忘却の忘れ傘 ~a lonely quicksilver   作:エノコノトラバサミ

27 / 39
二十六話 ──そこに咲いた小さな花は

 ──楼観剣に、彼女への想いを──

 

 

 

 俺はきっと心の奥で、この結末を予測していた

 

 少なくとも、俺が無事では無いだろう

 

 気を失っているか……もしかしたら、死んでいるかもしれない

 

 俺には初めから無理だったんだ

 

 一人、たった一人の大切な人すら救えない俺に、皆を救うなんて無理だった

 

 けれど……お前は違う

 

 お前なら、きっと出来る

 

 お前は気が付いてないだけなんだ

 

 自分がどれだけの力を、勇気を、そして優しさを持っているか

 

 信じるんだ、自分を

 

 自分の持つその力を

 

 それでも敵わないのなら、素直に助けを求めればいい

 

 他人に助けられたその分、他人を助ければいい

 

 きっと、お前は俺に助けられてばかりだと思ってるだろう

 

 けれど違う、俺だって何度もお前に助けられた

 

 お前がそれを自覚していないだけなんだ

 

 だから、言わせて欲しい

 

 

 

 ──ありがとう

 

 

 

 この想いが、力が、お前に伝わっているのだとしたら

 

 お前が絶望に屈せず、光を求めるのならば

 

 俺の代わりに、願いを叶えて欲しい

 

 

 

 ──皆を、助けてくれ

 俺の持つ全てを、お前に伝える──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『チルノ、きっと君が最強なら、全て救える筈だ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 声。

 聖真の声。

 真っ暗な世界で、唯一聞こえる音。

 

 あたいは、どうしてこんな所に居るんだろう?

 

 思い出せない。

 自分がさっきまで何をしていたのか?

 ここが、一体何処なのか?

 

 ──サイキョー。

 

 今度は、聞いたことの無い声だった。

 

 ──彼から聞いた。一人の少女の口癖であり、夢であると。

 

 誰?

 そう口を開いた筈なのに、声は出なかった。

 

 ──そして、彼が最後に望んだもの。それが、その少女に手を貸して欲しいという願い。

 

 一人の人間の姿が、脳裏を過る。

 

 ──我が主を救った人間の最後の願い、無下にする訳にはいかん。

 

 瞼が、熱くなる。

 

 ──問おう、そなたは誰だ?

 何を求め、そして何を願う?

 

「…………ぁ」

 

 甦る記憶。

 巡る絶望の連鎖。

 

「……ぁ、あたいは……」

 

 その中で掴んだ、ほんの小さな希望の種。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──あたいはチルノ、ただの妖精

 

 あたいが欲しいのは……サイキョーになれる力

 

 あたいが願うのは、皆を助けること──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 紅魔館、地下室、とある吸血鬼の遊び場。

 薄暗く、塗装か純血かも分からない紅に染められたこの部屋に、一つ小さな蒼い花。

 冷たく、淡く、触れるだけで飛んでしまいそうな花。

 

 それが、それこそが、囚われた妖精達の最後の希望。

 

 彼女の手は、確かに握っていた。

 聖真の想い、そして彼の()()()()が込められていた刀を。

 ゆっくりと、立ち上がる。

 

 対する吸血鬼には、状況を把握出来なかった。

 突如気を失ったかと思えば、今度は突如起き上がる。しかも、さっきまであの人間が使っていた刀を握り締め。

 いや、それだけなら何とか把握出来た。抵抗する覚悟が決まった、それだけなのだと。

 

 彼女が最も理解出来なかった事。

 『壊した筈の膝が、治っている』

 いや、外見はそのまま鬱血している。だが、目の前の妖精は何の不自然な動作なしに立ち上がっている。

 何故──

 

『──っ!?』

 

 背筋に感じる、何か変な感覚。

 体中が冷える、震える、そんな感覚が。

 

 そして吸血鬼は気が付いた。

 この冷たさは、本物だ。

 部屋全体が、冷たくなっている。

 目の前の妖精が放つ冷気が、この紅い部屋を覆い尽くしている。

 

