次からは長めの一話にまとめて投稿いたします。
失礼いたしました。
日 時:8月3日04:00(南西諸島海域 現地時刻)
作 戦 領 域:輸送船「回流丸」
南西諸島海域 馬公泊地沖72海里
コンディション:風東5、積雲2、視程95、遠方にスコール、海上高波
「だから嫌なんだ!!」
艦橋に、沖田のうんざり声が響いた。
「海軍と関わるとろくなことがない! まったくまったくまったく……今度はどこの狼だ」
口の中で、沖田は何度も繰り返した。首の裏がぞくぞくした。
風が出て、外の海は荒れていた。満月に照らされる切り立った波は、まるで船を食らう
1つの牙を越える度、回流丸は
≪敵艦砲撃!≫
「とにかく逃げて! 群狼戦術だとしたら、囲まれたら終わりですよ!」
無線越しの報告に、沖田は艦橋の窓に張り付きながら、叫んだ。
事実、敵が放ったらしい砲弾は、全て艦の右の海面に着弾した。満月とはいえ、夜で、しかもまだお互いに距離がある。敵に電探があったとしても、そうそう正確な射撃ができるわけでもなかった。
しかし、それが一時の気休めでもあることに、沖田は気づいていた。
敵との距離は確実に縮まっている。相手が猟犬だとすれば、こちらの古い軍艦など駄馬同然だ。どんなに鞭を入れても、息が切れるときは来る。
この時化では自慢の快速も、16ノットが精々だ。そのくせ、敵は波を食い破るような20数ノットの勢いで、猛進しているのだろう。
「救難信号は?」
ハナの言葉に船長は首を振った。
「やってるが、応答がない。砲撃でこっちの受信装置がイカれたか、向こうが雨の中にいて届いてないか」
「前者であることを祈るわ」
「しっかし、なんでこんなところに敵さんが来るんだ? 朝になったらまた泊地の哨戒が始まって、連中は袋叩きだぞ」
潜水艦なら、まだ分かる。夜明けとともに潜航し、姿を隠せばいい。
だが今襲ってきているのは、明らかに水上艦だった。
潜水艦からの通報を受け、夜闇に紛れるつもりで危険海域から最大戦速でやってきたと考えても、帰りはどうにもならない。
深海棲艦というだけあって、潜水艦以外の深海棲艦も一応の潜水能力は持っている。だが、運動性も静粛性もお粗末なものだ。夜が終われば、駆けつけた百戦錬磨の哨戒部隊に容易く狩りだされてしまうだろう。
「私たちによっぽど用があるんじゃない? ここは安全海域だし、『はぐれ』でしょ」
「だがなぁ」
二人の会話を、沖田は強引に遮った。
「はいはい話は後です! 明日の朝が来る前に、今この夜を乗り切らなければ!」
言ったところで、また砲撃。今度は艦の右と、左に着弾する。
艦橋に緊張が走った。
挟まれた――。
船長が叫ぶ。
「いかん! 面舵一杯!」
船員が操舵輪を右に回した。艦が右舷に傾き、窓から見える月が左へ流れていく。
次の瞬間、先ほどまで走っていた航路に砲弾が着弾、大きな水柱を上げた。吹き上がった海水が艦橋のガラスを叩く。
「電信員! 電探、今距離いくらだぃ」
≪方位1-7-4、距離4海里! 敵4隻、深海棲艦、駆逐級と軽巡級です!≫
比較的下位の深海棲艦だ。それでも、ただの輸送船には十分な脅威だ。
「近いな。あと2海里は引きつけられるけんどもなぁ」
船長の呟きを聞きながら、沖田は艦橋の隅を見た。
白のワンピースを着た少女が、ぼんやりと空中を見つめ、佇んでいる。今の状況を、全く意に介していないかのようだった。
「ハナさん」
少女を見つめながら、沖田は秘書に呼びかけた。
「なんです?」
「あいつに装備を。やむをえません、泊地が近いので避けたかったが、ここで沈むわけにもいかない」
気配に気づいたのか、少女が沖田の方を見た。静かな青の色を湛えた瞳が、真意を諮るかのように、沖田の目を見つめてくる。
船の組織上は、責任者はあくまで船長だが、会社として見た場合、最高責任者は沖田ということになる。
厳密には、それでも船長の方が強大な権限を持つのが船という社会ではあるが――経歴、デリケートな積み荷の事情、等々の理由から、特に戦闘時は沖田が仕切ることになっていた。
まぁそうでなくてもウチの社長は色々うるさいですけどね、と船員が嘯いているのは沖田も知っている。近々、きっとよくないあだ名がつくだろう。
いや、それはどうでもいい――。
「深夜に悪いが、頼むぞ」
言いかけたところで、轟音と共に艦橋が揺れる。無線機から快哉が聞こえた。
≪やりました! 主砲命中! 一隻落伍、敵艦残り3!≫
「でかした!」
船長が大きな拳を振って喜んだ。この艦には一門だけ砲が残されており、後方に睨みが効くようになっている。
深海棲艦を通常の兵器で殺しきることはできないが、傷つけ、船団から落伍させることくらいはできるのだ。
沖田も興奮し、艦橋の外へ出た。海水でシャツが濡れるのも構わず、遥か後方へと叫ぶ。
「どうだ見たか! 私たちの財産は渡さんぞ! たっかい前金貰ってるんだぞ、馬鹿者めぇ!」
「バカはあんただ!」
「誰かバカ社長を甲板から戻せ!」
すぐに船員の手で首根っこを押さえられ、沖田は艦橋へ引きずり戻される。
その時、沖田は自分と同じく甲板に人がいることに気が付いた。その人物も沖田に気づいたらしく、歩み寄ってくる。
沖田の目が見開き、船員の引きずる手も止まった。
熊野だった。
「ごきげんよう。騒がしい夜ですわね」
優雅すぎる挨拶もあって、沖田は軽く混乱した。
彼女は、先ほど甲板で保護され、ベッドに連れ戻されたはずだ。
アクシデントで、出会ってはいけない人物と出会っていたようだが、決定的な確信には達していないようだったので、船医に対応を任せていた。
それがなぜか、ここにいる。
「……船医には、絶対安静と言われませんでしたか?」
言いながら、沖田は彼女の姿を確認する。
先ほど着ていた白のツナギではなく、ベージュのブレザーを着用していた。背中にはいかつい艤装が背負われ、左腕は盾のような鉄板が取り付けられている。
完全武装だった。船医は振り払われたか、ひょっとしたらどこかで伸びているのかもしれない。
「戦う気ですか」
「はい」
「無理はいけない。その怪我では」
「わたくしの艤装自体に、深刻な損害はありません。艦娘の戦闘は、艤装さえあれば、なんとでも」
「しかし生身が死にかけていたのでしょう」
言い募る沖田を、熊野は片手で遮った。細い指の隙間から見える目は、射抜くような鋭さだ。
沖田は艦娘を取り巻く、ある風評について思った。
(艦娘は、人柱?)
