は、あの本当の意味で怪物のマスターにゾッコンだったではないか。
声が聞こえる。猫の、大きな鳴き声が。闇夜を照らす月光を覆いかぶさるように、その影が見える。
御門賢太。一度死んだはずの少年。彼は少女に呼ばれて今、舞い降りた。その身を化け猫に変え、友に牙を向けんとし。
「真紅。僕は僕の道を往く」
そうして対峙する。狂いに狂った少女と男の娘のタッグと。真紅は自分の愛を成し遂げるために、妹と友に刃を向けるしかなかった。
耳鳴りが酷い。爆風に吹き飛ばされたせいで身体も痛むが、幸いな事に破片による怪我は無いようだった。隆博は自分の代わりにお釈迦になったライフルに感謝をしつつ(お気に入りのライフルだったからメチャクチャガッカリもしたが)、ホルスターから拳銃を抜いて立ち上がる。
持ち込んだナイトビジョンは対物レンズが割れて使い物にならなくなっていた。仕方無しに、拳銃にマウントされたライトで周辺を照らす。
「クソ、どこだ……?」
一緒に吹き飛んだ友が居ない。自分のではない血痕はあるが、すぐに止血したのかどこかへ続いている訳でもなかった。そうこうしているうちに、草むらで物音がする。そちらに銃を向ければ、両手を挙げた礼がいた。
「そういやお前もいたんか」
隆博が銃を降ろすと、礼は両手を下げる。彼の手にはしっかりと拳銃とナイフが握られていた。
「兄貴は?爆発があったようだが」
「わからねぇ、俺も失神してた。爆発があったのはいつだ?」
「今だ。俺が奴を追っていたらあんたと戦闘し出しただろ。それで爆発があって、やってきたらあんたしかいなかった」
言いながら、礼は血痕を調べる。
「少なくとも無傷じゃないようだが」
「あいつのことだ、もう回復してるんじゃないか?」
その問いに、礼は首を横に振った。
「今水銀燈が雪華綺晶と戦ってる。おそらく殆どのパワーをそっちにつぎ込んでるはずだ、全身の怪我をすぐに治せるほどのソースはあいつには割いてないだろう」
「そりゃお前もだろ礼くん、水銀燈に生命力を与えてるんだろ?」
まぁな、と彼は否定しなかった。心なしか疲れているようにも見える。詰まる所、この兄弟は似た者同士という事だろう。だがしかし、そうとなれば奴はどこに行ったのだろうか。まさか。
「あいつ、俺たちをスルーして!」
「だろうな。奴らしくも無い……行くぞ、着いてこれないなら置いていく」
「俺年上やぞ」
二人は夜の森を駆ける。行き先は決まっていた。
みっちゃんは近くでの爆音を聞いて、もうここが長く無い事を悟った。それでも自分の愛する人を待ち続けるのは彼女の義務だと自分に言い聞かせて、ただ待ち続ける。
しかし、同じく愛する人を共にする蒼星石は考えが違うようだった。彼女は大人化したままドールドレスに着替えると、手に持てるだけの荷物を裏口に置いてみっちゃんに言う。
「ここを離れよう」
ギョッとしてしまった。まさか彼女が隆博を置いていくなんて言うとは思っていなかったからだ。隣で金糸雀も目をまん丸に見開いている。
「ちょっと!隆博くんを置いていくの!?」
「彼はまだ生きてる。契約が切れていないからね……それよりも、僕たちの目的は琉希ちゃんを生かす事だ。そのために僕たちは来たんだから」
それはそうだけど、と口淀む。
「カナも、そうした方がいいと思うかしら」
次第には金糸雀も蒼星石に同意し出した。多数決では負けているが、残りたいと言う気持ちはまだ負けていない……が。確かに彼女の言う通りなのだろう。
「それに、郁葉くんの目的は琉希ちゃんだけだ。数でも地理でも圧倒的に負けてる彼に、隆博くんを殺すメリットはあまり無い……なら、今は生き延びて、後で彼と合流したほうがいい」
みっちゃんは決断を迫られていた。そうしてようやく、彼女は頷く。
