練習時間も終わり、俺たちBグループはこれから自由時間だ。しかし、夕食の買い出しをしなければいけないので、俺とひさ子は買い物。後の三人は残って泳ぐ予定だ。
俺がどちらが良い?と聞いたときに関根、田井中、琴吹は即答で遊ぶと答え、ひさ子はどちらでも良いと答えたので、こんな分け方になった。
「さて、じゃあ俺たちは買い出しに行ってくるから。関根、あまり羽目を外すなよ。」
「分かってますよ、どうぞごゆっくり~。ひさ子先輩も、本妻にのし上がるチャンスですよ!」
「馬鹿なこと言ってねーで、とっととどっか行ってこい!ほら行くぞ葵!」
顔を赤くしたひさ子に再び襟首を掴まれて、俺は外に引きずり出されていった。あのー俺の首がもたないのですが・・・。
「あの~ひさ子さんや、照れ隠しに襟首引っ張るのを止めて頂きたい。」
「照れてねーよ、ほら熱いんだからさっさと行くぞ!」
俺たち名向かうのはここから徒歩十分ほどの場所にある、道の駅だ。そこに併設している直売所が目的の場所である。
「おぉ・・・スーパーよりも野菜が安いとは、流石直売所。」
よし、ここは移動の疲れを回復するために夏野菜料理といこうか。それに折角の海なんだし魚も食べたいな。
「なあ、ひさ子。この近くに魚市場ってあったけ?」
「さあ?琴吹に聞いてみねーと。」
だよな。あー出発の前に調べておけば良かった。しょうがない、今夜は肉料理で我慢するか。
「ひさ子は何か食べたいものあるか?」
「・・・ハンバーグ。」
ハンバーグか・・・まあ、挽肉もあるし問題は無い。だけど、ひさ子にしては随分と可愛らしいセレクトだ。
「ハンバーグ好きなのか?」
「悪いかよ・・・。」
悪くは無いただ、そのばつの悪そうな顔が非常に微笑ましいだけだ。それを言うとまた怒るから口にはしないけど。
「そう言えばひさ子って料理できるのか?」
「・・・・・・。」
俺の問いかけにひさ子は黙りを決め込む。確かコイツは普段からパンとかコンビニのおにぎりとかだったな。バイト先のラーメン屋でも接客担当だったし・・・。
「よし、今日のハンバーグはひさ子、お前が作れ。」
「は!?む、無理だって!私料理なんてしたことねーから!」
あーやっぱりか・・・。でもしたことが無いってことは、練習すれば上手くなる可能性もあるってことだ。
「なに、大丈夫だって。俺がしっかりレクチャーしてやるから。将来困るだろ?専業主婦になれねーぞ。」
「わ・・・分かったよ。」
その言葉に心を動かされたのかは分からないが、ひさ子は首を縦に振った。
「和風、中華風、イタリア風、どんな感じが良い?」
「何でも良いよ、別に変なこだわりはねーから。」
ほう、つまりハンバーグであれば何でも好きと。うん、ちょっと笑いが抑えられなくなってきた。
「何笑ってるんだよ・・・そんなにおかしいか?」
非常に・・・良いと思うます。ひさ子のこんな表情初めて見たかもしれない。何だか一度吹き出したら震える肩が止まらなくなってきた。
「笑うなよ・・・ったく、岩沢の例の写真見せてやらねーぞ?」
「よし、買うもんはそろったな。さっさと買って帰るぞひさこ!」
「その反応も何だかムカつくな・・・。」
別荘に戻って買ってきた食材をこれまた大きな冷蔵庫に収納していく。
すげーな、これだけでかいと電気代いくらかかるんだろう?
