忘却の忘れ傘 ~a lonely quicksilver   作:エノコノトラバサミ

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二十話 手を伸ばして──

 未だに、あの時の事は鮮明に思い出せる。

 刀が突き刺さった状態での救出。一生分に味わう痛みを濃縮して正面から受け止めた気分。一言で表すなら、正に生き地獄。

 本当は、封じておきたかった。成功するかも分からないのに、あの苦しみを再び味わうなんて考えたくも無かった。

 けれどもう、俺に道はない。

 そして、どうしても負けられない理由がある。

 俺だけじゃない。チルノを含めた、数多くの妖精達の為に、俺達は倒れる訳にはいかないんだ。

 

 ありったけの力を込めて地面を蹴る。後の事など何一つ考えてはいない全力疾走。ほんの一瞬でも速く、あの紫の魔女に手が届くまで。

 

『──鬱陶しいッ!』

 

 叫び声。そして、早口な暗唱。

 パチュリーを中心に嫌な力が集まってくる。

 俺の中で僅かに生まれた恐怖が、足を重くする。

 一体、何を──

 

「──せーま、下ぁ!!」

 

「ッ!?」

 

 床を見る。足元が、光り輝いている。

 考えてる暇はない。限界まで体を伸ばし、上体を回転させる。

 刹那、天へと突き出す光の柱が靴を擦った。

 なんつう魔法だ、これじゃ──

 

「──しまッ!?」

 

 着地点が、光っている。不味い、このままじゃ避けられない。

 体を、光が撃ち抜いて──

 

 勝手に、右腕が動いた。

 着地寸前の体を右腕一本で支え、そのままスプリングの様に体を跳ね上げさせる。背中に強烈な圧力を感じると同時に、右腕の肘関節に痛みが走る。

 けど、何とか助かっ……

 

「逃げてせーまァ!!」

 

 叫び声を聞いて、我に帰る。何を安心してんだ、俺は!

 足元に光が灯る。地面から突き出るレーザーは、俺を中心にその付近まで吹き出している。このままでは、いずれ避けられなくなる。

 

「チルノ、手伝ってくッ!?」

 

 突破口を閃いた。チルノの助力を求めた。

 だが、彼女は俺の声など聞く余裕は無かった。

 囲まれている、チルノが人形達に。

 数はおよそ六体。六体全員が太い槍と大きな盾を構えている。正しく、王を護る騎士の様に。

 対するチルノは、氷の力で身の丈程ある大剣を生み出す。襲い掛かる人形達の槍撃を大剣の刀身で必死に受け流しているが、全く反撃出来ていない。あの様子では後々必ず傷を負う。

 

 踏み出した瞬間に僅かに足首の痛みを感じた。それに構う暇などない。

 彼女を救い出す。俺とチルノ、今は二人揃っていなければいけない。どちからを失えば、絶対に好機など訪れはしない。

 

「うおォォォォアアアアアアァァァァァァァッ!!!」

 

 光の柱を避ける時間はない。その範囲よりも速く、俺が走れば済む話だ。限界を越えて、もっともっと速く!

 

「邪魔だぁァァ!!」

 

 一体、人形を背後から切り裂く。強く体を支え過ぎて、太股が悲鳴を上げている。皮膚の感覚など、汗でもうほとんど分からない。

 そのまま二体、三体と自ら楼観剣で切り裂く。襲い掛かる二体を自動反撃で防ぎ斬り、最後の一体はチルノが大剣で叩き落とした。

 

「せーま!?」

 

「くぅッッ……」

 

 痛い。疲労を超して、苦痛に変わってきた。

 自力で動けるのも、もう少しが限界だ。防御なんかにこれ以上回ってはいけない。力が尽きるまで、せめてどちらか片方だけでも……

 

「危ないィッ!!」

 

 叫ぶチルノ、そして俺の体を思い切り押し倒す。

 天井に向いた俺の目の前に、紅い弾が幾つも流れた。激しく燃え盛る熔岩の様な綺麗な色をして。

 