 吸血鬼は地を蹴った。

 向かうは、萃香との闘いの直後放置していたレーヴァテインの元。

 脚で高く蹴り上げ、落下する所で柄を口でくわえる。

 

 そして吸血鬼は、再び太陽を生み出す。

 振り返り、妖精と対峙する彼女の脚が、僅かに震えていた。

 

(胸が、苦しい……)

 

 吸血鬼が初めて感じるこの感覚の正体を、彼女はまだ知らない。

 ただ分かるのは一つだけ。

 

 ──目の前にいる相手は、未知数の力を持っている。

 確信は無い。だが、それでも分かるのだ。

 さっきまでただの玩具だったのに。

 

 吸血鬼は歯を強く噛み締めた。

 この謎の感覚のせいで、立っているだけでも意識が揺らぎ始めている。呼吸がみるみる荒くなり、汗が止まらない。脚の震えも、より大きくなっている。

 

 もう、我慢出来なかった。

 地を蹴り、一直線に妖精の元へと向かう吸血鬼。

 この感覚を消し去る為に、アイツを真っ二つにしてやると──

 

 ──それが、過ちとも知らずに。

 

 手応えは全く無かった。

 口にくわえたレーヴァテインは宙を裂いた。

 それだけじゃない。直後に感じる、異質な感覚。

 体が……重い。

 

『ンッ──!?』

 

 口は塞がっていた、故に声は出なかった。だが、彼女は確かに叫びを漏らした。

 

 ──体が、凍っている!?

 

 上半身を二つに分断するかの様に、斜めに傷が刻まれている。

 そう、それは間違いなく、斬られた痕。

 振り返り、氷精を視認する。彼女の持つ刀に僅かな血痕。そして、氷の冷たさ。

 

 錯乱。不快感。パニックを起こす。

 痛みはほとんど無いが、それ以上の精神的ダメージが吸血鬼を襲う。両手を使えない今だからこそ、余計に感じるのだ。

 溶かしたいのに、壊したいのに、何も出来ない。

 

 その苛立ちは、元凶へと向かう。

 

(──ムカツク)

 

 謎の感覚は消えた。その代わりに、強烈な殺意が剥き出しになった。

 かつて冷静さによって救われた記憶は、最早希薄となった。

 

 太陽。その温度にさえ達する炎の剣、レーヴァテイン。吸血鬼の唯一の理解者。それに、自らの抱く感情を全てぶつける。

 

 ──アイツを、トカス。

 モッテル刀ごと、ケシサッテヤル。

 

 それに呼応し、炎剣は光を増す。

 氷精によって一面薄氷が張りかけたこの地下室を、一瞬にして炎天下に変える。

 本当なら、炎天下では済まない。氷精の存在が気温の上昇を妨げているのだ。

 だがそれでも、吸血鬼の胸に刻まれた氷は溶けない。

 

 一撃。速攻で決めるつもりだった。

 これ程の力は長くは持たない。鬼との闘いの後という事もあり、初めから力はあまり残されては居なかった。

 良くも悪くも短期決戦となるのは明らか。ならば、初めから全力で行くだけ。

 

 熱風の如く駆ける吸血鬼。

 くわえたレーヴァテインが、床を大きく抉る。

 殺意、それによる気迫の籠る強烈な刃が、大地から迸発し氷精を溶かし尽くす──

 

(──ッ!?)

 

 手応えが無い、あまりにも。

 振り上げた首を何とか元に戻す。

 溶けて半身が無くなりかけた氷精。だが、その体はあまりに脆く、冷たい『だけ』の存在。

 そう、氷そのものの様に。

 

 ──吸血鬼の背中に、閃光が迸る。

 痛みは無い。感じるのは、冷寒のみ。

 

 ゆっくりと振り向くと、刀を振り降ろした氷精が。

 

『んグゥ!!!』

 

 レーヴァテインをくわえたまま吸血鬼は唸り、そして振り返り様氷精へと剣を振るう。

 だが、それは氷精の目の前で空を焼く。塵が焦げる音が微かに耳へと入る。

 

 追撃、吸血鬼が前へと進もうとしたその時。

 

(え──)

 

 地面が吸血鬼に迫り来る。

 いや、違う。吸血鬼が倒れている。

 何も理解出来ぬまま、ゆっくりと、時が減速したかの様に。

 そして、足が床と共に凍結された事に気が付いた時には、既に床に体が触れようとしていた。

 

 ──どうして?

