空母ヲ級運用指南 ~蜃気楼の海~   作:mafork

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【あらすじ】

 敵艦隊に攻撃を受けていた熊野達を、間一髪のところで佐世保鎮守府の艦隊は救助した。
 駆けつけた艦隊の中には、人類に友好的な空母ヲ級の姿もあった。
 東シナ海で、異色の機動部隊が激突する。





4-5.きどうぶたい

 

 日     時:8月15日13:03(明石標準時刻)

 作 戦 領 域:琉球諸島 沖縄本島近海

 コンディション:風南2、積雲1、視程50、海上凪

 

 

 快晴の空の下で、翔鶴は零戦隊を指揮していた。

 右手で弓を持ち、左手を敵艦隊の方にかざす。

 指先から感じる風向き、気温、そして両の眼で捉える空気の揺らぎ方。上空では数機が落とした航法弾が、カラフルな煙を青空に流していた。どうやら上空の風向きも、海面上とそう変わらないらしい。

 そうした情報は、翔鶴が鉄の塊であったならば、黒板にでも大書きして出撃前の搭乗者に見せただろう。今は、思うだけだ。それだけで艦載機が汲み取り、練度に応じて動いてくれる。

 

「敵編隊と、交戦します」

 

 翔鶴は呟いた。

 こちらは鶴翼陣形。左に雷撃機、中央に戦闘機、右に爆撃機。

 敵側も、攻撃隊に直援機が付くなど、一応の陣形を作ってはいる。だが明らかに混乱が見える。深海棲艦の艦載機が、零戦を曳いてきたことで、混乱を来しているのだろう。

 

《翔鶴。敵と味方の識別方法は、分かっているな》

 

 司令船『日笠』から、鎮守府の山中少佐の声が来た。彼女の直属の上官だ。

 

「はい。識別用の塗装と、呼称の件は頭に入っています」

 

《よろしい。開幕航空戦、開始。まずは制空権を奪え》

 

「交戦します。戦闘開始」

 

 鶴翼陣形の艦載機達が、まさに両翼で敵を包み込むように、敵編隊に突入した。

 

(さて)

 

 翔鶴は海面に視線を走らせる。その先には、青い輝きを纏った空母ヲ級がいた。

 ただし、その帽子には識別用に白ペンキでラインが入れられている。また、スーツの胸の辺りに、白い布が縫い付けられていた。

 ミミズののたくったようなひどい字で、

 

『さら』

 

 とあった。

 もう、まんまゼッケンである。

 

《はっかん!》

 

 たどたどしい声が来た。どうやら、彼女は航空機をさらに発艦させるらしい。

 だが、その後は、何も起こらない。

 そんな中、むふん、と満足げな息を深海棲艦は吐いた。

 真夏の海上に、どうしてだか寒々しい空気が流れた気がした。

 

《あのさ》

 

 商人、沖田の声。

 

《なに?》

 

《艦載機出てないぞ》

 

 ヲ級が慌てて、手に持った杖で頭の帽子をガンガンと叩いた。それようやく、帽子は役目を思い出したように何機かの艦載機を吐き出した。

 なんとも締まらないやりとりだ。無線機から回流丸の船員の笑い声がきこえてきたので、余計にそう思う。

 

(大丈夫かしら)

 

 空母ヲ級の帽子は、それだけで軽空母ヌ級として活動可能とも言われているが、これほど士気に差があるのは見たことがない。

 翔鶴はため息を吐いて、弓を握り直した。

 矢を取り出し、番える。

 

「発艦!」

 

 空に向かって、一筋の矢が送り出された。

 

 

 

「社長、司令船『日笠』から、回流丸に」

 

「何です?」

 

「銅線、角材、鋼材、錫、アルミの取り置きを譲ってほしいそうです」

 

 輸送船『回流丸』の艦橋で、沖田は思い切り顔をしかめた。隣で電文の報告をしているのは、大柄な女性秘書ハナだ。

 

「雑貨屋じゃないんですけどぉ」

 

「明石さんがすでにこちらに向かっているそうですよ」

 

「ええぇ……」

 

 言いながら、沖田は目の前の海図に目を落とした。

 沖田は空母ヲ級の指揮に使う海図台に腰かけており、周辺の地図には様々な駒が置かれている。

 熊野、川内、青葉と書かれた駒もあったが、今は図上から取り除かれ、代わりに司令船『日笠』の駒に負傷者3名という付箋が貼られていた。

 日笠と回流丸の距離は近い。明石はすぐに来るだろう。

 

