平沢の考えていることがいまいち良く分からない。私も詳しいわけではないが、恋敵同士で遊びに行けるものなのだろうか。それもその相手を連れて。
文学作品なんかを読んでもそんな類の描写はなかった。ひさ子に聞くわけにもいかないし、ここはそういうものだと受け入れるしかないのだろう。
はたしてちゃんと上手くできるのだろうか…。今更ながら心配になってきた。
突然だけどコウ君と一緒に夏祭りに行こうよ!
今年は花火もあるからきっと楽しいよ!
本当はちょっと迷ってたんだけど、やっぱりまさみちゃんともっと仲良くしたいなって思ってるから。
だから何て言えば分からないけど、軽音部のときじゃないまさみちゃんも知りたいなって。
文面を見るだけで平沢のふにゃっとしたしゃべり方が聞こえてきそうだった。それなのに、真剣な意思は伝わってくるからどう対処すればいいのか迷ってしまう。
「ほらほらまさみちゃん、上がって上がって~。」
まあ、今ここに本人がいるのだけど。二度目となる平沢家の訪問。前回の重苦しい空気と違い、今日はほんわかとした雰囲気だった。
リビングにはすでに浴衣が準備されていた。紺色に鮮やかな花火の柄があしらわれた綺麗な浴衣だった。
「こんにちは、まさみさん。じゃあ、早速ですけど着てみましょうか。」
「うんうん、絶対似合うよ~。」
実に楽しそうに平沢姉妹は私を取り囲んだ。なぜだか研究所のモルモットのような気分だった。
…されるがままに、彼女たちの好きなようにさせよう。
「?まさみちゃん、難しい顔してどうしたの?」
私の顔を覗き込みながら平沢が小首を傾げた。
「いや、別に何でもない…。」
「もう、せっかく今から夏祭りに行くんだから楽しい顔しなくちゃ!」
楽しい顔…それってどんな顔だ?無表情じゃダメなのか?
そんなことを考えているとさらに眉間にしわが寄って行った。
「ほらほらまた難しい顔してるよ、コウ君が見たら心配しちゃうよ~。」
綾崎か…そういえば浴衣が見たいと言っていたな。…さて、どんな顔をするのだろうか。
「まさみさん紅騎君の事になったら正直ですね。」
「そうなんだよ~この前の合宿でもね、休憩時間にずっと私とコウ君をさがしてて~。」
「……着付け再開しようか。」
このまま平沢妹に気恥ずかしいことを知られるわけにもいかないので、本題に戻すことにした。
…ますます平沢が分からなくなった。
「ほら、お兄ちゃん。そろそろ覚悟決めてよ!」
「いや…でもさ、なんで男も浴衣を着なきゃいけないんだって話で。」
「なーに言ってんだよ、せっかく私が貸してやるって言ってんだから着ればいいだろ。」
先日の浴衣の話でひさ子が俺に浴衣を着せようとしたのが現在のことの発端だ。女の子が来ている浴衣なのだからきっと可愛らしい柄物なのだろうと思ったのだが、ひさ子が持ってきた浴衣はなんと黒の無地。長身で胸のでかいひさ子が黒の浴衣。エロイことこの上なしである。
タイミング悪く浴衣の件を知ったレナも乗り気で俺に浴衣を着せようとしてきた。しかし問題はそんなところではないのだ、俺は浴衣を着たことがない。
まあ、だからここにひさ子がいるわけなのだが。つまりは…まあ、年の近い女子の前で下着にならないといけないわけで。
「さすがにお前ら男の下着姿は抵抗あるだろ?」
「……。」「……。」
「否定しろよ!!」
「いや…だって、お兄ちゃんすっごく筋肉しっかりしてるから…陸上部の性というか。」
「海に行ったときにお前パーカー着てたろ?それだと二の腕と太腿くらいしか見えなくてよ。この際だからはっきり見せろコラ。」
…ここには筋肉フェチしかいないのか?
