空母ヲ級運用指南 ~蜃気楼の海~   作:mafork

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1-3.幽霊

「起きたそうだな」

 

 深夜の艦橋で、船長が呟いた。その後大きく欠伸をし、船長帽を取る。露わになった針金のような白髪を、日焼けした手でがりがりと掻いた。

 

「いい子そうだったな。私も後で挨拶に行くよ」

 

 その言葉に、艦橋の隅に座っていた沖田が、読んでいた帳簿から顔を上げた。

 

「そうしてください。船医によれば、朝になれば歩けるようになるとか」

 

「大した回復力だな」

 

「艤装が無事でしたからね」

 

 言ってから、沖田もつまらなそうに欠伸をした。

 

「……人間の体がいくら傷ついても、艤装が無事なら、多少の傷はいずれ回復します。どんなに血を流していても、艤装が稼働している限りは、魚も人でなく船として彼女らを見るから、襲わない」

 

 沖田は涙の浮いた目をこすった。床に置かれたカップからインスタントコーヒーを不味そうに飲む。

 

「お休みになったらいかがです?」

 

 付き添って起きているハナが、呆れたように言った。

 

「不健康になりますよ」

 

「そうは言いますがね……」

 

 つぶやくと、沖田は窓の外を見た。

 月は高く、満月の光が海面を淡く照らしている。穏やかな夜だったが、船長によれば、これから少し荒れそうとのことだった。

 

「ハナさん、船長さん。本当に何も来ないと思いますか?」

 

 投げかけた疑問に、明確な答えはなかった。

 しばらく波の音が船内を満たした後、ふんと息を吐く音がする。

 

「あの艦娘が、何か連れてきたってことかい? 社長」

 

「まぁ、20%くらいであるかなと。確証はありませんが」

 

「あってたまるかね。まぁそん時に備えて、船員は夕方から早めに休ませてあるよ」

 

「苦労かけます。とんだ荷物を抱えてしまったかもしれません」

 

 会話に微妙な空気が漂った。

 ハナがたしなめる。

 

「そんな言い方は……」

 

「嫌いなんですよ、海軍」

 

 ハナの嘆息が、機関の音に溶けた。

 船長が帽子を直しながら、話題を変える。

 

「まぁいいさ。ところで、肝心のアイツはどうなんだい」

 

 沖田は本を閉じた。

 

「アレですか。部屋から出ないように言ってありますよ。艦娘――熊野さんには、危険なので無暗に外へ出ないようにと行ってありますが、遭遇するとコトですから。念のため、部屋の前にも見張りを置いてます」

 

「そうかい。まぁ、俺が気にすることじゃないと思うんだが……」

 

 そこで、艦橋に船員が入ってきた。交代直前の、睡眠不足の髭面が、忙しなく艦橋を見回した。

 

「あれ? ここにもいない」

 

「どうしたの? 巡検にはまだ早いけど」

 

 ハナの疑問に、船員は即答した。

 

「いや、アイツいつの間にか部屋にいないんで」

 

「ブ――ッ!」

 

 沖田はコーヒーを吹きだした。

 

 

     *

 

 

「うわぁ」

 

 手洗い場の鏡で、熊野はげんなりした。

 漂流の原因は急速な失血と低体温症、それに伴う虚脱と聞いていたので、覚悟はしていた。案の定、顔立ちはひどいものだった。

 船員用のツナギから、艦娘用の制服に着替えたので、大分艦娘らしくはなってはいたが、常の英気はどこにもない。

 むしろ、きっちり洗われた制服に袖を通したことで、かえって顔色のひどさが目につくようだ。

 黒に近い茶色のブレザー、そしてスカート。オレンジのタイ。学校の制服を思わせる服装の上に、やっとこ墓場から這い出した死体みたいな顔が乗っている。

 

「鈴谷、わたくし、汚れてしまいましたわ……」

 

 情けない気持ちで、独り言も不甲斐ないものになる。

 顔を洗って、割れた唇の血を落とす。また寝るので、髪は結いはしないが一応は整える。艦娘の制服を着たのも、あくまで治癒が促進するからだ。

 一段落して、深呼吸して、鏡に向けて少しだけ笑ってみる。

 なんとか品と愛嬌らしきものが出てきた。

 まぁ、こんなものだろう。

 手洗いを後にして、廊下に出る。帰ろうとしたところで、はたと足が止まった。

 

(わたくし、どっちから来ましたっけ……)

 

 右だった気もするし、左だった気もする。船内のそっけない廊下は、足取りを察する手掛かりに乏しかった。

 ハハハ、と乾いた笑い。

 後悔と比例するように、脇腹の傷も差し込むような痛みを発し始める。

 

(やはり、呆けていますわ)

 

 サンダルをぺたぺた鳴らしながら、階段を上ったり、下りたり。

 

