忘却の忘れ傘 ~a lonely quicksilver 作:エノコノトラバサミ
布団から体を起こす。家の中にも関わらず、寒さで身震いを起こす。カーテンを開けて朝陽を浴びても、温かくなっている気がしない。
今日はクリスマス。キリスト教の信者でもないのにクリスマスを祝うなんて理解出来ないと、俺は心の中で愚痴を吐いた。単に目的が無くてひがんでいるのではない、決して。
それに、そんなことよりも大切な事がある。
「おはようございます、ご主人様」
「……おはよう」
いる。見える。聞こえる。
つい昨日まで時折声が聞こえるだけの存在だったあの幽霊が、確かに今俺には見えて、そして会話もしている。
「……多々良小傘、だったっけ」
「覚えていてくれたのですね」
小傘はニコッと微笑んだ。その姿はどうも幽霊には見えない。少し変わった少女だ。水色の髪に眼の色が左右で赤と青と違うのは何なのだろうか。幽霊だからだろうか。それも気になるが、俺には先に聞くことが山ほどある。幸い、今日は学校は休み。というよりあっても休む予定でいた。
「……なあ、お前はどうしてうちに居るんだ?」
始めに聞いたのは小傘に関してだった。
「ご主人様が拾ってくれたからじゃないですか」
「俺が拾った?」
無論、道端に落ちていた幽霊を拾った記憶など一切ない。
そう、俺の記憶の中で何かを拾ったのは、あの三ヶ月前の傘だけ。
小傘は、傘に憑いていたのか。
「……憑喪神」
俺は過去に聞いたその言葉を思い出した。
大昔に作られた道具が何らかの理由で力と自我を宿し、自ずと行動し始める妖怪。詳しくは分からないが、もし小傘が憑喪神なら──
「はい、私は唐傘の憑喪神。ご主人様を雨風から守るのが私の使命です」
やはりそうだった。しかし、憑喪神と聞いて俺がイメージしたのは、食器やらに手足が付いたあの姿。
小傘と比較しても全くの違いだ。ああいうものは参考にならないのだろうか?
「なら、どうして今になって小傘が見える様になったんだ?」
「それは恐らく、私の近くに居続けたせいで、少々霊力が移った事と、雪女の霊力を自然に吸収してしまったからだと思います」
「……霊、力?」
そんな漫画の話みたいな力が、実在するのか?
「霊力は、私達の力の源。妖怪や幽霊の類いがこの世界で実体化するには、霊力が必要になるのです」
小傘は続ける。
「今、この世界では、私達の存在は人々には認知されておりません。ご主人様だって昔は『幽霊なんていない、妖怪なんて存在しない』と思っていた事でしょう」
「あぁ、確かに」
「その認識こそが、私達を弱体化させる『毒』なのです」
「どういう事だ?」
「妖怪は存在します。幽霊も存在します。ですが、それに遭遇した人間は目の前の現象より自らの概念を優先させようとします。幽霊の出現を幻覚と認識し、妖怪の出現を科学という呈のいい理由ででっち上げ、更には自然とそれらを避けてしまうのです。結果、人々に認識されなくなってきた我々の力は、衰えるばかりです」
確かに今の時代、幽霊や妖怪が存在するなんて本気で信じていたら笑い者だ。
「じゃあ、昨日はどうして雪女が俺を殺そうとしてきたんだ?」
「……恐らく、ご主人様の体内にある霊力を欲していたのでしょう。彼女から感じられた霊力は、極々僅かなものでしたから」
今思い返せば、確かにそんな事を言っていた気がする。
「俺が一人で雪女を倒せたのも、霊力がほとんど無かったから……」
「そういう事になります」
思い返せば、彼女も生きるのに必死だったのだ。
俺は昨日雪女を倒した事を、少々悔やんだ。都合のいい事だが、もし話し合いで和解出来たかもしれないと考えると、心が締め付けられる。
「……待てよ」
俺は思い付いた。
「もし俺の中にその霊力って奴があるのなら、なんかこう……ビームみたいなのが出せたり、空を飛べたり出来ないのか?」
「不可能じゃないと思いますよ」
「マジで!?」
飛び上がり、リビングの真ん中でとあるアニメの主人公の必殺技の構えを取る。
ビームを出したり空を飛んだりする事は、幼い頃から全少年の夢であり、ロマンなのだ。今、俺は恐らく人類で初めて、本当にビームを出せる人間になろうとしている。
「ハァァぁぁぁぁぁぁ……」
深く深呼吸を繰り返し、体の中に何かが流れているイメージを作り、それを手に集中させる感覚を作る。
感じる。今彼は確かに、自分の手元に強大なパワーを感じるのだ!
