ファフニール? いいえポケモンです。   作:legends

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今回、オリ展が含まれるので執筆に時間が掛かりました(言い訳)


小さき竜は紅に染まる

 ティアに振り回された一日は、まだ終わってはいなかった。

 

 深夜、悠は大きな叫び声で目を覚ます。

 

「どこっ!? ユウはどこなのっ!?」

 

「落ち着いて! 落ち着いてください、ティアさん!」

 

 バチバチと部屋には閃光が瞬いている。慌てて悠が飛び起きると、ベッドの上で取り乱すティアの姿が。あぶくのような上位元素(ダークマター)が次々と湧き上がり、電気へと変換され、火花が散る。

 

 今にも電撃が迸りそうだ。そこに―――。

 

「ティア!」

 

「あ―――」

 

 悠が名前を呼ぶ。ティアはぴたりとその動きを止める。

 

 上位元素の流出が途絶えると共に、激しい電光も収まった。悠は立ち上がり、部屋の明かりを付ける。

 

「ユウっ!」

 

 ベッドの上から悠に飛びつくティア。彼はその小さな体を受け止めた。

 

「よかった! 良かったのっ! ユウまで……消えちゃったかと思ったの」

 

 ティアは悠の胸に額を押し付け、震える声で言う。

 

「ふう……どうなる事かと思いました」

 

 気が抜けたのか、深月はベッドの上で座り込み、大きく息を吐く。

 

「ティア、俺はここにいるから。だから大丈夫だ」

 

 二本の角が生えた頭を優しく撫でて、落ち着かせる。

 

 悠は目が覚めて、ほんのちょっと視界に入らなかっただけで、これほどまで錯乱するとは思っていなかったのだ。寝ている間に移動させなかったのは正解のようだが、この反応はあまりに過敏だった。

 

『おーい何かあったんでせうかー?』

 

 と、そこへ、コンコンと扉を叩く音と同時に男性の声が部屋に響く。

 

 ―――大和だ。騒ぎを聞いて駆けつけてきたようだ。隣部屋なので、何が起こったかに気付くのは何らおかしくは無い。

 

「だ、大丈夫だ。何でもない」

 

 流石に大和に心配をかけたくないため、そう返す。

 

『……何か死亡フラグ聞こえんですけどー? とりま入りまっせー』

 

「え? 入るって……」

 

 唐突な大和のお邪魔します発言。深月は間の抜けた声が口から出る。

 

 マスターキーは自分が持っていて、確か大和は自室の扉の鍵しか持っていなかったはず。それなのにどうやって入ろうというのか。いやそもそも入ろうとするのがアレなのだが。

 

 すると次の瞬間、大和が突然一瞬で眼前に現れた。

 

「うわ!?」

 

「「きゃっ!?」」

 

 当然の反応。いきなり眼前に現れれば大半の人が驚くもの。三人は悲鳴を上げた。

 

「ん……何にもない。泥棒でも入って荒らされた訳でもなし」

 

 対して大和は部屋の周辺を見回し、特に異常がなかった事を確認する。

 

 深月の寮舎はセキュリティ管理が整っているので、泥棒が入るという事はないのだが、深月は今その事を説明する余裕がなかった。

 

「や、大和、お前、今どうやって入って……」

 

 未だに驚愕している悠が何とか大和に訊ねる。

 

「え、超能力」

 

 そうあっけらかんと答える大和。

 

「ちょ、超能力って……」

 

 今度は深月が呆れた声を出す。

 

「そう超能力。テレポートで来ただけ」

 

 大和が言った『テレポート』とは、本来であれば超能力を使用し戦闘から脱出する、または最後に入ったポケモンセンターのある街にも行ける、という技。

 

 が、その技を軽く応用してしまえば、気があるところに瞬時に移動する事もできる。所謂、孫○空の瞬間移動の如く。大和がテレポートを使用する際、人差し指と中指を額に添えるという真似をしていた程。

 

 しかし、大和にとっては軽く行えるのだが、三人はあまりに逸脱した所業に畏怖するしかなかった。

 

「そうそうところで何があったのん?」

 

「あ、ああ実はな―――」

 

 未だに思う目の前からの奇天烈な人物から質問が飛び、悠は何とか平静を取り戻し、答える。

 

 大和に、ティアが悠がいないと思い込み、暴走しかけたという事を話す。

 

「うん? 何でティアは悠がいないと思っただけで、取り乱したの?」

 

 すると大和は次いで疑問を投げてくる。だが確かにそれは、悠も疑問に思っていたところだ。

 

「それもそうだよな。ティアは、何がそんなに怖いんだ? 俺が消えると思うから、離れたくないのか?」

 

「…………」

 

 顔を上げるティア。だが口を強く引き結び、先程小さな悲鳴を上げたきり、何も言おうとはしない。

 

「答えてくれ。俺は、ティアが心配なんだ」

 

 真っ直ぐにティアの目を見つめ、訴える。赤い瞳の奥が揺らぎ、ティアは唇を震わせた。

 

「……そう、ユウが消えちゃイヤだから……ティアが守るの」

 

「守る? ティアは、俺を守ろうといてくれていたのか?」

 

 思いがけない台詞に、悠は驚きながら問いかける。

 

