告白と虚空とお姫様
彼―――物部悠には、秘密があった。
三年前、彼の故郷の町を“青”のヘカトンケイルから守るため、“緑”のユグドラシルと取引を行った事。
ユグドラシルから送られてくる力の情報―――旧文明の兵器データはあまりに膨大で、ダウンロードを行うたびに記憶が失われてしまう事。
もしその事を知れば妹の深月はきっと傷つくであろう。だから隠してきた。深月が苦しむ顔は、見たくなかったから―――。
けれど、それももう手遅れだった。
悠は―――深月が本当の妹でない事すら、忘れてしまっていた。彼女への大切な想いすら……失っていた。
悠が悠である事。ただ、それだけで深月を傷つけてしまう事を恐れていた。悠はいつの間にかそんなモノに成り果てていた。
その事を自覚したのは、ほんのつい先程。
微かに揺れる輸送船の中―――彼にあてがわれた船室の前で、今の悠にとって一番大切なはずの少女、イリス・フレイアを前に、胸の内に留めてきたその秘密を告白する。
イリスはどうやら、悠の気持ちを知りたいらしく、先の戦いが終わったら話をしたいと言っていた。
しかし、話を聞いたら予想だにしなかった話だった。
胸を軋ませながら絞り出すのは、懺悔にも似た言葉。
イリスは彼の話を黙って聞いてくれた。
「悪い。いきなりこんな話を聞かせて……」
話を終えた後、悠は罪悪感を覚えながら謝る。
―――俺は、何をやってるんだ。
自分の弱さに呆れ、強い後悔が湧き上がるが……もう時間は戻せない。
「うん……色んな事をいっぺんに言われて、頭の中がグルグルかも」
苦笑交じりの声でイリスは答えた後、彼の背中に手を回した。
悔恨に塗れた心が、トクンと脈打つ。
「でも―――モノノベがあたしを頼ってくれた事だけは、ちゃんと分かったよ。だから大丈夫!」
イリスは悠の正面から瞳を覗き込んでくる。
「今度は、あたしがモノノベを助けるから」
はっきりと決意の表情を浮かべて、イリスはそう宣言した。
その眼差しには一切の迷いがない。ただ―――悠だけを見つめている。
「イリス……」
「これ、皆には秘密の事なんだよね? だったら続きは部屋で聞かせて。もっとちゃんとモノノベの話を聞いて、どうすればいいか考えたいの」
そうして彼らは船室に入り、ベッドに二人並んで腰掛けて更に話を続ける。
具体的にどんな記憶を失ったのか。何故秘密にしなければならなかったのか―――。
真剣な顔で問いかけるイリスに、悠は全て正直に答えた。
やがて質問も途切れ、部屋には静寂が満ちる。
イリスは無言で天井をしばらく見上げた後、ぽつりと言葉を
「モノノベ、今は悩んだり迷ったりするんじゃなくて、これからの事を一緒に考えようよ」
「これからの事?」
「そう、何とかしてモノノベの記憶を取り戻す方法を見つけなきゃ」
それを聞いた悠は、ポカンと口を開ける。
理解できない。本当に分からない。どうしてイリスはそんなことを平然と口にできるのか。
「本気で、言ってるのか?」
「え? うん、もちろん本気だよ。モノノベは、やっぱり難しいと思う?」
「いや、難しいとか簡単とか、そういう話じゃなくて……それがどういう意味か、分かっているのか? もし万が一、俺が記憶を取り戻せたとしたら―――」
それは、あまりに残酷な事実。だから悠は最後まで言葉にすることは出来なかった。
けれどイリスは、彼の言いたい事を察したらしく、少し寂しげに笑う。
「モノノベは―――今のモノノベじゃなくなっちゃうね。分かってる……でも、いいの。あたしはモノノベを助けるって、決めたから」
はっきりとイリスは告げる。
どうしてそこまで強くなれるのか。
思えば出会った時からそうだった。悠はイリスの事を、一度たりとも理解できたことはない。いつも彼女は、悠の予想を良い意味でも悪い意味でも裏切ってみせた。
多分こんなにも理解不能だからこそ……彼女に惹かれてしまったのだろう。
呆然とイリスの顔を見つめていると、彼女は少し照れた様子で視線を逸らす。
「えっと……偉そうな事を言ったけど、具体的な方法はまだ何も思い浮かんでないの。ごめんね」
「謝らないでくれ。ありがとう、気持ちだけで十分だ」
記憶を戻す方法など存在するとも思えないが、悠は心から礼を言う。
「あ、でも一つだけ気になった事はあるよ。モノノベはあまり気にしてないみたいだったから、すごく意外だったんだけど……」
「何がそんなに気になったんだ?」
