忘却の忘れ傘 ~a lonely quicksilver   作:エノコノトラバサミ

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第一章
十話 刀を持つ少女


 目が覚めた。青空が俺の視界に覆い被さる。冷たい風が俺の額にぶつかる。俺の体は冷えてしまっている様で、目が覚めたその瞬間から震えが止まらない。

 体を起こして辺りを見渡す。雪は降っておらず、俺が寝ていた枯れ草の平原の奥に深そうな枯木の森と竹林。森の向こう側には大きな山が見える。風景を見る限りでは、ここが俺のいた現代とは違う場所だなんて信じられない。ただ一つの建物を除いて。

 雲から生えた逆さまな城。まるで初めからそれがそこにある事がごく当たり前であるかの様に、威風堂々と聳立(しょうりつ)している。戦国時代でよく見る様な城なのだが、一体どういう理屈で空に建っているのだろうか?

 

 立ち上がり、そしてこれからの事を考える。

 まずは人だ、情報が無いと行動の起こしようがない。手当たり次第歩き回って、家か何かを見付けなければ。そう考え歩き出そうとした時だった。

 森の向こうから、小さな人影が見える。どうやら幸先良さそうだ。

 その人影はゆっくりと歩いてこちらに向かっていている。向こうもこちらに用があるのだろうか。見たところ、スカートを履いているので女性の様だ。

 

 姿が近付くにつれて、俺の期待は少しずつ不安に変わった。

 今、俺の元へ向かってきている女性……いや、少女。彼女の雰囲気が何処かおかしい。明らかに普通じゃない。更に彼女、右手に刀を持っている。今までナイフを持っていた俺には、アレが正真正銘の本物だとすぐに分かった。

 遠くからみた彼女の澱んだ眼差しは、まるで無機質な狩人の様で──

 

 ゆっくりと後退りする。俺と彼女の差は少しずつ縮まっていく。まだ言葉の一つも交わしてないのに、本能が言っている。『アイツは俺を殺しに来る』と。幻想郷に来てものの数十分で御陀仏なんて、冗談じゃない。

 覚悟を決めて、俺は走り出した。向かうは竹林。ここで彼女と差を付けて、引き剥がす。

 直後に振り向くと、彼女も走り出していた。やはり俺を狙っている。

 こんなところで殺られてたまるか!

 

 竹林に入ったところで振り返った俺は、信じられないものを目にした。

 俺の真後ろで、彼女が刀を振りかざしていた。

 

「──!?」

 

 踵で急ブレーキをかけ、横へ飛び込む。空を斬る音がはっきりと耳へ入ってきた。

 嘘だ、有り得ない。彼女とは五十メートル近く離れていた筈。それなのに、十秒足らずで背後まで追い付かれるなんて。

 もう後ろなんて向けなかった。振り向いたら確実に斬られる。彼女から逃げる術は俺にはない。戦う、選択肢はそれだけだ。背中から金属バットを取り出して中段に構える。相手は本物の刀、守りは徹底しなければ。

 刀を弾いてしまえば、チャンスは必ず生まれる。

 

 そう、思っていたのに──

 

 衝突音はしなかった。彼女が刀を振り、俺がそれをバットで弾いたと思った。なのに、それなのに、どうしてバットが切断されているんだ。

 彼女に向かって投げたバットの破片も、呆気なく避けられる。この一瞬でもう、全てが分かった。

 

 俺は、絶対に勝てない。

 

 過去に戦ったあの大女。アイツの圧倒的な力の前に、俺は敢えなく屈し、壁に思い切り叩き付けられて気を失った。あの時も大分差があったけれど、今回はそれ以上だ。大人と子供どころか、赤ん坊と達人。

 俺はただ前を向きながら後退りするするしかなかった。走って逃げる事も出来ず、立ち向かっても歯が立たない。となると出来る事は奇跡を信じて斬撃を避け続けるだけ。

 幻想郷に来て早速、俺の人生は事実上詰んだ。期待はしてなかったが、こうも終わりが早いなんて……

 真上からの斬撃を避けた。

 斬り払いを屈んで避けた。

 切り上げをギリギリ避けた。

 突き出た刀を避ける時、足を(もつ)れさせ尻餅をついた。

 上段に刀を構える少女。もう避けるのは無理だ。理不尽に突き付けられる死にただ黙って殺されるしかない自分が、呆れるほど嫌いだ。ほんの一瞬も抗う力さえ無いなんて、幾ら何でもあんまりだろ。