 こくん、と小さく頷くティア。

 

「大事なものは、ちゃんと自分で、守らないといけないの。消えちゃったら……もう、手遅れ。どうやっても、取り戻せないの」

 

 消えれば取り戻せない。全ては手遅れ。

 

 ティアの言葉は、悠の心を揺らす。失った深月との約束。その空隙(くうげき)を、胸の内に意識した。

 

 ―――この子は、何か大切なものを失っている。彼自身と同じように。

 

 悠は胸中でまるで自分と重なっているかのように感じていた。

 

「そっか……やっとティアの事が、少しだけ理解できた。守ろうとしてくれて、ありがとうな。けど、いくつか勘違いしているぞ?」

 

「勘違い……?」

 

 きょとんとした顔でティアは首を傾げる。

 

 説得を試みるなら今。ティアの行動理由が分かったのなら、その対策も立てられる。

 

「ああ、俺はティアに守ってもらわなきゃいけない程、弱くない。自分の身ぐらいは、自分で守れる」

 

「でも……ユウがどれだけ強くても、もっと強い人はいるかもしれないの。だからティアも守った方が、もっともっと安全なの」

 

「それはそうだが……」

 

 ティアの言う事は正論だった。深月が何をやっているんですかという眼差しで、悠を見ている。

 

 確かに、悠は他の“D”よりも劣っている部分が目立つ。大和に対しても同じ。

 

 自分が弱くない事を証明すれば安心してくれるかと思ったのだが、少し話の方向性を変える必要がありそうだった。

 

「……でもな、ティア。そもそも、このミッドガルに俺を襲ってくるような奴はいないんだ。だから、頑張って俺を守ろうとしなくてもいいんだよ」

 

 悠に命を狙われる理由はない。むしろ、狙われるとしたらティアの方だろう。現に、ドラゴンとはいえバジリスクに狙われている点もある。

 

「そんなの、分からないの。良い子の振りして、悪い事を考えてる子がいるかもしれないの」

 

 またしても正論で返されるが、今度は食い下がる。

 

「確かに、悪い奴がいないとは言い切れない。だけど、深月や大和達は違う。クラスメイトの事だけでも、信じてくれないか?」

 

「無理なの。ミツキは、大丈夫かもだけど……他の子は、何を考えているのか、分からないの」

 

 大和が「悠、オレをクラスメイトと言ってくれたのかぁ……!」と軽く感動している中、硬い表情でティアは首を横に振った。

 

「じゃあ、そこの何か感動してる奴を悪い奴だと思ったか?」

 

 大和に対して指を差し、ティアに訊ねる。

 

「悠、人に指を差しちゃいけないわよ。お母さんに言われなかったの? その指へし曲げてあg―――「大和さんは静かにしててください!」―――ぐむむ」

 

 ―――と末恐ろしい事を言われているやり取りはスルーしておく。

 

「そんなこと……ない」

 

 恐る恐るだったが、ティアは答える。

 

「だろ? だったら、分かるようになるまで仲良くなったらいい。皆を信じられるようになれば、教室と宿舎では安心できるはずだ」

 

「仲良く……?」

 

「ああ、だから明日はもっと、皆と話してみないか?」

 

 悠の提案を聞いたティアは、不安そうに聞き返してくる。

 

「……ユウは、みんなを信じてるの?」

 

「信じてるさ。イリスはバカが付くほど正直で素直だし、大和は変人だけど、ああ見えて良い奴だし強くて頼りになる。リーザ達だって仲間のために体を張って戦える奴らさ。少なくとも俺は、あいつらを警戒したりしない」

 

「ちょっと悠、訴訟―――」

 

「だから黙ってくださいっ」

 

 ……イリスがリヴァイアサンに狙われた時、リーザ達は当然のように彼女を守るために戦った。同じ教室の仲間は家族だと言って、心から気遣っていた。

 

 それは大和も同じ事だった。特に先の戦いでは体を張ってまで戦ったのだ。

 

 戦場では、人の本性が浮き彫りになる。だからこそ、そこで目にしたものを悠は疑わない。

 

「ユウは、ティアがみんなと仲良くしたら、嬉しい?」

 

「ああ、すごく嬉しい」

 

「……分かったの。ユウが……旦那さまがいうなら、そうしてみるの。ティア……ユウに嬉しくなって欲しいから」

 

 小さな声で答えるティア。

 

 悠は思わず、深月と顔を合わせる。

 

「ようやく、一歩前進ですね」

 

 ほっとした様子で深月が言う。

 

「そうだな……」

 

 悠も安堵の表情を浮かべていた。

 

「何かここにきて始めて親子愛を見た気がする」

 

「余程心配だったのでしょう。一時はどうなるかと思いましたが」

 

 先程までブーたれていた大和も率直な感想を言い、それを深月が返す。

 

「なあ深月、明日って実習授業はあったか?」

 

「はい、三・四時限目が通常の能力実習で、午後はバジリスク戦に備えた特別合同演習があります。それがどうかしましたか?」

 

「いや、座学と違って実習なら皆に関わる機会が多いと思ってさ。だからそれだけ実習授業があるのなら、ちょうどいい。ティア―――きっと明日は、楽しくなるぞ」

 

