忘却の忘れ傘 ~a lonely quicksilver   作:エノコノトラバサミ

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※一部削除、及び改稿しました。


二十一話 継承

 目に写るは、あの頃の我が家。

 薄くぼやけているが、目の前に確かに彼女がいた。

 

「……小傘」

 

 名前を呼ぶと、彼女は笑う。あの頃と、全く変わらぬ笑顔を。

 

「あ、あ……」

 

 手を出して触れると、確かに感じる。彼女の肌の暖かさを。

 そのまま彼女を引き寄せて、強く抱き締めた。

 もう、離したくない。

 

「……」

 

 ずっと、一緒に──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──ま……」

 

 ……

 

「せぇまぁ!!」

 

「ッ!?」

 

 聞き覚えのある大声で、俺の意識は覚醒した。

 朧だった我が家は消え、別の景色に切り替わる。紛れもない、現実に。

 

「良かった、せーま……」

 

「チル、ノ……」

 

 気が付けば、俺はチルノに優しく抱き抱えられていた。

 服がボロボロで、体中傷だらけの彼女に。

 

「俺、どうし、て……」

 

 胸が痛み、はっきりと話せない。

 

「……ここから出よう、せーま」

 

 それだけ言うと、チルノは俺の体を必死に持ち上げる。

 

 どう、なっているんだ?

 てっきり俺は死んだと思っていたのに。

 彼女も、もう助からないと思っていたのに。

 魔法使い二人はどうなった?

 妖精達はどうなった?

 聞きたくても、やはり声が出ない。

 それにどうして彼女は何も話さないんだろう?

 状況が、知りたい。

 

「ぁっ…………」

 

 彼女が俺の体と楼観剣を持ち上げ、背中におぶった時、初めて俺は状況が把握出来た。

 未だはっきりとは見えない視界。黒く靄が掛かっている中で見た三人の人影。

 

 一人は紫髪の魔法使い。こちらを向いて、魔道書を構えている。

 一人は金髪の人形使い。数体の人形を従え、今にも攻撃を仕掛けようとしている。

 そして、一人は……

 

「……」

 

 蒼く輝く二本の刀を握り、こちらに背を向ける白髪の少女。

 

「……ょう、む?」

 

 間違いない。あの後ろ姿、確実に妖夢だ。

 でも、どうして今……

 

「……よーむなら大丈夫」

 

 チルノは言った。非常に力強く。何か確信めいたものを含んでいるかの様で。

 

「……」

 

 そのまま、俺は彼女に背負われて図書館を出た。

 去り際、後ろを振り返って見たのは、あまりにも大きな背中をした妖夢の姿だった。

 

 

 

 

 

 初めに異変に気が付いたのは、とある一匹の妖精だった。

 チルノと聖真の二人が、何処にも居ない。二人の行方を探す為に、皆は三つに別れて二人の捜索を始めた。

 湖を中心にして森の西側を捜索する班、森の東側を捜索する班、そして永遠亭への道を捜索する班に別れて。

 誰も紅魔館には行かなかった。いや、正しくは行けなかった。当たり前だ、どんな危険が待っているか解らないのに容易に踏み込める筈もなく、万が一二人がその選択をしていた場合、希望はほぼ皆無と無意識に判断してしまっていた。だから、選択に入れたく無かったのだ。

 

 森の東側を一日近く捜索していた妖夢。だが、二人の姿は何処にも居ない。彼女は拭いきれなかった、二人が紅魔館へ向かった可能性を。

 出来る事なら今にも向かいたい。だが、武器を持っていない今の妖夢には自信があまりにも無かった。素手の状態で吸血鬼と対峙した場合、確実に負けると考えていた。

 

 彼女が考えた結論が、他の誰かを待つ事。特に森の西側を捜索している萃香と遭遇出来れば非常に心強い。紅魔館の前で待って、萃香と共に中へ入ろうと妖夢は決めた。

 

 だが、紅魔館の門の前で立っていた妖夢の耳に、僅かに声が聞こえたのだ。

 

「……ゥ……ァ…………ぁ…………」

 

 非常に小さな声だったが、確かに聞こえた。男が全力で叫んでいる声が。そして、その声の主を妖夢は十分に知っていた。

 

 ──二人が中にいる!

