空母ヲ級運用指南 ~蜃気楼の海~   作:mafork

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1-5.やかんばくげき

 荒れた海に、眼前の敵。味方は自分1人だけ。

 盛り上がっては沈む波の合間を滑りながら、熊野は果敢に砲撃した。

 主砲と、無事な副砲で敵の進行方向に砲弾を送り込んでいく。夜の闇と、視界を遮る高波で、命中は期待できそうもないが、気を引くことはできるはずだ。

 当然敵も撃ってくる。熊野の付近にも着弾、水柱が枝を広げる大きな木のように吹き上がり、やがて重力に引かれて落下する。熊野はまたも頭から水をかぶった。

 

「3対、1ですわね」

 

 熊野は上品さを失わない程度に、口の端で舌打ちした。

 ある程度距離をとって行う昼間の砲撃戦と異なり、夜戦は近距離での戦闘になる。そのため、少数が多数をかく乱する、という状況にもなりやすい。

 だが積極的に砲撃をし過ぎたせいで、位置が露呈しつつある。かといって攻撃をやめて沈黙すれば、敵はさらに速度を上げて回流丸へ迫るだろう。

 電探(レーダー)が壊れているのも痛かった。

 

(回避行動を、取らせなければ)

 

 再び砲撃をする。振動でわき腹が痛み、血が染み出す感覚があった。服に染み込んだ塩水も傷口を刺激する。

 それでも視線は、航行する敵から離さない。

 より効果的な攻撃をするために、熊野は右に舵を切り、敵の艦隊へ迫ろうとした。

 そこで、通信が来た。沖田だった。

 

≪熊野さんですか≫

 

「沖田さん!?」

 

 答えた瞬間、付近に着弾。バランスを崩し顔から海へ突っ込みそうになったが、重巡洋艦の復原力で持ち直した。

 

「なんですの!?」

 

≪敵の船団から距離を取ってください≫

 

「はい?」

 

≪距離をとって!≫

 

「どうして!?」

 

 答えに、熊野は耳を疑った。

 

≪爆撃が、来ます≫

 

 途端、周囲が急に明るくなった。

 見れば、夜空の中に、一際明るい星が出現している。凄まじい光量で、傷ついた熊野と、彼方にいる深海棲艦の姿を照らし出していた。

 魚のようなシルエットの駆逐艦が1隻に、船の艦首からにょっきりと人間の上半身が生えたかのような、軽巡洋艦が2隻。合わせて、数は3隻だ。

 先頭の軽巡洋艦が熊野の方を見ていた。正確に獲物を捕捉し、合図の雄たけびをあげる。

 その叫び声を、爆音がかき消した。

 砕け散る軽巡洋艦の上半身が、膨大な光の中で、くっきりとしたシルエットを残した。

 

「え?」

 

 突然の出来事に、頭が真っ白になった。

 無線機から静かな声がする。

 

≪やった、よ≫

 

 聞いたことのある、たどたどしい声だった。

 目を凝らせば、敵の船団の上に編隊を組んだ航空機の群れが見えた。先ほどからの光――照明弾の明かりを頼りに、敵に次々と爆弾を落としていく。

 しかしその飛行機の姿は、熊野がよく知る飛行機の姿とは違っていた。

 実際の飛行機を小型化したものではない。プロペラもなく、操縦席らしきものも見受けれらない、黒い円盤のようなものだ。それは、深海棲艦が用いる飛行機であることを、熊野はよく知っていた。

 

(さっきの声――)

 

 甲板で見た、人間離れした少女のことを思い出した。

 そして今の状況。熊野の中で、確信が生まれた。

 

「あ、あなた……」

 

 震える声で、訊いた。

 

「深海棲艦を、連れてるんですの……?」

 

≪ばれちゃいましたか≫

 

 いかなる感情も感じさせない、コンクリートの壁のような応えだった。

 

≪まぁいいじゃないですか。ヲ級! 続きを潰せ、第二次攻撃隊発艦!≫

 

≪はっかん!≫

 

