IS×Z.O.E ANUBIS 学園に舞い降りた狼(ディンゴ) 作:夜芝生
にも関わらず、相変わらず進まない話……ディンゴと会長の模擬戦、VSセシリア戦と、一夏と箒の対談とイベントは盛りだくさんではありますが、どうかもう少々お待ち下さい。
――IS学園初めての授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
教室中に、独特の開放感と共に生徒達の溜息が漏れた。
「――はい、初めての授業お疲れ様でした!!」
それと同時に、教壇で電子黒板に板書をしていた真耶が手を止めて生徒達へと振り返る。
自己紹介と簡単な学園の歴史や施設の説明、そしてIS基礎理論の大まかな説明――新任という事もあり、授業の進行には少々ぎこちない部分もあったが、一つ一つが丁寧で分かりやすい良い授業だったと思う。
ただでさえ慣れない異質な環境に戸惑っている自分にとっては非常に有り難い――と、一夏は感じていた。
そんな事を思っていると、教卓の上の荷物を片付けた真耶が、相変わらずオドオドとした表情と動作で一夏へと近付いてきた。
「と、ところでその……お、織斑君……分かり難かった事とか、分からなかった所はありますか?
だ、だとしたらごめんなさいね……織斑君、ただでさえ準備期間が短かったし、その……」
この女性教師は、一夏に自己紹介の順番が回って来た時もこんな感じだった。
事情の知らない女生徒達はクスクスと笑ってはいたが、当事者である一夏としてはあまり笑える事では無かった。
「……あの、山田先生――俺、もうあの時の事は気にしてませんし、あんな真似もしませんから、怖がらないでくれません?」
一夏は真耶だけに聞こえるように囁きながら、呆れ半分、悲しさ半分に溜息を吐きながら真耶を宥めるように掌を顔の前に差し出した。
一夏自身はぼんやりとしか覚えていないのだが、真耶はどうやらISの起動実験の際に、自失状態の自分に襲われた事……そして、自分が無理矢理ここに連れて来られた事を怒っているかもしれない事にビクビクしてしまっているようだった。
気持ちは分からないでも無いが、怯える小動物のような目でこちらを見るのは、何だか罪悪感を覚えてしまうので正直勘弁して欲しい、
「え、えっと、そうですよね……ご、ごめんなさいね?
それで、その……何か分からなかった事って、あります?」
一夏の言葉に、真耶は少し――とは言っても殆ど変わってないが――持ち直し、改めて一夏へと質問してきた。
「……今の所は大丈夫です。何とかまだ付いてはいけてますから」
「ああ、良かった――普通はこんがらがる人が多いのに、凄いですね」
「あ、いえ……そんな事無いですよ」
「そ、それじゃあ織斑君、次の授業も頑張って下さいね? 何か困った事があったら、すぐに相談して下さいね? ぜ、絶対ですよ?」
そう何度も念を押すかのように一夏へと呼びかけると、真耶は教室を出て行った。
それを確認すると、ふぅ、と一夏は息を吐くと、誰にも聞こえないような小さな声でぼそり、と呟く。
「…………生憎と、こんがらがりっぱなしですよ、先生」
真耶は気付いていなかったようだが、一夏の答えは言外に、このままではついて行けなくなるかもしれない、と言っているのと同様だった。
―ー見下ろせば、そこには電話帳もかくやと言わんばかりに分厚い本が机の上に鎮座している。
それは、ISに関する理論や技術などを載せた参考書だった。
本来入学が決まった生徒達は、事前にこれを渡され、入学式までの二ヶ月ほどの間にISに関する知識や技術の予習を行うのだが、突然特例を認められ、強制的に連れて来られた一夏は、これを読み込めるほど余裕が無かったのである。
しかも、今まで一夏が集めて来たLEVに関する技術や理論のレベルと比べて、ISは殆どファンタジーと言える程に隔たりがある事も問題だった。
――大体、何だよ絶対防御って……何だよPICって。
宇宙空間のLEVが、大きさ数ミリのデブリからの防御に、一瞬でも気を抜けば機体をあらぬ方へと運んでしまう慣性を殺すための、コンマ数秒の姿勢制御ノズルの噴射に、どれだけ命を掛けてると思ってんだ。
実際に宇宙空間に行った事は無いとは言え、宇宙空間でのLEVの操作がどれだけ大変であるかは、今まで培ってきた知識や、軍事や宇宙に関する事を扱った雑誌の記事やニュースの特集、姉である千冬の知人のツテで宇宙飛行士用のLEVシミュレーターを使用した時の経験で、骨身に染みて理解している。
宇宙飛行士達が日々血反吐を吐く思いで乗り越え、克服している様々な技術的問題など、何処吹く風とばかりに、ISは簡単にクリアしてしまう。
今まで自分が必死に学ぼうと努力していたものの尽くを愚弄されたような気がして、参考書をゴミ箱に投げ捨てそうになったのはいい思い出である。
……もし見つかったり、後から発覚したら、千冬から張り倒されそうだったので結局は未遂に終わったが。
更に驚いた事と言えば、学園に入った事で詳細を知る事が出来た、ISが生み出す推力や馬力の数値――一般的に量産機と言われる打鉄、ラファール・リヴァイヴ、テンペスタ、ファントマ・ゼロなどを見ても、その殆どが比較対象として載せられている最新型の軍用LEVのスペックを遥かに超えるデータを叩きだしているのを見た時は、目の前が真っ暗になりかけたものだ。
――これを見て、更にはこれを動かせてしまったのだとしたら、そりゃ女性の地位が向上して、一部の人間が調子に乗るというのも何だか分かるような気がする。
……しかもこの学園には、そんな代物が数十機配備され、聞いた所に寄れば、生徒の中には専用機と呼ばれる量産機とは比べ物にならない性能を持ったワンオフ機まで持つ者もいると言う。
