忘却の忘れ傘 ~a lonely quicksilver   作:エノコノトラバサミ

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二十五話 閉ざされる未来、墜ちる希望──

 萃と疎を操る程度の能力。

 あらゆるものを(あつ)め、あらゆるものを()らせる。

 この力を使って幻想郷の住人達の想いを集め半ば強制的に宴会が行われていた異変は、記憶に新しい事だろう。他にも、彼女が自身の姿を霧に変え、幻想郷をさ迷っている事も知られている。

 そう、この力は、物理的な部分にも、精神的な部分にも干渉できる能力。

 

 彼女がやっている事は、非常に単純な事だった。

 対象を萃めるブラックホールの様な物質を掌に作り出し、それを深く握り込む。

 そして大きく全力で振りかぶり、標的が飛んで来て瞬間、拳を降り下ろす。

 たった、それだけ。それを交互に繰り返すだけ。

 

 だから、氷精には簡単に理解できた。

 だから、氷精は戦慄した。

 ただでさえ地形を変える力を持つ鬼の拳を──

 

 ──吸血鬼はもう、避ける事は出来ない。

 

 

 

 

 

 響き渡る破裂音。

 吹き飛ぶ吸血鬼の体。

 そして、地面に散る血液。

 

 だが、それは吸血鬼のものではない。

 あの時吸血鬼に壊された、鬼の拳が流す血。

 この螺旋に、鬼は全てを賭けている。

 

 降り下ろした拳にブラックホールを産み出し、それを大きく引き上げる。

 標的が、鬼へ向かい飛んでくる。

 そして、振りかぶったもう片方の拳を──

 

『──ッッ!?』

 

 幾度となく破裂音が響き、その度に吸血鬼の腕は黒く染まっていく。

 反撃の隙なんて無い。それ以前に、体の自由が効かない。

 出来る事、それはただひたすらに耐える事だけ。

 交差させた両腕が、砕け散る直前まで。

 

(痛い……痛い……もう嫌だ……)

 

 心が悲鳴を上げる。

 腕が砕けるその前に、心が砕ける。

 定期的に来る激しい苦痛、それを避けられない恐怖。

 そして彼女は初めて、自らが与えてきた絶望に呑まれる。

 

『──ッッ!?!?!?』

 

 強烈な痛みと共に、遂に腕の感覚が消える。

 力など、入る筈もない。

 彼女を辛うじて守っていた壁は、とうとう崩れ落ちた。

 

 助けて、鬼に殺される。

 

 吸血鬼は、心の底から祈る。

 信じていた。きっと、本当に誰かが助けに来てくれる。

 お姉様が、咲夜が、パチュリーが、美鈴が、きっと、きっと、助けてくれる。

 颯爽と、私を救いだして──

 

 

 

 

 

 ──そして当然の如く、吸血鬼に鉄槌が降りた。

 自らの信念を突き通す、鬼の鉄槌が。

 

 

 

 

 

 薄れ行く意識の中、フランは自覚した。

 自分が助けを求めていたものを、自分は助けた事があっただろうか?

 無かった。長い記憶を辿っても、何一つ。

 それどころか、レミリアを追い出して、美鈴を牢へ入れたのは自分。救われる価値も理由も、フランには無い。

 

 だったら、どうして私はここに居るの?

 どうして私は生まれてきたの?

 こんな狂った力を、手にしながら。

 

(──こんな世界、滅茶苦茶にしてやる)

 

 私の、声。私の、想い。

 

(──私が最強になって、創り変えてやる)

 

 そう、この幻想郷を。

 

 

 ──私を受け入れる世界へと──

 

 

 『幻想郷は全てを受け入れる』

 ある妖怪は、そう言った。

 それならば、私を受け入れてくれた存在は居るのだろうか?

