空母ヲ級運用指南 ~蜃気楼の海~   作:mafork

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2:佐世保鎮守府
2-1.海賊


 魚雷を食らった。

 自覚した時には、すでに体は傾斜を始めていた。

 砕かれた右足から燃えるような激痛。吐き出す息には、自分のものでないかのような悲鳴が乗っていた。

 このままじゃまずい。

 左に注水して、バランスをとらなければ。だが爆風でやられたのか、左足からも沈み始めていた。

 ひどい速さで海面が顔に迫ってくる。

 立て直さなければ。だが、そのための浮力がない。艦娘にとって、何よりも大事な両足の浮力が!

 だめだ、と思った時には、顔が水に浸かっていた。

 ボイラー室が緊急停止、海水の流入による水蒸気爆発を防ぐため、缶の部分がパージされる。

 こうなると、艤装はもはや重石も同然だ。沈むというより、落ちるに近い。心強いはずの艤装が、まるで熊野を引き摺り込んでいるかのようだ。

 無意識のうちに、上へ手を伸ばす。何の手ごたえもない。指の間を冷たい水がすり抜けていく。

 周りにあるのは、全て水だ。艦娘のどんな抵抗も、そこでは無意味だった。

 眼下を見ると、ぞっとした。

 青い光の玉が、暗い海の底でまるで川のように流れている。1つ1つは蛍のような大きさで、茫洋とした輝きだが、そこには言いようのない神秘と静けさがあった。

 熊野は聞いたことがあった。

 海の底には深海棲艦しか通れない、未知の海流がある。そこは海に沈んだ魂が流れていく場所で、そこから深海棲艦は生まれるのだ。

 怖かった。

 あれに乗りたくない。

 だが振り乱す手足が絡み取るのは、冷たい海水だけだ。

 絶望と苦しさで意識が混濁していく。

 ふと、何かが、熊野の手を掴んだ。

 冷たい。氷みたいに冷たい。

 僅かになった視界の中で、青白い肌の少女が、熊野の手を掴んでいるのが見えた。

 

(誰……?)

 

 口に出したわけではない。意識の隅で、ちょっと過ぎっただけだ。

 少女が穏やかに笑う。古い馴染みに忘れられた時の、ちょっと残念そうで、ちょっと意地悪な微笑。

 いつの間にか、苦しさはなくなっている。水の冷たさもない。むしろ暖かく、体がふわふわしていた。

 少女の口が、動いた。

 

(会い、たかった……?)

 

 そう言ったような気がした。

 水面が近づいてくる。

 少女は熊野を引き揚げながら、耳に口を近づけ、そっと囁く。

 私はね――

 

 

     *

 

 

 目を覚ます。

 霞んだ目がゆっくりと焦点を結び、薄汚れた天井が見え始める。夢との境界が曖昧な、もったりとした目覚めだった。

 薄闇の中で、熊野がゆっくりと身を起こす。

 しばらくベッドの上でぼうっとしたが、やがて首を回し、部屋の中を見渡した。

 部屋の隅の観葉植物に、もう2つあるベッド。見覚えの無さは、頼りなさとなって、起き抜けの心に影を落とした。

 

「鈴谷……?」

 

 問うたが、応えはない。頭の隅で、なんとはなしに僚艦の鈴谷はここにいないことを思い出した。

 周囲にあるのは、鎮守府の自室とは違う、よそよそしい白い壁だ。どこからかボイラーの重低音も響いている。

 二、三度、眠たい目をこすってから、熊野は自分が今、輸送船『回流丸』に乗っていることに思い当たった。

 

(今、何時……)

 

 思いながら、視線で時計を探す。

 デスクに置かれたデジタル時計が、13:05と船内時間を表示していた。日付は表示されていないので分からない。

 頭に手をやり、記憶を解きほぐす。

 自分は遠征のために、鎮守府を出たはずだ。それがバシー海峡の辺りで、敵の部隊に遭遇した。その後、遭難、そして救助。そして回流丸に乗ってから――。

 思考に蹴りが入った。

 大急ぎで自分の恰好を確認し、ついでに部屋のドアの鍵だけはしっかりと閉めると、着ていた白いツナギを脱いだ。脇腹の傷の治り具合で、熊野は相応の時間経過を察する。

 ベッドの下の籠に入っていた最上型の艦娘制服は、律儀にしっかりと洗濯されていた。さすがに主機や缶はないが、袖を通すとそれだけでかなり意識がしゃんとした。

 髪を結って、袖や襟元を整えて。

 自身の姿を、壁に貼られた鏡に映して確認する。

 