「モノノベはユグドラシルと契約したせいで、記憶を失くしちゃったんだよね」
「あ、ああ。けどそれは仕方ない代償で―――」
悠はダウンロードされるデータがそれほど膨大である事を伝えようとする。だがイリスは彼の言葉を途中で遮り、強い懸念を込めた口調でこう言った。
「本当に? あたしはそんな風に思えないよ。どうしてモノノベは、ユグドラシルのことを全然警戒してないの? あれは人間の敵……ドラゴンなんだよ?」
◇
バジリスク討伐作戦が終了し、輸送船でミッドガルに帰港してはや数日。
「ほら兄さん、急いでください。遅刻しますよ」
宿舎から学園に続く道を走りながら、妹の物部深月が悠を急かす。その傍らには二人の様子を眺めているポケモンの申し子(自称)、大河大和がいた。
足を動かす度、深月の長い髪が軽やかに波打つ。
「まだ大丈夫だって。早歩きでも始業のチャイムには間に合うさ」
悠はノート型の個人端末を入れた
「悠、それで油断してたらバケツ持って廊下に立たされっぞ」
「いつの時代だよ……」
昭和時代の知識が大和の口から出て、悠はツッコミを入れる。
「バケツ云々はともかくとして、生徒会長の私がそんなギリギリに登校したら、他の生徒に示しが付きません。遅くとも五分前には正門を潜らないと遅刻同然です」
「だったら深月は先に行っててくれ。俺はまだ腹が重いから、自分のペースで行かせてもらう」
寝坊したために朝食を急いで食べたばかりの悠は、脇腹を押さえながら言う。
「ダメです! 私は兄さんの監視役なんですから、もしも兄さんが遅刻したら、それは私の責任になります」
「連帯責任って奴だな」
大和が深月の言葉にうんうんと首を縦に振りながらそう言う。
「そういう事です。というか、大和さんまで私達に付き合う必要はないんですよ? あなたまで遅刻してしまいます」
「そう? いざとなったら悠を校舎までブン投げようと思ってたんだけど」
「ちょ……怖い事を言うな!?」
悠は大和の末恐ろしい言葉にビクリと反応する。
「でもまあ大丈夫じゃない? 皆で入れば怖くない。三人寄れば……なんだっけ」
「文殊の知恵、です。意味が違います。大和さんまで責任を負う必要はないので、先に行っててください」
さらっと補足説明を加えた後、大和を先に行かせようと促す。
「ん、おかのした。じゃあ新技―――」
新技? と悠と深月は大和の言葉に疑問を持つ。彼は人差し指と中指を額に当て―――。
「虚空を行くZE!」
その場からシュンッと姿を消した。よく見ると、何やら青い軌跡を残しつつ移動していたのが窺える―――それも、高速で。
どこぞの次元を跨ぐ戦闘兵の如く、伝説のポケモンである“パルキア”の能力を一時的に使用、応用して生み出した空間の転移。
そして、彼が“普通に”走るだけで常人の数倍の速度で走れる。彼らの目から見て高速に見えたのはそのせいだろう。
なら先程まで悠達と同じ速度で走っていたように見えたのは、彼的には“ゆっくり走っていた”と思われる。
あっという間に姿が見えなくなった悠と深月は呆然とするが、すぐに我を取り戻して走り出す。悠の手を引いて。
◇
「ふう……」
亜空間から現実世界に戻ってきた大和。
「ポータルも引けば良かったかな? いや、そこまでしたら
大和は悠と深月の事を配慮し、その二人はまだ遠くにいるだろうと思い、そのまま歩き出す。
ふと、島のどこからでも見える高い時計塔は、始業時間の二十分前を指している。
およそ一ヶ月前、キーリとヘカトンケイルによってミッドガルは大きな被害を
恐らく、大和達がバジリスク討伐へ赴いている間に、大体の復旧作業が終わっていたのだろう。
ミッドガルはドラゴンと戦う“D”の
キーリに爆破された深月の部屋や、(大和も被った)瓦礫で天井が壊れた体育館も同様に修復済みである。
まだ残っている爪痕は、ヘカトンケイルによって踏み潰された木々ぐらいのものだ。
手持ちのIDカードを
その途中、校舎に入ったところで見知った顔を見つけた。
「お、ティアじゃん。おはよー」
その人物は、頭に小さな角を生やした幼い少女―――ティア・ライトニング。光の加減でピンク色にも見える色素の薄い髪を揺らし、大和の言葉に反応する。
「あっ、ヤマト! おはようなの!」
元気な声で挨拶を返すティア。
「どうしたこんなところで。もしかして悠待ち?」
「うん! ユウに会いたくて待ってるの」
どうやら悠の事を待っているらしく、スタンバっていたと大和談。