すんでのところでいつも助けてくれる岩沢さんはここにはいない。
「分かった…さっさと終わらせてくれ。」
ここは潔く諦めよう。長引かせると下手にこいつ等、特にひさ子を楽しませるだけだ。
勘弁したように俺は両腕を上げた。
「さてさて…ほぉ~やっぱり近くで見ると本当にいい筋肉してるね~。こんなにきれいに割れた腹筋他にないよ。」
「葵は岩沢以上に着やせするタイプなんだな~。ふむふむ。」
無遠慮にペタペタと体を障られながら浴衣を着こんでいく。しかし、ひさ子の流れるような手際は流石と言うほかなかった。
「さて、一応終わったけど、何かおかしいところとかあるか?苦しいとか。」
「いや、特にない。へぇ、これが浴衣か。涼しいけど、少し動きにくいな。」
「ま、そこは慣れだな。それにしても、自分の浴衣のはずなのになんだかそうは思えないな。」
ひさ子は俺の周りをいろいろな角度から観察していた。そして、ある角度でぴたりと動きを止めた。
「お、この角度から見るとなかなか…。」
「え、ホントですか?」
その言葉につられてレナもひさ子のアングルから俺を見る。
「お兄ちゃん、そのまま動かないで!写メとるから!」
そう言いながらすでに彼女の手には携帯電話が握られ、シャッター音が響いていた。このままではレナの満足するまで撮影会が延々と続いてしまう気がした。
「レナ、写真は後で撮らせてやるからそろそろ出かける用意をさせてくれ。」
「あ、うん…ちぇ、残念。」
しぶしぶと言って様子で携帯電話をしまった。ふぅ…助かった。
「大丈夫だって玲於奈ちゃん、写真ならあっちに行って好きなだけとれるからさ。」
「そっか…そうですよね。」
訂正、全く安心できなかった。
「二人は一緒に回るのか?」
「おう、独り身同士こっそり楽しませてもらうぜ~。」
そうか、レナも夏祭りに行くのか…。
俺はがっとレナの肩を掴んでじっと彼女の眼を見つめた。
「人混みがすごいだろうからはぐれないように。見知らぬ男に言い寄られたら最悪ひさ子と付き合ってることにすること。いいな?」
「へ?な、何言ってるのお兄ちゃん?私ノーマルだからね!?た、確かにひさ子さんは綺麗だし…スタイル良いけど…。」
「はははは、葵がシスコンだ~!大丈夫だって、こんなに可愛い子どこの馬の骨とも分からない奴になんて渡さないって。」
ひさ子は音を立てずに一瞬にしてレナの背後に立った。
よし、それならば安心だ。今日は最悪ひさ子がレナをお持ち帰りしても構わない。少しでも不安材料は無くしておきたいから。
「あれ?いつもならここでお兄ちゃんが止めるのに…。あれ?……あれ!?」
「へへへ、楽しもうぜ~玲於奈ちゃん。」
ああ言うが、ひさ子はちゃんと一線は超えない人間だ。まあ、多少は過激なことをすることはあるが。
「じゃあ、俺は二人を迎えに行くから。戸締り任せたぞ。」
「う、うん…行ってらっしゃい…ひぁぁ!?ひ、ひさ子さん、そこは駄目です…弱いんですからぁぁ!」
声が漏れないよう素早くドアを閉じて、外に出た。
「はい、これでおしまいだよ~。」
帯を締め終わり、鏡で自分の格好を確認した。藍色の生地に朝顔の柄があしらわれた浴衣はとても綺麗だった。
…私に似合ってるのか?
「……どこか、おかしくないか?」
「全然おかしくないよ、すっごく似合ってるよ!」
「はい、とても綺麗です岩沢さん!」
二人の反応を見る限りとりあえず似合っていないということは無いようだった。…綾崎はどう思うだろうか?
