忘却の忘れ傘 ~a lonely quicksilver 作:エノコノトラバサミ
聖真が目覚めた。
その知らせはあっという間に皆の耳に入り、そしてほとんど皆が事実を確認しに彼の元へと駆け寄った。
結果、アリス以外の皆が、一つの部屋に集まった。
初めは側にいたフランに驚かされたが、彼女が毎日の様に聖真の傍にいて見守っていた事を知らされると、彼はすぐに落ち着きを取り戻した。
水を飲み、一息付いたところで、聖真は永琳からこれまでに起きていた事を全て聞かされた。
フランはチルノが倒し、説得した事。
自身が一週間もの間眠りについていた事。
三人とも、道具に唆されていた事等々。
そして、最後に──
「──俺が……吸血鬼……?」
彼に、吸血鬼の血が混ざった事。
「歯を触ってみなさい」
言われるがまま、自分の歯を手で触る。
「……なんだ、これ……牙……」
やはり、確かにそこにあった。
血を吸うために生えた、牙が。
「……そっか。俺、吸血鬼にもなったのか……」
聖真が皆の方を見ると、一人だけ怯えた様子の少女が目に映った。
フランだった。彼女は、覚悟していたのだ。自分がこれからどんな報復を受けようとも、我慢してみせようと。全ては、彼女と少しでも長く過ごす為に。
「……そんな事より腹減った……永琳さん、何か食べても良いですか?」
「え、ええ。鈴仙、何か作って来てあげなさい」
「はい」
「ぇ…………」
だが、聖真は何も、言わなかった。
鈴仙が作ってきたお粥を、彼は永琳から食べさせて貰った。吸血鬼になった事が目立つが、彼が負っている傷も相当なもの。その上、傷口は焦げている為永琳の薬でも完治には時間が掛かる。まだ安静にしてなければいけないのだ。
場の雰囲気も何時しか和み始め、各々自由な会話が始まっていた。その中で、やはりフランだけが、この雰囲気を受け入れられずにいた。
「ねぇ」
そして、彼女は自ら、聖真に問う事を決めたのだ。
──何故、報復しないのかを。
「……どうして、何も言わないの?」
俯きながら問う彼女に対し、少しの間を開けた後聖真が返した。
「なあ、フランドール。独りは寂しいか?」
「……うん」
「……そうか、俺もだ」
話が、終わった。
彼は自らを殺そうとしていた相手に、それしか言わなかったのだ。
そして会話が終わった時、彼女は気が付いた。
彼が、今までにどんな想いで過ごしてきたのかを。
そして彼が、自分を理解してくれる人間だという事を。
「──ッ!?」
聖真の胸に小さな衝撃が伝わり、その重さで彼は布団へと倒れた。
「フラン……」
聖真の胸に顔を埋め、泣いていた。
彼女は思い知らされたのだ。自分の生きてきた世界が、あまりにも狭かった事を。
胸の辺りが、彼女の涙で濡れる。
彼女のその涙にどういう意図が込められているのか、聖真は明確には分からなかった。
だが、どんな意図が込められていたとしても、自らが返す事は一つだけ。それが、彼の答え。
両腕を彼女の背中に回し、聖真はフランを優しく抱いた。
彼女はしばらく、そうして泣き続けた。
無言の時が流れ、皆がぽつりぽつりと部屋から帰っていく。やがて残るは聖真とフランの二人だけになろうとも、彼女は彼から離れなかった。
更にしばらくして、とうとう聖真がその両腕を彼女から離した。
聖真は優しくフランを押した。
すると、彼女は呆気なく横へと転がり、聖真の隣で仰向けになった。
「……やっぱりな」
目を赤く腫らせながら、彼女は寝息を立てていた。
「……不思議なもんだな」
聖真は静かに呟いた。
こうして見ると、彼女はただの可愛げな金髪の女の子。とても、吸血鬼だなんて思えない。
そんな彼女とついこの前は本気で争い、そして今は一緒に寝ている。人生、本当に何があるのか分からない。
彼女から移ったのか、聖真にも眠気が沸いてきた。一つ、大きな欠伸をする。フランの涙で胸元が濡れた服を脱ぎ、そのまま彼女の隣で布団に潜り込む。
彼女は、吸血鬼だ。そして今は、俺も吸血鬼なんだ。
聖真には、彼女から不思議な繋がりを感じた。血の様な直接的なものではなく、同じ境遇を経験した謂わば同志の様なものを。
満ち足りた気持ちで、聖真は眠りについた。
それからというもの、聖真の体調は見違える程に良くなった。