 再び、少女の声がする。熊野は海上に目線を走らせる。熊野の方に、頭に大きな帽子を載せた少女――空母ヲ級が航行してきた。

 うねりの間を滑り抜け、どんどん速度を上げてくる。

 マントと、ふわりとした髪が、向かい風にはためいてほとんど真後ろへ伸びていた。

 

≪ヲ級! 艦載機出てないぞ!≫

 

≪え≫

 

 ヲ級が手に持った杖で頭の帽子をガンガンと叩いた。

 そこでようやく、帽子が大きな口を開き、艦載機を吐き出した。

 やれやれ、しょうがねぇな。

 そんな調子の、欠伸をするような、気だるげな口の開き方に見えた。

 色々な意味で、こんな深海棲艦見たことない。

 

「だ、大丈夫なんですの?」

 

≪……ええまぁ。今月中じゃ、早い方ですね≫

 

「こ、」

 

 今月中?

 いったいいつから、こんなことを?

 熊野の疑問を傍目に、艦載機の爆撃が再び始まった。

 

 

     *

 

 

 ヲ級は、夢を見ていた。

 深海棲艦の艦載機は、妖精が乗り込んで操縦をする艦娘の艦載機と異なり、一機一機それ自体が生きている。彼らに明確な意識はなく、ただ古い戦争の記憶に沿った、夢を見ながら飛んでいる。

 破壊と戦いに明け暮れる夢だ。

 もし彼らの攻撃の精度を上げたいのなら、彼らと深く交信する必要がある。

 それは彼らの夢の中に入り、操縦席のパイロットとなって、彼らを操ってやることを意味していた。

 人類が手綱で馬を操るように。操縦桿は、いわば彼らの心の手綱である。

 ヲ級の目の前にあるのは、先ほどまで航行していた海面ではない。古いレシプロ機の簡素な計器と、薄汚れた風防越しに見える、夜の海と空だった。

 ヲ級は、彼らの夢の中――爆撃機のコクピットの中にある。

 

「はっかん せいこう」

 

≪よくやった。敵艦隊を通り過ぎてるぞ、北に反転して、敵を追いかけろ≫

 

 無線機からの声に、操縦桿を左へ傾け、引く。飛行機が左へ旋回した。

 彼らの姿は外から見れば異形の円盤だったが、彼らの記憶の中では、往時の彼らの姿だった。風防の前にはプロペラが見え、横を見やれば、翼がある。

 

≪爆装させたのは、これで全部だな?≫

 

 ヲ級は周囲を確認した。残りの飛行機もしっかりと着いてきていた。

 

「まだ はっかんできる でも」

 

≪第三次発艦か。でも時間がかかるだろう?≫

 

「そうだ」

 

≪この第二次攻撃で決めよう。夜間だが、この明るさなら急降下爆撃は可能か?≫

 

「できる」

 

 折しも、眼下には敵の艦隊の最後尾をとらえつつあった。

 動いている敵には、高空からただ爆弾を落とす水平爆撃では命中率に不安が残る。60度以上の急角度で敵艦に突っ込み、爆弾を落とす急降下爆撃であれば、飛行機の進行方向に爆弾が落ちるので、狙いがつけやすい。加えて落下距離が短くなるため、命中する確率も高かった。

 ただでさえ危険な夜間飛行でこの戦法をとるリスクはあったが、照明弾の援護の下では、可能であろう。

 

「やるよ」

 

 ヲ級は操縦桿を倒した。艦載機の機首が下がり、敵駆逐艦の方を向く。エンジン出力を抑え、落下エネルギーで加速。速度がついたら、翼のエアブレーキを展開して、速度の超過を抑える。

 艦載機とヲ級、相互に染みついた一連の動作だ。

 敵の青い目が、背後に迫ったこちらを凝視しているのが分かった。

 艦隊から猛烈な対空砲火が来るが、そもそもが水雷戦隊だ、脅威になるほどの密度ではない。

 

「とうか」

 

 呟き、爆弾を放った。

 左右の翼から、重荷が外れる気配があった。

 即座に操縦桿を引き、機体を引き起こす。一瞬遅れて爆発があった。二度目、三度目、と後続の機体も次々と爆弾を落としていく。

 