「よし!」

 

 熊野は部屋を飛び出した。

 艦の丸い小さい窓が並ぶ廊下を抜け、甲板へ飛び出す。

 空は快晴だ。抜けるような青空に、真夏の太陽。

 眩しい光が波をエメラルド色に煌めかせている。海は未だに南国の色だ。

 目が痛むのを感じながら、熊野は辺りを見回した。

 探していた人物は、果たしてそこにいた。

 艦首甲板の、クレーンの根元の辺りだ。

 体にぴったりと貼りつくスーツを着用し、頭に大きな帽子を被っている。手に持った杖を甲板に突き、じっと目を閉じている。肩から垂れ下がった黒いマントは、なんとなく昼間に体を休めているコウモリを連想させた。

 深海棲艦の一種――空母ヲ級だ。

 熊野が声を出す前に、後ろから声をかけられた。

 

「気が付きましたか」

 

 振り向くと、目の細い男が熊野を見つけていた。笑っているようにも見えるが、口の端を見るに、そんなに楽しい気分ではなさそうである。

 ただ単に、そういう顔なのだろう。

 藍色のスーツが、炎天下でひどく暑そうに見える。

 ちょっと間があってから、彼の名前を思い出した。

 沖田だ。

 

「元気そうで何より。何日も目を覚まさなかったので、さすがに心配してました」

 

「な、何日も?」

 

「ええ。おおよそ、丸2日ほどは眠ってましたよ。無理をし過ぎたんですね」

 

 熊野は息を吐いた。最近気を失ってばかりの気がした。

 聞かなければならないことが多すぎて、思考がぐるぐると回る。

 

「ええと、その、わたくしは……」

 

「バシー海峡で、最後の敵駆逐艦を撃沈。しかしその直後、あなたに遠距離雷撃を仕掛けた深海棲艦がいました。人型の駆逐艦であった、とか」

 

 熊野は目を細めた。

 

「人型の……?」

 

「はい。夜間で、取り逃がしたそうですが」

 

「そうですか」

 

 熊野はそうとだけ言った。

 沖田はさくさくと説明する。

 

「幸い溺れてから短時間で引き揚げられたので、容体も安定してましたので、我々があなたを佐世保まで運ぶという役割を仰せつかりました。あなたがここにいるのは、そういうわけです」

 

「そういうわけって……て、提督は? 司令船は?」

 

 沖田は肩をすくめた。

 

「提督は、色々お忙しいようで、飛行艇で先に佐世保までお帰りになりました。司令船は、あちらです。これから佐世保へ行くことになりました」

 

 沖田が水平線の彼方を指さした。真昼の陽光に、白波が煌めいている。その少し上に、船舶のマストらしき突起が突き出ていた。

 さらに周辺の海をよく観察すると、所々でぽつぽつと白い煙が立ち上っている。その青空に伸びる白筋を下へ辿っていくと、艤装を背負った艦娘が、適切な間隔を置きながら海を航行しているのが見える。きっと逆側、すなわち左舷側の海も似たようなものだろう。

 

「事情聴取、ということですな。佐世保の目の前を、深海棲艦を連れて通るな、と。まぁごもっとも」

 

 どうやら回流丸は、佐世保の艦娘に取り囲まれたうえで、司令船に佐世保まで引っ張られているらしい。

 沖田は補足する。

 

「ちなみに、司令船でも負傷者を収容したようでして。比較的容体の軽いあなたは、我々の船に同乗していただくことになりました。あなたがこの船にいるのは、そういうわけです」

 

「ええ!?」

 

 熊野は危うく声を出しそうになった。

 というか、出した。

 重巡艦娘といえば、戦艦よりは優れた燃費と、砲撃、雷撃、水上偵察機運用と非常に使い勝手が良い。そのため、色々と便利屋的に扱われることもある。実際に空母や戦艦と艦隊を組む場合、その役割は『駆逐艦兼囮』と揶揄されるほどだ。