 

「──お願い、します」

 

 プライドだとか、そういう事を考える暇はなかった。

 

「命だけは、助けて下さい」

 

 額を地に付け、懇願した。どんな事をしても生き延びたかった。あんな心の籠ってない眼差しをした少女に命乞いが通じるとは思っていないのだが、これしか出来ないのだ。

 自分の無力を痛感させられるのは、これで何度目だろう。

 こうして頭を下げたり、他人に頼らないと、本当に俺は何も出来ないのだろうか。そんな筈はない、そう思い続け必死に耐えようと、結局何も変わりはしない。

 生きたい。強くなりたい。涙を浮かべ、歯を食い縛り、少女が刀を収めるのを願うだけ。それがどれだけ惨めな事か。

 暫し流れる沈黙。そして──

 

 

 ──にげて

 

 

 確かに、そう聞こえた。

 瞼を擦り、涙を拭く。顔を上げて彼女を見る。

 刀は相変わらず上段に構えていた。だが、澱んでいた筈の彼女の目が、僅かに光を灯している。両腕が何かに抗っているかの様に激しく震えている。

 その彼女の姿はあまりに大きな衝撃だった。彼女を見ただけで、俺はこの世界に起こっている異常な事態の片鱗が見えた。

 今なら逃げられる。彼女の目に光が見える今なら。

 けれど、俺の脚は動かない。どんなに力んでも、後ろを振り向こうとはしない。何故、どうして、俺は逃げる事を拒んでいるのか。このままじゃ、彼女はまた──

 

「……あ」

 

 ──そうか。

 今逃げちゃったら彼女、また光を失うんだ。

 

 確かに俺は無事でいられるかもしれない。けれど、よく考えてみろ。俺みたいなちっぽけな存在が無事でいたところで、幻想郷の何処かにいる小傘を救う事が出来るのか。

 限りなく不可能に近い。

 だから、俺が無事なだけじゃ駄目なんだ。力になってくれる人を助ける為に、寧ろ俺が傷を負ってでも行動するべきなんだ。例えば、目の前にいる少女を。

 彼女は、本当はこんな事をしない。彼女以外の何かに強要されているんだ。それが何なのかは分からないし、考える時間もない。けれど──

 

 俺が今しなければならないこと……

 それは、彼女をその何かから救い出す事!!

 

 覚悟を決めて、俺は飛び掛かる。狙いは彼女の持つ刀。

 刀さえこっちの手に渡れば、彼女の攻撃手段は限られ、更にこちらの武器も増える。いくら身体能力に差があっても、刀の有無の差は大きい。最終的にまだ実力が離れていても、時間位は稼げる筈だ。

 彼女も俺が襲ってくるとは思っていなかったのだろう。その反応に遅れが見られた。チャンスはやはり、今しかない。

 俺は彼女の持つ刀の柄に触れ──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……ここは、何処だろう。

 俺はさっきまで何かに追われていた気がする。記憶が曖昧で、詳しくまで思い出せない。それに、似たような場所に来たことがある様な気がする。それが何だかも、思い出せない。

 寒い。床も、とても冷たい。氷の様だ。何処を見ても灰色で、他には何もない。まるで鉄の中にいるみたいで、不気味だ。

 ──いや、違う、思い出した!

 俺は本当に……刀の中にいる。少女に襲われて、刀を取り上げようとしたその瞬間に、俺の意識が吸い込まれたんだ。

 一体どうなっているんだ?

 この感覚……あの時メリーと初めて会話した感覚と同じ。つまり、何処かに彼女の持つ刀の意志がいるという事になる。

 分からない事だらけで少し混乱している。どうしてこうなったのか。彼女に何が起きているのか。だけれど、今しなければならない事だけははっきりしている。

 きっとここに、彼女を救う鍵がある筈だ。

 辺りを見渡すと、灰色の世界にごく小さな異物を見つけた。そこに向かって俺は歩いていく。カツッ、カツッ、と鉄を叩く様な軽い音が、歩く度に響き渡る。

 

 異物とは、即ち彼女の事だった。俺を襲ってきたあの少女が、見えない壁に背中を(もた)れている。その彼女の胸には、一本の刀が深々と突き刺さっていた。

 一瞬目を疑ったが、少し考えると理解できた。これは少女の心そのものなんだ。その少女の心に刀が刺されている事で、彼女は心を囚われているんだ。相変わらずどうしてそうなったのかは分からないけれど、やることは一つ。

 