「分かった。そうしましょう」
決断してしまえば行動は早い。彼女達は一目散に撤収を始める。持てるだけの荷物をまとめ、車に載せるだけ。
あとはあのワガママ娘をその気にさせれば逃げられる。
「みっちゃん、琉希はどうするかしら?」
「とりあえず、車のエンジンを掛けに行くわ。そこから皆んなで引きずり出しましょう」
段々と手段を選ばなくなってきたみっちゃんに意を唱える者はいなかった。そうしてみっちゃんは裏口の扉に手をかけようとして。
扉が突然爆発した。爆発の寸前に何かに気がついた蒼星石が彼女を引き下げていなかったら今頃爆風で死んでいたに違いなかったろう。
木製の扉ごと吹き飛ばした爆発で脳震盪が起きる。蒼星石と吹き飛ばされたみっちゃんは、空いた裏口から何かが投げ込まれるのを見た。
「みっちゃ」
刹那、破裂音と閃光。真っ白に歪んだ視界と音で塞がれた耳では何も確認できなくなった、が。
肩に鋭い痛みが走った。それが撃たれた物による痛みであるということは、なぜだか簡単に理解できてしまった。視界と耳が元に戻る頃には、自分の右肩に小さな穴が空いて出血しているのが見えてしまった。
「うぐっ」
自分の下敷きになっている蒼星石に構っていられるわけでもない。みっちゃんは痛みに涙を浮かべたが、目の前で自分たちを見下ろす男を見てそれすらも忘れた。
ボロボロになった、まるで亡霊のような悪魔……河原郁葉が、そこにはいたのだ。
「みっちゃんッ!」
「動くな金糸雀」
攻撃しようとした金糸雀を、郁葉が止めた。彼の手には拳銃が握られていて、銃口はしっかりとみっちゃんとその下敷きになっている蒼星石へと向いている。大きな.45口径の銃口だ、その威圧感はとてつもなかった。
全身血塗れで、立っているのもやっとな郁葉はそれでも冷酷な目付きと声色で金糸雀に命令した。
「琉希ちゃんを連れてきてくれないか」
お願いではない。確実に、これは命令だ。
「じゃねぇとこの二人を殺す」
彼にはそれを簡単にやってのける覚悟がある。だから、金糸雀は従うしかない。彼女は頷くと、そっと二階へ通じる階段を登る。もうどうしようも無かった。
「……隆博くんは?」
みっちゃんが尋ねると、郁葉は少しばかり呆けたように答える。
「普通に生きてる。あいつの力量は誰よりも知ってたのに、見誤った」
後悔にも賞賛にも聞こえる言葉で、そう言う。それで少しだけみっちゃんはホッとした。耳元で、下敷きになっていた蒼星石が意識を取り戻したようで唸り声をあげている。
その時だった。
「銃を捨てろッ!」
玄関方向から、まだ幼い少年の声が響いた。見ずとも分かる、ジュンくんの声だった。彼はライフルを背負って、拳銃を郁葉に向けていた。郁葉は特にリアクションを取らず、ただ視線を彼に向けるのみ。
「ジュンくんか。礼と組んで俺を殺しにきたのかい、えぇ?」
そう皮肉っぽく笑うと、ジュンくんは姿勢を崩さずに言った。
「違う!僕は止めに来ただけだ!」
「なら殺せよ、止めるって事はそう言う事だぜ」
空いた左手で自身の頭を指差す。左手は、よく見れば小指が千切れ飛んでいた。
「胸はダメだ、プレートがある。レベルⅣだからそのキンバーじゃ貫けない。俺が即死しなけりゃみっちゃんと蒼星石を殺す。彼女もソフトアーマーを着てるけど、柔らかい喉元を撃てば貫通して下の蒼星石も死ぬ。もちろんみっちゃんも頚動脈を損傷して死ぬだろう。ほら、頭を狙え。.45ACPなら即死させられるぞ」
明らかに彼を試していた。まだ中学生の少年に、自分を殺せと言うのだ。みっちゃんはコソッと、彼に気がつかれないように左手で腰に潜ませた護身用のポケットピストルを抜こうとする、が。
「ズルは良くないなぁ」
