忘却の忘れ傘 ~a lonely quicksilver   作:エノコノトラバサミ

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二十八話 彼の能力

 この日は、影狼が里へと出発する日だった。

 怪我がまだ完治していないにも関わらず、他の皆が遠回しに止めるのを聞かず、彼女は里の友達を探しに行く決意を固めた。以前は自らの欲の為に騙し討ちまでしようとしていた影狼だったが、一体誰に影響されたのか。

 

 少しの間だったが、共に旅立った仲間。妖夢やチルノが彼女の為にと少量の酒や数日分の食料を小包に入れ、影狼に手渡した。

 

「すみません、ありがとうございます」

 

 深く頭を下げる影狼。

 以前の軽い様子は、今はほとんど見られない。

 

「何かあったら知らせて下さい。いつでも力になりますから」

 

「あたいにも出来る事があれば言ってね」

 

「二人とも……その、ごめんなさい」

 

「「?」」

 

 突然の謝罪に、二人は首を傾げる。

 

「やっぱり、行く前にどうしても伝えておきたいんです」

 

 その時の影狼の瞳は、何一つの淀みも無かった。

 ただ、真っ直ぐ前を向いている。

 

「もし、私があの時勇気を出していたなら……聖真さんの運命を変えられたのかも、知れなかったんです──」

 

 彼女は伝えた。

 何一つ、嘘偽り無く。

 あの時、自分がどういう目的で聖真達に近付き、思いが変わり、そして立ち上がったのかを、全て。

 

「──私が……もう少し早く覚悟を決めていれば……」

 

 影狼の瞼に、沸き上がる雫。

 

「……何となく、分かってました」

 

「──え」

 

 妖夢の言葉に、影狼は声を漏らした。

 

「でも、貴方は襲わなかった。それどころか、私を守ってくれたじゃないですか」

 

「……証拠は無いんですよ。信じてくれるんですか?」

 

「……証拠ならあります」

 

「え?」

 

「パチュリーさんが見てたみたいなんです。私が魔理沙さんに連れ去られそうになった時、貴方が立ちはだかってくれたのを」

 

「ッ……」

 

「その後すぐにパチュリーさんも気を失ってしまったみたいですけど……でも、私が貴方に救われたという事実は変わりません」

 

「…………」

 

「ありがとう」

 

「…………う、うぅ……」

 

 思わず溢れた雫は、暫し止める事が出来なかった。

 やがて感情を押さえた影狼が赤くなった瞼をこすって、二人に再び向き合う。

 

「……私、絶対無事に戻ってきます。そして、妖夢の御主人様を探すのを手伝います! だから、妖夢も無事でいて下さいね!」

 

「分かりました……約束ですね」

 

「はい、破っちゃダメですよ!!」

 

 そして、影狼は永遠亭から去っていった。

 笑顔で新たな道へと進む彼女が、二人にはとても輝いて見えた。

 

「……二人とも、凄く仲良くなったね」

 

「ええ」

 

 遠くへと消え行く背中を見ながら、妖夢は感慨深く頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 影狼が去る事によって永遠亭の雰囲気がより暗くなる、そう思われていた。

 だが、いざ事が終わると決してそんな事は無かった。

 寧ろその全く逆だったのだ。

 

「──では、お願いします」

 

「ええ、こちらこそ」

 

 永遠亭の庭にて、妖夢と美鈴の二人が向き合い礼を交わす。二人の丁度真ん中には鈴仙が立っている。

 頭を上げた二人は、各々構えを取る。腰を深く落とし空手に近い構えを取る妖夢と、逆にほぼ棒立ちに近い状態の美鈴。

 互いに睨み付ける。静寂の後、先に仕掛けたのは妖夢だった。

 

「──はァッ!!」

 

 正拳、突き出された拳を、美鈴は上体を反って避ける。

 それを予測したかの様に連続して繰り出された回し蹴りも、美鈴は屈んで避けた。

 続いて蹴り上げ、更にそこからの踵落とし。だがその二つも結局空振りで終わる。

 

