ファフニール? いいえポケモンです。   作:legends

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済みません、二巻はもう少し続きます!


キーリ・スルト・ムスペルヘイム

 悠は駆ける。ただ全力で大地を蹴る。

 

 呼吸も忘れて、宿舎への道を駆け戻る。星空に吐き出される黒煙を視界に収めながら、必死に足を動かす。

 

 走り出した直後に深月の制止する声が聞こえたが、構っている暇はなかった。

 

 たった一秒の遅れが、誰かの生死を分ける。

 

 戦場で磨かれた直感が、今はそういう状況なのだと訴えかけていた。

 

 ヘカトンケイルへの切り札である自分が持ち場を離れるリスクも分かっている。あの巨人が架空武装である確証もない。 

 

 しかし、悠は己の勘に従う。今戦うべきなのは、ヘカトンケイルではない。最も危険に晒されているのは、恐らくティアとリーザだ。

 

 深月の宿舎が見えてくる。だが、煙はその少し先―――体育館側の方向から舞い上がっている。

 

 悠は宿舎に辿り着いても足を止めず、ひたすら駆ける。

 

「はぁっ……はあっ……」

 

 走り続けていたので、自然と呼吸は荒くなる。だが―――止まらない。

 

 息切れを起こしそうになるのも顧みず、激しい呼吸を繰り返しながら足を動かす。

 

 それだけ、嫌な予感がしていた。大和の救出に向かった二人が危険に晒されているのではないかと。

 

 駆けていく内に、人の影が視界に映っていく。肉眼で誰かを判別するかは困難だったが、見えるのは―――三人。

 

 ―――三人? 確か大和のところに向かったのはリーザとティアのはず。

 

 悠が未だ駆ける仲、そんな事を思う。一人増えているのが不可解だったが、次第に距離を狭めていく中でそれが鮮明になっていく。

 

 だが、事が明らかになるより先に、熱波が押し寄せてきた。

 

「くっ……」

 

 危険を感じた悠は足を緩め、素早く視界を広げて周囲の状況を確認する。

 

 濛々と煙を上げているのは、宿舎の一室から。大きな爆発があったようで、宿舎の壁には焼け焦げている。

 

 芝生が広がる裏庭には、あちこちから火の手が上がり、一部は完全に焼き払われて地肌が見えていた。

 

 そして―――三人の少女。

 

 一人は射抜く神槍(グングニル)を構えたリーザ。服は焼け焦げ、額から血を流している。

 

 リーザは後ろにティアを庇い、空気による防壁を展開しているようだった。周囲にごうごうと風が渦巻いている。

 

 ティアは震える体を自分の両腕で抱きしめ、リーザが対峙する少女を見つめていた。

 

 彼女は、射抜く神槍の穂先を向けられながらも薄く微笑んでいる。

 

 結われた長い黒髪が熱風に揺れ、眼鏡のレンズには燃え盛る炎が映り込んでいた。

 

 悠は彼女に見覚えがあった。

 

 ―――立川穂乃花。

 

 ティアと共にミッドガルへ転入してきた少女。何度か話す機会があって仲良くなり、つい先程もメールを交わした。

 

 ―――どうして、穂乃花がこんなところに―――?

 

 疑問が頭の中で渦巻くが、兵士としての自分は冷静に状況を分析し、結論を下していた。

 

 理由を考える必要などない。あれは、敵だと。

 

 だが、悠は逡巡していた。穂乃花が敵だというのは早計だ。彼女は友人であり、できれば力になりたいと思っていた相手。

 

 そんな悠の心境を知らず、穂乃花はチラリと彼に視線を向けると、口の端を歪めた。

 

「ふふ、手間取ったせいで彼が来てしまったわ。本気を出すしかないようね」

 

 まるで別人のような口調で呟くと、穂乃果は手のひらをリーザに翳す。

 

 ぞわりと、嫌な予感が背筋を駆け上がった。

 

 ―――動け! リーザがやられるぞ!

