忘却の忘れ傘 ~a lonely quicksilver   作:エノコノトラバサミ

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第二章
二十七話 五日後


 竹林、永遠亭。時は早朝。

 一人の少女が目覚め、起き上がった。白髪の剣士、魂魄妖夢。

 彼女はうんと背伸びをすると、寝巻きのまま部屋からでて、永遠亭の外へと向かった。そこで水瓶から一杯の水を掬い、顔を洗う。季節は冬の終わり頃、まだまだ寒い日が続くものの、彼女はそれを意に介さない。

 

「おはよう、妖夢」

 

 背後からの声に振り返ると、そこには兎の耳を付けた紫色の長髪の少女がいた。

 鈴仙だ。

 

「おはようございます」

 

「……もう、傷は大丈夫みたいね」

 

「ええ……元々そこまで大した傷じゃなかったですし」

 

 あれから五日の時が過ぎ、彼女達に平穏が戻りつつあった。

 二人の魔女を制圧し、魔理沙の不意打ちに倒れた妖夢だったが、目立つ傷は賢者の石による攻撃と不意打ちによる頭部の強打程度で済んだので、他と比べて回復も早い。今ではすっかり元通りとなっている。

 

「それにしても、鈴仙さんも朝早いですね」

 

「最近は師匠が徹夜してるから、朝の仕事は私が中心なのよ」

 

「朝早くからご苦労です……そうだ、食事の準備ぐらいなら私も手伝いますよ?」

 

「ん~、それじゃ、お願いしてもいい?」

 

「はい」

 

 そうして、朝食の準備をする事となった妖夢。

 鈴仙と別れてすぐ台所に立つ。食材や器具は既に準備されていたので、早速調理を始める。

 するとしばらくして、こちらへと向かう足音が。

 

「腹へったぁ……お酒ぇ……」

 

「あ、萃香さん、何勝手に出歩いてるんですか?」

 

「お酒飲みたいよぉ……」

 

「駄目ですよ! 永琳さんに言われたでしょう、傷が開くといけないから、治るまで飲酒禁止だって」

 

「でも、もう五日も飲んでないし……」

 

 フランとの戦いで胸を貫かれた萃香。だが、永琳に診察された時点でも命自体はあまり心配要らないとの事だった。流石は鬼。

 それでも、重傷には変わり無い。彼女には安静が必要な上、傷痕も残るだろう。本人が暴れると困るので、酒も禁止だ。

 

「後二、三日の辛抱ですよ。そんな事より、来れる人を連れてきて下さい。そろそろ朝ご飯が出来ます」

 

「分かったよ……」

 

 そうして渋々去っていく萃香の背中には、鬼の威厳やそういったものが全く感じられなかった。

 

 

 

「「「いただきます」」」

 

 数人の声が響き、一斉に箸を立てる音が鳴る。

 今、永遠亭に居る内の六人がこの居間に集まり、朝食を摂っていた。

 

「いやぁ、やっぱり鈴仙さんの作るご飯は美味しいですねぇ!」

 

「今日作ったのは妖夢よ」

 

「え、そうなんですか!? 妖夢さんも料理上手ですね!」

 

 嬉しそうにご飯を頬張る紅の長髪をした、チャイナドレス姿の女性。

 紅魔館で囚われていた紅美鈴。

 

「ねぇねぇパチュリー様、鈴仙さんと妖夢さん、どっちのご飯が好きですか?」

 

 そして、その隣で表情で味噌汁を飲む紫の髪をした少女が、パチュリー・ノーレッジ。

 

「……どっちも」

 

 ──魔術を極めたい。もっと、崇高な存在になりたい。

 数々の魔導書を集めた事によって空間そのものが力を抱いた紅魔館の図書館に支配されていた時、彼女はそんな欲望を持っていた。

 だがその望みは、いとも簡単に一人の吸血鬼によって打ち砕かれる。

 『私の言う事を聞いてくれれば、殺さないであげる』

 その言葉に従って妖精達を延々と、目覚めの来ない眠りへと無理矢理導いてきた。

 

 そしてあの一件後、意識を失った彼女は永遠亭へと運ばれた。

 気を失い、自らを乗っ取っていた図書館から離れた事でその意識は解放され、今に至る。

 

「そんなんじゃ駄目ですよパチュリー様、もっと元気に行きましょう!」

 

「……うるさい」

 

「あ、パチュリー様!?」

 

 美鈴の振りを鬱陶しく思ったか、それともまだあの日の事を引き摺っているのか、味噌汁を飲むと今から出てしまった。

 

「……放っておきましょう」

 

「……」

 

「まだ立ち直れなくて当然です。自分が一体何をしてしまったのか……現実を受け止めるには、本当に時間が要るんです」

 

「…………」

 

 それっきり、美鈴も黙ってしまった。

 居間を一時の静寂が包み込む。

 

「……あの」

 

 そんな中、口を開いたのは影狼だった。

 

「私、そろそろ里の友達の所へ行ってみたいです」

 

