空母ヲ級運用指南 ~蜃気楼の海~   作:mafork

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 【あらすじ】

 ついにMI作戦における、深海棲艦の反攻部隊『本土襲撃部隊』が現れた。
 佐世保鎮守府は空襲を受けるが、まだ敵の本隊は見えない。

 そのため、まずは艦娘による東シナ海の掃海部隊が組織された。
 その中には、たった一人の第7戦隊、重巡洋艦『熊野』の姿もあった。




3-5.続・たいせんしょうかい

 日     時:8月14日15:00(明石標準時刻)

 作 戦 領 域:東シナ海 琉球諸島西方 西表島沖 150海里

 コンディション:風南4、散在する積雲、視程97、海上うねり

 

 

 佐世保を襲った、夜間空襲。

 艦娘の活躍で敵は一旦は退けられ、夜が明ける前には原因の究明と、反攻作戦の準備が開始された。

 夏の夜は、5時頃には明ける。薄闇が残る空をバックに、赤松提督は艦娘達に敵が用いた周到な作戦を開示した。

 深海棲艦は佐世保鎮守府の哨戒ラインに沿うようにして、潜水艦を複数忍ばせていた。そいつらが見張りの海防艦を攻撃するのと同時に、深海棲艦の特権、妨害電波を発する。おかげでかろうじて襲撃に気が付いた見張りも、鎮守府まで連絡するのに複数の艦船を経由せざるを得ず、高速で飛来する航空機に対して、対応は後手に回った。

 この作戦を可能にしたのは、湾近くまで忍び寄った潜水艦の能力もあるが、佐世保湾に向かう航空機と完全に行動が連動していたことが挙げられる。

 このため、鎮守府が直前に入手した――それが佐世保の捕えているヲ級からもたらされたものであることは、伏せられていたが――単音だけのモールス信号は、敵の司令部から発せられた作戦開始の号令であると判断された。信号の発生時刻が、MI諸島の陥落とほぼ同時であったこともあり、発信源はMI諸島とみられている。

 だが、言うほど単純な話ではない。

 鎮守府が拾った深海棲艦の無線は、その単音のモールス信号だけだ。つまりそれ以降の動きは、事前に深海棲艦の中で共有されていたもので、そして各個体が命じられた時刻通りに正確に行動したということだ。

 航空機による攻撃に、不知火などはこう呟いたという。

 

 『ドーリットルですね』

 

 熊野もテレビで確認したが、佐世保市街の混乱ぶりは、ひどいものだった。市街地にまで被害が出たので、鎮守府の責任を問われるのは避けられない。

 

(バシー海峡にも、ついに、敵の艦隊が現れた)

 

 同じタイミングで、台湾の南――バシー海峡の危険水域にも、敵が出現している。

 『ついに』、という意識が熊野にあるのは、その場所が回流丸に拾われる前、熊野が砲撃を受け、気を失った辺りだったからだ。

 だが大規模なものではなく、熊野を砲撃したほどの強力な深海棲艦も、未だ確認されていない。

 熊野の報告を受けて瑞鶴らが哨戒を強めたため、発見されやすい大型艦種が退避した、という見方もされている。

 そのため、赤松提督は、反攻作戦の初動を二手に分けていた。

 一つは、バシー海峡に現れた敵艦隊を叩く部隊。こちらは南方海域の泊地に属する艦娘が集結し、対応をしている。

 もう一つは、バシー海峡より北、つまり台湾から琉球諸島、九州までを結ぶ海域を掃海する部隊。こちらは佐世保鎮守府の艦娘が対応することになっている。

 佐世保は奇襲から素早く体勢を立て直し、懐に潜り込んだ相手へ手痛い反撃のパンチを繰り出そうとしていた。

 

(問題は、横須賀鎮守府)

 

 熊野は、これから真の地獄を見るであろう横須賀鎮守府について思う。

 佐世保と時間帯を同じくして、首都に近い横須賀も空襲を受けていた。こちらもなんとか被害を食い止め、反攻に移ろうとしているらしい。

 とはいえ、その目の前の小笠原諸島には、それを発した深海棲艦の大群が確認されている。それが事実だとすれば、MI諸島に航空兵力を取られた状態での、本土防衛戦になる。

 特に硫黄島の辺りは深海棲艦の活動が活発で、すでに深海棲艦が無尽蔵に現れる『泊地化』の傾向が出ているという。

 軍令部、そして艦娘は、この小笠原諸島に現れた勢力を『本土襲撃部隊』と呼称することとした。

 

(MI作戦から一転、わたくし達は、守勢に立たされた)

 

 言い知れない不安は澱のように沈殿し、考えるたびにかき混ぜられ、心の中に舞った。

 

≪熊野≫

 

 思っていると、耳に取り付けられた通信機が声を発した。

 旗艦である軽巡洋艦『川内』の声だった。

 