 

 居ない。そんなものは、居ない。

 私の肉親でさえ、私を拒絶する。

 私は何もしていないのに、私の持つ力のせいで。

 拒む。忌む。嫌う。離れる。消える。去る。

 そして、誰も居なくなる。

 私は自ら誰かを消した事なんて、無かったのに。

 

 孤独に耐え続ける日々。

 私を受け入れてくれる【人】を、ひたすら待ち続ける。

 百年、二百年、三百年……待って、待って、待ち続けても、現れはしなかった。

 たった一人の肉親でさえ、心を開いてはくれなかった。

 

 でも、私を受け入れてくれる【物】は、あった。

 レーヴァテイン。何時からか私が握り締めていた、歪で不思議な物体。私の魔力を炎へと変換する、不思議な武器。

 ただの武器だと思っていた。

 けれど、突然声が聞こえた。

 

 ──いつまで待っているんだ。

 

 力が漲ってきた。初めての感覚だった。

 武器が、私に、力を貸してくれている。

 

 ──世界がお前を拒絶するなら、お前が世界を拒絶すればいい。

 

 新たな決意が、私を染める。

 

 ──燃やせ、この世界を。

 そして創り変えるんだ、自分を受け入れる世界へ──

 

 

 

 

 

 レーヴァテインが、空を舞う。

 虚ろな視界で、微かにそれを捉える。

 

 力が、入らない。

 手が、動かない。

 このままじゃ、私は、唯一私を受け入れてくれる存在を──

 

 そして、体が引き寄せられる。

 向かう先に、鬼が構えている。

 間違いない、これが最後の一撃。これで、全てが終わる。

 

 レーヴァテインが、落ちてくる。

 私の、すぐ隣へと落ちてくる。

 手を伸ばせば届くのに。

 少し頑張れば、届くのに。

 なんで、どうして、動かないの……

 

 ──イヤ、だ。

 

 ここで諦めたら……もう二度と、私は世界から……

 

 ──そんなの、絶対に……

 

 もう二度と、お姉様から……

 

 

 

 

 

 

 

 ──私は、負けられない──

 

 

 

 

 

 

 

 流星の如く、空を駆ける魔女。

 満月の下、影のみを残す狼。

 両者の持つ最大の武器、それは速さ。

 紅魔館、大図書館で対峙する二人。彼女等の勝敗を分けるのは、恐らくその違い。

 

『さっさと森に帰りな。ここは野良犬が来ていい場所じゃねぇんだ』

 

 箒を差し、魔理沙は不敵に笑う。

 手に握る八卦炉から、明らかに以上な魔力が漏れ出している。その力は間違いなく、彼女の持つ純粋な魔力などではない。

 

「……」

 

 影狼は微動だにしない。

 ただ一点、魔理沙の眼を見つめている。

 彼女の発した言葉に、何も反応せず。

 

『……はぁ、あぁそうかい。ったく、力で教わらないと分かんねぇなら、教えてやるよ』

 

 途端、魔理沙の眼が豹変した。

 

『さぁ、弾幕ごっこの始まりだぜ! 無様に吠え回りやがれェ!!』

 

 箒へ飛び乗り滑空を始めると同時に、八卦炉からレーザーを放ち始める。

 一点から拡散し影狼へ迫り来る光線群は、言うならば光のシャワー。ただがむしゃらに前へと進めば、必ず体へ降り注がれるだろう。

 無論、そんな事はしない。人の形を保ちながら四足で図書館を駆け、魔理沙を中心に円を描く様に走り続ける。光のシャワーを避け続けながら、隙あらば常に飛び込む覚悟を決めて。

 

『爆ぜろ、【ディープエコロジカルボム】!!』

 

 魔理沙が投げ付けた複数のカプセルが、影狼の行く先へと放り出される。

 地面に落下すると同時に蒼い光を放ち、そして爆音と共に破裂、辺りを光と熱で覆い尽くす。

 

「ガウッ!!」

 

 その中から影を残し、飛び出す影狼。

 爆破する直前、爆風に身を任せ、衣で光を遮る事によって、即座の反撃を可能にした。

 顔面への直撃を防いだ為、腕には火傷の痕。だが、その程度で根を上げていては、妖夢の足元にも及ばない。

 

 ──一人の青年を命を賭して守ったんだ。

 その彼女を、今度は私が守る。

 

 爪を起て、牙を剥き、狙うは空飛ぶ魔女の肩口。

 