「明石さんかぁ……」

 

 彼女は今、工作艦としての本分をフル活用して、回収した艦娘の艤装を修理しているはずだった。なお、艦娘本人たちはすぐさま艤装と制服を脱がされ、司令船の治療台に乗せられているらしい。

 熊野と川内は補給してすぐに出たがっていたが、最低限4時間の睡眠が命じられたのを、沖田達は傍受された無線で知っていた。

 

「まぁ、いいでしょう」

 

 沖田は許可した。ハナが一礼して船員に何事か告げる。

 沖田はため息を吐きたいのを堪え、指揮に戻った。

 

「ヲ級」

 

 そう言って、無線機に呼びかける。

 

《なに》

 

「いよいよ作戦開始だ。事前の手はず通り、この作戦では君の呼称を変更する」

 

 沖田は言った。

 

「サラだ。航空母艦サラトガの『降りそこない』である君は、以後、君は敵の空母ヲ級と区別するため、サラと呼称される。鎮守府の戦力として見なされるということだ。いいな?」

 

《はい》

 

「ところでさ。突出し過ぎじゃないか? 陽炎と不知火から離れるなよ」

 

《わかってる》

 

 交信が終了する。いつになく不機嫌そうな口調に、無線担当の船員が沖田に向かって眉を上げた。

 変ですね、というような意味だろう。

 沖田もそう思った。

 

「こりゃ相当怒ってるな。あいつ熊野さん気に入ってたからなぁ」

 

 沖田が言うと、ハナが苦笑した。

 

「サラと呼ぶようにしたんですね」

 

「ええ、まぁ。ヲきゅ――サラに名前を付けるのを避ける理由が、なくなりましたから」

 

 係りの船員が、海図の上の駒を動かすところだった。

 下げられる脅威レベル。

 敵の数が確実に減っている。序盤の航空戦で有利を取り、敵の艦載機を司令船まで寄せ付けていないのだ。

 沖田が一番心配していたのは、ヲ級――サラへの扱いを変えることに対する、船員の反発だった。少なくない船員が、横須賀へ彼女を運ぶことでの金銭を期待していたと思うのだ。

 だが沖田がサラの戦力を佐世保鎮守府のために使う、という話をしても、船を降りた船員は少なかった。そして降りた者も、戦いが終わり次第戻ってくるらしい。

 彼らは言った。

 あいつは確かに『商品』で、自分たちは海軍が嫌いだ。金をせしめたい。

 でも、あいつ自体は好きなんです。

 

(妙な話だ)

 

 一貫性。沖田が彼女に対するときに、重視していたものだ。

 商品であり、客であり、常に一定の距離を置く。慣れ合ってはいけない。

 だがサラが必死に船を守って来た事実が、少しずつその距離感を変えていた。

 作った壁がもどかしく感じるくらいに。

 

(救われたのは、むしろ――)

 

 沖田はその続きを心の中にしまった。

 

「やってしまえ。佐世保の翔鶴との共闘」

 

 無線機の奥で、頷くような気配があった。

 

「これ以上のことはない。君の実力を、見せてやるといい」

 

 指揮台に置かれた海図の上に、また一つ新たな航空機の駒が配置された。

 沖田は心強さを感じつつも、微かな不安を感じていた。

 彼女がこの場に来ることを告げた時に見せた、あの射抜くような強い眼差し。沖田がそこに感じた死相は、まだ心にわだかまったままだった。

 

《くまの、いじめたやつ わたしはゆるさない》

 

 いつも通りのたどたどしい口調に、沖田は苦笑してしまった。

 

「そうかい」

 

《くまのは わたしの》

 

 少しだけ、間があった。

 

《たいせつなひとなんだ》

 

「……サラ」

 

《なに?》

 

「なんでもかんでも、直訳するのをやめなさい」

 

《だいじな、ともだち》

 

「そんな感じでいくように」

 

《?》

 

 締まらないやりとりをよそに、航空戦が始まった。

 

 

     *

 

 