そんなけちくさいことを考えながら、食材を全部入れ終えた。まだ夕食を作り始めるには早い時間だ。
「さて、すこし時間があるけどひさ子はどうする?」
「そうだな・・・ギター弾いて時間潰す。」
まあ、そうするよな。俺だってそうするつもりだったし。・・・いや、待てよ。
「ひさ子、wednesday morning 3 amって知ってるか?」
「Simon and Garfunkelだろ?一応知ってるけど、それがどうかしたか?」
「ちょっとギターもって来てくれ。」
ひさ子にギターを持ってこさせて、俺は楽譜を広げた。
「2本目のギター用の編曲を手伝ってくれないか?」
「あーなるほど。岩沢と弾くためにだな?電車の中でそんな話をしてたし。」
流石ひさ子。よく分かったな。
「ということは、お前ずっと聞き耳立ててたな?」
「当たり前だろ。何のために仕組んだと思ってるんだよ。」
アナタが楽しむためですよねー分かります。全く、良い性格してるよ。
「それにしてもこの曲と言い、Laylaと言い、葵は破滅的な恋愛ソングが好きなのか?」
「否定はしないけど、肯定もできないな。そう言うお前はどうなんだ?」
「そうだなぁ・・・sunshine of your loveとか私は好きだな。」
もうすぐお前と一緒にいられる、そのために俺はずっと待ち続けていたんだ・・・等言う感じの歌だったなたしか。そっか、ひさ子は絵に描いたようなハッピーエンドが好きなのか。
「特に好きなのはI’ll stay with you till my seeds are all dried up.ってところだな。」
「そーか・・・つまりお前はサキュバスになりたいと。」
そう言った瞬間、ひさ子は俺の脇腹をものすごい力でつねってきた。
「殴るぞ?」
「悪い、悪かったって!痛い痛いいいい!!」
引きちぎれるって、冗談じゃ無くって、本当に!
「謝るときはごめんなさいだろうが・・・くぬ、くぬ!」
「ごめんなさい、ごめんなさい!!」
ようやく解放された俺の右脇腹は見事に真っ赤になっていた。・・・くそ、覚えてろよ。
「さて、気も済んだことだし。葵クンのラブレター作りの手伝いをしましょうかね。」
「誤解を受ける表現をしないでいただきたい。」
「どーせ誰も聞いてないだろ?何なら本物のラブレターも書いて良いんだぜ?」
部活の合宿中にそんなもの書いてる人間なんているわけねーだろ。むしろ引くわ。第一コイツに書かせたらそれこそ俺は社会的に抹殺されてしまうだろう。
「それなら俺の名前じゃなくて、ひさ子の名前でやっててくれ。」
「ああ、そっちの方は大丈夫。」
そっちの方は大丈夫?どういう意味だ・・・。そっちって、何だ?大丈夫って、何が大丈夫なんだ?
「ふふ・・・知りたい?」
「いや・・・止めておく。」
恍惚とした表情で、何か言いたそうな様子を見ていると、逆に聞きたくなくなってきた。いや、聞いてはいけないような気がした。
「よし・・・そろそろ良いか?」
「あ、ああ・・・そうだな。私もそう思う。」
「何だ、怖いのか?」
「こ、怖くねーよ・・・けど、なんだか緊張する。」
「誰だって初めては緊張するもんさ、ほら、覚悟決めろ。」
「・・・ダメだ、頼む葵。一緒に・・・ダメ?」
俺は頷いて、ひさ子と一緒にソレを開いた。
立ち上る湯気とともに、ソースと肉汁が勝り合う香ばしい香りが広がる。最後に串を刺して、中の温度を確かめる。
「あ・・・葵のが・・・刺さって・・・あぁ!」
「うるせー!上手くできたからって調子に乗るな!」
焼き加減良し、ひさ子の初ハンバーグは一応成功だ。
「は~疲れた・・・まさみちゃん厳しすぎるよ~」
防音室から唯が逃げ出すように出てきて、ぐったりとソファに腰を下ろした。それに続いて、秋山と中野も疲れた顔をして出てきた。
「岩沢センパイ・・・スパルタです・・・容赦ないです・・・。」
「入江って・・・あんなにスティック持つとあんなに性格変わるんだな・・・。」
話題に出てきた二人は、疲れた表情を一切見せずに、開いたソファに座った。
「あ、みゆきち!練習終わったの?」
日が傾くぎりぎりまで海で遊んでいた三人がようやく戻ってきたようだった。
「うん、なんだか新鮮で楽しかったよ。ね、秋山先輩?」
「そ、そうだな・・・。楽しかったよ・・・すっごく。」
何だか言わされた感が凄く伝わってきたが、入江の練習はそんなに厳しかったのだろうか?
