手袋が手放せなかった寒さも大分和らいだようだ。春が刻々と近づいてきているのだろう。それでも、やっぱり肌を撫でる風はひんやりとしていて肌寒い。桜が顔を覗かせてくれるのは、もうちょっと先になりそうだ。
青に灰色を混ぜたような空の下でジャックは手すりに持たれて項垂れていた。学校の屋上には誰もいない。彼一人だけだ。
顔に皺を寄せる理由は一つ、先ほど教室で見かけた光景だ。
今日は三月十四日、ホワイトデー。バレンタインデーのお返しに、男が奮発する試練の日だ。
この行事に浸るのはコダマ小学校も同じ。先ほども、教室ではスバル、ゴン太、キザマロがルナに小包を渡していた。それが彼にため息を付けさせる。
「どうすっかな……」
次に思い出したのはバレンタインデーの出来事だ。
ゴン太とキザマロが義理チョコを貰い有頂天になっている隣で、ジャックはこっそりと自分の分を鞄に忍ばせた。彼が貰ったチョコは、二人に比べると明らかに大きかったのだ。ついでに、包装紙もきらびやかだった。これは見せるわけにはいかない。
後で調べてみると、スバルと自分だけが特別に大きなチョコをもらえたらしい。
それが、今日の出来事と相まって、彼を更に悩ませる。
ポケットから包みを取り出した。今日ルナに渡そうと用意したホワイトデーのお返しだ。数日前から女の子がよく出入りするお店を何件も調べて足を運び、視線を浴びて恥ずかしい思いをして選んだプレゼントだ。
だが、スバルがルナに渡したプレゼントは、両手でも収まりきらないほどの大きな箱だった。それに比べれば、自分のものはなんて小さいのだろう。
こんなものを渡したら、ルナに失礼ではないだろうか。プレゼントを見比べて、がっかりしたりしないだろうか。
三度目のため息が出ようとしたときだった。エレベーターが動く音がした。音が鳴り止み、扉が開かれる。そこから出てきたのは、腰辺りにまで伸ばした金色のツインテールを揺らす少女。
ジャックが今最も会いたくない人だった。
「こんなところにいたのね?」
慌てて包みをポケットにしまい、顔を歪ませる。ポケットの中で、プレゼントを掴む手に力が入る。真正面から相手の顔を見れず、目も逸らしてしまう。ドクドクと心音が早くなっているのはなんのせいだろう? ふんわりと漂ってくる甘い香りのせいではないと言い聞かせる。
挙動不審な彼に構わず、ルナはツカツカと遠慮なく歩み寄ってくる。心臓がキュッとしぼんだ気がした。
「ジャック、今日はホワイトデーよ。まだ、あなたからのプレゼントを貰っていなんだけれど」
「知ってるって! っつうか、催促すんのかよ!?」
「男の子が女の子のお返しするのは当然でしょ。私は当然の権利を行使しているだけよ」
滅茶苦茶だ。だが、前半は筋が通っている。彼女の激しい気性に逆らえないこともあり、ジャックは頬をひくつかせながら閉口するしかない。
「まあ、あなたのことだから用意してくれているんでしょ? 出しなさい」
仁王立ちして手を差し出してっくるルナ。もう誰にも手が付けられない。諦めて、渋々とポケットから手の平サイズの包みを取り出し、彼女の手に乗せた。少し手が触れた。どこか照れくさくって、触れた部分を指で擦って間隔を紛らわす。
「ほらやっぱり。素直に出せば良いのに」
「た、確かに、用意はしたけれどよ……」
口ごもりながらも、渡した包みにどうしても目が行ってしまう。
表向きは笑っているが、内心怒っているのではないだろうか。根っこは優しい少女だ。もしかしたら、悲しんでいるのかもしれない。
「開けて良いかしら?」
「……ああ」
ジャックの心配をよそに、ルナは包みを開けだした。
重さからすると、中に入っているのは小さい金属のようだ。包装紙が破れないようにと、セロハンテープを剥がし、中身を手の平に転がしたとき、ルナはその目を大きく開いた。
「……かわいいじゃない!」
ジャックのプレゼントは髪留めだった。黒色をモチーフにし、花柄の模様がちりばめられている。
つまみ上げ、太陽にかざして見つめている。どうやら、気に入ってくれたらしい。ホッとジャックは胸をなでおろした。心配は要らなかったらしい。
「スバル君のとは凄い違いだわ」
「え? スバルの奴、なんかしたのか?」
ジャックの質問に、ルナは呆れたように話しだした。
スバルのお返しプレゼントは手作りクッキーだった。バレンタインデーでくれた女子全員に返すために、自分で作ったらしい。そこは良い。そこらへんで安物のお菓子を買ってくるよりよっぽど良い。彼の誠実さに賞賛の声を送っても良いくらいだ。しかも、ルナにはいつものお礼も兼ね、特別なクッキーを用意してくれていた。ちょっと質にこだわった、他とは一回り高級な物を多めに用意してくれたのである。
しかし、ゴン太とキザマロのプレゼントもクッキーだった。おまけにデザインも、形も、味までよく似ている。まさかと思って話を聞くと、三人で一緒に作ったらしい。
「まったく、酷いと思わない? 本命のミソラちゃんへのお返しもそれらしいのよ」
「ああ、スバルの奴、終わったな」
拗ねるミソラに必死に謝っているスバルが目に浮かんだ。おそらく、後日埋め合わせをすることを強要され、涙を流すことになるだろう。
「ほんと、ミソラちゃんがかわいそうだわ」
そうぼやくルナは、ミソラのことを我が身のように悲しんでいるようだった。
そんなルナを見るジャックの胸中は複雑だった。
彼女は知っている。スバルはミソラのことが好きなのだということを。そして、二人の仲も応援している。なのに、なぜスバルにあれだけ大きなチョコをあげたのだろう。まだ、スバルへの思いを捨て切れていないのだろうか?
そして、同じ大きさのものを、なぜ自分にくれたのだろう?
尋ねたい。
でも、踏み出せない。
一体、自分はどんな答えを期待しているというのだろうか。もし、期待と外れた答えなら、どんな顔をすれば良い?
それでも、ここで尋ねなければいつ尋ねるというのだ。男と女の関係が際立つ特別な日、男が女に思いを口にできる日。今日を逃せばいつになる。チャンスはいつ訪れる。
考えることを止め、口を開こうとした。
「それにしても、髪留めなんて中々のセンスね?」
ルナの言葉で話が流れてしまった。どうやら、質問はお預けらしい。がっかりすると同時に、内心ホッとしている自分がいた。
「私に似合うと思ったの?」
「あ、ああ……お前の髪留め、壊れやすそうだったからな。髪が重いから、その分負担がひゃぶっ!!?」
ルナの平手が飛んだ。
涙を流し、頬から湯気を立てて気を失っているジャックをほっといて、ルナは乱暴な足取りで屋上を後にした。
◇
家に帰ったルナは、鏡を覗き込んでいた。先ほど、モードに手伝ってもらい、髪を止めなおしたところだ。
「ルナちゃん、どうですか?」
「うん、良いかもしれないわね」
頭にはあの髪留めがしっかりとくくりつけられていた。
ホワイトデーネタはジャック×ルナでやってみました。
スバミソとは違う恋愛描写に挑戦して玉砕しました。難しいよ~。