≪そっちはどう? こっちは、特に何もないけど≫

 

 そうだった、と熊野は気合を入れ直した。

 陽に照らされる南洋の海面に、熊野の視線が走る。額の汗を払うと、ぎらつく太陽の光が飛び散った滴を煌めかせた。

 熊野達は、東シナ海の哨戒任務に就いている。

 目的は、海域の安全性の確認。

 東シナ海、それも佐世保の近辺まで潜水艦が近づいていたのは確かなのだ。航空機と水上艦で、海域の包囲網を締め直さなければならない。佐世保への艦載機を放った深海棲艦の航空母艦も、未だ発見されていはいないから、そちらも探す必要がある。もっとも後者は、さすがにそれほどの大型艦が東シナ海まで入り込んでいるとは思えないから、念のため『いないことを』確認する、というレベルの優先順位になる。

 あくまでも、主眼は潜水艦。

 ここで求められるのは、対潜哨戒能力と、いざという時の火力。航空巡洋艦の出番だった。

 熊野はここぞとばかりに赤松提督に直訴し、哨戒部隊に加えてもらったのだ。

 

≪熊野―?≫

 

 川内の声は、続いている。

 艦隊は現在、軽巡1隻、重巡2隻、駆逐艦2隻が横並びで哨戒をしており、熊野は陣形の右端(北端)であった。川内は遥か彼方の左端(南端)にいるため、無線でのやりとりである。

 熊野は電探の探知結果を示すホログラフと、上空を旋回する偵察機の様子を見ながら、応えた。

 

「聞こえておりますわ。こちらも、感はなし。潜水艦も、航空機も」

 

 むー、と川内がうなる声がする。

 すでに艦隊は西表島を超え、台湾にかなり迫っていた。夏の日はまだ高いが、哨戒に適した時間的な余裕はなくなりつつある。

 

≪後は、台湾間近の島だけですねぇー≫

 

 間延びした声は、青葉だ。彼女は陣形の中央で偵察機を飛ばし、主に前方の敵影を探している。

 

≪不知火のソナーにも、ずっと反応はありません≫

 

≪陽炎、同じくです。速度上げていいんじゃないですか?≫

 

 哨戒担当の駆逐艦2名も、対潜装備の空振りを告げた。

 熊野、青葉、陽炎、不知火は先日の防空戦闘で活躍した編成である。それに秘書艦の川内を加えた5名が、今回の哨戒に当たる艦娘であった。

 だが、艦隊は通常6隻編成。残る1人はというと――

 

≪綾波ー?≫

 

 川内が尋ねる。しばらく間があって、大分幼い声が来た。

 

≪だ、大丈夫です。司令船にも、問題ありません≫

 

 駆逐艦の『綾波』だった。彼女は哨戒ラインのずっと後ろで、司令船の直援を担ってもらっていた。

 哨戒とはいえ長旅になるので、司令船が同行していた。

 

≪よし、次行こう! 第2戦速、2時方向、変針!≫

 

 川内の指示が飛び、水平線の付近に、赤と青の光が見えた。艦隊が単横陣(横並び)を維持したまま、方位を変えるのだ。

 北へ向かうのだから、南端の川内が増速し、北端の熊野は逆に速度を落とすことになる。艦隊戦ではこの辺りのやりとりがキモだ。

 

≪そろそろ、なんか出てきて貰いたいとこだけどねぇ≫

 

 川内がこぼす。熊野も同感だった。

 そのまま、30分ほど航行する。やがてそれは1時間になり、1時間半になった。太陽はゆっくりと傾き、熊野の影を長くした。

 

「変ですわね」

 

 やがて、熊野が呟いた。

 川内が同意する。

 

≪そうだね≫

 

≪何がです?≫

 

 不知火の疑問に、川内が応じた。

 

≪さっきから、輸送船が見えない≫

 

 この海域は船舶の数が多い。ほとんどは佐世保空襲の報を受けて引き返したり、沖縄方面へ避難するよう進路を変えていたりしたが、少数の船は護衛を付けて輸送を続行していた。

 戦略物資を運ぶ輸送船は、こんな時でも役目から逃げられない。

 西表島辺りまではすれ違う輸送船もあったのだが、それを過ぎてから、全く見えなくなっていた。

 

≪嫌な予感が……と≫

 

 青葉が途中で言葉を切ってから、報告した。

 

≪偵察機より。前方に、輸送船発見です。艦影からして、コンテナ船です。戦時標準船≫

 

≪周辺に艦娘は?≫

 

 川内が問うた。

 

≪認められず≫

 

≪戦闘機は? 馬公泊地の瑞鶴のが、この辺りまでは張り付く予定だったけど≫

 

≪いません≫

 

