佐世保鎮守府は、MI作戦の代償、本土襲撃部隊と相対することとなった。
敵海域で消息を絶った熊野、そして佐世保で拘束が続く平和主義の空母ヲ級。
その物語に入る前に、昔話を少し――。
(前回から間が空いた関係で、本節からお読みになる方もいらっしゃると思いますので、より詳細なあらすじを末尾に記載しております)
幕間劇:グラウンド・ゼロ
日 時:1946年6月30日 13:45
(投下開始まで残り 34時間)
作 戦 領 域:ビキニ環礁
コンディション:風南1、積雲4、視程50、海上凪
海は、まるで艦船の博覧会のようになっていた。
世界中の海軍から、軍艦が集められ、コバルトブルーの水の上に鉄の摩天楼を出現させている。
大佐は観測船の甲板から、双眼鏡でその摩天楼を眺める。
かつて海を駆け、砲火と空襲を潜り抜けた艦達は、今や南国の太陽下で最後の安らぎを享受していた。そこには敗者もいたし、勝者もいた。しかし自然の恵みは平等だ。
その未来を知っているせいか、大佐には、その場自体が神に召される船の寄り場のように見えた。明日には人類が生み出した中でも最も強力な火の玉が、1億分の1秒の間に彼女たちのほとんどを神の膝元に召し上げるだろう。
そう思うと、目の前の光景が、故郷のナンタケットの教会で見た、聖画の一枚に似通って見えた。
眼下に広がるサンゴ礁は、煉獄から天国へと続く花畑の回廊だ。
「大佐殿」
物思いに耽っていると、後ろから声をかけられた。
大佐は転落防止柵から離れ、後ろへ向き直る。
「時間です」
部下である、黒人の水兵が告げた。
「大佐用に、フィルムバッジの配布が始まります。付随する検査もありますので、ご足労願います」
「よし。行こう」
「念のためですが、被曝の調査もあります。少し待つと思いますが、お許しを」
会話をしながら、甲板を艦首の方へ向けて歩いていく。南国の日差しは容赦なく照り付け、じりじりと白い肌を焼いていく。大佐はまくられた袖を直し、遠くを見るために外していたサングラスをかけ直した。
「おい」
船内へ入りかけた時、大佐は声を出した。
「あれは誰だね」
「はい?」
「どういうことだ。なぜこの艦に東洋人が乗っている」
艦首を見やると、一人の人間が海を見つめて立っていた。
服装は軍装ではなく、スーツに白衣という奇妙なものだ。頭一つ低い身長や、彫の浅い顔立ちや佇まいから、なんとなく東洋人であることが分かる。だが目だけは妙にくっきりとしているのが印象的だ。
「実験艦の、搭乗員、とのことですが」
「どの艦だ」
黒人の水兵は淀みなく答えた。
「この中であれば、ナガトか、サカワであると思われます、サー」
大佐は、もう一度海面の遠くを見やった。
この観測船の下には、絨毯のようにサンゴ礁が敷かれている。だがそれは離れるにつれて徐々に見えなくなり、やがて海の青さが濃くなるラインがはっきりと現れる。
そのラインの先に、遙々極東からやってきた戦艦と、巡洋艦が厳めしくも精悍な艦橋を屹立させていた。戦艦の近くには大佐の国の航空母艦もおり、その辺りだけかつての戦争の再現のようになっている。
大佐は東洋人に近づいた。
彼は海を見ながら、何ごとか呟いている。純白の白衣が快晴の陽光を受けて、白々と照り輝いていた。
「何をしているのです?」
問うと、東洋人は少し驚いたようだった。だが向き直った顔は、穏やかで、口元には微かな笑みがある。
「海を見ております」
「見れば、分かる」
「ええ。撮影にいい場所を、今から探しているのです」
なぜ、と水兵が問うた。詰問する口調だった。
「写真です。実験が始まった折に、写真を撮影することになっています」
「失礼ですが、お国は?」
大佐は、その答えを大体察していた。
東洋人が淡々と答える。予期した通り、極東の国だった。
「凄まじいものですね」
東洋人が言う。
「明日には、ここにいる艦船が、全て、火の中に消えてしまうのです」
その言葉に、大佐は奇妙な感慨を覚えた。
同類意識、とでも言うのだろうか。船に関わるものに共通する、船を愛する気持ち。それが大佐と東洋人で共通しているように感じた。
「そうですな」
「これは、きっと、素晴らしい力なのでしょう。ですがそれが次に振り下ろされるのは、せめて、船以外、人間以外であってほしいものです」
大佐は、同意しそうになるのを堪えた。部下の目もある。
