空母ヲ級運用指南 ~蜃気楼の海~   作:mafork

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1-2.熊野と回流丸

 日     時:8月2日22:08(南西諸島海域 現地時刻)

 作 戦 領 域:輸送船「回流丸」

         南西諸島海域 K諸島沖50海里地点

 コンディション:風東2、積雲4、視程95、海上凪

 

 嫌な夢を見た。

 護衛任務の途中、敵艦隊を発見。駆逐艦ばかりの容易い編成、練度も低い。一緒に来ていた駆逐艦娘達は、護衛対象と共に脱出させ、彼女は殿を務めた。

 いつもの仕事、いつもの光景。砲撃で敵を削って、雷撃能力を奪い、最後はこちらの魚雷で仕留めるつもりだった。だが雷撃戦の最中、突然体が吹き飛ばされ、意識が朦朧となる。

 雷撃能力が残っている敵がいたのか、それを見誤ったのか、それとも……。

 だめだ、考えられない。その後、どうしたのだろうか。

 頭の中に声が響く。もっとも聞きたくない言葉だった。

 

 熊野、あたしは気にしないで……。

 

「ひゃぁあ!」

 

 跳ね起きた。

 地面に手をつくと、柔らかい手ごたえがある。ここが海でなく、ベッドの上であると気づくのに、長い時間を要した。

 荒い息遣いのまま、周囲を見回してみる。白い壁紙の、窓のない殺風景な部屋だ。

 すぐ隣にベッドがもう2つと、部屋の隅に枯れかけた観葉植物がある。寝ている患者は、どうやら彼女だけだった。

 

(病院?)

 

 消毒液の匂いに、そう思う。

 やがてドアが開き、初老の男性が入ってきた。禿頭に眼鏡をし、ツナギの上から申し訳程度に白衣を羽織っている。

 船医、と艦娘『熊野』は直感した。

 よくよく聞くと、周囲の壁からボイラーの重低音が響いている。ここは船の中の部屋だ。

 ベットで半身を起している熊野を見て、船医は心底驚いた。

 

「もう目が覚めたのかね」

 

「あ、は」

 

 舌がもつれて上手く言葉が出ない。

 

「寝ていなさい。血を流しすぎてた」

 

「血……?」

 

「そうさ。もう、周りに魚が集まって、鳥山ができてたよ。普通の人間なら、無事じゃすまなかったろう」

 

 船医の大きな手で、熊野は頭を押される。抵抗する力があるはずもなく、熊野は再びあおむけになった。

 固いマットレスで、なんだか背中が痛い。

 それに、なんだか服がひどくごわごわした。

 

(これは)

 

 熊野はようやく、着ている服が変わっていることに気が付いた。ブレザーとスカートはどこかへ行き、代わりに船医のようなグレーのツナギになっている。

 ただし、ぶかぶかだ。

 おそらくは成人男性用。女子高生くらいの年ごろには、大きすぎるのだろう。

 結われていた髪も解かれていて、自慢のロングの茶髪からは、汗と潮の匂いがした。

 

「ああ、それか。すまんな、こんな場所じゃ着替えもろくにないんだよ。私物はベッドの下の籠。着替えだけは女性がやったから、そう心配しないでね」

 

「いえ、それは……」

 

 構いません、と続けようとした時、丁度ノックの音がした。

 船医が応えて、ドアが開く。

 入ってきたのは、2人だ。藍色のスーツを着た男性と、ツナギを着た女性だ。

 スーツの男性は、細い目をさらに細めて笑いかける。スーツの色も相まって、客船の添乗員みたいだった。

 2人は同時に話し出した。

 

「ああ、目が覚めたようですね。よかった」

 

 と、男性。

 

「夜分遅くにすいません」

 

 と、女性。

 熊野は目を白黒させた。ぼうっとした頭で、展開に思考が追いつかない。

 男性は恥ずかしそうに頬を掻いた。

 

「あぁ、えー、失礼しました。どうぞそのままでお聞きください。私は、オキタと申します。海の沖に、田んぼの田、です。この輸送船の船主で、資源の買い付けや、輸送、販売を生業としております。まぁ民間のしょぼしょぼやってる輸送会社の社長というわけですよ。こちらの女性は、船員兼秘書のハナさん」

 

「輸送……?」

 

 熊野は、なんとかそれだけ応えた。カタツムリのように遅々として進まない思考が、段々と本来の早さを取り戻していく。

 沖田と名乗った男は、ちらりと横の白衣の男性――やはり船医だろう――を見る。

 まだ起きたばかりなんです、と船医は説明した。

 