「甘いですね──」

 

「──わッ!?」

 

 声がした瞬間、妖夢の足が突如地面から離れる。

 足払いにより強制的に脚が前に出された妖夢は背中を地面へ付ける事になり、さらにその上に美鈴が跨がった。

 最後、美鈴の繰り出す下段突きが、寸止めで終わる。

 

「鈴仙さん」

 

「……美鈴の圧勝ね」

 

 鈴仙の判定が下ると、美鈴は妖夢の上から退いた。立ち上がった妖夢は軽く砂を払うと、深々と礼をする。

 

「ありがとうございました」

 

「こちらこそ」

 

 前へと進む影狼の影響からか、妖夢が美鈴に素手での組手をお願いしたのだ。

 今まで剣術の稽古ばかりしては素手での戦闘経験はほとんど無い妖夢。今回の様に刀があまり使えない事態を想定して、美鈴に頼んだのだろう。格闘に特化している美鈴なら、いい経験になる。

 実際にこうして敗北して、妖夢は確信した。やはり時には刀を手放した稽古も必要なのだと。

 

「めーりん、次はあたい!」

 

「「「え!?」」」

 

 近くで見ていたチルノが、いきなりこんな事を言い出した。その場にいた三人が全員同じ反応をする。

 

「あたいの本当の力を見せてやるわ! めーりん、いいでしょ?」

 

「私は構いませんけど……」

 

「大丈夫なんですか?」

 

「大丈夫、あたいはさいきょーだから!」

 

 仕方なく、チルノと向き合う美鈴。

 それを妖夢は座って見ている。

 

「どうします? ハンデに一つ武器でも使います?」

 

「そうね……それじゃあたいは刀を使うわ!」

 

「刀!?」

 

 妖夢の目付きが変わった。

 チルノは氷の力を使って、一本の氷の刀を生み出す。その形は正に、楼観剣そっくりに。

 

「……まさか」

 

「皆信じていないみたいだけど……」

 

 辺りの雰囲気が、一気に変わった。

 

「──あたいは、フランちゃんより強いんだよ?」

 

 美鈴の額から流れる汗はとても冷たく。

 互いに礼を交わし、僅かに構えを取る美鈴。

 

「……」

 

 だが反対に、チルノは棒立ちでただこちらを見つめている。

 美鈴の様に僅かな構えすら取らずに。

 

(──この雰囲気と気迫……本当に)

 

 動悸が起こりだす。本能的な信号が、美鈴の体に送られてきた。

 危険を告げる信号を。

 

(……隙が、無い!?)

 

 やられる前にやる、そう思ったはいいが、いざ前に出ようとすると直前で脚が固まってしまう。

 何故だ?

 相手は何一つ構えを取っていない。なのに、何処からどう攻め入っても、反撃されるイメージしか思い浮かばない。

 

(こうなったら──)

 

 呼吸法を変え、拳に力を貯める美鈴。

 隙がないのなら、正面から攻めるだけ。そう、自分の持つ力全てを込めて。

 力で、技を越える!!

 

「──大鵬墜撃拳(たいほうついげきけん)ッ!!!」

 

 竹林に衝撃が走る。

 決着は、一瞬だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 太陽の昇りきった昼頃。

 部屋から出た妖夢を待ち構えていた鈴仙は、空かさず質問を投げ掛けた。

 

「あの……大丈夫なんですか?」

 

「大丈夫よ、馬鹿だから」

 

「馬鹿って……」

 

 美鈴の必殺技をまともに浴びた氷精は、直ぐ様永遠亭の診察室へと運ばれた。

 幸い大事には至っていない。

 

「ったく、構えばかり一人前ってどうなってんのよ」

 

「私に聞かれても……」

 

「本当にアレが吸血鬼に勝ったのかしら?」

 

「まあ、やられた本人がそう言ってますし……」

 