仮にそれらが全力で起動し、戦闘を行ったならば、ISのを持たない一国の軍隊が有する兵器の殆どは、為す術無く蹂躙されるだろう。
「……ホント、とんでも無いモノ作ったよなぁ、束さん」
これが、自分の知人であり、あの脳天気でエキセントリックな少女の手によって一から創りだされたという事実――彼女を良く知る自分でも、未だに信じられない。
そして、束がそんなモノを生み出した理由を思うと……一夏の胸は、ズキリ、と痛んだ。
(……駄目だな俺……千冬姉の事といい、秋姉の事といい……引きずりっぱなしだ)
もう決して会えない秋姉の事はともかく、『あの時』の束の今にも泣き出しそうな顔は記憶に鮮明に焼き付いてしまっており、誘拐事件から暫く経った今でも、千冬に対してはぎこちない態度を取ってしまう事も多い。
授業の始めの自己紹介の時にぶっきらぼうな己の態度を窘められた際も、動揺するばかりで会話も出来なかった……まぁ、出来たとしてもすぐに止められてしまったかもしれないが。
ともかく、何時まで経っても過去のトラウマを拭い切れない女々しい自分の性根に、一夏は自嘲しながら口の端を吊り上げる事しか出来なかった。
深い溜息を吐きながら、机に沈み込むかのように頭を項垂れる――そんな態勢で暫し時間を潰していたのだが、はた、とある事に気付いた。
――授業前には嫌という程感じていた圧力にも似た視線の数が、明らかに減っている。
なるべく目立たないように、ちらり、と辺りを見回す――相変わらず、廊下では上級生や他クラスの生徒達が、こちらの様子を喧しく伺っているが、クラスの中の者達の何人かは相変わらず一夏に視線を向けているが、その大半が何か別の話題で盛り上がっているようだった。
――あの、イーグリット先生って……。
――何でIS学園で男性教師? しかもLEV学って……。
――納得いかない……。
――時間の無駄……。
耳を澄ますと、そんな言葉が聞こえてくる。
その殆どが困惑と不満、そして中には嫌悪すらも感じられる内容だった。
それらの原因としては、ISを学びに来たのに、それを動かす事も出来ない男性教師に時間を取られて、他のクラスの者達に遅れを取っては堪らない、といった焦りや不安が主だったものだろう。
もしかしたら、思春期の少女達にとって、一夏のような年齢の近い少年では無く、あのような成熟した男性が近くにいるのは許容出来ないのかもしれない。
(……女子としては気に食わないんだろうけど、正直、助かった)
しかし、一夏としては彼女達のような懸念は一切感じていなかった……むしろ、ありがたいと感じてすらいる。
……そもそも、別にあのイーグリット先生がIS学園唯一の男性教師という訳でも無い。
一般教養を担当する男性教師も少なからず存在するし、ISには既存の技術も多く使用されており、その専門家として招かれているのは殆どが男性だ――ただ、生徒にとって接する機会がそう多くは無いというだけなのである。
頼るべき教師すらも女性ばかりでは、流石に息が詰まってしまいそうになる――このような特殊な環境にいる以上、IS学園では数少ない男性教師が身近に存在しているというの非常に有難かった。
それに何より――、
(あんな『本物』の人がLEVについて教えてくれるなんて……こんな機会、中々無いぞ!?)
一夏は自らが溜め込んだ知識によって、イーグリット先生が長時間の宇宙空間における船外活動のベテランである事を見抜いていた。
あの紫外線と太陽光線で焼けた肌、色素の抜けた銀髪……それは正しく、死と隣り合わせである宇宙空間に身を置く勇敢なLEVパイロットの証なのだ。
……そんな人間だ――きっと、一般人では知り得ない最新型のLEVや細かな技術についても教えてくれるに違いない!!
一夏のテンションは、人知れず夢見る少年だった頃に戻っていた。
物心付いた頃から宇宙を目指していた信念は、彼を立派なLEVマニアへと変貌させていたのだった。
―――――――――――――――――――――――――
――と、一人うきうきといい気分に浸っていた一夏に覆い被さるように影が差した。
また物見遊山に来た生徒か? と、この学園に来る事が決まってから随分と久しい夢想に水を差され、若干げんなりとした表情で顔を上げるが、その正体を見た瞬間、凍りついた。
「…………ちょっと、いいか?」
そこには、つい数日前に再開した幼馴染――篠ノ之 箒の姿があった。
六年という歳月は、少し背伸びしたような印象のあどけなかった少女を、凛とした雰囲気とすらりとした容姿を持つ大和撫子へと変貌させていた。
しかし、猫背気味な自分とは違った、芯が入ったように真っ直ぐな背筋と、美しい長い黒髪、そしてそれを後ろで束ねる白いリボンは少し古びているものの、記憶の中の彼女と全く同じだった。
「え、あ……箒……その、何か……用、か?」
IS学園への入学手続きやら何やらで、今まで全く話す機会が作れなかったため、心の準備が全く出来ていなかった一夏は、しどろもどろな口調でそう答える事しか出来なかった。
……それに何より、記憶の中と比べて物凄く綺麗になっていた事も、一夏を更に動揺させていた。
「――放課後に、少し時間をくれないか?……色々と、話したい事がある」
そんな一夏を他所に、箒は真っ直ぐにこちらの目を見ながら簡潔に要件を伝えてきた。
しかし、その顔をよくよく見れば、頬には朱が差し、唇はきつく引き結ばれている――それは、彼女が何かを強がっている時の癖だった。
――ああ、
「……ああ、勿論。何せ五年ぶりだもんな」
彼女の言葉に、今度は一切の淀みも無く、笑顔のまま応えるが――そうしながら、少しだけ不安になる。
――今自分が浮かべている笑顔は、あの頃の、彼女の思い出のままの笑顔だろうか?
