忘却の忘れ傘 ~a lonely quicksilver   作:エノコノトラバサミ

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三十五話 新たな刺客

 

 ――パンと何かが弾けた。

 

「……ん?」

 

 魔理沙は一瞬違和感を感じた。

 今、鈴仙は魔理沙が放ち続けているマスタースパークによって全身を飲み込まれている。このままなら高密度の魔力によって鈴仙は消し飛ぶ、その筈だった。

 反撃も何もする暇など無く、勝利は確実なものだった。

 

 それなのに、何かおかしい。

 魔理沙は手元の八卦炉を確認する。

 

「……おい、嘘だろ、なんでだよ!?!?」

 

 今までこんな事は一度も無かったのに。

 あり得ない、今になってどうしてこんな事に。

 

「八卦炉が……割れて――ッ!!」

 

 魔理沙の手元で、膨大な魔力が一気に爆発する。

 壊れた八卦炉。それにより込められた魔力の暴走。

 その勢いは魔理沙を遠く遠くへと吹き飛ばす。

 

「――がッ……!」

 

 地面に強く打ち付けられ、身動きが取れない。

 確信していた勝利からの急降下。

 そして更に、悲惨な事実が彼女に待ち構えていた。

 

「わ、私が……私の、体、が……」

 

 魔理沙の手に握られていた八卦炉は、その大半を破壊されていた。

 何故だ、どうしてこうなった。

 八卦炉を強く握りしめた魔理沙の手に、一つの感触が見つかった。

 既に欠けてバラバラになったヒビの中に、一つだけ丸い穴が空いている。

 

「これは……まさ、か……」

 

「――ええ、そのまさかね」

 

 魔理沙の声に誰かが答えた。

 無論、魔理沙にはそれが誰の声なのかすぐに理解した。

 

「鈴、仙……」

 

 地面に這いつくばる魔理沙の目の前に鈴仙が立っていた。

 先程までマスタースパークによって全身を焼かれていた筈の鈴仙が。

 

「良かったわね、少しでもいい夢を見れて」

 

 全身、完全に無傷の状態で。

 

「お前……いつから、私を……」

 

「魔理沙……いや、八卦炉ねアンタ。アンタは私の力を勘違いしてるわよ」

 

 鈴仙はしゃがみ、魔理沙に視線を合わせる。

 

「私の力は波長を操ること。狂気なんてのはその力の一端でしか過ぎないの。瞳を見なければ能力は使われないなんて、そんな都合良く行く訳ないじゃない」

 

「そ、んな……」

 

「そ。アンタは始めから私の幻影を痛めつけて楽しんでいただけ。楽しかった?」

 

 始めから全て、鈴仙の手のひらの上だった。

 勝利の幻想も、全て彼女の慈悲でしかなかった。

 本当は、天と地ほどの力の差があった。

 

「能力にも相性ってものがあるけれど、アンタが私に勝てるのはあくまで弾幕ごっこのお陰よ。実戦で勝てるなんて自惚れがその身を滅ぼした原因ね」

 

「あ……あぁ…………」

 

 やがて魔理沙の体から何かが蒸発していく。

 それは魔理沙の体を支配していた、八卦炉の意思。

 八卦炉が壊された事により、体を失った事により、力を失い消えていく。

 

「あぁァァァァァぁぁ!!!」

 

 失意と、絶望の表情を浮かべて。

 

「…………」

 

 魔理沙から抜け、消えゆく魂を、鈴仙はずっと見下ろしていた。

 もうすぐ、一つの魂が天へと昇っていく。道具から生まれた魂だけれど、これは所謂死と同義な事なのではないかと、柄でもなく鈴仙は考えていた。

 相手は敵で、同情の余地なんて無いのは十分理解している。だが、だからといって相手を実質殺さなければいけないと考えてしまうと、やはり気分がいいものではない。

 助ける義理なんて無いが……だからと言って殺す道理もない。

 

「……ハァ、何を考えてるんだ、私は」

 

 鈴仙は頭を振った。とりあえずそんな事は後だと。

 

 やがて、魔理沙の体から完全に一つの魂が消え去った。

 これできっと、魔理沙の体は元通りになっている筈だ。

 

「……本当に元通りになってるわよね?」

 

 途端に不安がこみ上げてくる鈴仙。

 改めて考えるとこれで元通りになったなんて確証は何一つない。一応呼吸はしているので生きてはいるみたいだが……もし、万が一、魔理沙の本当の魂も天に昇ってしまっているのだとしたら……

 

「ねぇ、ちょっと、魔理沙! 起きなさいよ!!」

 

 鈴仙は何度も何度も魔理沙にビンタを繰り返すのだった。

 

 

 

 

 

 

 ――グシャリ。

 

 肉の潰れる音が境内にこだまする。

 これで何度目だろうか?

