目を開けると見知らぬ天井があった。
左右を見渡すと病室の一角であることが予想できた。
壁に掛かっている時計を見ると時刻は午後4時だった。
ここはどこの病院なんだろう?そして”自分の名前が思い出せない”・・・。
「記憶喪失?」
「ああ、どうやら過度なストレスが一気に掛かったことが原因みたいだね」
「・・・・・過度なストレス?」
「君が昨夜ここに運ばれてきたとき、妹さんの話を聞いて推測したんだけど」
「・・・・はぁ」
「ま、一時的なものだから心配しなくて良いよ。今日退院して自宅にいた方が戻りやすいだろうし」
中年の男性医者はそう言ってカルテをぱたんと閉じた。
退院の手続きを済ませると、ロビーにいた赤毛の女の子が近付いてきた。
「君が僕の妹っていう子?」
「本当に・・・記憶喪失なのね、お兄ちゃん・・・。」
僕の妹らしい女の子は自分を玲於奈と名乗った。
「家までの道は覚えているの?」
「うん、だけどおかしいんだよ。頭の中で家って認識している場所が二つあるんだ。」
「ふ~ん、そういうものなんだ・・・。じゃあ、両方行こ」
そう言って僕の手を握って病院を出た。少し気恥ずかしかった。
「君って本当に僕の妹なの?」
思わず彼女にそう聞いてしまった。
「ううん、本当は血はつながってないの。春にお兄ちゃんが養子としてお父さんが引き取ったのよ」
「・・・てことは僕って結構暗い人生送ってた?」
「・・・・そうね。とても、とても・・・」
どうやら僕は相当くらい人生を送っていたようだ。全く思い出せないけど。
玲於奈さんを引き連れて着いた場所は黒こげで柱がむき出しの家だった物があった。
「・・・ここって本当に家だったの?」
「そうよ、4年前に家事があってそれっきり。」
「僕の家・・・だったんだよね?」
「・・・ええ」
生え放題の雑草をかき分けて家の方に近づく。
「これは・・・ひどい」
柱が立っているだけでも奇跡的なほど朽ち果てていた。
瓦礫に足を取られながら、中に入ってみる。
すると、酷いめまいに襲われて倒れそうになった。
「お兄ちゃん!?」
玲於奈さんに肩を支えられて何とか倒れずに済んだ。
「・・・ありがとう」
「もう行こ?今の家に帰ろう、お兄ちゃん」
「そうだね・・・」
再び玲於奈さんに連れられて、家に向かった。
その日の夕食の食卓はとても重苦しい物だった。
「紅騎、お前前に住んでた家に行ったんだって?」
「・・・はい」
「で、どうだった?」
「どうもうこうもないわよ、お兄ちゃん倒れそうになったんだから!」
玲於奈さんは怒ったような口調で、代わりに答えた。何だか、怒られているような気分だった。
「そうなのか?」
「・・・はい」
あの時は何が何だか分からないまま意識が飛んでったからな・・・。
「ふーん・・・ま、一時的なものなんだろ?気長に待てばいいだろ」
「まあ、そうですね・・・」
「お父さん、少しは心配してよ!」
「・・・これでも心配してるんだけどな」
弦さんは食後の珈琲を飲みながら煙草を一本取り出した。
「・・・煙草はベランダ」
「はいはい・・・」
弦さんは渋々二階に上がっていった。
「さて、さっさと片付けて仕事しちゃお」
ライブハウスは夜が一番忙しいそうだ。
「なんだか紅騎君、雰囲気変わった?」
ここの常連らしい男性客の人にそう聞かれた。
「そ、そうですか?」
「うん、自分のこと僕って呼んでるし、玲於奈ちゃんの言葉遣いが丁寧だし」
「そ、そんなこと無いですよね?お兄ちゃん」
「そ、そうですよ・・・」
「ふ~ん・・・ま、いいか。マスター、ビールおかわり」
「あいよ」
どうにかばれずに済んだ。僕と玲於奈さんは小さくため息をついた。
「紅騎君、ちょっとギターの調子おかしいんだけど見てくれない?」
「あ、はい。」
「ちょ、ちょっとお兄ちゃん・・・」
玲於奈さは慌てて、僕に顔を寄せてきた。
「大丈夫なの?」
「・・・何が?」
「だって記憶が無いんじゃ・・・」
「大丈夫、僕が忘れたのはエピソード記憶の方だから。ギターの修理とかの意味記憶は覚えてるんだ」
「・・・だったら良いんだけど」
玲於奈さんの視線を背中に受け、お客さんの方に向かった。