 悠はそう言ってティアに笑いかける。

 

「楽しく……?」

 

 ティアはピンと来ない表情で首を傾げる。

 

「そ! の! ま! え! に!」

 

 と、突然大和が一文字づつ区切りながら声を荒げた。

 

「え? ど、どうしたんだ大和?」

 

「どうせならさぁ、もうちっとやっとかない?」

 

「何をですか?」

 

 深月に訊ねられると、よくぞ聞いてくれましたとばかりに何故かドヤ顔で口角を上げる。

 

「さぁて始まりました。題して、仲良くなってみよう大作戦ー! イエー↑!」

 

「「……何だ(ですか)これ」」

 

 いきなり大和から裏声が出たと共に自分で拍手をし始める。

 

「ほらほら、ティアもイエーって言ってみて」

 

「い、いえーなの」

 

 大和に言わされ、目を瞑りながらたどたどしいノリで手を上げるティア。

 

「うむ可愛い。さてさてティアさん問題です。まず最初に人と会った時、何をすればいいでしょう?」

 

 大和がクイズ形式でティアに訊ねる。

 

「え? えーと……あいさつ?」

 

「イエース! ザッツ・ライト! 何がどうあっても挨拶は基本中の基本。面識がなくても、挨拶をするだけで仲良くなるポイントの一つだな」

 

「う、うん」

 

 大和はティアに先生じゃないのに教鞭しているが、悠と深月はその場のノリに付いてこれなかった。

 

「後はそうだな。さっきのも含めて、積極的に話しかける! こ↑こ↓重要。どこにでも言える事だが、コミュニケーションを取らない事には何も始まらないからな。もし自分が人見知りでも、一言でいいから勇気を出して言ってみるといい」

 

「うん……うん」

 

 ティアは割とハマったのか、頷きながら大和の話を聞いている。

 

 一方、話している内容を聞けば理にかなっている事ばかりで、悠と深月はモヤモヤしていた。

 

「最悪でも、おはようとありがとうさえ言えれば大丈夫だ」

 

「おはようと、ありがとう……」

 

「そうそう。それを使い分けて、昼はこんにちは、夜はこんばんは。基本だけど、それを言うだけでも違うよ。親しみを持てる」

 

 最初、そのコミュニケーションを取るというものは人だけかと思えば、大和にとっては違う。何故なら、彼はポケモンとも挨拶を交わしている。

 

 人のみならず、生きる種が違ってもそうやっていた行いを、遠回しにだがティアに分かって欲しいと思っていた。

 

「ここまで分かった? ユーアーオッケー?」

 

「うん! 分かったの……ふわぁ」

 

 そう言って、張り切った声を出したティアだが、直後に欠伸をした。流石に眠くなってきたのだろう。

 

「よしじゃあここまで。いきなりだが明日実践で。皆、おやすみ」

 

「あ、ああ、おやすみ」

 

 悠とそう言葉を交わしながら大和は踵を返し扉まで歩いていく。今度は歩いて戻るようだ。

 

 そうして大和の姿が見えなくなった時、悠が口に出す。

 

「……流石だな、大和の奴」

 

「そうですね……」

 

 深月も賛同した後、悠達は電気を消し、再び就寝する。ティアがまた取り乱すといけないので、今度は悠もベッドの上に。

 

 彼は窮屈なベッドの端で背を向け、深月とティアの呼吸を近くに感じながら、瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝―――悠、大和、深月、ティアの四人で登校し、教室の扉を開ける。

 

「お、おはよう……なの」

 

 悠が後押しするようにポンと背中を押すと、ティアは囁くような声で挨拶した。

 

 教室にいたフィリルとアリエラが、ティアに視線を向ける。他の皆はまだ登校していないようだ。

 

「…………おはよう」

 

 フィリルは手にした文庫本を閉じ、少し驚いた顔で挨拶を返す。

 

「おはよう、いい朝だね。キミから挨拶してくれて嬉しいよ」

 

 アリエラは爽やかな笑顔を浮かべて応じる。

 

 二人に見つめられたティアはあたふたし、悠の背中に隠れてしまった。

 

 その様子に悠が上出来だと思えた。大和に至っては昨日教えられた通りにやっているのを見て感心していた。

 

 三人もフィリル達に挨拶し、自分の席へと向かう。

 

 悠が着席すると、ティアはちょこんと膝に乗る。

 

「ユウ……ティア、頑張った?」

 

「ああ、頑張った。偉いぞ」

 

 悠はティアを労い、頭を撫でた。

 

「えへへ……」

 

 嬉しそうに目を細めるティア。皆と打ち解けるまでは、この状態は続きそうだ。

 

 だが、ここまでできたのは大和の恩恵も含んでいるかもしれない。そう考えた悠は後で礼を言っておこうと思った。当の本人はスマホらしき携帯端末をポチポチとしていたが。

 

 鞄からノート型端末を取り出しながら、遥への言い訳を考える。その時、最前列の席に座るフィリルが、何やら机の中をごそごそと漁っている様子が悠の目に留まる。

 

 どうしたのだろうかと眺めていると、フィリルは机の奥から一冊の本を引っ張り出して、悠達の方へやってきた。

 

「……あの」

 

