忘却の忘れ傘 ~a lonely quicksilver 作:エノコノトラバサミ
──俺は、本当に馬鹿なんだと思う。
視界に、泣いている彼女の姿が見えた。そして俺は、無意識に刀を取っていた。
体中がぐちゃぐちゃになってしまった様に痛むのに、目を開けているのがやっとなのに、それでも俺の体は立ち上がろうとしている。
根っからのお人好し、なのだろうか?
現代で暮らしていた頃はこんな事、想像もつかなかった。目の前で死にかけている人が居たとしても、きっと見て見ぬふりをするんだろうな、そう思っていた。
自分の命を掛けてまで他人を守る、そんな事、空想的な話だ、と。
不思議に思われるだろうな。
目の前にいる相手は自分とは桁が違い過ぎる。例えどんな奇跡が起きようと、絶対に勝てる訳無いのに。「どうせ皆死んじゃうんなら、そんな事しても無駄だよ」なんて言われれば、反論は出来ない。
けれど良いんだ。それで良いんだ。
結果が同じだとしても、俺は過程を大切にする。
馬鹿と言われても構わない、自覚しているのだから。
だが、ただ一つだけ。これだけは、絶対に譲れない。どれだけ笑われようと、貶されようと、これだけは。
──自分に、正直に生きていくんだ。
俺が小傘に会いたいと思ったから、この世界に来た。
俺が妖精達を救いたいと思ったから、紅魔館に来た。
そして、俺が彼女を助けたいと思ったから、俺は立った。
何度も付き合わせて悪かった、楼観剣。
あんたには何度も助けられた。あんたのお陰で、俺は力を得た。
最後にもう一度だけ、お願いします。多分、一生のお願いになると思う。
──最後にもう一度、刀を振る力を──
暗き闇に射す、一筋の煌めき。
その白髪が揺れ動いた時、少女は確かに光を見た。
「……せー、ま?」
そして、青年の体は変わっていく。
胸元から浮かび上がる、白く浮いた謎の物体。半透明でふわふわと彼の回りを飛ぶそれは、紛れもなく霊そのもの。
そして、それは彼の変化を明らかにするもの。
白髪、半霊。
紛うこと無き、魂魄の証。
『……おかしいな、どうして血が流れてるんだろ……』
金髪の少女は、後ろへと振り返る。
「……フランドール・スカーレット」
『あら? 私、自己紹介したっけ?』
「あんた、何がしたいんだ?」
『どうしてそんな事聞くの?』
「……何となくだ」
『……仕方ないわね、それじゃ私も何となく答えてあげる』
少女は少々考える素振りを見せた後、思い浮かんだ様に答える。
『──幻想郷を無茶苦茶にする事かな、二人で一緒に♪』
「……二人?」
『そう、二人。私と──』
そして、少女は手に持つ棒を差す。
『──レーヴァテインの二人で、ね』
刹那、少女の姿が消える。
咄嗟に上空に飛び上がり、聖真にレーヴァテインを振り下ろす。
「ィッ!!」
両手で刃を支え、レーヴァテインを受け止める。
腕に掛かる衝撃が、生半可じゃない。
肘関節が悲鳴を上げる。
『──バーカ』
フランドールは嘲う。七色の翼を羽ばたかせながら。
「あっッ!!」
急激に熱を帯びた刀身に絶えられなくなり、片手を放す。
その瞬間、レーヴァテインが聖真の懐へ──
聖真は膝を突いた。
左肩から右脇腹にかけての傷。咄嗟に後ろへと後退した為に深くは無かったが、異変が起きた。
動かない。上体が、堅い。それに……
「ぐ、ぅぅぁ……」
熱い。熱い。何だこの熱さは。
皮膚が、焼けてしまっている様だ──
「──!?」
違かった。
焼けてしまっている様、なんかじゃない。
焼けている。傷口が焼け焦げ、黒く爛れている。
『アハハハ♪ どう、熱い? 熱いでしょ? 痛くて痛くて堪らないでしょ?』
「……クソッ、クソォ!!」
立ち上がる。こんな痛みで、倒れてなんかいられない。
『活きの良い玩具……たっぷり楽しませてねぇ!!』
フランは床を蹴り、高速で迫り来る。
右へ、左へ、撹乱しながら接近し、足元から斬り上げる。
反射的に大きく左へ飛び、寸での所で避けた聖真。しかし、フランの追撃がその反射速度を越える。
立ち上がろうとした瞬間、目の前にレーヴァテインが。
(──頼む)
聖真は、目を瞑った。
自らの手に持つ、唯一のパートナーを信じて──
『……冷、たい……でも、熱い……』
聖真の首元を狩るかの様に大きく横へ振られたレーヴァテインを、彼は無駄な動き一切無く避け、更に流れる様に反撃を行った。
