触れるものを輝かすソンザイ   作:skav

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54「……うん、良いよ。」by唯

文化祭が近づくにつれ、軽音楽部の衣装担当が意気揚々と部員たちを着せ替え人形にし始める。

その中で比較的ノリの良い唯と琴吹が衣装を披露するのだが。

そこで出てきた浴衣の衣装を唯が気に入り、その部活中ずっと着ていた。お分かりの通り初詣に着るような晴れ着ではなく、夏に着る浴衣だ。当然風通しもよく、10月にする格好ではない。

そのせいもあり、唯が風邪をひいた。

文化祭本番の実に1週間前である。

田井中たちのバンドはもちろん全体練習はできずに、パート練習を強いられることになる。

「もし唯センパイが来られなかったら…どうするんですか?」

「一週間か…ま、ギリ大丈夫かなー。」

が、彼女たちは相変わらず練習という練習はあまりしないようだった。

「私、唯センパイのパート練習します。」

そんな先輩たちに中野がしびれを切らした。

アンプのスイッチを入れるホワイトノイズが響く。そして唯のパートの楽譜を引っ張り出した。

「待てって梓。仮に唯が来なかったとして本番梓はどっちのパートをするつもりなんだ?」

「それは…その…。」

言葉に詰まる中野に秋山が近づく。そして、本来の中野のパートの楽譜と入れ替えた。

「だろ?唯がだめなら私たちは出ない。全員そろって私たちのバンドなんだ。…まあ、練習はしないとな。」

どうやら中野に触発されて練習を始めるらしい。

「秋山、手伝うよ。」

「良いのか?そっちの練習はしなくて。」

「ウチのバンドは夏休み中から練習を始めててね。」

「うぐっ…ごめんなさい。」

というわけでこちらのバンドのお手伝いをすることになった。

曲目は去年の「ふわふわ時間」を加えた三曲。

彼女たちは全てオリジナルの曲を披露するようだ。

「よし、じゃあ始めるぞ~。」

田井中がスティックを叩く。

 

 

一曲ずつ通し練習と、細かい所の修正を繰り返しすこと一時間ほどで練習が終了した。普段よりも30分も早く終わった計算だ。

「やっぱり紅騎センパイは上手です。私、着いていくだけで精一杯で…。」

「リズムキープはしっかりできてる。中野の仕事は裏方に徹して唯が弾きやすい環境を作ることかな。」

「はい、でもそれだと目立たなくなっちゃいませんか?」

「その中で個性を出せれば言うことなしだろ?ダン・ウィルソンみたいに。」

ロック史上あんなに目立つサイドギターも彼くらいではないだろうか。

「あの人は個性が立ちすぎです。…あの、もう少しお付き合いしていただいても良いですか?」

流石まじめな中野。練習時間を無駄にしないな。…まあ、頼めばいつでも付き合うけどさ。

「ムギー、ミルクティーが良いな~。」

「は~い。」

あっちはもう電池切れのようだった。

 

「で、唯の容態は?」

『もう、入院じゃないんだからそういう風に言わないの。お姉ちゃんなら今寝てるよ。』

「くれぐれも安静にさせるように。何日かしたら様子見に行くから。じゃあ、お大事に。」

『うん、ありがとうね。お姉ちゃんに伝えておくよ。』

憂に電話したところとりあえずただの風邪のようだった。…林檎でも買って行ってやるか。

 

 

