忘却の忘れ傘 ~a lonely quicksilver   作:エノコノトラバサミ

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三十四話 無様

 

 力の勇儀。

 

 長寿な妖怪達でその名を知らぬ者はほとんど居なかった。

 かつて妖怪の山を統べていた鬼の四天王の中でより『鬼らしい鬼』として存在を知らしめていた者。

 純粋な力のみならば、間違いなく幻想郷でも最強。

 それが、星熊勇儀。

 

 対する伊吹萃香は、元々鬼の中でも変わり者として知られていた。

 鬼らしい性格をしておらず、体も小柄で、明らかに異質の鬼だった。

 

 鬼らしい鬼と、鬼らしくない鬼。

 一見すると正反対の二人だが、その仲は実際かなり良かった。

 二人で時折ケンカもし合いながら、一時期は仲良く過ごしていた。

 

 そんな二人が本当に久方振りに。

 守矢神社で、対峙する。

 

「歯ぁ食いしばりな、勇儀ぃ!」

 

 純粋な力で勝る勇儀に対し、萃香は能力が優れていた。

 密と疎を操る能力。それは紅魔館でも発揮されたように、他人や他の物を自由自在に集めたり、自らの体を霧状に分散させたりと多岐にわたる。様々な能力が存在している幻想郷でも、間違いなくかなり上位に君臨する力。

 だがしかし、真正面から勇儀へと向かう萃香に能力を使おうとする様子は無かった。

 真っ直ぐに殴り合うつもりだ。

 

 そしてついに、二人の拳が空を裂く。

 それは交差すること無く、互いに真正面からぶつかりあった。

 轟音、空間が揺れる。拳と拳がぶつかり合う音とはとても思えない衝撃。逆走する列車同士が衝突したかの様な錯覚。

 これが、鬼の力。

 

「――ッ!!」

 

 表情を歪ませたのは萃香だった。

 ぶつかり合う拳の内、彼女の拳のみが僅かに血を吹き出す。

 硬度が違う。やはり、力比べではあちらが上か。

 

「っかぁ、流石勇儀だね!」

 

 だが、彼女にはそんなもの分かりきっていた。

 全力を出せる相手。

 例え勝たなければいけない状況でも、この相手とやり合える喜びは拭えきれなかった。

 鬼としての本能が疼く。

 

「久しぶりの喧嘩だ、簡単に終わらせないでくれよぉ!!」

 

 幾度となく轟音を響かせる。

 互いに拳のみ、避けること無く殴り合う。

 端から見れば恐怖しか感じないこの殴り合いだが、当の本人である萃香は間違いなく楽しんでいた。

 まるでじゃれ合う子犬の様に。

 

 彼女達の戦い(あそび)は、まだ終わらない。

 

 

 

 

 

 射命丸文は、いや、彼女を乗っ取っている怨霊は理解できなかった。

 間違いなくこの状況はこちらに有利だった。

 そもそもとしてまず、妖怪としてのスペックが違う。

 

 射命丸文は幻想郷でも最強クラスの妖怪だと自称しているが、事実その通りだった。

 ただでさえ妖怪の中でも力が強く、速度に秀でた鴉天狗。その中でも自他共に認める幻想郷最速の異名。優れた頭脳に合わせれば彼女の向かう所に敵など無い。

 

 方や、怨霊の認識通りの紅魔館の犬。

 普段は門の前で寝てばっかり。何の妖怪なのかすら具体的に分からず、精々拳法の扱いが上手い程度。

 そんな妖怪が射命丸文に勝てる筈が無い。

 弾幕ごっこ以上に、実際の戦闘で。

 

「――かはッ!?」

 

 しかし、現に今。

 彼女は明らかに押されている。

 間違いなく有利な空中戦にも関わらず。

 両眼を負傷して視界が遮られているにも関わらず。

 美鈴の打撃が、確実に文へと命中している。

 

 常に文は速度を意識して立ち回っていた。

 一切減速することなく美鈴の周囲を飛び続け、隙を見つけては葉団扇で確実に切り裂いていく。

 しかし、何回も、何十回も切り裂いても、両眼への攻撃以外は一度たりとも急所に当たっていないのだ。

 必ず直前に攻撃を察せられ、急所を防がれる。どれだけ速度を上げても、どれだけ彼女を奔放しても、どうやっても防がれる。

 

 それどころか、視界を遮った後も動きが変わらず。

 それどころか、その後には彼女の打撃が間違いなく当たり始める。

 

 そうして今、文の攻撃に合わせて美鈴の後ろ蹴りが炸裂する。

 鋭く研ぎ澄まされた脚撃は、困惑に染まっていた文の腹部を突き刺した。

 

「……ゲフッ、どうして……当たる……」

 

 完全に効いている。

 苦痛と疑問に、精神が弱まっている。

 