『──【ブレイジングスター】』

 

 刹那、影狼の眼に流星が──

 

「──ぐゥッ!?」

 

 流星は影狼の懐へと突撃し、彼女を巻き込み流れていく。空を斬り、音さえも越えて。

 影狼に掛かる莫大な重力。全身が苦痛と悲鳴を上げる。

 こんなもの、人間が耐えられる速度ではない。

 

「がァッッ!?!?」

 

 本棚へと身体を強打し、辺りにクレーターが出来る。

 幾ら妖怪と言えど、体が丈夫ではない影狼には、この衝撃はあまりに強すぎた。

 弾幕ごっこが始まって一分弱。早くも、彼女の体は限界へと達する。

 

「……どうし、て……?」

 

『ハハハハ! 遅いなぁ、話にならないぜ!』

 

 生身の人間が音速に耐えられる筈がないのに。

 どうして、魔理沙はどうして、平気で飛び回っているんだ?

 

 大図書館を飛び回る流星。

 衝撃波で本は散乱し、粉塵の様に舞う。

 そんなものがあっては、自由に動き回れない。

 それ以前に、こんな体では──

 

 ──格が、違いすぎる。

 あの日竹林でやった弾幕ごっこの時とは、次元が違う。

 一体、これまでの期間で何が……

 

『吹っ飛べェ!!』

 

 寸前、魔理沙の突撃を避ける。

 夢中になって何とか避けたが、こんなのは偶然でしかない。

 捕まるのは、確実に時間の問題。

 

 ──アレに、賭けるしかない。

 

 四足で本棚を蹴り、天井へとよじ登る。

 自分の今出せる全速力で、壁を蹴り上げる。

 

 この図書館から出られれば。

 この館から出られれば。

 私にだって、勝機はある!

 

 影狼の体を動かし、集中を維持し続けたのは、たった一つのその想いだった。

 

 そして、影狼は舞う。

 爪を突き立て、力を込め、天井を穿つ為に──

 

 

 

 

 

『──そんなに満月が見たいか』

 

 天井に、閃光放つ魔方陣。

 

『生憎、今は天気が悪いんでね──』

 

 

 

 

 

 ──【アースライトレイ】

 天より降り注ぎし光の雨が、狼を谷底へと叩き落とした。

 

 

 

 

 

『ふう、流石に飛ばしすぎたぜ』

 

 幾つものクレーター。散乱した人形に本。そして、二人の魔女と一人の剣士、一匹の狼の体。

 大図書館は半ば廃墟と化していた。

 

『これでやっと帰れるな』

 

 剣士の体を持ち上げて、箒へと乗せる。

 そして魔理沙は箒へと跨が──

 

『──ッ!?』

 

 悪寒。

 何か、凄まじい気配を感じる。

 

『……レミリアか』

 

 普段の気配ではない。

 間違いなく、全力を放っている。何かを殺す気だ。

 まさか……

 いや、視界にアイツの姿は無い。しかし……

 

『……チッ』

 

 妖夢を放り捨て、魔理沙は全速力で空を飛ぶ。

 

 後に残されたのは、ただの廃墟のみ。

 

 

 

 

 

 

 

 執念が、フランを動かした。

 手が動かない……なら、手以外を動かせばいい。

 彼女が選んだのは、口。 

 

 避けれない、何をしても。

 それならもう避けなければいい。

 まだ、選択肢は残っている。

 

 最後の一撃、それが触れた瞬間。

 萃香は感じた、拳への違和感を。

 ──手応えが、ほとんど無い。

 

 殴られるその瞬間、フランは首を、体を、捻った。

 体を捻る事で衝撃を受け流す高等技術、スリッピング・アウェー。

 萃香の外側へ、フランは回り込む。

 そして、緋色の剣閃が鬼を過る。

 

 萃香の腕に刻まれた裂傷。

 驚愕に染まる顔。

 振り返る、だが、あまりにも遅すぎた。

 空へ舞うレーヴァテイン。そして、脚を振り上げるフラン。

 