「はぁァッ!!」
その力を今、解き放つ!
「……」
「……」
……と、上手い事には行かず、無意味にアニメの真似をしているだけの醜態を晒す。
「……あ、は、はは……ハァ」
この時ばかりは本気で恥ずかしかった。
小傘も何も言えなくなっている。
「……お腹空いたから、何か作るか」
そう言って、俺は冷蔵庫を開けた。中には沢山の食材が入っている。昨日放り投げた荷物を夜中に持ち帰るのには苦労した。袋に入っていたから汚れてはいないものの、卵は幾つか割れ、ケーキもぐしゃってなってしまった。しかもその後疲れてすぐに寝てしまったので、何も食べていない。
「……ケーキ、食べよ」
冷蔵庫からぐしゃぐしゃのケーキを取り出した。イチゴが生地の中に食い込んでおかしな事になっている。朝にケーキを食べるなんて初めてだ。
「……一緒に食べるか?」
小傘は首を振る。
「だって、お前もお腹……あ、もしかして食事を摂らないとか?」
「はい、私には要りません」
やはり傘だから、なのだろう。俺はテーブルの上にケーキを置いて、箱を開き、フォークを使い食べ始めた。
形はぐしゃぐしゃでも、味は落ちていない。久しぶりのスイーツに、自然と顔が綻んだ。
「…………」
ふと小傘を振り返る。まるで魂でも抜けたかの様な表情でじっとこちらを見つめている。
……地味によだれが出ているのだが。
「……ふぅ、もうお腹一杯だ~」
「……」
「時間も経っちゃってとっておくのもアレだし、捨てるのも勿体無いし、どうしようかなぁ~」
「──!?」
小傘の眼に正気が戻り、よだれが口の中に吸い込まれる。
「……あ、あの、その……」
「食うか?」
「……はい」
顔を真っ赤にしながら、俯いて返事をしている。そんなに恥ずかしがらなくてもいいのにと、俺は思った。
新しいフォークを手渡し、ケーキを一口頬ばる小傘。
「──お、美味しい! 何これ! 凄く美味しい! 私こんなの食べたの初めて!」
途端、一心不乱に食べ始める。あまりの反応に呆気に取られる程だった。
半分近く残していたケーキだったが、あっという間に無くなってしまった。
「ご主人様、ありがとうございます! 食事ってやっぱりいいですね!」
「……お前、今までどうやって生きてきたんだ?」
「基本的に霊力さえあれば生きてはいけますけど……でも、ご主人様の作った料理を食べてみたいとは思ってたんですよ! とっても美味しそうでしたし!」
「そう……」
もしかしたら、これから食費が二倍になるかもしれないと、俺は深い溜め息を吐いた。
「いただきます!」
夜、家の食卓には俺の他に、一人の少女が座っている。
別に彼女は一言も食べたいとは言っていない。だが、俺が作った料理を一時も眼を反らさずに見つめ続けている彼女は、その全身で俺に『食べたい』と訴えてる様なものだ。
断れる訳がない。
「この『チキン』って奴美味しいですね!」
クリスマスで鶏肉が安くなっていたので、買って俺が調理した物だ。照り焼き風に焼いてみたのだが、小傘の好みにヒットしたらしい。というより、多分何でも好きなのだろう。
どんどん白米が無くなっていく。米は一応三合炊いたのに、小傘が二合以上食べている。もう、俺の分は無い。
「ごちそうさまでした!」
食費、二倍どころでは済まないかもしれない。
今日一日を丸々使って、俺は小傘に様々な質問をした。これからの事に関わる大切な質問から、ほんの小さな事まで、一日中小傘と話し続けていた。その中でも俺が一番に驚いた事は、彼女は元々こことは違う別の世界に居たという事。