「……あ、りがと……」

 

「せーま、体中が熱い……」

 

「……聞いてくれ」

 

 立ち上がりながら、俺は彼女の耳元で呟いた。

 

「方法は何でもいい、俺をアイツに向かって吹っ飛ばしてくれ……」

 

「そんなことしたら……」

 

「……頼む」

 

 分かってる。失敗すれば当然、成功しても無事では済まないかもしれない。

 けれどもう、俺にはこれしか無いんだ……

 

 周りを見渡す。

 図書館側からは、スカートを切断し腰に巻いて止血した人形使いが、数体の人形を従えて近付いてくる。

 出口側には、宙に浮いた紫の魔女が今にも魔法を唱えようと身構えている。

 後門の人形、前門の魔法。どちらに進んでも困難が待ち受けるならば、ひたすらに前に進むのみ!

 

「行くよせーまァ!!」

 

「頼むッ!!」

 

 すぐ近くに出来た氷の足場。宙に浮くその足場に俺は飛び乗り、固定の為に刀を射し込む。

 

「逃がさないわ!」

 

 人形使いが叫び、その背後から人形達が飛び出してくる。

 十、二十……ダメだ、数えきれない。その人形達がアリスを中心に広く陣形を組み立てていく。俺とチルノを中心に捉える様に。

 

「蜂の巣にしてやるわ!!」

 

 強烈な魔力が、人形達其々へと溜め込まれていくのを感じる。決着を付ける気だ。

 あんなのを撃ち込まれたら、一溜まりもない!

 

「チルノ、後ろが危な──」

 

「──スペルカード!!」

 

 聞いてない……いや違う、初めから分かってるんだ。

 防御しない気だ、後ろから襲い掛かる射撃を。

 

「……ッ!」

 

 チルノと眼が合った。

 俺を強く見つめていた、その眼と。

 今なら、彼女の声がはっきりと聞こえる。

 

 ──せーまだけが、頼りなんだ。

 

 力が無い事の悔しさは、痛い程に解っている。

 どれだけ手を伸ばしても、届かないものもある。

 あの時の俺の様に、今のチルノも悟ったんだ。

 今、どれだけ足掻いても、抗っても、変えられない運命がある事を。

 

「アルティメット──」

 

 足場がゆっくりと浮かび、前方に傾く。

 これまで感じた事の無い冷気が、チルノから溢れ出す。何の躊躇いも無く、全力で俺を放つつもりだ。

 

 今の俺に力があるのは、妖夢や永琳さんに萃香、そしてチルノが居てくれたからだ。

 彼女達皆が俺に力を貸してくれた。俺を救ってくれた。だからこそ、俺も皆に力を貸さなくてはいけない。皆に、希望を見せなくてはいけない。

 

 ──狂ったこの世界で、もう二度と悲劇を起こさない為に。

 

「発射ァ!!」

「──ブリザァァァァドォォッ!!!」

 

 放たれた剛風。凄まじい寒気。紫の魔女目掛けて、足場が吹き飛ばされる。

 途端、後ろから聞こえた衝撃音。俺は絶対に振り返りはしない。

 

『させないわ』

 

 開かれた魔道書。唱えられた呪文。突然目の前に現れた、翡翠色の壁。

 このままぶつかれば俺の体は砕け散るだろう。魔女が何かしら仕掛けてくる事位、予想はしていた。

 

 足場から刀を抜く。

 何だろう、不安感が微塵も感じない。

 今の俺ならば、こんな壁越えていける。根拠の無い、けれど確かな自信が体の奥底から湧き出てくる。

 

 上から突き刺す様に刀を構える。

 体に残る俺の力、霊力を刀にありったけ込める。

 イメージは突き刺すのではなく、突き崩す。刺した瞬間に力を分散させ、中から壁を脆くする。

 成功するか、そんな事考える時間はない。

 ただ目の前の壁に、刀を振り降ろすだけッ!!