≪よくやった。駆逐艦、大破……いや撃沈!≫

 

 沖田の声。ヲ級の艦載機が高空へ向かっていると、眼下で炎上する駆逐艦が轟沈するのが見えた。

 残るは軽巡洋艦一隻となった。

 ヲ級は十分に高度を取った後、もう一度機首を下に倒した。現在の高度は2000m。時速500キロで駆け下りれば、一瞬で標的まで届く距離だった。

 二度目の急降下爆撃。照準用のスコープの中で、見る見るうちに軽巡洋艦の姿が近づいてくる。

 見開かれた目と、鋭い歯を見せる口元が、限りない混乱と怨嗟の表情を作っていた。

 スコープの十字線に、その表情が一瞬だけ重なった。

 

「ごめん」

 

 親指で、ヲ級は投下ボタンを押した。ゴクン、と胴体から爆弾が離れる。

 即座にエアブレーキを収納。機体を引き起こしながら、いち、に、さん、とヲ級は時間を数えた。

 

「よん」

 

 背後から爆発音。何かの絶叫が聞こえる。

 撃沈、と沖田が告げた。

 

(おわったか)

 

 ヲ級は安堵し、首を回して左右を確認した。傷を負った機体や、墜落した機体がいないかを確認するためだった。

 少なくともこの編隊に損害は出ていないようだ。

 

「あ……」

 

 そこで、風防に何かが当たっていることに気が付いた。

 水滴だった。

 

「あめ……」

 

 水滴はどんどん増え、あっという間にスコールになった。

 すでに月はない。照明弾も、雨に叩き落されたのか、燃焼が止まったかでいつの間にか見えなくなっている。

 夜の闇と雨が、風防の外に暗黒の帳を下していた。

 

≪ぎりぎり間に合ったな≫

 

 沖田が、呟いた。

 ヲ級も同感だった。全暗黒の中での飛行は計器に頼らざるを得ず、戦闘能力はないも同然になる。一瞬早く雨が降り出していたら、爆撃に失敗していたか、海に突っ込む機体が出ていただろう。

 

≪社長!≫

 

 そこで、無線が入った。

 

≪大変です!≫

 

≪報告は正確に。どうしました?≫

 

≪新手です! 方位0-9-4、距離2海里に、敵艦2! 艦種は両方とも駆逐です!≫

 

 約3500メートル。艦隊戦では超至近距離にあたる。

 ヲ級は回流丸の方へ進行方向を変え、必死に海面を探したが、敵らしい姿はない。敵が小さいのもあるが、猛烈な雨のせいで見通しがまるできかないのだ。

 

≪ヲ級≫

 

「だめだ しゃちょう」

 

 艦載機の電探にも感はない。雨のせいもそうだが、こちらはそもそも信頼性が低い。

 

「ここじゃ みえない みえないよ……」

 

≪雷跡に注意!≫

 

 沖田が叫んだ。

 

≪魚雷が来るぞ――!≫

 

 ヲ級は艦載機の群れを引き連れ、回流丸の右舷方向へ目指した。

 いざとなったら、機体をぶつけてでも艦を守る。

 ヲ級は僚機にも索敵の旨を伝え、機体を右に傾けて風防越しに海面に視線を走らせた。

 やがて、海面に一つの艦影を認める。真黒な海の上で、わずかに光が点滅しているのが見えたのだ。

 しかし、よく見るとそれは深海棲艦のものではない。

 船灯に一瞬だけ照らされたあの髪は――熊野のものだ。

 

 

     *

 

 

 深海棲艦は、6隻前後で行動する。だから、熊野は4隻の敵が来たとき、1、2隻がどこからか大きく迂回してくる可能性を感じていた。

 回流丸が砲撃し、一隻が落伍したと聞いた時も、その一隻がその別働隊に合流したという可能性も排除しなかった。

 深海棲艦はしつこい。なにより、夜間の着弾確認は難しいため、落伍したのか、それとも進路を変えただけなのか、正確に見分けることは難しいように思えたのだ。

 現在、右舷から接近してくる敵の数は、2隻。今まで倒したのは3隻。

 合わせて5隻。

 案の定といえた。

 