 脇腹へ、爪先を叩き込む。

 腹部へと、思い切り踵を打ち込む。

 飛び上がり、全力で膝を萃香の顎へと。

 ほんの一瞬の隙さえも与えない。

 これが、フランに残された最後の攻撃。

 

 レーヴァテインが、空から落ちてくる。

 体が衝撃に耐えきれず、萃香は吐血する。

 そして、フランは飛び上がる。

 

 ──レーヴァテインの矛先が萃香に向いたその刹那。

 フランは思い切り、レーヴァテインを蹴り飛ばした。

 向かうは、鬼の体へと──

 

 

 

 

 

 

 

『…………はは』

 

 一人、吸血鬼は笑う。

 

「……」

 

 一人、氷精は呆然する。

 

 地下室の、真ん中で。

 胸に穴を空けられ、内臓を抉られた二本角の鬼は、膝を付いた状態で喪心した。

 四天王が、最後の光が、消えた。

 

『……私の、勝ち……私の勝ちだ……私が勝ったんだ!!』

 

 鬼を見下し笑う吸血鬼を、氷精はただ傍観する事しか出来ない。

 受け止められなかった、この事実を。

 

 

 ──彼女の世界が、終わろうとしている。

 

 

『……喉、乾いたなぁ』

 

 重い足取りで、フランは歩き出した。

 向かう先は、食料である聖真の姿。

 彼は未だ、目覚めていない。

 

 ──待って!

 お願いだから、待って!

 叫んでも、彼女は待つ筈がない。

 

 氷精は、走った。

 砕けた膝を引き摺りながら、全力で。

 そして、吸血鬼を追い抜き、聖真の元へと転がる。

 

「……」

 

『……邪魔』

 

「……お願いします」

 

 氷精は、プライドを捨てた。

 

「あたいは何でもするから……皆には手を出さないで」

 

 何をしても、何があっても。

 世界を、終わらせたく無かった。

 その為なら本当に、何をしても良かった。

 

「お願い、します」

 

『…………』

 

 一時の沈黙、そして吸血鬼は言う。

 

『……帰っていいよ』

 

「……え?」

 

『だから、アンタは帰っていいよ。もう面倒だし』

 

 違う、そうじゃないのに。

 

「私は……皆を……」

 

『私は今喉が乾いたの、もう疲れたの。後十秒だけ待って上げるから、それまでにそこから退いて。そうすれば見逃してあげるって言ってるのよ。じゃなきゃ……』

 

 眼光が、鋭く光る。

 

『殺スよ』

 

 全身を、恐怖が包み込む。

 早くここから退ければ、あたいは助かる。この恐怖から解放される。

 もう、こんな想いをしなくて済むんだ。

 早く帰ろう、帰って……帰って…………

 

 

 帰って、あたいは何をするの?

 

 

 皆は、もう居ない。

 あたいは、独りぼっち。

 そんな世界で、本当に良いの?

 

 

 嫌に、決まってる。

 

 

 取り戻したい。

 独りになんて、なりたくない。

 あたいは、皆と一緒に帰りたい!!

 

 氷精は、必死に脚を引き摺る。

 聖真から離れて、何処か別の場所へと。

 その姿を無心に眺めていた吸血鬼は、ある事に気が付いた。

 

 逃げ出した、そう思った。

 けれど違う。氷精の向かう先に、この人間が落とした刀が。

 

 本当に、最後の抵抗。

 自分の力では手も足も出ない。

 だから、彼女は借りたかった。聖真の力を、想いを。

 

 吸血鬼は青年を置き、ゆっくりと氷精へと迫る。

 刀なんか持たせても構わない。どうせ、役になど立たないのだから。

 ただ、抵抗する事を選んだには、始末するだけ。

 

 氷精の手が、刀へと届く。

 

 ──せーま。

 あたいに、勇気を分けて。

 

 恐怖に耐えきれなくなったのか。

 はたまた、吸血鬼に壊されたのか。

 氷精は、意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、誰も居なくなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 氷精は、知らなかった。

 彼女の世界が、まだ終わってなどいない事を。

 花はまだ、咲いてすらいない。


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