 

 本能が絶叫し、悠は迷いを捨てた。

 

 対人兵装―――AT・ネルガル!

 

 悠は対人制圧用の射出式スタンガンを物質変換で作り出し、穂乃花に向けて引き金を引く。

 

 ボンッ! と穂乃花の前で小さな爆発が起こった。放った弾丸が蒸発したのだと、遅れて認識すると同時に、ネルガルを持つ右手に熱を感じた。

 

「つっ……!?」

 

 慌ててネルガルを手放し、後ろへ飛び退く。

 

 ぐにゃりと飴のように歪んだネルガルは赤熱し、中の火薬に引火して爆発した。

 

(何だ? 何をされた?)

 

 悠は思考する。同時に、軽い火傷を負った右手を意識しながら、穂乃花を見据える。

 

「いきなり撃つなんてヒドイじゃない。けど、正しい判断よ。ほんの少し反応が遅かったら、彼女の綺麗な顔が台無しになってしまっていたかもしれないから」

 

 くすくすとおかしそうに笑う穂乃花。それを聞いたリーザが怒りの声を上げる。

 

「あまり調子に乗らないで欲しいですわね。手加減していたのは、わたくしも同じです。ですがもう、覚悟を決めました―――――貫け、閃光っ!!」

 

 リーザは穂乃花に向けて、槍の穂先から極太のレーザーを放つ。巨大なダイヤモンドの塊すら一瞬で貫通する攻撃は、人間に向けるようなものではない。直撃すれば融解し、原型すら残らないだろう。

 

 だがその強力無比な一撃は、穂乃花に届く事はなかった。レーザーの軌跡は途中で奇妙に捻れ、あらぬ方向へ飛んでいく。

 

「なっ……」

 

 驚愕の声を上げるリーザ。

 

 辺りの気温がまた更に上がったのを感じた。立ち昇る陽炎が、穂乃花の姿を揺らめかせる。

 

 驚きに満ちているリーザに対し、穂乃花は冷たい視線を投げる。

 

「あなた……いい加減ウザいわよ」

 

 ボンッと、何の予兆もなくリーザの真横で爆発が起こる。

 

「きゃあっ!?」

 

 爆風に吹き飛ばされ、宿舎の壁に叩き付けられるリーザ。風の防壁があったお陰か直撃は免れたが、そのままズルズルと壁を背にして崩れ落ちる。手から架空武装が消滅した。

 

「リーザっ!」

 

 ティアが悲鳴を上げて、リーザに駆け寄る。悠もすぐさま助けに向かいたかったが、動く事ができなかった。

 

 穂乃花が悠の方向を見据える。一瞬でも注意を逸らせば命取りになると、直感が告げていた。

 

「これでやっと落ち着いて話ができるわね―――悠さん?」

 

 皮肉っぽい口調で悠の名を呼ぶ穂乃花。

 

 悠は熱気で乾いた口内を唾で湿らせ、固い声で言う。

 

「穂乃花……何でこんな事を? 狙いは、ティアか?」

 

「ええ、そうよ。ティアは、私がバジリスクの元へ連れて行く」

 

 その返事を聞いて悠は奥歯を噛み締め、彼女の正体を悟った。

 

 目の前の人物が“ムスペルの子ら”という事も確信し、これで何者であるかが分かった。

 

 穂乃花が“D”であり、そして“ムスペルの子ら”に所属している。とすれば、該当するのはただ一人。

 

「お前が……キーリ・スルト・ムスペルヘイムだな?」

 

 ロキ少佐から送られたデータをまだ見てはいないが、他に思い付く名前はない。

 

「ご名答。まあ、それも適当に付けた名前だけどね。だから別に、穂乃花って呼んでくれても構わないわよ?」

 

「遠慮させてもらう。お前を、友人の名では呼ばない」

 

「そう……残念。穂乃花という名前、私は気に入っていたんだけど」

 

