触れるものを輝かすソンザイ   作:skav

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55話「…これが綾崎の音。」 by岩沢

数日が経ち、文化祭の前日。我が部室では珍妙な光景が広がっていた。

「唯先輩、治ったんですか?」

「まったく治ったなら早く言えよな唯~。」

「えへへ~」

「ほら唯ちゃん、ケーキ食べる?」

「へ?あ、うん、食べる~。」

「お、紅騎!見ろよ、唯が治ったぞ!」

……何やってるんだ”憂”は。

四人は気が付いていないようだが唯に比べて少しだけ髪が長いし、目の色が若干薄い。

今四人の中心にいるのは間違いなく憂であった。

まあ、俺らに心配かけないようにとかそんなことだろうけど…。

ばれたらどーすんだよ。…まあ、今ここでバラすけどな。

「それで唯、お前本当に熱は下がったんだろうな?」

「うん、おかげさまでもう全然大丈夫だよ~。」

「どれどれ…。」

唯に化けた憂に近づいて前髪を上げる。この時点で憂であることは確定だ。もし本物だったら瞬時に拒否するからだ。

そのまま俺の額をくっつける。

「あ、あの…こ、こ、こ、紅騎くん!なななななな、何してるのかな!?」

その状態でじっと憂の顔を見つめると、みるみる顔が赤くなっていく。

「なんだまだ熱あるんじゃねーか。呼吸も荒いし、動機も激しいぞ?」

首元に触れて脈を取る。時間が経過するにつれてどんどん心拍数が早くなっていくのが面白い。

「は、はふぅ…。」

限界に達した憂はついに音を上げ、もとの髪形に戻した。

「…で、何しに来たんだ憂。」

「わ、分かってるなら意地悪しないでよぉ…。」

そんなやり取りを見ていてようやく四人は唯ではなく憂と理解した様子だった。

「はぁ…んなことしても根本的な解決にはならないだろ?」

「うぅ…ごめんなさい。」

とりあえず憂が持ってきた唯のレス・ポールを彼女に持たせた。当たり前だが憂の表情には疑問符が見えた。

「折角来たんだ、あいつらの練習付き合ってやってくれないか?」

「へ?…あ、うん…。」

物覚えが良く、器用な憂は家で唯の練習を見ている内にいつの間にかギターが弾けるようになっていたのだ。

ピアノが弾けるから音楽の基礎はできていたのだろうけど、唯と遜色なく弾けるくらいには上達しているはずだ。

ただこれではギターパートを埋めるだけで、唯の本当の代わりになっているわけでは無い。だから本番では通用しないだろう。

やっぱり唯が来ないとこのバンドは動かない。

 

