冬の陽は短い。子供が帰る時間になり、商店街が主婦で賑わう時間帯。俺もバイトが終わり帰路に着く頃になれば辺りは街灯と家々の光を残して真っ暗になっている。
今日はクリスマスイブ、金持ちだったりヒッピー混ざってたりする家庭の庭には近隣住民を顧みない煌びやかなイルミネーションが飾られており、目が痛い。そんな頭の悪そうな街中を、俺はお気に入りの曲をイヤホンで流しながらチャリ漕いで風をきる。
寒い。マジで寒い。予報では日付が変わる前にマイナス気温へと到達し、雪が降るという。小学生とか中学生くらいまでは雪なんて降っても楽しむだけだったが、いつからか雪は雨より質の悪い空からの妨害くらいにしか思わなくなった。それでもちょっとだけ楽しみなのは、そんな雪の中を雪華綺晶と歩けば彼女の美しさが尚更光るのではないかという、いつもの病気からくるもの。
カゴに載ったケーキの箱を揺らさないように俺はペダルを漕ぐのだ。
家に着けば、慌ただしい様子の雪華綺晶がエプロンを着けてリビングから顔を出す。ただいま、と声をかければ彼女は笑顔を作って早口で言った。
「おかえりなさいマスター、お風呂できてますから入ってくださいな」
「え〜俺きらきーと入り」
「入ってくださいね」
「ハイわかりました」
今は手が離せないらしい。雪華綺晶は余裕があれば俺に構ってくれるが、そうでないときはあんな風にあしらう傾向がある。俺はしょんぼりしながら靴を脱ぎ、とりあえずはケーキを手にしてリビングへと向かう。扉を開ければ案の定うちのドールズがせっせと料理を作ったりお皿を運んだりと忙しそうにしていた。そんな中でも録画したサッカー中継を見ている礼は流石だった。マイペース過ぎんだろ。
「ただいま」
「おかえり。ケーキか」
ちらっと目だけを俺の手荷物へと移す礼に、俺は頷いた。
「買ってきたよ、ホールのやつ」
「冷蔵庫入れとくから置いといて」
「風呂は?」
「入った」
それだけ会話して、俺はケーキをテーブルの上に置く。台所では俺と弟の嫁さんドールがわたわたしている。何を作っているのかと見てみれば、ローストビーフやらチキンやら、自分たちで調理していたらしい。今は盛り付けで忙しいようだった。
「あんたとっとと風呂入りなさい!あんたが出てきたらご飯にするんだから!」
クワワッと目力と共に水銀燈が命令してくる。俺は頷きながら上着を脱ぐと、思い出したように料理長で長女である水銀燈に言った。
「あ、賢太仕事入って今日来れないって」
「あんたそれ先言いなさいよッ!」
キレながらも盛り付けする水銀燈。この子ポンコツそうに見えて結構器用だよね。これ以上怒られても嫌なので風呂へと向かう。河原家のクリスマスも、他の家に負けず賑やかだった。
隆博も隆博で、それなりに賑やかなクリスマスを送っていた。良い関係にあるみっちゃんを自宅へと招待し、彼女と料理を作ってそれを食す。側から見ればカップルのクリスマスみたいだが、本人曰くまだ付き合ってないそうだ。はやくやっちゃえよ(直球)
ローゼンメイデンという共通の問題はまだお互い打ち明けていないらしく、彼らのドールは大人しくソファーの上に鎮座している。要はただのお人形さんだ。
それでもやはり金糸雀は蒼星石の存在にかなり驚いたようで、隣でおとなしく目を閉じている蒼星石にいつか攻撃されるんじゃないかとビクビクしている。まぁ蒼星石も昔と違ってアリスゲームよりも隆博LOVEだから手を出したりしないだろう。
クリスマスイブが特別なのはどの家庭でも同じである。例えば桜田家。いつものように賑やかなこの家でも、クリスマスツリーが出ていたり、料理が豪華だったりと変化があった。相変わらず両親はいないようだが、それでもこの家は巴ちゃんというギャラリーを加えてなお喧しい。
「わーいはなまるハンバーグ!」