 戦いは、生き物だ。

 たとえ綿密な計画があったとしても、不可逆的な勢いというものがある。

 空母ヲ級――いや、敵にも空母ヲ級がいる以上、もはや『サラ』と呼ぶべきだろう――サラの本来の役目は、偵察と、発見した川内達、もしくは敵艦隊の下へ主力の翔鶴達を案内することだった。だが川内達が敵の大艦隊に追撃されていたことで、偵察と、道案内、そして戦闘が結び付いてしまった。

 

《赤松提督にも言い含められてるだろうが、君は、貴重な存在だ》

 

 無線で、沖田が告げた。

 

《扱いとしては、支援艦隊だ。護衛に駆逐艦も着く。これなら敵の攻撃を直接受けるリスクは低い。だが気を付けろ、絶対に、君の姿を見られるな。水平線の上に君の姿が見えてみろ、敵が何をしてくるかわからん》

 

「わかってる」

 

 サラは意識を艦載機に飛ばした。

 目の前の海原が歪み、蝋燭の火が消えるようにふっと消失する。暗闇だ。視界が光を取り戻すと、そこは自身が放った戦闘機の操縦席だった。

 型式は新しくない、三座式の雷撃機。だが『彼ら』の記憶によれば、最もよく戦った機体の1つだ。

 深海棲艦の艦載機は客観的に見れば鉤爪のような形をしているが、操縦者となって主観的に知覚をすれば、往時の彼らの姿となる。すなわち、風防の前には高速回転するプロペラがあり、左右を見れば、抱えた魚雷の翼面加重で鋼鉄の翼が揺れている。

 寒さも感じる。真夏だというのに、雲の上の気温は低く、蒼穹の天頂は雪山で見るように黒々と青い。

 高度を確認。2000メートル。

 対気速度、時速300キロ。

 エンジン出力。問題なし。酸素の薄い上空で、過給機も問題なく作動している。

 周囲を確認すると、後方には3機の同型機がいた。

 サラが憑依したこの雷撃機は、4機編成の艦上攻撃機部隊の隊長機というわけだ。

 

《すでに翔鶴の部隊が敵と交戦している》

 

 前方を見やると、確かにすでに翔鶴の艦載機達が交戦を始めていた。

 攻撃は大まかに第一波と第二波に分かれており、翔鶴は第一波、サラは第二波を担っているというわけだった。

 だが、空にいるのは味方だけではない。

 無線手が、上方に敵を報告した。

 複座式の爆撃機と、戦闘機の混成部隊だ。

 当たり前だが、サラも同じ種類の艦載機を持っている。ではどうやって敵味方を識別しているかといえば、発している光が微妙に違う。すなわち、敵は金色、サラは青い光をそれぞれの艦載機に纏っている。また敵と見分けがつくように、艦載機、そしてサラ本体にも、白のラインを入れる形で独自の塗装がされていた。

 それからすれば、上方の機体は敵だと分かる。周囲には戦闘機の護衛も見えた。

 敵は空を覆うように巨大な編隊を組んでおり、それ自体が一羽の巨大な鳥に見えた。

 

(きづかないで)

 

 サラの編隊の周囲には、護衛の戦闘機もいる。だが規模では敵が圧倒的に優っている。

 

(だから、きづかないで)

 

 そう思ったが、無駄だった。

 敵の戦闘機のうち、何機かがサラの方へ機首を下げる。速度の遅い雷撃機と戦闘機では結果は目に見えている。

 沖田の無線が入った。

 

《気づかれたようだぞ》

 

 音質はクリアだった。

 サラの本体は回流丸の近くにいるため、艦載機が飛行している位置に関わらず、無線通信は可能であった。

 

《翔鶴の戦闘機隊に、君の隊への援護を要請しよう。なんとしても、敵の艦隊へたどり着くんだ》

 

 サラは、護衛の戦闘機が機首を上げるのを確認しながら、操縦桿を倒し、雷撃機を舞い降りてくる敵の方へバンクさせた。後続の機体もそれに従う。

 後方の銃座が即座に反応、バンクによって得られた射角を生かし、空に迎撃の弾幕を張った。編隊による後方機銃の斉射は、曳光弾の輝きをもって空に銃弾の噴流を出現させる。

 敵の戦闘機は奇襲を諦め、ぱっと散った。後は直援の戦闘機に任せ、サラは針路を敵艦隊の方へ戻した。

 雷撃機の針路を妨害することこそが敵戦闘機の目的なのだから、連中を恐れて針路を変えるのはそれこそ思う壺だった。

 