「あうっ!」
郁葉はみっちゃんの左手を踏んづけるとそれを阻止した。感が良いにも程がある。
「やめろッ!」
「なら早く殺せクソガキッ!」
もうどうにもならない。その時、金糸雀が階段から降りてくる。その後ろには、やはりと言うべきか琉希もいて。だが何か違和感があるのをみっちゃんは感じた。郁葉やジュンくんでは感じ取れない違和感……そう、あのヒステリックさが微塵も無い。覚悟を決めたかのように、彼女の顔は引き締まっている。
琉希は階段から降りると、まだ拳銃を向けているジュンくんを手で制した。
「これは私の問題ですから」
「でも」
それでも銃を向けるジュンくんを、彼女は投げ飛ばす。ご丁寧に拳銃を奪って。地面に叩きつけられたジュンくんには理解が追いついていなかった。
「なんで……」
「返します」
マガジンを外し、薬室から弾薬を抜くと拳銃をジュンくんに投げ渡した。それから琉希は郁葉と対峙する。
「随分素直じゃないか」
「ええ。覚悟はしていましたから」
「ならいい。さぁこっちに……苦しませないようにするから」
何かがおかしい。なぜ彼女は、部屋で外行き用のコートを着ているのだろうか。
琉希が近寄る。郁葉は銃口をみっちゃんから外さず、金髪の少女に歩み寄った。
「翠星石の下に行くんですよ、我々は」
「なに……?」
刹那、琉希ちゃんが郁葉に抱き着いた。突然の事で対応できなかった郁葉は、人外と化した彼女の腕を振りほどけない。おまけに銃を向けることもできないでいた。
「クソ、なんだッ!いててて!」
ミシミシと、満身創痍の身体を琉希は締め付ける。その時見てしまった。琉希の手には、なにかのスイッチが握られて……
「お互い、もう痛い思いは飽きたでしょう?」
「お前ッ!クソ!」
彼女がしようとしていた事に気がついた郁葉は頭突きをかます。思わず力が弱まったのか、郁葉は腕を振りほどいた。そのまま素早く彼女がスイッチを握る指を掴む。スイッチを押そうとしていた親指は、彼によって掴まれてしまった。
「中東の自爆テロかお前はッ!」
こんな状況でもツッコむ郁葉を他所に、琉希はフリーの左手でジャブをかます。郁葉はそれを最小限の動きで躱すと拳銃を持つ手で彼女の左手を押さえた。しかし格闘マスターである琉希の攻撃は収まらない。そのまま膝蹴りを郁葉にかますが……
「いっ……」
腹部を守るプレートに阻まれる。それを機に、郁葉は彼女を背負い投げして地面に叩きつけた。彼女の手からスイッチを取り上げると、郁葉は銃口を琉希に向ける。
「お前……ヒヤヒヤしたぞ」
そう言うと郁葉は足で乱暴にコートを脱がす。コートの下には、テープで爆薬がくくりつけられていた。もし起爆すれば、この建物ごと吹き飛んでいたに違いない。
「主途蘭め、悪知恵を吹き込んだな」
「返して!」
「嫌です」
暴れる琉希を無理やり押さえつけ、爆薬を無理やり剥がした……その時。裏口から何かの破片が飛んできた。それはプレートに守られていない郁葉の脇腹に突き刺さる。
「おごっ!?」
郁葉が吐血した。深く突き刺さったのだろう、肺に達していてもおかしくない。それでも郁葉は裏口に拳銃を向けて引き金を引いた。
だが、
ドス、ドスッと、暗闇から飛んでくる破片は郁葉の身体に突き刺さっていく。その破片は紫の水晶にも見えた。同時にジュン君が動く。彼は新しい弾倉を拳銃に入れると、スライドを引いて装填。そのまま郁葉に向けて数発撃った。
二発。プレートに守られた胸に弾丸がめり込む。いくら防弾プレートをしていても、衝撃は殺せない。郁葉が大きくよろけると、今度はみっちゃんが彼を思い切り突き飛ばした。
「この……」
息も絶え絶えな郁葉は、そのまま倒れ込んで動かなくなった。ただ目には闘志を宿し、皆を睨んでいる。
