IS×Z.O.E ANUBIS 学園に舞い降りた狼(ディンゴ)   作:夜芝生

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前話に続いて、ISサイドの主人公である一夏のエピソードをお送りします。


内容はかなりの独自解釈やオリジナル設定満載となりますので、その点はどうかご容赦下さい。

……あと、Z.O.E要素もかなり薄いです……ごめんなさいorz


Episode.EX2 Side.一夏 曇れども、星は輝く

 

 

――織斑 一夏が『宇宙』という存在を認識したのは何時の事だったろうか?

 

 

 

 覚えているのは、朧気な記憶――誰かに手を引かれながらに見上げた、文字通り天を衝く軌道エレベーターの威容。

 あれほどに巨大な建物が、宇宙の彼方まで繋がっているのだと聞いた時、その途方も無いスケールの大きさに、首が痛くなるまで見上げていた事だけは覚えている。

 

 

 

――その時以来、織斑 一夏にとって宇宙とは憧れになった。

 

 

 

 次に覚えているのは、両親がある日突然いなくなり――姉と二人きりとなった時、大声を上げて泣きじゃくる彼を強く、強く抱きしめながら、姉が囁いた言葉。

 

『――一夏、泣くな。お前には私がいる……お前は、一人ぼっちなんかじゃないんだ』

 

 そう囁く姉の言葉は湿り、目の端には雫が頬を伝って流れ落ちていたが、一夏はそんな姉の心が嬉しくて、負けじと強く抱きしめ返した。

 

『うん……がんばる……ぼく、ちふゆねぇみたいに、つよくなる』

『うん、そうか……そうか……』

 

 ぐずりながらも必死に言葉を紡ぐ彼の背を、姉はただ優しく、何度も何度も撫でてくれる。

 しかし、次に一夏が口にした言葉に、その手は固まるかのように止まった。

 

『――そうすれば、おとうさんもおかあさんも……かえってきてくれるよね?

いっしょに、『うちゅう』へ行けるんだよね?』

『いち、か……』

 

 そんな彼を、姉は潰さんばかりに抱きしめると、湿り気を帯びた声を震わせながら、胸の中の弟へと囁いた。

 

『ああ……そうだ――だから、お前が強くなるまで、私がお前を守ってやる。

そして、一緒に宇宙へ行こう……絶対にだ』

 

 

 

――その日から、一夏にとって宇宙とは『約束』の証となった。

 

 

 

 その『約束』と『憧れ』を目指して、一夏はひたすらに努力した。

 頭が良くなければ駄目だと聞けば、慣れないテキストや問題集を手に机へと向かい、体を鍛えなければならないと聞けば、姉と共に、近所にあった古武術の道場である神社に足繁く通い、幾度も幾度も剣を奮い、拳を突き出し、蹴りを放った。

 

 勉強の方は中々頭に入らなかったが、代わりに一夏は体を鍛える事に関しては、一角の才能を持ち合わせていた。

 竹刀で叩かれ、畳に叩き付けられ、手足の血豆が破け、技を受け損ねて前歯を折り、その痛みに泣き叫んでも、すぐに立ち直ってはただ我武者羅に。

 ぎこちなくしか動かなかった自分の体が、滑らかに技を繰り出せるようになる事が嬉しくて、更にのめり込んでいった。

 

 

 そして、次第にそれまで千冬と二人ぼっちだった一夏にも、友達や知り合いが沢山出来た。

 

 

 道場の師範と、その奥さんであるおばさんは時々凄く怖いけれど、その代わりいつもは凄く優しかった。

 物凄く頭が良く、いつも色んな機械や玩具を作ってくれる姉の同級生のお姉さんと一緒に、騒いでは怒られて、それすらも楽しくて。

 けれど、一番覚えているのは……幼馴染の、長い黒髪の綺麗な女の子。

 

 

『――ふん、今日もわたしのかちだな』

 

 

……最初の一年は、剣も、打撃も、投げ技も、その全てが敵わなくて、いつも目の敵にしては稽古と称して喧嘩を吹っかけていたのを覚えている。

 けれど、そんな日々を毎日繰り返している内に、何時の間にか常に隣にいる、大切な家族のような存在になっていた。

 切っ掛けは良く覚えていないけれど、それはきっと些細な事――けれどもその日を境に、一夏の思い出は鮮やかな『色』を帯び始める。

 

『……いつも、お前はいったいなにをよんでいるんだ?』

『え? しらねーのか? これだよ――うちゅうのはなしだ!!』

『うちゅう?』

『ああ!! ほうきはしってるか!? うちゅうって、ものすごく大きくて、広くて、どこまでもつづいてるらしいぜ!!』

 

 そう言って、宇宙の星々を載せた図鑑を見せると、箒は少し恥ずかしそうに目を逸らしながら口を尖らせた。

 

『そ、それぐらいしっている!! ば、バカにするな!!』

『何だよ? 何おこってるんだ?』

『う、うるさいっ!! で!? その宇宙がどうかしたのか?』

 

 何故か顔を真赤にしながら声を荒げる彼女に首を傾げながら、一夏は手にした図鑑を箒にも見えるように床に広げる。

 

 

――そこには、何処までも続く深い闇の世界に散りばめられた、色鮮やかな星々の姿があった。

 

 

 そのどれもが人の作り出す明かりとは全く違う、幻想的な光。

 しかもその色彩には一つとして同じ色は無く、ページをめくるごとに、箒の目の光はまるで夢見る乙女のような興奮に輝いていた。

 

『すごい……きれいだ……』

『だろ!? すげぇよなー……行ってみたいよなあー……』

『ああ……きっと、とても美しいところなのだろうな……」

 

 2人揃って夢中になって、図鑑の中に広がる宇宙に思いを馳せる。

 全てのページを捲り終えたら、また最初から――そしてまた全てのページを捲り終えたら、また最初から……時間が経つのも忘れて、2人は目の前に広がる宇宙に釘付けになっていた。