「こいつの力は……幻想郷でも最強なのに……何故お前みたいな奴が、俺を…………」

 

「貴方には分かりませんよ」

 

 やはり眼は閉じている。

 それなのに、動きは洗礼されている。

 

「ちくしょう……チクショォォォォ!!」

 

 ついに文は叫び、その力を無造作に暴走させ始めた。

 周囲に大きな竜巻が巻き起こり、美鈴へと襲い掛かる。

 

 しかし、美鈴は何一つ取り乱さない。

 竜巻の範囲を的確に察し、巻き込まれるギリギリを避ける。

 二本、三本と襲い掛かられても、全く焦ることなく。

 

「話になりませんね」

 

 既に美鈴は、文の眼の前まで来ていた。

 咄嗟に腹部を防御する文だったが、それはあまりにも見当違いだった。

 

「――ッァ……!」

 

 声にならない微かな悲鳴が文の口から漏れる。

 四指による突き、貫手。鍛錬を積んだ強力無比な攻撃が、文の喉を突き刺した。

 妖怪と言えど人体の急所。そのダメージは計り知れない。現に彼女は呼吸が途絶え、喉を抑え悶絶している。

 無論、それだけで攻撃は止まらない。

 

 下を向いていた文の顔面に、爪先による蹴り上げ。

 顔を抑え苦痛に苦しむ文の腹部に、全身の力を込めた発勁。

 嘔吐している彼女の顔面に、渾身の回し蹴り。

 

 空中で必死に体制を立て直そうとした文だったが、あまりにも遅かった。

 既に美鈴が距離を詰めている。

 

「ひッ……」

 

 この時、怨霊は確かに見えていた。

 目の前にいたそれは、最早ただの下っ端妖怪なんかではない。

 内に秘めた怒り、それを決して表に出さずに気として纏う。

 どれだけの状況でも常に冷静にして、敵を叩くことのみに神経を研ぎ澄ます。

 その境地はまるで、武を極めし神と錯覚させるほどに。

 

 もう、勝てない。勝ち目はない。

 本能で理解した。

 どれだけ種として優れていても。

 どれだけ速さを駆使していても。

 今の自分は、コイツには絶対に勝てないと。

 

 怨霊は咄嗟に下がり、逃げようとした。

 だがそれすらも美鈴は読んでいた。

 彼女に左手で喉を掴まれ、締め上げられる。

 

「無様ですね。鴉天狗の体を使いながら、この程度とは」

 

 喉を潰し、怒りを滲ませる。

 怨霊に、自らの無力さを思い知らせるように。

 

「ここで消えて貰います」

 

 そう言うと、彼女は自らの気の力を右手に強く圧縮させた。

 それは輝く光の弾となり、強力な力を保っている。

 あんなものを真正面から食らっては、ひとたまりもない。怨霊は咄嗟に理解した。

 

(もうダメだ! 逃げるしかねぇ!!)

 

 途端、文の体から力が抜ける。怨霊が文の体から逃げ出した。

 彼女の体で隠れるように、背中から逃走を図っている。

 

「――やはり予想通りでしたね」

 

 しかし、それこそが美鈴の狙いだった。

 美鈴はこれ以上文に攻撃する気は無かったのだ。

 右手に作った気を込めた弾は、怨霊を脅して彼女から離れさせる為に。

 そして――

 

「最後です」

 

 ――怨霊本体を消し飛ばすために。

 

「アアアァァァァァァ!!!」

 

 撃ち出された気の珠に怨霊の体が飲み込まれる。

 高密度なエネルギーの量に耐えきれず、その霊体は大きく消し飛んだ。

 無様な断末魔のみを残し、塵となって消えていく。

 

「……おかしな話ですね」

 

 完全に意識を失い脱力した文の体を、美鈴はそっと抱きしめた。

 

「いつもの飄々とした貴方には手も足も出ないのに」

 

 過去の思い出。過去の戦い。

 その速さに圧倒され、手も足も出なかった日を思い出す。

 

「まぁ、あれだけ殺気が込められていては嫌でも反応しちゃいますからね」

 

 文の圧倒的な速さにも反応できた理由。

 それが怨霊の殺気だった。

 気を使いこなす美鈴にとって相手の気を感じる事も容易いこと。それが殺気なら尚更だった。それ故にどれだけ彼女が速くても、眼が潰されていても、彼女の動きを察知できたのだ。

 

「痛たた……はは、全身ボロボロ……」

 

 眼が潰されて見えていないが、それでも自分の服装や格好は十分把握できていた。

 全身至る所が切り裂かれており最早全裸に等しくなってしまっている。

 それに出血量もかなり酷い。妖怪でなければ危険だっただろう。

 

「それにしてもどうしましょうか……」

 

 このまま守矢神社に戻るか、それとも一度河童達の基地へ向かうか。

 気絶した射命丸を連れて行くのも危ないし、第一美鈴自身もボロボロで再交戦は難しいかもしれない。

 

