「何だか物足りない気がします。」
夏休みの部活はもっぱら我が家のスタジオで行われていた。理由は単純、部室にはクーラーが無いからだ。
そんな練習中m入江の口からそんな言葉が漏れたのであった。
「綾崎せんぱい!みゆきちが欲求不満なようです!」
「ち、ちちち違うよ!?違いますからね!先輩!」
間髪入れず茶々を入れる関根に、律儀な入江はちゃんと反応していた。
「欲求不満は良いとして。入江、詳しく聞こうじゃないか。」
「はい、・・・良くないですけど。あの、私たちの曲って岩沢先輩のストラトで音の輪郭を作って、ひさ子先輩のジャズマスターで色を付けている事が多いですよね?以前綾崎先輩はムスタングでしたから音に存在感がありました。・・・けれど。」
大体入江の言いたいことは分かった。今まで俺のパートはリズムパートをはっきりさせたり、ギターソロに色を付けたりするのが主な役割だった。ムスタングはそのパートにばっちりはまっていたのだろう。
しかしそれはストラトに”戻って”から具合が少し変わってしまったようだった。
「すみません・・・余計なこと言ってしまいましたよね・・・。」
「いや、入江の言うことは正しいよ。よく言ってくれた。」
「いえ、そんな・・・・・・。」
「そんじゃあさ、エフェクターとか変えてみる?音の作り方次第でどうにもなんだろ?」
「・・・・・・いや、この際だから思い切った変化を付けてみるのもいいかも。」
岩沢さんが何かを思いついたのか、エレキからアコギにギターを持ち替えた。
「綾崎、もう一本アコギ借りてきてくれる?」
岩沢さんに言われたとおり、貸し出しようのギターを持ってきた。
「じゃあ、コレをやるから。」
そう言って差し出してきた楽譜はいつぞや編曲したWednesday Morning, 3 A.M.だった。
「まずは普通に、一番だけで良いから。1,2,3,4・・・」
岩沢さんに言われたとおり普通に楽譜を追っていく。サワリだけのラフな演奏なのに綺麗にハモらせてくる。
こんなに簡単にハモらせてくるあたり、やっぱりこの人は上手い。
「じゃあ、次は別パターン。綾崎はさっきと同じように弾けば良いから。」
そう言って岩沢さんはピックを取り出した。・・・・・・大体考えていることが分かってきたぞ。
「1,2,3,4・・・」
再び同じように演奏を始める。たださっきと違うのは岩沢さんがピックで弾いていることだ。
するとどうだろう。ピックで弾くことによって音に硬さが生まれ、奥行きを感じることができる。
前者のふわっとしたどこかつかみ所の無い雰囲気と比べて、一種の型のようなものができあがった。
たとえるなら、青空を写真で切り抜いたような。そんな感じ。
「岩沢の言わんとしていることは大体分かった。けど、そりゃあこの曲みたいなら良いだろうけど。私たちがやるのはロックだぞ?」
「ひさ子先輩、そうとも言い切れないかも知れませんよ?ジェフ・ベックという良い例があるじゃないですか。」
「あんな様な音出されたら今度は私の存在感か薄れるだろうが!」
確かにジェフ・ベックは有名なフィンガーピッキングのギタリストだけど。俺としては、もう一人。この人の方が良い例だろう。と言うより、俺が一番尊敬しているギタリストだが。
「二人とも、もう一人忘れてるだろ?」
しかし、俺の言葉に二人は頭上に「?」を浮かべるだけだった。
・・・うそだろ、確かに日本じゃかな~りマイナーな方だけど。アメリカじゃあ相当売れたバンドのリーダーだったんだぞ?