 穂乃花―――否、キーリはどこか寂しげに笑って、掛けていた眼鏡を投げ捨てる。

 

 地面に落ちた眼鏡は熱で歪んで溶けていく。

 

「まさか、転入生として潜り込むなんてな。一体どんな手を使ったんだ? ニブルだって、お前の生体データぐらいは入手しているはず……いくら変装しても、検査されれば正体は露見するだろ?」

 

 キーリは俺の言葉を聞くと、おかしそうに鼻で笑う。

 

「検査なんていくらでも誤魔化せるわよ。血液だろうが、DNAだろうが、ダミーを上位元素で作ればいいだけだしね」

 

「な……そんな複雑な変換ができる訳が―――」

 

「できるわよ。だってティアに、角をプレゼントしたのは私なんだもの」

 

 あっさりと言い放つキーリ。それはつまり―――。

 

「……ティアは、自分であの姿になったんじゃなかったのか?」

 

 じわりと、悠の心の奥に怒りの感情が滲む。

 

「もちろんよ。ティアにはできっこないわ。そもそも人間の脳のスペックじゃ、生体変換に必要な膨大な情報を処理し切れないのよ」

 

「はは……まるで、自分は人間じゃないみたいな言い草だ」

 

 悠は皮肉を込めて呟くと、キーリは真顔で頷く。

 

「そうよ、私はドラゴンだもの。人の姿なんて仮初。生体変換を使えば、容姿なんていくらでも変えられる。ニブルに奪われたティアを見つけ出すには、別人に成りすましてミッドガルへ移送されるのが手っ取り早いと思ったの」

 

「……ドラゴン、か」 

 

 奥歯をぐっと噛み締める。この者がティアを歪めた元凶であることは、今の一言ではっきりと分かった。

 

 恐らくキーリは何度も容姿を変えながら活動していたのだろう。道理でニブルも情報を掴めないわけだ。

 

「もう、そんなに怖い顔をしないで欲しいわね。私は別に、あなたと戦うつもりはないわ。殺すつもりなら、とっくにやってる。私はただ、ティアを連れていければそれでいいの」

 

 そう言ってキーリはティアの方へ眼差しを向けた。だがティアはそれに気付かず、必死な様子でリーザに呼びかけている。

 

「けど……たった二日で、ここまで変わるなんて思わなかった。ほんのちょっと前までは、私の言うことをよく聞いてくれる良い生徒だったのに」

 

「お前がティアに教育を……」

 

 苦々しく呟く。勉強を教えた時、悠はティアに良い教師がいたのではないかと考えたが、全くの見当違いだった。ティアに施していたのは、ドラゴンになるための最悪な教育だ。まるで洗脳の如く。

 

「ええ、まあね。目論見通りティアはミッドガルで見つけられたし、あの子も容姿を変えた先生には気付かなかったから、欲を出して内部を探っていたんだけど……失敗だったわ。時間を掛けるべきじゃなかった」

 

 悠は、穂乃花が転入初日に校内見取り図を眺めていたことを思い出す。あの時、キーリは敵地の情報を頭に叩き込んでいたのだろう。

 

 そういえばティアは穂乃花に対して「近づきたくない」と言っていた。正体は分からずとも、本能的に恐れを抱いていたのかもしれない。

 

「おまけに、一人だけでドラゴンを圧倒する、“あの人”に色々と嗅ぎつけられたし」

 

 そうだ。最初穂乃花に出会う前、大和は彼女に向けて疑わしげな視線を向けていた。彼も不信感を抱いていたのだろう。

 

「それに―――クラスメイトもうっかり殺しかけちゃったし、色々と上手くいかないわね」

 

 悠に視線を戻し、肩を竦めてみせるキーリ。

 

「殺しかけたって……まさか、保健室で言っていた変換失敗の事故は———」

 

「ああ、ティアのことを悪く言っていた子がいて、ついイラッと来たのよ。ティアは普通の“D”よりずっと価値の高い―――バジリスクとつがいになれる逸材だっていうのに……身の程を弁えて欲しいものだわ」