 

 もう待っては居られなかった。思い切り門を蹴破ると、全力疾走で紅魔館の中へ入って行った。

 二人を助けたい。それだけの為に。

 

 

 

 

 

 本当に、間一髪だった。

 妖夢が大図書館の扉を開けた時、二人共床に伏せていた。チルノはアリスに拘束され、聖真はパチュリーに殺されかけている。

 状況を察する暇もなく体が動いた。チルノの元へ脚を踏み出しながら、半霊をパチュリーの元へ飛ばす。妖夢がアリスを蹴り飛ばすのと半霊がパチュリーに体当りするのはほぼ同時だった。

 

「よーむ!?」

 

「チルノ、氷で刀を二本作って下さい!!」

 

「え、う、うん」

 

 チルノが氷で刀を作ると、妖夢は彼女に巻き付けられた糸をそれで斬った。

 自由になったチルノを、聖真の元へ運ぶ妖夢。

 

「よーむ、どうし──」

 

「話は後、今は二人でここから脱出して下さい」

 

「でも、アイツ等が……」

 

 体勢を立て直す二人の魔法使い。今にも攻撃を仕掛けようと睨み付けて来る。

 

「大丈夫です、私に任せて下さい」

 

「でも、一人じゃ……」

 

「チルノ、貴方は聖真さんを守ってあげて下さい」

 

「……やだ」

 

「チルノ」

 

 チルノと妖夢の眼が合う。

 

「心配しないで下さい」

 

 そして、妖夢はゆっくりと振り返った。

 

「私は強いですから」

 

 

 

 

 

 ずっと我慢していた、内に秘めた憤りを。

 二人の魔女に囲まれたこの状況、普通なら大きな危機感を覚えるだろう。妖夢はこの二人を簡単にあしらえる程強い訳では無いのだから。

 

 だが、何故か今はそれを感じなかった。

 相手は二人で、しかも同時に自分を殺そうとしているかも知れないのに、恐怖やそれに似た感情を全く感じなかった。それどころか、何故か勝利の予感までも、妖夢に走っていた。

 

「……ふふ」

 

 笑う。このおかしな状況に。

 決して状態が良い訳でもなく、いつもの刀も無く、更には二人同時に相手をするのに、それを楽しみと思ってしまう。

 自分の感情がおかしくなっているのだろうと、妖夢は思った。事実、彼女の笑顔は過剰な怒りが行き場を無くした結果、こうなったものなのだから。

 

 ゆっくりと刀を構える。氷の刀だが妖夢の体温が元々低い為それほど冷たくも無く、更に全く溶けない。チルノの力が、氷の理を越える事を証明していた。

 

「……ッ、折角捕まえかけたのに、逃がしちゃったじゃないの!」

 

 アリスが苛立ちを込め叫んだ。傷を追い、体力を相当消費して、尚且つ獲物を取り逃がしてしまったのだから、無理は無いだろう。

 好都合、妖夢は思った。勝負を焦る相手程操り易いものはない。

 

『…………』

 

 それに対し、パチュリーはあくまで冷静だ。ただじっとこちらを睨み付けて来る。

 作戦は決まった、簡単だ。

 

 両脇に挟む様刀を構え、横に大きく斬り払う。蒼い刀から白い斬撃が二人に向かい迸る。

 避けるのはほぼ同時。パチュリーは上に、アリスは横へと飛び込む。

 

「──!?」

 

 アリスの表情が歪む。

 自身のすぐ目の前、妖夢が迫っている。たった一瞬目を離しただけなのに、もう射程内に。

 咄嗟に後ろへと飛ぶ。しかし、それは状況を悪化させるに過ぎない。

 バランスを崩し、尻餅を付いた。立ち上がる時間は無い。

 

「待っ、イヤ──」

 

 ──殺される。

 この瞬間、アリスは初めて、迫り来る白髪の少女に死の恐怖を感じた。

 立てない。人形を出す時間もない。助けを呼ぶ余裕もない。己に巣喰いだした恐怖と戦いながら、この一瞬で彼女は幾度と思考を繰り返す。

 

 そして刀が降り下ろされた時。

 彼女は、左腕で刀を受けた。

 氷が固い物に当たる。刀を振り抜いた時、紅い液体が辺りに飛び散る。

 

「あ、うぁ、い、痛いぃ、いだいイダイイダイぃぃッ!!」

 

 アリスの左腕の斬り傷は骨まで達し、数センチ程度斬り込んでいた。

 妖夢が本気なら腕は吹き飛んでいただろう。アリスの左腕が繋がっているのは、アリスが何かしらの防御を取る事を視野に入れつつ、尚且つ僅かに力を抜いていたからである。

 アリスがこの時点で生きているのは、未だ必然。

 