「沖田さん」

 

 そう呼ぶ声は、熊野自身でも不思議なほど落ち着いていた。

 

≪熊野さんですか?≫

 

「ええ。今、そちらの右舷方向で並走しておりますわ。敵は2隻、方位0-8-5」

 

 熊野は前方に目を凝らした。雨の中、高い波の合間から、こちらに突き進んでくる青い光が見える。

 

「一捻りで黙らせてやりますわ」

 

 主機を動かし、前に進んだ。

 敵は目の前の2隻だけだ。凶暴な魚のような外見の、標準的な深海棲駆逐艦。1隻が僅かに傷ついているのは、回流丸の砲撃によるものか。だがその傷ももう治りかけているように見えた。

 敵から砲撃が来るが、左右に蛇行して回避する。徐々に面舵を大きめに効かせて、進路を右に傾けていく。敵艦を左方向、30度に見る位置に来た。

 そこで、踝に体重をかけ急減速。

 魚雷発射管を準備。

 取舵で左へ向かいながら、敵の未来位置に立ちふさがるような針路を取った。

 

(今しかない)

 

 熊野が背負う艤装は、単なる機械ではない。かつての艦の記憶が込められた、艦娘の思考を補助する感覚器だ。

 艦娘の優位性はそこにある。

 実際の艦では、艦長が極度に疲労したり、乗員の交代の度に引き継ぎをしなければならなかったり、船速を変えるのにいちいち機関室に連絡しなければいけなかったりするが、艦娘は違う。艦娘本人が思考するだけで、艤装の記憶と経験とが有機的に連動し、望んだ兵装や速力を最適な形で動作させる。実際の軍艦に劣らぬ力を、より素早く、デリケートに振り回すことができるのだ。

 今がまさにそうだった。

 艤装に込められた艦の記憶が、熊野の思いをトレースする。脳髄の中を、情報が稲妻のように駆け巡る。

 

 調定諸元。対深海棲信管。

 圧力、深度、釣合(トリム)。発射機空気圧。

 反航戦。

 真っ正面から、酸素魚雷!

 

 ビー、という準備完了のブザーと共に、3連装の魚雷管4機から、続々と海へ魚雷が飛び込んでいく。

 暗黒の海の下で、12本の魚雷が扇形に広がりながら、敵艦へ向けて航走した。

 熊野は祈った。

 深海棲艦を殺すことができるのは、艦娘の武器だけだ。

 最新技術でライン製造された弾頭も、ミサイルも連中には効果がない。かつて海に沈んだ艦、その名を襲名した人間が、幕を引いてやらなければならない。

 宿命が解き放つ、情念と因果に塗れた弾頭。それだけが、深海棲艦の『核』に届く。

 

「とぉぉぉう」

 

 熊野はいつもの息を吐く。

 暗い海が爆ぜ、一瞬だけオレンジの光が見えた。爆発音と竜骨がくだける金属の悲鳴が、雨音の中で混じり合う。

 そして、巨大な爆炎が吹き上がった。

 2隻の駆逐艦は、1隻は真っ二つになり、もう1隻は艦首に大きなダメージを受けたらしく、急減速していた。戦闘能力はあるまい。

 

「敵艦、無力化しましたわ!」

 

 報告に、無線機から快哉があがるのが分かった。沖田が礼を言ってくる。

 

≪助かりました。あなたが乗船していてよかった≫

 

 皮肉のない、本心からの感謝に聞こえた。

 

「いえいえ、当然のことです」

 

≪あ≫

 

 沖田に続いて、たどたどしい声が来た。

 

≪ありが とう≫

 

 空母ヲ級だった。当たり前だが、深海棲艦にお礼を言われたのは初めてだった。

 

≪これで かえれる≫

 

 予想以上の真摯な言葉に、熊野は戸惑った。そして、これから自分は彼らを問い詰めなければいけないことを思い出す。

 

「そーですわ! あなた方、深海棲艦を連れているというのは……」

 

≪あーその話ですか≫

 

「まだ一隻、無力化してますが残っています。それを沈め次第、話を聞きますから

ね!」

 

 言い切って、残った駆逐艦に向き直った。逃げるつもりらしいが、まだ回頭を終えていない。船体のダメージは深刻なようだ。

 熊野は主砲を駆逐艦に向け――撃つ直前に、その駆逐艦が勝手に砕け散るのを見た。

 前触れのない、海からの爆発だ。

 

(魚雷!?)