「悠ならもうちょっとで来るよ。それまで待ってたら?」
「そうなの? なら、もう少し待ってるの!」
「おー」と大和はお気楽そうな声を上げながら教室に向かう。
転入した当初は悠から離れようとしなかったティアだが、今は大和含んだクラスメイト達にも心を開き、リーザ・ハイウォーカーと同室で生活している。
大和が、ティアは今日は一人で来たのかな、リーザとは来てないのかなと一人疑問に考えながら歩いていると、教室に着いた。
扉を開け、教室内を見ると既に三人の生徒の姿があった。
「やあ、おはよう」
軽い感じで挨拶をしてきたのは、ボーイッシュな雰囲気の少女―――アリエラ・ルー。
「……ん」
続いて小さく身振りだけで挨拶する赤毛の少女、レン・ミヤザワ。
「おっはよー」
大和は相変わらず能天気な挨拶を返しつつ、教室の中に入る。
「イリスもおはよー」
教室にいたもう一人の少女にも大和は挨拶を交わす。
「あ、うん……おはよう」
窓の外に視線を向けていた少女―――イリス・フレイアは大和が来た事に今気付いたらしい。
何か考え事をしていたのだろうか―――と思いつつ、大和は着席する。彼の席は3×3に並んだ三列の中央、その最前席だ。
(まーた悠と何かあったんかな。んーもう、罪な男)
内心でオネエ語を交えながらホームルームの準備をしていると、悠と深月が教室内に入ってきた。よく見れば、ティアも一緒だ。
「やあ君達、おはよう」
「ん」
先程大和に挨拶したみたいに彼らに挨拶をする。
「おはようございます」
「おはようなの!」
深月、ティアが挨拶をしつつ教室の中に入る。
「おはよう、アリエラ、レン」
悠も二人に挨拶を返し、教室にいるもう一人の少女―――イリスに視線を向ける。
「お、おはよう」
イリスは悠にぎこちない挨拶を口にする。
「おはよう、イリス」
悠は笑みを浮かべて返事をするが、イリスはちらりと深月の方を見て、悠から顔を逸らした。
隣の席に悠が座っても、イリスは窓の外に視線を向けたまま。これまではイリスの方から頻繁に話しかけてくるのが普通だったので、彼はどこか落ち着かなかった。
「……イリスさんと喧嘩でもしたのですか?」
悠達の様子を見た深月が問いかける。
「いや、そういうわけじゃないんだが……」
しかし、深月が積極的になったのとは正反対に、イリスはティアと張り合っていた時のようなスキンシップをしてこなくなった。特に深月のいる前では。
恐らく、深月に遠慮しているのだろう。
何故ならイリスが選択をしたのは―――“今の悠”を諦める事と同義。
悠はイリスに無理を強いてしまった事を不甲斐なく感じているが、どうすればいいのかも分からない。ただ、今の状況が間違っているのだけは確かだった。
何が正解なのかと考えている内に、始業のベルが鳴る。そしてベルが鳴り終わる直前に、リーザとフィリルが教室に入ってきた。
フィリルは本を持っておらず、何処か思いつめたような表情を浮かべている。
大和はそんな彼女に何かあったのだろうかと怪訝な表情になる。
「大丈夫です、フィリルさん。わたくしが何とかしてあげますから」
「リーザ……でも―――」
「いいから任せてください」
二人は何やら深刻な雰囲気で会話をしながら席に着き、その直後に担任である
3×3に並んだ最後尾中央の席に座る悠は、最前列の両端に座る二人の姿を眺める。
「それでは出欠を取る」
彼らの所属するブリュンヒルデ教室は悠と大和を含めて九名。一目で出欠が確認できる少人数クラスではあるが、遥は名簿を開き一人ずつ名前を呼ぶ。
「リーザ・ハイウォーカー」
出席番号一番のリーザが呼ばれた。
「…………」
けれどリーザはすぐに返事をしない。じっと、フィリルの方に視線を向けている。
「リーザ、リーザ、呼ばれてる」
フィリルの表情は迷いと躊躇いの色を浮かべ、大和の小声に気に留めないリーザの眼差しを受け止めていた。
「リーザ・ハイウォーカー、聞こえなかったのか?」
繰り返し名前を呼ぶ遥。するとリーザは決意をした表情でフィリルから視線を外し、ガタンと席から立ち上がる。
「篠宮先生、お願いしたいことがあります」
「……今はホームルームの時間だぞ? 話があるなら後にしろ」
「申し訳ありませんが、事は一刻を争います。後回しにはできません。可能な限り早く―――フィリルさんに、ミッドガルから出る許可をいただけないでしょうか?」
リーザは真剣な口調で遥に問いかける。
―――ミッドガルからの外出許可だって?