 フィリルは悠ではなくティアに視線を向け、小さな声で話しかける。

 

「な、何?」

 

 ティアが緊張した面持ちで問い返すと、フィリルは手にした本を差し出した。表紙には線の細いタッチで綺麗な女の子が描かれている。

 

 見た感じだと、どうやら日本の少女漫画で、彼はいつも難しそうな小説を読んでいる印象だったが、フィリルは漫画も守備範囲のようだ。

 

「これ……貸してあげる。授業中……暇だと思うから」

 

「いいの?」

 

「うん……この漫画、面白いから……ティアさんにも読んで欲しい」

 

 ティアはフィリルの顔と漫画を交互に見た後、恐る恐る本を受け取る。

 

「……じゃ」

 

 本を渡したフィリルはあっさりと自分の席へ戻っていく。ティアは戸惑った様子で、漫画の表紙を見下ろしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ティアの特別待遇延長に関しては、深月が口添えしてくれたお陰か、遥はあっさりと了承した。もしかしたら彼女も一日では難しいと分かった上で、発破をかけていたのかもしれない。

 

 ただ、イリスだけは不満げな顔で隣の席から悠を睨んでいたが。

 

「……モノノベは、あたしの友達なんだよね?一番の仲良しなんだよね?」

 

 頬を膨らませてイリスが問いかけてくる。

 

「まあ……そうだな」

 

 頬を掻きながら、悠は何とか同意する。

 

 妹の深月や大和を例外とすれば、イリスが一番仲のいい友人である事は間違いない。

 

「だったら、あたしもモノノべの膝に座らせて欲しいなぁ」

 

「それは——————ダメだ」

 

 胸の内に浮かんだ甘い妄想が少しだけ返事を躊躇わせたが、悠は首を横に振る。

 

「ええーっ!どうして?」

 

「イリスは、子供じゃないだろ」

 

「……モノノベの、ケチ」

 

 拗ねたイリスは窓の方を向いてしまう。怒りを精一杯に表現しているのだろうが、むくれてた横顔はどうも可愛らしく見えてしまう。こんな子を膝に乗せて、悠は理性を保つ自信はなかった。イリスにはもう少し、自分の魅力というものを自覚して欲しいと思えた。

 

 というか、お互いもう子供じゃないし年頃の男女なんだからそんな事をしてしまえばどうなるか分かったものではなかった。

 

 悠はそんな事を思いながら溜息を吐きつつ、ティアの様子を窺った。

 

 昨日ならティアが文句を言いそうな会話だったのだが、大和の教えによる影響なのか定かではないが、彼女は黙々とフィリルに借りた漫画を読んでいる。

 

 悠が後ろから覗き込んだ感じでは、ギャグも入り混じった軽い恋愛物のようだった。

 

 授業が始まってからも、ティアは漫画に没頭していた。時々、笑いを堪えるように体を震わせる他はずっと大人しかったが、読み終わると途端にそわそわし始める。

 

 そして一時限目が終わると同時に、ティアは悠の手を引っ張ってフィリルの席へ向かった。

 

「これ、ありがとう」

 

 おずおずと貸してもらった漫画を差し出すティア。

 

「……どうだった?」

 

漫画を受け取ったフィリルに訊ねられると、ティアは頬を紅潮させて答える。

 

「すっごく面白かったの! こんな本、読んだの初めて!」

 

「……そう、良かった」

 

 フィリルは表情を微かに緩ませた。どうやら、ティアは漫画を凄くお気に召したようだ。

 

「でも、途中で終わっちゃったのが残念だったの……」

 

「……終わってないよ。続きも、読む?」

 

 ティアがその言葉を聞いて、顔を輝かせる。

 

「ホント!? 続きがあるの? すっごく読みたいの!」

 

 フィリルは机の中から同じ漫画の二巻目を取り出し、ティアに手渡す。

 

「……はい、二巻。三巻以降は寮の部屋にあるから……また明日持ってくるね」

 

「ありがとっ! えっと……フィリル?」

 

「……うん、どういたしまして」

 

 初めて名前を呼ばれたフィリルは、柔らかく微笑んで頷いた。

 

 そこに、ティアたちの会話を聞き付けた他のクラスメイト達が集まってくる。

 

「ああ、キミもその漫画読んだんだ。ボクもフィリルから貸してもらったけど、結構面白いよね。特にこの先、主人公が―――むごっ」

 

「んっ!!」

 

 アリエラがネタバレしそうになるのを、レンが口を塞いで止める。

 

「まったく……アリエラさんはもう少し、空気を読む事を覚えていただきたいですわね」

 

 呆れた顔でリーザが言う。

 

 そこからはティアを囲み、漫画という共通の話題で盛り上がる。最初は少し気後れした様子だったティアも、次第に熱を入れて語り始めた。

 

 悠は蚊帳の外だが、不満はなかった。ティアが皆と言葉を交わしているのを見ているだけで、満足だった。

 

 ―――拒絶するのを止めるだけで、こうも変わるなんてな。

 

「なーんて、思ってる? 悠?」

 

「!? 大和……」

 

 自身が思っていたかを見透かされたかのように、いつの間にか大和が悠の側にいた。

 