 フランが何度も何度も諏訪子を破壊しても、彼女はその度に再生を繰り返す。まるで幾つも残機が残っているかのように蘇る。

 

「だから、無駄だって言ってるでしょ!!」

 

 諏訪子は両手に持った鉄輪を振りかざし、フランのに向けて投げつける。それは何か禍々しいオーラを纏い、確実にフランの元へと向かっていく。

 大きく飛び上がり、二本の鉄輪を避けるフラン。しかし鉄輪は大きく方向転換し、またもやフランを追い詰めていく。

 

「チッ」

 

 空を飛び回り鉄輪を避けながら、再び自らの能力で諏訪子を握り潰す。

 頭を、首を、心臓を。幾ら潰しても潰しても、彼女は息絶える様子がない。何度でも再生、復活する。

 

「うぅん、流石にちょっと鬱陶しくなってきたなぁ」

 

 途端、諏訪子の影が地面に大きく広がっていく。

 それは一つ一つ形作られていき、やがて無数の諏訪子が出来上がる。影から諏訪子の分身が何枚も何体も生み出されていく。

 

「更に追加するよ!」

 

 フランに向かって飛び掛かる無数の諏訪子。

 更に諏訪子本体は地面に即席の魔法陣を描き、そこから複数体の白蛇を呼び出す。

 追尾する鉄輪、向かってくる分身、迫りくる蛇の群れ。

 数の暴力がフランドールへと襲い掛かる。

 

「くっ、レー……ッ!?」

 

 それは咄嗟の癖だった。

 レーヴァテインで辺り一面を薙ぎ払おうとする。

 しかし、それは今この場には存在しない。

 

「しまっ――」

 

 分身諏訪子に足を掴まれたのを皮切りに、全身を取り押さえられてしまう。

 更にその体を、複数体の白蛇に噛みつかれてしまう。

 フランを祟りが侵食し始める。

 

「ふふふ、どうやら選択を間違えたみたいだね」

 

 一度諏訪子の祟りが体を蝕めば、もう逃れる術はない。

 彼女が許さぬ限り、それは対象者の命を吸い続ける呪い。

 例えそれが吸血鬼だとしても、決して止められない。

 

「…………」

 

 フランはずっと、考え続けていた。

 彼女と、諏訪子と戦う前から抱いていたこの感情を。

 今まで抱いたことの無かった気持ちを。

 

 初めは何なのか全く分からなかった。

 けれどその気持ちは何だか、あの紅魔館の戦いでチルノに追い詰められた感覚に似ていた。

 似ていたけれど、間違いなくどこか違かった。

 

 怖い。

 間違いなく今、フランは怖がっている。

 だが、それは一体何を?

 目の前の諏訪子を?

 

 違う。諏訪子じゃない。

 私が一番怖がっているのは、コイツなんかじゃない。

 考えた末、フランはやっと理解した。

 

 私は、失うのが怖かったんだ。

 チルノちゃんや、周りの皆を。

 

 今まで生きてきた中で、そんな感情は全く沸かなかった。

 姉のレミリアにも、紅魔館の皆にも、何にも思わなかった。

 ただ、フランの中には世界への憎しみだけがあった。

 

 それがあの日、大きく変わって。

 憎しみは今や、慈しみに変わって。

 チルノちゃんを、そして周りのみんなを、大事にしたいと想い始めて。

 

 だからこそ、怖かった。

 守れずに失ってしまうのが。

 

「――私は」

 

 こんな所で。

 

「負けてなんていられない――」

 

 そして、フランの体は穢れによって埋め尽くされ、消えていった。

 跡形もなく、塵となって。

 

 これで、勝負は終わった。

 

「…………おかしい」

 

 そう見えた、が。

 

『――スターボウブレイク』

 

 七色に光る無数の弾丸が、かつてフランドールが囲まれていた場所を覆い尽くす。

 それは数多の分身を、呼び出された白蛇を、尽く消滅させて破裂していく。

 