 

 

 

 

 何かが砕け散る音が、図書館に轟いた。

 

 

 

 

 気が付けば、俺は足場から離れ宙に投げ出されていた。

 僅かに後ろを振り返る。

 

 翡翠の壁に、人一人通れる穴が出来ていた。

 辺りに散らばる氷の残骸。

 越えたんだ、俺はこの壁を。

 

 紫の魔女が、すぐ目の前にいる。

 だが、体が少しずつ地面に近付いていく。

 手を伸ばすんだ。今だけは、掴み損ねたくない!

 あの魔道書を──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分が生きているこの世界が、もしかしたら誰かが作り出した戯れの世界だとしたら。

 そんな事を思った事は無いだろうか?

 

 皆がアニメやゲーム、漫画を見て架空の世界を満喫する様に、他人に見られる為に作られた世界だとしたら。

 少なくとも、俺は一度考えた事はあった。

 

 バトル物なのか、サスペンス物なのか、ホラー物なのか、はたまたギャグ、恋愛、日常……

 自分のいる世界を分類分けするとしたら、一体何処に入るのだろう?

 

 そして、主人公がいて、ヒロインがいて。

 世界中、億を越える人々がいる中で、誰が主役なんだろう?

 

 想像するだけ無駄な事は分かっていた。

 結論からすれば、自分自身が主人公なのは当然なのだから。

 他人を主人公と見て尽くす人なんて、この世には恐らくいない。

 

 けど、もしも。

 もしもこの世界が本当にその様な世界だとしたら。

 

 俺は、きっと単なる脇役に過ぎないのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どれだけ手を伸ばしても届かない。

 半ば割れた本棚に凭れ、必死に手を伸ばしても、もう。

 力はもう入らない、楼観剣を握る力さえも。

 

「──う゛グッ!!」

 

 激しい嘔吐感。吐き出したのは、自らの血液。

 息がほとんど出来ない。大きく口を開いて目一杯息を吸っても、肺の中に入る感覚がない。

 

 暗く、ぼやける視界の奥にみえる、水色の髪をした少女。

 伸ばされた右手は、届く事は無い。

 

「……ッ……ぁ……」

 

 声が出ない。

 自動反撃が咄嗟に作用して頭部への強打は避けられたが、あまりに強く胸部を打ち過ぎた。

 肺が、ほとんど機能していない。肋骨も無事では無い。

 

「……チ…………ォ……」

 

 結局、全てが無駄だった。

 負けられない戦いだったのに。

 俺は……誰も救えなかった。

 

『残念ね』

 

 目の前で、魔女が手を翳す。

 放たれた魔法の弾を防ぐ術は、無い。

 

「──ガぁッ!!」

 

 全身に伝わる衝撃が、俺の意識を深く削り取る。

 瞼が重い。体中が痛い。今すぐ眼を瞑って、楽になりたい。

 けれど、そうしたら本当に全てが終わる、今度こそ。

 

「──ヴぅッ!?」

 

 撃たれる度に、視界が暗くなっていく。

 小傘に会いたかった。

 最後にもう一度だけでも、名前を呼んで欲しかった。

 けれど、これから母さんに会えるんだ。

 どんな話をしよう。

 短かったけど、永遠亭の皆との生活は楽しかった。

 そう言えば、皆はどうしてるのかな?

 もう、帰っちゃったのかな……

 

「──ァ゛ッ…………」

 

 あ、もうダメだ……耐えられない。

 眠い……視界が、ほぼ真っ暗だ……

 

「──ッ……………………」

 

 あ……なん、か……いたくなくなっ、て……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女達を救う為に抗った一人の青年は、大図書館にて力尽きた。

 一人残された氷精には、最早絶望しかない。

 傷だらけの体。尽きかけた魔力。皆を救う手立ては、もう無い。

 

「やっと、捕まえた……」

 

 体を糸で巻き付けられる。

 人形にされてしまう。

 けれどもう、抗う気は起きない。

 どうせ無駄なのだから。

 

 

 

 終わりかけた物語。

 今にも閉じられる幕。

 光が消える、その間際。

 

 

 

 ──運命が、再び回り始める。


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