「厳しいってレベルじゃ無いよ!私が少しミスしたら容赦なくストップしてまた一からやり直し。関根・・・良く一緒に練習できるな。」
「それはですね秋山先輩。しおりんは私が止めても、演奏を続けるからです。私がミスをしても絶対止めないんです。それで完全にできるまで延々と繰り返し続けるんです。壊れたテープレコーダーみたいに。」
それはそれで鬼畜だな。あー・・・よくよく考えたら田井中の方が大変なのか。
「まあ、これも合宿の醍醐味ってことで。それで、中野と唯はなんで声をからしてるんだ?」
ぐったりしている唯に代わって中野が答える。
「ずっとコーラスの練習をしていたんです・・・結構長く声を出さないといけないので・・・それで。」
「そ、そっか・・・で、何で中野は少し顔が上気してるんだ?」
「な、なんだか岩沢センパイに厳しく指導を受けてたらだんだんと気持ちよく・・・はっ!わ、私何言ってるんでしょうね!?」
なるほど・・・中野は少々Mの気があると・・・。よし、覚えておこう。
「とりあえず夕食にしよう。食べないと明日に響くぞ。」
全員が座れるような大きなダイニングテーブルに本日の夕ご飯を並べていく。
「これ、全部先輩が作ったんですか?てゆーか、葵先輩料理できたんですか?」
関根が心底意外そうな顔をして俺に尋ねてきた。
「まーな。できた方が良いだろ?」
「うぅ・・・私が作った料理より美味しそう・・・。」
関根の隣で肩を落としているのは入江。
「さてさて、合宿一日目お疲れ様。紅騎、この後の予定は?」
「Aグループがお疲れの様子だから、夜はフリーにしよう。明日以降は午前と午後に分けてそれぞれが練習しようと思ってる。」
「・・・だ、そうだ。それっじゃあいただきまーす!」
部長の挨拶が終わり、食事が始まった。
「綾崎、なんで今日の夕食は野菜が多いの?」
「移動で疲れがたまってるだろうから、疲労回復に。口に合わなかった?」
「いや、いつもと変わらず美味い。それと、ひさ子。ハンバーグ、美味しいよ。」
「そ、そうか・・・良かった。不味いんじゃ無いかと思って冷や冷やしてたんだよ~。・・・くそ、冷やかすタイミングを逃した。」
小声でそんなことを言っていたのをはっきりと聞いてしまった。さすが、岩沢さん。ひさ子の扱いを知っている。
「先輩、いつもと変わらずってどういう意味ですか?まさか、普段から葵先輩のご飯をご馳走になってるんですか?」
と、思ったら関根がひさ子に変わって聞いてしまった。くそ、今年は第二の刺客がいるのをすっかり忘れていた。
「別に変な意味じゃなくて、いつも綾崎の弁当を摘まんでいるだけ。そうだな・・・特に気に入ってるのは柚胡椒餃子かな?」
これまた上手に岩沢さんは関根の追求を回避した。ちなみに岩沢さんが俺の弁当を摘まんだのは去年の柚胡椒餃子の一回だけ。
「あ、そうだ。紅騎ばかりに作らせるのも悪いから炊事当番を決めよーぜ。紅騎以外に料理できる人?」
手を上げたのは岩沢さん、入江、田井中、秋山の四人。それに見込みありと言うことでひさ子も追加された。
「今俺は田井中が料理できたことに非常に驚いている。」
「なんだとー!私だって家事の手伝いくらいするんだぞー!」
まあ、そうだよな・・・。
「うーん、美味しい~!」
平沢家が特殊なだけ・・・だよな。うん。
予定通り、夕食後は自由時間だ。唯、秋山、中野は入浴を済ませたらさっさと寝てしまった。それほど疲れたのだろう。
田井中、琴吹、入江、関根はトランプをしながら、おしゃべりに興じるようだ。
結局楽器を持って練習室にいるのは俺とひさ子と岩沢さんのみ。
「岩沢さんのところは何をやることになったんだ?」
「Deep purpleのBurn。」
おぉ・・・これまたとんでもない選曲だ。それならあいつらがへとへとになるのも無理は無いな。