 

 やはり1隻残っていたのか。

 それに答えるように、無線機がやかましい大声を発した。

 

≪やったー! 待ちに待った夜戦だー!≫

 

 まるで大好きなバンドのコンサートにやって来たかのような、喜びに沸く少女の声だ。

 突然の魚雷攻撃に、夜戦を喜ぶこの言葉。

 目を白黒させる熊野だったが、声が続くうちに、段々と状況を理解した。

 

≪もっしもし? こちら、鎮守府の第1艦隊です! 救難信号を受けてきました! 大丈夫ですか? 夜戦いりますか?≫

 

 もう全て終わっている。熊野は眉がひくつくのを感じながら、できるだけ平和な声を出した。

 

≪こちら、損害なしですわ。相っっ変わらず夜は騒がしいですわね、川内≫

 

≪……え、熊野!? なんで!?≫

 

≪それはこっちの台詞ですわ。なんで第1艦隊のあなたが……≫

 

 言いかけた時、ふと気づいた。勝利の余韻も吹き飛ぶ、猛烈に嫌な予感。

 第1艦隊がこの場にいるということは……。

 

≪熊野か≫

 

 落ち着いた、年配の男性の声だった。

 今度こそ本当に、熊野は度肝を抜かれた。

 

≪川内に状況を報告せよ。私は、輸送船の代表者に話がある≫

 

 

     *

 

 

 暗黒の波の下から、彼女は状況を見守っていた。

 5隻いた味方は全てやられている。潜水艦でもない自分が、隠れている意味はもうないだろう。

 彼方に目を凝らすと、一瞬だけ夜のなかに光が見えた。爆発する『仲間』の光が、海の上を航行する艦娘の姿を照らし出す。

 油断している。之字運動が単調になっている。

 雷撃は、可能。

 幼さを残す垂れ目の瞳に、紫の光が宿った。

 優れた戦士は、戦闘において爽快な興奮を感じるという。だが、彼女が目に宿したのは、そうした輝きではない。

 勝利も、仇討も、生還への希望もない。瞳にあるのは、怨念のままただ燃焼を続ける、破壊そのものへの欲望だ。

 小さな頭蓋骨の中で、雷撃の諸元が、調整される。

 

 調停深度――。接触信管――。

 

 

     *

 

 

≪遅参失礼。佐世保鎮守府提督、赤松中将です≫

 

 無線から聞こえる男性の声は、落ち着いていた。幾つもの戦場を渡った軍人の、重厚な鞘に納められた刀のような、滲み出るような落ち着きだ。

 沖田は焦った。

 佐世保の提督? なんでバシー海峡なんかにいるんだ。

 大急ぎでヲ級を回収するように指示を出したが、果たして間に合うか。

 無線は使えないのでライトを使ったモールスででも合図するしかなさそうだ。

 しかしあいつにモールスを仕込んだのはいつだったか。

 

「救援感謝いたします、おかげさまで損害はありません。申し遅れまして、私、沖田輸送の沖田と申します」

 

 沖田は苦労して、脳の中身を戦闘時から商談をする時のそれへ切り替えた。

 時間を稼ぐ。

 

≪沖田……おお、あの沖田さんですか≫

 

 赤松提督は、少しだけ感慨深そうな声を出した。

 戦場でするには少し暢気すぎる会話だが、それは要するに危機を脱しているということだろう。

 沖田としても、提督の気が逸れているのは有難い。

 

≪お帰りは佐世保ですか?≫

 

