忘却の忘れ傘 ~a lonely quicksilver 作:エノコノトラバサミ
それは、皆が寝静まってから少し経った時だった。
物凄い緊張感からの余韻がまだ抜けず、俺は眠れずにいた。そんな中、視界が非常に悪い暗闇で、俺は足音を聞いた。木の葉を踏み、ゆっくりと、確実にこちらに近付いてくる足音を。
盗賊か、それとも追っ手か、俺は耳に意識を集中させ、様子を伺う。
どうやら足音の主は、俺の荷物の方に寄っていた様だ。そのまま荷物を漁っている、泥棒なのは確定か。
無論、見過ごす訳にはいかない。だが、この世界じゃ俺より強い奴なんてゴロゴロいる。いくら不意を突けたとしても、俺一人じゃ勝てる可能性は極端に低い。
一通り考え、行動に移した。まずは萃香の元に寄り、彼女の手元から空になった酒瓶を持ち出した。そして、その瓶を掲げながらゆっくりと泥棒へと近付いていく。万が一相手が人間でも、死なずには済む程度に力を調節して──
「──喰らえッ!」
瓶の割れる音。その直後、泥棒が地面に転げ回っているのが見えた。
「皆、起きろ! 泥棒だ!」
「……ん、どろぼ……泥棒!?」
「なんだいなんだい、ったくもう……」
三人で泥棒を取り囲む。泥棒は観念した様で、頭を抱えながら大人しく下を向いていた。
泥棒の見張りを二人に任せると、焚き火を起こし、灯りを作った。泥棒の正体は、未だ俺の知らない人物だった。
「うう……ごめんなさい……」
茶髪のロングに、灰色のドレス。そして頭には犬耳。彼女もケモノっ娘なのか。
その彼女の前に、萃香が立ちはだかる。
「さて、これから尋問といこうじゃないか。どうして盗みなんてしようとしたんだい?」
「……お酒が、飲みたかったんです。ちょっと前、貴方がお酒を飲んでるのを見て、つい……」
「……」
萃香の表情が険しくなった。
「博麗の巫女に弾幕ごっこでやられてから、里に住んでる友達が竹林にめっきり来なくなって、差し入れとかも全くなくて、だからお酒もしばらく飲んでなくて……」
「……おい」
「ヒッ!? ごめんなさい、何でもしますから許して下さい!!」
萃香は俺の荷物から何かを探ると、それを彼女に差し出した。
「飲め」
それは買い貯めした酒だった。
「え……?」
「酒が好きな人に悪い奴はいないのさ、ほら」
その理論はどうかと思うが、敢えて何も言わなかった。
「あ、ありがとうございます!!」
気が付けば和解した二人を、俺と鈴仙は呆れた様な目で見ていた。
永遠亭を目指し、竹林を進む俺達。昨日までとは違い、今の俺の足取りは非常に軽やかだ。理由はそう、俺の背中に荷物がないからだ。
その俺の後ろ、息を荒くしながらついて来ているのが、昨夜泥棒に入った狼女こと今泉影狼。彼女、ずっと一人で寂しいので、ついて行きたいと申し出て来た。最初は何となく断ったが、何でもするからお願いしますと頼み込んで来たので、こうして荷物を持って貰っている。
「あ~……本当に着くのかい、永遠亭に。迷っちゃったんじゃない?」
テンションが低い萃香。今は酒を我慢している。
「大丈夫ですよ。私が迷う筈ありませんから」
ドヤ顔で返す鈴仙。どう反応すればいいのか分からん。
「お、重い……誰か助けて……」
悲鳴を上げる影狼。だからと言って、俺がまた荷物を持つのは嫌だ。
「何でもするからって言ったのは誰だったっけなぁ……」
「お、鬼ィ……」
「ん、呼んだかい?」
呼んでないよ。
「も、もうダメ……」
地面に座り込む影狼。俺よりも根性が無いな。妖怪ってのは俺見たいな人間よりも身体能力高いんじゃなかったのか?