――あの頃のように、2人が『家族』だった頃と同じように、素直に、真っ直ぐに笑えているだろうか?
「そうだな……だが、お前の顔を見て安心した」
「え?」
そんな一夏の不安を吹き飛ばすように、箒は大きく頷きながら微笑んだ――あの頃のままの笑顔で。
「お互い随分と大きくなってしまったが……お前の笑顔は、あの頃のままだぞ一夏」
「……っ!!」
――目元で、何かが爆発しそうになるのを、必死に堪える。
思い出の残滓になろうとしていたあの日のままの『家族』から、そんな言葉を聞けるなんて、一ヶ月前まで夢にも思っていなかったから。
「ああ……そうか……そうかぁ……」
心の底から嬉しそうに、しかし、泣きそうなほどに顔をクシャクシャにしながら、一夏は、何度も、何度も自分に言い聞かせるように頷いた。
はっきり言って、久々に会う幼馴染に見せられるような顔では無かったが、箒は何かを察してくれたのか、何も言わずにただ黙って、一夏を見つめてくれている。
何も言わなくても、何かが通じ合う……それが、堪らなく嬉しかった。
その時、スピーカーから予鈴を示すチャイムが響き渡った――それを聞いて、2人は意識を引き戻される。
慌てて周囲を見渡すが、自分のクラスに戻ろうとする者や、まだ授業の準備をしていなかったクラスメイト達の喧騒に紛れていたためか、2人のただならぬ様子を気にする者はいなかった。
次の授業は、件のイーグリット先生によるLEV学とメタトロン学の授業だ――皆、そちらに気を取られていたのだろう。
「で、では、また後でな一夏」
「お、おう」
少しだけ慌てながら一言だけ交わし合うと、箒は一夏の席から少し離れた窓際の席へと向かって歩いて行った。
それを見届けると、一夏は両手で自らの頬を挟み込むように叩きつけた。
――乾いた音と共に程よい刺激と痛みが走り、同時に気が引き締まるのを感じる。
「――よし!!」
そして鋭く息を吐き出しながら自分へと喝を入れ、気合を入れなおす。
隣に座っていた生徒がギョッとした表情でこちらを振り向くが、一夏は気に留める事無く次の授業のために準備を始めた。
―――――――――――――――――――――――――
そして10分後――ディンゴが教室へと姿を表した瞬間、一年一組の教室の空気が凍りついてしまうのでは無いかと思える程の沈黙が支配した。
ディンゴはそんな教室を一瞥すると、教卓の上に教科書を乗せて生徒達を睥睨する。
「――号令はどうした?」
「……っ!! き、起立っ!!」
その一言に、号令係に指名されていた生徒が息を呑みながら勢い良く立ち上がり、号令をかける。
生徒達は教えられていないにも関わらず、一糸乱れぬままに立ち上がり、礼をする――そうしなければ殺される……そう思わせてしまう程の圧力が、ディンゴの言葉にはあった。
……無論、それは一夏も箒も例外では無く、一夏は『まるで千冬姉に本気で怒られた時のようだ』感じ、箒は『本気の
そんな彼らの心情を他所に、ディンゴは教壇から生徒達を見回しながら、口の端を吊り上げる。
「……随分と、不満そうな顔だなお前ら」
その一言に、ある者はビクリ、と体を竦ませ、ある者は気不味そうに目を逸らし、またある者は気丈にもディンゴの視線を真っ向から受け止めて逆に睨み付けた。
しかし、睨み返した者達はディンゴの瞳に見据えられた瞬間、気圧されるように青ざめながら俯いてしまう。
「授業を始める前に、質問を許可する――何か俺に聞きたい事があれば手を上げろ」
そう言ってディンゴは教壇を下り、座席の間を縫うように、生徒達一人ひとりを見つめながら教室を巡り始める。
暫しの沈黙の後、ようやくおずおずと手が上がる。
それは一夏の2つ後ろに座るショートカットを持つ生徒、鷹月
「――では、鷹月」
「は……はいっ!!」
指名された鷹月は、慌てて立ち上がると、ディンゴと周囲のクラスメイト達を交互に見ながら、恐る恐るといったように口を開く。
「その……メタトロンの事はともかく、何で私達がLEVの事を学ばなければならないのでしょうか?」
静かな、しかし核心を突いた質問に、鷹月の側に座っていた生徒――確か四十院と言った筈だ――が立ち上がりながら、殆ど叫ぶように声を上げた。
「そ、そうですっ!! 私達はISについて学ぶためにここに来たんです!! 何でLEVの事なん「黙れ――今俺が発言を許可しているのは鷹月だけだ」……ひっ!?」
「――座ってろ。それとも、ここから叩きだされたいか?」
「は…………は、い……」
しかし、言葉の途中でディンゴは容赦無くその言葉を打ち切り、四十院の前へと歩み寄る。
頭1つ分近く高い上背と、数倍はあろうかという体躯の彼を目の前にして、彼女はガタガタと震えながら座る事しか出来なかった。
それを冷たい目で確認すると、ディンゴは鷹月を座らせ、再び教壇へと戻る。
「じゃあ答えてやろう――無論、ISに関わる事だからだ」
その言葉に余計に混乱する生徒達を尻目に、ディンゴは今度は逆に教壇の上の立体モニターを操作する。
すると、一夏の席の立体ディスプレイ上に『指名』という赤い文字が浮かび上がった。
「――織斑。ISとはどういう物なのか、答えてみろ」
「は、はいっ!!」
ディンゴの迫力に呑まれつつも立ち上がった一夏は、若干しどろもどろになりながら、必死に暗記した内容を口にする。
「し、シールドバリアやハイパーセンサー、SSAなど、様々な革新的メタトロン技術を結集して創りだされた、宇宙空間での活動を想定したマルチフォーム・スーツの総称です」