「最初、悠が馴染むのに大変だったのかもしれないけど、もうティア仲良くなってんじゃん」

 

「ああ……だな」

 

 確かに。ティアはまだ、積極的な行動は起こしていない。だが男である悠が転入した時とは違い、リーザ達は進んでティアを受け入れようとしてくれている。

 

 この分なら、すぐに皆と打ち解けられそうだ。

 

「というか、こう見ると俺や大和がどれだけ警戒されていたかって感じがするな」

 

「まあ男の“D”と異能力者だし、多少はね?」

 

 悠は仕方ない事ではあるが、待遇の差に少し落ち込む。対して、大和は異能であるポケモンの能力者だという事を当然自覚しており、そこまで悲観的ではない。

 

 そうして二時限目もティアは漫画を読んで過ごし、三時限目は体操服に着替え、演習場での実習授業となる。以前バジリスク戦のテストを行った広大な地下空間だ。

 

 それぞれ得意分野が違うので、基本的に個人練習を行う時間なのだが、ティアはまず基礎的な訓練から始める必要があった。

 

「ティアさんの指導を、転入してまだ間もないモノノベ・ユウに任せてはおけません。ですから、わたくしが直々に教えて差し上げますわ」

 

 他の皆が演習場に散らばって練習を始める中、リーザだけは俺達に近づいてきて、自ら教師役を買って出てくれる。

 

「あ、ありがとうなの……リーザ」

 

 漫画の件で少し言葉を交わしたおかげか、ティアはきちんと名前を口にして礼を言う。  

 

 ティアから離れられない悠も、当然ながら一緒に授業を受ける事になる。

 

「まずは架空武装を作るコツから教えて差し上げますわ」

 

「かくうぶそう?」

 

 きょとんとティアが首を傾げる。

 

「物質変換をより精密に、効率的に行うため、上位元素で武器を象るのですわ。わたくしの架空武装は———この、“射抜く神槍(グングニル)”」

 

 リーザが手を翳すと、金色の槍が虚空から出現する。上位元素を生成してから形態を変えるのではなく、直接槍の形で上位元素を生み出したらしい。よほど熟練していないと出来ない芸当だ。

 

「上位元素は、人の意志に強く影響を受けますわ。いわばこの槍は、わたくしが戦うときの心持ちそのもの。どのような敵であろうとも貫き屠る究極の槍―――そこから放たれる攻撃も、当然最強! そうしたイメージの連鎖が、攻撃の威力をも増幅させるのですわ」

 

 リーザは槍をぐっと構えてみせながら強く主張する。

 

 ―――戦う時の心持ち、か。

 

 悠にとってその説明はとてもしっくりきた。これから架空武装を作る際の参考になりそうだと。

 

「ただ、これは戦う前段階にすぎません。上位元素の形を変えることに拘ると、その時点で物質変換を起こしてしまいます。ですから丁寧に、上位元素ではなく、心の輪郭を象るイメージで、戦う自分自身を作り上げるのですわ」

 

「戦う自分自身……でも、ティアは槍とか剣とか、使ったことないの。だから何を武器にしたらいいのか、分からないの」

 

 自分の掌を見つめながらティアは呟く。

 

「別に武術の経験など必要ありませんわ。ただ、今よりも強い自分を思い描けばいいんです。まず、上位元素を生成しながら、最強の力を手にした自分の姿をイメージしてみてください。そうすれば上位元素は自然と形態を変化させるはずですわ」

 

 リーザは促され、ティアは頷く。

 

「最強の力を……。うん……やってみるの!」

 

 目を閉じ、集中を始めるティア。その周囲に、泡状の上位元素が無数に生成される。

 

 だがこの時点で気付くべきだったのだ。ティアが“どういう少女”なのかという事をきちんと考えていれば、次に起こる事態は予測できたはずだった。

 

 ティアの生成する上位元素の一つ一つが寄り集まり、大きな塊になっていく。

 

「その調子ですわ。ゆっくり、慎重に、焦らなくてもいいですよ」

 

 リーザはティアの様子を見ながら声を掛けた。だが肥大化した上位元素の塊がティアの体へと集まっていくのを見て、訝しげに眉を寄せた。

 

 ―――悠は、全てが上手く行き始めていると思っていた。皆と打ち解け、そのうち教室や宿舎でなら悠と離れても大丈夫になるだろう楽観していた。

 

 しかし根本的な問題は何も解決してはいなかった。

 

 悠達とティアの決定的な差異は、まだ埋められていない。

 

 ティアは自らを人間ではなく、“ドラゴン”だと思い込んでいる。

 

 それが架空武装の生成において、どんな結果をもたらすのかを―――悠達は考えていなかった。

 

(ん……? ティアの気が何か変になってきている?)