 刀の柄を持ち、思いきり引っ張る。この刀を抜けば、きっと元に戻るかもしれない。

 だが、抜けない。どれだけ力を込めても、一向に抜ける気がしない。それが体の一部となっているんじゃないかと錯覚する程に、びくともしないのだ。

 だからって諦める訳にはいかない。だったら、抜けるまで引っ張るだけ。俺は更に力を込める。全力を出しきってやっと刀が少し動いた、その瞬間だった。

 

 少し、背中に冷たい感覚を感じた。

 そしてそれは俺が振り向く前に、深々と突き刺さった。

 

 俺の胸から、何か飛び出ている。

 ……ああ、刀だ。俺、背中から刺されたんだ。

 まず始めに思ったのは死への恐怖。けれど、それは一つのとある事実ですぐに消え去った。

 血が、出ていない。この様な心の中の世界では、俺の体が直接死ぬ事は無いのだろう。痛みは感じるけれど、意識は鮮明だ。

 そう、痛みは感じる。

 

「──ぅ、っあ、ガァッ……」

 

 些細な痛みから突如、悶絶する苦痛に変わる。激しい嘔吐感、体の拒絶反応、精神が狂いそうになる。

 痛い。苦しい。抜きたくても、抜けない。拷問だ。

 

『邪魔をするな』

 

 澱む意識の中、何者かの声が頭に響く。耳を通してではなく、直接頭へと。

 これが、刀の柄に意志なのか。彼女の心を突き刺している、刀の意志。

 

「どうして、こんなウッ……事すんだ……」

 

 声を振り絞り必死に問う。口を開く度に嘔吐しかけ、酷く気持ち悪い。

 

『斬る為に生まれた私が人間を襲って何が悪い』

 

「は……?」

 

『私は弾幕ごっことやらの道具ではない、刀だ。斬る為に生まれたものだ。だから、それを理解していない主を私が支配しているだけだ』

 

 ……何を言っているんだ、こいつは。

 

「……お、まえ、頭おかしいんじゃ、ねぇの……?」

 

 違う。こいつの言っている事は、一つおかしい。

 

「確かにお前は、人を斬る為に生まれたかも……知れねぇけどさ……」

 

 分かっている。それが、武器というものだから。

 

「けれど、それをお前の主が……理解してない訳ねぇだろォ!!」

 

 心を囚われているにも関わらず俺を庇った少女が、他人を傷付ける事を好き好んでする訳がない。

 彼女はもっと別の理由で強くなろうとしていたんだ。誰かを殺すためとかそういうんじゃなくて、例えばそう、誰かを守る為だとか。

 それをどうして、彼女の刀が解ってやれないんだ。二人は謂わばパートナーの筈なのに、どうして理解し合えないんだ!

 

 ──あ、違う。理解してないのはお互い様か。

 

 この刀が少女の事を理解してないのと同時に、少女も刀の事を理解していないんだな。考えれば当たり前だ。普通なら、互いの意思なんて通じ合う訳がないし、そもそもあるなんて考えていないのだから。

 こうしたすれ違いが起こるのも当たり前だ。

 

 こうなったら、意地でも目を覚まさなければいけない。

 俺が無事に生きる為に、小傘を救う為に、そして二人の関係を治す為にも、今ここで彼女の心を救わなくてはならない!

 

「……ぐあッ、ガァァァァッ!!!」

 

 俺の胸に刺さっている刀なんて気にしている暇はない。全身全霊で彼女の刀を引き抜く。気が狂いそうだ。体の中にあるもの全部ぶちまけたくなる。こんな苦痛を味わうなら、死んだ方がマシなんて思えてくる。

 だが、そんなのは一時の気の迷い。死んだ方がマシな事なんて何もない。耐えて、堪えて、そして爆発する。俺見たいな弱者が幸せを掴むには、それしかないんだ!