今日から文化祭の準備期間のため、授業が丸一日ない。そのおかげか学校にはどこか浮ついた空気と、忙しい空気が混在していた。

我がクラスでは教室の飾り付けが進められている。文化祭の後夜祭で各教室の飾り付けも評価されるので、手抜きはできないのだ。

今年の我がクラスはコーヒーを豆から淹れる予定だ。そのため、教室の片隅で豆の最終選考と淹れ方のチェックをしていた。

結局最後までケニア派か、スマトラ派かで決着がつかず急きょ第三者による選考が執り行われた。

その第三者が俺というわけなのだが。

目の前にその二つのコーヒーが並べられている。匂いの観点では圧倒的にケニアだ…いや、普段マスターがケニア飲んでるせいで俺も好きなのだ。

ただ、その…スマトラ派に岩沢さんがいるわけで。彼女の牙城を崩さなければこの話はずっと平行線のままなのだ。

第三者の立場を装ってケニアを推すか、それとも初めからケニアが好きだと言ってしまおうか、変なところで俺は迷っていた。

「じゃあ、いただきます。」

それぞれコーヒーを口にする。……やっぱりケニアだ。

そう思って岩沢さんの顔を見ると、なぜかやっぱりかといったような顔をしていた。

「俺はケニアの方が好きだな。」

というわけで、我がクラスではケニアコーヒーを使うことに決まった。

「お、やっと決まったか。まあ、葵に任せたらケニアになるだろうなーとは思ってたけど。」

案の定ひさ子にはお見通しだったようだ。

「それより岩沢、葵、お前ら接客組は衣装合わせだ。」

俺と岩沢さんも首根っこを掴み、ひさ子は俺たちを被服室へ連れて行った。

 

「ちょっと待て!こんなもん私に着ろってのか!?」

被服室にひさ子の声が響いていた。彼女姿は間違いなくメイドさんであった。スカートが短めの、いわゆる”メイドさん”だった。

「いや、だって去年も似たような衣装来てたでしょ?それがとっても似合ってたから…ね?」

裁縫担当の女子生徒が楽しそうな笑みを浮かべていた。

「それじゃあなんで岩沢は執事服なんだよ!!」

対する岩沢さんは俺と同じ執事服を着ていた。

白いシャツに黒のパンツと露出する部分は一切ないのにも関わらず、そこはかとなく感じる色気は流石というほかなかった。

「それはほら…女の子受けが良さそうだから。」

「…それは喜んでもいいのか?」

岩沢さんは少し困ったような表情をしていた。

「良いの良いの!相手はあの秋山さんなんだから、これくらいやらなきゃ!」

岩沢さんは俺の方を向いて、じっと俺の眼を見つめた。

 

綾崎はどう思う?

 

なんとなくそんな声が聞こえた気がして、腕を組んだまま誰にも見えないようにサムズアップをした。

「まあ、ひさ子のよりは…。」

「言うと思ったよ…なあ、せめてタイツとかソックスとか履かせてくれよ。流石に素足は恥ずかしいんだが…。」

「ふふふ・・・じゃあ、これを履いてもらおうかしら?」

そう言った取り出したのはそう、白のニーソックスであった。黒じゃないところに彼女のこだわりを感じさせる。

「お、おう…これなら足は隠れるな。」

戸惑い気味にニーソックスを履いたひさ子が試着室から出てきた。

「良いわね~凄くいいわ!去年の山中先生の衣装の出来は素晴らしかった…でも、決定的なミスが一つ!それは白ニーソじゃなかったことよ!」

熱弁をふるう彼女の拳がぎゅっと握られた。

「アンタの好みは分かったからよ。…んで、私のターゲットである男性はどう思ってるんだ?」

そう言ってひさ子は挑発的な視線を送った。

俺は内心でニヤリと笑い、先ほどの岩沢さんとは違いじっくりと無言でひさ子を観察する。

「……。」

「へへ、やっぱり葵も男だな。目線が正直だぞ。」

「……。」

「おーい、葵~?聞こえてるか~?」

「……。」

「な、なあ、ちょっと見すぎじゃないか…?」

「……。」

「うぅ~分かったからもう見るなよぉ…。昨日の事は謝るから…。」

どんどんしおらしくなるひさ子であった。

よし、これくらいで勘弁してやるか。

「うん、いい仕事だ。」

裁縫担当の女子生徒にサムズアップをすると、あちらも返してきた。

これで両方の客層を引き込めればその戦略は成功といえるだろう。

 