 だが、さすがに司令船にも乗せず、乙女を輸送船に取り残すとは、ひどい話だ。

 

(もしかして――)

 

 ちらり、と遠征の失敗を思う。熊野は海上護衛の最中に、敵と遭遇、重傷を負った末に回流丸に救助された。

 佐世保の赤松提督は、熊野に懲罰を与える目的で、回流丸に取り残すことを選んだのだろうか。

 

(や、やりかねませんわ――)

 

「なにぶん、ぼろい船でして。ご不便をおかけします」

 

 熊野は慌てて首を振った。さすがに失礼だ。

 

「いえ、ご面倒をかけたのは、わたくしの方ですし」

 

 言いながら、熊野は目線を沖田から艦首甲板にいる空母ヲ級へ移した。

 やっと、本題に入れる。

 ヲ級は潮風を体に浴びせ、気持ちよさそうに目を閉じていた。横顔はひどく穏やかだが、人類の天敵であるという事実を忘れてはいけない。

 空母ヲ級は、人間の女性に酷似した体に、小山のような帽子を被った姿の深海棲艦だ。帽子からは腕くらいの太さの触手が、数本下に垂れ下がっており、内側に影を作っている。

 沖田も、帽子の下で涼んでいる深海棲艦に目をやった。

 

「やっぱり、気になります?」

 

「すごく」

 

「あんまり、首突っ込まない方がいいと思いますけどねぇ」

 

 嘯く沖田に、熊野はじろりと半目を向けた。

 沖田は肩をすくめる。

 

「まぁ、お気になさらず。大抵のことは、お答えしますよ。あいつのことが、もうばれてしまいましたので。それに比べれば、もはや面倒でもなんでもありません」

 

「ばれた?」

 

「ええ。でもあいつに怪我がなかったのは、不幸中の幸い。よかったです」

 

 熊野は、ぎゅっと拳を握った。

 

「よかった?」

 

「……ええ、まぁ」

 

「何が『よかった』ですの!」

 

 熊野は喰いかからんばかりの勢いで、沖田に迫った。

 沖田が面食らって後ずさる。

 固いことを言っているのは分かっていた。だがそれでも、言わずにはいられなかった。

 

「ご自身のやっていることの危険性をわかってますの!? 深海棲艦の通報義務はご存じでしょうっ?」

 

「はい、もちろん。ですが」

 

「まだですわ。空母クラスの深海棲艦なら、1隻でも活動を開始すると、海域の『泊地化』が始まりますわ。そうなったら、どんな海でも、新たな深海棲艦の供給拠点になってしまいます」

 

 熊野が沈むときに見た、あの青い光の流れ。

 あの青い光こそ、深海棲艦が海を支配している根本原因だった。

 あの青の光の中を、深海棲艦は自在に通行できる。そして深海棲艦が現れると、その場にはその海流が流れる層が、少しずつ生まれ始める。まるで紙に落とされたインクが、徐々に染みに大きさを広げるように。

 その状態が長く続くと、つまり深海棲艦が長いこと同じ海域に居続けると、その青い光の流れは徐々に範囲を広げ、やがて他の海域ともつながるようになるのだ。

 こうなると、その海はもうお終いだ。

 深海棲艦だけが通れる、海中の流れを通って、また新たな深海棲艦が補給されるようになるのだから。

 これが海域の『泊地化』だ。

 これを止めるためには、泊地化の原因となった、海域の主とも言える強力な深海棲艦を撃破する必要がある。

 鎮守府が深海棲艦から海域を取り戻すことを、よく『解放』と表現するが、それはこの『泊地化』の原因となった敵の艦隊を駆逐することと同義だった。

 熊野は沖田に詰め寄りながら、学習してきた内容を点検した。

 

「大変な危険行為ですわ」

 

「もちろん、存じております」

 

 言いながら、沖田は懐から封筒を取り出した。

 熊野は眉をひそめた。

 緑色のキャンパス地に、綴じ紐に結ばれた金属の輪。

 海軍の親展用封筒だった。細かい穴や、金属の輪は、有事の際に海中に素早く投棄するための工夫だ。

 

「これは?」

 

「命令書です」

 

「命令書?」

 

「ええ。横須賀鎮守府へあいつを――」

 

 沖田は、艦首方向のヲ級に目をやった。

 