 フランとチルノの二人が戦っていた所は、誰も見られなかった。

 こうしてフランが改心してここに居るのだから、彼女がチルノに何かをされたのは間違いない。だが、チルノがフランに戦って勝てるなんて誰もが思えないだろう。

 そうなると、チルノは萃香やここにいる皆よりも強いことになるが、少なくとも今はこの有り様だ。

 

「あの」

 

 二人が話している途中、妖夢が入って来た。

 

「この前、チルノから聞きました。確かにフランさん相手に勝ったみたいなんですけど、どうやら直接的な記憶は無いみたいなんですよ」

 

「どう言うこと?」

 

 鈴仙が問いただす。

 

「つまり、自分が戦って勝った記憶はあるのに、その時の意識は無かった。まるで、誰かが体を操って代わりに戦っていた、という感じみたいです」

 

「……お化けに憑依されたとでも言うんですか?」

 

「……ええ、恐らく」

 

 途端、二人の表情が変わった。

 

「チルノから聞いたんです。聖真さんや萃香さんがやられて、自分もフランさんに捕まりそうになって、すがる想いで聖真さんが持っていた楼観剣に手を触れた辺りから記憶が意識がはっきりしていなかった、と」

 

「……つまり」

 

「そうです、彼女に乗り移ったのは、恐らく楼観剣だと思うんです」

 

「そんなこと、あるんですか?」

 

「普段なら有り得ないですが、今の幻想郷ではあるんです」

 

 美鈴の問いにも、妖夢は冷静に返した。

 

「簡単には説明しましたが、今の幻想郷は力を持つ道具が意識を生み始めています。そしてそれは、使用者をも飲み込むのです。私が楼観剣に飲み込まれて通り魔になっていた事、フランさんは飲み込まれてこそいませんでしたが、レーヴァテインに唆されて幻想郷を壊そうとしました。それを考えれば、楼観剣が彼女に力を貸していた事も考えられます」

 

「けれど、道具の意識なんてどうすれば分かるんですか? 意思疏通が出来ないんじゃ──」

 

「──出来ます、出来る人が居るんです」

 

「それは……」

 

「……聖真さん」

 

「あのさ」

 

 話の途中、鈴仙が割り込む。

 

「アイツの力って、一体なんなのかしら?」

 

「アイツって、聖真さんの事ですか?」

 

「そうよ。ただの人間かと思ってたら、体の中に憑喪神の霊力が混ざってたり、道具と会話出来たりなんて、明らかにおかしいわ」

 

「それだけじゃないみたいですよ」

 

「?」

 

「これもチルノから聞いたんですが……聖真さん、魔法を壊す事も出来たみたいなんです。パチュリーやアリスと戦った時、聖真さんがパチュリーさんの魔法の壁を突き破ったのを見たみたいで……」

 

「アイツが、魔女の壁を……そんな力なんて無さそうだけど……」

 

「更に、なんですけど……聖真さん、地下でフランさんと戦った時、髪が白くなって強くなった、と」

 

「髪が白く?」

 

「白くなっただけじゃないんです。うっすらとですが、半霊まで出たってチルノが言ってました……それに関してはフランさんも同じ様な事を言ってたので、恐らく間違いありません」

 

「髪が白くて半霊って、妖夢とほとんど同じじゃない」

 

「はい。私や、私の祖父と同じ。けれど、聖真さんは間違いなく私と血は繋がっていません」

 

「……ダメね。全く分からないわ」

 

「私もほとんど分かっていません。そして多分、聖真さん本人でさえもあまり分かってないんだと、思います」

 

 妖夢の話は、まだ終わらない。

 

「大分前ですが、聖真さんは確か自分の能力を『力ある道具に力を与える』みたいな感じで言っていました」

 

「……何か、違いますね」

 

「私もそう思います。そこで、今までの情報を整理して少し考えてみたんです。『道具と意思疏通が出来る』、『堅牢な魔法等を砕ける』、『半人半霊になれる』、分かっているのはその位ですが……」

 

「……それで、能力は理解出来たの?」

 

「……確証はありませんが、一言で言い表すならこうかも知れません」

 