部室に行くとクラスの準備が忙しいのか誰もおらず、今来た俺と岩沢さんとひさ子の三人だけのようだった。

「平沢はまだ治ってないのか?」

「憂が言うには回復はしてるらしい。ギリギリってところかな。」

「…そうか。」

そのときバン!と勢いよく部室の扉が開かれた。

「みんな~お待たせ~…ぜぇ、ぜぇ…。」

そこには全然大丈夫じゃない唯がふらふらと立っていた。

慌てて唯をソファに寝かせる。

「お前、なんで来たんだよ?」

「だって…練習しなくちゃみんなに迷惑が…。」

「ばかやろう。」

普段ならでこピンだが、今日は両頬を鷲掴みにする。

「むうぅ~…。」

妙な形になった唯の口から奇妙な音が漏れる。

「今無理して本番欠席の方がもっと迷惑だっつーの。あいつらに見つかる前に帰るぞ。」

憂に電話じゃなくメールでこのことを伝えると、すぐに返事が返ってきた。

「というわけで岩沢さん、ひさ子、適当な理由つけて誤魔化しておいてくれ。」

「分かった。」

「おう、任された。」

唯を背中に担いで、校門で憂と合流した。

 

「熱は…?良かった、上がってない。もう、あれだけ大人しくしてって言ったのに。」

「えへへ…ごめんなさい。」

再びベッドに寝かされた唯は力なく笑った。

「じゃあ、私おかゆ作ってくるね。」

部屋に二人だけ取り残される。

「…で、なんで学校に来たんだ?」

「あの…えっとね…笑わないでよ?」

「約束は出来ねーな。」

「もう、こんな時にも意地悪言う…。こ、こほん…あのね、なんだかすっごくコウ君に会いたくなっちゃって。」

…俺のせいかよ。

「寝てる時もずーっとコウ君の夢ばかり見て…それでコウ君の顔見たくなって。」

「それで無理して学校に来たのか?馬鹿。」

「うぅ…面目ない…。あ、そうだ…日記書かなきゃ。」

そういって唯が起き上がろうとするので。

「寝てろ、今日くらい休め。」

「駄目だよ~毎日つけてるんだから…、コウ君取って~あの青いヤツ~。」

唯の指をさす先に青い厚手のノートが机に置いてあった。

「はぁ…。それ書いて飯食ったら寝ろよ。」

「うん、ありがとね~。」

ふと本棚を見ると、同じノートが何冊もしまってあった。

「お前、これいつからつけてるんだ?」

「えっとね…たぶん1年生くらいからかな?」

唯がそこまで長く日記を書いている事実にも驚いたが、そこまでさせる理由の方が俺は気になった。…この中にその理由があるのだろうか?

「…見ても良いか?」

唯はしばらく黙った。悩むような顔をして、小さくため息をつく。

「……うん、良いよ。」

そう言って唯は首を縦に振った。

許可を得たので、一番下の段の一冊を抜き取った。

一番初めの日記は入学式についてだった。いかにも小学生が描いた絵で3人の絵が書いてあった。

唯、和、俺だろう。日記を読み進めると、その日に起きたほんの些細な出来事や唯の感じたことがまるで世界を揺るがす大事件のように描かれていた。

いや、たぶん唯の中の世界ではそんな些細なことが大事件なのだろう。だから唯はずっと唯のままなんだろう。

 

いつぞやのカレー事件の前日の日記は”カレーが楽しみ”と書いてあった。おそらくカレーのイメージが先行してルーなのかレトルトなのか曖昧になっていたのだろう。

学年が上がるにつれて文字が増え、漢字が増え、絵が小さくなっていく。

 

三月○日

 

明日はいよいよ卒業式。憂とはなればなれになっちゃうのは寂しいけど、お姉ちゃんだからガマンする!さびしいけどさびしくない!

コウ君の制服姿かわいかったな~あんなに大きな制服で大丈夫なのかな?

