忘却の忘れ傘 ~a lonely quicksilver   作:エノコノトラバサミ

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十四話 潜入

 暗くなった人里をしばらく歩き、とうとう俺は命蓮寺の前へと来た。俺が今まで見た寺の中では紛れもなく最も大きく、ちらほらと明かりが灯っているのが見える。この様子なら、人も沢山いるかもしれない。

 

「本当にやるんですか?」

 

 ついてきた鈴仙が聞いてくる。

 

「……あぁ」

 

「……いざって時に助け出せる保証は出来ませんよ」

 

「別にいい、見捨てても構わない」

 

「そんな訳にはいきません。貴方は輝夜様を救い出せる唯一の鍵なんですから」

 

「……極力、ちゃんと帰ってくるように心掛ける」

 

「そうして下さい。私はここで待ってますから」

 

 暗闇に紛れられる様に鈴仙が里の服屋で買ってくれた黒い服を着て、俺は命蓮寺へと潜入した。

 目的は少女の救出、可能であれば情報の聞き出し。

 

 当たり前だが、命を掛けた潜入なんて一度もした事はない。そういうゲームならプレイした事があるが、生身でやるなんて夢にも思わなかった。黒い服を着ているお陰か、今の俺は明らかに忍者そのものだろう。

 見付かればどうなるか、考えたくない。

 

 命蓮寺の入り口には見張りはいなかった。遠くから眺めてみたが、庭にも人はいない。俺は胸に溜まった息をゆっくり吐き、呼吸を整えた。これで庭から中の様子を伺える。

 

 庭に生えた木々を渡り身を隠しながら進む。こんなに大きな寺なのだから、人も沢山いると仮定しよう。となると、必ず統制を取らなければいけない時がくる筈だ。例えばそう、食事を取る時。その時は必ず皆が一つに集まる筈。その時を狙うのが賢明だ。

 その為にも、今僧達が何をしていて、これから何をする予定でいて、そして少女がどこにいるのかを知る必要がある。特に少女がどこにいるのかを知るのは相当苦労するだろう。

 

 寺を回っていると、縁側を見つけた、下には床下へ入り込めるスペースがある。これは好機だ。この下に入れば、安全に聞き耳を立てられるかもしれない。

 人気がないのを確認して、俺は早足で縁側に向かう。そして、無事に下に潜り込む事が出来た。たったこれだけの動作なのに、心臓が早鐘を打ち過ぎて痛い。

 

 しばらくはじっと身を潜める。誰かが通り掛かるか話し始めるのを待たなければ、何も出来はしない。

 

 ふと、木の軋む音が聞こえた。誰かが上を通っている。

 集中し、耳を立てる。足音は確かに聞こえるが、どうやら一人だけの様だ。しかも、何も話していないから何も分からない。

 結局、足音は過ぎていってしまった。

 

 俺は誰もいないのを見計らうと、床下から這い出た。

 ここは駄目だ、何も分からない。やはり直接自分の目で確かめるしかない。危険だが、それしかない。

 ……出来れば、もう帰りたい。

 

 ひたすら人気を伺って、俺は寺の中を捜索している。靴を脱いで足音を消し、限界まで顔を隠す。曲がり角がある度に聞き耳を立て、こっそり顔を出して安全を確保してから身を乗り出す。今この瞬間だけで、一年で使う集中力を全て使っている感覚だ。

 人気の無い部屋をこっそり開けて覗いてみても、ほとんど何もない。この様子では、少女はこの寺の中にはいないのかもしれない。彼女は確かに寺の方連れ去られていたのだが。

 そこでふと思い付いたのが、地下だった。彼女は罪人だ。罪人は牢に入れられるのが当たり前。牢があるとすれば、地下牢だろう。

 

 目的を変え、地下への入り口を探す。目処は相変わらず全く立ってないので、手当たり次第なのは変わり無い。

 だが一つ分かったのは、思ったよりこの寺には人がいないという事だった。この様子なら、もう少し動き回っても大丈夫かもしれない。

 俺がそうして地下への入り口を探し始めた時だった。

 

 また、足音が聞こえる。それは少しずつ遠ざかっている。俺は足音の主が誰かを確かめる為に、顔を出した。

 

「──ッ!?」

 

 あの女だ。少女を一蹴した、あの化け物女。あの光景を思い出すと、今でも震えが起こる。

 だが、今怯えてはいけない。彼女が少女の元へ行く可能性は十分にある。少女の居場所を知るには、今しかない!