事情は分からないが、いきなり無茶を言い出したものだと悠は疑問に思う。このミッドガルは
“D”は様々な悪意から遠ざけるために、また普通の人間を“D”から守るために、このミッドガルは存在している。
「突然何を……君も知っているはずだ。“D”は二十歳前後を迎え、能力が自然消滅するまで、基本的にミッドガルを出る事はできない」
遥はミッドガルのルールを口にする。一度ミッドガルに来た”D”は大人になるまで、この学園で過ごさなけれはならない。
「もちろん承知していますわ。けれど、あえてそこを曲げていただけませんか?」
「無茶を言うな。そもそも一体何のために―――いや、そうか……あの方が亡くなったのだったな」
遥も思い出したようで、フィリルに視線を向けて呟く。
「はい、ですからフィリルさんを葬儀に出席させてあげたいのです」
どうやらフィリルに関わりのある誰かが亡くなったという話らしい。彼女の様子が普段と違うのも頷ける。
「気持ちは分かるが……彼女だけを特別扱いすることはできない」
遥の返答はご最もなもの。これまで同じような状況になった者も少なからずいただろう。しかしそれで一時外出が許されるほど、ミッドガルのルールは甘くない。
それをリーザも分かっているはずだが、それでも彼女は食い下がる。
「篠宮先生、それは前提が間違っていますわ。フィリルさんは特別な存在です。何しろ彼女はミッドガルの自治権獲得に多大な貢献をし、今も巨額の寄付を行なっているエルリア公国の―――」
「たとえミッドガルの外でどのような立場であろうと、ここでは単なる一生徒だ。そのような理屈は通らない」
遥はリーザの言葉を遮り、はっきりと告げる。
(あ―――)
そこまで言って、大和はある人物が思い浮かんだ。それは数日前、フィリルが輸送船で話してくれた人物の事を―――。
「ですがっ―――」
「……リーザ、もういいよ。ありがと……十分だから」
更に反論しようとするリーザをフィリルが止める。
「フィリルさん……」
「やっぱり、ルールは守らなきゃ。
フィリルは遥に頭を下げて謝った。
「いや―――親族の葬儀に出席したいというのは当然の要望だ。私の方こそ応えてやれなくて、すまない」
遥もフィリルに謝り、リーザさんは渋々といった様子で席に着く。
少し重い空気のままホームルームが始まる。大和はもう確信が付いていた。
(やっぱり。遥先生が“親族”って言ってた辺り、やはりあの人か)
その人物の出身国は、エルリア公国という地だ。“D”にまつわる近代史の授業で、その名前はよく耳にする。
エルリア公国は、西ヨーロッパの内陸部に位置する小国。希少資源の輸出で、近年目覚ましい経済成長を遂げているという。
(……ん?)
ふと、後ろの方で声が聞こえた。いや、大和のずば抜けた聴力故か。
大和は、一キロ先でも針が落ちた音も聴こえてしまうという、ピクシーの能力を使用し、音源を確かめる。
その声は、深月と悠によるもの。何やら小声で会話していたようだ。
「エルリア公国は民主制ですが、王家は国の象徴として存続しています。“D”の人権回復運動の旗頭となったのは今の国王。さて、そのお名前は?」
深月は、悠に問題を投げていた。
「な、名前? いや、そこまでは憶えてないな」
「全く……そんな事では次のテストが心配ですね。正解はアルバート・クレスト。残念ながら―――つい先日、お亡くなりになりました」
「クレスト? 確かそれって……」
そのファミリーネームはクラス全員が知っている名前。
「そう、彼女―――フィリル・クレストさんは、亡くなったアルバート王の孫娘。正真正銘のお姫様なんですよ」
APEX楽しすぎる……勝てないけど←