文化祭当日、我がクラスの企画はそこそこ好反応だった。

「葵君コーヒー二つお願いしまーす。」

学園祭にもかかわらず本格的なコーヒーを飲めることが、受けが良かったようだ。

「岩沢さん、お願い。」

「任された。」

岩沢さんが二人組の女性客へコーヒーを持っていく。

「お待たせしました。」

「あの…写真一緒に撮らせてください!」

「はぁ、構いませんが…。」

岩沢さんの執事服姿も人気を集めていた。

「葵君、ご指名が入ったから行ってあげて。」

「了解。」

カフェラテが二つ乗ったトレーを持って、言われたテーブルへ向かうと関根と入江がいた。

「カフェラテでお待ちのお客様。」

「はいはーい!ありがとうございますセンパイ!」

「楽しんでるか?」

テーブルに飲み物を置いて、サービスのチョコレートを差し出す。

「わざわざ指名するからどこのもの好きかと思った。」

「もう、そんな謙遜しちゃって~私のクラスで話題もちきりですよ~?」

「入江、本当か?」

いまいち関根の言葉が信じられなくて、入江の方を見るとおどおどしながら答えた。

「えっと…ほんとです。先輩結構人気なんですよ?」

「……おう。」

まあ、嫌われるよりは遥かに良いか…。かと言って秋山みたいになるのは御免だが。

そんなとき、ポケットに入っている携帯が震える。

「じゃあ、文化祭楽しんで。ただ本番の事も忘れないように。」

「はーい!」

「ありがとうごさいます。」

裏方に戻って、画面を見るとメールが一件届いていた。

送り主は瀬奈だった。

「ちょっと出てくる。」

「分かった。」

岩沢さんに後を任せて、校門へ向かう。

人の行き来が多い中、門の横にある木の下にN女高校の面々が待っていた。

「コウちゃん久しぶりー!」と真墨さん。

「わぁ~執事服だ~。」と真白さん。

真っ先に俺の格好に食いついてきたのはN女軽音楽部部長と、副部長だ。相変わらずテンションが高い。

「まさか本物の執事の紅騎が見られるなんて思いもしなかったよ。エスコートは任せたよ。」

車いすに乗った瀬奈が実にうれしそうな笑顔で言う。

「お任せくださいお嬢様。」

いつかの時のように冗談で深々と頭を下げた。

「コウキ、ひさしぶり。」

そんな瀬奈の車いすを押していたエリーがゆっくりとした日本語で話してきた。

「日本語勉強したのか?」

「ちょっと、話せる。」

でもやっぱり難しいと、ドイツ語でハニカミながら言う。

『ここが、コウキの学校?何だが美術館のようね。』

『一応私立だから。今日は楽しむといいよ。』

『コウキの演奏も楽しみにしてるわ。』

「おねーちゃーん!!」

人混みをかき分け、相川妹がこちらへ駆け寄ってくる。と、思ったら若干勢いを殺しつつ瀬奈にダイブ。

良い所に入ったのか、瀬奈の顔が少しだけ青ざめた。しかしそこは姉の威厳を保つために瀬奈は何も言わずに相川妹を引きはがした。

「新人大会は大活躍だったそうだね。紅騎から聞いたよ。」

「えへへ~。」

姉に褒められて相川妹はとても気持ちの良さそうな笑みを浮かべていた。

「あの…こんにちは葵さん。」

「おーすげぇ!流石私立の学校だな~」

よその学校で緊張した面持ちの榊さんの横で、山本さんはきょろきょろと周囲を見渡していた。

相変わらず大局的な二人だった。

「さてさて、早速だけどコウちゃんのクラスに案内してもらおっかな。」

真墨さんの言葉でN女一同の面々を案内することにした。

 

「いらっしゃいませーって、葵。駄目じゃないか、一度にそんなたくさんの子引っかけてきちゃ。早くもとの場所に戻してきなさい。」

「何言ってんだお前…。」

いち早く気が付いたひさ子が早速からかってきた。しかし、彼女たちはそんなことで動揺するほど”普通”ではない。

「あ!この子知ってる!コウちゃんのバンドのギターの子でしょ?」と真墨さん。

「メイド服可愛い~写真撮っていい?」と真白さん。

「すげぇ…同じ高校生徒は思えない…。」

「はわわわ…大きすぎです…。」

『凄い…。』

一年生ズはひさ子のある部分一点を見つめながら、目が点になっていた。

そんな中瀬奈はひさ子に近づき右手を差し出した。

「君がひさ子さんだね?初めまして、綾崎紅騎の幼馴染の相川瀬奈です。私たちはN女子高等学校軽音楽部。彼の招待でお邪魔してるよ。」

「お、おう…ご丁寧にどうも。」

そう言って握手を交わす。

「ふむ…ちょっと左手も見せてくれないかい?」

「あ、ああ…構わねーけど。」

もう片方の手も差し出し、瀬奈がひさ子の両手をじっくりと見る。

「うん、やっぱり私の思った通りだ。こんな手は初めて見たよ。生まれ持った才能に、努力が合わさって…。」

「な、なんなんだよアンタ!?いきなり人の手触って訳の分からんことを!」

そう喚くが、瀬奈の手を振りほどこうとしない当たりひさ子もまんざらではないのだろう。

「どうした綾崎?」

騒ぎに気が付いた岩沢さんが様子を見に現れた。

「……。」

「……。」

岩沢さんと瀬奈との視線が交差する。

じっと互いの表情を見つめあうこと数秒。

「綾崎の幼馴染の?」

「正解。私の名前は相川瀬奈。瀬奈でいいよ。」

「岩沢まさみ。よろしく。私もまさみで良い。」

「紅騎がお世話になってるね。」

「こっちこそ、綾崎の支えになってくれて。」

場をわきまえず、そんなことを恥ずかしげもなく言う二人。当事者である俺は非常に居心地が悪い。

「な、なあ…いい加減放してくれないか?」

そんなやり取りをしながら、瀬奈はひさ子の手をずっと握ったままだった。そのせいか徐々に、ひさ子の顔が赤くなっていく。

「まさみ、しばらく彼女を借りても良いかい?」

「ああ、好きにしてくれ。ひさ子、しっかりとN女高の皆さんを案内するんだぞ?」

岩沢さんの言葉にN女高のみなさんが歓声を上げた。どうもひさ子は彼女たちに気に入られたようだ。

「分かった、分かりました!くそ、調子狂うな…。」

おそらくひさ子はこの後良いように遊ばれるという未だ経験したことのない状況に遭遇するだろう。

そんな時ひさ子がどんな表情をするだろうか。どう対応していいかわからずされるがままに苦悶する姿を想像するだけでゾクゾクしてくる。

「綾崎、仕事に戻るぞ。」

「は、はい。」

言葉の裏に感じる威圧感。それが背中を通して背骨を鷲掴みにされるような感覚を覚える。言いようのない迫力に負け、背筋がゾクゾクした。

 