まだ体の傷は癒えきっていないと言うのに、次の日には歩けるまでに回復したのだ。吸血鬼の血が混ざったからか、精神的に良好だからか、詳しい理由は分からない。
聖真の影響で、フランにまでも変化が表れてきた。前まではチルノにしか心を開いていなかった彼女が、聖真を始め他の住人達に積極的に話し掛ける様になったのだ。
チルノに嫌われる事を怖がりネガティブになっていた彼女が、本来持っていたであろう素の明るさを表に出し始めた事によって、皆までもが笑顔を見せるようになってきた。
一つの課題が無くなった彼女達は、これからどうするのかを話し合う事になった。
各々、目的は違う。聖真は小傘を、妖夢は幽々子を、萃香は霊夢を、フラン達紅魔組はレミリアと咲夜を、そして永琳と鈴仙は輝夜を探し出すのが目的なのだ。
そこでまず初めに、フラン達紅魔組が探しているレミリア達の捜索に移る事になった。理由は、その彼女にこの前聖真が会ったからだ。今もそこに居るとはあまり思えないが、その辺りに居る可能性ならあるかもしれない。
そこでその彼女の捜索にフラン、美鈴、パチュリー、萃香、そして聖真の五人が行く事になった。三人はとにかく、萃香は自身の霧の能力で索敵に長けていて、聖真は前に会った本人だという理由からだった。妖夢やチルノは永遠亭で待機する事になる。
出発は夕方。吸血鬼の時間となる夜に、彼女を探す為。
「──それで、どうなったの?」
「おじいさんが小さなつづらから沢山の財宝を手に入れたのを聞いて、今度はおばあさんがそれを手に入れようと雀達を探しに行ったんだ」
夕方の竹林を、五人が低空飛行で飛んでいく。
四人はとにかく聖真は飛ぶ事が出来ないので、フランに抱き抱えられながら進む事になった。端からみるとみっともないが、聖真一人程度フランには軽々と抱え上げられた。
「おばあさんは雀達の歓迎なんて聞かずに、さっさと大きなつづらを取って持って帰ってしまった。その道中で我慢出来なくなったおばあさんは、つづらを開けてしまったんだ」
聖真が話しているのは、童話の舌切り雀。
「そのつづらからは金銀財宝じゃなくて、虫やら化け物やら気持ち悪いものが沢山出てきた。それにびっくりしたおばあさんは、必死になって逃げ出したんだ」
「へぇ~」
虹色の羽が、夕焼けの光でより一層輝きを見せる。
「私だった化け物相手でもへっちゃらなんだけどね」
「なら虫は平気なのか?」
「虫かぁ……見るのなら好きかな。地下にいるとよく蜘蛛とかが入り込んで来るんだ」
「俺は蜘蛛はダメだな、見るのも」
「そう? じっと見てるとちょっぴり可愛いよ、うっかり潰したくなっちゃう位に」
「そ、そうか……やっぱり感覚が違うんだな……」
笑顔で話しているフランを見て、美鈴も自然と笑顔になっていた。
彼女が地下で過ごしていた頃を知っているからこそ、今の彼女の姿に感慨を覚えていた。これで他の住人達も揃えば、どんなに良いことか。
フランとレミリア。二人が揃って笑顔で暮らせる日は、もう近いのかもしれない。
太陽が落ちてきた頃、五人は紅魔館周辺へと辿り着いた。
ここからは三つに別れて行動する事になる。萃香だけが霧になり辺り周辺に霧散するので、残りは丁度半分に別れるのだ。そしてある程度捜した後、紅魔館へ集まって報告する。
班を決める方法は、予め決まっていた。
一つの袋。そこに入っている紅白二つの色付きの玉。四人は手を入れると、一斉に玉を取り出した。
三日月程では無いが、そこそこに月が欠けていた。
そんな夜の中、何の会話も無しに二人が歩いていた。宛もなく、ただ闇雲に。
「あのさ……少し、休もうか?」
「……ハァ、ハァ…………別にいい……」
聖真と、パチュリーだった。
聖真は空を飛べないので、彼等は森の中を歩く事になった。聖真は歩き慣れているので未だ平気だったが、パチュリーには彼ほどの体力は無かった。
休憩の提案を断ってはいるものの、明らかに息は切れて汗も掻いている。
「…………」
困った様に頭を掻く聖真。
正直な所、彼女の考えている事がよく分からない。殺されかけた事もあった上、多くを語ろうとしないので、聖真もどう声を掛ければいいか分からなかった。
「──うッ!?」