 魔理沙によって天井から叩き付けられた彼女の傷は思ったよりも酷かった。永遠亭に運ばれ治療を受け、五日経った今でさえ、所々に包帯を巻いている。全身強打の衝撃からか若干の記憶障害まで起きており、彼女は自分が誰にやられたか覚えていないのだ。

 魔理沙の介入、それを知っているのは、妖夢の背後に立っているのを僅かながら目撃したパチュリーただ一人。その彼女でさえ、彼女がどうして介入してきたのか、全くもって分からない。結局、謎に終わってしまった。

 

「……行くなら止めないけど、勧めはしないわ」

 

 鈴仙が返す。

 

「この前私とアイツで行ったけれど、やっぱ雰囲気が異様というか……とにかく、近付きたくはないわね。そう言えば、蓬莱人は無事なのかしら……」

 

「蓬莱人……妹紅さんの事ですか?」

 

「大分前に慧音が心配だから里に行くと私に伝えたきりよ。ま、死にはしないからそこは平気なんだろうけど」

 

「……」

 

 決して明るい雰囲気では無かった。結果的に五日前のあの出来事は解決したが、課題は山積みだ。

 

「……私、聖真さんのよ──」

 

 

「──おじゃまします!」

 

 

 妖夢が何かを言いかけた時、玄関から少女が元気よく挨拶を言う。

 食事を中断した鈴仙が向かった先には、あの氷精の姿。

 

「今日も来たの?」

 

「うん、上がるよ」

 

「どうぞ」

 

 馴れた様に言葉を交わすと、氷精は永遠亭に上がり、真っ直ぐに一つの部屋の中へと入って行った。

 目的の部屋の前へと着くと、丁寧な様子で戸を開く。

 

「──あ」

 

「おはよう、フランちゃん」

 

「……おはよう」

 

 障子の閉じられた部屋、僅かに入る朝日。

 一式の布団、その側で座る吸血鬼一人。

 

「まだずっとここに居たの? たまには他の所に行ってみたら?」

 

「……私はいいの、気にしないで」

 

「…………うん」

 

 部屋の片隅に置かれている、楼観剣とレーヴァテイン。

 

「せーま、どう?」

 

「……少し前にちょっと目覚めたけど……私の事、よく分かんない誰かと勘違いして話してた。目、あんまりよく見えてないみたい」

 

 あの一件で最も酷い傷を負ったのは、彼だった。

 図書館の壁に打ち付けられ、体を焼き斬られ、更には失血死寸前まで血を抜かれ、永遠亭に運ばれた時に生きていたのは奇跡的だった。

 永琳が全力を上げて治療を施してから容態が安定するまで二日も掛かった。無論治療はそれだけでは無く、ほぼ付きっきりで永琳は彼を看病していた。彼女が徹夜してるのは、ほとんど彼が原因なのだ。

 

「『こがさ』って、言ってなかった?」

 

「……言ってたかも。言葉もはっきり話せてなかったから」

 

「せーま、その人を探しに外の世界から来たって言ってたんだ」

 

「……チルノちゃん、この人普通の人間なの?」

 

「人間だけど、なんか『つくもがみ』って言うものが体に付いてるらしいよ」

 

「……純粋な人間じゃ、無いのね」

 

 フランは何かを口ごもっている様子だった。

 

「……どうしたの?」

 

「…………昨日の夜、永琳さんが言ってたの」

 

「え?」

 

「……私の、私のせいで……」

 

 彼女から見てとれるのは、怯えの表情。

 口に出したくない、けれど、伝えないといけない。そんな葛藤が露になっていた。

 

「……大丈夫、フランちゃん」

 

「…………この人の口、開けてみて」

 

「口?」

 

 言われるがまま、チルノは聖真の顎を下に軽く下げる。

 

「──!?」

 

 その変化は、明確に見てとれた。

 

「……血を吸う時、私唇を噛んでて血が出てたの。それが牙に付いてて、そのまま噛みついちゃって…………」

 

「…………せーまに、牙が生えてる」

 

 本来ならば、それは体が拒んでいる筈だった。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…………」

 

 だが、あの時の彼の体は死ぬ寸前まで追い込まれていた。

 あらゆる手段を使ってでも生き延びる、本能がそう命じた結果が、僅かに入り込んだ吸血鬼の血液を受け入れてしまったのだ。

 

 だからこそ、彼は生き延びて。

 

 だからこそ、彼は半ば鬼となった。

 

「……大丈夫だよフランちゃん……アタイは許してあげるから。だから、一緒にせーまに謝ろう?」

 

「……チルノ、ちゃん……!!」

 

 今のフランにとって、チルノだけが心の支えだった。

 あの一件の直後、皆を永遠亭に運んだのは紛れもなくフランなのだ。

 

 