《始まるぞ》

 

 沖田の言葉に、サラは海戦の遥か彼方を見やった。

 そこでは先行した翔鶴の艦爆部隊が、まさに急降下爆撃を仕掛けるところだった。

 拡大、拡大。

 大空で無数の翼が翻る。翔鶴の艦載機達の統一された動きは、まさにうねりを伴った、巨大な銀の波濤だ。

 対空射撃の軌跡と、時限信管による爆風、黒煙を回廊のように抜けて、急降下爆撃部隊が敵艦隊に殺到する。

 

《投下した》

 

 爆風と水柱が、敵艦隊を檻のように包み込むのが見えた。

 だが攻撃はそれだけで終わらない。

 急降下爆撃部隊の次には、3千メートルの上空から爆弾を投下する、水平爆撃部隊が控えていたからだ。

 こちらは、頑丈さに秀でるヲ級の爆撃機が担当している。翔鶴の陣形に、ヲ級の艦載機も追いついた形だ。

 急降下爆撃は命中率に秀でるが、自由落下距離が短いため、戦艦の装甲や、空母であっても格納庫の装甲盤には目立った損傷は与えられない。しかし上空から巨大な爆弾を落とす、水平爆撃は違う。

 薄い装甲なら突き破って船内で爆発することもあるし、急降下爆撃で生まれた破口に運よく飛び込めば、致命弾になる。

 だがこの強力な水平爆撃を送り込むためには、事前に相手の戦闘機や、対空砲台を潰しておかなければならない。

 そのためまずは急降下爆撃で、甲板上の砲にダメージを与えておくのだ。

 

《水平爆撃、開始したな》

 

 沖田が言った。

 サラは列機と共に、攻撃機の後方機銃で敵戦闘機への弾幕を張りながら、水平爆撃隊の戦果を確認する。

 敵艦隊の上空では、花火大会がまだ続いていた。

 対空砲の砲弾が破裂する。戦闘機同士が制空権を争う。水面に落ちた爆弾が、炎と海水の構造物を出現させる。

 何が起きているのかを確認するだけでも大変な、火花、火花、火花――。

 その中で敵の駆逐艦や巡洋艦が、次々轟沈していくのが見えた。砲声の中に深海棲艦の悲鳴が混じり、爆弾の飛散物のほかに肉片や体液が宙を舞い始めている。

 

《戦果の報告が来たぞ。駆逐艦A、撃沈確実。軽巡洋艦A、撃沈確実。駆逐艦B、C、制御不能とみられる火災が発生》

 

 装甲の薄い駆逐艦に、撃沈されたものが出始めた。しかし、

 

《戦艦ル級A、損傷なし。戦艦ル級B、中破、C、同じく。重巡リ級、小破、いや、マテマテ》

 

 船体の巨大な艦になると、爆撃だけで致命打を与えるのは難しい。艦娘と同じように、深海棲艦にも妖精のような自己修復装置があり、多少の損傷ならなんとか持ちこたえてしまうのだ。

 

《サラ》

 

 やってきた無線は、翔鶴のものだった。こちらはさすがに音質が粗い。

 

《分かっているわね?》

 

「うん」

 

《三方向から、敵艦隊を雷撃します。あなたは、0-6-0の方位から。そちらの編隊に、私の編隊を2つつけるから、そちらの判断で雷撃を敢行して》

 

 振り返ると、いつの間にか緑色の攻撃機が編隊に加わっていた。鎮守府が誇る雷撃機『流星』だろう。さらにそこには、直援の零戦の姿もある。

 

「そ、その、らいげき、き、は?」

 

《『流星』のこと?》

 

「そう」

 

《本当は第一波で雷爆同時攻撃を狙ったのだけどね。雷撃機を優先して狙われて、投弾を取りやめた子もいたの》

 

 言われてみれば、急降下爆撃時に、それと連携すべき雷撃機の姿はほとんど見えなかった。

 投弾前に直進する雷撃機は無理をすれば損耗がかさむ。そのため一度引き上げさせた、ということだろう。敵泊地との戦いでは次の戦いが延々と控えており、戦力の温存が不可欠であるのを、サラもよく知っていた。