「先輩、その人って誰なんですか?」
入江も気になるのか俺に好奇心の目を向けてきた。だが、今この時だけは心に重くのしかかるだけだった。
~~~~~♪
落ち込む俺の耳にギターの音が流れてきた。
コレは、Dire straits の「Romeo & Juliet」のフレーズだ。
リゾネーターギターではなく、アコギだったがそれは確かにRomeo & Julietだった。
「マーク・ノップラー・・・私も好き。」
岩沢さんはギターをスタンドに立ててからしれっとそう言った。
「良かった、岩沢さんが知ってて。」
「・・・綾崎。」
「うん、分かってる。それで行こう。」
しばらくはピックとお別れだ。あの独特な音を出すことができればきっと味わいのある演奏をすることができるだろう。
「あのぉ・・・葵先輩。お二人で以心伝心しているところ申し訳ないのですが。こちらの三人は全く話が見えてないのですが。」
そうか、そこの三人はまだ分からないのか。・・・ならば。
「今からあんたら三人にDire straitsとMark knopflerについてみっちり教えてやるから覚悟しろ。」
確かライブのDVDが俺の部屋にあったはず。それにネットを探せば他の映像も見つかるはずだ。
「お前らちょっと作業部屋来い。」
まさかここでビデオ鑑賞をするわけにもいかないしな。
と言うわけで隣の作業部屋に場所を移し、パソコン、プロジェクター、スクリーンを準備した。
「まずは簡単にマーク・ノップラーとダイア―ストレイツの歩みについて説明するぞ。」
マークノップラー率いるダイアー(悲惨な)ストレイツ(崖っぷちたち)はその名前の通り、結成から懐事情に悩まされていた。メンバー四人の内三人は音楽とは縁の無い仕事に就き、その収入のほとんどを音楽に費やしていた。リーダーであるマーク・ノップラーも国語の教師をしていた。
そんな彼らをからかうように友人が言っていた言葉がそのままバンド名になったというわけだ。
さて、そんなときとある有名なラジオDJが彼らのある曲をヘビーローテーションしたのだった。
その曲こそ彼らのデビュー曲となった”Sultans of swing”であった。この曲のブレイクをきっかけにダイアー・ストレイツは成功の道をひた走り続けた。
そして全米売り上げ200万枚という記録を打ち立てたアルバム、ブラザー・イン・アームズはまさに一家に一枚の大ブレイクだった。
そして時が経ちダイアー・ストレイツは活動を休止。今はマーク・ノップラーがソロで活動をしている。
フィンガーピッキングの温かい音、彼の語りかけるような歌声はこれからも人々の心に優しく染み渡っていくのだろう。
「それでこれから見せる映像は、そんな彼らが栄光の階段を今まさに上ろうとしている時期に行われたライブだ。」
「それは良いとして、何でこんな設備が葵の家にあるんだよ?」
「マスターの趣味だ。大画面、大音量でDVD見るのが好きなんだとよ。」
「ああ、それでこんなにソファがふかふかなんですね。ほらほらみゆきち~おいでおいで~。」
「あ、本当だ。」
ソファが気に入ったらしい関根と入江はそのままで良いとして、後の二人は・・・。布団しかないか。
「座布団無いから敷き布団で我慢してくれ。」
「別に気にしない。」
「私も別に構わねーよ。それよか葵も早く座れよ。まさか恥ずかしいなんて青臭いことは言わないよな?」
そう言って、ひさ子は自分の右隣をぽんぽんと叩いた。そこは二人の間に収まるスペースだった。
「分かったよ、座るよ。座れば良いんだろ?ほら、始めるぞ。」
再生ボタンをクリックして二人の前に「∴」の様にして座った。が、しかし強力な力でズボンのベルトを引っ張られて「・・・」の並びにされてしまった。
「何だよ、どうしたんだよ二人とも?」
「綾崎うるさい。」
「良いから良いからほら、始まるぜ~。」
俺の抗議はないがしろにされ、スクリーンにはビリヤードなどを楽しむメンバーらが映っていた。
alchemy liveと名付けられたこのライブは演奏、演出において全てにダイアー・ストレイツの魅力が詰め込まれている。
CD版よりも二倍以上の時間で演奏されたsultans of swingはライブでしか聞くことができない魅力にあふれている。
Romeo&Julietの前奏で映像に出る若い男女の二人組は、路地裏に取り残されたロミオとジュリエットを彷彿とさせる。
「葵、ちなみにお前のおすすめは?」
「この次にでるtunnel of loveだ。岩沢さんは?」
「私も綾崎と同じ。後半のソロは特に好き。」
「でもひさ子はその次のTelegraph Roadが気に入りそうだけどな。」
「それは言えてるかもしれない。」
tunnel of loveはCD版で8分もある長い曲だ。
比較的アップテンポでロック色が強い曲だ。アメリカを想起させる歌詞に、ノップラーの力強くもどことなく切ないメロディ。その二つが合わさり8分などあっという間に過ぎ去ってしまうほどに曲が入り込んでいく。
しかし、この曲の一番の山場は後半のノップラーのギターソロだ。
彼の奏でる音は抵抗なくすっと胸に染み込む。そして甘く、切ない感覚が奥の方から「じわり…じわり…」とにじみ出てくるのだ。
この感覚を何て呼べばいいのか今の俺には分からない。
だけど、いつかこの感覚をはっきりと言葉で表現できたらと思っている。
そしてその次に演奏されるtelegraph roadは俺の知りうる限り彼らの曲の中で最も長い。
およそ14分。されど14分。
この曲の見せ場はマークノップラーのギターソロだ。指で引いているとは思えないくらいなソリッドな音に身を任せていると、自然と体が動き出すようだった。つくづく彼はギターで音を聞かせる技術と言うか、センスが並はずれたものを持っていると実感することができる。
ライブは終盤へと差し掛かり、最後の曲は映画「local hero」のサントラとして作曲された「going home」という曲だ。
ちょっと映画の内容を話すと、田舎に石油コンビナートを作ろうと出張した男がその村の生活を気に入り、仕事を忘れて住み着いてしまうというストーリーだ。
この曲に入ると、スタッフたちが演奏中にセットの片づけを初めて、最終的にはメンバーと楽器だけの剥き出しの状態で終わるという演出がある。
一晩の夢が覚めるとき、人々は家に帰る準備を始める。
まさに曲名の通りの演出だった。
「…さて、どうだった?とりあえずひさ子から。」
「あーそうだな、葵があんな音出すようになったら面白そうだとは思うな。曲のジャンルにも幅ができて、岩沢もまんざらでもねーだろ?」
「そう…だな。」
岩沢さんはなにか考え事をしているようで、ひさ子の問いかけにも上の空だった。
…よし、この人は後で聞くことにしよう。
「関根は?お前の好きな超絶技巧のバンドじゃないが、どうだった?」
「そうですねー、やっぱり私はもっとギターとベースが延々とグルーヴしてるような方が好みです。でも、ちょっと興味がわきました。ね?しおりん。」
関根は隣の入江に話を振った。しかし、当の本人はなぜかうつむいていて、ピクリとも動く気配がない。
「しおりん?どうしたの?」
関根が入江の肩を揺さぶる。すると、入江がゆらりと俺の方に近寄ってきた。
「…先輩。」
「お、おう…どうした?」
すると、突然入江が俺の肩を掴もうとしてきた。…が、身長が足りないせいで胸倉を掴むような形になった。
「すっごく格好良かったです!一発ノックダウンってこういうことを言うんですね!ああ、なんで私今までこんな凄いバンドを知らなかったんだろう!これも先輩のおかげです、本当にありがとうございます!」
「良かったら…CD…か、貸すけど…?」
どうした?やけに声が出にくいぞ?