なぜだろう、妙に不安になってくる。
そんな時玄関の呼び鈴が鳴った。
「あ、コウ君いらっしゃい~。」
綾崎が来た。そう意識した瞬間ドキッと心臓が跳ね上がった。
「あ、すごーい!コウ君も浴衣だー!」
平沢のテンションの上がった声を聞いた瞬間私の体はいつの間にか玄関に立つ平沢の後ろにいた。
呼び鈴を鳴らすと、「は~~い」という相変わらず気の抜ける返事と共に唯が出てきた。赤い浴衣はなんと言うか、溌剌とした雰囲気が唯らしさを強調しているようだった。
「あ、すごーい!コウ君も浴衣だー!」
「なんか成り行きで着ることになった。」
「そうだよ、せっかくなんだから来た方がいいよ~。えへへへ、格好いいね~。」
何が嬉しいのやら、唯は俺の周りをきょろきょろと見て回っていた。
そんな唯を見ていたら、不意に背後から視線を感じた。振り返ると、いつもと違う雰囲気の岩沢さんがいた。
藍色の浴衣に身を包んだ彼女は、普段発している存在感と言うか、濃い雰囲気が薄くなりどこか儚さを覚えた。ずっと見ていないとこのままどこかへ静かに消え去ってしまうのではないか、という危険な均衡さえも感じる。
そう、確かにこのとき俺は彼女に目を奪われていた。
「綾崎?無言で見られると…困る。」
「あ、ああ…ごめん。」
声を振り絞ってやっと出てきた謝罪の言葉と共に、岩沢さんから目をそらした。
「いらっしゃーい。本当に紅騎くん浴衣だ。」
「邪魔してるよ。岩沢さんの浴衣は憂のだよな?」
「うん、ちょーっと小さいけど紅騎くんから見て変なところない?」
「いや、大丈夫だと思う。」
むしろ似合いすぎているくらいだと思っているが、口には出さない。出せるわけがなかった。
「それじゃあ憂、行ってくるね~。」
「三人ともいってらっしゃーい。」
憂に見送られて祭りのある商店街まで歩いて向かう。
「お祭り~お祭り~♪」
見るからに浮かれている唯はかなり危なっかしい歩き方で俺と岩沢さんの前を歩く。
「ねーねー、最初はどこ行きたい?私林檎飴食べたいな~。」
そう言って唯は後ろ、俺たちの方を向いて歩きだした。
「唯、お前の希望は分かったから転ぶなよ。」
「へーき、へーき大丈夫だって~。…おっと!」
案の定というか、予想を裏切らないというか、唯はマンホールに足をひっかけて転びそうになる。
思った通りの事案の発生には冷静に対処する。唯の腕を掴んで姿勢を安定させた。
「おいコラ、さっき俺が言ったことを復唱してみろ。」
「えへへ~ごめんなさい。」
おそらくこのまま放っておいてもまた同じことを繰り返すだろう。いや、間違いなく転ぶ。
「おとなしく横歩いてろ。」
犬の散歩よろしく唯を右側に歩かせる。
「そういえば岩沢さんはお祭り行ったことあるの?」
「いや、実際に行くのは今回が初めてだ。…人混みはあまり好きじゃない。」
そんな岩沢さんがなぜ行く気になっただろうか?よほど唯が強力な交渉材料を持っているとしか考えられなかった。…とすると、あのメールか。
「じゃあ、出店回りは控えめにして早めに花火会場に行くか。唯、それで良いか?」
「うん、大丈夫だよー。」
とすると射的等のゲーム系は止めておいて、食べ物全般を攻めるか。
太鼓の音が小さく腹に響き、笛の根が足取りを軽くさせる。
「花火って河原のところだよね?じゃあ、交差点のところが近道だね。」
「だな、それなりに距離があるから色々回れそうだ。行く店はお前に任せる。」
およそ4年のブランクがあるので、毎年行ってる唯に任せた方が良いだろう。
「岩沢さんは何か食べたいものある?」
「そうだな…屋台の焼きそばは少し興味がある。」
「じゃあ、焼きそばは最後にして…林檎飴から行ってみよー!」
林檎飴…思ったより重い、重量バランス最悪、べた付く…。
「唯、林檎飴も最後だ。お前が落として浴衣に付く未来しか見えない。」
というわけで最初は無難にたこ焼きにすることにした。