「そうです。ご無沙汰しております。1年間向こうで缶詰にされておりましたから、挨拶にも行けず申し訳ない」

 

≪とんでもない。元々は、我々の過ちなのです≫

 

 艦橋では、沖田の無線を確認しようと、船員の多くが沖田の周りに集まったり、別の無線機の前に張り付いたりしていた。

 

「ここまでの航海で、負傷した艦娘を救出いたしました。実はそれのご報告もかねて、泊地へ航行していたところです」

 

≪把握しております。とんだご迷惑を。こちら側の慢心ですな≫

 

 それがへりくだったのか、無線を聞いているであろう熊野への叱責なのか、沖田には判断がつかなかった。

 

≪お話し中すいません≫

 

 その時、別の声が無線に割り込んだ。

 熊野ではない少女の声だった。

 

≪なんだ、川内≫

 

≪熊野が漂流する前に、すごい砲撃を受けたって言っています。ひょっとしたら、この近海に戦艦クラスの敵か、それ以上のやつが紛れ込んでる可能性がある、とのことです≫

 

≪そのことか。他の駆逐艦からも報告は受け、近海の全泊地に伝達をしている。敵がいるなら、尻尾を掴めるだろう。だが≫

 

 声が厳しさを増した。

 

≪今のところ、重巡以上の艦の発見報告はあがっていない。戦艦以上、などという報告を無暗にするものではない、熊野≫

 

≪……はい≫

 

 熊野の声は、弱弱しかった。

 そこで、ハナからヲ級の回収完了の知らせが来た。海に潜らせてから回収したので、電探に引っかかったり、見られたりしている可能性もないだろうとのことだ。

 潮時だ。沖田は話題を変えた。

 

「それより、敵はもういないのでしょうか」

 

 沖田は、赤松がヲ級に気づいていないことを確認しようとした。

 

≪ええ、今艦娘達に索敵させていますが、海上に敵影はありません≫

 

 赤松は言葉を切って、続けた。

 

≪ただ、今はもうないが、川内が到着した当初は空母クラスの反応と、多数の艦載機が確認されていました。すぐに消えたので誤差かもしれませんが、襲撃されたとき、艦載機の攻撃はありましたか?≫

 

 艦橋に緊張が走った。

 沖田は怪訝そうに答える。

 

「いえ、特には」

 

 艦載機にこの艦自体は攻撃されていないのだから、嘘ではなかった。

 しかしこの答えは完全に一時しのぎだった。

 

≪そうですか。熊野≫

 

≪はい≫

 

 熊野の声は、傍から聞いてもわかるほど緊張していた。

 

≪君は見たかね? 我々より早く戦っていたそうだが≫

 

 沖田は観念した。熊野に隠す理由が全くないからだった。

 返答には少し間があった。

 無線の奥で、熊野さん、と少し心配そうな声が聞こえる。向こうの駆逐艦娘だろうか。

 

≪どうした、熊野。我々は全ての深海棲艦を撃滅する必要がある。君の情報が必要だ≫

 

 なおも間が続く。

 

≪わたくしは……≫

 

 終わりだ。沖田は右手を挙げ、ぐるぐると回した。ヲ級を隠し部屋に戻す合図だ。

 熊野が何を言っても、この無二の財産は、横須賀まで運びきらなければならない。

 当然、佐世保にもばれるわけにはいかない。

 さぁ何とでも言え、言い訳で国語辞典ができるくらい、さえずってやる――。

 しかし熊野の言葉は、沖田の予想を裏切った。

 窓の外、遥か彼方で、一瞬紫の光が見えた気がした。深海棲艦が海から現れるときに見せる、独特の淡い光。

 

「おい」

 

 誰かが言った。

 

「ありゃなんだ?」

 

≪見ま――≫

 