 だが、今は違う。

 敵艦隊の対空砲火はすでに弱まっている。制空権も取れつつある。

 今こそ、軍艦としての敵の息の根を止める時だった。

 急降下爆撃で敵艦隊の防空設備を叩き、水平爆撃でその損傷を拡大させ、最終的に浮力そのものにダメージを与える雷撃機を送り込む。それもまた機動部隊の戦術の1つだった。

 剣戟のように、細かい応酬の積み重ねで固いガードを崩してから、初めて必殺の刺突が放たれるのだ。

 

《敵が来るぞ》

 

 沖田の声を合図にしたように、新たに直援となった零戦が編隊から飛び出した。

 猟犬のように敵戦闘機へ飛びかかっていく。

 これで、サラは編隊を自由に動かせるだろう。

 敵への距離は、すでに2海里を切っている。

 

「らいげき、たいせい」

 

《了解した》

 

 サラは操縦桿を倒し、機首を下げた。高度が位置エネルギーに置き換わる。

 ぐんぐん加速し、海原が壁のように迫ってくる。

 ひゅ、とその後ろから、針のように収斂した弾丸が飛来した。敵の艦載機だ。

 サラは無視する。

 代わりにペダルを少しだけ操作、機首の向きと機体の進行方向を僅かにズレさせた。機体を滑らせるというやり方で、こうするとぴったり背後についた敵の攻撃はかえって当たらないようになる。

 そして、針路は変えずに直進する。

 翔鶴の零戦隊。演習で見せたその圧倒的な制空力を、信じた。雷撃機は味方を信じて、投弾という任務に向けて驀進しなければならないのだ。

 やがて、飛んでくる弾はなくなった。

 高度計を確認。高度100メートル。

 操縦桿を戻し、機体を水平にする。引き起こし時の、体に食い込むような重圧を感じる。

 垂直情報指示盤の中で、下を示す茶色の領域が、空を示す青い領域に押し下げられ、やがて機体が水平飛行していることを教えてくれた。

 どんどん敵艦隊は迫ってくる。

 サラはぐっと操縦桿を握って、ペダルを操作、機体の針路を修正していく。

 

 ドスン

 

 コクピットに衝撃が走った。

 耳がキーンとなった。

 

《対空砲火、1機やられた》

 

 そうらしいが、すでに遥か彼方に置き去りにしていて、その死骸を見ることは叶わなかった。

 敵は雷撃にもとっくに気づいていた。

 生き残った砲を水平にして、こちらを叩き落そうと執拗に狙ってくる。砲弾が弾ける度に機体は揺れる。対空砲火は、敵艦隊の姿が黒い砲煙で見えなくなりそうなくらい激しかった。

 戦闘機の妨害も激しさを増す。上空から、味方の砲火をも恐れず、一機の戦闘機が殺到する。勇敢な相手だ。

 それが一瞬で穴だらけになり、サラの艦載機のすぐそばを炎上しながら落ちていった。機体の風防には黒い煤がついており、彼との距離の近さを物語る。

 サラの機体の斜め後ろから、コクピットの後ろに無数の撃墜マークを付けた零戦が追い越していった。そこだけ色が変わって見えるほどの量だった。

 炸裂する砲弾の轟音と衝撃に振り回されながらも、気合を入れ直す。

 サラは今隊長機に憑依している。

 勇気を出して、操縦桿を引き、高度を少し高く上げる。

 隊長機は列機よりも高く飛び、敵の高度認識を誤認させるのだ。

 

「あと、すこし」

 

 サラは狙撃手のように、照準装置の鉄枠を覗き込んだ。

 敵は空母を中心に輪形陣を組んでいる。横目で他の雷撃隊を見やると艦隊への進入角度をずらして、ほかにも二方向から攻撃機の編隊が迫っていた。

 魚雷は直進するため、敵の機動力によっては航跡を読んで簡単に回避されてしまう。

 そのため複数の方向から同時に魚雷を投下し、どこに転舵しても命中するように仕向けるのだ。

 敵艦隊への距離が、1000メートルを割り込んだ。

 

「とうか」

 