この手の買い物は人数分買わずに、一つだけ買って分け合うのが効率がいい。満腹にならずに、金も節約できるからだ。
「コウ君よく冷まさずに食べられるね。」
焼きたてのたこ焼きはやはり、アツアツのまま食べるのが美味い。ただし、慣れないとこの熱さは辛いだろう。
「コウ君ばかり食べてないで食べさせてよ~。」
「はいはい。」
何とも邪道な食べ方だが、たこ焼きに小さな穴をあけて冷ましたものを串に刺して唯の口元へ運んだ。
「あーん…ん~美味しい!。」
続いて岩沢さんの分を串で刺す。
「はい、岩沢さん。」
「……。」
何か迷っているのか、岩沢さんはたこ焼きと俺を交互に見た。
そして、しばらくの沈黙の後小さく口を開けてたこ焼きを食べた。
「……美味いな。」
「それは良かった。」
続いて綿あめ、イカ焼き、から揚げと屋台を順調に回っていった。
「よし、そろそろ林檎飴買いに行くか。」
「うん、そうだね~。ちょっと先にいつも食べてるお店があるんだ~。」
唯を先頭にその屋台へ向かう。この時、なんとなくだけど左手がすこし温かかった。
「よしよし、なかなか順調だな。」
そんな三人を遠目に観察するように二つの人影があった。双方ともに長身で、一人はモデル顔負けのスタイルの持ち主で、もう一人はスラリとしているが鍛えているのかかなり引き締まった体つきをしている。
「何でしょう…あの三人の微妙な距離感を見るとものすごく不安になるんですけど。」
「ああ、そうか顔なじみなんだっけ。そりゃ不安にもなるか。」
「はい…でも、あの二人なら仕方がないと思ってしまう自分もいます。」
「冷静だね~あの二人とは大違いだ。よし、次はクジやろうぜクジ。好きなもの取ってあげるよ。」
「……なんだかものすごいことをすらっと言われた気がします。」
その反対側の射的屋で鋭い視線を向ける者と心配そうな目つきの者が二人。
「くそ~唯のやつ絶対気が付いてないだろ…。」
「なあ、律…折角の祭りなんだしこんな邪魔するようなまね止めようよ。」
「何言ってるんだよ、心配だから見に行こうって言ったのはお前だろ?」
「それは…そうだけどさ。」
「なんだかこの三人って珍しくない?」
「うん、みゆきとは合宿で一緒のグループだったけど。」
「けど軽音部の一年同士だから、珍しいのもちょっと変な気もするけどね。」
私服姿で屋台を回るのは軽音楽部の一年生。中野梓、関根しおり、入江みゆきの三人だった。
同学年同士であるならば必然と行動を共にする機会も多いのではないかと思われるが、別のバンド同士で活動する分この三人で過ごすのは初めてだったりする。
「それにしてもあずにゃんは真っ黒に焼けたね~。それでも数日で元に戻るんでしょ?」
「うん、だけどお風呂に入るときは辛いんだよ?痛くて。」
「羨ましい、私なんて日焼けすると赤くなっちゃうから…。でもしおりんは凄いんだよ、日焼け止めもいらないくらい日光に強いんだから!」
「そうそう、代謝が赤ちゃん並みで…って、誰が幼児体型か!」
「へ~しおりもそうなんだ。」
「うんうん、赤ちゃん体系って呼ばれるのは辛いよね…。最近みゆきちのお胸の成長具合が著しくてさ~。毎日驚愕だよ…。」
「し、しおりん!」
「…毎日触ってるんだ。」
見守る者、企てる者、楽しむ者、様々な思いがこの祭りに混在していた。
「さてさて、焼きそばも買ったし。そろそろ河原に行こうよ。」
「そうだな…岩沢さんもそれで良い?」
隣にいる岩沢さんが無言で頷く。心なしか彼女の眼に疲労の色が見えたので、早めに休みたいところだった。
屋台が並ぶ商店街から離れて河原へ向かう。
「今の時間ならまだそんなにいないはずだから、特等席で見られるかもよ!間近でみる花火って凄いんだよ~こう、ドッカーンって。」
「初めて見た時は泣いてたしな、お前。」
「もう、恥ずかしいから言わないでよ~。」
「…そんなに凄いのか。」