 

「ア゛ア゛ア゛ァァァァァァァァァァァァァァッッ!!!!」

 

 声になっていなかった。苦痛を堪える為に、喉が潰れる程声を張り上げた。今頑張らなければ、俺は終わりだと思った。もうチャンスなんてない。絶対に負けたくなかった。失いたくなかった。諦めたくなかった。

 

「ウ゛ア゛ア゛ァァァァァァァァァァァァァァァァッッッ!!!!!」

 

 まるで永久に思える時間、地獄の苦しみを味わい続ける。時折意識が飛びかけたが、唇を思いきり噛んで必死に耐えた。ただ終わりに向かって、ずっとずっと刀を引き続ける。

 

 そしてとうとう、引き抜く勢いで体が宙に浮いて──

 

 

 

 

 

「──ウ゛ェッ!?」

 

 目が覚めて真っ先に感じたのは激しい吐き気だった。我慢出来ず、その場で地面に向かって俺は胃液を吐き出してしまう。喉が焼ける様に痛い。

 

「大丈夫ですか?」

 

 姿は見えないけれど、そう言いながら少女が背中を擦ってくれるのを感じた。その行動で俺の苦労は報われたとはっきり判った。正直、上手くいくなんて思っていなかったから、途端に涙が溢れてくる。

 

「あ、その、えっと……これで」

 

 俺の顔を覗いて何か拭くものを探していたのだろうが、見付からずにスカートを破こうとしていた。そこまでしなくてもいいと俺は手を突き出す。

 少し落ち込んだ彼女。ある事を思い出して辺りを見渡す。涙で視界が少し歪んでいるが、これぐらい何とかなる。

 

「……あった」

 

 枯れた声で呟くと、俺は傍に置いてあった荷物から水を取り出し、飲んだ。少し喉の痛みが和らいだ。

 

「……あんたも飲むか?」

 

「あ……はい」

 

 飲みかけの水を彼女に渡すと、それを一気に飲み干した。彼女の声も少し枯れていて、俺は彼女が数日間何も口にしていないと何となく解った。

 

「その……ありがとうございます。色々と……」

 

 深々と頭を下げる彼女。何だか照れ臭くもあったし、聞きたい事とかも沢山あって、どう返せばいいのか分からない。

 彼女の姿を見ていると、やはり少々痩せている。俺もちょっとお腹が空いたし、食事した方が良さそうだ。荷物の中から缶詰めを取り出す。

 

「あ、あの!」

 

 缶詰めを開けようとした時、彼女が意を決した様に話し掛けてきた。

 

「怒ってないんですか……?」

 

「え?」

 

 怒っている? 俺が?

 

「どうしてそんな事聞くんだ?」

 

「……怒って無いんですか?」

 

「怒ってねぇよ」

 

「でも、さっきからずっと私の事睨んで……」

 

「いやいや、元からそういう目付きだし……」

 

「……」

 

 先程からどうも様子を伺っている様に見えたが、俺が怒っていると勘違いしていた様だ。確かに彼女に殺されかけたのは事実なのだが、彼女が全部悪い訳でもないし、図々しいがこれから少し協力して貰うつもりなので、怒って彼女を責める必要は何処にもない。

 

 缶詰めを三つ開けて、割り箸と缶二つを彼女に差し出した。鯖の味噌煮と焼き鳥という何とも微妙な中身だが、そこは我慢して貰うしかない。

 

「私、二つも要りません」

 

 彼女が断りを入れるが、それが遠慮だという事はすぐに解った。いくら少女と言っても、そんな空腹で缶詰め一つは足りないだろうし、彼女の目が先程からずっと缶詰めから離れていない。そんなに我慢しなくてもいいのに、そう思ったが、彼女はそういう人なんだろう。

 

「その缶詰め、そろそろ賞味期限切れそうなんだ。捨てるのも勿体無いし、早めに処分したいんだよ」

 

 勿論、嘘だ。こんな賞味期限切れが早い缶詰めなんてあるはずがない。彼女も分かってるかもしれないが、そうでもして理由をでっち上げないと、恐らく手をつけないだろう。

 

「……ありがとう、ございます」

 

 彼女が鯖の味噌煮に箸を付けたのを見て、俺も三つ目のシーフードを食べた。正直、油ばかりで味気ない。調味料か何かを持っていくべきだった。

 少々気持ち悪くなりながら完食すると、彼女は既に二つとも食べ終えていた。色々とびっくりする少女だ。

 

「本当にありがとうございます」

 

 もう一度礼をする少女。このままだとずっと謝されそうなので、早速話を始める事にした。

 

「ここは、幻想郷でいいんだよな」

 

「あ、はい。そうです」

 

「俺は加能聖真、お前は?」

 

「魂魄妖夢と言います。あの、先程は本当に」

 

「あぁもういい、分かったから」

 

 礼儀正し過ぎるというか、ここまで来ると少し鬱陶しくなってくる。

 

「一つ、聞きたい事があります」

 

 彼女が俺に問う。何を聞かれるのか、何となく予想がついた。

 

「どうやって、私の事を助けてくれたんですか? 見たところ普通の人間の様ですし……」

 