「――良し、大まかではあるがその通りだ。次に……篠ノ之」
「――はい」
次に指名されたのは箒――彼女は一夏や他の生徒達のように動揺する事無く、背筋を真っ直ぐに伸ばしながら立ち上がった。
「――その宇宙空間での活動を想定している『筈の』ISだが、現在は特別な実験や試験の時以外は宇宙空間での行動を原則として禁止されている……これは何故だ?」
「はい、それは現在、アラスカ条約にてISの展開や行動、利用が制限されている為です」
「――良し。アラスカ条約の細かな条項に関しては、IS基礎理論や法規の授業の分野になるので割愛するが、これ以降ISを扱うに当たって確実に必要となってくる……各自、チェックをして頭に叩きこんでおけ」
箒の答えに頷くと、ディンゴは電子黒板にアラスカ条約におけるISの大気圏外活動に関する条項や細則をスラスラと書き出していく。
呆然としていた生徒達は、既に授業が始まっている事に気づき、慌ててそれらをノートや卓上のディスプレイ上にそれらを書き取り、あるいは記録していく。
――この辺りで、一夏はディンゴの言わんとしようとしている事に何となく気付く事が出来た。
彼は、ISの性能の凄まじさと、既存の兵器の力を大きく上回っているせいで、一般人が目を反らしがちな現実を、今ここで明らかにしようとしているのだ。
「――良し。『現在ISは宇宙で活動できない』という事を大前提にした上で、話を進めていくぞ。
……オルコット」
「――――はい」
生徒達が概ね内容を確認した事を確認すると、ディンゴは次にクラスの後方に座っていた縦ロールを持った美しい金髪に、透き通った碧眼を持つ留学生――セシリア・オルコットを指名する。
一夏を含めた生徒達の殆どが、ディンゴに対して萎縮してしまっている中、彼女は若干青ざめてはいるものの、毅然とした態度を崩さずにいる数少ない生徒の一人だ。
イギリスの由緒正しい貴族階級出身であり、代表候補生だという彼女は、ディンゴの言葉に優雅な仕草で立ち上がった。
「――現在、大気圏外の宇宙船外活動や、火星及び以遠のコロニー等の作業等で、最も使用されているのは何だ?」
「……LEVですわ」
ディンゴの質問に、彼女は若干不本意そうに眉を顰めながら答える……それは、これからディンゴが何を言おうとしているのかを察しながらも、自分が彼の思惑通りの答えを返してしまっている事を屈辱に感じているようだった。
「その通りだ……だがお前らは、宇宙空間に於いて、自らの全てを委ねる事が出来る程に、『今の』LEVが優れていると言えるか?」
ディンゴは続ける――AD.2068の
――答えは、否だ。教室にいる生徒達……その中である程度LEVを良く知る一夏ですらも、首を横に振った。
現に、宇宙におけるLEVによる作業や活動での事故率・死亡率は、大気圏内の人の手の届かぬ領域や、危険な場所――深海や、高所、高々度等における作業と比べれば、数十倍、ともすれば数百倍とも言える程に高い。
これは、軌道エレベーターやメタトロン技術による急速な宇宙開発技術の発展による、人類の活動可能範囲の拡大に対して、LEVの性能の向上が遅い事が主な原因だった。
……いや、正確に言えばLEVも開発当初から考えれば、相当な進歩を遂げている。
ただ、メタトロンによる技術への恩恵が、あまりにも想像を絶しているだけなのだ。
それに関して目を瞑ったとしても、残るのは最早日常における交通事故のように、大規模で無ければ一々取り上げられなくなる程に積み重なった数々の事故と、それによって傷ついた人々、失われた命ばかり。
しかし、ISならば――この時代のメタトロン技術の粋であるこのマルチフォーム・スーツならば、この現状をすぐに……とまではいかないまでも、かなり改善する事が出来るのは確実なのである。
――数に限りがあるという大きな制限こそあるものの、PICや絶対防御、
その上、ある程度の素質を持った者がそれなりの訓練を積めば――女性限定という制限こそあるものの――誰もが扱う事が可能だ。。
もしISがその数割だけでも宇宙へ行き、様々な作業に従事する者達を手助けする事が出来たのならば、一体どれだけの人数の人間が救われる事だろう。
……焼け石に水かもしれない、限界があるかもしれないが、確実に、現状よりはマシになる事は確かだ。
だと言うのに、各国はそれらを本来の活躍の場である宇宙へと解き放つ事はせず、ただそれらを解析して細々とした技術革新を続けながら、『競技用』という当たり障りの無い言葉を隠れ蓑にしながらの軍事利用ばかりに傾倒している。
……本当にISを必要としている人々を蔑ろにし、その血と汗――そして命を食い潰しながら。
ディンゴの言葉は、ごく一部を除いて平和な日常を怯懦してきた生徒達にとってあまりにも重く、不思議な説得力があった。
当初彼に反発を抱いていた者も、彼に怯えていた者も、ただ黙って真剣な表情でディンゴの『授業』を聞いている。
「――ISは生み出されてから10年間、マトモに大気圏外に出る事が出来ないでいる。
『宇宙空間での確実な安全性が確認されていない』なんていうふざけた理由でな。
……そこで、この場で最もISを知っている代表候補生であるお前に質問だ、オルコット」
「はい」
「お前は、自分が纏っているISが、宇宙空間で何かしらのトラブルを起こすと思ってるか?