 

 

――肩を寄せ合い、時折目が合っては微笑み会い、また図鑑のページに目を下ろして……それは、何にも代えがたい、2人だけの大切な時間。

 

 

『……い――おい、二人共聞いているのか?』

『――え? うわっ!? 千冬ねぇ!?』

『さっきから何度も呼んでいただろう……お前の宇宙好きは、相変わらずだな』

 

 そうしていると、不意に後ろから声が掛けられて驚きながら一夏が振り向くと、そこには道着を来て、竹刀と防具袋を担いだ千冬が、呆れ顔で立っていた。

 図鑑に夢中になり過ぎて、どうやら何度も呼ばれていたのに全く気付かなかったようだ。

 

『あれあれ~? いっくんだけじゃなくて、箒ちゃんもいるなんて珍しいね~?

いつもいつもツンケンしてるのに、これが所謂「セイシュン」って奴なのかな♪』

『あ、あねうえっ!! ち、ちがうのですっ!! こ、これはいちかがむりやり……!!』

 

 千冬の傍らには薙刀を手にした同じく道着姿の束がいて、開口一番箒をからかい、それに対して彼女は顔を真赤にして頭を振った。

 しかし、束は尚もクスクスと口に手を当てながら微笑むと、柱に掛けられていた時計をチラリ、と見遣る。

 

『むふふふふ……その割には、時間をすっかり忘れてたみたいだね~~。

時計を見てご覧箒ちゃん――今日の稽古は何時からだったかな―?』

『え――――あっ!?」

 

 見れば、何時の間にか時計の長針は二回ほど回っていた。

 稽古の時間はとっくの昔に過ぎてしまっている。

 

『やれやれ……一夏は良くある事だと言っても、まさかお前もとはな箒。

――師匠が……お父様がお怒りだったぞ? 後で謝っておくといい』

『……はい』

 

 千冬の言葉に項垂れながら頷いた箒の顔は、見る見る内に怒りと恥ずかしさで真っ赤になっていき、彼女はそのやり場の無い感情を、傍らにいた一夏へと爆発させた。

 

『~~~~いちかっ!! これもぜんぶぜんぶおまえのせいだっ!!』

『なんでだよっ!! お前もすっごいニコニコしながら見てたじゃねーか!!』

『なっ!? に、ニコニコなどしていないっ!! と、とにかくおまえがわるいっ!!』

『なんだそりゃ!? わけ分かんねーよ!!』

 

 そしてそのまま喧嘩になり、最終的には稽古と試合に発展、二人共ヘトヘトになって道場の真ん中で息も絶え絶えに大の字になる……というのが、あの頃の一夏と箒の日常だった。

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

『く、くっそ~~……やっぱ、おまえってつよいよな、ほうき』

『お、おまえこそ……だんだんと、うでが上がっているな、いちか』

『ははっ……あははははっ!!』

『ふふっ……はははははっ!!』

 

 そして、道場の床に寝転がりながら、お互いを健闘し合うと、どちらとも知れずに微笑み合い、それは次第に大笑いとなって道場に木霊し――すぐに、2人は喧嘩を止めていつも仲の良い2人に戻るのだ。

 道場の窓の格子の間からは、黄昏時を過ぎて闇に包まれつつある空が見える――そこに浮かぶ星を見つめながら、一夏は呟いた。

 

『なぁほうき――うちゅうにも、人がすめるほしがあるって知ってるか?』

『あぁ……たしか、火星――だろう?』

『おれ、うちゅうにもし行けたら、その次は火星に行きたいんだ』

『――なぜだ?』

 

 首を傾げる箒に、一夏は図鑑を目の前にした時のように目を輝かせながら答える。

 その視線は、遠い遥か彼方にあるであろう、彼の心の中の赤い星に向かって注がれていた。

 

『だって、かっこいいじゃん? ものすごいとおくのばしょで、毎日がんばりながらくらす、なんてさ』

『いちか……』

 

 

 

『……それに、あそこにはきっと、父さんと母さんがいるから』

 

 

 

『――――!?』

 

 

 

 箒の目が驚愕で見開かれるのを見て、一夏は首を傾げた。

 

『……? どうしたんだよ、そんなにおどろいて』

『い、いちか……それはいったい、だれからきいたのだ……?』

『千冬ねぇ。まえに、2人がどこに行ったの?って聞いたら、「とおい空の上」って言ってたんだ。

ふつうの人だったら、きっと行けないばしょだって』

『…………』

『とおい空の上にあって、月みたいにすぐに行けるところじゃないばしょ……って言ったら、火星しかねーじゃん?

それだったら、かえってくるのをまつより、こっちから行ってやれっておもってさ』

 

 嬉しそうに語る一夏とは裏腹に、箒の顔は心無しか青ざめているように見えた。

……思えばこの時、彼女は一夏の言葉の中にある矛盾に気づいていたのかもしれないが、当時の彼にはそれを慮る事は出来なかった。

 

『きっと、父さんも母さんもよろこんで――――って、ほうき?』

 

――不意に、手を硬く握られる。

 気付けば、箒は一夏のすぐ傍までにじり寄り、彼の体に寄り添いながらこちらの顔を、泣きそうな顔で覗き込んでいた。

 

『な、なんだよいきなり!?』

 

 彼女の突然の行動に、気恥ずかしさと驚きで顔を赤くしながら、声を大きくする。

 しかし、箒はその言葉に耳を貸さず、湿り気を帯びたような声で囁いた。

 

『――わたしは、いやだぞ』

『え?』

『おまえが、とおくに行ってしまうなんて……いやだ』

 

――そこで、ようやく一夏は気付いた。

 自分の両親が『遠く』へ行ってしまった時、自分が、そして千冬が、どれだけ悲しい思いをしたか、どれだけ涙を流したか。

 

 

 そんな思いを、箒にさせるつもりなのか?