何を馬鹿な。こんなに気高い人柱がいるものか。
熊野は続ける。
「この深海棲艦は、わたくしを追ってきた可能性があります。やはり潜水艦がわたくしを見つけて、足の速い仲間に知らせていたのでしょう。これ以上の迷惑はかけられません」
「だめだ戻れ!」
伸ばされた船員の手は、甲板に降りかかる波に遮られた。
波が消えた時にはすでに、熊野は手すりを乗り越え、暗黒の海へ飛び降りていた。
「全速で泊地へ向かってください。わたくしに構わず、できる限り早く」
熊野の姿が夜の海に消えた。この船と追跡者の間に入り、時間を稼ぐつもりだろう。彼女の艤装が放つ淡い光が、波間を縫って船の後方へ消えていく。
「な、なんて人だ」
その判断は、正直、助かる。
英雄的献身だ。
だが生還の確率は、果たしてどれだけあるか。
「どうしたい」
中々戻ってこない沖田を案じたのか、船長が艦橋から顔を出す。
沖田はのろのろと立ち上がり、言った。
「船長さぁん」
「はいよ」
「艦尾の砲手に、特殊砲弾の装填を指示してください。あの、リンガで積んだやつ」
「いいが。何をだ?」
沖田は続きの指示を出した。
空では徐々に雲が厚くなり、月が隠れようとしている。全暗黒は敵の領分だ、あまり時間はないだろう。
この艦と熊野の運命は、もう一人の戦闘員にかかっていた。
*
少女は着ていたワンピースを、
それは某国が難民用に大量生産しているものの1つで、力余って脱ぐたびに服を壊す彼女のために、船員達が仕入れたものだった。
布きれとなったワンピースが剥がれ落ちると、染みも汚れもない、陶器のような素肌が余す所なく晒される。密室の頼りない照明が、薄闇の中に蠱惑的な曲線を浮かび上がらせる。波のように起伏するボディラインは、船乗りを惑わせ、海へ引き込む妖精を思わせた。
(たたかいだ)
思いながら、少女は新しい服を身に着けた。
上半身は、素肌に密着するタイトなスーツだった。のど元から始まり、指先を通って、胸と腰を締めつける。色は先ほどのワンピースと同じ白色だが、より青白く、生物的なテカりがあった。
両足は、甲殻類のような黒い鎧で、つま先まで覆われていた。
「出すよ?」
少女の後ろに控えていた、ハナが訊いた。彼女の足元には、大きな鉄製のケースが置かれている。
少女が頷くと、ハナがケースの留金を外し、蓋を開けた。その瞬間、中から白い冷気が溢れ、部屋の床に霧のように広がった。
中に入っているのは、二つ。円形の物体と、棒状のものだ。どちらも全体に白い氷が付着し、細部は見えなくなっている。
少女はまず円形の物体を手に取り、そっと頭の上に載せた。それは小山のような形をした帽子だった。
続いてスーツケースの中から、同じく氷が付着した棒を取り出し、右手で握る。少女が握ると、それが丁度杖のような長さだと分かる。
「おきて」
呟き、頭の帽子を、杖でかなり乱暴に叩く。
帽子の左右に、目のような青い灯が点った。付着した氷がひび割れ、帽子の前面に横一筋の割れ目が生まれる。と、徐々にそれが広がり、やがて巨大な口が欠伸をするように開かれた。
ホォォォォ――。
帽子が汽笛のように吠えた。壁がビリビリ震える。
「じゅんび かんりょう」
少女が呟くと、彼女の無線機が、雇い主の声を発した。
≪了解した。標的は南に約6キロ、風上も南だ。海面に出次第、南へ向かって全力航行、艦載機を発艦、先に出た艦娘と合流せよ≫
「かんむす?」
≪船医が止めるのも聞かず、出撃してしまったよ。もはや君に頼るしかない≫
沖田の声が、少女の心を満たした。温かいスープが器に注がれていくように。
「まかせろ」
≪よし。空母ヲ級、抜錨せよ≫
見開かれた少女の目に、青い光が揺らめいた。