 どうして私が、地面に這いつくばっているの?

 吸血鬼の私が……どうして……

 

 手が使えないから、壊せない。溶かせない。そして、立てない。

 打つ手が、無くなった。

 

 床づたいに聞こえる足音。

 吸血鬼の脳を焦燥が駆け巡る。やがてそれは姿をかえ、気が付けば明確な恐怖となって吸血鬼を支配する。

 抵抗出来ない、その無力感を初めて味わう。

 

 ──私は、本当は最強なのに。

 鬼なんて相手にならない程強いのに。

 腕さえ……腕さえ動けばこんな奴ッ──!!

 

 そして吸血鬼が体験した恐怖は最後の最後でプライドと混じり合い、ぐちゃぐちゃに掻き回され、別の思考を産む。

 

 ──そうだ、もういっそ壊しちゃおう。

 『腕が動かない』って認識を。

 

 それは最早、自暴自棄。

 後の事など一切考えず、今を乗り切る事だけに全てを賭ける。

 そこまでしても、吸血鬼は負けたくなかった。

 

『──アハ』

 

 レーヴァテインを離し、彼女は笑う。

 彼女は壊した。認識だけではなく、痛覚や理性までも。

 そう、彼女は獲物を殺す事しか考えない獣と化した。

 

『ガアアァァァァァ!!!』

 

 咆哮し、そして握る。

 自らの能力で足を凍らせている氷の『目』を。

 そして、思い切り潰す。

 

『ッ!?』

 

 立ち上がろうとした吸血鬼は両手で上体を起こし、そしてまた地面へと上半身を打ち付けた。 

 

 理性を壊した今、彼女に感情を隠すという意識は無い。

 明らかなる動揺。足元の氷を握り潰したのに、氷が壊れていない。

 そんなこと、今まで一度も無かったのに。有り得ない筈なのに。

 

 カツン。

 冷たい足音が吸血鬼の頭上に。

 

 計算違い。それによる焦りは想像以上。

 だが、それでも諦めた訳ではない。吸血鬼は手でレーヴァテインを握ると、頭上の氷精の脚目掛けて思い切り振り払う。

 これで、脚を焼き斬って──

 

『あ……』

 

 ──手が、途中で止まった。

 動かそうとしても、動かせない。どれだけ力を入れてもびくともしない。

 それより、とても冷たくて。

 

『……ひ、あ……あぁ……』

 

 貫かれていた。

 手の甲が、刀に貫かれていた。

 傷がみるみるうちに凍り、それはレーヴァテインをも包み込んで行く。

 

『──ッ!!!』

 

 咄嗟の判断。

 もう片方の手で、吸血鬼は氷精の頭蓋の『目』を握る。

 直ぐ様握り潰して、息の根を止め──

 

『ひッ!?』

 

 ──る事など、出来なかった。

 直前、もう片手も刀によって貫かれる。

 とうとう、吸血鬼の手足を氷が包み込む。

 

『冷たい……冷たい、冷たいぃ!!!!!』

 

 氷が、体を侵食して行く。

 どう足掻いても、何を言っても、もう変わらない。

 これが現実であり、真実。

 

 ──【吸血鬼の敗北】

 

『何でぇ、どうしてぇ、私がこんな目にぃ!!』

 

 現実を受け止められない彼女には、叫ぶ事しか出来なかった。

 この結果を空から眺めている勝利の女神に直訴するかの様に、ただひたすら理不尽さを叫ぶ。

 