中学になってもコウ君と和ちゃんと同じクラスが良いな~新しいお友達もできたりして、きっと楽しいだろうな~

でも明日はお世話になった学校にありがとうって言わなくちゃね。

 

 

前日の日記にはこう記されていた。卒業式に対して不安や興奮を感じる様子がありありと伝わってくる。

次のページをめくる。

 

三月×日

 

コウ君がいなくなった

 

ただそれだけしか書かれていなかった。それから文の量が減っていき、しばらく一言日記のようだったがついには日付だけ記されるようになっていった。

ノートの左端に小さく日付が並べられていく。

このころの唯は本当に空っぽになってしまっていたんだろう。なんとなく一日を過ごし、ただ時間が流れるだけの毎日。

何も感じずただぼーっと椅子に座る唯の後ろ姿が脳裏に映る。

ただそんな日記にある変化が現れた。

 

9月1×日

 

陸上部の子がコウ君が載ってる雑誌を見せてくれた。コウ君はいま○○県にいるみたい。関東大会優勝で、全国大会でも上位間違いなしだって!すごいな~

コウ君もガンバてるんだから、私も頑張らなきゃ!

 

雑誌とは以前見せてくれたあの雑誌の事なのだろう。これをきっかけに唯の日記は分量が少しずつまた増えてきた。

和と憂、そしてレナとの何気ない一日を記すようになった。

そして日記にはレナの応援に行ったと書いてあった。それも俺が出ていた全国大会に。あの会場に唯がいたと考えたら、感慨深いものがあった。

中学の卒業式を終えて、日記はいよいよ高校の入学式まで進む。

 

4月○日

 

今日は入学式!私も高校生になってすっごく大人になった気分!…だけど、早速遅刻しちゃいました。優しそうな先生で本当に良かった~

それになんと、コウ君が帰ってきた!!

久しぶりに見るコウ君はすごく背が高くなってて、いつの間にか抜かされちゃった。それになんだかあまり笑わなくなっちゃった。

突然いなくなっちゃってからとても辛い思いをしてきたみたい。

だけどきっと大丈夫!私も和も憂もレオちゃんもみんなコウ君が大好きだから、だから大丈夫!またたくさん笑うコウ君が帰ってきてくれるよ!

 

それは唯の心からの願いだった。どんなに些細な出来事の中にも必ず彼女の大切な人がいる。…その中にも俺がいる。

俺だって唯の事を大切に思っている。唯がいなくなったら……考えたくもない。

「唯、何かしてほしいことってあるか?」

日記を本棚に戻しながら聞く。

「え~?そうだな~。うーん…じゃあ、ギューが良いな~。」

普段なら適当にあしらうが、今日は…甘やかしてやろう。それで風邪が治るなら。

「……ん。」

「おぉ…ほんとにしてくれた~。今日のコウ君はなんか優しいね~。」

「うるせー。」

普段は唯から飛びついてきてすぐに引きはがすから分からなかったが、いつの間にこんな大人っぽくなったのだろう。

こんなに柔らかく、甘い匂いがするようになったのだろう。

…こんなに、女っぽくなったのだろう。

「ふぁ…なんだか眠たくなってきた…。ねぇこのまま寝てもいい?」

「…ご勝手にどうぞ。」

「ふふ…。」

小さく笑ってから、寝息を立てるまで時間はかからなかった。

完全に眠った唯を寝かせて、布団をかける。

「おかゆで来たよぉ…あ、寝ちゃった?」

「ついさっきな。じゃあ、ぼちぼち俺も帰るよ。」

「うん、今日はありがとね紅騎くん。また明日。」

「おう。」

 

 

平沢家を出てからすっかり暗くなった帰り道を歩く。

先ほどの唯の感触が頭から離れず、柄にもなく心臓が早く脈打っていた。

「はぁ…何やってんだろうな…。」

良く分からない感情がぐるぐると回り、混乱させる。

ただ一つだけ、前よりも少しだけ。ほんの少しだけ甘えさせてやろう、それだけははっきりしていた。


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