「あの深海棲艦を運ぶ、というものです。朱印と管理番号の発番がされた、正式なものですよ」

 

 あなた方はこれで動くんでしょう、と沖田は笑って付け足した。

 明瞭ではないが、微かに皮肉の気配を感じた。

 熊野は気づかない振りをして、

 

「中身を拝見しても、よろしくて?」

 

「どうぞ。ただ、ここは風が強いので、中で見てください。我々の立場を証明する、唯一のものですから」

 

 そう言って、沖田は熊野に封筒を渡した。大きさは、普通の定型封筒と変わらないが、厚みはある。

 

「我々も馬鹿じゃないです。色々と経緯があって、あいつを運んでます。やましいところは、ないつもりですよ」

 

 沖田は細い目で熊野を見つめた。せっかちな生徒を叱る教師のような顔つきだった。

 沖田の後ろ、つまり艦首甲板の方で、ヲ級が相変わらずじっと目を閉じている。周囲を航海している他の艦娘にも彼女は姿を見せているはずだが、周りから警告が来たり、砲弾が飛んでくるようなことはなかった。

 熊野は急にいたたまれなくなった。

 見当違いなことを言っていることに気づいてしまった。

 考えてみれば、熊野は数日間気を失っていたのだ。この程度の話は、提督がしないはずがないし、そのことも含めたうえで沖田達は佐世保へ向かっているに違いないのだ。

 

「……それは」

 

 目線を甲板の床に落とす。

 軍艦とは違う、装甲もない木製の床だ。そもそも、このような普通の輸送船が進んで深海棲艦を運ぶはずがない。彼らはむしろ、振り回された側だろう。

 

「失礼いたしました」

 

 熊野は頭を下げた。

 沖田がちょっと驚いた顔をする。そして、笑いだした。

 

「な、何ですの?」

 

「いえいえ、申し訳ありません。海軍にもあなたのような方がいるというのを、忘れていました。そうですね、ええ、本当に失礼しました」

 

 沖田は乱れた襟を少し整えて、ハンカチで浮き出た汗を拭う。

 その時、艦首側のヲ級にも、動きがあった。1人の船員が彼女に近づき、何やら親しげに話し込んでいる。

 何かを手渡したようにも見えた。

 ヲ級が目を開けた。そしてその瞳が動き、熊野の方を向く。

 深海棲艦が熊野に気づいたのだ。頭の帽子を揺らして歩み寄ってくる。

 戦場だったら、1秒後にどちらかが死んでいる距離だ。

 熊野は緊張したが、対する沖田は慣れたものだった。

 

「ヲ級、挨拶しなさい。行儀よくな」

 

 軽く言って見せる。彼は彼女を、そのまま『ヲ級』と呼び下しているらしい。

 深海棲艦は固いブーツの音を鳴らしながら、単調に熊野との距離を詰める。やがて息を吹きかければ届くような距離に来た。

 熊野とヲ級の身長は、さして変わらない。並ぶと、吸い込まれるような大きな青い瞳が、熊野の顔を映し出した。

 

「かんむす」

 

 瑞々しくも青白い唇は、低く、たどたどしい声を発した。

 

(喋れるんだ)

 

 思ったのもつかの間。

 べしゃり。

 空母ヲ級は深海棲艦の粘液に塗れた手で、熊野の頬を触った。怖気が背中を這い上がった。

 沖田が眼精疲労にかかったように、目元に手をやっていた。

 

「しゃちょう」

 

「……なんだ」

 

「いきてる」

 

 硬直する熊野に構わず、ヲ級は手を下の方へ動かした。

 頬から、下顎、首筋から鎖骨を通って――

 

「ひゃああああああ――!?」

 

 東シナ海の海に、熊野の叫びが響き渡った。

 

 

     *

 

 

 熊野と沖田は、回流丸の船内、食堂へ場所を変えた。

 パイプ椅子と固定式の机があり、棚にはVHS形式のテレビデオと電子レンジ固定されている。壁に貼られた航路を示す海図は、船ならではだろう。『損して得を取れ』、と書かれた掛け軸も飾られている。

 『食事が美味い船は長続きする』という言葉もあり、食堂にも相応に気を遣っているようだ。沖田と熊野、そして船員に拘束されたヲ級が入室しても、まだ広さにはゆとりがあった。