「もう、お終いだ郁葉くん」
裏口から声が聞こえる。やってきたのは、あの人形屋を営む青年である槐とその娘、薔薇水晶だった。彼の手には大型のリボルバーが握られていて、娘の手には水晶の剣が。彼もまた、ジュン君たちと手を組んだのだ。
ジュン君はまだ拳銃を彼に向けたまま、悲しそうに言う。
「どうして待てなかったんですか?貴方は僕がしようとしていたことも知っていたはずだ。僕がマエストロになって、アリスを造ろうとしていたことを」
乱れる息の中、郁葉は笑う。
「それでも、男なら、どないに辛い、事も……背負わにゃいかんぞって……それ」
「一番言われてるから」
彼の言葉を紡ぐように、少しだけボロボロな隆博が言った。その後ろには礼もいる。ほぼ全員集合だ。まるでサスペンスの最後みたいだ。
隆博は複雑な表情で問う。
「満足したか?」
「いや……まだまだ(棒読み)ゲホッ。だからこんなんじゃ、商品になんねぇんだよ(棒読み)」
「死にかけても語録は言うのか(困惑)」
河原郁葉という人間は、そういうものだ。おふざけで生き、誰よりも深い闇を隠しながら銃を握る。そして時折、とんでもない事を仕出かす。そういう、哀れな人間なのだ。
「兄貴。これがお前と俺の差だよ」
礼が少しばかり勝ち誇ったように言う。
「ただ、気になることがまだある。お前まだ何か隠してるな?何をしようとしてる、言え」
礼が問い詰めると、郁葉は笑った。そして両手を上に上げる。
「桜は、散り際が綺麗なんだ」
怪文書めいた事を言い出す。
「俺も、雪華綺晶も。命を削ってる時が一番輝いてる。それが人間が持つ、本当の、輝きなんだ……そうだろう、同志」
そうだよ(便乗)人間はとんでもない事しかしないから飽きないゾ。
それから郁葉……同志は、手の中にあるスイッチを掲げた。それにいち早く反応したのは琉希だった。
「まさか……!」
「爆弾だッ!逃げろッ!」
ジュン君が叫ぶと同時に、同志がこれから行うショーに気がついて皆が一目散に建物から飛び出していく。それでも最後まで、具体的にはみっちゃんに手を引かれるまで隆博は出て行こうとしなかった。やはり友達というのは中々捨てがたいのでしょうなぁ。
それが、常というもの。どんな世界でも彼らは奇妙な縁で繋がっておりますから。
「ラプラス」
「ここに」
俺が同志の名を出せば、従順なウサギが一礼した。
「ここまでは、プランBだ……こんなボロボロにされるとは、ごほ、思ってなかったが」
そんな俺を、ラプラスの魔は笑った。嘲笑ではない、友人の冗談を笑うような、そんなものだ。
「まったくです。もっとやりようはあったでしょうに……BB劇場のひでですらもうちょっとマシな怪我で済みますな」
「そもそもあいつは死なねぇだろ。……じゃあ、また後でな。友よ」
「ええ。それでは。私も準備に移りましょう……随分と時間がかかりましたね」
俺は頷いた。だが、結果良ければ全て良し。琉希ちゃんは、まぁ歪んではいるが最後には強い意志で立ち向かった。アリスの身体に強い意志は必要不可欠だったからな。
俺は友を見送って、決断をする。スイッチを、押すのだ。
すまないな、雪華綺晶。君を騙すような事をして。だがこうでもしなければ奴は姿を現さない。それに勘のいい君の事だ、すぐに合流できるだろう。大丈夫、君がアリスになる日は近い。もうすぐだ、もうすぐ。礼の奴は相変わらず気づいていたっぽいが、もうこの件はあいつには関係無いし。水銀燈と仲良くやってくれや。
「あ、隆博。みっちゃんの腕撃ってごめん」
謝りながら笑って、俺はスイッチを押した。
この日、海沿いの森林地帯にある別荘の一つが、木っ端微塵に消え去った。こんな爆発オチ恥ずかしく無いの?