 そして、妖夢は告げた。

 

 

 

 ──あらゆるものを伝える程度の能力。

 

 

 

「道具と意思を伝え合う。堅いものに力を伝えて壊す。そして、道具の持つ力を伝えられ力を得る。私が考えたのはこうです。聖真さんは半人半霊になったというより、道具から私の力を受け継いだと考える方が自然なんです」

 

「楼観剣から妖夢の力を……」

 

「楼観剣は昔からずっと使っていました。可能性はあると思います」

 

 ここで妖夢は口を紡いだ。

 

「……私からも聞いてみたいわね。今の話が本当なのかどうか」

 

「でも、聖真さん今でもたまにしか目を覚ましませんし、覚ましたとしてもろくに会話なんて出来ません……はっきりと覚醒するまで待つし──」

 

 

 ──誰かぁ、来てぇェ!!!

 

 

「「「!?」」」

 

 会話の途中、突如響いた助けを求める声。この声は間違いなくフランの声だった。

 彼女の居る場所と言えば、一つしか無い。

 

 三人は全速力で走った。目的の部屋までは十秒も掛からない。

 そして、勢いよく襖を開く。

 

「──フランさん!?」

 

「誰か抑えてッ!!」

 

 フランドールに襲い掛かろうとしている人影が一つ。彼女の首筋に噛み付こうとするその口には、一本だけはっきりと牙が生えている。

 そう、聖真だ。

 噛み付く直前でフランが抑えているが、彼女にはそれ以上の抵抗は出来なかった。もし抵抗して何かが起きたら、その僅かな恐怖心が拳を降ろしてしまう。

 

「私がッ!!」

 

 美鈴が飛び出すと、二人の間に潜り込む。

 そして、聖真の鳩尾に向けて深く、掌底。大きく仰け反った聖真が、空気を吐く。

 直後飛び上がり、聖真の首を太股で挟む美鈴。そのまま仰向けに聖真を倒し、力を込めた。

 気道では無く血管を塞がれた聖真は、そのまま落ちた。

 

「大丈夫ですか?」

 

「……私は大丈夫」

 

 フランが無傷なのを確認すると、今度は聖真に注目した。彼がどうして突然こんな事をしたのか、聞き出さなくてはいけない。

 だが、その前に……

 

「……本当に、吸血鬼になったんですね」

 

 話には聞いていたが、こうして見たのは皆初めてだった。聖真が吸血鬼になった、と。

 そしてその話は彼に生えていた一本の牙を見て、確信された。

 

「でも、牙が一本だけって……」

 

「……中途半端、なのよ」

 

 フランが口を開く。

 

「人間としても……吸血鬼としても……中途半端なの。どっちでもあって……どっちでもないの」

 

 フランの血液が僅かに入り込んで、彼は吸血鬼となった。

 もう少し量があれば完全な吸血鬼に変わっていただろうが、彼の場合量が少な過ぎた。

 だから、噛まれた方に近い歯にしか牙が生えておらず、瞳もほとんど変わらないのだ。

 

「…………吸われた方が良かったのかな」

 

 フランが漏らす。

 

「──いや、ダメよ」

 

 それを否定する声が、四人の後ろから聞こえてきた。

 

「師匠!」

 

 八意永琳だった。

 どうやら、騒ぎで起きてしまったらしい。

 

「貴方の血なんて吸わせたら本物の吸血鬼になるわ。本人がそう望んでいない限り、絶対にダメよ」

 

「本人が望んでいない限り?」

 

「見れば解るでしょう」

 

 四人が部屋を見ると、落ちた筈の聖真が起き上がっていた。

 目ははっきりと開いているが、襲い掛かりはしてこない。

 

「……ぁ、ぃ……」

 

 何かを言っている。場は一時の静けさに包まれた。

 

「……み、ず……のど、い、たぃ…………」

 

「聖真さん!?」

 

「水ですね! 私持ってきます!」

 

 今度は間違いなかった。

 七日目にして、やっと彼は目覚めたのだった。


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