「仕方ねぇな……」
影狼の背中から荷物を奪い、自ら背負った。彼女に任せていたら、永遠亭に到着するのが遅れてしまう。
「ありがとうございます……」
神様でも見ている様な目で俺を見る彼女。荷物を持てって言ったのも俺なんだけどなぁ……
それからしばらく歩き続けて、やっとの重いで永遠亭に到着した。荷物のせいで肩がガチガチで上がらない。こんな肩凝りは初めてだ。
「師匠、只今戻りました!」
「おかえりウドンゲ、随分と賑やかになったわね」
実験でもしてたのか、白衣姿の永琳さん。
俺は疲れに耐えきれず、玄関でへたり込む。汗がびしょびしょで今すぐ着替えたい。
「それで、どうだったのかしら?」
「全く駄目でした、誰も姫様の居場所を知りません」
「そう……まあいいわ、そうだと思っていたし。それで、後ろの鬼さんと狼さんは?」
永琳さんの口振りから察するに、彼女はこの二人の事を知っているみたいだ。
「片方はお客さんで、もう片方は新しいペットです」
「私ゃペット扱いかい……」
いや萃香お前じゃねぇ。
「とりあえず上がって頂戴。そこで倒れてる人が辛そうにしているし」
俺の事ですね……
そんな訳でやっと永遠亭にたどり着けた俺達は、この二日間の疲れを存分に癒していた。永琳さんに適当な袴を貸して貰った俺は、今で萃香が酒盛りをしようと騒いでいる中、自分でも驚く程にぐっすりと眠り込んでいた。昨夜の衝動が、返ってきた様だ。
目が覚めると、真っ先に魂の抜けた様な眼でボケーっとしながら横になっている萃香の姿が目に入った。どうやら酒盛りは禁止されたらしい。
「……大丈夫か?」
何となく声を掛けてみた。
「心配するなら酒をくれ」
大丈夫だな。
「随分と酒が好きなんだな」
「酒は私の命の次ぐらいに大切なものなんだ」
その見た目で酒が命の次に大切とか、俺の居た世界だったら確実に廃人だな。
「て言うか、そんなに四六時中酒飲んでたら金とか持たないだろ。どうせ萃香も十や二十の歳じゃないだろうし、そんなに長い間毎日酒を飲んでたのか?」
「……ああ、飲んでたさ。百年二百年と、毎日の様にね」
百年単位なのか……鬼って、随分と長生きなもんなんだな。
「私は特別な瓢箪を持ってたのさ。水を入れると酒になるっていうすんごい瓢箪をね。けど、霊夢がいなくなってしばらくしてから無くなっちゃって、博麗神社の倉庫にある酒も尽きて、途方に暮れて暴れようとした時に捕まったんだよ。あんたが酒を持ってきてくれなかったら、今頃どうなってた事かねぇ……」
呟く様に萃香は言った。酔ってないせいもあってか、その言葉は余計に寂しさを醸し出していた。お酒が無くて寂しいというよりは、友達を無くして寂しがっている様で。
「……その霊夢って鬼は、萃香より強いのか?」
命の次に酒が大切とは言ってたが、その間に霊夢という存在が入っている気がした。それが、俺は気になって仕方がなかった。
「鬼じゃないよ、人間さ」
「人間……」
「弱くはないよ……それに、霊夢は特別なのさ。何が特別なのかって言われたらよく分かんないけど……」
「……」
特別な人間。こんなにも強い鬼が認める程の人間。それは、俺の興味を引き立てるには十分過ぎた。
「その霊夢って奴について、色々と聞かせてくれないか?」
「いいよ、気を紛らわせるついでにね──」
次の日。
俺は、これからどうするかをまた考えていた。
博麗の巫女、博麗霊夢。萃香から失踪した彼女の話を聞かせて貰った。計り知れない才能の持ち主で、普段はだらだらしているけれど、やる時はやる頼もしい少女。同じ人間で、それどころか少女なのに、妖怪と対等に渡り合える存在。
彼女に会ってみたいと思った。無論、彼女が何処にいるかなんて何も分からない。とりあえず、ほんの僅かな手掛かりを求めて彼女がいたという博麗神社に行こうかと、そう考えていた。
しかし、博麗神社までの道のりは非常に険しい上、妖怪の姿も多く見られると言う。俺一人で出発したところで襲われるのがオチだ。誰かについて行って貰うとしても、各々事情がある。
そこで俺が当たってみようと思ったのが、影狼だった。
影狼の姿を探していると、縁側で丸くなっている彼女を見つけた。もしかして、夜の間からずっとここで寝ていたのか? 妖怪も風邪を引くものだろうか?