 

クラスの仕事を終え、部室に向かう。

「あ、紅騎君お疲れさま~。」

椅子に座ると琴吹が紅茶を持ってきてくれた。

「ありがとう。…で、唯はまだ来てないのか?」

「うん…。」

「そっか…。」

今はただ待つしかないな。

「よし、最後のチェックをするか。」

唯の事は心配だが、やるべきことはやらなければいけない。

「ひさ子、おもちゃにされた気分はどうだった?」

「何というか…スゲーなあいつら。キャラが濃いというか、すぐにペースが乗っ取られるんだよ。」

「だろうな。だけど、いい経験になっただろ?」

普段はどちらかと言えばその場の空気を作る側のひさ子にとっては、場の空気を掌握されるという経験は無いはず。

「そりゃそうだけどよ。」

俺としてはそんなひさ子の様子を見られなかったのが非常に残念ではあった。…あとでN女生たちに写真を送ってもらおう。

「準備はできたか?始めよう。」

岩沢さんの一言で最終リハーサルが始まった。

 

 

3曲を一通り演奏してから、細かい所の修正を終えてリハーサルが終わった。

その時、教室のそとからドタドタと騒がしい音が聞こえてきた。

バン!と勢いよくドアが開かれる。

「みんな、治ったよ~!」

そこにはそっくりさんではなく、本物の唯が立っていた。

「もう、待ちくたびれたぜ~」

「やっと治ったんだな。」

「はい、唯ちゃん。ミルクティーとチーズケーキよ~。」

そんな先輩三人とは違い、中野は唯の様子をまじまじと見ていた。

「唯先輩、ギターは?」

その一言で唯の表情が凍り付いた。

……おい、まさか。

「ど、どうしようコウ君…ギー太置いてきちゃったー!」

叫んで俺の右袖を掴んですがるような目で見つめてくる。

どうしようってな…はぁ、仕方がないか。

携帯を取り出してある人物の連絡先に電話をかける。

『もしもし?』

「中村か?早急で頼みたいことがあるんだけど。」

『とりあえず話を聞こうかしら。』

中村にこのことを簡潔に説明する。

中村は生徒会執行部の部長だ。執行部は生徒会が受け持った雑務や問題などを実際に行動に起こして解決する部活動だ。

本来なら生徒会を通して依頼をするべきなのだが、今回は早急且つ私的な用なのだ。

『出来ないことは無いわ。それを完遂する用意もすぐにできる。ただ、私たちも無償で人を出すほど暇じゃないしお人よしじゃないの。』

ここの部長の中村ゆりは俺たちと同じ二年生でありながら、一筋縄ではいかないなかなかのやり手だった。

「対価は払う。内容はそっちで決めてくれて構わない。」

『分かったわ。すぐに裏の校門に行ってちょうだい。日向君を向かわせるわ。』

そう言って電話はすぐに切られた。

「よし、すぐに裏門に行くぞ。中村が何とかしてくれるそうだ。」

頭上に?を浮かべる唯の腕を引き、日向の待つ裏門へ急いだ。

 

「お前…免許持ってたんだな。」

「納車して全然経ってないけどな。」

駐輪場には真新しいバイクが停められていた。一応この高校はバイク通学オーケーだったりする。

少々心配だが、背に腹は代えられない。ここは日向に任せよう。

「慌てず急いで頼んだぞ。」

「矛盾してるけど分かった!よし、急ぐぜ!しっかり捕まっててくれよ~」

唯を後ろに乗せて日向は学校を後にした。

 