 

「我々がこいつと旅をするようになった原因、ですか」

 

 沖田が椅子に座りながら、ちらりと船員に取り押さえられたヲ級を見た。そして、熊野の質問を復唱する。

 熊野も座り、頷きを返しておいた。

 不躾な質問かもしれなかったが、深海棲艦と戦う身としては興味の方が勝った。深海棲艦を輸送会社が運ぶ、という異常事態に至った経緯を聞きたかった。

 

「ええ。もし、お気に障らなければ、教えていただけませんこと?」

 

 沖田はちょっとの間、頬を掻いていたが、やがて降参とばかりに両手を上げた。

 

「分かりました」

 

 沖田は少し視線を宙に彷徨わせた。話の始めどころを探しているようにも見えた。

 

「発端は、大体2年前。我々が鎮守府の輸送作戦で遠くの国へ行ったことは、お話しした通りです。ですがその時の社長は、私ではありませんでした。私の父親です。私と違って体がやたらと大きくて、色々と無茶をやる人でもありました。その父親が、今回の話の発端です」

 

 沖田は言葉を切って、窓から見える海を見つめた。遠い目をしていた。

 

「行き着いた先は、地中海。で、深海棲艦の海上封鎖に遭いました。これもお話ししましたね? で、えらい目に遭ったわけです。何せ帰ることもできないし、その国自体も資源の輸送に困窮し苦しい立場にありました。その国は結構な大国なんですが、目と鼻の先のアフリカから資源が届かないのでは、いずれ枯れ果ててしまいます。北は北で色々と――いえ、やめましょう。

 話が逸れましたね。このままじゃどうしようもない、ということで、その国は攻勢に出ます。鎮守府で、輸送作戦に同行した艦娘も参加しました。同盟国から艦娘も集められました。ビスマルクさんを、知ってますか? 彼女のご同輩もいたのですが」

 

 熊野は首を振った。

 

「そうですか。とにかく大掛かりな作戦が展開され、多数の犠牲が出ました」

 

 犠牲。

 熊野も、その輸送作戦の顛末は知っていたが、当人が淡々と語る分、妙な凄みがある。

 

「あまり公にはなっていないことですが……核兵器の使用もありました」

 

「か――」

 

「直接の被害を狙ったわけではなく、根城になってしまった小島を粉砕し、泊地棲姫や飛行場姫とかの陸上型の深海棲艦を活動不能にする、というものだったらしいのですが」

 

 それでも、尋常な話ではない。

 沖田が話を戻した。

 

「失礼、話を戻します。生じた多数の犠牲、私の父もその中の一人になりました。この船で逃げている最中に、攻撃を受け、海に投げ出され、それっきり」

 

 熊野は息を呑んだ。

 沖田は淡々と話しており、そこには家族を失った悲しさは見られない。

 何か言うべきか迷っている内に、沖田がヲ級の方を示した。

 

「父は帰ってこなかった。でも、もう一人別のがやってきた」

 

 熊野は察した。

 

「もしかして、それが、その空母ヲ級?」

 

「はい。本人は、消えてしまった私の父から、回流丸を守るように言われたと言っています。そして、それを今も忠実に守っている」

 

「守る?」

 

 熊野が復唱すると、船員の腕からぬるりと脱出し、ヲ級が頷いた。

 

「そう。わたし まもる」

 

 守る、と熊野は心中で繰り返してみた。

 確かにバシー海峡の夜で、彼女は見事に回流丸を守って見せた。言っていることは事実と矛盾しない。

 

「それが やくそく」

 

 ヲ級は、静かに繰り返した。

 

「約束……」

 

「はい。ちょっと信じられないでしょ?」

 

 なんとも言いかねて、熊野は口をもごもごさせた。

 沖田はだはは、とだらしなく笑った。

 

「でも、それが事実です。それが、ヲ級が私たちに着いてきた理由です」

 

「しゃちょう」

 

 ヲ級が、つと顔を上げて言った。

 

「まだ、あ、ある」

 

「おお、そうか。そういえばそうだったな」

 