はなまるハンバーグを目の前にすると一気に幼児退行する雛苺が騒ぐ。その横で巴ちゃんは学校で見せないような慈愛に満ちた笑顔でお上品にハンバーグを食す。
「雛苺、うるさいのだわ。レディたるもの……」
相変わらず真紅は説教くさいが、いつまでも押し切られる雛苺ではない。ボソッと彼女はやや成長した心を露わにして呟く。
「夜は真紅のがうるさいのに……」
「ぴぃッ!?」
真っ赤になって固まる真紅。そんなドールズを見てジュンくんはため息を吐くも、満更でもない様子だ。
「嬉しそうね、桜田くん」
巴ちゃんが対面のジュンくんに言う。
「ん?いや別に……うん、そうかもな。こんなに賑やかなクリスマス、うちじゃあり得なかったし」
親のように優しく微笑むジュンくん。成長したのは雛苺と真紅だけではない。彼もまた、大人の階段を一歩ずつ進んでいる。そんな同級生の、しかも惚れている男の大人びた一面を見て巴ちゃんは顔を赤く染める。のりちゃんはキッチンから二人の様子を見てただにこやかに笑っていた。
クリスマスは平和であるべきだ。年の最後くらい、好きな人たちと一緒に楽しく過ごしてもバチは当たらないと俺は思っている。それが例え、どんな悪人でも。
食事も終わり、家族としての団欒が終われば俺は一人屋根に上がって空を眺めていた。寒空の下では身体の震えもそれなりだが、それを抑えるようにあったかいミルクティーを飲んでいる。
今にも雪が降り出しそうで、空に月は出ていない。もう日付は変わりそうだが、街の明かりは未だに途絶えることを知らないようだった。
「あら、こんなところにいましたのね」
雪華綺晶が飛んで屋根まで登ってくる。彼女は俺の横に腰掛けると、小さなボディを俺に傾けた。開いた片手で彼女の肩をそっと抱き寄せる。
「もうすぐこの年も終わるな」
「ええ。……良い、年でしたよね?」
恐る恐る、彼女は確かめるように尋ねた。俺はそんな彼女の顔を見る。ちょっぴり不安げな上目遣いの雪華綺晶を見て、俺は頷いた。
「親は死んだけど、雪華綺晶に会えたからなぁ」
それが全てだ。俺はこの上なく幸運で貴重な経験をしているのだと思う。雪華綺晶はホッとしたように頷く。そして一緒に空を見上げた。見上げて、雪華綺晶が呟いた。
「私、マスターの事全然知らないの」
「俺のこと?」
彼女は頷き、
「小さい頃の事とか、どうやって屋根までコップを片手に登ってきたのかとか……どうして私にそこまで執着するのかも」
そんな悩みを、俺は笑った。
「大した事じゃないっての。前に教えた通り……ふふ、心配性だなぁきらきーは」
「マスターは」
笑う俺に対して雪華綺晶は真剣な面持ちで語りかける。
「貴方は、私の知っているマスターですよね?」
俺は無言で彼女を見た。それから空を見上げ、降り出した雪を見ながら答える。
「俺は俺でしかない。どんな経験を積もうが、俺は俺なんだよ。河原郁葉、それだけ」
彼女もそれ以上質問しなかった。雪が降りしきる中、俺と雪華綺晶は寒すぎて腹を壊すまでずっとその景色を眺めていた……礼と水銀燈のお楽しみの音声をBGMにしながら。
夢を見た。懐かしい記憶の夢だ。色褪せ過ぎてもうそれが正しいのかも分からないが、それは確かに俺の経験だった。
俺は古びた拳銃を手に、色んな所から血を流していて、そんな立っているのもやっとな男の目の前には友人が力無く瓦礫にもたれ掛かっている。俺が亀みたいに遅い速度でそいつの前にやってくれば、友達は俺に銃を向けて引き金を引いた。
発砲音が響いて、俺の胸に穴が空く。思わず膝を着くと、ボロ切れみたいな友達がしてやったという顔で笑った。
「ゆ、油断したなボケ」
咳交じりに呟く友達に、俺は頷いて答える。
「正直、生きてると、あぁ、思わんかった」
そう賞賛すれば、友達はへへへ、と笑って今度こそ力尽きて崩れ落ちた。胸に三発、下腹部に一発、足に二発、腕に一発。よくもまぁそんなに食らってて最後まで噛み付いてきたもんだと驚かずにはいられない。最後に撃ってきた銃だって、人差し指が飛んでるから中指で撃っていたのに、しっかりと胸を撃ってきやがった。