 必死に気配と足音を消し、女性の後を追う。時折女性の歩みが止まる時があり、その度に胸が苦しくなった。だが、彼女が振り向く事も、こちらへ向かってくる事も辛うじて無かった。

 

「ナズーリン」

 

 ある部屋の前で、女性は足を止めた。呼び掛けてしばらくすると、襖が開く音がした。

 

「……どうしたんだい?」

 

「あの鬼の様子はどうですか?」

 

「……随分と大人しかったよ。今は怪我もしている所だしね」

 

「そうですか。引き続き、様子見を頼みます」

 

 鬼、という言葉を聞くと、思い付いたのはやはりあの少女。人間じゃないとは分かっていたが、見た目通り鬼だったのか。どうりであの怪力だ。

 

「それとナズーリン」

 

「何だい?」

 

「どうやら私の後ろにネズミがいる様なのですが、追い払ってはくれませんか?」

 

 ──なッ!?

 

「ネズミって……私もネズミなんだが……」

 

 しまった、バレてた!?

 顔は見られていない筈なのに、やはり気配で判るのか!?

 いや、落ち着け。まだ終わりじゃない。仮に見られていたとしても、彼女は今すぐ仕留める気はないんだ。今なら逃げ切れる。

 

「やれやれ、仕方がない」

 

 ナズーリンとかいう追っ手がくる前に俺は足音を立てないギリギリの全力で走りだし、人気の無い部屋に入った。そこの押し入れの下段に潜り、ただじっと籠っている。彼女達の注意が他のものに牽かれるまで、ずっと。

 

「──どうやら、この部屋に反応があるね」

 

 だが、何故か追っ手はこの部屋に入ってきた。反応という事は、俺の事を探し出す道具でもあるという事なのか。

 ヤバイ、このままじゃ本格的に見付かる……俺なんかが力付くで抵抗して敵う相手でもないし、どうすれば──

 

「…………なぁ」

 

 ──どうせ見付かるのなら、彼女を引き入れるしかない!

 

「……随分と潔いねぇ、侵入者さん。その押し入れの中かい」

 

「俺はあの少女を助ける為にここに来た」

 

「そうかい、それは結構な事で。私には関係ないけれどね」

 

「いいや、あるさ。俺は、いや俺達は、今幻想郷で起こっている異変を解決する為に動いているんだ」

 

「異変を解決する為に……」

 

「お前がさっきまで話していたあの女、アイツも異変の影響で変わった事はお前なら解っているだろう!? 俺なら、彼女を元に戻せる。だから頼む、今だけは協力してくれ!!」

 

 ナズーリンとかいう女性が正常で、あの化け物女の事を元に戻したいと考えているなら、協力してくれる可能性は大いにある。だが、逆に彼女も異変に影響されていれば、俺はここで終わりだろう。

 頼む、断らないでくれ、お願いだ──

 

「──君が彼女を助ける事に関しては、私にとってはどうでもいい事だ」

 

「……ッ」

 

「けれど、聖やご主人を元に戻せるというなら、私にも協力する理由がある。良いだろう、今回は見逃してやる」

 

「……!」

 

 た、助かった……

 

「君が助けたがっている者は今、寺の外にある蔵に幽閉してある。明日には地下の方へ連れていく予定だ。助け出すなら早くした方がいい。私が教えるのはこれだけだ」

 

「ありがとう。それだけ分かれば十分だ」

 

 俺は押し入れの中から体を出した。ナズーリンという女性は思ったより少女体型で、しかも頭にネズミの耳が生えている。まさかのケモノっ娘とは、幻想郷もまだまだ知らない事ばかりだな。

 

「それと、私は確かに皆を元に戻したいが、だからと言ってその為にここを離れる気はない。ここは私の唯一の居場所なのだ。もし君が捕まっても、私はアリバイを作ってしらを切る」

 

「分かった」

 

「さて、それでは私はアリバイを作る」

 