「綾崎の方は?」
「laylaだけど。」
そう言うと、岩沢さんはリフを弾いて見せた。無言で「これ?」と聞いてきたので、頷いて答えた。
「Burnか~あれも面白い曲だよなー・・・それで、ソロは岩沢が全部やるのか?」
「いや、後半のキーボードのところは平沢と中野にやらせるつもり。あいつらにもできるように少し簡単にアレンジして。」
良かった岩沢さんにも慈悲の心はあるようだ。
「それはそうと綾崎、昼間にひさ子となにやってたんだ?」
あの時って・・・まさか曲のアレンジをしていたときか?いやいや、だってあの場所にはひさ子と俺しかいなかったはずじゃ。
「二人以外誰もいない空間の中私と葵はくんずほつれつの―」
「曲のアレンジをしていたんだ。移動の時に聞いてただろ?wednesday morning 3 am。」
ひさ子のねつ造を遮るようにして俺は、楽譜を岩沢さんに見せた。
「ああ、あの曲・・・でも何でアレンジしたの?」
「ま、まあ・・・その、なんだ・・・岩沢さんと演奏したいと思って。」
あー・・・口にすると妙に気恥ずかしい。何でこんなに口が動きにくくなるかなぁ・・・。
「そう、じゃあ早速やろう。そう言えば綾崎の手が入った曲、初めて演奏するな。・・・ふふ、楽しみだ。」
対する岩沢さんは新しい玩具を買ってもらった子供のように目を輝かせていた。
「お、演奏するのか?聞かせろよ!」
ひさ子も聞く気満々。今更後日に使用なんて言えない。
ギターをアンプにつなぐ。今回はエフェクターはかけないクリーンサウンドの方が良いだろう。よし、準備オーケー。
岩沢さんと目線を交わす。合図が無いにもかかわらず、出だしはぴったりと合っていた。
俺のムスタングと、岩沢さんのアコギが絡み合うように一つの旋律を奏でる。
「「I can hear the soft breathing Of the girl that I love.」」
愛する人の小さな寝息が聞こえる。
と始まるこの曲は、罪を犯してしまった男が恋人と過ごす最後の夜を歌った曲だ。
このときが永遠に続けばどんなに幸せだろう。しかし、必ず朝の三時はやってくる。どんなに願っても、自分の持ってる者全てを投げ出しても時間は止められない。
待っているのは愛する人との永遠の別れ。
およそ二分の短い曲だが、男の後悔や、つらさ、恋人に対する愛情がすっと心に入り込んでくる。
「「The morning is just a few hours away.」」
アンプのスイッチを切ると、完全な静寂が空間を支配した。
「どうだった岩沢さん。」
「良い曲だった。・・・やっぱりこういうのもも良いな。ひさ子はどう思う?」
岩沢さんの問いかけにひさ子は反応を示さなかった。なにかボッとした様子で一転を見つめていた。
「おーいひさ子~帰ってこーい。」
俺が肩を揺らすと、ようやく我に返ったような様子を見せた。
「どうしたんだひさ子、ぼーっとして。」
「わ、悪い・・・なんだか引き込まれてた。葵たちの世界に。」
何だか,様なことを口走り始めるひさ子。・・・寝ぼけてるのか?
「私と綾崎の世界・・・。ひさ子、具体的にどんな風に感じたんだ?」
「葵と岩沢の音がだんだん溶けて混ざり合うような感じがすると思ったら、いつの間にか私もそれに同調したって言うか・・・。私には似合わないけど、甘くて蕩けそうって表現が一番しっくりくるんだ。」
甘くて蕩けそう・・・か。まさかひさ子の口からそんな言葉が出るとは。
「ふふ・・・ひさ子からそんな言葉を引き出せるなんて。そんなに私と綾崎の演奏が良かったのか?」
「わ、笑うなよぉ・・・すっげー恥ずかしいんだよぉ・・・うぅ。」
いつになくこのひさ子はしおらしかった。