 

 

 彼女だけではない――今の自分には、おじさんやおばさんがいる、千冬がいる、束がいる……ようやく出来た繋がりを、自ら捨てようと言うのか?

 

『…………ごめん、ほうき』

『ふん、わかればいいのだ……はじめてあったときから、おまえはかってなのだ……ばかもの』

 

 一夏が謝ると、箒は鼻をすすり上げながら握り締める手の力を少しだけ緩めた。

 そして暫く、2人は暗くなり始めた道場の天井を、手を繋いだまま見つめる。

 

『――なぁ、ほうき……でもおれはぜったいに、うちゅうへ……火星に行きたいんだ』

『なっ……!? おまえはまだ……!!』

 

 そう呟いた一夏を、箒は再び抗議の視線を向けるが、その瞳を真っ直ぐに見つめながら告げる。

 

 

 

『そのときは……いっしょに行こうぜ、ほうき』

『…………え?』

『お前だけじゃない……千冬ねぇや、束さん、ししょうやおばさんたちもいっしょに――みんなでいっしょに、うちゅうへ行くんだ』

 

 呆然とする箒の意識を引き戻すかのように、今度は自分が彼女の手をしっかりと握り締める。

 それは、絶対にこの手を離さない――そう誓うかのような、力強さが込められていた。

 

『おれひとりだけで行くんじゃなくて、みんなでいっしょに行けば、だれもさみしくなんてないだろ?』

 

 それは、単純で幼稚な――しかし、子供の頭で精一杯に考えた思いつき。

 しかし、箒はそれを聞いてまるで花が咲いたかのように笑った。

 

『…………うん、行く。わたしも……おまえといっしょに行きたい』

『ほんとか!? やったぜ!! やっと千冬ねぇたちとおなじなかまができた!!』

 

 その言葉に込められた思いなどお構いなしに、一夏は笑った。

 ようやく、同い年の、思いを同じくする同士が出来た事がただただ嬉しくて、箒を引き摺り回さんばかりにはしゃぎ回った。

 

『――何時まで何をはしゃぎ回っている二人共。夕飯の時間だ――早く着替えて来い』

『早くしないと束さんとちーちゃんが全部たーべちゃーうぞー♪』

 

 そうしている間に、何時の間にか道場の入り口には千冬と束の姿があった。

 彼女達の言葉に、食べ盛りの2人はそれまでの交流の残滓を吹き飛ばすかの如き勢いで立ち上がり、2人を追いかける。

 

『ええっ!? ちょ、ちょっとまってくれよっ!!』

『ごむたいですっ!! ちふゆさん!! あねうえっ!!』

『――冗談だ。だからそんなに急ぐな……転んだらどうする?』

 

 ワイワイと騒ぎながら母屋へ続く渡り廊下を歩いていると、束が一夏の顔を覗きこみながらにんまりと笑いかけて来た。

 こんな顔をしている時の彼女は、決まって何か悪巧みや奇想天外な発明をしている時だ。

 

『あっ!! もしかして、またなにかはつめいしたのか、束さんっ!?』

『むふふふ~♪ それは正解だけど、残念ながら中身は秘密なのだよいっくん!!』

『ええ~!? なんだよケチっ!! すこしはおしえてくれよ~』

 

 不満気にぶうぶうと口を尖らせる一夏の頭を、束は悪戯めいた笑みを浮かべながら、くしゃり、と撫でる。

 その手は小さいけれどとても温かくて、心地よかった。

 

『――そう言えば、この前カリストの有人探査船が面白いモノを持ち帰って来たとはしゃいでいたが……それか?』

『ふふふ、ご名答~♪ 後でちーちゃんにもお披露目してあげるから、楽しみにね~』

『あっ!! ずるいですあねうえ!! わたしにもみせてください!!』

『おおっ!! 勿論箒ちゃんにもね!! 束さんのビックリドッキリ大発明で、宇宙までひとっ飛びだよ!!』

 

 そんな風に、四人揃ってワイワイと騒ぎながら、団欒の夕餉を囲うのが、一夏の日常。

 

 

 

――そこには、決して切れる事の無い、確かな家族の絆があった。

 

 

 

 けれど……それは唐突に終わりを告げた。

 

 

 

 束が言う大発明が……インフィニット・ストラトスが、世界中に公開されてから。

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

――AD.2176 都市部近郊 五反田食堂

 

 

「……あれから、もう10年経つんだよな」

 

 もう我が家同然となった『五反田食堂』の屋根の上に寝転がり、過去の思い出を反芻しながら、一夏は『あの日』のように夜空を見上げていた。

 

 

……あれから、色々な事があった。

 

 

 ISが世に出て、白騎士事件によって世界が震撼したあの日から、一夏はいくつもの日常を壊され、いくつもの絆を失ってきた。 

 頭上に広がる星々は、何時までも変わらずに瞬いているが、それが何処か曇っているのは、スモッグや天気のせいだけでは無い。

 きっとそれは、今の織斑 一夏の瞳から、あの頃のような純粋な光が失われてしまったせいなのだろう。

 

 

 

「――箒、千冬姉、束さん……鈴、秋姉……会いてぇなぁ……皆に」

 

 

 

 色々意味で、遠くに行ってしまった人達の名を独り呟く――それは、彼がこの10年で失ってきた『絆』そのものだ。

 普段なら、共に暮らす兄弟分の親友と共にバカ騒ぎをして忘れる事が出来ていた感情が、今の一夏の心の中に溢れていた。

 それはきっと、ようやく固く結ばれた絆が、また再び遠ざかってしまうかもしれない事を恐れているからだ。

 

「おっ……いたいた。部屋にいないと思ってたら、またここにいたのかよ――また、星でも見てたのか?」

「ああ、悪ぃな弾――ちょっと、気分転換したくなってさ」

 

 物思いに耽っていた一夏の横手から投げかけられた言葉に、振り向く事無く答える。

 確認せずとも分かっている――そこにいるのは、五反田 弾……一夏の悪友であり、この五反田食堂の跡取り息子でもある少年だ。

 付き合いは小学校高学年の頃からと短いが、今や一夏の側に確かに残る『絆』の一つで、家族同然の存在である。

 

「また瓦を落としたり割ったりしてみろ……また爺ちゃんにぶん殴られるぞ。

俺まで巻き添え食うんだから、勘弁だぜ?」

「はは、悪い悪い……って、つーかあの時の原因は主にお前だったろ?