 

 冷え切った表情でキーリは語る。

 

「―――あの後悔も、全部嘘だったってことか。お前みたいな奴に……ティアは絶対渡さない。ティアを本物のドラゴンなんかに、させて堪るか」

 

「ふふ、ティアにずいぶんご執心みたいね。金髪の彼女も必死にあの子を守ろうとしてたし……ちょっと足枷が多すぎる気がするわ。少し、軽くしてあげようかしら」

 

 キーリはそう呟き、リーザに(くら)い眼差しを向けた。

 

「止めろっ!」

 

 慌てて悠は叫ぶ。するとキーリは愉快そうに目を細めた。

 

「……冗談よ。今彼女を攻撃したら、傍にいるティアまで巻き込んじゃうじゃない。あなたって面白いわね。見ていて飽きないわ」

 

 キーリは冗談だと言うが、これは嘘と見て取れた。彼女は気分次第で本当にやると悠が分かっていたからだ。

 

 だが、悠は“リーザが死ぬ事”を恐れていたらしい。背中がびっしょりと冷や汗で濡れていた。

 

 それでも恐怖を抱いている場合ではない、ティアを連れて行く事を目的としているキーリの事だ。どんな手を使ってでも連れて行こうとするだろう。

 

 ―――故に。

 

「―――キーリ。これ以上は何もするな。殺すぞ(・・・)

 

 悠は静かに宣告する。大切なものを守るために。

 

 未だ相手の攻撃方法すら不明だ。物質変換を行うには上位元素(ダークマター)の生成が必要なはずなのに、キーリは予備動作もなく爆発を起こす。

 

 実際、ロキ少佐が自分よりも強いと言っていた。その事が頷ける辺り、間違いなく格上の相手。が、“殺すつもりなら話が変わる”―――。

 

「ふふ……怖いわね。けど、ここまで来て引き下がる訳にはいかないわ」

 

 悠の殺気を真正面から浴びながらも、キーリは余裕の笑みを浮かべた。

 

「ティアをバジリスクのつがいにして、一体何の意味があるんだ?」

 

「意味というよりも、適材適所ね。だって“D”はそれぐらいの使い道しかないんだもの」

 

「使い道……だと?」

 

 まるで物に対する言い方に、語気が荒くなる。

 

「まあ、ティアには素質があったから、別の可能性も期待していたんだけど……今の様子じゃそれも望み薄。だったらバジリスクにしてあげるのが、資源の有効活用ってものじゃない?」

 

 資源……。キーリにとって、ティアはドラゴンの材料でしかない事を理解する。

 

 キーリに、人間の言葉は届かない。

 

 ドラゴンを増やそうとする理由は分からないが、絶対に相容れない敵なのだと判断する。

 

 キーリからティアを守るために、どうしても必要だというなら―――。

 

「もういい、分かった。お前を止める……殺してでも」

 

 ―――架空武装、ジークフリート。

 

 悠は上位元素で形作った装飾銃を手に、キーリを殺す対象として見据える。無意識の底に眠るモノを呼び起こし、自らを怪物へと変革していく。

 

 余計な雑念が消え、頭の中がクリアになる。鋭敏になった知覚が、それまで感じ取れなかった情報を脳に伝える。

 

 あらゆるものが手の内にあるような全能感に、気分が高揚した。

 

「本当にあなたと戦うつもりはなかったのだけど……いいわ。殺してみせなさい。殺されたら、止まってあげる」

 

 口の橋を吊り上げ、キーリも応じる。

 

 瞬間、悠は周囲の気温が一気に上昇するのを感じ取った。

 

「っ!?」

 

 右に飛び退くと同時に、爆発が起こる。炎を伴った衝撃波が全身を襲う。焦げた草むらを転がるところだったが、受身を取って体勢を整える。

 

 悠は恐らく、何らかの燃焼物を物質変換で作り出しているのだろうと感じた。

 