 無線を通した会話に、不穏な空気が漂った。

 青葉の報告が続いた。

 

≪その他の情報は……え?≫

 

≪どうしたの?≫

 

≪停泊≫

 

≪停泊?≫

 

 はい、と青葉が肯定した。

 

≪輸送船は機関を止め、停泊≫

 

 無線で声を介さずとも、艦娘達の思考が交錯するのが分かった。

 深海棲艦がいるかもしれない海域での、輸送船の停泊。明らかに新種のトラブルの気配がした。

 

≪日笠、日笠、日笠≫

 

 川内が司令船を呼んだ。艦娘同士の通信は、艤装を通して行われるため、距離が離れていてもある程度クリアに聞こえる。

 しかし通常の軍艦とのやり取りは通常の無線であり、音質の都合もあって、何度も用件を連呼する必要がある。深海棲艦の電波妨害があるともっと深刻で、このため一般の船舶には緊急用モールスの自動発信機も義務付けられていた。

 

≪こちら日笠≫

 

 司令船が応答する。日笠もある程度状況を把握していたようで、川内との議論はほどなくして終了した。

 進軍か、撤退か。

 古今東西、艦娘の指揮官が最も頭を悩ませる宿命の難問だ。

 

≪進軍、輸送船を調査せよ≫

 

≪ようそろ≫

 

 陣形が川内を先頭とした単縦陣に切り替わる。水平線付近で明滅する赤と青の光。

 ほどなくして見えた、輸送船のずんぐりとしたシルエットは、砦か何かに見えた。

 

 

     *

 

 

 日     時:8月14日15:00(明石標準時刻)

 作 戦 領 域:佐世保鎮守府

 コンディション:風南1、積雲4、視程20、海上凪

 

 

 沖田は、回流丸の甲板で、木箱の上に腰かけていた。

 その表情は暗い。先日の夜間空襲により、彼が抱える厄介事のラインナップに、新たなものが増えたからだ。

 

「社長」

 

 そんな沖田に、船員が声をかけた。

 

「うん?」

 

「こちらになります」

 

 沖田の前に、クリップボードが差し出された。

 沖田は細い目の端を、面倒そうに歪めて、それを受け取る。

 1枚目は、彼らの船にして、会社の帳簿の大部分を占める資産、回流丸の損害状況についてだ。

 昨夜の空襲で、積み荷の一部に機銃掃射を食らい、アンテナが一部で曲がったりガラスが砕け散ったりしていた。特にクレーンの損傷はひどいもので、土台がもはや鳥の巣のような形に歪み、かつてどんな姿だったのかを思い出すだけで一苦労という有様だ。

 船倉にあった揮発油に引火しなかったのが、せめてもの慰めと言える。

 

「海軍に関わると、やはり、ろくなことがないな」

 

 沖田はページを捲る。

 2枚目は、回流丸の積み荷についてだった。鎮守府に拘束されているとはいえ、船員の給料や、艦の維持に金はかかる。沖田は船員を何名か町にやり、馴染みの貿易商に声をかけていた。

 こちらは、いいニュースがあった。

 よい値が付きそうな商品がある。行き掛けの駄賃で運んできた、重量の割に値が付きやすい古書や骨とう品。そして、艦娘用の揮発油。

 特にシンガポールで購入した、高オクタン価の航空機燃料は、色々なところから手が伸びていた。陸軍、海軍、それからどこで聞きつけたのか民間の航空会社。製油施設が破壊されているからだろう。

 昨日の内に鎮守府へ卸すことになっていた軍の資材だが、ヲ級とのゴタゴタでうやむやになっているものも多い。

 

「どうします?」

 

「修理については、電探類だけで。商いは、売れるものは何でも売ってください。ただ、航空機燃料だけは別で、ちょっと考えましょう」

 

 言いながら、沖田は必要な箇所にサインをした。

 前の社長――つまり父親がいたころからの習慣で、沖田は物資の帳簿付けも担っていたので、こう場面では決裁のサインをすることがとにかく多かった。

 最後に書類をチェックして、船員へ返す。

 

「それ……」

 

 受け取った船員は、遠慮がちに沖田の顔の包帯を見た。

 

「大丈夫ですか? 実家が薬局やってるんです。よかったら、なんか取り寄せますけど」

 

「ああ、大丈夫です」

 

「でも、確か、それって」

 

 何か言いたげにしている。

 船員は、艦娘の出現によって職にあぶれた元海軍の船乗りで、再就職先での最初の航海が回流丸という、運のない男だった。沖田にとっては、数少ない年下の部下でもある。

 沖田は、必要以上の隠し事はしないことにしていた。

 

「ヲ級にやられました」

 

「昨日、お嬢も……」

 

(お嬢?)