 自らを受け入れない世界を壊すつもりだった。それがどれだけ危険な道なのか分かっていた。内心、上手く行かないだろうという事は分かっていた。

 だが、彼女は見付けた。

 今のままの自分でも、受け入れてくれる人を。

 その人がいる世界を壊すなんて、私には出来ない。する必要もない。

 気が付けば、レーヴァテインの声は聞こえなくなり、それと同時にレーヴァテインを手離した。

 プライドなんてものは捨てた。それ以上に大切なものに気が付いた。

 彼女と、チルノと一緒に、歩いていたい。

 だからこそ、彼女の大切な仲間を傷付けて、嫌われてしまうのが怖かった。恐ろしかった。

 

 

「皆にもちゃんと説明したから……まだ皆がフランちゃんの事許した訳じゃないけど、きっといつか許してくれると」

 

「……うん」

 

 チルノの胸の中で涙ぐむフラン。やはり彼女の本当の姿はただの寂しがりな女の子なのだと、チルノは感じた。

 

 そのチルノには、分からない事があった。

 今回の一件の動機は、全てフランが皆の前で自白した。この世界を壊して自らを受け入れる世界を作る、と。その為に自然の化身と言われ殺しても死なない妖精達を捕まえ、自らの玩具としたり、更にはいずれ利用するつもりでいたのだ。

 パチュリーはフランに脅され、アリスは自ら進み、彼女に協力した。だが、最終的には三人もと【幻想郷の異変】に唆されたに等しかった。

 

 ──一人は、イヤぁ……

 

 あの時、フランは確かにそう言っていた。

 身動き出来ない状況下、目の前に敵意を剥き出しにした明らかに自分より強い相手が立っている。

 その中で最も恐れたのが、死ではなく孤独。それだけで、チルノは彼女の本質を垣間見たのだ。

 

 本音を言えば、完璧にフランを許した訳ではない。

 彼女が行ってきた卑劣で残虐な行為はどれだけ謝ろうと消えはしないし、この日を取り戻す為にどれだけの傷を追って来た事か。

 だが、それでもチルノは彼女を一言も責めなかった。

 チルノには、沢山の友達がいた。妖精達だけではなく、こうして一緒に戦ってくれた仲間だっている。

 だが、フランは?

 彼女には友達や仲間が居るのか?

 そう、居ないからこそ、孤独のあまり唆されたのだ。

 だからこそチルノは、自分が必要なのだと感じた。

 どれだけ辛い道が待っていようとも、彼女が諦めない限り、皆の前で笑いたいと願う限り、ずっと親友で居ようと誓ったのだ。

 

 今回の一件は、後一つの事を除けばそれで終わりだ。

 そう、その後一つの事が、彼女にはどうしても分からなかった

 

 ──あたいは、どうしてフランちゃんに勝ったんだろう?

 

 膝を砕かれ、聖真がやられて、萃香もやられて、自分までやられそうになった、そこまでははっきりと覚えている。

 それから、必死に皆を護りたくて聖真の持っていた楼観剣を手に入れて、そこから記憶が曖昧になっていた。

 次にはっきりしたのは、永遠亭の布団の中。傍らには、さっきまで自分を殺そうとしていたフランの姿。そして、回想されたのが、フランを刀で斬って氷漬けにし、そして彼女を許した自分の小指。

 記憶の中にはちゃんとあった。けれど、それは確実に自分の、自分『だけ』の記憶ではない。

 何かが取り憑いて体を操られたかの様な、そんな記憶。

 それが聖真の力なのか、そうじゃないのか、全く分からない。

 恐らく、それを知るのは聖真だけ。

 

 眠りについていた妖精達も、全て解放された。

 体に傷を負っていたり一回休みにされた者もいるが、結果的には皆が戻ってきた。死者は、誰も居なかった。

 全てが元通りなのだ……聖真と、最後の一人を除いては。

 

 

 

 

 

 それは居間から遠く離れた隅の部屋。

 窓は襖で閉ざされ、朝にも関わらず部屋は薄暗い。

 その部屋の中、布団の中に潜り込む一人の少女。

 

 アリス、マーガトロイド。

 彼女は未だ、現実を受け止められなかった。

 

 妖夢によって付けられた傷。暫の間、歩くことを許さない。だが、それだけならまだよかった。現代なら生涯残る傷かも知れないが、少なくとも永遠亭に居る月の医師なら、時間と環境さえあれば必ず治せる傷ではあった。

 問題は、人形にあった。

 アリスの体を操っていた上海人形の真意は、まだ分からなかった。分からないが、上海人形によってアリスは酷い事を行い、そして殺されかけた事実は変わらない。

 

 ──信じてたのに。

 私の一番の親友だと、思ってたのに。

 どうしてこんなことしたの?

 

 妖夢に殺されかけた恐怖から上海はアリスの体を手放し、そして二度と彼女が現れる事は無かった。そうして元に戻ったアリスだったが、彼女に残ったのは猜疑心だけ。

 結局、現実を受け止められなかった彼女は、隅の部屋で布団の中に潜りながら、あの時のアリス(上海人形)が唯一大切に隠し持っていた上海人形(本体)を抱き抱え、現実から逃げていた。

 

 脚が動くのなら、とっくに逃げ出してるだろう。

 

 

 

 

 

 事が起きたのは、それから七日後のある朝。


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