 ヲ級が熊野の方を見た。グレーのスーツに大型の帽子と、深海棲艦の生々しい艤装をフル装備した彼女は、その動きだけで熊野を威圧する迫力を発していた。

 輝く青い目など、まさしく海の生き物の光り方だ。

 だがそういう人外の部分を抜きにして考えると、顔立ちは整っている。可愛いというより、綺麗という言葉が合うだろう。

 

「かんむす あいたかった」

 

「え?」

 

 熊野はきょとんとした。沖田が補足する。

 

「艦娘に、会いたいそうですよ。先ほどのご無礼は、恐らくそういうことかと。元々興味があって、そのためにも我々に着いてきた、といくことです」

 

 つまり興味のあまりに、いきなり触ってきたということか。

 その行為はともかく、旅をする理由にはなると思った。熊野達の母国は、艦娘という仕組みの発祥の地であり、そこから今を時めくフリート・ガールズの技術が輸出されたのだ。当然所属する艦娘は多く、それを目当てにするというのなら頷ける。

 

「艦娘に、興味がありますの?」

 

 ヲ級が頷いた。だが理由を語りだす気配はない。

 沖田が肩を竦め、ヲ級の後ろに控えている船員も苦笑した。

 理由を質そうか、熊野が迷っていると、ヲ級が口を開いた。

 

「なまえ」

 

「え?」

 

「かんむす なまえ」

 

 しばらくの間の後、熊野は自分の名前が問われていることに気がついた。

 

「わたくし?」

 

 こくり、とヲ級が頷く。

 確かに自己紹介はまだだった。

 熊野は椅子から立ち上がると、片足を斜め後ろに引き、スカートの端をちょっとだけ持ち上げる。そして、少しだけ腰を折った。

 

「ご挨拶が遅れまして。わたしくし、最上型重巡洋艦『熊野』と申します」

 

 ヲ級が瞬きを止めた。じっと熊野を見つめている。

 唇が小さく動いており、言われた名前を復唱しているのだと気がついた。

 

「くまの」

 

 深海棲艦が復唱する。

 色のない、白磁のような頬が少しだけ引きつり、唇の端に微笑の気配を漂わせた。綻び始めた蕾のような、咲きかけの微笑みだ。

 熊野は思わず息を呑んでしまった。

 綺麗な子だな、と思った。

 深海棲艦にそんな感想を抱くのは、艦娘としてあってはならないことだけれど。

 

「育ちがいい子っすねぇ」

 

 船員が小さく呟いていた。きっと独り言だったのだろうが、艦娘の聴覚が拾ってしまった。

 熊野は微苦笑を浮かべた。

 艦娘にも、そうなる前の過去というものがある。意図して己を変えようとする者もいるが、昔の思い出を大事にする者もいる。熊野は後者だった。

 熊野はヲ級に注意を戻す。

 

「あなたは?」

 

 つい言ってから、失敗したと思った。

 相手は深海棲艦だ。名乗る名前を持ち合わせているはずがない。

 

(あれ?)

 

 しかし、ふと、違和感を覚えた。

 彼女の名前をどこかで聞いたような気がするのだ。まるで旧い知人の名前を忘れてしまったかのような、心のどこかに疑問が引っかかっている感じ。

 熊野の心中をよそに、ヲ級は言った。

 

「……わたしは、わたし」

 

 船員が、ここぞとばかりに口を開いた。

 

「ほら社長~やっぱり面倒くさいっすよ。いい加減名前決めません?」

 

「ヲ級は、ヲ級ですよ」

 

「そりゃ名前じゃないっすよ」

 

「ヲーとか、クーとか呼んでるのも似たようなものだと思いますがねぇ」

 

 どうも話を聞くと、回流丸の船員は彼女に好きに名前を付けて読んでいるらしい。この船員は、ヲ級の音を伸ばした『ヲー』と呼んでいる、とのことだ。

 他にも空母の『クー』や、『クラゲ』、『サザエ』、『キノコ』に『海産物』なんてあんまりなあだ名もあるらしい。

 その扱いぶりに熊野が呆れていると、沖田達はようやく議論を打ち切った。

 頬を掻いて、

 

「失礼。ど、どこまで話ましたっけ?」

 

「ヲーのやつを拾ったところまでです、社長」

 

「ああ、そうでした。そこからは、もうお察しの通りだと思います。当時、地中海の国に深海棲艦をどうこうできる技術や意思があるわけもなく、我々はこの国へヲ級を連れていくという命令を受けました。護衛までつけて貰えたのですが……」