 まるで逆に、彼女に誘い込まれたかのように。

 

「どうして、アイツは何処に消え――!?」

 

 諏訪子が周囲を探ろうとした途端、背中に強烈な衝撃を受ける。

 あまりの破壊力に内臓が幾つか破裂、大量の血を吐く。地面を転がりながら咄嗟に体制を立て直すものの、直ぐ様諏訪子の頭上に影が迫っていた。

 

「――ガぁ!!?」

 

 あまりにも強烈な踵落とし。神社を大きく揺らし、石畳に大きな亀裂と破片が飛び散った。

 頭部を強打し、恐らく脳も潰されているであろう。しかし、諏訪子はそれでもまた再生させてくる。

 終わりは見えない。しかし、確実にダメージは残しつつあった。

 

「……そうか、そういう事なんだね」

 

 立ち上がった諏訪子はフランドールが生きている理由を把握した。

 

「残機があるのは、アンタだけじゃないよ」

 

 そこには三人のフランドール。

 禁忌の技、フォーオブアカインドによって生み出された分身だった。

 祟りによって消滅したフランは、いつの間にか入れ替わっていた分身の一体に過ぎなかったのだ。

 

「先にゲームオーバーになるのはあなたの方よ」

 

「ふふふ、面白いじゃないか。この私を超えられるかな?」

 

 神と吸血鬼の死亡遊戯はまだ終わらない。

 血と臓物を飛び散らせながら、惨劇はまだまだ続いていく。

 

 

 

 

 

 本堂内。

 大槍を持つ聖真と相対するは、衰弱した早苗の姿。

 現人神として大きな力を持っている早苗だが、数日に渡る儀式によって大きく体力も気力も消耗しており、現状まともに戦える状態ではなかった。

 それでも彼女は立ち上がり、聖真を迎え撃つ。

 

「……クソ!」

 

 一方の聖真も内心、かなり苛立ちを抑えられなかった。

 相手は不思議な力を持つものの、女の子で恐らく年下、それもかなり弱っている。こんな好条件にも関わらず、聖真は未だに彼女を鎮圧出来ていない。風の力や弱いながらも結界で攻撃を防がれてしまう。

 早く彼女を打ち負かして正気を取り戻さなければ、儀式が再び始まってしまう。何が起こるのかは分からないが、完了させてはいけない事だけははっきりしていた。

 絶対に、止めなければならない。

 

「当たりさえすれば!」

 

 聖真は勢いよく飛び込み、複数回の突きを繰り出す。

 それは速度としては決して遅くはなかったが、すんでの所でやはり早苗に見切られている。

 明らかに聖真の技術が足りていない。

 手に持つ大幣で槍を弾く早苗。至近距離での攻防が繰り広げられている。

 体力の続く限り、攻める手を止めない聖真。突きを中心に技術不足ながらも気合と勢いで連続攻撃を繰り返す。

 致命傷にさせないながらも確実に体を狙った攻撃。足への突き、腹部への薙ぎ払い、時折体術を混ぜて早苗を仕留めに行く。

 互いの武器が空を切り、槍と棒がぶつかり合う。互いに一歩も引かない攻防。だが、徐々に早苗が押されつつあった。

 明らかに体力が足りない。

 

「――うぉらぁぁ!!」

 

 聖魔の渾身の薙ぎ払いが、早苗の腕を捉えた。

 右腕を先端に裂かれ、血が流れる。そのまま持っていた大幣を落とした。

 

「お前らは何をしようとしてるんだ! 今幻想郷がどうなっているのか分かってるんだろ!? もう止めてくれ!!」

 

 自分が優勢になったと確信すると、聖真は手を止めた。

 聖真だってこれ以上、彼女を傷付けたくはなかった。何とか説得しない、そう考えていた。

 

「……私は…………ただのしもべ……」

 

 早苗は言葉を返した。

 しかし、それは返事にはなっていない。

 

「……やっぱり、何かに操られてやがる」

 

 こうなれば、聖真に出来るのは一つしか無い。

 操っている何かを見つけ、彼女を目覚めさせるしかない。

 

「けど何なんだ? 道具か、それとも怨霊か!?」

 

 今、彼女は持っていた大幣を落としたまま放置している。その様子からするに彼女を乗っ取っているのは大幣ではないようだ。そうなると別の何かか、それとも先の鴉天狗と同じ怨霊に操られている可能性もある。