いざという時に、お前の命を守ってくれないような代物だと思うか? そんな信頼の置けない代物に、お前は命を預けてるのか?」
「――いいえ、有り得ませんわ……絶対に、神と、我が家名に誓っても」
ディンゴの帰って来る答えを知った上での確認のような問いに、セシリアは背筋とピン、と張り、まるで神に誓うかの如く胸元に手を当てながら、宣言するかの如く応えた。
その堂々たる声と佇まいには、周囲にいた同性である生徒達すらも思わずほう……、と溜息を吐く程に、優雅さと誇りが込められている。
ディンゴはそんな彼女の姿を見て、満足そうに頷いた。
「――オルコットの言うように、ISが宇宙で活動するに値する性能を持っている事は明白だ。
ISが生み出されてから10年余り……ISに触れ、その性能を知る人間が増えてきた現在、ISを有する多くの国家や企業内で、『ISの大気圏外活動』に関するアラスカ条約の改正の声が上がっている。
それも、アメリカやロシア、中国、ドイツ、フランス、そして日本などの、ISが盛んと言われる主要国家や、N.U.Tや倉持、ティアーズにレーゲン、デュノア等の、IS業界トップ企業が中心になって、だ」
『――!?』
続くディンゴの言葉に、一夏を始めとした一般入試枠の生徒達がざわっ、と色めき立つ。
特に、一夏にとっては思わず立ち上がってしまいそうになるほどに衝撃的だった。
ディンゴが挙げた国家や企業……それは正しく現代の政治や経済を回していると言って良い国家と大企業ばかりだった。
そんな国々が、企業が、仮に本気で条約改正に動き出したとしたら、上手く歯車が噛み合ったならばあっという間にそれは正式な動きとなる事だろう。
「……しかも、再来年度は第三回モンド・グロッソが開催される年だ。
アラスカ条約というIS運用の根本を変えるには、絶好の機会とも言えるだろう。
――ここまで言えば、俺が言いたい事は分かるな?」
――それは即ち、自分達がこの学園に在籍している間に、ISが宇宙へと羽ばたける日が来るという事に他ならない。
それだけではない……もしかしたら、この中の誰もが、現役のIS学園生徒として宇宙に行く第一号となれるかもしれないのだ。
それを察した生徒達は、最早ディンゴが前にいるという事も忘れて目を輝かせ、満面の笑顔で隣の級友と抱き合ったり、歓声を上げる者までいる。
「浮かれたい気持ちは分かるが、話はまだある。少し落ち着け」
しかし、ディンゴは先程までのように叱ったりはせず、高らかに手を打合せて静まらせるに留め、更に言葉を続ける。
「――そして、先程オルコットが答えた通り、現在宇宙で最も使われている作業機械と兵器はLEVだ。
ISの絶対数が限られてしまっている以上、その運用は特殊な事態で無ければ、ほぼ確実にLEVとの協同作業という形になるだろう。
……よって、お前らは『LEVとISとの違いと差』というものを徹底的に知る必要がある。
これから一年間、LEVの大気圏外活動における性能や、基本的な作業や状況のマニュアルを頭に叩き込んでもらうぞ。
それと同時に、現在の所想定されているISの役割や作業についての考察も行う――覚える事は2倍になると思っておけ」
『――はいっ!!』
生徒達が一斉に返事をする。
ここでようやく、全ての生徒達がはっきりと、ディンゴが自分達に何を学ばせようとしているかに気付く事が出来た。
――彼は未来を見据え、自分達を新たなステージに向けて進ませようとしているのだ。
「――補足しておくと、ISの技術にはLEVを中心とした既存技術が多く使われており、逆にISの技術もLEVへとフィードバックされている。
将来宇宙では無く大気圏内でのISの可能性を模索する者、あくまで『競技用』としてISの技術を学ぶ者、二年生から整備課程を希望している者達も技術関連の項目を中心にチェックを入れておけ。
……将来的に、何かしらの役に立つ筈だ」
そう告げると、ディンゴはそれ以上授業の意義について語る事は無く、ただ淡々と授業を進めていった。
――もう、授業前のように不満そうな顔をしている者はいない……生徒達は授業終了の鐘が鳴り響くまで、真剣な眼差しのまま授業に望み続けた。
―――――――――――――――――――――――――
学園に、昼休みを告げるチャイムが鳴り響く。
「……はぁー」
友人達と食堂に向かう者、机の上にあらかじめ持ってきた食事を広げ、談笑を始める者……その喧騒の中で、一夏は溜息を吐きながら先程まで行われていた授業を思い返していた。
――甘く見ていた、というのが正直な感想だ。
最初、一夏は彼が元LEV乗りの軍人として、様々な場面において圧倒的なシェアを持つLEVが、例え圧倒的な性能を持つとは言え、500機にも満たないIS産業に圧迫されているという現状の矛盾を糾弾し、LEVの立場を向上させるような授業を展開していくものだと思っていた。
……しかし、違った。
「今の世界において、LEVとISは表裏一体、決して不可分の存在……か」
ディンゴが授業中に発した言葉を、ぼそり、と繰り返す。
片方が発展する事でもう片方もまた発展し、片方が何か問題を抱えれば片方がそれを支えて、再び前へと進んでいく。
――まるで比翼の鳥だ、と一夏は思った。
共に手を取って、等しい力で羽ばたかなければ、すぐさまバランスを崩し、共に地へと落ちてしまう。
互いの存在が無ければ、どちらも生きてはいけない存在……それが、本来のISとLEVの関係なのだとディンゴは言っていた。
それが今はただ、メタトロンという突然変異にも似た技術革新によって、そのバランスが崩れてしまっているだけなのだ。
そのバランスを保つためにも、ISの本格的な宇宙進出の先駆けとなるかもしれない自分達は、LEVとISの正しい共存の関係を模索し、研鑽を積まねばならない、と。
……そこでふと、一夏は考える。
現状におけるISとLEVの歪な関係の、その最たる例として挙げられる『ISが女性によってしか運用出来ない』という最大の欠点――現在の所、その原則に唯一縛られていないのが自分だ。
もしかしたら、自分が今後この学園で、世界で、どう振る舞っていくかによって、世界におけるバランスを左右する存在になっていくのでは無いか?