 ニブルに所属してた頃、噂でキーリは炎による攻撃を用いると聞いた。現状を見る限り、その噂は正しい。

 

 だが物質変換を行っているのなら、直前に上位元素を生成しなければならない。それが見えないのは、非常に不可解。

 

 ならば、不可解の追撃がくる前に、悠はジークフリートを足元に向けて放つ。

 

窒素弾(ニトロ・ブリット)!」

 

 大量の窒素を生成し、風を起こした。キーリが作り出しているはずの“炎の素”を、引火する心配のない窒素で吹き飛ばそうとしたのだが———。

 

 ジュゥッと猛烈な熱さと痛みが右肩を襲う。肉が焼ける感触に悠は慌ててその場から逃れた。

 

 咄嗟の回避だったので、燃える草むらの風下へ踏み入ってしまう。立ち昇る黒煙に包まれた悠は、左手で口元を覆った。煙に触れて架空武装が消耗してしまわぬよう、体を盾にする。

 

(違う。キーリが作り出しているのは燃焼物じゃない)

 

 悠は自分の予想が外れていたことを悟った。

 

 爆発が起こっていないのに火傷を負ったことを考えると、攻撃の正体は形のない熱そのもの。

 

 恐らくは、上位元素をダイレクトに熱エネルギーへと変換している。高等技術ではあるが、生体変換ほど常識離れした芸当ではない。

 

 あの爆発は、生み出された熱に酸素が反応したものだったと考えられる。

 

 だが謎が一つ解けても―――最大の問題は残っていた。

 

 キーリの上位元素が見えない以上、どこから攻撃が来るのかは予測不能。“悪竜(ファフニール)”をもってしても不明瞭。

 

 この絡繰りが分からなければ、キーリに近づく事すら叶わない。

 

 悠は煙の中で思考を巡らせる。だがその間、キーリは何故か攻撃して来ようとしない。

 

「私を殺すんじゃないの? さあ、かかってきなさいよ」 

 

 彼への挑発の言葉を投げるものの、さらなる追撃はなかった。

 

 ―――どうしたんだ?

 

 煙の中では微粒子に干渉され、上位元素の消耗速度は速まる。だが最初から多めに生成しておけば、攻撃は可能。

 

 もっとも、その上位元素が未だに一度も見えないのだが……。

 

 否、本当に、ただ単純に、見えていないのだとしたら?

 

 一つの可能性が頭の中に浮かび上がる。

 

(試してみる価値は、ある!)

 

 悠は煙の中から飛び出すと同時に、ジークフリートに残った上位元素を全てつぎ込んで弾丸を放つ。

 

白煙弾(スモーク・ブリット)!」

 

 真っ白い煙が辺りを包み込んだ。手から架空武装が消失する。どのみち、煙幕の中では維持できないので関係ない。

 

 悠は白く煙った世界を駆ける。真っ直ぐ、キーリに向かって。

 

 熱変換による迎撃は来ない。

 

 悠の予想は的中した。

 

 キーリは目に見えないほど微細な上位元素を、辺り一帯に展開していたのだろう。範囲がどれぐらいかは知らないが、それはまさにキーリの支配圏。その内側にいる限り、キーリの掌の上だ。あの余裕も頷ける。

 

 しかし、上位元素が微細であるがゆえに弱点もある。こうして薄い煙に覆われてしまうだけで、小さな上位元素は消滅してしまう。 

 

「私の禍炎界(ムスペルヘイム)を見破ったのね―――流石だわ。じゃあ、これならどうかしら」

 

 薄煙の向こうで、キーリが笑う気配がした。

 

 悪寒が走る。ここは死地だと直感が告げ、踵で地面を抉り急制動をかけた。

 

 白い煙の中に、黒い粒がいくつも浮かび上がる。

 

 それはまるで———地上から空へと落ちる黒い雪。 

 

 キーリは白煙で覆われると同時に、今度は煙で掻き消されない大きさの上位元素を周囲に展開していたのだ。

 

 悠は黒雪が舞う世界に、足を踏み入れてしまっていた。

 

(不味い!)