 爆発音。艦橋の外の海で、オレンジの光が爆ぜる。

 魚雷だ、と誰かが叫んだ。

 沖田は窓辺に駆け寄り、傍にあった双眼鏡を引っ掴むと、外の様子を確認する。

 魚雷の黒煙の遥か先に、紫の光が一瞬だけ見えた。

 見間違いではなかった。あれは、深海棲艦の船灯か。まるで艦娘の艤装だ。

 長い髪と青白い肌が照らし出され、幼い、丸みを帯びた小柄な輪郭が少しだけ浮き上がった。

 だがそれも少しの間だけのことで、魚雷を放った主は、まるで幻であったかのように消えていく。

 沖田は唇を噛んだ。

 深海棲艦は、6隻前後で行動する。今まで倒したのは、ヲ級の爆撃で3隻、熊野が2隻。

 もう1隻いたのだ。

 なぜ今まで気づかなかったのか。

 

(それほど、距離が離れていたのか?)

 

 夜雨のなかで、水平線すれすれまで遠ざかれば、可能かもしれない。水上にいたら目視できない。水中にあったのだとすれば、船速でソナーも使えない回流丸や熊野には見つける術がない。

 

(だが、そんなに離れて、雷撃が通るのか?)

 

 長射程と、この威力。

 まるで酸素魚雷だが、これは艦娘しか保持していないはずだった。

 

≪熊野!!≫

 

 熊野の名を叫ぶ艦娘達の悲鳴が、無線を通して鳴り響く。

 沖田は我に返った。

 

「社長!」

 

 ハナの声が被さった。

 

「どうしました?」

 

「後部甲板より。誰かが救助に飛び込みました」

 

「は? 誰ですか?」

 

 あいつじゃない? いや違う。

 じゃああいつ? 違うな。

 そんなやりとりが艦橋で交わされる。人員は皆戦闘時の配置についているので、勝手な行動をしたものがいれば、すぐにわかる。

 しかし、回流丸の人員は全員が船内に揃っていた。

 艦橋の全員が顔を見合わせる。

 

 まさか――。

 

 裏付けるように、艦娘――確か、川内――の声が無線を通して響き渡った。

 

≪空母ヲ級がいるぞー!!≫

 

 あーもう無茶苦茶だよ、と沖田は頭をかきむしった。

 彼が細々と続けて来た全ての努力が、その瞬間、灰燼に帰した。

 

 

     *

 

 

 日     時:8月3日08:20(南西諸島海域 現地時刻)

 作 戦 領 域:馬公泊地 第4実験棟 地下2F

 

 

 男はようやく報告書を書き上げた。

 

 

 ―以下の内容を伝達のこと―

 

 本日未明より民間船と深海棲艦の戦闘が複数回発生。

 00:00~02:00 3件 給油船沈没

 02:00~04:00 5件 沈没艦なし 艦娘大破(沈没後救助)

             佐世保第1艦隊が輸送船1隻を護送

 04:00~06:00 2件 護衛駆逐艦大破、並びに輸送船航行不能(曳航にて処理)

 

 護衛船団への救護は、佐世保鎮守府第1艦隊が担当。

 軍令部へ詳細を報告するとともに、哨戒を怠った近隣の泊地には猛省を促したい。

 佐世保鎮守府艦隊の所在は、別海域の哨戒に伴う偶発的なものであり、平時であればより大きな損害が出た可能性が高い。

 また、本日馬公泊地到着予定の輸送船『東郷丸』の所在が、リンガ泊地に寄港以後不明である。貴重な積み荷があるため、近海での要捜索船のリストに追加のこと。

 

 深海棲艦の死骸は、規則通り馬公泊地の権限において回収する。

 

 手出し無用のこと。

 

 ―以上―

 

 

 男は席を立ち、椅子に掛かっていた白衣を引っ掴んだ。『解剖班』と、白衣の腕章には書かれていた。

 

 

 




 登場艦船紹介


 空母ヲ級:各地で見られる深海棲艦。
      ヲ級とは便宜的な呼称であり、固有名詞ではない。
      主食はスパム缶詰。
      (その他の性能諸元は不明)


あとがき

1章は導入的な位置づけとなります。
こいつらが何やってるのか、どういう背景があるのか、とかは2章以降から語ってまいります。
シリアスだけど、重くならない、読み口の軽いSSを目指します。



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