…ああ、首元が閉まってるからか。納得。それにしても顔が近い、さすがドラマー俺の体を少し浮かせるくらいの力があるのか。
「本当ですか!?是非、是非貸してください!」
あれ…?天井ってあんなに白かったっけ?いつのまにか入江の顔がのっぺらぼうに…。なんだか意識が薄らいできて…?
そんな意識が薄らぐ俺の耳にヒュン!という乾いた音が聞こえた。
「フギャ!?」
猫がつぶれたような声と共に、俺の気道が確保されて新鮮な酸素が脳に巡ってきた。
一呼吸ごとに頭がすっきりしてくる。
…ああ、生きてるって素晴らしい。
「…で、なんで入江がのびてるんだ?」
足元には目を回して、コミカルに倒れている入江がいた。そして、彼女のそばには空のCDケースが落ちていた。
後ろを振り返ると、案の定投擲が終了した姿勢で固まる岩沢さんがいた。
「危なかったな綾崎。いろいろな意味で。」
そう言って岩沢さんは何事もなかったようにライブ映像のディスクを取り出してケースにしまう。
「はい。」
……とりあえず受け取っておいた。
「関根、入江はまだ伸びてるか?」
「きゅぅ~…。」
「全然目を覚ます気配がありません!」
こりゃ相当良い場所にクリーンヒットしたな。
「じゃあ、そのままで良い。それと岩沢さん、あとで謝るように。」
「……。」
「謝りなさい。」
「……分かった。」
そんな感じで保護者の真似事をしていたら、携帯がメールの着信を告げてきた。発信者は…唯だった。
「綾崎も平沢からメール?」
そして、なぜか岩沢さんにも少し遅く唯から届いているようだった。
夏祭りに行こうよ!
簡単に要約するとそんな感じの内容だった。
俺に贈るのはなんとなく理解できる。ただ、なぜ岩沢さんにまでそのメールが届いたのか。
「せっかくの誘いだから行くか、綾崎?」
以外にも岩沢さんは乗り気らしく自分からそう言ってきた。
「お、おう…唯から何て送られてきたんだ?」
「……秘密だ。」
どうやら岩沢さんを乗り気にさせる文が送られてきたようだった。まあ、それが何なのかは教えてくれないみたいだけど。
「おいおい二人とも何の話してるんだよ~。」
案の定興味を持ったひさ子が話に入ってきた。
「唯から夏祭り誘われた。」
「ほ~お、それはまた面白いな!じゃあ、私は遠目に観察させてもらうわ。」
もはや隠れる気もなくなったのかひさ子は堂々とそう宣言した。まあ、こいつの場合邪魔はしてこないで本当に見てるだけなんだよなぁ。
たちが悪いのか悪くないのか良くわからないけど。
「じゃあ、じゃあ岩沢先輩は浴衣で来るんですか?」
関根も釣られて話題に乗っかってきた。…浴衣か。
「残念だけど、浴衣持ってないから。それに、あんな動きづらい恰好好きじゃない。」
「確かに動きづらいけどな岩沢。浴衣は世界で一番脱―」
「まあ、普通は持ってないよな。あんな特殊なシチュエーションで着る服なんて。」
ひさ子がまた不埒な発言をしようとしたので強制的にシャットアウト。
「……あ。」
再びメールが届いたらしく、岩沢さんが小さく声を漏らした。
「どうしたんですか?岩沢さん。」
「浴衣…平沢が貸すって。」
ということは憂の浴衣か。まあ、背丈は似たような感じだから大丈夫だろう。
「良かったですね先輩!」
関根は俺に向かってそう言ってきた。…くそ、コイツ分かって言ってきたな。
「そうだな、すげー楽しみだな。」
本人がいる手前下手に誤魔化せない。あの時点で関根の質問にはこう答えざるを得なくなっていたのだ。
岩沢さんはというと、表情を変えることなくからかうひさ子をいなしていた。
しかし、よく見てみるとほんの少しだけ目が泳いでいた。