忘却の忘れ傘 ~a lonely quicksilver 作:エノコノトラバサミ
「妖精が拐われてる?」
「……うん」
体に包帯を巻いたチルノは、居間に集まった皆に説明を始めた。
「空に変なお城が建ってしばらくしたら、魔法の森に住んでた人形使いが突然アタイ達妖精を捕まえて拐っていったの。アタイや大ちゃんはこっそり付いていって、人形使いが紅魔館に皆を連れていったって事は分かったんだけど、紅魔館には吸血鬼がいるから助けに行けないし……だから……頑張って人形使いと戦ったんだけど、負けちゃって……大ちゃんがアタイの身代わりに連れ去られて……アタイ……」
泣き出したチルノを妖夢が慰める傍ら、俺は永琳さんに質問した。
「紅魔館って、何ですか? 吸血鬼とか言ってましたけど……」
「ええ、吸血鬼が住む紅い館の事よ。魔法使いとか、時間を止めるメイドとかが居るわ」
「時間を止めるメイド?」
疑わしい。時間を止めるなんて出来るのだろうか?
いや、ここは俺の常識を越えた世界。あり得なくはないだろう。ただ、もし本当にそうなら、万が一相対したら俺に勝ち目なんて無い。まあ、あった試しが無いのだが。
「アタイ……強くなりたい……サイキョーになりたい……だから、どうやったらなれるのか教えて!!」
「…………」
彼女の問いには、誰も答えられなかった。
何となく分かってはいたのだろう。俺も、永琳さんの話を聞くだけで分かった。
吸血鬼は時間を止める奴をメイドにする位なんだから、とんでもなく強いに違いない。たとえ少女が普通よりも強いとしても、そんなの相手に彼女が勝てるなんて全く思えない。
初めから、無謀なんだ。
「ねぇ、教えてよ!!」
「無理だね」
「──!?」
それを言ったのは、萃香だった。
「時間がもっとあるなら話は別だけど、妖精がそんなすぐに吸血鬼に勝てる訳ないよ。ずっと隠れてるのが一番さ」
「……ッ……でも……」
唇を噛み、俯くチルノ。
彼女も、本当は分かっていた様だ。自分が相手に勝てないという事を。それがどれだけ惨めで悔しいのかを、俺は十分に知っている。
力に、なってやりたい。
そう思っても、俺にそんな力はない。
「俺が手伝ってやる」そう言えない自分が、悔しかった。
「おい、氷精」
またも、萃香が声をかけた。
「お前、酒か金は持ってるか?」
「アタイの家になら、お金はあるけど……」
「そっか……」
何かを考えている萃香。
「……紅魔館の吸血鬼をとっちめて、ある酒全部貰って……更に妖精を助けたお礼を貰えば……」
疚しいな、お前。
「ようし、私がお前らを助けてやる!」
「本当!?」
「ああ、鬼に二言はない!」
動機が疚しいとは言え……いや、こういう動機だからか。まさか萃香が真っ先に助けてやるなんて言うとは。
……いや、動機なんて本当は、建前に過ぎないのかもしれないな。
「……大丈夫ですかね、永琳さん」
「吸血鬼も強いけど、彼女も相当なものだからねぇ……」
確かに、俺は萃香の強さを目の当たりにしている。酒が入った絶好調の時ならば、吸血鬼相手にも勝てるかもしれない。
だが、それでも不安はある。相手が吸血鬼だけじゃないし、時間を止める奴もいる。萃香一人で大丈夫なのだろうか?
「……私も行きます」
次に言い出したのは、妖夢だった。
「やはり放ってはおけません。私も、萃香さんと一緒に行きます!」
「いいねぇ、流石サムライだよ!」
「今は刀持ってませんけどね」
二人とも、自分の信念を貫ける力を持っている。だから、相手が強大でも進んで力になれるんだ。
「……俺も……」
俺も、行きたい。力になりたい。
足手まといになるのは分かってる。誰よりも、恐らくチルノより弱い事も自覚してる。
だけど、行きたいんだ。相対するその時まで、俺は負けなくない。恐怖に勝ちたい。心だけでも、もっと強くなりたい。
「……俺も……行き、たい……」
「……どうしたんだ、震えてるぞ」
「俺も……行きたい……」
「……死ぬかもしれないんだぞ? 私も、お前も」
萃香の言葉は、俺の心を抉った。恐怖心がより一層大きくなる。
死。明確な結末。かつて俺もそうなりかけた。だから、その恐ろしさは十分過ぎる程に知っている。
「……分かってる」
それでも、俺は行きたい。止めようとしてくれた萃香には悪いが、ここでのうのうと待つ事しか出来ない、そんな奴になりたくない。
俺は変わるんだ。たとえ死ぬ可能性があろうとも、俺は変わりたい!
「……ようし、これで三人だ」
「待って下さい! 私も行きたいです!」
最後に申し出たのは影狼だ。
「どうした、犬」
「犬じゃないです、狼です! 二人が行くなら私も行きます!」
「二人って誰だよ?」
その質問の答えとして、影狼は俺と萃香の服の袖を引っ張った。
出発は、三日後になった。チルノの怪我が治るのがその辺りだからだ。それまでは、永遠亭で英気を養う。
俺が出来る事はないか考えた。だが、思い付くのはサポート的役割ばかりだ。
サポートだって大事な事は分かってる。けれど、出来れば戦いたいんだ。萃香や妖夢には劣るけど、並の相手には負けない程度には強くなりたい。今度は、胸を張って力を貸せる様になる為に。
そして、俺はある物を思い出した。
楼観剣。今まですっかり忘れていた。妖夢の持っていたあの剣、いざとなったら力を貸してくれると言ってた。その力がどれぐらいなのか、知りたい。
俺は荷物の奥底にあった楼観剣を取り出し、語りかけた。
「なあ」
──どうした?