 

 ここはもう、見えていても逃れられない領域だと悟った悠は、防御の体勢を取る。

 

 対爆装甲―――ウルク73E!

 

 咄嗟に地面へ倒れ込み、自分を覆うように防壁を形成する。これが彼の少ない生成量で、全方位からの攻撃に対処する唯一の方法だった。

 

 が―――赤い光が防壁に亀裂を生む。

 

「ぐっ……!?」

 

 響き渡る轟音。全身を叩く熱さと衝撃。何が起こったのか理解できないまま、ごろごろと地面を転がる。口の中に血と土の味を感じ、遅れて激痛が脳を揺らした。

 

 全身が熱くて痛くて、どこを負傷したのかも分からない。だが、まだ生きてはいる。

 

 ―――生きているのなら動け! 止まれば死ぬぞ!

 

 自分を叱咤して身を起こし、状況を確認する。爆発で大きく吹き飛ばされたらしく、キーリとの距離は開いていた。

 

 キーリの周囲を包む上位元素の粒は、幸いといったところか、悠の場所までは届いていない。

 

 上位元素の生成量はどんな“D”でも限りがある。一つ一つの粒を大きくした分、彼女の言う渦炎界を展開できる範囲は狭くなったのだろう。

 

 戦闘態勢を取ろうとして、左腕が動かないことに気付く。見れば防壁の破片が深々と肩に突き刺さっていた。ぽたぽたと左腕を伝わった血が地面に落ちる。

 

「ユウっ!」

 

 遠くでティアが叫んでいるようだが、爆発で耳がおかしくなっていて上手く聞き取れない。

 

「威勢のいい事を言った割には、無様な姿ね」

 

 キーリも勝利を確信した表情でそう言っていたが、悠の耳にはやはり届かない。

 

「はあっ……はあっ……はあっ……」

 

 自分の荒い呼吸音だけが耳の奥で反響し、くぐもった感じで聞こえてくる。左肩を中心とする激痛で、頭が上手く働かない。

 

 ―――そんな時だった。

 

 余裕綽々といった表情をしていたキーリが何かの気配を感じ取ったのか、背後を振り返ったのが窺えた。

 

 何も考えられなくなるようであった悠も、キーリの様子に怪訝の表情になる。

 

 そして―――地が、響いた。

 

「っ!?」

 

 小規模の地震のような響きが辺り一帯を揺らす。キーリは驚いたのか周辺を見渡す。

 

 悠も悪竜が無意識に引っ込んだのか、我に返る。激痛に悶えながらも、注意深く周りを警戒する。

 

 やがて地震の規模は段々と大きくなっていく。更に時折、ノイズの如く世界が一瞬暗転でもするかのような感覚に陥る。

 

 それは彼だけではない。キーリやティアとて同じ感じを受け取れていた。

 

 これはヘカトンケイルのものではない。何せ、現に“地震ではない何か”が響いているようであるのだから。

 

「!」

 

 そこでキーリが何かを見つけたのか、素早く手を明後日の方向へ翳す。すると掌から赤い閃光を放った。

 

 恐らく、悠の対爆装甲を破った攻撃だろう。だが今は、そんな事を考えている余裕はなかった。

 

 その方向は体育館側。大和が飛んでいったであろう場所。そこで“何か”が起こっているのだろう。

 

 閃光を放った直後、爆音が響く。悠は視界がボヤけている中、舞った爆煙だけが見て取れた。

 

 その直後、地響きが止む。暗転するような感覚もなくなる。だが、緊張の糸が解けたのか、悠はそこで崩れるように膝を着いた。

 

「はあっ……はっ……」

 

 先程のキーリの攻撃の影響があるとはいえ、かなりの呼吸が乱れていた事が窺える。

 

 ―――今の一体なんだ? 何が起きた?