「……妹様も他のみなさんも無事なら良いんですが」

 

 結局、美鈴は文を抱えて、微かな気配を辿りながら河童達の基地へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

「――ハハハハ! まだまだ行くぜぇ!!」

 

「ッ!?」

 

 霧雨魔理沙の弾幕の嵐が鈴仙を襲う。

 咄嗟に守りの体制を取るが、確実にダメージを負っている。

 このままではジリ貧だ。

 

「もう分かってんだよ、テメェの能力は」

 

 魔理沙の弾幕は決して緩むことはない。

 空を舞いながら地上へと光を撃ち下ろす。

 その攻撃は一部があえて地面に当たることで、砂煙を撒き散らし周囲の視界を遮っていた。

 そう、兎の紅き瞳を土煙で隠すかの様に。

 

(くっ、これじゃ狂気が……)

 

 鈴仙の持つ力、狂気を操る能力。

 相手の目を見ることで相手に狂気を授ける力。

 しかしこれでは、魔理沙の目を見ることが出来ない――

 

「――オマケだ」

 

 一瞬、煙が晴れたかと思ったのも束の間、鈴仙の周囲には大量の爆弾が撒かれている。

 四方を取り囲む爆弾に、鈴仙は防御する手立てなど無かった。

 

「……ッァ!?」

 

 全身を光が包み、爆風が肌を焼く。

 衝撃波の中心に立たされ、至る所から体の内部を潰される感覚。

 内臓が悲鳴を上げている。

 

(コイツ……こんなに、強く……)

 

 鈴仙は過去に一度、魔理沙と弾幕ごっこで対戦している。

 その時は魔理沙が勝利したものの、その内容はあくまで弾幕ごっこ。鈴仙はもし実際の戦闘だったらまず負けないと当初は確信していた。

 

 しかし、その予想は大きく外れていた。

 純粋に力があまりにも強すぎる。

 鈴仙の想像を越える力を、既に魔理沙は持っていた。

 

(だが……眼さえ見せれば!)

 

 しかし、鈴仙の戦意はまだ折れていない。

 自身の能力さえ発動できれば、この状況でも十分に逆転できる。

 一瞬でいい、たった一瞬だけで――

 

「――ゲはッ!?」

 

 視界の悪い煙の中で、鈴仙の背後から強い衝撃が。

 彼女は感覚で理解した。魔理沙の箒を使った突撃を、もろに喰らったと。

 馬力と速度が重なり合ったその一撃は、鈴仙の背骨を割るほどの威力を持っていた。

 

「ぐッ……そ……」

 

「所詮その程度なんだよ、お前は!」

 

 圧力と痛みを必死に堪え、箒の突撃を喰らいながらも何とか振り返る。

 魔理沙の目を狂わせる為に。

 だが、それも彼女には読まれていた。

 

「喰らいな」

 

 鈴仙の目の前にあったのは魔理沙の八卦炉だった。

 八卦炉によって、魔理沙の顔も隠されていた。

 

「しまっ――」

 

 回避も防御も遅かった。

 至近距離から数多の弾幕を被弾する鈴仙。

 弾ける弾の衝撃で全身がボロボロに打ち付けられる。

 

「――がぁぁぁぁ!!!」

 

 手も足も出ない。

 どうして、ここまでの差が。

 これが彼女の真の実力なのか。

 

「これで終わりだ鈴仙、恨むなら自分の弱さを恨むんだな」

 

 空中で急停止した魔理沙は、八卦炉にありったけの魔力を込めた。

 八卦炉に膨大な魔力が宿り、光輝く。

 そうして放つは彼女の十八番、力こそが弾幕と言い放つ彼女の必殺技。

 

「――マスタースパーク」

 

 人体を簡単に飲み込む七色のレーザーが、鈴仙を襲う。

 咄嗟に防御の姿勢を取るも、この規模の攻撃なんて防ぎきれない。

 鈴仙の体はあっという間に光に飲み込まれた。

 

「ハハハハハ! その程度で私に勝てると思ったのか、バカが!!」

 

 手応えは抜群。間違いなく鈴仙はくたばったと魔理沙は確信した。

 勝利を味わうように高く笑う。

 自らの強力な力を、ひしひしと味わう。

 

「今の私なら、幻想郷でも敵はいねぇ! このままこの力でこの世界の上に立ってやるぜ!!」

 

 そうして彼女は宣言する。

 自分の力こそが最高だと。

 自分の力こそが至高だと。

 

 自分の八卦炉こそが、絶対無敵だと。

 

「ハッハッハッハ!!」

 

 鈴仙を消し飛ばしながら、彼女は勝利の余韻に浸っていた。

 

 

 

 

 

 

「――はぁ、なんて無様なのかしらね、この魔女は」


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