圧倒的だった。賢太が強い事は分かっていた。そして雪華綺晶も。だがこれは。三体のローゼンメイデンが全力を出して、攻撃一つ当てられないとは。
地にひれ伏した三人を、雪華綺晶は楽しげに見下す。ボロボロだった衣服などもはや無い。無尽蔵の力を得て、また復活したのだから当たり前だ。
「ね?これが愛。賢太さんもそうだけれど、愛のパワーは強いわねって、ALCもおっしゃってたじゃありませんか」
倒れ伏しながらも闘志を捨てていない真紅には言ってることがわからないが、バカにされているのだとは理解できた。
真紅は後ろを振り返る。雛苺は片腕だけで何とか上体を起こそうとしているが、もうほとんど力が入らないらしい。可愛らしい金髪のロールが所々焼け焦げている。
それよりも、長女である水銀燈が深刻だった。翼は片側がもぎ取られ、さっきからピクリとも動かない。だが死んでいる訳では無いようで、気絶しているだけのようだ。
分析している自分も、最早力など残っていないが。ジュン君に迷惑をかけまいと、ほとんど力の供給を絶っているのだから当たり前だ。二体もの強化されたローゼンメイデンに力を送り続ければ、あっという間に衰弱してしまう。今だって、彼は別働隊で戦っていると言うのに足は引っ張れない。
「万事休す……なのだわ」
言っている場合でないことはわかる。だが言わずにはいられない。でないとやってられない。
真紅は立ち上がると、半分に折れてしまったステッキを雪華綺晶と賢太に向けた。それを見て、人間状態に戻った賢太が悲しそうに呟く。
「真紅……もう、諦めないかな。僕としても背中を押してくれた友人を手にかけるのは辛いんだ」
「ならどこかに消えてもらえるかしら」
「それはできない」
「そう、軟弱者」
危機的状況だが、死ぬわけにはいかない。だから戦う。生きるということは、戦うことなのだ。それをやめるのは死ぬのと同義。
雪華綺晶は相変わらず電波な振る舞いで電波な物言いをする。
「桜は散り際が美しいの。お姉様方の散り際は、さぞかし美しいのでしょうね……え?」
そんな雪華綺晶に異変があった。急に取り乱すようにどこかを眺める。その方向が、今まさにジュン君たちが戦っている方角だということを理解するのには時間がかからなかった。
ジュンくんと真紅の契約は切れていない。切れていたら分かるし、この大人化もすぐに切れてしまうだろうから。そしてまだ大人化しているということは、水銀燈のマスターも死んでいないということだ。
「嘘。嘘よ、マスター」
異変が起こった。少しずつだが、雪華綺晶の身体が縮んでいく。それすらも意に介さず取り乱す雪華綺晶だったが、とうとう人形サイズへと戻ると、隣で困惑する賢太を他所に発狂し出す。
「あ、あ、あああああああああああッ!!!!!!」
刹那、白薔薇が彼女のアイホールから溢れた。それは賢太を弾き飛ばし、真紅たちをも飲み込もうとする。真紅は急いで二人を回収すると、雪華綺晶から距離を取る。
「貴女のマスター……死んだのね」
「イヤ!イヤよ!そんな、マスター!」
絶叫する雪華綺晶の身体が不吉に歪む。同時に、何かが白薔薇から溢れ出てきた。緑に光る浮遊物が、それらを真紅へと運んでくる……二体の人形の、ボディ。翠星石と主途蘭のだ。
スィドリームが解放されたのを機に、逃げ出してきたのだ。
「哀れね……悪魔に魂を売った結果がこれだと言うの……?全てを失って……それがお父様が造った私たちなの?」
白薔薇の制御は最早効かない。真紅たちがそこを離れた後も、薔薇は止めどなく溢れていた。
少女は帰る場所と、人を失ったのだ。一歩間違えれば真紅も……誰でもそうなるのだと、教えるように。
ちなみにまだまだ続くゾ