 

 三人から離れていた場所でストレッチしていた大和が、これから目立つかもしれないけど積み技でもしようかなーと思っていた矢先、ティアからおかしな力を察知。

 

 見ると、肥大化している真っ黒な上位元素の泡が、ティアの全身を包み込んでいた。

 

「なっ……ティ、ティアさん?」

 

 更に大きくなる上位元素の塊を見て、リーザは一歩後退する。悠は何が起こっているのか分からず、呆然とその光景を眺めていた。

 

 ティアを中心にして風が吹き荒れ、巨大化を続ける上位元素が宙に浮く。

 

 黒い球形だった上位元素の輪郭が歪み、形を変えていく。

 

 頭上を覆うかのように広がる翼。長く伸びる尾。

 

 数十メートルはある演習場の天井に届きそうなほどの体軀。

 

 その姿は―――まさしく竜。

 

 肉体がドラゴン化してしまったわけではないらしく、輪郭は蜃気楼のように揺らめいている。

 

 だが体の表面は僅かに物質変換を起こしており、竜の全身は紅に煌めいていた。

 

 これが“ティアの架空武装”なのだと、悠はその時になってようやく悟った。

 

 ティアがイメージした強い自分。最強の姿と。

 

 “ドラゴン型の架空武装”を展開させたティアは、広大な地下演習場が狭い檻に見えてしまう程の巨躯で宙に浮かぶ。

 

「……ティア?」

 

 上位元素を風に変換し、悠は空中に浮かぶ紅の竜に呼びかける。

 

 竜の視線が此方へ向く。

 

『ルォォォォォォン―――――!』

 

 そして―――叫ぶ。甲高い鳴き声が演習場に響き渡る。

 

 その直後―――周囲を薙ぎ払う雷撃の嵐が巻き起こった。

 

 無数の雷撃は演習場の内壁を抉り、荒れ狂う風は悠達の動きを封じていく。

 

「甘いッ!」

 

 が、悠とリーザの後方―――大和が破壊の嵐を切り抜け、此方に駆けつけていく様子が窺えた。

 

 見れば、迂闊に近寄れない雷撃に臆せず此方に向かうばかりか、直撃するという状況を免れない軌道では、高速の雷であるにも関わらず容易に弾いていた。

 

「こんな電撃より、ゼクロムの方がまだ怖いわ―――ってリーザ危ねぇ!」

 

 大和が呟いていたと思ったら急に叫ぶ。強風に煽られたリーザがバランスを崩し、彼女の元に雷が迸った。

 

「チィッ!」

 

 大和が舌打ちしつつも駆ける速度を更に早め、リーザを小脇に抱えながらスライディングし、雷撃から回避した。

 

 リーザが立っていたであろう地面は焼け焦げていた。大和により思わぬ事態になったが、結果オーライであった。

 

 悠は彼の登場で一瞬気を取られていたのか、もし大和がリーザを救わなければ自分が行く事になるが、間に合わず直撃してしまう事を悟った。

 

「え―――?」

 

 状況を上手く飲み込めなかったリーザは、彼に抱えられている事すら気付かず、宙に浮かんでいた。

 

「大丈夫?」

 

 大和が空いている手を翳し、『守る』で彼らを包み込む緑のバリアを張ってリーザに安否の確認をする。

 

 そこでリーザがようやく事態を飲み込めたのか、顔が真っ赤に染まる。

 

「~~~!?」

 

 声にならない叫びを上げるリーザ。大和は電撃の雨の地帯から後退し、悠の元へ戻る。同時にリーザを下ろすと、彼女が声を張り上げた。

 

「ああああああなた、わ、わたくしを持ち上げるなんて一体どういう了見をしてますの!?」

 

「え? いや普通に掬った(救った)みたいにしただけなんだけど」

 

「含みがある言い方ですわね!? でも……実際に危ないところを救ってくれたのは確かですし、不問にして差し上げます…………ありがとう、ですわ」

 

 未だに赤い顔のまま、ぼそっと小さな声で礼を言うリーザ。その様子に大和はフッと笑う。

 

「リーザから礼言われるなんて、今日は大雨、いやデイアフタートゥモローになるかもな。既に嵐ってるけど」

 

 大和は強風が吹いているにも仁王立ちのまま、余裕そうな顔で台風の目となっているティアを見上げる。

 

 一方、悠とリーザは風に飛ばされないよう体勢を低くしていた。

 

 この時点で、強者の風格を感じさせる。

 

「……一体、何が起こっていますの? あのドラゴンは、ティアさん……なんですわよね?」

 

「ああ、あれはきっとティアの架空武装だ。ティアが“心の輪郭”を象るようにして架空武装を作ったのなら……あいつは今、自分自身を完全にドラゴンだと思い込んでいるのかもしれない」

 

 いきなり暴れ出した理由は、そう考えると説明が付く。

 

「にしても、始めて架空武装作る割には上手くできてるんじゃね?」

 

「そんな事を言っている場合じゃありません! ティアさんを早く正気に戻さないと!」

 

「そうだな。けど、どうやって近づくか……」

 

 辺りには風と雷が吹き荒れ、ティアは数十メートル上空に浮いていた。

 

「モノノベ!」

 

 悠がティアに接近する方法を考えていると、イリスの声が耳に届いた。同時に悠達に吹き付けていた風が突然止む。

 

 振り返ると、イリスとフィリルの姿があった。二人は比較的近くで練習していたので、援護に来てくれたらしい。

 

 フィリルは自身の上位元素で形作った架空の書物(ネクロノミコン)を構えている。恐らく空気への物質変換を行い、風の結界を作り出しているのだろう。

 