無駄な力の動きを省き、使用者の負担を最小限に留める。
──
聖真の、最後にして最大の武器。
『……私、また斬られたの? 嘘、私が、こんなや──!?』
錯乱し始めたフランドールに、更なる一撃。
刃が、彼女の腹部から突き出る。血にまみれながらも、刀身は雪の様に白く輝いて。
引き抜かれたと同時に、紅い液体が噴き出す。
『──うガァぁッ!!?』
振り返ると同時にレーヴァテインで薙ぎ払う。
だが、それすらも空を斬り、自らの体から吹き出る血液を視界に写す。
『……何、これ』
そして彼女は、初めて【痛み】を感じた。
『──シネ』
眼が、変わった。
紅く耀くその眼には、残虐の念しか残ってはいない。
『ヤケロ、チギレロ、サケロォ!!』
力任せに振られるレーヴァテイン。
そして、それを完全反撃にて往なす聖真。
フランドールの体に斬傷が増えるにも関わらず、勢いは増していく。
『ツブレロ、クダケロ、コワレロォォ!!!』
「──うッ……」
斬っても、斬っても、斬っても斬っても斬っても。
フランドールはひたすら前へと進む。
何だコイツは、どうして倒れない……
聖真に負の念が僅かに過った、その瞬間だった。
『──アハ』
「しまッ!?」
大きな金属音が部屋に鳴り響く。
楼観剣が、大きく後ろへと弾かれた。
力の差が大きすぎて、即座に手が戻せない──
『──キレチャエ♪』
そして、レーヴァテインは青年の体を抉る。
「アア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァァァァァァッ!?!?」
絶叫。聖真の右肩が、深く焼ける。骨に達する部分まで。
同時に、刀をも落とす。
「グ、ヴうぁぁッ……」
執念だった。落としてすぐ、左手で聖真は刀を拾い上げ──
『キュッとして──』
──る暇など、彼女は与えなかった。
『──グシャってね♪』
嫌な音がした。間違いなく、骨が砕けた音だった。
「あ……嘘、だろ……ぐ、あぁぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛!!」
チルノと全く同じだった。膝が、突如黒く染まる。自らの血液によって。
『ふぅ、やっとスッキリしたわ♪』
初めから、遊ばれていた。
フランドールにはこれがあった。あらゆる物を破壊する力、これさえ使えば、聖真など何時でも仕留められた。
彼女が剣で勝負したのなど、単なる暇潰しでしか無かった。暇潰しが少々派手になっただけなのだ。
『運動したら、少しお腹が空いたわ。ちょっと血も流し過ぎちゃったし』
フランドールが迫り来る中、聖真はチルノの方を見た。
彼女は必死に扉の方へと向かっていた。だが、その速度は余りにも遅すぎた。それに、部屋から出られても、その脚では逃げ切れない事位は解っていた。
俺は、もう終わりだ。
これ以上、奇跡が起きる事も、力が覚醒する事も、無いだろう。
次に目を開くその時、俺は何を見ているだろうか?
皆の顔か……それとも、三途の川か。
我が儘は言わない……けれど、俺に出来る事を、最後に一つだけ。
自分の力で出来る事を──
フランドールに顎を捕まれ、体を持ち上がられる。
抵抗する力も気力も、最早残されてはいなかった。
──楼観剣に、彼女への想いを。
『それじゃ、頂きます♪』
そして青年は、吸血鬼に血液を吸われ、意識を失った。
彼がこの場で目覚める事は、もう無かった。
彼女は、初めからずっと見ていた。
加能聖真が二人の魔女相手に刃を振るっていた所も、ずっと。
今泉影狼は、見ていた。
全て演技だった。
彼女の目的は、久方ぶりに人間を喰らう事。
酒を盗もうとして捕まったのも、聖真に良いように使われたのも、全ては彼を喰らう為だった。
だが、彼女に計算の違いと心境の変化があったのは、捕まってすぐの事。
知らなかった。まさか、あの時鬼が同行していたなんて。
泥棒をして捕まり、命乞いして僕になった後、油断している隙を突いて喰らう。相手は外来人、妖怪の驚異を知らないからこそ、上手く行くと踏んだ。
しかし、捕まって何故か、彼女は歓迎された。酒まで飲み交わし、枷も拘束も何もしないまま、付いてきていいと言われたのだ。
好都合、初めはそう思っていた。
だが、彼に付き従う内に、彼の持つ想いを知った。
ただ一人の少女を追い求めて。今の幻想郷がどうなっているのかを知った上で、尚更。
自分はどうだ?