部室に戻ると既に機材は運ばれたようで、いつもよりもすっきりとしていた。

「綾崎、平沢は大丈夫そうか?」

「とりあえず…かな。順番はどうなった?」

今回は俺らが後ということになっている。もしその順番のままだとしたら唯が間に合わない可能性もある。

「私らが先だ。さっき部長と相談して代わることにした。」

「そっか…それなら少し安心だ。」

心配事が解消されたのであとは自分の演奏に集中するだけだ。

「よし、あとはアイツ等に私たちの音楽を見せつけてやるだけだ。行くぞ、綾崎。」

俺の背中をポンと叩いて岩沢さんは部室を出ていこうとする。俺は岩沢さんの後を付いていく。

まったく…人をやる気にさせるのが上手いんだから。

 

大講堂のステージ裏へ行くと、全員が準備を済ませて待機していた。

「先輩、チューニングは完璧です!」

初めて大勢の前で演奏するということもあり、関根はやや興奮気味だった。

「……。」

対して入江は静かに自分のドラムを見つめていた。

「入江、調子はどうだ?」

「はい、大丈夫です。」

入江の顔を見る限り緊張しすぎてるわけでは無いようだった。静かに集中力を高めて、その時を待っているように見える。

「少々ドタバタしたけど、私らが先になったこと以外に変更は無い。」

そう言って岩沢さんは自分のギターを持つ。俺も定位置に立ってサインを送った。

『続きまして、軽音楽部によるバンド演奏です。』

拍手とともにゆっくりと垂れ幕が持ち上がっていく。

よし、派手にやりますか!

入江のドラムの後に、弦を弾いた。

 

「あぁ…くそ!よりによって渋滞かよ…。」

順調に家についてギー太を持って学校に戻る。だけど、帰り道は思ったよりも混んでいた。

「文化祭だからかな?」

「だろうな…脇道もありそうにねーし…。」

「ところで今何時?」

「三時ちょうどだな。」

もう私たちの演奏の時間だ。コウ君からのメールで順番が変わったのは知ってるけど…。

これじゃあそれでも私たちの順番まで間に合いそうにない。

「私、ここから走って行くよ。」

「く…すまねえ、最後まで送れなくて。」

「ううん。凄く助かったよ~ありがとう。それじゃあ、行ってきます!」

バイクから降りて、ヘルメットを返す。

ギー太を背負いなおして私は走り出した。

 

~~~~♪

「crow song…去年も歌ったから覚えてる?」

映像でしか見たことがなかった紅騎たちの演奏が、今私たち目の前で披露されている。

「やっぱり生演奏は良いよね~こうちゃんカッコイイ~!」

「去年よりも数段上手くなってる。やっぱり凄いな~」

真墨部長と真白副部長は心底はしゃぎながら、演奏を楽しんでいた。

「へぇ…あんなに小柄なのにパワフルなベース…だけどテンポは完璧。…凄い。」

「あのドラム…わ、私よりも上手い…。」

『ロックも良いものね。』

三人もそれぞれ彼らの演奏に対して何かしら感じる者があるようだった。

「じゃあ次はクラプトンのLayla。有名な曲だから知ってる人もいるかも。ボーカルは綾崎にチェンジ。」

「「FOOOOOO!」」

部長副部長コンビは完全に楽しむ方向へシフトするようだ。

~~~~~~♪

Laylaの有名なリフが始まる。紅騎とひさ子によって。

暴力的でありながら、艶があり、まるですべての者を引き込むような…そんな彼女のギターリフを紅騎が引き立てる。

そして紅騎が歌いだす。

…そういえば紅騎の歌声を聴くのはこれが初めてか。ちょっとハスキーながら歌詞はしっかりと聞き取れる。

なるほど、良い声だ。彼女の声と相性がいいのも頷ける。

出来ればもっと聞きたいところだ。三曲はあまりにも短すぎる。

…ちょっと作戦を練ろうか。

 

 

三曲目のHot mealも無事に終わり、俺たちの演目は終了した。

「凄いです!あんなに大勢の人の前で演奏するのってこんなに気持ち良いんですね!!」

「先輩、私上手に叩けてましたか?ちゃんと演奏できてましたか!?」

初めての演奏ということもあり、関根と入江は興奮している様子だった。

二人を落ち着かせるためにタオルと、冷たい水を渡してから田井中たちがいる方に行く。

「唯は?」

田井中は黙って首を横に振った。

「そうか…よし、ちょっと時間稼ぎに行ってくる。」

ギターをもってステージへ行く。何のことは無い、ただ少しだけギターを弾きに行くだけだ。

弾きに…行くだけだ…。

 

「まさかあいつのソロ聞けるとは思わなかったな。」

「…そうだな。」

今ステージ上にいるのは綾崎一人だけだ。アンプとエフェクターをチェックする様子を見せてから、ステージを向く。

その瞬間―

音の洪水という言葉はこのためにあるのだと私は肌で感じた。

彼の指に弾かれた弦が震え、歪み、私の中の奥の方を突き刺しえぐる。

これは本当に一本のギターから出ている音なのか?