 そう言うと、彼女は手に持っている不思議に曲がった鉄の棒を回転させ、天井すれすれまで投げる。そのまま落下した棒に自ら後頭部をぶつけ、床に倒れた。

 

「……アリバイ作るの、上手いな」

 

 彼女の決断力と行動力は俺も見習わなくては。心の中で感謝しながら、俺は寺の外へと飛び出した。

 

 しばらく歩くと、如何にも蔵らしき建物を見つけた。鍵はかかっていない。辺りを警戒して、俺はゆっくりと扉を開ける。

 少女は寝ていた。折れた脚を放り出すように伸ばし、土の上で横になっていた。縄は変わらず彼女を縛っている。

 

「おい、起きろ」

 

 小声で彼女を揺さぶる。

 

「……誰だい」

 

 目を覚ました彼女は、怪訝の目で俺を見る。

 

「通りすがりの人間だ。突然だが、あんたを助けに来た」

 

「……どうして私なんかを助けに来るんだい? 言っとくが、私は何も持ってないよ」

 

「気紛れだ、割りと本気で」

 

 彼女の縄をほどこうと手を掛ける。キツく結ばれていて、中々ほどけない。

 

「縄はほどかなくていい。どうせ逃げられないんだ」

 

「いや、大丈夫だ。外にはほとんど誰もいないし、中に協力者も付けた。逃げ切れる」

 

「……何が望みなんだ?」

 

「……どうしてそこまで警戒するんだ?」

 

「……こんな力馬鹿なんか助けたところで、どうにもならないだろ。霊夢もいないし、瓢箪は無くなったし、あの女に簡単に負けるし、私なんてもうダメなんだよ」

 

「……酒ならあるぞ」

 

「本当か!?」

 

 少女の瞳に輝きが戻った。まさか物で釣れるとは……

 

「ここに来る前に買っておいた。無事にここから出たら飲ませてやる」

 

「酒……酒が飲めるのか!?」

 

「ああ」

 

「……どうしてそれを早く言わないんだい?」

 

 すると、彼女は折れている筈の脚で立ち上がり、体に力を入れた。途端に縛っていた筈の縄は裂け、彼女は一気に自由の身となる。

 

「なんつぅ怪力……」

 

「さ、早く酒のある場所まで連れていっておくれ」

 

 自分で縄を切れたんなら、俺が助け出す意味なんて無かったんじゃ……

 そう思いながら俺は、彼女と共に蔵を出た。

 

「──何処に行くつもりですか?」

 

「「!?」」

 

 途端、背後から声が聞こえた。

 振り向かずとも、誰なのかすぐに分かった。

 

「逃げ出していいなんて言ってませんよ」

 

 ……化け物女。まさか、対面してしまうとは。

 

「……おい人間。酒はどのくらいある?」

 

「ビンの奴が二本。適当に買ったから種類は解らん」

 

「二本、ねぇ」

 

 少女は化け物女の方へと歩いていく。

 

「おい、お前戦うつもりなのか!? あんな奴に勝てる訳無ぇ!!」

 

「酒が待っている……私の目の前で、酒が待っている……」

 

 ダメだ、話を聞いちゃいない!

 俺なんかが止められる筈もないし、ここで傍観するしかないのか……

 

「もう一度、私に刃向かうつもりの様ですね」

 

「言っとくけどねぇ、今の私の目の前には酒が待ってるんだ。そう簡単には負けないよ」

 

「いいでしょう。そこまで言うなら見せて貰います」

 

 刹那、彼女の姿が消え、少女の顔面へと拳を振るっていた。

 また地面に叩きつけられる。そう思った。

 

「──遅いねぇ」

 

 だから、彼女か拳を受け止めている事に、俺はあまりに大きな衝撃を受けた。

 

「酒の事を考えるあまりか、酔ってきた気がするよ……ヒック」

 

 少女は化け物女の拳を後ろへと引く。

 

「さ、お返しと行きますかぁ!!」

 

 そうして体勢を崩した女の腹部に膝蹴りを叩き込んだ。だが、女はそれをもう片手で辛うじて防ぐ。

 しかし、膝蹴りの状態から更に少女は女をヘッドロックの体勢へと連れ込み、持ち上げ、プロレス技の様に頭から叩き付けた。その威力はプロレスのそれとは比べ物にならず、轟音と共に地面に深くヒビが入る。