 もしそうなら、聖真自身には目覚めさせる術はない。

 

「……クソ、結局力ずくしか無いのかよ!!」

 

 聖真は再び大槍を力強く握りしめた。

 こうなれば確実なのは、彼女を気絶させる。この状況を打開するには今はこれしかない。

 だが、しかし――

 

「――もう……好き勝手させません」

 

 彼女は、空を飛び始めた。

 聖真の大槍が、全く届かなくなる距離まで。

 

「……グレイソーマタージ」

 

 上空に描かれた魔法陣から、星型に弾丸が降り注ぐ。

 聖真を中心に付近の地面を吹き飛ばし、聖真自身にもまた、多くの弾丸が直撃する。

 

「――ぐッ!!」

 

 必死に大槍を盾代わりに構え、弾幕を防ぐ。が、それでもダメージは打ち消しきれない。

 空も飛べず、弾も撃てない聖真にはこの状況を打開する術はない。

 このままではジリ貧だ。

 

(くそッ……俺に出来るのは、これしかない!!)

 

 咄嗟に思い付いた一つの案。安直な上に失敗すれば即座に敗北は免れない。

 それでも、これに賭けるしかない。

 

(頼む、上海!!)

 

「――喰らいやがれぇ!!!」

 

 降りしきる弾幕の中、聖真は確かに早苗の姿を確認する。

 そのままありったけの力を込め、大槍を上空へと投げ付けた。

 聖真の力と上海の魔力が込められた大槍は、弾幕の中を貫き突き破り、一直線に早苗の元へと向かっていく。

 

「いっけぇ!!」

 

「――ッ!?」

 

 刹那、早苗の時が一気に遅くなる。

 自らの目前に迫る大槍。これを直撃すれば間違いなく致命傷になる。何とかして止めなければならない。

 しかし、体が思うように動かない。避けるには遅すぎる。それに受け止めるにも力が足りない。どうする、どうすればいい。

 必死に、必死に答えを導き出す。そして彼女はある一つの決断をした。

 

「はぁッ!!!」

 

 大槍に向けて、ありったけの力を込めた弾を撃ち込んだ。

 それは槍にふれて大きく爆散すると、その爆風で早苗自身も大きく飛ばされてしまった。

 自ら自爆する事で、ダメージを抑えたのだ。

 

「……はぁ……はぁ……」

 

 早苗のダメージも、体力の減少も酷い。

 だがしかし、これで相手の策はもう尽きた。彼に勝ち目はない。

 私の、勝ちだ。

 このまま攻撃すれば、私の勝ち――

 

「――ありがとな、上海」

 

 聖真が、そう言った。

 早苗がその言葉を聞いた途端、自らの頭部に鈍く重い衝撃が走る。

 早苗の視界が、大きく歪む。

 

(な、にが……)

 

 空から落ち行く早苗の視界に入ったのは、回転しながら地面へと落ちる大槍。

 そう、大槍は弾かれた後、自らの意思で方向を変え、回転しながら早苗へと向かっていたのだ。

 意識外からの、それもこの大槍の衝撃は、弱りきった早苗には耐えきれない。

 

 彼女の体が、バタリと音を立て地面へと落下した。

 

「ぅ……わた、しは……まだ……」

 

 かろうじて、まだ早苗には意識が残されている。

 しかし、勝負は決していた。

 もう、彼女に戦う力は残されていない。

 

 聖真はゆっくりと彼女に向かっていく。

 そして、拾い上げた大槍を振りかざし、早苗へと叩きつけた。

 

 

 

 

 

 守矢神社での戦いは、これで終わったかに見えた。

 

 

 

 

 

「――ッ……!?」

 

 聖真は理解できなかった。

 何故だ? どうして?

 間違いなく、彼女に大槍を叩きつけたのに。

 

「俺の頭に……血が……」

 

 ダメージを受けてるのは……俺……?

 

「――悪いけど、もう戦いは終わりだ」

 

 背後から声がする。

 聖真は咄嗟に振り返る。そこにいた奴の姿は聖真は知らなかった。

 

「お前……お前がやったのか、誰だ!?」

 

「私の名前なら教えてやるよ」

 

 そうして、彼女は名を名乗る。

 

「――鬼人正邪だ」


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