この作戦は、新しい力の目覚めを象徴するものだ。それに公な疑義を挟む権限は、大佐にない。
「失礼を」
東洋人は頭を下げた。
「あなた方にするべき、話ではなかった」
「いえ、興味深い話でした」
「そうですか」
東洋人は笑みを深くした。
東洋人の笑顔は不思議なものだ、と思う。笑顔を浮かべれば長くずっとそのままで、そうでない時は大体無表情なのが、東洋人という人種だ。
「そう思われる方が一人でも多くいることは、ありがたい」
次の言葉は、相手の英語が少し拙いせいか、大佐の耳に妙な語感を残した。
「そこから夢が始まるのです」
大佐殿、と水兵に促され、大佐はその場を後にした。
本来の目的である、東洋人の身元を確認することはすっかり忘れていた。これには後になって気づいたが、なぜかもうあの東洋人に関わろうという気は起きなかった。
後日、ニューヨーク・タイムズを始めとした各紙に、大々的に実験の写真が掲載された。
クロスロード作戦と呼ばれるその実験は、史上初めて事前に通告された核実験として、異例ともいえる報道がなされた。記事には幾つもの種類があった。が、どうしてか常に似通った論調で記事が締めくくられていた。
『我々は、この一世紀であまりにも大きな力を手に入れた。
これほどの力を、兄弟に振り下ろしてもいいものだろうか。
もし、今後もこの力を振るわなければならないとしたら。
せめてこの世界のどこかに、人類の力を振り下ろすに足る邪悪が存在しておりますように』
時代のせいだろう。記事自体は、違和感なく受け入れられた。
右派の新聞においては、相容れないイデオロギーに対する警告として。左派の新聞においては、行き過ぎた力に対する皮肉として。
しかし、最後の祈りのような一文だけは、終末時計が考案されるような暗い時代の中で、ことあるごとに引用され、次第に人々の記憶に刷り込まれていった。
『そうあれかし』と、願いは浸透する。
*
ビキニ環礁の海底を、人型の影が、揺蕩う。
傷を負っているのか、それとも元々意思が希薄であるのか、その動きは緩慢だ。まるで海流に流されるだけのクラゲのようだ。
やがて人影は、海底に佇む巨大な構造物の下へ流れ着く。
人影が、少しだけ首を傾げた。
この辺りには、似たような構造物が多くある。だが目の前のそれは、少し違う。
もし人影に相応の語彙があったなら、その違いを木と岩の違いとでも表現したかもしれない。海底に佇むその動かない巨影は、打ち捨てられたのでも、朽ち果てたのでもない。
ただ、うずくまっているだけだ。
動くようで、動かない。動けない。鋼鉄の古強者は、まだ水上に屹立すべき身体を与えられていないから。
クラゲのような影が、引き寄せられるように、構造物に近づく。
そしてその一面に身を寄せると、接吻するように唇を近づけ――ばりん、とその鋼鉄の一部を咀嚼した。
更新再開します。
次は日曜日に投稿する予定です。
【あらすじ】
(本節から読み始める方もいらっしゃると思いますので、丁寧目なあらすじも付けます。
より詳細は本編をご覧ください。長いよ、という方は一番最後だけどうぞ)
1章:魔のバシー海峡
佐世保鎮守府の重巡洋艦娘「熊野」は、深海棲艦にやられて漂流している途中、輸送船「回流丸」に救助される。
しかしその輸送船の積み荷とは、人類に友好的な空母ヲ級という前代未聞なものだった。
ほどなくして深海棲艦の襲撃が発生、熊野は空母ヲ級と協働して深海棲艦を退けることとなる。
2章:佐世保鎮守府
人類に友好的な空母ヲ級の存在は、佐世保鎮守府には知らされていなかった。そのため佐世保鎮守府は、空母ヲ級に演習を行わせ、その価値を見極めようとする。
熊野は空母ヲ級を指揮する旗艦に抜擢されてしまう。
失敗続きの熊野としてはなんとしても勝たなければならない勝負だったが、対戦相手はよりにもよって佐世保鎮守府が誇るある空母艦娘だった。
3章:本土襲撃部隊(上)
演習を切り抜けた熊野と空母ヲ級。ヲ級はしばらく鎮守府に滞在(拘束)されることとなり、そこで彼女の中に存在する、ある艦の魂が明らかとなる。
艦娘と深海棲艦、その違い。彼女の存在はそんな問いを投げかける。
一方、ヲ級の身柄を巡り、運んできた輸送会社と佐世保鎮守府、そして海軍上層部は鞘当て合戦を開始。
だが、時系列はMI作戦の真っ只中。
深海棲艦は、混乱の収拾を待たない。
Q 三行にすると?
A 平和主義の空母ヲ級が
いろいろやって
かわいい