「失礼、それはどうも……とはいえ、我々も聞かなければいけないことがあります。あなたがあそこで漂流していた経緯です」

 

 沖田はどこからか椅子を持ってきて、横になっている熊野の傍に腰かけた。

 

「あなたの所属や、艦名も。あなたを襲った敵が、まだこの辺りにいるかもしれませんから」

 

「社長」

 

 女性――ハナがたしなめる。社長は黙ったまま、熊野を見つめた。

 横になり、再び襲ってきた眠気を、所属、艦名、敵、という単語がゆっくりと押しのけていった。ようやく意識がしゃんとした。

 

「大丈夫」

 

 言ってから、上半身を起こす。先ほどは感じなかったが、わき腹が強烈に痛んだ。

 無視した。意地で笑みを作る。

 

「ご挨拶が遅れまして。わたくし、佐世保鎮守府所属。最上型重巡洋艦4番艦『熊野』と申します」

 

 本当なら4番艦まで言わなくてもいいのだが、艦娘としての自覚を取り戻すため、熊野はあえてそういう言い方をした。

 

「おお、佐世保ですか」

 

 沖田は感慨深げに呟いた。

 

「ご丁寧にどうも。改めまして、沖田輸送株式会社、社長の沖田です。名刺いります?」

 

 スーツの内ポケットから差し出された名刺を、熊野は、「あ、どうも」と礼を言って受け取った。まさか名刺を出されるとは思っていなかったので、変な受け応えになったと思う。

 よく見ると、名刺の会社住所も佐世保だった。興味を惹かれたが、ここで地元の話をするわけにもいかない。

 彼の下の名前に、なんとなく長男っぽいなと思った程度だ。

 熊野は軽く舌で唇を湿らせてから、切り出した。

 

「あの、ここは?」

 

「私の船です。もうお分かりでしょうが、あなたは救助されたのです。現在位置は、海域でいうと、バシー海峡を抜けるところです」

 

「今の日時を教えてください」

 

「8月2日 現地時刻で23時(フタサンマルマル)です。あなたが救出されたのは昼頃ですから、少なくとも半日は意識がなかったですね」

 

「8月2日……」

 

 熊野は愕然とした。遠征に出たのは、7月の末日だ。丸二日も漂流をしていたのか――。

 

「熊野さん」

 

 血を失った後、さらに血の気を引かせている熊野に、沖田が呼びかけた。

 

「こちらから質問をしても?」

 

「ご、ごめんなさい」

 

「いえ。あなたが漂流することになった理由を教えてもらえませんか? あなたを救助するとき、念のため対潜哨戒機で、付近の索敵もしたのですが、それらしい敵は一応は発見できませんでしたが」

 

「た、対潜哨戒機?」

 

 対潜哨戒用の航空機を積んだ輸送船など、聞いたこともない。鎮守府でも珍しいくらいの装備だ。

 沖田は慌てて訂正した。

 

「いえ、対潜哨戒装置、つまりソナーです。この船は旧式の軍艦を改修したものでして。それなりのソナーや電探がついています。もっとも、ソナーであろうが艦載機であろうが、潜水艦が機関を止め、本気で隠れた場合、発見することは難しい。海上に姿がなくても、油断はできません」

 

「ああ……」

 

 僅かな違和感を感じつつも、熊野は納得した。

 

「わたくしが最後に戦った中には、潜水艦はいませんでしたわ」

 

 熊野は記憶を手繰った。

 

「元々は、海上護衛の任務だったのですけれど、偶然水雷戦隊と遭遇しましたの。位置としては、バシー海峡の東、危険海域との境目の辺りです」

 

 深海棲艦の出現に際して、シーレーンはズタズタにされた。

 艦娘が日常的に哨戒し、安全が確認された海域は安全海域、そうでない海域は危険海域と呼ばれ、地図の上でも区別されていた。

 

「ただ駆逐艦と軽巡数隻だけの編成でしたので、僚艦を先に逃がして、殿になりましたの。ただ、最後の一隻を鎮める前に、どこからか砲撃を受けて、体をひどく傷つけて……」

 

 目線を下げ、右の脇腹を見た。恐らく砲弾を掠めたか、損傷した艤装の一部で切ったかで、今も決して浅くない傷が残っていた。

 艤装がある限り、艦娘は防御力が強化され、また肉体の傷も彼女らの艤装で働く小人――艦娘にしか見えないため、『妖精』とも呼ばれている――が、ダメージコントロールと称してある程度までは治してくれる。

