もう一人の河原の名を持つ少年は対峙する。彼を愛した少女と、彼に魅了され狂いに狂って運命を歪めた化け物と。
夜の森林に響き渡るは火薬の音。誰のための鐘。彼のための鐘。彼女のための鐘。
そして彼を想う黒薔薇は、堕天使の如く空を舞う。少年が無事に彼女を殺せるように。できれば少年の心に傷を負わないように。
それは無理な話。物事には代償が付きまとう。それが小さな出来事でも。運命を超えて起きてしまった事でも。この世に生を受ける人である限り、誰しも代償を支払う事になる。
「礼くん!礼くん!礼くぅん!」
人間業とは思えない動きでめぐが礼に迫る。関節が逆の方向を向いても、それが最適であるならば彼女の身体はそれに従い。対峙する少年を我が物にせんと迫り来る。
礼は冷静に攻撃を捌いて反撃の機会を伺う。その姿は映画のブギーマン、殺し屋。だが唯一異なるのであれば、あの映画の主人公がかなり必死に物事に対処するのに対して礼は息一つ乱れていない。
包丁を突き刺してくる手を両手で捌きながら拳銃を突きつけるようにして殴り、そのまま発砲する。
一瞬苦しむ少女だが、次の瞬間にはまた狂った笑みを浮かべて迫り来る。傷はもう塞がっていた。
「本当にしつこい女だな」
悪態を吐きつつも迫るめぐの攻撃をかわし、また捌く。先程からこんな状況が続いていた。
それを水銀燈はただ見守る。自分も彼を手助けしたいと思ってはいるが、それは彼の意に反する事だ。あれだけ少年に嫌がらせをする事に喜びを見出していた黒薔薇の人形は、今では彼を王とする従者に成り果てていた。それが悪い事であるとは微塵も思わない。
昔の自分なら鼻で笑うだろうが。
「あは!あははははは!」
めぐの美しい黒髪が伸びる。そしてそれぞれが意思を持ったかのように礼へと迫っていく。その内のひと束が礼の腕に絡みつくが、左手のカランビットナイフでそれを切断する。
これ幸いと言わんばかりに、めぐは一気に距離を詰めた。その間にも撃たれるが、なんてことはない。撃たれた傷は攫った人間の生命力を用いて治してしまえばいいのだから。
「死んで♡」
嫌です、と兄なら言うのだろうと考えながら、包丁を振り下ろすめぐの腕を担ぎ、そのまま背負い投げる。背中から落ちためぐの腕を撃ち抜き、マウントを取った。
「ああ……この体勢、まるで」
何を言うのかは目に見えている。その前に彼女の頭を撃ち抜こうとした……が。
発射された弾はめぐの髪によって防がれる。まるで鋼鉄のように硬化した髪はいとも容易く9mm口径の弾丸を跳ね飛ばしたのだ。
「厄介だな」
そう言い捨て、礼はカランビットで髪を切り裂こうとするがこれもダメ。まるで歯が立たない。
その場から飛び退こうとする礼をめぐは足を絡ませて拘束した。足の関節を逆に曲げ、まるで昆虫のように。
「捕まえたぁ♡」
腕の傷はもう癒えている。めぐは包丁を振り上げ、礼の胸目掛けて振り下ろす。もちろんそんな行動余裕を持って対処できた。礼はそれをいなしながら、包丁の軌道をめぐの脇腹へと誘導する。
「うぎっ!」
勢いよく包丁はめぐの脇腹へと突き刺さった。すぐさまめぐの身体を持ち上げ、地面へと叩きつける。
めぐは吐血し、あっさりと足を離した。礼は胴体に二発撃ち込むと距離を取って弾が切れた拳銃をリロードした。残り15発。
めぐは脇腹を抑えながらふらふらと立ち上がる。しかし次の瞬間にはすべての傷は塞がっていた。
「キリがないな」
ため息混じりにそう言うと、拳銃をまた彼女に向ける。
だが弱点は分かった。頭だ。いくら傷を治せても、司令部である頭を破壊されれば再生できないようだ。でなければ髪で防いだりなどしないだろう。だがそれにも難点はある。あの髪をどうにかしなければならない。
「痛ぁ〜い、痛いよぉ礼くぅん、なんでこんなことするの、なんで私を受け入れてくれないのぉ」
ゆらゆらと嘆きながら揺れるめぐ。対して礼は呆れていた。そんなの前から言っているだろうと。
「いい加減化け物相手は飽きてきたな」
そう言いながら構え。また戦いに挑む。
片手で雪華綺晶を抱き上げる。嬉しそうに頬を擦り付けてくる彼女の頬へとキスすると、顔を歪めた主途蘭を眺めた。彼女は心底悔しそうな表情を浮かべていて、その原因が俺にあることは容易に分かった。