 

 沖田はそこで、言葉を切った。どう話したものか、悩んでいるらしかった。

 

「リンガで海軍にヲ級のことを報告したら、急に目的地を横須賀に指定されましてね」

 

 熊野は、懐に仕舞った命令書を取り出した。

 中身を見ると、確かに横須賀鎮守府の提督の朱印が押されていた。南洋に点在する泊地は、馬公のような例外を除き、基本的に鎮守府の管理下に置かれている。リンガ泊地は横須賀鎮守府の管轄だった。

 

「いわば、命令を上書きされたわけです。そんなわけで、我々は横須賀へヲ級を運ぶ予定でした。今は、佐世保に運んでいますが」

 

「それは……」

 

 熊野の中に、疑問が渦を巻いた。

 なぜ横須賀はそんな指示を出したのか。事前にヲ級の扱いについて、海軍の中で合意はなかったのか。

 沖田の言葉が全て正しいとして、では横須賀の前に、当初の目的地はどこだったのか。

 もっと言えば、回流丸が単艦で航海していたことも気になる。話に出ていた外国からの護衛は、リンガの後どうしたのだろうか。そしてなぜ、横須賀はこれほどの重要な船を単艦で行動させたのだろう。まるでこそこそと、隠し事をしているみたいだ。

 思考が内側へと沈む。

 疑問、疑問、さらに疑問。

 沖田達からさらに話を聞きたかった。が、これ以上は上手くはぐらかされるのを覚悟しなければならないだろう。このデリケートな問題に横須賀鎮守府が関わっているということは、秘密条項の取り交わしも当然にあるだろうからだ。

 

(少なくとも、佐世保鎮守府はヲ級のことを知らないようですけれど……)

 

「熊野さん」

 

 思っていると、後ろから声をかけられた。

 振り向くと、息が詰まってしまう。通路を塞ぐような大柄な女性が、熊野を見下ろしていたからだ。確か船員兼沖田の秘書をしている――ハナという女性だ。

 

「熊野さん、あなたにお客が」

 

 その後ろから、紫色の髪が少しだけ見えていた。来客の背は低い。

 熊野はお客が誰かを察した。

 沖田が席を立つ。

 

「では、我々はここでお暇します。ハナさん、ご面倒かけますが、ヲ級を部屋に戻してください」

 

「艤装はどうします?」

 

「外してください。補給は後にしましょう」

 

「ほきゅう ほしい」

 

 ヲ級が抗議した。

 熊野はなぜ彼女が完全装備をしているのか、うっすらと推測した。恐らく、頭の帽子や彼女自身に、補給――つまり食事が必要なのだろう。普通に食事をする艦娘と違って、深海棲艦は燃料や弾薬まで経口摂取すると聞いたことがある。

 

「ほきゅう」

 

「後で」

 

「しゃちょ、ほきゅう」

 

 その時、ヲ級が頭を振った際に、首筋に白いものがあるのを見つけた。首に巻き付いた、チョーカーのようにも見える。

 

「少し我慢なさい」

 

 ぴしゃりと言われ、ヲ級が一瞬だけ目を細め、その後、僅かに――ほんの僅かに下唇を突き出した。

 

「ちぇっ」

 

 舌うちの真似事をして、腰の辺りから拳大の袋を取り出す。甲板で船員から受け取っていた袋かもしれない。

 彼女は紐を開けると、中から小さな金属片を取り出し、口元へ持っていく。

 それは一円玉だった。

 小さな口と、小さな歯がそれに齧りつき、クッキーみたいにポリポリやり始める。

 熊野が呆気にとられていると、

 

「ほしいか」

 

 視線に気づいたのか、深海棲艦が訊いてくる。

 熊野は引きつった笑みで応じるのが、精いっぱいだった。

 

 

     *

 

 

 回流丸の廊下を、沖田と船員が進む。

 ハナとヲ級は別れて部屋に戻っているはずなので、通路にいるのは2人だけだった。それでも通路は狭いので、2人は前後に並んで進んだ。

 

「いい子ですねー」

 

「油断しちゃだめですよ」

 

 沖田は言った。

 

「相手は海軍、輸送船の事情を考慮してくれるとも思えない」.