唯の言う通り河原にいる人はまばらで、これなら好きな場所で見ることができそうだった。
持ってきた折り畳み式のクッションを置いて場所取りを済ませる。ただここで問題が発生した。
「ねえねえコウ君、これって三人座れるの?」
クッションの幅的に三人座るためにはそうとうギリギリだ。
「座れる…はずだ。ギリギリ。」
とりあえず座ってみる。一応三人座れた。座れたのだが。
「コウ君大丈夫?」
「俺のことは気にせず可能な限りくつろげ。」
二人に挟まれる形で座っているため、かなり暑い。正直女の子二人に挟まれて舞い上がりそうになる自分もいた。いたのだが、内側と外側から温められて脳内は少々沸騰気味だった。
「綾崎、水飲むか?」
「ああ、ありがとう。頂くよ。」
岩沢さんからV○lvicを受け取って一口飲む。少しだけ頭が落ち着いてきた。
「よし、焼きそば食うか。」
左手を離してビニル袋から人数分の焼きそばを取り出した。
「ちっ、離しやがったか。」
「て言うかお兄ちゃんは本当に気が付いてないんですね。」
「それほど無意識的な行動だったって訳だ。じゃあ、私はそろそろ帰るわ。玲於奈ちゃんはここにいるように。」
「え?あ、ちょっとひさ子さん?」
「あれ、玲於奈じゃん。どうしたの一人で。」
「あ、梓。珍しいねその三人って。」
「さっき律センパイと澪センパイに会って、一緒に花火見るんだけど玲於奈も来る?」
軽音楽部のなかで個人的に知ってるのは梓だけ、去年のクリスマス会(あまりいい思い出ではない)に二人の先輩とはあっているが、ほとんど初対面。
それに加え、一年生の二人とは完全に初対面だった。
折角同じ部の人で集まるのだから、私が入るのは忍びない。
「うーん、折角だけど止めておく。明日陸上の記録会があるから遅くなるといけないし。」
「そっか、それなら仕方がないね。じゃあね、玲於奈。」
「うん、またね。」
三人の背中を見送り、ちらりと河原の三人を見てから来た道を引き返す。
しばらく歩いていると、物陰からひさ子さんが現れた。
「ひさ子さん…帰るんじゃないんですか?」
「お前の兄ちゃんにちゃんと面倒見るように言われたからな。帰るんだろう?だったら最後まで仕事はしないとな。」
ひさ子先輩はこの状況を分かっていたのだろうか。
「ひさ子さんは不安じゃないんですか?あの三人を見て。」
「不安さ、たまらなく不安だよ。…だから私は。いや、何でもない。」
一瞬ひさ子さんは怖い顔をした後、自虐的な笑い方をした。
その表情はいったいどんな気持ちから出てきたのか、今の私には想像しようがなかった。
午後八時ジャストで花火大会が始まった。
花火が打ち上げられる高い掠れた音の後に、ドンと腹の奥まで響く爆発音が響き空に満開の花びらが咲く。
「たーまや~!」
右隣で楽しそうに、それはもう本当に楽しそうに唯は空を見上げていた。
「…凄いな。近くで見るとこんなに迫力があるのか。」
岩沢さんも感心した様子で花火を見つめていた。
そんなとき、岩沢さんは襟元を手で広げて胸元を団扇であおいだ。暑かったから仰いだ。ただそれだけの行動なのだが、それによって今まで隠されていた白い肌が少しだけ見えてしまった。
浴衣によって漂う儚さのなかで少しだけ生まれる艶美が俺の脳内を瞬間的に沸騰させる。
”浴衣は世界一脱がせやすい”
ひさ子が言おうとしていた言葉が今、この瞬間思い出してしまう。よりにもよってこの瞬間に、だ。
ドクンと心臓が大きく跳ね上がった。両隣どころかその周辺にまで聞こえてしまうのではないか、そう思うほど大きな音だった。
「どうした、綾崎。ぼーっとして。」
「あ、ああ…。」
上手く舌が回らず、「あ」しか出てこなかった。慌てて水を飲んで頭を落ち着かせる。そもそも味のない水だが、味なんて一切分からなかった。
そんな混乱する俺を岩沢さんは不思議そうな顔で見ていた。
それ以上岩沢さんを直視することができずに、ずっと空を見ていた。