俺はその場に仰向けになると、今撃たれた箇所を触った。幸い弾丸は着ていたプレートが受け止めたようで、致命傷には至っていなかったが、それでも衝撃はきた。
「頭を撃つべきだったな、隆博」
俺は笑いながら答えない友達に語りかける。しばらく休むと、俺はまた立ち上がる。右足は骨が折れて動かないし、肋骨も折れているから痛い。左腕は撃たれたせいで力が入らない。おまけに全身傷だらけ。ただ休むにはまだ早かった。
友達の亡骸を超えていけば、いた。ドレスは擦り切れ、雪のように白い肌には汚れが目立つがそれでも美しい彼女が。
彼女の腕には事切れた蒼い姉が、先の友のように。
「雪華綺晶」
そう声をかければ、彼女は明らかに動揺した表情でこちらを向いた。
「マス、ター」
そしてそのまま倒れこむ。見れば、大きな鋏が胴に突き刺さっていた。慌てて俺は彼女に駆け寄り、死んでしまったドールを放って雪華綺晶を抱き寄せた。
「ごめ、なさい、やられ、ました」
「喋るな、いいんだ。よくやったよ」
鋏は深く突き刺さって、彼女の身体を貫通していた。無理に抜けばそのまま死んでしまうかもしれない。俺は鋏をそのままに、彼女を抱き上げて前へ進む。
「マス、ター」
「なんだ?」
「ローザ、ミスティカ、全部」
「ああ、全部手に入れた。後はアリスになるだけだよ」
そう必至に言葉を返すと、雪華綺晶は力無く笑う。
「私、やっと、マスターの、お嫁さんに……」
「そうだぞ、お嫁さんだ。一緒に家に帰って暮らすんだよ」
「すて、き」
カクン、と、彼女の頭がぐったりと俯く。俺は足を止めて彼女の身体を揺さぶる。必死に名前を呼びかけて、息があるか確かめて、どうにかしようとする。
「まだ早いダメだダメだ、雪華綺晶頼むよ、ダメだって」
本当はもう死んでしまったと分かっていた。その証拠に、彼女の胸から完成されたローザミスティカが浮き出てしまっていたのだ。俺はそれを必死に彼女の胸に押し返すけれど、意味がなかった。
ジャンクになってしまったドールは、もう元には戻らない。産みの親が手を施さない限り。
絶望した。ようやくここまで来たのに、彼女が死んでしまったのだからそれも当たり前だった。
しばらくはそうして動かなかった。涙が枯れてもずっとそうしていた。
だが、そこで俺は閃いた。閃いてしまった。
ローザミスティカは彼女達の魂。その魂は時代も、時空も、世界すらも超えて存在する。その魂の完成形を俺が手にしたら。
俺も時空を超えられるのではないか。
ここではない、まだアリスゲームが始まる前の世界へと。
「やめておけ」
後ろで声がする。男の声であることはわかった。そしてそれが誰の声であるのかも。
「それは君のような汚らしい淫夢厨が手にしていいものじゃない」
拳銃の中にはまだ三発。5.1インチの銃身から飛び出せば500ジュールのエネルギーを持った.45口径の亜音速弾が装填されている。
俺は振り返りざまに拳銃を声の主に向けて発砲する。その弾丸は確かに男の胸に突き刺さった。金髪の、顔の見えない男の胸に。だが男は平然としている。
「無駄だ、僕にそれは……」
勝ち誇ったように言う男だが、次第に変化が訪れる。時間が経つにつれ、苦しみだしたのだ。
「君は、それはまさか、錬金術の」
「ラプラァアアアアアアスッ!!!!!!」
悶える男を無視してうさぎの名を呼ぶ。すると彼は、俺の横へと召喚された。
「行くぞ、次のステージだ」
「はい、同志」
うさぎに支えられ、俺は立ち上がる。まだ戦いは終わらない。否、これからだ。どれだけ長くなろうとも、俺の戦いはこんな所で終わっていいほどあっけなくない。
彼女を抱きかかえ、俺は世界を超える。ただ一人、アリスのために。