「おい、寒くないのか?」
「……ん、おはようございます……寒くないですよ……」
「どうしてこんな所で寝てたんだ?」
「だって、月を見ていたかったんですもん……」
月か、随分と風流だな。
「なあ影狼、お前は何か困った事は無いのか?」
「困った事……里にいる友達が心配な事ぐらいかな……」
目を擦りながら答える彼女。
俺が影狼に頼み事をするのだから、彼女の頼みも聞くのが筋だ。それで彼女に聞いてみたものの、正直今里には行きたくない。
もしかしたら、萃香の件で俺が指名手配されている可能性があるからだ。
「そうか……」
これに関しては項垂れるしか無かった。
「どうかしたんですか?」
「ん、いや、何でもない」
改めて考えてみれば、初めから守って貰おうと考える事がおこがましいのだ。自分の身は自分で守るのが当たり前、それなのに守って貰う事前提で考えてどうするんだ、俺は。
一人で行こう。準備をしっかりと整えてから、一人で出発しよう。俺が成長しなければ、小傘を見つけ出すなんてもっての他だ。
影狼に別れを告げると、俺は一人荷物の整理を始めた。体が筋肉痛で所々悲鳴を上げているが、この程度でへばっていては俺はいつまで経っても強くなんてなれない。それに、時間だって惜しい。
一通り荷物の確認を終え、朝食を食べる際、俺は皆に博麗神社に行く事を伝えた。永琳さんは止めたが、そういう訳にはいかなかった。これは、俺が決めた事なんだから。
それは、俺が永遠亭を出発する直前だった。
勢いよく玄関の扉が開く音が聞こえ、俺は急ぎその場へと向かった。
「──ハァ、ハァ……」
そこには妖夢が立っていた。誰かを背負いながら。
「妖夢、どうしたんだ?」
「永琳さんを……お願いします……」
妖夢が背負っていた少女の髪の色が水色で、俺は一瞬小傘かと思ったが、背中に生えていた氷の羽を見てすぐに別人と分かった。
その子は、怪我をしていた。
診察室へ水色の女の子を連れていった俺達は、その子の体を見て素直に驚いた。
氷だ。その子は、氷で出来ている。人間の姿をしてはいるものの、その存在は氷そのものだ。その彼女が傷付いた体を、永琳さんに治療して貰っている。
「妖夢、この子は誰なんだ? そもそも妖怪なのか?」
「チルノという名前の妖精です。妖精は、この幻想郷の自然が具現化した存在の事です。彼女は氷の妖精、それも、妖精達の中では一番強い力を持っています」
「それがどうしてこんな事に?」
「私にも分かりませんが……森を通り掛かった時、倒れていました」
妖夢と話をしていると、チルノは痛みで唸りながらも目を覚ました。
「……ここは?」
「永遠亭よ」
「……そっか、アタイ倒れてて」
「結構酷い傷だったけれど、どうしたのかしら?」
「……行かなくちゃ」
「ちょっと!?」
突然立ち上がり去ろうとするチルノを止める永琳さん。抵抗しようとするも、傷の痛みからかすぐに大人しくなった。
「アタイには……時間がないの……」
涙声で呟く少女。
「アタイは……強くならなくちゃいけないの……」
その小さな声には、あまりに大きな感情が詰まっていた。
「……何があったのか、教えてくれる?」
「…………みんな、居なくなっちゃう」