屋根の上で花火やるとか言って、よりにもよってネズミ花火なんか持ち出しやがって」

「ちょ、ちょっとチョイス失敗はしたけど、はしゃぎ回って瓦踏み抜いたのはお前じゃねーか!!」

「いきなり足元に落とされたら飛び上がりもするだろ!! 元々の元凶が罪なすりつけんな!!」

 

 そうやって冗談めかした言い争いをしながら、弾は一夏の横に並ぶように腰掛ける。

 赤みがかった茶髪を無造作に伸ばし、ブカブカのバンダナで纏めている姿は一見だらしのないように見えるが、顔は割りと整っているので、ファッションと言われれば納得してしまうぐらいに似合っていた。

 しかし、クラスの女子から『黙っていれば美形』と揶揄されるように、軽薄で軟派な態度と言動のせいで、イマイチ締まらない……というのが、一般的な周囲からの彼の評価だ。

 

 

……だが、一夏は知っている。

 

 

 バンドをやったり、盛り場でナンパをしたりと自由に生きているように見える傍ら、この五反田食堂を本気で継ぐために色々な料理の勉強や修行に打ち込んでいる真面目な一面を持ち、細かな気配りを忘れない一本筋の通った男だという事を。

 事実、今こうして隣にいるのも、一夏の事を慮っての事だろう。

 

「…………そろそろ寝なくてもいいのか? 明日だろ、受験」

 

 ひとしきり笑い合い、共に星を眺めていた弾が、真剣な表情で語りかけてきた。

 腕時計を見れば、時刻はそろそろ日付が変わろうとする時間……彼の心配も最もだ。

 

「――なんか、色々考えちゃって、眠れなくてさ」

「お前も緊張とかするんだな……明日は隕石でも振るんじゃねぇか?」

「うるせぇな……俺だって、たまにはそういう時だってあるんだよ」

「ま、無理もねぇか――あんなに必死こいてたもんな、お前」

 

 一夏は明日、高校受験本番を迎える――それも本命の、藍越学園のLEV操縦課程の特待生試験だ。

 この日のため、一夏は必死に勉強をしてきた――それは弾や妹の蘭、祖父であり食堂の主である厳と母親の蓮すらも心配する程の必死さで。

 

 

 何故ならその道は、宇宙へと繋がっているからだ。

 

 

 藍越学園は非常に安い学費と、様々な資格を取る事の出来る多種多様なカリキュラムで知られた高校であり、その就職率は非常に高く、世間一般では就職を目指す高校生達にとっての職業訓練校のような学校として知られている。

 その中でもISと双璧を成す、もう一つの時代の花型であるLEVを扱う課程は特に人気が高く、その特待生の多くが、各国の宇宙開発事業団や、N.E.U(ネレイダム)を始めとした宇宙で活動する様々な企業などにスカウトされ、火星や月面、各コロニー等で活躍していた。

 

 ISがアラスカ条約によって宇宙進出を果たせていない現状では、LEVは未だに宇宙の船外活動作業におけるパイオニアであり、LEVが開発されて以来、名を連ねる宇宙飛行士の多くがLEVの操縦者であった。

 そのためこの時代においてまず宇宙を目指すなら、純粋に宇宙飛行士としての勉強や訓練をするのでは無く、LEVの操縦技術を学ぶのが主流となっている。

 

「ああ……やっと、夢が叶うかもしれないんだ。もし失敗したらって思うと、緊張もすれば、興奮もするよ」

 

 それだけ聞けば、何処にでもある夢を現実に変えようとしている少年にとって当たり前の言葉のように思えるが、一夏にとってはそうでは無かった。

 

「長かったよな、『許可』が降りるまで――その間のお前と来たら……正直、見ちゃいられなかったぜ?」

「それについては、悪かったと思ってるよ……鈴にも、蘭にも、厳さんや蓮おばさんにも心配かけちまったし」

「当たりめーだこのバカ。特に蘭は今でも心配してんだかんな? その内爺ちゃんに殺されるぞ、お前」

「はは、そりゃ勘弁だな……分かった、改めて謝っとくよ」

 

 今の一夏の立場は、ただの受験生では無い――最強のIS操縦者、『ブリュンヒルデ』である織斑 千冬の弟であり、篠ノ之 束が『人間』として認識出来る者の中で唯一の男性でもある。

 それだけならば、ただ単にマスコミや各国関係機関のマークに時々名が挙がる程度で済んでいたのだが、事情が変わったのは2年前――中学一年生の頃、一夏は誘拐されたのだ。

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

――あれは忘れもしない……ドイツで行われた、第二回モンド・グロッソ。

 

 

 政府から送られた専用チケットを片手に、意気揚々と会場へ向かっていた一夏は、突如数人の男達に取り押さえられ、車に押し込まれて拉致された。

 銃を突き付けられていたため抵抗も出来いまま、一夏は郊外にある廃屋へと監禁され、そこで犯人たちの目的を聞かされた。

 

 

……それは、『ブリュンヒルデ』織斑 千冬による、モンド・グロッソ二連覇の阻止。

 

 