「こ、ここ?」

 

 それらしき部屋にたどり着き、扉を開けてみる。が、違った。

 薄暗い部屋の中に、雑然と船内の様々な備品が置かれている。

 熊野は、固定式の棚に自分の艤装があるのを見つけた。艤装とは、艦娘を艦娘たらしめている装備のことだ。

 熊野はそれらを手に取って確かめたい衝動に駆られた。大事なものだし、損傷度合いも確かめたい。

 

(どうしましょう)

 

 勝手にうろついている手前、逡巡もあったが、やがて点検することを決断した。

 まず熊野が手に取ったのは、踝の辺りにスクリューが付いたような、特殊なブーツだ。これは、『主機』という。浮力と推進力を司る、大事なパーツだ。いわばスケート靴のようなものだが、実際にはそれよりもずっとバランスはいい。

 そして次に確かめたのは、背負って使う『缶』だ。艦種によって形は違うが、熊野のそれは実在の艦の船尾を模した形状をしている。可愛い、という感想と、背びれみたい、という感想があり、評価は賛否両論。

 缶は燃料を燃やして、足元の主機や、全身の武装類に動力源を供給する。こちらも非常に大事だ。

 

(どちらも、大丈夫そう)

 

 主機は浮力でもって両の足を支え、缶はその動力源。この2つが最低限航行に必要な装備だ。

 艦娘がそれらを身につければ、身体に埋め込まれた鉄板、通称『要石』が反応し、艦娘としての色々な機能が発現する。

 別の段には、武装類が綺麗に箱詰め、固定されていた。

 急所を守る鉄板から、両腕に取り付けるための副砲まで、箱に詰められているとおもちゃのように見える。最上型の命――半円型の飛行甲板は、大きいので別の段に分けて置かれていた。飛行甲板は砲撃には使わず、特殊な運用をする。

 

(まぁ、どれもまだ使いこなせていませんわね)

 

 熊野は飛行甲板を手に取った。傷ついてはいるが、表面が妙に綺麗だ。どうやらここで磨いていてくれたらしい。

 ひしゃげた電探や、砲身が花びらのように開いた副砲など、壊れたままの装備もあったが、こちらは鎮守府で直さなければならないだろう。

 

(後で、お礼を言いましょう)

 

 思い、部屋を後にしようとする。そこで妙なことに気が付いた。

 廊下が暑い。いや、むしろ入るときは気づかなかったが、この倉庫の中の気温が低いのだ。

 怪訝に思っていると、熊野は部屋全体が寒いというよりも、部屋の奥から冷気が漏れていることに気が付いた。錆びの浮いた机やラックの向こうから、冷気が床を這ってくるのを感じる。

 

「これって……」

 

 気にはなったが、熊野は無視した。

 なんであっても、今の体でこれ以上確かめるわけにもいかない。

 踵を返して部屋を出て、また階段を上り下り。輸送船とはいえ、全長は100m前後ある。また、砲がついている言っていたが、どうもその改装をするときに一部の廊下を潰したらしく、不自然な行き止まりがあったりして、なかなか思ったところにたどり着けない。

 気づくと、熊野は甲板に出ていた。夜の甲板には出るなと言われていたが、どうも階層を1つ間違えたらしい。

 

(誰か、いないかしら……)

 

 今いる場所は、船尾側の甲板だった。そこから艦首の方に目をやり、道を聞ける相手を探す。

 夜の甲板は危険なのであまり期待はしていなかったが、船の中ほどに佇んでいる人を見つけた。大きな煙突の足元の辺りで、夜空を見上げているようだった。

 安堵の息が漏れた。

 長い間彷徨っていたので、大分心細くなってきたところだった。

 自然と早まる足取りで、熊野はその人物に近づき、

 

「へ」

 

 声を詰まらせた。

 その人物は女性だった。先ほどハナという女性と会ったが、彼女とは明らかに雰囲気が違う。

 ふわりとした髪を甲板の風に靡かせ、ツナギの代わりにシンプルな白いワンピースを着ていた。露わになっている細い肩は、武骨な元軍艦にそぐわない。

 何より熊野が戸惑ったのは、その少女に色がなかったからだ。月明かりに照らされるその横顔も、髪も、着ているワンピースと同じくらい真っ白だ。スカートが風に揺れると、真っ白な足が――彼女は裸足だった――覗く。

 女性も熊野に気づいた。

 振り向いたその顔は、幼さを感じさせる丸みを残しながらも、整っていた。だがその大きな青い瞳は、熊野の背筋をより一層寒くした。

 

(幽霊……?)