 それが、今なお治らず、丸二日意識を失っていたのだから、当時のダメージの深刻さが伺えた。

 

「敵の戦力を、見誤りました」

 

 口惜しさが込み上げた。あれはきっと、レーダーを用いた電探射撃だ。

 だとすれば、深海棲艦の戦艦クラス。

 艦娘と深海棲艦には、共通の艦種の序列のようなものがある。『戦艦』は最上位のものだ。艦娘も、深海棲艦も、『駆逐艦』、『軽巡洋艦』、『重巡洋艦』、『戦艦』の順番で強力になっていく。ただし、爆撃機や戦闘機を操れる空母、つまり『航空母艦』は、別格。

 

(電探射撃ができるほどの能力があるのは、せいぜい戦艦クラスから)

 

 なお、熊野は一つ下の重巡洋艦だ。戦艦クラスの攻撃が装甲を貫通するのも頷ける。

 もはや他の仲間が無事逃げ切ったことを、祈るしかなかった。

 戦艦クラスの足の遅さが、唯一の救いである。

 

「あなたは逃げ切ったの?」

 

 女性、ハナの言葉に、熊野は頷いた。

 

「はい。艤装の推進機自体には、ダメージがありませんでしたから。スコールが遠くに見えたので、なんとかそこまで逃げ切りましたわ。駆逐艦に追撃されましたけど、それも倒しました。ただ、その時はもう、意識が朦朧としていて、その後2日ほどはほとんど漂流していましたので……その後に潜水艦に発見された可能性は、ありますわ」

 

 言いながら、熊野は背筋が寒くなる思いだった。

 恐らく逃げた方向が安全海域の方で、潮の流れも危険海域へ向かうものでなかったことが、幸いしたのだろう。でなければ、とっくに深海棲艦に察知、撃沈されている。

 だが潜水艦だけは、分からない。

 深海棲艦はすべからく潜水能力を持つが、特に高い運動性と静粛性、そして水中から音や潜望鏡で水上を索敵できる潜水艦の不安だけは、どうしたって付きまとった。

 

「そうですか。まぁ本当に潜水艦に監視されていたとしたら、救出するときに何らかの攻撃をしてくると思いますが……」

 

 沖田は腕を組んで考え込んでいた。

 熊野にも、彼の心配はよくわかった。救出時に攻撃がなくとも、泳がされた、という考えも成り立つ。深海棲艦の無線を安定して傍受できる技術は、人類にない。噂では、水中にいたまま交信もできるという。

 そのため群狼戦術のように、潜水艦が仲間を呼び寄せていても、事前にそれを察知することはできないのだ。

 熊野と沖田の間に、不穏な沈黙が漂う。

 知らず、喉がごくりと鳴った。熊野にとって、自分がこの船に深海棲艦を連れてきてしまった、という展開は耐えられないものだった。

 

「でも、今は大丈夫では?」

 

 空気を察したのか、ハナが苦笑して言った。

 

「25ノット弱で数時間は航行しましたから。潜水艦に尾行されていても、とっくに振り切ったと思いますよ」

 

「おお!」

 

 ハナの言葉に、沖田はわざとらしく指を鳴らした。

 

「そういえばそうでしたね。さすがハナさんです」

 

「ず、ずいぶん速い船ですのね……」

 

 巡洋艦並の速度だった。高速輸送船に分類される船なのだろうか。

 沖田は少し得意げに重ねる。

 

「コンテナ船ならそんなもんです。定期航路は速度が命。砲台付きの払下げですから、型は少し古いですがね」

 

「まぁ。それは、海軍から?」

 

「あ、いや……」

 

 珍しい話だったので、熊野は思わず尋ねたが、沖田の反応は微妙だった。

 一瞬、彼の顔に逡巡が過る。

 踏み込んだことを聞いてしまったと熊野は察し、聞くべきでなかったと後悔した。

 

「確かに、海軍から買いました。けど、あなたの国の海軍じゃない。欧州の、その、ある国の海軍です」

 

 沖田の言葉には、何かを隠す色があった。

 ハナが引き継いだ。

 

「そうね。海軍から買ったといっても、私たちは民間の輸送会社だから。私たちは、数年前に会社ごと輸送要員として徴用されたの。遠くの国へ行くためにね。でも……」

 

 熊野ははっとした。海外との技術協力。彼女にも、その話は覚えがあった。

 当初は潜水艦娘だけが行き来していた欧州に、初めて、護衛を伴った船団が出航したのだ。しかし、その結果は思わしいものではなかったはずだ。

 