 その理由を彼らは色々と説明していたが、覚えていないし覚える気も無かった。

 ただ分かったのは、自分の唯一の肉親である姉の誇りが、目の前の外道どもの手によって地に堕ちようとしているという事実だけ。

 怒り狂った一夏は当然のように抵抗した――しかし、すぐに取り押さえられ、抵抗した分の何倍、何十倍もの数殴られ、蹴られ、叩きのめされた。

 その後、犯人たちは何やら色々と無線機や電話越しに誰かと交渉していたが、結局纏まらずにとうとう総合優勝を決める決勝戦が行われる日になった。

 

 

 

――激昂した犯人たちは、一夏に銃を突き付け……その後の事は、良く覚えてはいない。

 

 

 

 覚えているのは、体を跳ねさせるような衝撃、灼熱感、激痛。

 

 

 

 屋根を突き破って飛び込んできた紅い機体と、悪鬼の如き千冬の表情、獣のような咆哮と共に振り下ろされる白刃。

 

 

 

 そして――――赤、紅、朱。

 

 

 

――全てが終わり、こちらに手を差し伸べる姉の全身にぶち撒けられた、(アカ)

 

 

 

――安堵の表情を浮かべる姉の顔に、隈取りのように走り、浮かび上がる……それ以上に禍々しいメタトロンの、(アカ)

 

 

 

……今でもはっきりと思い出そうとしても、吐き気がする――思い出しくも、無い。

 

 

 

 その後意識を失った一夏は、その時に負った怪我とショックから、数週間眠り続けた。

 目覚めた病院のベッドで聞かされたのは……千冬が決勝戦直前に棄権した事、今後自分が重要人物保護プログラムによって保護されるという抗いようも無い現実だった。

 重要人物保護プログラムは、様々な面でその者を保護する代わりに、多くの代償を必要とする。

 一夏にかけられたプログラムの重要度は決して高くは無かったが、それとは関係無しにかけられてしまう制限というものも存在するのだ。

 

 その中の一つが、『職業選択の制限』――保護される重要人物は、プログラムが用意した職業にしか基本就く事が出来ず、何かしらの命の危険に晒される可能性の高い職業はそもそも選択肢にすら挙げられる事は無かった。

 

 

 

 つまりそれは……幼い頃から夢見ていた宇宙への夢が、まだ穏やかだった頃の約束と絆の証が――砕けた瞬間だった。

 

 

 

 その上、一夏が監禁されていた場所の情報提供を受けた見返りとして、千冬は一年間、ドイツへと出向を余儀なくされていた。

 それは高度な政治的取引であり、仕方の無い事であったのは分かっている……しかし、当時の彼にとっては、それはまるで不甲斐ない自分に失望した姉が離れて行ってしまったように思えたのだ。

  加えて、箒と別れてからすぐに仲良くなった少女が、その後間もなく転校してしまった事も、更に拍車をかけた。

 

 

 一夏は荒れに荒れた……胸の中にぽっかりと空いた穴に吹く冷たい風の音をかき消すかのように。

 

 

 しかし、事情が変わったのは今から半年ほど前――弾と同じ市立の高校に進もうとしていた一夏へと、政府から連絡があった。

 

 

――藍越学園のLEV操縦課程、その特待生試験をパス出来れば、君の選択出来る職業に宇宙開発事業関連の項目を書き加えてもいい、と。

 

 

 それを聞いた瞬間、一夏は天地がひっくり返る程の衝撃を受けた。

 今まで再三懇願しても通らなかった願いが、突如聞き届けられたのだから。

 無論、五反田家の者達はこの提案に対して烈火の如く反対した。

 

 

 何故ならこんな時期に突如出された選択肢――絶対に、何かしらの思惑があるに違いない、と。

 

 

 何せ一時は五反田家にまで監視カメラや盗聴器を仕掛けようとした――交渉しに来た黒服は、全員厳の中華鍋で叩きのめされたが――者達だ……信用など、出来よう筈が無い。

 だが、弾から怒鳴られ、蘭に泣きつかれ、蓮に窘められ、厳に殴られても、一夏は決して引かなかった。

 

『それでも……俺は、宇宙に行きたいんだ』

 

 それを言われては、何も言えなかった――この数年間、一夏を最も間近で見てきた彼らは、その宇宙への憧れと執着を、痛い程に理解していたから。

 

 

 

――幼い頃の約束の証は、最早一種の呪いのように、彼の心を縛り付けてしまっていた。

 

 

 

 しかし、その一念こそがどん底にあった彼を支えたモノであり、それに向かう事で一夏が変わってくれるのならばと、五反田家の皆は最終的に首を縦に振った。

 

 

 

 そして、それから一夏は脇目も振らず、寝食すら時に忘れるまでに勉強し、勉強し、勉強し続けて……今に至る。

 最後の模試の時にA判定を取った時には、五反田家総出で祝った事も、今では良い思い出だ。

 その努力も、明日できっと報われる――そう確信出来る程に、一夏は努力を重ねてきた。

 けれど――、

 

「その割には、お前――何で、そんな顔すんだよ?」

「え? あ……ははっ、何言ってんだよ弾――ちょっと緊張してるだけで、別に――」

 

 

 

「とぼけんな――普段のお前が、ちょっと緊張した程度でそんな……寂しそうな顔なんて、する訳無いだろ」

 

 

 

 弾の言う通りだった――一夏は宇宙への道が開かれた喜びと同じくらいに、この五反田家から……ISによってあの頃の『絆』を壊されてから、再び紡ぐ事の出来たこの新たな『絆』から離れる事を、心から恐れている。

 

「――はは……やっぱり弾には、隠し事は出来ないな」

「ったりめーだ――何年一緒に暮らして来たと思ってんだよ」

 

 弾の真剣な表情に、これ以上誤魔化す事は出来ず、観念したように力無く笑う一夏に対して、彼は憤慨したような顔で毒づいた。

 

 課程によってそれぞれ全く違ったカリキュラムを持つ藍越学園だが、特にLEV操縦課程は特殊であり、特待生は強制的に一年間、特別な許可が無い限り近郊以外の外出を制限され、2、3年生になっても、実家に帰れる機会は数える程しか無い。

 その厳しさ、過酷さを考えれば当然の措置ではあったが、何よりも『絆』の繋がりを大切にする一夏にとっては、何よりも耐え難い事だった。

 

 

――遠く離れる程、触れ合う機会が少なくなる程、その『絆』は細くなり、消えてしまうのでは無いか?

