nのフィールド、雛苺の世界。
ここに来るのも久しぶりだな、と雛苺はノスタルジーを感じてしまった。まだ真紅と戦って数ヶ月しか経っていないのにこうも感傷的になってしまうのは、この数ヶ月が濃いものだったからか。それとも、愛すべきものを手に入れた達成感から来る、ある種の安堵からかは分からない。それが分かるほど、雛苺は大人ではないのだから。
子どもが好きそうな、自身と同じピンクで彩られた空間。それに懐かしさと子どもらしさを味わいながら深呼吸。そして、近くにあったお菓子で作られたベンチに、抱えていたジュンを優しく置く。
「目が痛いのね、この空間は」
大人になると、こうもあの大好きだった空間が嫌になるのか。大人というのは、案外自分が思っていたよりも素晴らしいものではないのかもしれない。もっと、あの頃の子どもな自分は純粋だったのかもな、なんて考えて、雛苺は首を横に振った。
いいや違う。自分は望んで大人に『昇華』したのだ。今が一番、自分の人形ライフの中で輝いている。
頭の中に浮かんだ不安とモヤを打ち消すように、雛苺は再度思い込む。
「私は大人なの。いつまでも意地っ張りな真紅とは違う。意地悪な水銀燈じゃない。いたずら好きの翠星石でもない。大人びている蒼星石とも違う。不気味な雪華綺晶とは似ても似つかない。そう、大人なのよ」
巨大な蔦を出す。ここは彼女の世界。彼女の世界では、すべてが彼女の思うように成り立つ。壊すのも、作るのも、彼女の思うがまま。
その破壊と創造は、ある種子どもにも似ている。積まれた積み木を崩し、新しく城を建てる。
雛苺は気がつかない。姿形が変わろうとも、中身はそう易々と変わるはずがないことに。そして彼女が想う少年は、まだ夢の中。悪夢、あるいは、淫夢(直球)
「私、何も聞いてないんですけど」
ムスッとした顔で琉希ちゃんが言った。俺は不幸にも黒塗りの高級車に追突してしまったサッカー部員の先輩のように、低姿勢で平謝りする。
「だって言ってないもん」
「は?」
「もしゃもしゃせん!(申し訳ございません)」
俺がバイトしているカフェ。槐からの依頼から1日が経ち、俺と琉希ちゃん、そして余り物の隆博という三人の異様なマスター達は、ブリーフィングをしていた。
なぜここに当事者ではない琉希ちゃんがいるのかと言うと……まぁ、蒼星石が姉である翠星石にうっかり漏らしてしまったのだ。
この際だから、主途蘭のことも含めて最近起きた事を洗いざらい吐いてしまったのだが、それが彼女を余計に怒らせる結果になったのは言うまでもない。
「だいたい、なんですか主途蘭って!ローゼンの弟子が作ったドールぅ!?バカにしてるんですか!」
「まま、そうカッカしないで(冷静沈着)」
「あなたのせいでこうなってるんです!」
バンッ!(大破)っとテーブルを勢いよく叩く琉希ちゃん。店長が驚いて机に足をぶつけているし、周りの客もこっちを見ている……ここで、ようやく自分が注目の的になっていることに気がついたらしく、琉希ちゃんは咳払いを一つして落ち着いた。
「あのさ、俺、そろそろバイトなんだよね(唐突)」
「バイトォ!?マジで?」
この空間が気まずいのか、逃げようとする隆博。だが、膝の上で抱っこされている蒼星石がボソッと呟く。
「あれ?今日バイト休みじゃなかったっけ?あっ(察し)」
だが気がついた時にはもう遅い。隆博はクソデカため息を吐いて身体を脱力させた。蒼星石って意外と天然なんだね、しょうがないね。
「べー!メガネ人間、逃げようとしても無駄ですぅ!お前ら二人とも琉希にコテンパンに絞られればいいんですぅ!」
攻撃する立場にあるからやたらテンションが高い翠星石。この野郎、一回締めねぇとダメな気がする。なんか女の子に対して締めるってエロいよね。ヌッ!(暴発)
だがここですかさず雪華綺晶が俺の股間をギュッとしてどかーん!思わずアッ!(スタッカート)と声が漏れると、膝の上の雪華綺晶は首を回して微笑んだ。
「だぁ〜め♡」
「ふぉお、おおおお……」
痛い。でも、程よく気持ちがいい。小さいおててでギュッとされるのは意外と良い(至言)
どうもラチがあかないと思ったのか、琉希ちゃんは疲れた表情で項垂れる。と、そんな琉希ちゃんに、完全に蚊帳の外であった桜田のりちゃんの膝の上に乗る真紅が尋ねる。