「知っての通り、マラッカ海峡を渡ってインド洋を渡ってさらに海を遠くわたって、スエズ運河を超えました。でもその先の地中海は、その直後に深海棲艦との最終戦争に突入。ジブラルタルとスエズ湾が封鎖されちゃ、そりゃ出らんないよ」

 

「解放まで1年待ちましたねぇ」

 

 沖田がしみじみとつぶやく。思うところがあるのだろう、黙っていた船医が口を開いた。

 

「ほんとにダメかと思いましたよ。乗ってきた輸送船は沈んじまうし」

 

「そうね~。この船も、向こうの海軍が、軍費がすごすぎて債務不履行になったから、借金棒引きで割安購入だったのよね。錆だらけだったけど」

 

「あった、あったなぁ。前の社長が官庁に怒鳴り込んでなぁ」

 

「あれは傑作だったわね」

 

「ものすごい剣幕だった。延々向こうの言葉で怒鳴り散らして……最後の『バカモン!』が向こうに通じなくて本当によかったよ。あの人の口癖だった」

 

「絶対に船で帰るって決めてたしねぇ。意地でも陸路を使う気はなかったみたいよ」

 

 当時を思い出したのか、ハナと船医は顔を見合わせてくつくつと笑った。沖田も懐かしそうに目を細めている。

 ただ一人、熊野だけは辛そうに目を伏せた。

 

「……ごめんなさい」

 

 声が震えた。

 

「そんな事情がおありだったなんて……わたくし達は、シーレーンが命なのに」

 

 やはり聞くべきでなかったと、熊野は唇を噛んだ。

 この辺りの海域には、資源を運ぶ同国の輸送船が多数おり、この船もその1つだと思ったのだ。まさか、そんな大変な過去を抱えているとは夢にも思わなかった。

 

「いいんですよ」

 

 言い募る熊野を、沖田がやんわりと遮った。

 

「あなた方のことを悪く言うつもりはありません。そもそも運がなかったのです。その時に一緒に海を渡った駆逐艦娘達にも、本当にお世話になりました。何よりありがたいのが、今、このバシー海峡が平穏になっていることです」

 

 今いる海域は、以前は「魔のバシー海峡」と呼ばれ、深海棲艦の恰好の狩場だった。熊野達のような艦娘はそれを改善するべく日夜掃討を行い、駆逐艦は海上護衛を続けた。空母の運用に余裕のある泊地では、対潜哨戒機を飛ばしてエア・ギャップの減少に努めている。

 その成果として、この海域の被害は着実に減少した。今では一部の輸送船なら単独航海も可能だ。この辺りは護衛資源の節約と、潜水艦の危険との天秤にかけられるところだが。

 

「本当にご苦労様でした。あなた方は、あなた方の本分をしっかり果たしてくださった。()()には、心より感謝いたします」

 

「そんな……」

 

 沖田に礼を言われ、熊野は両手を振った。

 それと同時に、何か引っかかるものも感じる。感謝のしすぎ、というほどでもないが――本心とは離れたところでの、猫なで声の賛辞。

 いけない、助けてもらったのに、何を考えているんだろう。

 

「と、とんでもありませんわ! わ、わたくしたちが戦えるのは、あなた方が物資を運んでくださるからです」

 

「いや、これは勿体ないお言葉です」

 

 沖田が笑みを深くした。

 話すべきことが終わったのだろう、パイプ椅子を壁際に除け、立ち上がる。

 

「それでは、夜も遅いですしこの辺りで失礼いたします。そろそろ手近な泊地との通信が可能な海域になりますので、通信が入ったら、お知らせしましょうか?」

 

「お願いいたします」

 

 かつて人類は衛星を飛ばし、それと電波をやりとりして様々な情報を入手していた。しかし今や、空を覆う電波妨害で同じことは不可能になっていた。海に広く蔓延る深海棲艦は、個体個体が電波を妨害する力を持ち、その影響は今や全世界の空に及んでいる。

 衛星という中継手段を失った人類は、今や地球の丸みに阻害されない範囲でしか、電波を使ったやりとりができないのだ。それは気象にも影響されるし、何より深海棲艦が出ても使えなくなる不便さだ。

 

「かしこまりました。それでは」

 

 来た時と同様、沖田はにこやかに、速やかに部屋を後にした。妙に急ぐ人だな、と熊野は何とはなしに感じた。

 


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