 

「庭が騒がしいな……」

 

 少女の攻撃の衝撃音で、寺の住人に気付かれてしまった。このままでは更に見付かって、囲まれてしまう。

 

「おっと、そろそろ退散しないとねぇ」

 

 すると少女の姿がみるみるうちに消え、白い霧になっていく。そしてそれは辺り一面を包み込んだ。俺の視界もほとんど見せない。

 そして突然、俺の体が持ち上がられる。何処かに運ばれていく様だ。無理矢理空を飛ばされている様な感覚。あまりいい気はしなかった。

 

 

 

 地面に降ろされてしばらく経つと霧は晴れ、目の前に少女が現れた。回りをみると遠くに命蓮寺が見える。彼女のお陰で、脱出に成功した様だ。

 

「……助かった、ありがとう」

 

「お互い様だろ。それよりも酒だ、酒!」

 

「ああ、もう少し待ってくれ」

 

 鈴仙の姿を探すと、彼女は俺の荷物を持ってすぐそこまで来ていた。

 

「無事に助けられたみたいですね……って、貴方、博麗神社によく居た鬼じゃないですか。突然霧が出たと思ったら、どうりで……」

 

「お前は永遠亭の……えっと、誰だっけ?」

 

「鈴仙です」

 

「鈴仙、酒を……えっと、そういえばまだ名前知らないな」

 

「私は伊吹萃香って言うんだよ」

 

「分かった。萃香に酒を渡してやってくれ」

 

 鈴仙は俺の荷物の中から、酒を萃香に渡した。

 

 

 

 

 

 深夜、俺達は里から出た。瓶を片手に上機嫌に歩く萃香を先頭に、俺達は永遠亭に戻るために進む。

 

「──ップハァ! やっぱり酒は最高だねぇ! あんたらもいい奴みたいだし、私ゃ幸せだよ……エグッ……」

 

 なんか泣いてるし。

 

「そりゃ良かったですねぇ……」

 

 ため息をつきながら、財布の中身を確認する。もうほとんどお金はない。帰り際、お酒がすっからかんになってしまったので、俺のほぼ全財産を使って大量に買い貯めしたのだ。お陰で荷物も重い重い。

 

「凄い汗ですけど、大丈夫ですか?」

 

「大、丈夫だ……」

 

「そうそう、男ならこの位ヘッチャラヘッチャラァ! 私ならその百倍は持てるけどねぇ、ヒック!」

 

 お前のせいで苦労してんだよ酒飲み幼女が。

 それにしても、蔵で話していた時の萃香と今酔っている時の萃香じゃ、まるで別人だ。酒を飲まないと内気で弱虫なのに、酒の事を考えたり、飲んだ途端に反転して大胆不敵、更には物凄い強くなる。随分と変わった鬼だ。

 

 大丈夫とは言ったものの結局限界が来てしまい、休憩ついでに枯木の森の中で一夜を過ごす事になった。枝や落ち葉に火を付け、三人で最早夜食と化した夕食を食べる。鈴仙が人里で買っていてくれた握り飯。おかずに俺の荷物の鯖缶を開け、それを三人で食べていた。

 

「この缶詰というの、案外美味しいですね」

 

「酒に合うねぇ!」

 

「おい萃香、あんまり飲み過ぎるなよ」

 

「分かってるって! 野暮な事言うんじゃないよ!」

 

 本当に分かってるのか……

 

「……これは、永琳さんに酒の管理でもして貰った方がいいんじゃないか?」

 

「そうですね。師匠のガードは鉄壁ですし」

 

「お前ら、揃いも揃って私を苦しめようってのか!? 見損なったぞ!!」

 

「何言ってんだよ……」

 

 こいつの扱いには物凄く苦労しそうだ……

 

 俺が萃香に振り回され、呆れていた時、俺の背後をある妖怪が睨んでいた事はまだ知らなかった。




 萃香の素面時って、公式な設定は不明なんですよね。
 なので最も有名な二次設定を参考にさせて頂きました。

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