「疲れたのかしら人間。私も昨日はそうだったわ」
人形屋での会話を思い出す。マスター二人はローゼンの弟子を恫喝したり訳の分からない事を話しているし、薔薇水晶は雪華綺晶に怯えっぱなしだし、どうしていいものかと迷ったものだ。
ちなみに、ジュンくんのお姉ちゃんであるのりちゃんは、弟が居なくなったという事で急遽参戦。ジュンくんからパワーを受け取れない真紅と仮契約中。
「いいえ……この人がこうなのはいつもの事です。私はただ、色々考えていたプランを全部メチャクチャにされたのが気に入らない……ア゛ァ、もう、この際いいです。その雛苺とやらでストレスを発散しましょうか。あは、あはは」
あぁ、このマスターもヤバいやつだな。淑女たる真紅はそんな言葉は普段使わないが、この時だけはそう思ってしまった。
「それで、どうすんだ兄弟。早いとこ雛苺のやつ取っちまって(意味深)、桜田の若えの取り返えしちまった方がいいんじゃねぇのか?」
最近世界の北野の映画にハマってるらしい隆博が言った。俺もどっかりと椅子に深々と座り、うーんと貫禄を出しながら思案する。
「きらき組と桜田組は戦争せんっちゅー話やったからなぁ。でも、雛苺っちゅーんが破門されたとなっちゃあ、しゃあないなぁ。なぁ?きらきー」
真っ白お人形さんの尻をさわさわ触りながら言う。彼女も色っぽくせやなぁ、とノリノリで返事をしながら俺の胸を撫でた。関西弁っていうか京都弁きらきーもなかなか……可愛いじゃん(賞賛)
「あのぅ〜……」
と、そんな中。のりちゃんが萎縮しながら手を挙げた。ちなみに琉希ちゃんはもうどうにでもなれという感じで、ダラけながら翠星石の顔をうにゅうにゅして遊んでいる、可愛い。
「なんやぁ」
ローゼン組傘下雪華綺晶組長である俺は、そんな年下の彼女に対し、偉そうな態度で尋ねる。ひぃ、と短い悲鳴を出しながらも、のりちゃんは答えた。
「できれば、雛苺ちゃんも、無事に連れてこれればいいなって……」
「アホかお前はぁ!お前んとこの兄弟分攫われて相手も無事ならいいってぇ?そんなアンパンマンみてぇな考えしやがって、舐めてんのかこの野郎!」
演技に熱中しすぎて最早何言ってるか分からない隆博。ひぃい、とのりちゃんは対面する隆博から身を守ろうと真紅を前に掲げてガードする。そして金髪縦ロールで隆博をビンタする真紅。
「でもでも、大事な家族なんですぅ!雛苺ちゃんもジュンくんも、真紅ちゃんも!みんながいて、桜田家なんですぅ!」
真紅の傍からちょこっと頭を出してそう言うのりちゃん。まぁそうだよなぁ。俺んとこもすっかり水銀燈が居着いてるし。もう手間のかかる妹くらいにしか思わなくなってきたわ。
「まぁ気持ちは分かるなぁ。そうと決まれば、なるべく雛苺は撃破しない方向で進めようか」
893の演技をやめてそう提案する。
「でもどうするんです?雛苺は完全に聞く耳を持たないそうじゃないですか。衝突は免れませんよ」
分かってる、と俺は言う。
「プライオリティ1はジュンくんの確保だ。雛苺に関しては、まずは説得。それでも応じない場合は強行突入して拘束。可能であれば、武装解除して例の薔薇も回収する」
やっと作戦会議らしくなってきた。隆博もズレた眼鏡を直し、椅子に座りなおす。
「手段は?説得するにしても、真紅がダメだったんなら他のドールズでも無理だぞ。それに戦闘力が以前よりも増してるって話だ、拘束するにしても迅速かつ的確にやらねぇと、先にジュンって子がエネルギー吸い尽くされてミイラになっちまう」
そうだ、雛苺の力が増しているのも問題である。ドールが力を使えばその分契約者の生命力が消費される。俺は生命力がおかしいらしいからまったくと言っていいほど消費されないのだが(だから燃費の悪い雪華綺晶とも契約できる)、これが力の増し、それに加えてマスターが控え目に言っても貧弱な中学生だから、そりゃあもうヤバい。きっと、力を少し使う度に体力が大幅に持っていかれるだろう。
「のりちゃん、雛苺への説得は君がするんだ」
急に話を振られたのりちゃんは驚く。
「え、でも私、そんな、全然戦えもしないし」
「戦うんじゃない、説得だ。真紅もダメなら、君だけしかいない」