その世界の事は、彼女自身何故かあまり覚えていないらしい。ただ、彼女はその世界で、妖怪として人間と共に過ごしていたという。だが、彼女は何故かこの世界に飛ばされた。元々妖怪だった彼女の存在は、今や幽霊に等しい。
彼女曰く、今は食事も睡眠も無くても生きていける。霊力さえあれば生きていけるとのこと。何故かと尋ねたら、それがこの世界の幽霊のイメージだと彼女は答えた。納得出来るような、出来ない様な。
霊力についても色々と質問した。彼女によると、彼女の元居た世界にはその様な力が溢れていたが、この世界では霊力は酷く枯渇しているらしい。霊力が供給出来なくて消滅の危機に瀕している妖怪が、俺や小傘の様な霊力を持つ存在から奪おうとする。だから昨日、雪女は俺の事を襲ってきたのだ。
結果的には逆に俺が雪女の霊力を一部吸収してしまった、と小傘は言っている。もしそれが事実なら、俺はより一層、これから他の妖怪達に襲われる事になるのだろう。無論、小傘もだ。
いつか、殺されてしまうのだろうか?
妖怪なんて大量にいる。中には、眼を合わせただけで死ぬとかいう妖怪の話も聞いた事がある。
そんな妖怪達に襲われるなんて、ひとたまりもない。絶対死ぬ。そんなの、嫌に決まってる。
小傘に霊力を放出する方法を聞いた。だが、結果は不可能だった。彼女は、霊力は他の力と違って、霊的存在の源となる力。だから、その命が尽きない限り、完全には無くならないと。
逆に言えば、霊力が尽きたらその命は尽きるらしい。元々普通の人間も含めて。
そんなの理不尽だ。でも、そうなってしまったんだ。
受け入れるしか、無い。
「……聖真さん?」
小傘が横から俺の顔を覗いてきた。
ご主人様と言われるのは抵抗があったので、呼び方を変えてもらった。
「表情、暗いですよ? どうかしましたか?」
「いや……別に」
小傘は、自分も狙われてるという事を自覚しているのだろうか?
「……なあ」
「はい?」
「……お前みたいなのも、死ぬのって怖いか?」
「怖いですよ」
やけにあっさりと答える小傘。少し、拍子抜けしてしまった。
「……人間、死んだらどうなるんだ?」
「そうですね……閻魔さまに裁かれて、天国に行ったり、地獄に行ったり、生まれ変わったり……」
「……それは、この世界と同じなんだな」
俺は、死んだらどうなるんだろうか?
決して良いことをしてきたとは言えない人生だ、天国に行けるとは思えない。だが、悪いことだってしてないはず。
きっと、生まれ変われる。そう信じたい。
「大丈夫ですよ、聖真さん」
小傘が俺の手を取った。
「ご主人様は、私が守りますから」
「……そう呼ぶなって言ったろ」
「えへへ、すみません」
彼女の笑顔が、俺の心を照らした。
きっと、何とかなるさ。そんな気持ちになった。
ふと、眼が覚めた。時刻は夜の一時。そこまで寒くはない。
小傘の姿はない。恐らく、見えなくなっているか、眠っているのだろう。詳しくは知らない。
何故か眼も覚めてしまった。眠れないし、だからと言って起きていると大学で眠くなってしまう。
どうしようか悩んでいた所だった。
プルルルル、と家の電話が鳴り響く。先程も確認したが、今は夜の一時だ。こんな時間に電話など、掛けてきた相手はおかしいんじゃないか?
番号を確認する。書いていない、非通知だ。
──嫌な予感がする。だが、出ろと俺の中の何かが告げている。
「もしもし」
俺は、電話を手に取った。
『──私メリーさん、今ゴミ捨て場にいるの……』