 暴風の圧力がなくなったことで周囲を見回す余裕ができる。深月、レン、アリエラは、遥を囲んで遠くの壁際に集まっていた。見たところ、フィリルと同様に空気の生成で風を相殺しているのだろう。ここから離れすぎているため、連携は取れそうにない。

 

「……大丈夫?」

 

 フィリルが悠達に声を掛ける。

 

「ああ、平気だ。ただ……ティアがちょっと大変な事になってる。二人も手を貸してくれないか?」

 

「……いいよ」

 

 こくりとフィリルは頷く。

 

「うん、もちろん! モノノベ、あたしは何をしたらいい?」

 

 イリスも大きく首肯し、悠に指示を仰ぐ。

 

「フィリルは、このままできるだけ広範囲に風の結界を広げてくれ。イリスは爆発を起こしてティアの注意を引いて欲しい」

 

「分かった、やってみる!」

 

 そう言ってイリスは自分の架空武装―――双翼の杖(ケリュケイオン)を生成した。

 

「大和は―――って、大和?」

 

 悠が大和の方を向くと、俯きながら何かを呟いていたが、悠の耳には届かなかった。

 

 悠は訝しげに大和に近づく。すると大和が呟いていた言葉が悠に届いた。

 

「アイツはドラゴンアイツはドラゴンアイツはドラゴンアイツはドラゴンアイツはドラゴン…………」

 

「や、大和! 違うぞ! あいつはティアだ! ドラゴンじゃない!」

 

 暗示をかけるようにとんでもない事を自分に言い聞かせていた。

 

 ポケモンの技の一つに『自己暗示』というものがある。これは自分自身の能力補正を相手と同じにする技であり、要は相手が能力を上げても自分も相手と同じように能力が上がるという事。最も、今回は全く関係ないが。

 

 それはさて置き、よく見れば双眸が赤く変色し、ブツブツと敵意剥き出しである大和に、悠はゾクッと悪寒を覚えたが咄嗟に彼に違うと声を上げる。

 

「え、そうなの?」

 

「ああ、間違っても本気をかける相手じゃない」

 

 一体どうしたら間違えるのか不思議だったが、ひとまず、現状のティアを止めるのに非常に頼れる人物なのは悠も心得ている。故にそんな事を言っていた。

 

「大和もティアの注意を引き付けてくれ」

 

「おっ、そうだな」

 

「―――モノノベ・ユウ。では、わたくしはティアさんのところに行きますわ」

 

 リーザも射抜く神槍を構え、頭上のティアに目を向ける。 

 

「いや、待ってくれ。ティアのところには俺が行った方がいい」

 

「それはそうかもしれませんが……あなた、空は飛べますの?」

 

 不安そうな眼差しを向けるリーザ。風による飛行法は大量の空気を物質変換で作り出す必要がある。

 

 悠の上位元素生成量は皆と比べて著しく少ないため、その方法は使えない。

 

「んなら、ワイもサポに回るやで」

 

 と、そこまで言ったところで大和が関西弁混じりの事を言い出した。

 

「え? でもお前は……」

 

「ティアの注意を引き付ければいいんだろ? それに悠がティアに届く高さまでやればいいんだし。それにはあの雷が邪魔でしょ?」

 

「そうだな」

 

「なら―――オレ自身が避雷針になる事だ」

 

 何処か意味深な事を言った大和は前に歩み、悠達から離れる。

 

 瞬間、出鱈目に放たれていた無数の雷が不自然に大和の方へと収束されていく。

 

「大和!」

 

 思わず叫ぶ悠。皆も心配そうな表情をする。

 

「どう見ても無傷です本当にありがとうございました」

 

 電気に(まみ)れている大和が涼しい顔で言っていた。が、意味不明な事である。

 

 しかし確かに常人なら炭になってもおかしくないあんな大量の電気を浴びても、五体満足で立っているのは摩訶不思議でならないだろう。

 

「特性『避雷針』は電気タイプ相手なら勝ち確ですわ」

 

 納得したように宣言した時には、体中の電気が彼の中に吸い込まれるように入っていく。

 

 この実際にも存在する避雷針にも、ポケモンの特性の一つにあり、効果が電気タイプの技を無効化し、自身の特攻を一段階上げるというものである。

 

 その恩恵で電気を浴びても平気な上に、寧ろパワーアップするお陰にもなっていた。

 

「さて悠、どうする?」

 

「え?」

 

 不意に大和に声をかけられ、戸惑う悠。

 

「ティアのところに行くんだろ? 今の行動が割と大雑把に見えたかもしれないけど、これなら簡単に救出できるかもよ」

 

「……それもそうだな。済まない、頼む!」

 

 大和の言葉の意図を読み取ったのか、悠は意識を集中し、自分の架空武装を生成する。

 

「ジークフリート」

 

 右手の中に大口径の装飾銃を象った上位元素の塊。予め架空武装を生成させておく事で、作戦を容易に進められる。

 

「イリス、頼む!」

 

「うん!」

 

イリスは双翼の杖の先端をティアの方へ向け、集中を始めた。

 

「来たれ、来たれ、彼方の欠片……」

 

 複数の黒い上位元素が、ティアを囲むように生成させる。

 

「雨玉よ、散れ!!」

 

 水の塊へと変換された上位元素が、一斉に弾け飛んだ。

 