「う……」
まだ悩んでいるのりちゃん。当然だろう、相手は恐らく襲撃者を殺しにかかってくるだろうし、そもそも姉妹である真紅が拒絶されたのだ。のりちゃんの説得に応じる可能性は低い。
俺はそっと、のりちゃんの小ぶりな手に、俺の掌を重ねた。
「勇気は貰うもんじゃない。自分で沸きあがらせるものなんだ。でも、それを支えてやることはできる。のりちゃん、君だけじゃない。俺も戦う。危険が迫れば俺が守ってみせるさ。ね?」
まるでラノベの主人公みたいなクサいこと言いながらのりちゃんを元気付ける。恥ずかしくないのかよ(自虐)
と、のりちゃんはやや顔を赤面させてあたふたし出す。でも次第に落ち着きを取り戻し、気がつけば闘志が宿ったいい顔へと変貌していた。
「わかりました、やります!雛苺ちゃんを、そしてジュンくんを取り戻します!」
よう言うた!それでこそ女や!俺は心の中で賞賛を送る。これで行動がやりやすくなった。
やはり、陽動は必要だ。説得が通じるにせよ通じないにせよ、保険はいるのさ。のりちゃんが雛苺を揺さぶっている間に背後から。
汚いなんて言うなよ。俺は雪華綺晶と、その生活と愛のため(激寒)なら殺しだってやるって決めてんだ。まぁのりちゃんが襲われたら助けるのが筋ってもんだから、助けるけど。あくまで最優先は雛苺の排除と、薔薇の回収。
隆博は、そんな俺の思惑を知ってかバレないように笑ってみせた。こいつも、蒼星石と自分のためならある程度のことはやってみせる人間だ。
「悪ぅ人ざんすなぁ、ますたぁはん」
ボソリと、耳元で雪華綺晶が囁く。ゾクリと脳に甘い刺激が突き抜ける。
俺は、片方の手で雪華綺晶の腰を撫で、女の子二人から見えないようにほくそ笑んだ。
「あのさ、あの京都弁みたいなの、もう一回やってくんない?」
その日の夜、自室。俺はベッドの上にうつ伏せに寝転びながら本(エロ同人)を読む雪華綺晶に請う。彼女は肩と首だけ動かし、後ろにいる俺を微笑と共に眺めた。
クスリと笑う小悪魔ドール。何か悪いこと考えてんなこいつ。俺はそう確信しつつも、受けた誘いは断らない主義なので(大嘘)誘いに乗る事にした。
雪華綺晶はちろりと舌を出した後、くいくいっと指を動かして俺を呼んだ。俺はニヤケつつも、彼女の身体に少し覆いかぶさるようにうつ伏せに寝転ぶ。そして挨拶がわりに彼女の剥き出しの肩を撫でた。やん、といつもとは違った反応を見せる。おーええやん。
彼女は俺の耳元まで口を近づけ、
「あん、ますたぁはんの い け ず、ちゅ」
艶々しくと甘い声と、耳への柔らかい感触。あぁ、脳がとろけそうになる。ていうかさ、なんかソシャゲにこんな鬼のキャラいるよね。俺あれ大好き。声優もいいし京都弁ってエロい時エロいよね。義によって助太刀いたす!(唐突)
すっかり雪華綺晶の術中にはまる大学生。きらきーは世界一可愛いからね、しょうがないね。
「んふふ、んへへへ」
だらしねぇ(レ)声を出しながら俺は雪華綺晶を仰向けに転がし、胸元に顔を埋める。
「あぁん、おいたは止してぇ」
満更でもなさそうな雪華綺晶。ああ良い、これは良い。小さな身体に鼻を押し付けて深呼吸する。香水なんてつけてないのに良い匂いがする。彼女の顔に唇をつけまくる。
「ちょ、ますた、重、ウッ」
だが熱中するあまり全体重を雪華綺晶にかけてしまっていたらしい。俺は正気に戻り、急いで彼女から退く。
「ごめんよきらきー、痛かった?」
オロオロする俺に、雪華綺晶は息を切らして頷いてみせる。あれはガチで辛かった時の息切れだ。
俺はしょんぼりして雪華綺晶の横に腰掛け、仰向けに寝転がって休む彼女の頭を撫でる。
「ごめんなさいマスター」
「なんで?」
「私の身体、小さくて。マスターが愛してくださるのに、心は受け入れても身体がついていかないの。いつもそう。マスターは喜んでくれるけども、本当は満足していないわ」
ギョッとした。全くそんなことはない。むしろ大満足なんですけど。
「何言ってんだ、そんなこと……」
「ねぇ、マスター」
澄んだ、雪華綺晶の声が響く。
「マスターは、私が大きくなったら嬉しい?」
困惑した。こんなこと言われるとは思っても見なかった。俺は考えて、
「変わらないよ。プレイの幅が増えるだけ」