「うぅ、助けてぇ、助けてよパチュリィィィ!!」

 

 必死に腕を押さえ立ち上がり、形振(なりふ)り構わず逃げ出すアリス。彼女を援護する様に、パチュリーは空中から弾幕を発射する。

 しかし、妖夢はこれらを全て冷静に往なすと、直ぐ様アリスを追う。速度は歴然、アリスが逃げ切るのは不可能だった。

 

「イヤ、来ないでよぉ!!」

 

 右腕で人形を取り出しては、そのまま投げ付ける彼女。しかし、そんな物では妖夢の脚は止まらない。それ以前に、足止めとして機能していないのだ。

 痛みと恐怖で酷く混乱している彼女に、人形を操る余裕など無い。

 

「──ッあグゥっ!?」

 

 途端、アリスの目の前に、大きな壁が迫る。

 正しくは壁ではなく床。アリスは体勢を崩し、大きく躓いたのだ。

 右脚から、血が流れ出す。

 

「……ぁ、動かなぃ……パチュリー助けて、助けてよぉぉ!!」

 

 叫ぶ。ひたすら叫ぶ。近くに仲間が居る、助けてくれる人が居るのだから。

 だが……

 

『…………』

「ねぇパチュリー、何か言ってよ、パチュリーったらぁ!!」

 

 動かない。動こうとしない。さっきまで弾幕を放ってたのに、今はもう何もしない。何もしてくれない。

 

「お願いパチュリー、私斬られちゃうよ、まだ血が出ちゃうよ……ねぇ、お願いってばぁ……」

 

 彼女に出来る事は、後ろに下がる事と、助けを懇願する事、そして祈る事。生死の境目にまで、既に彼女は追い詰められている。

 

「……ぁ」

 

 気が付けば、彼女の背中には本棚が。

 もう、後ろへは下がれない。

 

「どうして、どうして私ばっかりなの!? パチュリーは無傷じゃない! 私ばっかり痛い思いしなくちゃいけないの!? ズルいよぉ、皆ズルいよぉぉぉぉ!!!」

 

 ズルズルと脚を引き摺りながら、必死に横へと逃げ出す。

 だが、それは本当に些細な延命にしかならない。

 

「──痛ぁァッ!?」

 

 右脚の斬り傷を、妖夢が直接踏み潰す。

 この状態で引き摺って逃げるなど不可能。

 そして、妖夢はゆっくりと刀を振り上げる。

 

「い……イヤぁ、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくないッ!!」

 

 両手で氷の刀をしっかりと握り、思い切り──

 

 

 

 

 

『上海は……まだ死にたくないよぉぉぉォォッッ!!!』

 

 

 

 

 

 途端、妖夢の表情が僅かに歪んだ。

 だが、降り下ろされた刀は止まらない。そして──

 

「──がぁッ…………」

 

 響いたのは斬撃音ではなく、鈍い打撃音だった。

 

「…………」

 

 首筋への強打。アリスの体はピクリともしない。

 妖夢は自らのスカートを破ると、彼女の脚の傷を止血した。これで少なくとも失血死する事は無いだろう。

 そして、今度は振り返り空を見上げる。

 

 殺す気なんて、妖夢には始めから無かった。ただ、鬼気迫る妖夢の気配を感じたアリスが勝手に勘違いしただけである。

 それに、アリスが気を失う前の一言。あれは、彼女も被害者である歴然たる証拠。

 

 かつて妖夢が楼観剣に支配された様に、彼女もまた『上海人形』に支配されただけなのだ。

 

 二体一だった筈の状況が、あっと言う間に一対一に。

 残るは七曜の魔女、パチュリー・ノーレッジ。アリスを見捨ててまで体力の回復に専念するからには、一人でも勝つ自信があるのだろう。

 

 事実、傷を追っていたアリスとは違い、それ以上に彼女は強い。この異変が起きる前とは全く比べ物にならない程。

 だが、決して勝てない訳ではない。魔法使いと剣士、勝負の結果を大きく左右するのは紛れもなく【間合い】を制した者。

 

 刀を片方捨て、一刀流へ。

 左の腰に刀を仕舞う様に深く構え、居合いの体勢になる。

 この技を初めて使ったのは永夜異変だった。幽々子様と共に異変解決の為に戦っている時、自身の切り札として使ったスペルカード。

 

 

 ──待宵反射衛星斬

 

 

 護りたかった、その思い、私が引き継ぐ。


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