 イリスは“何を作っても爆発させてしまう”という特異な才能を持っている。空間認識力も高く、狙いは外さない。水蒸気を伴う爆発は、ティアを直接傷つける事はなかった。

 

『ルォォォォオオォオォォンッ!』

 

 ティアは爆発に驚き、上位元素で形作った太い竜の手足で、立ち込める水蒸気に攻撃する。だが、水蒸気に触れた手足の方が、逆に抉られて消滅した。

 

 削られた手足はすぐに復元するが、やはりあれは見せかけだけのドラゴンなのだと、悠は確信する。物質変換前の上位元素は、生成者以外に触れると消滅する脆いモノ。ならば内側にいるはずのティアに到達するのは、それほど難しくはないと。

 

「フィリル、できる限りでいい……道を拓いてくれ!」

 

 悠はそう言うと、ティアに向かって駆け出した。

 

「了解―――エアー・ロード」

 

 背後からフィリルの声が聞こえ、追い風が悠の背中を押す。フィリルの風は悠を追い越すが、ティアから吹き付ける風を阻んでくれた。

 

 そして、電気を吸収していた大和も動く。指を立て、狙いを定める。

 

「打ち抜く―――チャージビーム!」

 

 指先から光線が射出された。

 

 元々この技は威力が五十とあまり心許(こころもと)ない。が、撃てば七割の確率で自身の特攻が上がる。つまり撃つ毎に威力が上がる確率が高い。

 

 尚且つ避雷針の特性上、ティアの電撃を受け続けて特攻が上がりまくっている状況。威力が増大していた。

 

 常人では捉えきれない速度で放たれたビームは、容易に上位元素の翼を貫く。更にもう一発、もう片方の翼に向けて放ち、両翼に風穴を開ける。

 

 そのせいでティアはバランスを崩し、ふらつく。だが、それが好機。悠はティアに距離を詰めていき、装飾銃を改めて持ち直す。

 

 この架空武装から上位元素を弾丸として放つ事により、最大で三回だけ協力な物質変換を行える。三回分を使い切れば架空武装は消え、もう一度生成するには大きな隙が生じてしまう。

 

 だから―――三発で、決める。

 

 悠は足を止めぬまま上空のティアに銃口を向け、細かい狙いは付けずに引き金を引いた。

 

白煙弾(スモーク・ブリット)

 

 放たれた弾丸が空中で細かな塵と空気に変換される。押し寄せる煙に包まれる紅のドラゴン。無数の塵が上位元素を削り、一瞬だけティアから竜の衣を剥ぎ取った。

 

 煙が暴風に吹き散らされると、再び上位元素の竜は復活してしまう。しかし悠の目はティアの位置を明確に捉えていた。

 

 見えた―――左胸……心臓の位置!

 

 ティアの真下まで辿り着いた悠は足を止めると、今度は精密に狙いを付け、地面に向かって銃を撃つ。

 

空圧弾(エアー・ブリット)

 

 大量の空気へと変換された上位元素は、地面に当たって弾け、悠の体が空へと弾かれるように飛ばされる。

 

 そしてそのまま、ドラゴンの中へと突っ込む。視界が紅色に染まるが、感触や抵抗は全くない。存在しないに等しい変換前の上位元素は、悠を阻む事ができなかった。

 

「ティアっ!」

 

 悠は声を上げながら、空いた左手を伸ばす。狙いは外していない。あとは高度さえ足りていれば、この手は届くはずだ。

 

 指先に微かな感触を覚えた直後、目の前にティアの姿が現れる。その瞳は虚ろで、何も映していなかった。やはり正気を失っている。

 

 悠達は、自分をドラゴンだと思い込むティアを、本物のドラゴンにする後押しをしてしまったのかもしれない。

 

「しっかりしろ! ティアっ!!」

 

 大声で叫びながら、悠は左腕でティアの体を抱き留める。

 

「――――――え? ユウ……?」

 

 瞳に光が戻り、ティアは彼の名を呼んだ。

 

 悠はティアを抱えたままドラゴンの体を突き抜け、落下へと転じる。

 

 近づく地面を睨み、ジークフリートを下方へと向ける。これが、最後の一発。

 

「―――空圧弾っ!」

 

 空気の爆発で落下の衝撃を相殺する。ふわっと地面に降り立った悠は、すぐにティアの様子を確かめた。

 

「大丈夫か、ティア?」

 

「…………」

 

 だが、先ほど我に返ったように見えたティアは返事をしない。脱力した体を彼に預け、気を失っていた。 

 

 それもそうだ。あれだけ巨大な架空武装を生成し、大規模な物質変換を続けたせいで、心身共に疲弊したのだろう。

 

「モノノベー!」 

 

 イリスやリーザ達が、こちらに駆け寄ってくる。遠くにいた深月達も、悠の方に急いで近づいてきていた。

 

 クラスメイト達は皆、心配そうな表情を浮かべている。だがその中で遥だけは厳しい眼差しを悠達に向けていた。

 

 遥の顔つきを見て、もう猶予がないことを悟る。

 

 悠はぐったりとした様子で眠るティアに視線を移し、彼女の心を侵している怪物(ドラゴン)と相対する決意を固めたのだった。

 


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