「……何て、な」
そんな考えを、一夏はすぐさま否定する――姉と、その姉の友人という身近な存在が『特別』だからと言って、自分が『そう』である訳では無い。
確かに一夏はISを動かせる唯一の男……しかし、国家権力や大企業に逆らう事も出来ぬ一人の小僧っ子だ。
そんな自分が、世界を動かせるなどと、思いあがりも甚だしい。
「……俺はただ、自分がやれる範囲で、宇宙を目指すしか無いんだ」
ぼそり、と呟くその言葉には、少年とは思えない程に老成した諦めと決意に満ちている。
一夏は自分の思考を笑い飛ばすと、勉強道具を机の中に仕舞って立ち上がり、食堂へと歩いていった。
……ディンゴの授業は、幼い頃から世の不条理に苛まれ続けた一夏の諦観に、僅かばかりの綻びを産んだが、それを打ち破る事は出来なかった。
しかし、その綻びが確かな形となって彼の頑なな心に風穴を空ける日は、すぐそこまで迫っていたのである。
―――――――――――――――――――――――――
一夏が食堂へと向かおうとしていたその頃、セシリア・オルコットもまた、昼食を取るために廊下を歩いていた。
だが、その表情は周囲で浮かれる一般生徒達とは違い、何処か険しく、その眉根は寄せられてうっすらと皺が出来ていた。
その傍らを、はしゃいで黄色い歓声を上げながら新入生の一団が通り過ぎるが――彼女達を、セシリアはイライラとした表情で睨みつけた。
そんな彼女の剣幕に押されたのか、少女たちは歓声を止め、傍らの友人達と顔を見合わせながら、目を白黒させて逃げるように立ち去っていく。
「ふん……呑気なものですわね」
新入生達を見下すように鼻を鳴らしながら、思わずセシリアは呟いていた。
ISが流行の玩具であるかのようにはしゃぎ回る彼女達を見ていると、内心反吐が出そうなほどに不快だった。
……そして、同時にそんな優雅とは程遠い感情を抱いてしまう自分自身へも向かい、彼女の表情は更に険しくなっていく。
確かにIS学園は世界でも有数のIS関連技術の水準の高さと、非常に高度な教育カリキュラムを持つ機関である事は、セシリアも重々承知している。
だが、イギリス本国の研究機関で文字通り血も滲むような研鑽を積み、一つのミスも許されぬシビアな環境に身を置いていた彼女にとって、この緩みきったハイスクールのような空気は正直耐え難い。
しかし、そんな感情を少しは和らげてくれたものがあった……それは、先程のディンゴ・イーグリットと名乗る男性教師の授業である。
(……正直、侮っていましたわ)
IS乗りとして、代表候補生として、そして彼女自身の境遇として――ISを第一と考え、その存在は認めつつも何処かLEVを見下していたセシリアとしては、目から鱗が落ちる心地だった。
ISもLEVのどちらも不自然に持ち上げる事も無く、貶める事も無く、全くの同等の存在として評価し、それら2つの、片方が片方を抑圧するでも、足を引っ張るでも無い理想的な未来と、それを目指すために自分達が何をすべきかを教える……そのような男性など、今までセシリア自身見た事が無かった。
(あのような男性も、いる所にはいるのですわね……)
『とある理由』から、今の世に蔓延る男性の多くを見下していた彼女がこのような評価を下すのを見たら、彼女を良く知る人物ならば目を丸くした事だろう。
心の底にまで根付いた男性に対する不信感は完全には拭えないまでも、セシリアはディンゴに対して当初抱いていた嫌悪感は消えていた。
あのような魅力的な授業があるならば、本国の要請で仕方なく入学させられたこの学園にも、僅かばかりの価値を見出す事が出来る。
国家代表という大いなる目標の更に先を示してくれた事も、感謝すべき事だろう――しかし。
(ISの宇宙進出……私達が目指すべき目標……けれど――〉
それでも……彼女の顔から険しい表情は消えない。
(――私が成果を得なければならないのは、今!! 直ぐなのですわ!!〉
その原因は、彼女の手元に浮かぶ携帯端末の立体ディスプレイに表示された、イギリス本国からの指令――この学園に入学する前に受け取り、何度も、何度も見返したその内容に、再び目を通す。
……ともすれば薄れそうになる決意と危機感を、再び呼び起こすかのように。
「――ルコット、おい、オルコット」
「……え? あ、は、はいっ!?」
しかし、少し入れ込み過ぎていたせいか、何時しか周囲の状況も忘れていたらしい。
自分を呼び止める声にようやく気付き、間抜けた声を上げながら慌てて振り向くと、そこには件のディンゴの姿があった。
「どうした? 何か考え事か?」
「な、何でもありませんわ!!」
怪訝そうな表情を浮かべる彼に向かって、醜態を晒してしまった事の羞恥で顔を真赤にしながら、立体ディスプレイを消して慌てて誤魔化す。
指令の内容は代表候補生という自分の立場上、仕方の無い内容ではあるが、教師である人間に大っぴらに見せるのは憚られるものであったし……何より名家の、そして英国淑女の誇りが許せなかった。
「コホン……所で、何の御用でしょうか、イーグリット先生」