 

 それが率直な感想だった。姿は人と同じなのに、何かが明らかに人間離れしていた。

 

「だ」

 

 何か、聞こえた。低くて掠れた、ハスキーボイス。

 女性の声だと気づくのに、少し時間が必要だった。

 普通の会話なら決して使われない、その後のどんな言葉にも繋がりそうにない「だ」の音だった。

 しばらく波と風の音だけがあり、続きが始まる。

 

「だれ」

 

 熊野は、答えられなかった。

 頭のどこかで、警報が鳴っていた。この人は何かがおかしい。全てが奇妙だ。それに、私はこの人にどこかで会ったことがある気がする。

 この人に似たものを数えきれないほど見てきた気がする。

 しかしそれがなんなのか、熊野はすぐに思い出すことができなかった。

 

「か」

 

 女性の言葉が続いた。よく聞くと低いがたどたどしい、幼いとも言える口調だった。

 

「か、ん、むす」

 

 艦娘。そう言ったのかもしれない。

 警戒感は、いつの間にか危機感に変わっていた。

 私はこいつを知っている。叫ぶ声がのど元まで出かかった。

 

「あなた……」

 

 確信に達する直前で、付近で落雷のような爆音が鳴り、二人は盛大に水をかぶった。

 

「敵襲――!!」

 

 船員の声と、船中から鳴り響くサイレンの音で、熊野の次の声はかき消された。

 

 

     *

 

 

 日     時:8月3日03:25(南西諸島海域 現地時刻)

 作 戦 領 域:馬公泊地

 コンディション:風東15ノット、積雲、視程2、断続的雨、海上高波

 

 

「救難信号?」

 

 風の音に負けないよう、男性は手に持った無線機に力いっぱい叫んだ。その間も、着込んだレインコートに雨粒が間断なくぶつかり、無線機からの声をぼぼぼと遠慮なく塗りつぶしていく。

 

「聞こえん! どこからだ!?」

 

≪場所は、ここからおよそ70海里! でも電波障害がひどくて、内容がよく聞こえないの! こっちの声も届いてないみたい!≫

 

 電波障害。天候が原因とも思われたが、深海棲艦が妨害を行っているということも十分にあり得た。平時なら、この程度の距離なら電波は届く。

 

「この辺りは、比較的安全と聞いていたがな!」

 

≪そうですね! でも、聞いたらですねー、大規模作戦で、昼間の哨戒が疎かになっていたみたいです!≫

 

「まったく。ここの理系どもは信用できんな」

 

 男性は吐き捨てるように呟いた。

 どいつもこいつも、すぐ浮き足立って足元が疎かになる。だがその尻拭いこそ、老骨の身にはふさわしいのかもしれない。

 皮肉っぽく笑うと、男性は中指で眼鏡の位置を直す。その奥の目は、知性を感じさせる静かな輝きを湛えていた。

 

「第1艦隊、出るぞ」

 

≪まだ疲労抜けてない子いますー!≫

 

「深刻なものは適宜休ませ、軽巡、駆逐、潜水艦を速やかに集めたまえ。4分後に出航だ」

 

≪了解しました!≫

 

 声が終わるや否や、泊地にサイレンが鳴り響き、無線機と同じ声が夜雨の中に響き始める。

 出撃です、出撃です、これから呼ぶ艦は至急 埠頭まで来られたし――。

 その声を聴きながら、男性は踵を返す。速足で埠頭を抜けて桟橋を渡り、停泊していた艦へ乗り込んだ。急な階段の傾斜も、慣れた足取りですいすいと登っていく。

 乗り込み口付近では、すでに数名の船員が待機していた。

 

「聞こえているな」

 

 男性の声に、船員は一様に敬礼した。

 

「もちろんです。出航ですね、提督」

 

 待ちきれないといった風に、艦の煙突が大きな汽笛を鳴らす。

 激しさを増した機関の音を聞きながら、提督はこの場にいない、ある重巡洋艦のことを一瞬だけ案じた。

 

 




登場艦船紹介

 重巡洋艦:熊野

 最上型重巡洋艦 4番艦
 全長:200メートル 全幅:20メートル
 排水量:12,000トン
 速力:35ノット
 乗員:930名

 兵装:三年式 20.3cm(50口径)連装砲5基
    八九式 12.7cm(40口径)連装高角砲4基
    九六式 25mm3連装機銃8基
    同25mm連装機銃4基
    九〇式61cm3連装魚雷発射管4基
    対空用電探、対水上用電探
    水上機3機、及び射出用カタパルト
    (一部、最終時の兵装)

    1937年就役、マレー、ミッドウェー、ソロモン海、レイテ沖、
    主要な海戦に数多く参加。
    レイテ沖海戦で被雷、僚艦を悉く喪いながらも本土への回航を目指す。
    途上、サンタクルーズ近海で戦没。
    1945年 除籍。

    (なお、艦娘の能力、思考的束縛は、彼女らが名を背負う実在の艦に準じる)



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