人を騙して、そんな気高い覚悟を持った彼を喰らって、それで良いのか?
妖怪にあるまじき思考が、彼女を揺らした。
気が付けば、彼女の目的は彼を喰らう事ではなく、彼を観察する事へと変わっていた。
聖真とチルノが霧の湖で居なくなった時、影狼は実は真っ先に紅魔館へ向かっていた。
臭いだ。臭いで聖真達が何処に行っていたのか、解っていた。話には出なかったので、他の皆は影狼の鼻が効く事を失念していた。
そうして影狼は、図書館での戦いを影から見ていた。
気配を消して、一人ずっと。
怖かったのだ。二人の魔女の力は明らかに強かった。聖真とチルノが追い詰められても、助けに行く勇気がなかった。妖怪は妖精と違い、殺されれば死ぬのだから。
だが、その想いは妖夢の姿を見て、変わった。
二人の魔女にたった一人で挑む、その覚悟。護りたいと思うその強い意思に、彼女は変わった。
──私にも、何か出来る事は。
そして、彼女は図書館から、そして紅魔館から飛び出した。
自分に出来る事を果たしに──
『──ったく、使えねぇ奴だぜ』
図書館に立つ、一人の影。
箒に三角帽子、そしてウェーブの掛かった長い金髪。
『アリスもパチュリーも、いつの間にそんな弱くなったんだ?』
そう。輝針城異変で行方不明になった筈の一人、霧雨魔理沙。
彼女はどうしてここに居るのか?
そして、彼女はどうして妖夢と同時に、パチュリーにまでも止めを刺したのか?
それを知るのは彼女本人のみ。
『さて、と。どうせフランがヤってる事だし、私はコイツを連れて退さ──』
魔理沙が妖夢を抱え様とした。
だが、その手は直前にて、止まる。
「……妖夢に触るな」
『……おーおー、そんなに
彼女は、生まれて初めて、他人の為に牙を剥く。
その胸に、大きな勇気を抱いて。
「せーま……せーまぁ…………」
彼は答えない。
「目を開けて……せーまぁぁ!!」
彼の目は、開かない。
白髪が、黒く戻っていく。
「──離せ! せーまを離せぇ!!!」
地面を這いずりながらも、氷精は必死に氷を撃ち続ける。
だが、それが吸血鬼の何処に当たろうとも、彼女は微動だにしない。
ひたすらに、彼の血を吸い続ける。
彼の体が、徐々に細くなっていく。
「……せーまを、離せ…………」
とうとう、氷精は力尽きる。
「う、うッ……ごめんなさい……あたいが、もっと強かったら…………」
どうする事も出来なかった。
変える事なんて出来なかった。
皆で楽しく笑い合えた日々は、もう戻って来ないのか。
「誰か……せーまをた──!?」
感じる。何か、大きな気配を。
こちらへと近付いてくる。
「……そん、な……」
終わった。本当に、終わった。
視界が絶望に染まり掛けた、だが──
扉が、豪快に蹴破られる。
「──こりゃ、酷い有り様だねぇ」
氷精は、顔を上げた。
「ちょいとそこのお嬢ちゃん、私ゃそいつに恩があるんでね。離して貰えないかい?」
『…………』
吸血鬼は、ただ話し相手を睨み付ける。
『……邪魔するな』
そして、青年の体を離した。
「悪かったねぇ……まあそれでも、やる事は変わらんけれど」
光は、まだ消えない──
「あんたにゃ、キツいお仕置きが必要だ……」
萃まる夢、幻、そして百鬼夜行。
──伊吹萃香、見参。