 普通の人間の様って事は、この世界にはやはり普通じゃない人間や、人間以外の存在もいるって事なんだな。

 彼女も普通じゃなさそうだ。少し前から気になっていたが、白い物体が彼女の回りでゆらゆらしているのも何なのだろう。

 それは後で聞くとして、今は彼女の質問に答えてあげなければ。

 

「あの刀、今何処にある?」

 

「刀なら荷物の後ろにあります」

 

 荷物をよけると、確かに刀があった。危ないという彼女の注意を無視して、俺はその刀を手に取る。力は感じるが、もう意識が吸い込まれる事はない。

 意識を集中し、道具に俺の力の波長を合わせる。

 

 ──申し訳ない。

 

 一番始めに聞こえてきたのが謝罪の言葉というのは予想外だった。

 

 ──目を覚まさせて頂き、本当に感謝している。あのまま理性を失っていれば、主を失っていたやもしれぬ。

 

 理性を失っていた?

 

「あの時の言葉はお前の真意じゃなかったのか」

 

 ──ああ、そうだ。

 

 という事は、彼女と刀はある程度意思が通じあっていたのか。

 となると、問題はもっと深刻になってくる。

 

「それじゃどうして理性を失ったんだ? 刀が主を操るなんていうのも普通じゃない。一体どうなっているんだ?」

 

 ──どうしてそうなったのかは解らぬ。ただ、あの城が現れてから間もなく、私を含めた力を持つ物の様子がおかしくなった。

 

 あの城と言われたら、思い当たるのは一つしかない。

 

 ──何と言うか、空気がおかしくなったのだ。日に日に身体が蝕まれていくのを感じ、理性が狂い初めていった。自らの欲望を堪えきれなくなり、主を支配してまで叶えようと考えてしまった。

 

「あの……一体誰と話してるんですか?」

 

 ──それに、声が聞こえたのだ。『虐げられし物よ、今こそ下剋上の刻だ』と。この事態を起こしたものが、必ずあの場所にいる。

 

「聖真さん、大丈夫ですか?」

 

「え、あぁ、大丈夫だ」

 

 とりあえず、もう彼女があの様になる事はない。その事を伝えて彼女に刀を返そうとした。

 

 ──少し待ってくれ。

 

 だが、それを刀から止められた。

 

 ──暫く、そなたに私を預かっていて欲しい。

 

「どうしてだ?」

 

 ──主はまだ未熟だ。素質はあるが、私の力に頼り過ぎている節がある。今回のこの異変は、主が成長するのにいい機会なのだ。私の力無しに試練を乗り越える事が出来れば、主は更に強くなる。

 

「それまで、俺が持っていろって事か」

 

 ──見返りに、私がそなたに力を貸そう。いざという時は私を振るうといい。

 

 伝えたい事を全て伝え切ったからか、刀からの声は聞こえなくなった。

 

「先程から誰と話してるんですか?」

 

「……刀と話してた」

 

「か、刀と!?」

 

「ああ。俺は道具と意思疏通する事が出来る。妖夢を助けたのもその力の一環だ。それで、一つ妖夢に伝えたい事がある」

 

 食べ終えた空き缶を片付け、刀を荷物に差し込む。

 

「この刀はまだ完全に正気を取り戻してはいない。妖夢が持ってたら、また操られるかもしれない。だから、暫くは俺が預かっている」

 

「…………はい、分かりました。お願いします」

 

 嘘を挟んだが、こういう理由なら手離さざるを得ない。少々気の毒だが仕方がない。

 

 ふと気が付くと日が大分傾いている。そろそろ夜だ。今晩は野宿する事になりそうだ。出来れば明日には、人の住んでいる場所に行きたい。

 

「なあ妖夢、この辺りで民家はないのか?」

 

「この竹林なら、永遠亭という診療所がありますが……」

 

「何か問題があるのか?」

 

「ここは、迷いの竹林と呼ばれている場所です。ここに脚を踏み入れたとなれば、そう簡単には出られませんし、永遠亭にも辿り着けるか分かりません」

 

「……そうか」

 

 少しため息を吐いた。こんな事なら、森の方に逃げていればよかった。

 

「ですが安心して下さい。私は空を飛べますから、そう何日も迷う事はありません。今日はもう暗いですし、ここで一晩過ごして、明日移動しましょう」

 

「そうだな、そうするか」

 

 この時、俺はまだ気が付かなかった。

 今宵が初めての女の子との添い寝になるなんて──


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