「化け物が増えた」
主途蘭が言う。そして、魔王に立ち向かう勇者のように剣を構えた。俺はそんな彼女を鼻で嘲笑う。
「随分な言われようだな、ねーきらきー」
「ねー!」
ムカつくカップルのように同意を得る。こんなの俺でも見せられたらキレるに違いないだろうが、煽るのが生き甲斐みたいなもんだからしょうがないさ。
それにしても清々しい。まるで生まれ変わったかのような気持ち良さが身体に行き渡っている。全身が冴え渡り、神経が研ぎ澄まされ、自分はこの世で最も幸せだと言えるくらいの清々しさ。言葉では評伝できない。
「さて、帰るか。あいつら来てんの?」
「ええ。多分今頃迷路を抜けてこちらに向かっていますわ」
あ、そっかぁと納得し、足を進める。だが主途蘭がそれを妨げるように立ちはだかった。そういやこんな子いたな、というどうでもいい物を見る目で剣を構える彼女を見る。
主途蘭は隙を見せない構えで対峙すると言った。
「帰れると思うな。ここで貴様らを抹殺しなければ、我らに未来はない」
は?(威圧)と俺は心の底から言う。そもそも。そもそもだ、この子は勘違いしている。
俺はやれやれとSOS団の平団員並みのリアクションを取ると言う。
「お前に未来はそもそも無いぞ」
刹那、時が止まった。
音が消え、主途蘭がぴたりと動かなくなる。俺は拳銃を持った手で笑顔の雪華綺晶の頭を撫でてやる。猫のように撫でられる彼女を堪能してほっこりすると、主途蘭の脇を通りぬけ、振り向きざまに彼女の背中に弾丸を放った。
銃口から出た途端に弾丸は止まる。銃声も、身体を通じてきたものしかないがそれでもうるさい。耳栓してなけりゃそうなるだろう。
俺は懐かしい銃を下げると、雪華綺晶と目を合わせて頷いた。
世界に色が戻る。
「あがっ!?」
銃声と少女の苦しそうな声が響いた。そして主途蘭は力なく倒れこむ。9mm弾なんて目じゃない.45口径の弾丸が彼女を貫いたのだ。
空を舞った薬莢がうつ伏せの主途蘭の目の目に転がり落ちる。何が起きたのか分からない、そんな驚愕に満ちた顔をしていた。
「お前は最初から負けてたんだよ、主途蘭」
雪華綺晶を下ろしながら告げる。主途蘭は何かに気がついたようだった。
「時を、止めた……?そんな、馬鹿な」
おぉ、と俺は大袈裟に驚いた。
「114514点あげるわ〜あなたに」
どこまでもふざけて言い放つと、雪華綺晶に顎で指示する。
途端に雪華綺晶は主途蘭に飛びつき、彼女に覆いかぶさった。百合っぽくも見える。そして耳元でそっと彼女は囁く。
「痛いでしょう。治らないでしょう。私ね、貴女と同じことを、もっと昔からやっていたの。だから、どうすれば傷を直させないかもよぉく知ってるわ」
言って、雪華綺晶は大きく口を開ける。ガチガチと震える主途蘭をそのまま飲み込んだ。バタバタと足が震えるが、それすら無視して雪華綺晶は優雅に飲み干す。
けぷっと淑女らしからぬゲップを見せると雪華綺晶は慌てて取り繕う。そんな彼女のほっぺたをむにむにっと笑顔で撫でた。
「ああ、マスター……潤う、潤うわ」
ぶるぶると快感に震える雪華綺晶。心なしか前よりも肌に艶が出る。どうやら無事に主途蘭のボディを吸収したようだった。
「また美人になったね」
「もっと……もっと、美しくなれるわ。そして、マスターと添い遂げるの。んっ……」
しゃがんで彼女にキスする。そして彼女から何かを手渡された。C4の起爆スイッチだ。
キスしながら俺はそれを作動させ、投げ捨てる。同時にこの真っ白いエリアに振動が走った。どうやら爆破に成功したようだ。
「これでめぐちゃんへの供給も絶たれたな」
「苗床に仕掛けた爆弾が上手く作用したようです……さぁマスター。帰りましょう。ここももうじき消え去ってしまう」
彼女の手を繋ぎ、俺達はエリアを後にするだけ。もうこの場所に用は無い。すべてうまくいった。
心地よい気持ちが身体を支配していた。休日、恋人と公園を散歩するように。水晶が震える音を鳥の囀りに見立て、可愛い雪華綺晶と歩く。
素晴らしい。ああ、なんて素晴らしい。
だが、そうだなぁ。
「リリィさんは……殺したの?」
目の前に琉希ちゃんがいなけりゃもっと素晴らしいんだけど。
正体現したね。