ふと、聖真が軽く悲鳴を漏らす。
「……あ、ごめん。ちょっと傷が開いたみたいでさ。少しだけ休ませてくれないか?」
その場でしゃがみ、聖真がパチュリーに頼む。それを少しだけ見つめていたパチュリーが口を開いた。
「……嘘ね」
「……!」
「……分かったわ。少し休みましょう」
「…………ごめん」
「気にしないでいいわ」
簡単に見抜かれてしまった。やはり、無理があったか。
「……ここ、丁度いいわね」
偶然そこにあった倒木に、聖真とパチュリーは腰掛けた。暗い月夜だが、すっかり目は慣れて二人はお互いをしっかりと認識出来ている。
「水、飲む?」
「……ええ」
「はい」
携帯していた水筒を、パチュリーに渡す。
それを開けると、彼女は半分程水を飲んだ。
「ありがとう」
返されたそれを、腰に携帯する。
「…………」
聖真には、もう声を掛ける内容が思い浮かばなかった。適当に休憩をとったらまた歩き出そう、そう考えていた時。
「ねぇ」
彼女から、声を掛けられた。
「!?」
「……何でそんな顔してるの?」
「え、いや……何でもない」
驚いた顔をされた事に、彼女が驚いていた。
「……まあいいわ」
「それで、何の話?」
聖真が切り出すと、パチュリーは立ち上がって聖真の方へと振り返った。
「貴方、私の事嫌い?」
「え、いや、そんな事ないけど……」
「……その割りには今日までほとんど話もしなかったし、態度も何だか余所余所しいわね」
「……気にしてると、思ってたからさ」
「気にしてる?」
「紅魔館での事に決まってるだろ」
「……まあ、そうね」
少し、彼女の表情が緩んだ。
「……勘違いしていたわ」
「え?」
「一言謝ろうと思ってたわ。仮にも紅魔館で一度、貴方を殺しかけたのだから。私の事も本当は嫌いだと思ってたのだけれど……」
「……皆、必死だったんだ。俺にも事情がある様に、相手にだって事情はある。一概に敵だから嫌いだって言うのは、いけないと思う」
聖真も、立ち上がった。
「昨日の敵は今日の友ってね。分かり会えれば案外上手く行くもんだと思うよ」
「……随分も前向きね」
「だよな……昔の俺とは大違いだ」
「見てみたいわね、昔の貴方も」
「タイムスリップして外の世界に行けば会えるかもな」
「まあ、私の魔法なら訳無いわね」
「え?」
「フフ、冗談よ」
その時、俺は初めて彼女の笑顔を見た。
勘違いしていたのは、俺も同じだ。聖真は今まで抱いてきた考えを全て捨てて、新たに彼女と向き合い始めた。
レミリアを探し初めてからどれぐらい経ったのか分からない。正直な所初めから見付かるだなんて思ってはいなかったのだが、やはり見付からないと少しは落ち込むものだ。
「……また疲れてきたわ」
「大丈夫か?」
「ハァ……気にしなくていいわ、少しはこうして体力付けないと……」
「水飲みたくなったら言ってくれ」
「ええ……」
パチュリーはすっかり汗で濡れてしまっている。春が近いとは言え、夜の冬場でこの格好はあまり良くない。そろそろ切り上げた方がいいのかもしれない。
「……そろそろ戻らないか?」
「そうね……フラン達はどうだったかしら?」
「とりあえず、紅魔館まで戻ろう」
「そうね」
暗闇でうっすらと見える時計台を目指し、二人はまた歩き出した。こっちは見付かりそうにないので、他の三人が望みになる。とは言っても、見付かった可能性は低い。
一度休憩を挟んで紅魔館についた頃には、他に二人の人影もいた。
「おーい」
「あ、フラン、美鈴さん」
「その様子じゃ……駄目だったみたいね……」
「お互い様ですよ。一体何処に行ってしまったのか……」
フラン達はやはり見付けられなかった。となると、最後は萃香のみ。その萃香は未だ帰ってきてはいない様だ。
「お願い、水……」
「あ、ほれ」
「ありがと……」
残った水を、パチュリーが全て飲み干した。
「全部飲んじゃったわ……」
「いいよ、そうなると思ってたから」
「……何も言い返せないわね」
二人の会話を見て、フランが問う。
「なんか、急に仲良くなってない?」
「気のせいだ」
「そう……かな?」
明らかに気のせいじゃないとは思いつつ、フランはそれ以上聞くのを止めた。
萃香が来たのは、それから少しした後だった。