 ごくん、と音がした。

 機体から爆薬を満載した魚雷が離れる。その瞬間、今まで魚雷にずっと刺さっていた引き抜き索が抜かれて、魚雷が活性化。

 笛のような落下音。

 着水。

 衝撃で弾頭を覆っていたカバーが破砕、黒光りするのっぺらぼうが姿を現す。

 実際の艦隊戦に換算すれば、数百キロ分にも相当する爆薬を満載した魚雷が、沈降、そしてスクリューとトリムで調停深度まで浮き上がっていく。

 その破壊力を、敵の船底に叩きつけるために。

 サラは艦載機の記憶を使って、その様子をクリアに思い描くことができた。

 

《あら》

 

 翔鶴はおっとりと言った。

 

《初めてなのに、タイミングがぴったり合ったわね》

 

 ヲ級は思った。

 それはお互いが、お互いを実はよく知っているからかもしれない。

 なにせ百年近く前に、互いのことを研究しあった仲なのだ。

 

 

     *

 

 

 日     時:8月15日13:16(明石標準時刻)

 作 戦 領 域:台湾南部 馬公泊地

         第2実験棟(旧台湾帝国大学 馬公支部跡地)

 コンディション:風南2、積雲3、視程95、海上僅かにうねり

 

 

 うだるような熱気の中、男はようやく建物の中へ避難した。

 流れ出る汗は熱気もそうだが、現状抱えている厄介事が思いもよらない方向へ推移しているためだ。

 自然と早くなる足取りで、地下へ続く階段を降り、ある部屋に入る。

 そこには一台の無線機が置かれていた。

 馬公泊地にしかない、深海棲艦が出現後も使用可能な特殊な無線機だ。

 起動させ、しばらく呼びかけていると応答があった。

 

《なんだね?》

 

「私です。至急、議題に諮りたいことが」

 

《言ってみたまえ》

 

 男は状況を説明した。

 佐世保鎮守府が、馬公泊地から掠め取った貴重な素体を、よりもよって実戦投入していること。戦いが今まさに佳境を迎えていること。

 

「このまま実戦での効果が認められれば、佐世保からの奪還に手間取ります。何より……」

 

《保たんか》

 

「はい。少なくとも、いずれは。あの深海棲艦は、どの道長くありません」

 

 無線の先の声は、しばらくの間思案しているようだった。

 佐世保にこの事実を告げて、出撃を取りやめさせることを考えているのかもしれない。だが、それは無駄であろう。

 あの赤松提督がこの状況で意思を翻すわけがない。

 何より、こうした類の情報は馬公泊地の独占だ。鎮守府の提督に、そんな話を漏らせるわけがない。

 

《まぁ、死ぬ分にいい》

 

 声は淡々と言った。

 

《時間が限られているのは承知の上。だからこそ、得体のしれない民間船を使ってでも、地中海から運んできたわけだしな》

 

「はっ」

 

《だが、燃えつきて、消滅するとなると、少し厄介だな。それが不確定な要素か……》

 

 意味ありげな沈黙。

 

《君は、それでどうしたい》

 

 声は、男に水を向けた。

 

《責任者は君だ。何か腹案があろうな》

 

「それは」

 

《この貴重な無線機を使い、この私の、いや、我々の時間を使ってでも相談することだろう。その案を言ってみたまえ》

 

 男はごくりと喉を鳴らした。その音を無線機が拾っていないことを、祈るばかりだった。

 

「……現在、行われているバシー海峡の掃討作戦。馬公泊地も、その中に含まれております」

 

 声は沈黙を守った。

 

「戦力は、あります」

 

《なるほど。それで、彼女の転属に拘っていたわけか》

 

「はい」

 

 声は、しばらく思案しているようだった。いや、同じような装置で他の面々と協議をしているのかもしれない。

 

《了解した》

 

「ありがとうございます」

 

《バシー海峡から正規空母を呼び戻し、補給を実施したまえ。後のことは一任する。艦の名前は、確か――》

 

 男は言った。

 

「五航戦『瑞鶴』です。ありったけの爆装をさせておきます」

 

《予め言っておくが。射程を最大限生かしたアウトレンジ攻撃は、操縦妖精の疲労を生み、判断の誤認を招くぞ》

 

 男はその警告に、むしろ笑みを深めた。

 

「だからいいのです」

 

《……艦としての因果としても、面白いものだな》

 

「その通り、ですな」

 

 ほどなくして男は、電文の作成に取り掛かった。

 

 




瑞鶴好きな人、ごめんなさい。
きたないなさすが馬公泊地きたない。

次回の更新は、来週の中頃を予定しております。


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