茶化すように、言ってみせる。
「嘘。マスター、私分かってるの。本当はこのままじゃいけないって。私、マスターは幸せになってほしい」
「俺は幸せだってば。雪華綺晶がいるし……」
そんな俺に、雪華綺晶は現実を突き付けた。
「人形は、人間じゃないわマスター。私たちは、永遠に変わらない。人形として誰かと生きて、飽きられる。そして人形遊びをやめた人間は、大人になっていく」
何も言えなかった。突然そんな事を言うもんだから考えがついていかない。
「マスターは優しい人。本来実体を持たない私を、受け入れてくれた。自分でも分かってるの、私はジャンクなんだって。でも、あなたがそうである必要はないの」
そっと、彼女の手のひらが俺の腕に触れた。
「いつか別れが来る。人間は永遠じゃない、だから、きっと……」
恐れ、焦燥感、怒り。色々な感情があったと思うが、そんな事冷静に考える前に雪華綺晶を抱きしめていた。震える身体で、必死に逃さないように彼女を抱き止める。
「マスター……?」
恐る恐る、雪華綺晶は聞いてきた。
「俺は。俺は嫌だ。離してたまるか。やっと見つけたんだ。俺だけの雪華綺晶を。そうだ。離すもんか。雪華綺晶、離さないぞ。誰が敵でも、隆博でも、礼でも、ローゼンが相手でも敵なら殺してやる。腕の一つや二つ無くなっても殺してやる、雪華綺晶を手放すもんか」
ミシミシと、抱きしめる力が強くなっていく。
「マスター、痛い……」
雪華綺晶が言うと、俺は腕の力を弱めた。
「雪華綺晶。俺は君と離れるつもりはない。もしアリスゲームを勝ち抜かなきゃ一緒にいられないなら全員殺す。それでも君は、俺の下を去るのか?」
突き刺さるような言葉。俺を裏切るのか、そう言っているようなものだった。雪華綺晶は一瞬だけ言うのを躊躇う。だが、次の瞬間にはすぐに口を開いた。
「いいの?私、マスターから離れられなくなっちゃうわ。死ぬときも、きっと一緒に火の中で燃え尽きて、それでも地獄の底まで一緒に付き添っちゃう。それでも、本当にいいの?こんな、哀れな人形が、本当に?」
泣きそうな、それでいて嬉しそうな声。抱きしめているから顔はわからない。
「こっちこそ、本当にいいのかな。こんな惨めで、ちっぽけで、生命力しか取り柄のないダメ人間が、幸せになって」
抱きしめる腕を離して、雪華綺晶と対面する。俺の両手は肩に。雪華綺晶の手は、彼女自身の胸をギュッと握りしめていた。
その目には、大粒の涙。笑顔なのに、どうにもそれに似合うくらい涙が彩る。あぁ、綺麗。本当に。
こっぱずかしくなって、俺は数少ない愛を伝える言葉を向ける。
「月が、綺麗ですね」
にっこりと、しゃっくりを交えながらも雪華綺晶は答えた。
「私、死んでもいいわ」
また、俺は抱きしめる。純粋に、お互いの温もりを求めて、小さい身体を包み込む。
そう、そうだよ。幸せなんだ。いいじゃないか。今までの人生、良いこともあったけど、悪いことも多かった。だから、これくらい良いじゃないか。少しくらい幸せでも、バチは当たらないじゃないか。
決めた。放棄していたアリスゲームを、進めよう。そのためにはまず、雛苺から。一人ずつ、確実に。そして彼女たちを生贄に、肥料に、雪華綺晶という花を咲かせてやるのだ。
「……」
なんて、私は汚い人形なのだろう。所詮、この人が私に執着する理由は、依存でしか無いのに。
私はいつもそう。物語のヒロインは似合わない。悪役で、最後にはきっと地獄に堕ちる。
でも、やめられない。やめたくない。私が私として存在するために。幸せになるために。
お父様なんてどうでもいい。あんな、娘に顔も出さないような男を信用できるはずなんてない。私は見つけたのだ。最愛の、一緒に地獄へと堕ちてくれる人を。
逃がさない。この幸せを。
逃がさない。やっと掴んだ、依存先を。
逃がさない。アリスへの切符を。
雪華綺晶は笑う。抱きしめられて、顔が見られないうちに。本当の幸福を手に入れられた事に感激しながら。自分の演技によって、マスターを焚きつけた事に罪悪感を抱きながら。
歯車は廻る。犠牲を糧に、廻っていく。
そして目覚める。青年と、白き人形の中に宿る野望が。
ほらお客様、きらきーとのイチャラブですよ、食べてください(じゅんぺい)