「突然だけどさ、お前はどういう風に俺に力を貸してくれるんだ?」
──気になるか。
「ああ」
──良かろう。相手を用意してくれれば、示してやる。
「それで私を連れてきたのかい」
という訳で俺は居間でゴロゴロしてた萃香を外へ呼び出した。こういう頼み事は、酒さえくれれば引き受けてくれる萃香が一番頼みやすい。
「めんどくさいし、ちゃっちゃとかかって来な」
「分かった……」
俺はゆっくりと鞘から刀を抜く。闘う為に刀を抜くなんて、生まれて初めてだ。殺し合いじゃないが、不安が大きくなる。
刀の助力があるとしても、俺はどこまで萃香とやりあえるのか……
「──行くぞォ!!」
全力で走り、刀身を突き付ける。相手が相手なので、躊躇いは無かった。
「ハァぁッ!!」
俺の繰り出した突きを、すんなりと萃香は避けた。
そのまま縦へ横へと刀を振るうが、どれも呆気なく避けられてしまう。しかも、意外と重い。
始まって一分も経たずに体力が尽きた。剣術の心得が全くない俺には、やはり無理なのか。こんなの、普段の俺と何も変わっちゃいない。
「もう終わりかい……じゃ、今度は私から行くよォ!」
「ちょ、まっ、萃香!?」
拳を振りかぶる萃香。あんなのを受けたら、怪我じゃ済まない!
俺は遅い来る衝撃に備え目を瞑り──
「──あれ?」
刃を、萃香の首筋に当てていた。
「…………驚いたねぇ。冗談のつもりだったんだけど」
体が、勝手に動いた。萃香の拳をいなして、直前まで斬りかかった。
これが、刀の助力。俺の今の力……
「さて、どうする? 続けるかい?」
「……いや、もういい」
「そうかい、それじゃ私は戻るよ」
去り行く萃香には目もくれず、俺はただ自分の右手と楼観剣を見つめていた。
もしも、俺が完璧にこの刀の力を引き出せれば、俺はどれぐらい強くなれるのか……
考えていたのは、これだけだった。
それから三日後。
チルノの怪我は完治し、紅魔館へと出発する時が来た。
吸血鬼達との闘いはまず避けられないだろう。誰かが……いや、もしかしたら皆が死ぬか、捕らわれるかもしらない。
思うところは色々ある。俺も、チルノも、妖夢も、萃香も、影狼……には無さそうだ。
俺にとっては、今回が終着点ではない。俺の本当の目的は、小傘を見つけ出す事。だから、今死ぬ訳にはいかない。必ず生きて、ここに帰ってくる。
紅魔館までは、徒歩では一日近くかかる。だが、今回は萃香が荷物を、妖夢と影狼が俺を支えて近くの湖まで飛ぶので、掛かって数時間だ。そして紅魔館に突入するのは、明日早朝。吸血鬼の弱点である太陽が出ている限り、いざという時に逃走出来る可能性が高い。
「聖真さん」
出発直前、妖夢に声を掛けられた。
「本当に大丈夫なんですか?」
「……何が」
「……いえ、何でもありません」
彼女が聞きたい事は分かってる。その上で、敢えて惚けた。
「まあ、いざとなったら私が守りますから、安心して下さい!」
自慢する様に胸を張る妖夢。その言葉はとても頼もしい。
だけど……何だか、無理をしようとしている気がする。
「──そういえば、妖夢の主はどうなってんだ?」
「……幽々子様は、居ませんでした。白玉楼ももぬけの殻で、手掛かり一つありませんでした」
「大事なんだろ? その幽々子様って人は」
「当たり前です!! 必ず見つけ出して見せます!!」
「ああ」
そう、それでいい。お前はお前の目的を果たさなくちゃいけない。
妖夢は純粋な性格だ。俺の事を心配してくれて、気遣ってくれる。それはいい。けれど、俺を庇う事だけは決してさせてはいけない。いざとなったら俺を見捨てる位が、彼女にとって一番いいんだ。俺なんか意識させない方がいいんだ。
「おーい、あんたら何してんだ?」
萃香が呼んでいる。そろそろ時間なのだろう。
「……行こう」
「はい」
重い荷物を手に持ち、玄関へと向かう。
そこに萃香と影狼、チルノが待っていた。三人とも、外面は何も変わらない。だが心の内では、何を想っているのか。
「聖真」
直前、呼び止めたのは永琳さんだった。
「必ず帰ってくるのよ、姫様の事もあるし」
「……分かりました」
永琳さんも来ませんかと、妖夢が誘った事があった。けれど、彼女は断った。永琳さんが永遠亭から居なくなれば、この場所を狙う妖怪が必ず現れる。永遠亭が平和なのは、彼女のお陰なのだ。
帰る場所を守って貰う為にも、彼女とは行けない。
「さっさと行くよ」
「ああ」
そうして俺は、地面から足を離した。
初めての飛行体験にも、心躍る余裕などない。見つめるのは、来るべき戦いの刻──