 

 

 『あの日』以来幾度も絆を失って来た一夏は、そんな恐怖をずっと抱き続けていたのだ。

 

 

 

「なぁ弾…………お前は、いなくならないよな? どっかに、行っちまったりしないよな?」

 

 

 

 そう言って弾を見つめる一夏の目は、まるで闇夜で迷子になった童のように不安と、恐怖で揺れていた。

 弾は、そんな一夏の頭を力強く抑え付け、ガシガシと激しく撫でた。

 

「寝言言ってんじゃねぇよ一夏――俺はずっとここにいる。

俺だけじゃねぇぞ? 蘭だって、母ちゃんだって、爺ちゃんだって……この五反田食堂だって、ずっとずっとここにある。お前が何処に行こうと、どんな風になろうったってな」

「……ああ、ありがとな――『兄貴』」

「おう、何か嫌な事でもありゃ、いつでも聞くぜ、兄弟」

 

 弾の言葉に、一夏は安堵の表情を浮かべて笑った。

――きっとその表情は、いつもと同じ、馬鹿騒ぎをしている時のように笑えたと思う。

 

「――そう言えば、一夏……もし受験会場でキレイなネーちゃんがいたら声掛けて来いよ。

んで、俺に紹介しろ。そしたらメシ奢ってやるからよ」

「やだよ、街中ならともかく、受験会場でんな事やったら、怒られる所じゃ済まないぞ?

叩きだされたりしたらどうすんだ」

「何だよ使えねーなー。折角甘いマスク持ってんだから、たまには有効活用しろよ」

「――お断りだよ!! それに誰しも男がお前みたいに誰彼構わずナンパ出来るなんて思うなよ!!」

「なっ!? 失礼な奴だなお前!! 俺だってこう、声を掛けるのは自分の中でビビビッて来た娘だけでだな――」

 

 そして、先程までの重い空気を打ち払うかのような、いつまでも続くのかと思えるような軽口の応酬――先程まで一夏の中に巣食っていた不安は、何時の間にか霧散してしまっていた。

 一時期荒れてしまっていた一夏が立ち直り、ここまでこうして来れたのは、このやかましくも楽しいこの少年が側にいたからだ。

 

(ありがとな……弾)

 

 心の中で、傍らにいる彼に気付かれないように、そっと呟く。

 そこには、この数年分の感謝が凝縮されていた。

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

「お兄ぃー!! 一夏兄ぃー!! 二人共ちょっとうるさい!! 今何時だと思ってんのよ!!」

 

 その時、ベランダから不機嫌そうな声が響いた。

 屋根際から見下ろせば、そこには弾と同じく赤みがかった茶髪をバンダナで纏めた、弾に良く似た――と言うと、本人は烈火の如く怒り出すが――少女が憤慨したように腰に手を当てて見上げていた。

 時間を見れば、とうに日付は変わってしまっている。

 

「特に一夏兄は明日受験本番なんでしょ!? 明日寝坊したらどうすんの!?」

「はは、ごめんな蘭――ちょっと、星が見たくなってさ」

「あ……そういう事なら、あまり遅くなり過ぎないようにすればいいけどさ、うん」

 

 一夏が一言謝ると、蘭の言葉は尻すぼみになってしまった。

 彼が『星を見る』時は、何か不安な時や、悩みがある時と決まっているからだ。

……ちょっと卑怯だとは思ったが、説教が長引いて本当に明日に響いても困るので、心の中で蘭に頭を下げながら一夏はベランダへと降り立った。

 続いて弾もそれに続こうと足をそろそろと伸ばして着地しようとしたが――その足を、蘭は強引に引っ張る。

 

「ぐげっ!?」

 

 突然の妹の暴挙に、弾は成す術無く引きずり降ろされ、勢い余ってベランダの手摺に頭を強打する。

 金属が打ち震える鈍い音が響く――当たり所が色々な意味で良かったのか、弾は暫く悶絶しながらじたばたと痛みに耐えるように転げまわった。

 

「……っっつあああああ……ら、蘭お前……じ、実の兄を殺す気か……!!」

「うっさい馬鹿兄!! 一夏兄を探しに行く、とか言っときながら、ミイラ取りがミイラになってどうすんの!?」

「お、俺は一夏の愚痴を聞いてやってたんだぞ? 決して無駄に時間を使わせた訳じゃ……」

「うるさいっ!! 私が言いたいのはそこじゃ無くて……」

 

 恐らくは確実にたん瘤になっているであろう頭をさすりながら弁明する弾の胸ぐらを、蘭は問答無用とばかりに掴んで引き寄せる。

 

 

 

「――何で私も呼んでくれなかったのよバカッ!! わ、私だって一夏兄と色々お喋りしたかったのにっ!!」

 

 

 

「あー……」

 

 顔を真っ赤にしながら怒鳴る蘭の言葉に、一転、弾は何か生暖かいモノを見るような目で妹を見つめた。

 何だかんだ言っているが何の事は無い……この五反田 蘭は、一夏に出会った時からベタ惚れなのである。

 先程から蘭が不機嫌だったのは何の事は無い、仲間外れにされた焼き餅なのであった。

 

「とは言っても、蘭にとっても遅い時間だろ? 巻き込んじゃ悪いと思ってさ……ごめんな」

 