まるで心臓を直接鷲掴みされて握りつぶされ、蹂躙されているような感覚だった。

「…これが綾崎の音。」

「私よりもよっぽどえげつねー音出すじゃねーかよ。…ふざけやがって。」

確かにひさ子の言う通りだ。こんな演奏をされてはひさ子も衝撃だろう。私も正直驚いている。

…だけど、この妙に胸が騒ぐ感じは何なのだろうか?

 

「はぁ…はぁ…はぁ…」

何とか学校までたどり着いた。時間は…まだギリギリ間に合うかもしれない。

少しだけ人が少ない廊下を急ぎ足で進み大講堂へ向かう。

大講堂に近づくにつれてギターの音が聞こえてくる。

あずにゃん…?いや違う。これはコウ君のギターの音だ。

ギターの音だけが延々と続いてるってことは、今ステージにいるのはコウ君だけ?

ギターの音を聞いてるとなんだか胸がざわざわする。息苦しい。

コウ君…なんだかつらそう…?

頭の中で辛そうな顔でギターを一心不乱に弾く姿が浮かび上がった。

早く行かなきゃ。あのギターを止めさせないと…!

「…はー…ふぅ~。」

深呼吸をして思い切り扉を押した。

 

桜高の学園祭。特に彼女たち軽音楽部の演奏は大成功と言ってもよかった。

「はぁ~今日は凄かったね。これは我がN女軽音楽部も頑張らないと!だね。」

「うん、それにしてもこうちゃんのギターソロ凄かったね~。」

「はい…でもなんだか怖かったです。鬼気迫ると言うか…。」

榊さんの言う通り今日の紅騎はなんだか様子がおかしかった。反響こそ良かったから良いものの、これじゃあ安心して帰れなくなったじゃないか。

心残りが残ったまま帰るのは忍びないがこればかりは仕方がない。

「今度は私たちが呼ぶ番だよ、本番までみっちり練習するからね!」

帰りの電車の中でそんな会話を聞きながら外の景色を眺める。

あのソロは紅騎のオリジナルではない。どこかで聞いたことがある気がするのだが…思い出せない。

でも、大方予想はついている。あとは彼女たちに任せよう。

私は今日の仕返しのための準備に精を出せばいい。

「本番は紅騎にきっちりお返しをしないと…ですね。」

私の言葉に全員が静かに頷いていた。

 

 

「お疲れさま。ありがとう手伝ってくれて。」

中村から言われた代償は学園祭後の後片付けの手伝いだった。もっときついものを想像していたのだが、案外に彼女は優しいのかもしれない。

「本当はもっとエグイのを考えていたのだけれど、日向君が中途半端に終わらせたからこれくらいにしておくわ。ほら日向君!まだ半分も終わってないわよ!」

「ちょ、ちょっと休憩…。」

広い講堂を雑巾がけする日向は既に疲労が限界の様子だった。

…訂正。彼女は噂通りの鬼だった。

「さ、あなたの仕事は終わりよ。時間も遅くなるから早く帰りなさい。」

中村に見送られて部室に戻った。

「お疲れ綾崎。」

扉を開けると、明かりをつけてない部屋の中で岩沢さんが窓枠に座っていた。

橙色の夕焼けの光が彼女を照らし赤い髪や白い素肌が輝く。幻想的な光景に思わず黙り込んでしまった。

「…どうした?」

「いや…何でもない。」

スタンドに立てかけたギターをケースにしまい、鞄を持つ。

「なあ綾崎…分かりにくいかもしれないが私は…お前には色々感謝してるんだ。」

突然そんなことを言われて、振り返る。逆光で見えにくいが、なんだか彼女の表情はどこか泣き顔に見えた。

窓枠から降りてこちらに歩み寄ってくる。

「お前は私を助けてくれた。音楽を…続けさせてくれた。だから綾崎…お前も辛い時は私を頼ってくれ。」

今度は私が―

岩沢さんは言葉をつぐんだ。

彼女のそんな言葉が純粋に嬉しかった。彼女の言葉が体の芯まで染み込んでいく。

だから少しだけ岩沢さんに甘えてみようと思う。

「岩沢さんの…ハンバーグが食べたい。」

少しだけ驚いた表情になってから、岩沢さんは静かに優しく笑った。


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