すぐに冷静さを取り戻し、セシリアは努めて優雅にディンゴへと自分を呼び止めた用件を聞き返す。
「まぁ大した用じゃ無いんだが――午後の授業の体育の内容を伝え忘れてたんでな。
お前らの端末に送信しておいたから授業の始まる前に各自確認しろ……と一組の奴等に伝えてくれ」
「――承知致しましたわ」
代表候補生である自分を伝言板代わりにする事に内心ムッとしたが、
確かに先程の授業は非常に魅力的ではあった……しかし、だからと言って彼女は『男性』である彼に心を許す気は毛頭無い。
「……用件はそれだけでしょうか? だとしたら失礼致します。私、これから昼食を取らなければいけませんので」
「おう、悪かったな。お疲れさん」
そう一言告げると、セシリアはディンゴから背を向けて食堂へと歩いていく。
途中で僅かに振り返りながら視線を向けると、ディンゴは立ち止まったまま、彼女を鋭い視線でジッと見つめ続けていた。
「……くっ!!」
その鋭さはまるで獲物へと狙いを定める
……その視線と、それに射抜かれた事によって鎌首をもたげた自らの罪悪感からから逃れるかのように。
―――――――――――――――――――――――――
何か後ろめたそうに去っていくセシリア――その背を暫し見つめていたディンゴは、手首で待機状態のブレスレットになっている打鉄の一部機能を展開し、エイダへと
『……エイダ、見つかったか?』
『はい、厳重なロックが掛けられていましたが、当学園の端末に接続された際のコードから解析・ハッキングに成功しました――内容を確認しますか?』
「ああ、頼むぜ」
エイダの声と共に、呼び出された携帯端末の立体ディスプレイ上に展開されたのは、メールのファイル――差出人はイギリスのIS委員会のとある理事からのもの。
そして、その受取人はセシリアだ。
先程の彼女の態度に違和感を覚えたディンゴは、会話を続けながら密かにエイダへと彼女の携帯端末へとハッキングを仕掛けさせたのだ。
その結果は……ビンゴだった。
『正直覗き見みたいで気が引けるが……』
『当機及び貴方は対価として当学園のセキュリティ、及び危険の排除を任されている以上、やむを得ない措置であると判断します』
いくら情報機密保持のためとは言え、思春期の少女の端末の中身を覗く事にいくらかの抵抗を覚えるディンゴに対し、エイダがフォローするが――しかし、と彼女は続けた。
『――順序立てて理論的に説明しなければ、彼女達……千冬や真耶は納得しないでしょう』
『…………確かにな』
いくらこうして厳然たる証拠が掴めたとは言え、自分の生徒の端末を『ただ違和感を覚えた』という理由で覗き見たのだ……この事を話した時の千冬と真耶が取るであろう態度を思うと、正直気が重い。
しかし、こちらが仕入れた情報は可能な限りあちら側に渡すという契約だ――ディンゴは傭兵では無いが、一度交わしたものをそう簡単に反故にするほど薄情では無い。
『何にせよ、話はこの後の授業とお姫サマとの訓練の後だな……その間も監視を頼むぜエイダ』
『――了解。引き続き、セシリア・オルコットの情報端末の送受信ログ、操作ログの監視を行います』
そう告げると、ディンゴは
「…………クズってのは、何時の時代にもいるもんだな」
――ディンゴの瞳が、怒りによってギラリ、と獰猛な光を放つ。
そこには、セシリアに世界初の男性IS操縦者である一夏に接触、監視を行い、彼に関する詳細なデータを取得せよ、という指令が記されていた。
そこまでは良い――書き方の違いさえあれど、各国や企業の息の掛かった生徒や関係職員ならば殆どの者が受け取っていた内容であったし、直接的な動きさえ無ければそのまま泳がせても問題無いと千冬達やディンゴから判断される程度の内容だからだ。
しかし、ディンゴをそれ以上に不快にさせたのは、続く文面だった。
――そこには、この指令が十分に果たされなければ、セシリアの国家代表候補生の資格を剥奪し、彼女の持つ専用機……ブルー・ティアーズを没収。その上で彼女の家への法的援助を打ち切る、との一方的な最後通告があった。
この時代に来てからまだ日も浅いディンゴは、ここに書かれている内容がどれだけの意味を持つのか、まだはっきりと完全に理解する事は出来ない。
……しかし、あの時のセシリアの青ざめ、追い詰められたような表情を見れば、この処分が彼女にとってどれだけ重いものなのかは明白であり、同時にそれが抗うことの出来ないものと分かる。
簡単なプロフィールで確認した彼女の生い立ちを見れば、ある意味納得だ――このままでは彼女は、自らに課した誓いと、誇りを全て奪われる事となるだろう。
圧倒的な力を持った強者が、一方的に弱者を蹂躙する……まるで未来における地球と火星の姿そのものだ。
ディンゴの心の中をドス黒い激情が支配しそうになるが、何とか抑える――今の自分の役割は、ただ激情のままに暴れるだけでは無い筈なのだから。
「……何はともあれ、このまま放ってはおけねぇな」