 

 悠はかなり焦っていた。それは、他の者達も同様の表情だった。

 

 突然の地響き。一体何が―――と思考に耽るが、次の瞬間によりその思考も吹き飛ぶ。

 

 

 この場から十分に見える位置にいるヘカトンケイルの体が、突然大爆発したのだ。

 

 

『っ!?』

 

 悠やキーリ達は再び驚愕する。が、その途端に途轍もない暴風が彼らを襲う。

 

 先程の爆発による影響だろう。腕で顔を覆い、思わずその場に踏ん張ってしまう。

 

 数秒もすると、その暴風は止むが、ヘカトンケイルを中心に爆煙は未だ舞っていた。

 

「い、一体何が……」

 

 爆発によるダメージと、怪我を負った肩の痛みは何処吹く風と一瞬なる程、悠はキーリ以上に不可解な事に困惑の声を漏らす。

 

 見れば、キーリも同様に困惑の表情を浮かべていた。

 

 だが、驚かされるばかりの現象に、再三驚愕する現象が発生した。

 

『―――吹雪ッ!』

 

 彼らの元に男性らしき声と共にビュオオオオと吹く冷たい風。否、本当に吹雪の如く此方に襲いかかる無数の雪。

 

 再び彼らは腕で顔を覆う。キーリもあまりも突拍子もない事の連続により、防壁を展開する余裕がなかった。

 

 そしてそれはキーリが展開した上位元素を一瞬にして氷漬けにしてしまう程。いくつもの氷の塊が空中に出来、次々と地面に落下する。

 

 更に、残っていた熱波も凍える風に上書きされ、あちこちに上がっていた火の手も無数の雪により蒸発する。本来、火は雪に強いはずだが、風と大量の雪でかき消されてしまった。

 

 舞っていた吹雪が段々と弱まっていく中、腕を除けると気配もなく“ソレ”は立っていた。

 

 またも驚き、警戒態勢を取る悠。

 

『ヒュラララ……』

 

 “ソレ”からは咆哮のような声を漏らしていた。二足で立っているが、最早人間なのかどうかが判別し難い程。

 

 立ち姿は人間のソレだが、まず周りが氷で覆われている。おまけに立っている地面が漏れ出している冷気によるものか、凍っている。

 

 両腕も氷に覆われているが、手の甲付近からはコンセントに刺すプラグのような爪が二本伸びている。顔も同様氷に覆われて、目が黄色く輝いていた。

 

 そして極めつけは臀部(でんぶ)に生えている氷の尻尾らしき物体。これもプラグのような三本爪。

 

 まるで氷の鎧と言わんばかりの図体に周りの者達は畏怖する。

 

「あ、あなた……一体何者」

 

 キーリも先程まで見せていた余裕の笑みも完全に消え失せ、目の前の者に対する恐れを抱いていた。

 

「……クク」

 

 彼女に目を向けると同時に“ソレ”は口元を歪め、小さく声を漏らした。

 

「随分と久しぶりじゃねえかぁ」

 

「なっ!? その喋り方……大和、なのか?」

 

 まるでゲスボイスの如く言葉を放つ―――大和。

 

 そう、彼はヘカトンケイルに吹き飛ばされたがこの通り五体満足で立っていた。―――それも、伝説のポケモン『キュレム』の能力を発動させた状態で。

 

 だが、大和はそんな悠に掛けられた言葉に構わず、キーリに目を向けていた。

 

「初めてあったのはァ、一年前だったか。それと、そこにティアがいるって事は……」

 

 一旦、目を外しティアを一瞥する。

 

「……そうか。ハハ、そうか。やっと辻褄があった」

 

 何を考えていたのが分からないが、納得した表情を見せる大和。

 

「“あん時”にティアと一緒に見たのはやっぱお前か! キーリ・メルト・セキ○イハイム!!」

 

 そう言った直後、彼から爆発が発生した。

 




名前を間違える奴ーwww

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