『有り得ない!! 私に壊せないものなんて無いのに、おかしいよ!! 意味判んない!!!』

 

「──黙れ」

 

『ひッ…………』

 

 この時、氷精は刀を手にしてから、初めて口を開いた。

 

『助けて……お願い……』

 

「……」

 

『ねぇ……』

 

 吸血鬼を見下す氷精の目は、ただただ冷たく。

 

『このままじゃ私、氷漬けになっちゃうよ……お願いだから、助けて……』

 

「……」

 

『お願い……お願い、します…………何でもしますから…………』

 

「……」

 

『い、イヤ……体が、体がぁ……』

 

 ついに氷が四肢を飲み込み、体へと侵食を進める。

 

『イヤ……氷漬けはイヤ……一人はイヤぁ……』

 

「……」

 

『お願いします、助けて下さい! もうこんな事しないから! 許して下さいぃ!!』

 

 壊した理性が吸血鬼から思考を奪ったおかけで、彼女はプライドというものを完全に無くしていた。

 今は本当に、助かる事しか考えていない。

 

「──謝れ」

 

『……え?』

 

「他の皆に、謝れ」

 

『…………ご、ごめんなさい』

 

 氷精が、ゆっくりと刀を振り上げる。

 その恐怖で、吸血鬼は残された時間を察する。

 

『ごめんなさい、本当にごめんなさい! 痛みつけてごめんなさい! 血を吸ってごめんなさい! 体に穴空けてごめんなさい! 勝手に拐ってきてごめんなさい! オモチャにしてごめんなさい! 館から追い出してごめんなさい!!』

 

「……」

 

『ごめん、なさい……これからは、良い子になりますからぁ……』

 

 とうとう、吸血鬼も力尽きる。

 項垂れ、涙を浮かべ、ただずっと床から上を見ている。

 期待と恐怖の入り雑じった表情を浮かべながら。

 

「──本当?」

 

『……え?』

 

「──これからは、ちゃんと良い子にするの?」

 

『します……良い子に、なります……』

 

「…………」

 

 その時、吸血鬼は突如体が軽くなるのを感じた。

 

「──じゃあ、許す!」

 

『え?』

 

 氷精の声が、口調が、明らかに変わっていた。

 

「その代わり、約束破っちゃダメだぞ! ゆびきりげんまん!」

 

『あ……』

 

 手の氷が、気が付いたら溶けていた。

 

「ゆびきりげんまん嘘ついたら針千本のぉます!」

 

『…………』

 

 理解出来ない。

 ただ謝っただけなのに。

 それなのに……本当に、許してくれるなんて。

 

「えへへ……それじゃ、ここから出よう。早く皆を永遠、亭……に……あ、あれ…………」

 

 それだけ言うと突如氷精は倒れ、そのまま目を瞑った。

 地面に伏して気を失った氷精を見つめ、吸血鬼はゆっくりと立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──誰もフランには勝てない。

 

 レミリアの予言は、一応ながら的中した。

 最後に立っていたのはフランドールだった。

 

(……今なら、ヤれる)

 

 レーヴァテインを握り直す。

 だが、その刀身は燃える事は無かった。

 

(ヤれる……ヤれる、のに……)

 

 不思議な事に、最も強く感じていたのは『懐かしさ』だった。

 それがどのくらい昔の事なのか、解らない程の。

 

(…………あ)

 

 泣いていた。

 涙が、止まらない。

 拭いても拭いても、顔は雫で濡れる。

 

 そして吸血鬼は、自らが抱く感情の正体を知る。

 

 ──喜び。

 この世界に受け入れられた喜び。

 それは、かつて幼い頃、慕っていた姉に抱き締められたあの感覚と、とてもよく似ていた。

 

(……私を、許してくれる)

 

 涙は止まった。

 

(……こんな私を、受け入れてくれる)

 

 赤黒く染まりきっていた大地に、小さな花の種一つ。

 

(私は……)

 

 そして今、花は芽吹き、暗い空に本当の太陽が射し込む──

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。