 しかし、一夏はそんな彼女に優しく微笑みながらバンダナ越しに蘭の頭をくしゃり、と撫でた。

 

「~~~~っ!? あ、いや……一夏兄が気にする事なんて、無い、から……」

 

 ボフンッ!! と音がするような勢いで、蘭の顔が真っ赤に染まる。

 彼女がしどろもどろになっている間に、一夏は部屋の窓を開けて中に入っていった。

 

「あ、あのさっ!! 一夏兄!!」

「ん?」

「あの、その、え……っと……」

 

 だが、一夏の姿が廊下の向こうへと消える寸前に自失から立ち直った蘭は、その背に声を投げかける。

 それから、何かを言い出そうとして口を開くが、思い留まって再び口を閉じる……それを数度繰り返して、ようやく言葉を吐き出した。

 

「あ、明日の試験、頑張ってね!! お、応援――してるからさ!!」

「…………うん。ありがとな蘭――俺、頑張るから」

「うんっ!!」

 

 蘭の精一杯を感じ取ったのか、一夏は彼女の事に真剣な表情で答えると、お休み、と一言挨拶してから廊下の向こうにある、弾との共用部屋へと去っていった。

 それを見届けた蘭を支えるように、弾はその肩をぽん、と叩く。

 

「……何も明日でお別れって訳じゃねーんだ――だから、泣くなよ」

「う、ん……」

 

 蘭は瞳からいくつもの雫を零していた――幾つもの雫は筋となり、彼女の頬を濡らしている。

 弾の言う通り……一夏は明日、ただ受験をしに行くだけだ。

 もしかしたら、受験に失敗して、またいつもと同じように、三人一緒に学校へ登校する毎日が始まるかもしれない。

 

「でも、でもさ……何だか私、嫌な予感がするんだ……何だか、一夏兄が遠くに行っちゃうような気がして……」

「いや、お前な……」

 

 想い人が受験しに行くだけで何を大袈裟な……と呆れたように溜息を吐こうとした弾だったが、続く蘭の言葉に、その表情は凍りついた。

 

 

 

「…………秋姉ちゃんの時、みたいに」

 

 

 

「――――っ!! この、馬鹿野郎っ!!」

 

 その瞬間、弾は今が深夜である事も忘れて、蘭を怒鳴りつけた。

 普段は滅多に見せない兄の剣幕に、息を呑みながら彼女は身を固くする。

 

「痛っ……!? お兄、ご、ごめん……ごめんなさいっ……!! わ、私……」

「あ、す、済まねぇ蘭……つい、カッとしちまってよ……」

 

 まるで幼子のように怯える妹の姿に、弾はすぐに我に帰って彼女の肩に食い込ませてしまっていた手を慌てて離した。

 思った以上に力を込めてしまったのか、彼女の肩には、弾の手の形に痣が出来ている。

 

「でもな蘭……冗談でも、そんな事言わないでくれよ――一夏が、秋姉みたいに……なるなんて」

「……うん、ごめんねお兄」

 

 冷静さを取り戻し、蘭を窘める弾だったが、その表情はきつく顰められ、僅かに青ざめている。

 蘭が口にした名前の事を思い出すのは、弾にとっても非常に辛い事だった。

 

 

 

……思い出すのは、一夏と知り合って間もなくの頃。

 

 

 

 あの頃の一夏は、何かと一人でいる事が多かった――ISが開発されてから間も無い頃から、その才能と技量を買われていた千冬は、様々な研究機関や政府から呼び出される事が続いていたためだ。

 近所に引っ越してきた縁から、厳と蓮は子供達に声を掛け、なるべく彼が寂しい思いをしないで済むように毎日のように遊びに行かせたり、来させたりしていた。

 弾と蘭、一夏、そして厳の直弟子である中華料理屋の娘である(りん)を含めた四人で、いつも野山を駆けずり回り、ゲームなどに興じていたのものだ。

 

……しかし、無駄に行動力があった彼らは、親の目の届かない所まで遊びに行き、良く生傷だらけになっては帰って来る事も多かった。

 四人に注意を払おうにも、千冬は不定期に家を空けざるを得ず、保護者達は昼間は店を開けなくてはいけないため、常に目を光らせている訳にはいかない。

 

 

 

――そんな時白羽の矢が立ったのは、当時五反田食堂にバイトに来ていた、近所のお姉さんだった。

 

 

 

 名前も、年齢も良く覚えてはいない――ただ、厳や蓮からは『秋ちゃん』と呼ばれていた。

 

 家は裕福では無かったのか、身なりは同じ年頃の少女達と比べれば質素で、化粧気も殆ど無く、手も水仕事でボロボロで、垢切れだらけだった。

 男勝りで姉御肌な切符の良い性格をしており、自分達の遊びにもからからと笑って付き合ってくれる事も多かったため、弾や蘭達は彼女の事を『秋姉、秋姉』と慕っていたのを覚えている。

 

 一番懐いたのは、以外にも一夏だった――恐らくは、家を空けがちだった姉と年頃も近い事もあってか、彼女のいない寂しさを埋めてくれたのかもしれない。

 秋姉もそんな一夏を不憫に思ったのか、時には彼の家に食事を持って行ったり、掃除をしに行ったりとまるで家族のように接していた。

 

 千冬もそんな彼女を気に入り、良く共に出かけたりもするぐらいに仲良くなり、彼女は一夏にとって『もう一人の姉』と言っても過言では無い存在になっていった。

 

 

……しかし、ある日の事、彼女は突然姿を消した。

 

 

 弾と蘭は本人から何も知らされず、彼女が親の残した借金の返済のために、L(ラグランジュ)4、5開発の労働者に志願して移民船へと乗り込んだと祖父と母から聞いたのは、大分後になってからだ。