本来ならば蝶よ花よと愛でられ、歳相応の青春を送る筈だった少女が全てを捧げたものが奪われるのだ――このままではセシリアは更に追い詰められ、何かバカな事を今すぐ仕出かしても可笑しくはない。
……しかし、先程の会話を思い出せばプロフィールによれば『男嫌い』だという彼女だったが、多少の棘こそあったものの、極普通にディンゴへと接していた。
冷静さを失った時にまず表面化するのは、そういった趣味嗜好といった感情的な面だ――そういった点では、まだ十分な理性は残っていると考えられる。
それでも、メールの文面にはっきりとした期日が設けられていない事を考えると、所詮それは時間の表示されていない時限爆弾と何ら代わりは無い。
即急に千冬達と対策を練らねばなるまい。
「……ま、今日何かやらかすのはは確実に無理だろうがな」
にも関わらず、ディンゴの顔には底意地の悪いサディスティックな笑みが浮かんでいた。
―――――――――――――――――――――――――
「ふぅ……優雅さに欠けるとは言え、この国の食事に関しては認めざるを得ませんわね」
それから30分後――本国でも中々味わった事の無い美味い食事に舌鼓を打ったセシリアは、先程とは打って変わった上機嫌な表情で廊下を歩いていた。
そこで、ふと思い出し、携帯端末の立体ディスプレイを呼び出し、学園生徒専用のサーバへとログインする――そこには、授業に関する新着メールを示す光点が表示されていた。
「そう言えば、伝言を頼まれていましたわね。
全く……名誉有るイギリス代表候補生である私を伝言板扱いとは……全く無礼な殿方ですわ」
不機嫌そうに眉根を寄せながら、そのメールを開く――そこには、午後に行われるディンゴによる体育の授業内容が記されていた。
「…………何の、冗談ですの?」
『それ』を見た瞬間、セシリアは顔を真っ青にしながら全身から冷や汗を吹き出し、カタカタと体を震わせる。
――そこには、地獄があった。
今まで厳しい訓練を積んできたセシリアから見ても……いや、そんな彼女の鍛錬が児戯と思えるような体力練成のメニューが、メールの本文に所狭しと書かれている。
最悪なのは、これらの内容が一見不可能に見えて、『抗い様の無い存在に追い立てられれば、死にかけながらも出来てしまう』のが分かってしまう事だ。
そして、重要なのは今日行われる体育の話だけでは無い……ISを扱うに足る体力を養うために、学園では積極的に体育や実技演習を取り入れている。
特に体力の未熟な新入生の体育の授業が行われる日は……休日や、疲労を抜く為の週に一度の休養日を除けば、ほぼ、毎日。
「あ、あははは……」
最早、乾いた笑いしか出なかった。
―――――――――――――――――――――――――
――そして数時間後……グラウンドには、一年一組の生徒達による悲鳴が響きわたっていた。
「ひぃ……死ぬ、死んじゃうぅぅぅぅ……」
「あ、足が……腕が……全身がぁぁ……」
「ハァ……ハァ……あ、あと、な、何回、だ……っけ……?」
「うぇぇぇん……あ、あと、3、セッ……ト」
「……もう……ゴールしても、いいよね……?」
「ま、待てー!! そのゴールテープは切っちゃ駄目!! 戻って来て癒子ー!!」
「く、ぅ……やはり、先生、のっ……鍛錬は、やりがいが……あるっ!!」
「ほ、箒っ!! ま、待って、くれ……!! も、もう、動……け……」
そんな阿鼻叫喚を吹き飛ばす雷鳴のようなディンゴの怒号が、文字通り限界を越えた彼女達を更に追い立てる。
「――無駄口は叩くな!! それに使う酸素で一回、一秒でも多く動け!! ノルマこなすまで休む暇なんざ与えねぇぞ!!」
『は、はいぃぃぃぃっ!!』
「何だその間延びした返事は!! 回数増やされてぇか!!」
『は、はいっ!!』
その悪魔のような追い込みに、普段の優雅さをかなぐり捨てるように全身を汗で濡らしながら、セシリアが一際大きな悲鳴を上げた。
「やっぱり……!! 男……は…………敵、ですわぁああああああっ!!」
――結局その日、一組の生徒達の中で寮へと歩いて帰る事が出来たのは、箒を含めて二名だけであったという。
―――――――――――――――――――――――――
「ふひ~~……こんなに追い込んだの、本家の訓練以来だね~」
ディンゴの体育の授業を乗り切ったその生徒は、爽やかな笑顔を浮かべながら汗を拭うと、授業を終えて悠然と去っていく彼の背中を面白そうに見送っていた。
「ふふふ~、お姉ちゃんとお嬢さまから聞いてたけど、何だか面白そうな人~……暫くは、退屈しないで済みそうだね~」
口元を隠すようににひひ、と笑うと、彼女――布仏 本音はスキップするように軽快な足取りでグラウンドを後にした。
「あ、あんな後でも、ほんわかしているとは……」
「のほほんさん……恐ろしい子……!!」
――疲労困憊で動けない生徒達の、驚愕と畏怖の視線を一身に受けながら。
最後の最後で、ようやく生徒サイドでディンゴの裏の事情を知るあの人が登場。
しかし最近戦闘描写全く書いて無いなぁ……早く書きたい。