 

「でも、あの子は」

 

「相手は公権力です。でかい歯車のようなもの。近づきすぎて手を巻き込まれても、誰も助けてはくれません」

 

 船員は沈黙した。雇い主のどうしようもない海軍嫌いは、彼も知っている。

 

「……あいつ、どうなるんでしょう」

 

 船員が言った。

 沖田も察するだろうが、あいつとは、すなわち、空母ヲ級のことだ。

 

「さて……」

 

「寂しいっすねぇ。横須賀、行きたがってたけど」

 

「弁えることです」

 

 沖田は向きを変え、艦橋への階段を上り始めた。彼には決めなければならないことと、指示を出さなければならないことが山ほどあった。

 

「我々は、輸送会社。あいつは、あくまでも商品」

 

「妹みたいに可愛がってるやつもいますよ。俺は、それほどじゃないけど」

 

「妹ねぇ……」

 

 首輪の電池について少しだけ言及して、彼の社長は艦橋へと上がっていった。

 

 

     *

 

 

「ご無事で何よりです」

 

 食堂のテーブル、今まで沖田達が座っていた席に、駆逐艦『不知火』が腰かけていた。

 グレーのブレザーとスカートが制服の艦娘で、綺麗な薄紫色の髪を後ろで纏めている。常に無表情が特徴の駆逐艦で、その冷静さと判断の的確さは、熊野も頼りとするところだった。

 背中の艤装は、今は外している。この辺りの着脱の容易さも艦娘の強みである。

 

「提督から命令を預かってきました。極秘ということで、直接不知火が伺いました」

 

 挨拶もそこそこに、不知火は本題に入る。

 熊野は眉をひそめた。

 

「極秘?」

 

 不知火は緑色の封筒を熊野に差し出した。

 受け取って、中身を見る。内容は大きく分けて二つだ。

 

「謹慎処分、ですか……」

 

 肩に重石がズンと乗ったような気分だった。やはり回流丸に残されたのは、提督が与えた遠征失敗の懲罰なのだろう。

 して、もう一枚目は――

 

(これは)

 

 熊野は眉間に皺を寄せた。ひどく曖昧な内容だったからだ。

 そして熊野の艦娘、つまり軍属としての経験は、内容をいかようにでも解釈できる曖昧な指令は、すなわち厄介事の前触れであることを知らせていた。

 

「バシー海峡で、負傷されたそうですが」

 

 熊野がじっと内容を読んでいると、不知火がぽつりと言った。

 任務を果たしたことで、彼女本来の気遣いが顔を出していた。

 

「もう、大丈夫ですか?」

 

「ええ。すっかり、元通りですわ」

 

「そうですか」

 

「あの夜は助かりましたわ」

 

 不知火は、ひっそりと笑った。

 

「いえ、それまで生き残っていたのは、熊野さんの力です」

 

 その意図を察して、熊野は苦笑する。

 

「そうおっしゃるようなことでも、ありませんわ。情けないことですわ、あなた方がいらっしゃらなければ、わたくしも、この船も、助からなかったでしょう」

 

「かも、しれませんね」

 

「沈んでいたところを、助けていただいたわけですし」

 

 不知火がそこで眉を微かに動かした。何かを言うか言うまいか悩んでいる、微妙な表情だ。

 熊野が首を傾げると、不知火は告げた。

 

「熊野さんを助けたのは、不知火達ではありません」

 

「え?」

 

「あの時すでに、通常の艦娘では救助不可能な深度にいて――」

 

 熊野にもだんだん状況が飲み込めて来た。そこまでの潜水能力がある存在など、あの場には1人しかいない。

 

「熊野さんを救出したのは、あの空母ヲ級です」

 

 『会いたかった』。

 彼女が発した一言が、鉛のような重みと共に胸を突きあげた。

 目の前の司令文に目を落す。

 

 『深海棲艦(以下対象「甲」)と親交を深め、次の司令に備えよ』。

 

 命令文には、そうあった。今回の一件を契機に、物凄い厄介事が転がってきているのだけは、なんとなくわかった。

 

 沖田達の言っていた、海軍の公権力としての容赦のなさは、今まさに身内に対して振るわれようとしていた。

 




会話を多くすると、テンポがよく見えるかなぁとか色々試しております。
お読みいただきありがとうございました。

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