 一夏は彼女が消える前日、『何か』を伝えられたらしいが、それを問い質しても彼は悲しそうな顔をしたまま沈黙してしまい、決して教えてはくれなかった。

 大人たちは彼女が今火星の何処にいるのか、そこで何をしているのか、黙して答えず、暗に『詮索をするな』と再三釘をさしてきたのを覚えている。

 

 

 それでも、弾も蘭も、そして鈴も、決して納得する事無く、学校や図書館の資料や新聞などを使って秋姉の足跡を必死に集めようと試みた。

 一夏はあまり乗り気では無かったが、三人はそんな彼に発破をかけ、引きずるような勢いで彼を連れ出していた――思えば、既に彼は何かを予感していたのかもしれない。

 そして、図書館でとうとう彼女の行方を示す資料を突き止めた四人だったが……その瞬間、大人たちが自分達を止めた理由を知ると同時に、絶望した。

 

 

 

――結論から言えば、彼女は既に亡くなっていた。

 殆ど名ばかりの民間企業に払い下げられた旧型の宇宙船の、杜撰な整備と航路計算の連鎖が引き起こす、当時多発していた火星への航路上の事故に巻き込まれて。

 

 

 

……あの時一夏があげた悲痛な絶叫を、弾と蘭は未だに思い出す。

 

 

 

 ISの開発によって失い、再び得た家族の如き『絆』――それがよりにもよって、自分が誰よりも憧れ、何よりも強く『絆』を繋ぎ止めていた筈の『宇宙』に奪われてしまったのだ。

 その時の一夏の絶望は如何ばかりであったか、想像することも出来ない。

 

 

 

 分かっているのは、それから一夏があまり宇宙の話をしなくなったという事だけだ。

 

 

 

 一夏にとって、そして弾達にとっても、『絆』の喪失の発端となったと言うべき秋姉との死別は、未だに暗い禍根を残しているのである。

 それ故、五反田家では秋姉の事を話題に出すのは、一種のタブーになってしまっていた。

 

〈今も、そこにいるのならさ……秋姉――)

 

 けれど、それでも弾は今も何処かで自分達を見守っているであろう、遠い日の『姉』に願わずにはいられなかった。

 だから、弾と蘭は何処か遠くなってしまった星空を見上げる。

 

(――あいつの心がまた、真っ直ぐに宇宙へ行けるように……手を貸してやってくれよ……)

 

 その願いは、言葉になる事無く天へと上っていく。

 

 

 

……その願いが図らずも果たされるのは、まだ暫く先の事である。

 

 

 

 そして、翌朝――一夏は五反田家の皆のエールと共に、藍越学園受験に向けて送り出されていった。

 

 

 

……だが、彼がLEV操縦課程の特待生として、その門を潜る事は無かったのである。

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

――地下に設けられたアリーナ状の施設の中心で、IS『打鉄』を纏った『少年』が倒れ伏していた。

 

 

 

 ISの拳や脚部による破壊の残滓が残るその周囲には、同じく打鉄を纏ったディンゴと、ラファール・リヴァイヴを纏った真耶――そして、倒れ伏す少年を、潰さんばかりに抱き締める千冬の姿。

 

「済まなかったな二人共……怪我は無いか?」

「は、はい……な、何とか……」

「このぐらい大した事は無ぇよ――気にすんな」

 

 視線は目の前の少年に向けたまま、千冬は2人に謝罪する――答えるディンゴの打鉄の肩装甲のあちこちは砕け、真耶のラファール・リヴァイブの右腕は粉々に砕かれていた。

 

「そうか……」

 

 それに安堵したように溜息を吐くと、千冬は少年の――この世で唯一の、血を分けた愛しい弟の頬を、普段の彼女からは想像も出来ない程に優しく、弱々しく撫でる。

 

 

 

「何故……お前なんだ……一夏……」

 

 

 

 その悲痛な声と共に、彼女の頬に紅のメタトロン光が輝く。

 涙の跡を照らすように奔ったそれは、まるで血の涙のように見えた。

 

 

 

 

 

――『世界で初めて』男性がISを起動させた、というニュースが飛び交ったのは、その日の夕方の事。

 

 

 

 

 

 IS学園を襲った『不幸な事故』に遅れる事一ヶ月後の出来事だった。

 

 

 

 

 




これにてIS本編開始前の閑話は終了になります。
一夏が何故藍越学園の受験から、この話のラストへと至ったのかは、本編開始後に何処かしらで描写する予定です。



ISサイドの登場人物の改変点その2

一夏
・五反田家にて居候&もう一人の家族化。
・宇宙を目指す、絆を取り戻すor繋ぎ止める等、モチベーションUP要素を追加。
・LEVや宇宙に関する知識の取得、それに合わせて学力アップ。
・身体能力&戦闘力微アップ。
・家族、友人知人に対する依存度極大アップ。
・箒に対する愛情度、鈴に対する親愛度アップ。
・トラウマ多数追加。


・漢気極大アップ。
・一夏との信頼度極大アップ。


・一夏との距離大幅縮。
・一夏への親愛度、愛情度アップ。
・それに従い一夏の呼び方が「一夏さん」→「一夏兄」に変更


……もう一夏に関しては変更点ばっかりと言っても過言ではありませんな(汗
ICHIKA状態にならないようにバランスは上手く合わせていくつもりなので、宜しくお願いいたします。

一夏も、箒とはまた別ベクトルでかなり不遇なんですよね。
彼もよくグレなかったもんです……なまじ外界との関係が切れていない事を考えると余計に。
まぁ、グレたとしても何か悪さをすれば千冬にぶちのめされるでしょうが。

両親や篠ノ之一家、千冬や鈴など、自分に近い場所にいた人物が自分の傍からいなくなる経験を何度も繰り返している事を考えると、シャルが女と判明した時のあの必死っぷりも何となく理解出来るような気がします。

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