 

 誰のことかと思ったが、すぐに思い至った。

 

(懐柔されている……)

 

「そ、そういうことです」

 

 沖田は苦笑した。

 

「あの分じゃ、横須賀案がお気に入りみたいだ。説得に苦労しそうだ」

 

「……じゃ、まだ横須賀の可能性も?」

 

 探るような様子で、船員が訊く。

 沖田ははっきりと首を振った。

 ヲ級を横須賀に連れていくという予定はあったが、佐世保という対案を出されてことにより、沖田の気持ちはすっかり変わっていた。

 あの赤松提督が勝算を持って出してきた案が、よくないはずはないのだが。

 

「……そうっすよね。いえ、でも、社長がそう決めたのなら、それでいいんだと思います」

 

 船員は、どこか達観した表情で言った。

 昨日から。

 というよりは、ヲ級に殴り掛かられるという一件があってから、船員達の間である変化が起きていた。

 なんというか、沖田に対して少し距離が縮まったような気がするのだ。

 回流丸の一部の船員との間では、ヲ級の扱いについて少し溝があり、それが棚上げされたしこりとなって関係に影響を与えていた。だが今は、沖田がヲ級に殴られたことで、奇しくもヲ級本人が自分の扱いについて主張したことになっている。

 社長と、船員。そういう立場もあってなかなか言い出せなかった問題に、ヲ級自身が踏み込んだ形だ。

 

(だから言ったでしょ、て思いがあるのかな)

 

 船員の心中を測りながら、沖田は自嘲的に笑う。

 

「ま、いずれにしろ、今日またあいつと話しますよ」

 

 そんなことを話していると、会話に新しい顔が加わった。

 背の高い、ツナギ姿の男が2人。1人はつるりとした頭で、細身、ツナギの上から白衣をひっかけている。もう一人はがっしりした体に、白髭、また白い船長帽をかぶっている。

 回流丸の船医と、船長だ。

 若い船員は2人に会釈すると、その場を去っていった。

 

「社長」

 

 船医が先に言った。

 

「報告が一つ。提督にもらった、病院の検査の紹介状」

 

「はい」

 

「一応ね。佐世保の病院に話通しといたけど」

 

「ありがとうございます」

 

「にしても、核物質か」

 

 船長が言う。

 言っているのは、ヲ級が微かな放射線を出しているという話のことだろう。沖田も赤松提督から聞いてはいたが、ごく軽微なレベルであったこともあり、まだ正式な場で伝達してはいなかった。

 沖田がたしなめた。

 

「あまり物騒なことは言わないでくださいよ? あくまでも、微かにあるってレベルなんですから。発表もまだです」

 

「分かってるよ。だが、なんか、引っかかるんだよ」

 

 船長は、喉の辺りを指さした。恰幅がいいので、喉、といえる部分はほとんど顎鬚(あごひげ)と首元に埋もれているのだが。

 

「あいつの中には、その、艦娘と似たような、魂ってやつが入ってるんだろ?」

 

「それも仮定ですけどねぇ。ていうか、ハナさん、話し過ぎだな……」

 

「随分前に、聞いたことがある気がするんだよ……」

 

「船乗りの噂とか、言い伝えとかですか?」

 

 髭をさする船長に、沖田はつい気のない受け応えをしてしまった。

 長く海にいるだけあって、この船長はジンクスや言い伝えを気にするところがあった。

 

「いや、随分前にな、艦娘と同じ時代の艦が、核を受けたことがあったらしいんだわ」

 

 沖田は眉をひそめた。商船学校時代に大抵の海戦については勉強する。だがそんな海戦は聞いたことがなかった。

 

「初耳ですな」

 

 沖田は言う。だが船医が食いついた。

 

「ああ、私も、なんか覚えありますねぇ。どっかで、随分前に、習ったような……」

 

「確か、教科書にも載ってるんじゃないか?」

 

「あのですねぇ。だとすれば、下手すれば何十年も前のことですよ? ヲ級のことは、今の話だ」

 

 沖田の常識で言えば、ヲ級が発しているとされる放射線の元凶は、地中海であった核爆発のものであるとするのが自然だった。

 沖田達がいた頃、現地の国家が深海棲艦に上陸された島嶼を粉砕するのに、核爆弾を用いたのだ。

 

「半世紀も前じゃあ……」

 

 船医は専門家の顔つきで、言った。

 

「いえ、それだけともいえませんよ? 核物質の中には、半減期が長いやつもありますし。半世紀でやっと半分、なんて物質も」

 

「半世紀ぃ?」

 

 その時の沖田は、全く取り合わなかった。

 やはり彼らの思い違いだ。

 

「半世紀も前じゃ、まだ深海棲艦も出てきてないでしょう」

 

 沖田は言葉を切って、時刻を確認した。

 そろそろ、ヲ級が鎮守府に戻ってくる頃だった。

 ヲ級は昨日電波を受信したのを契機に、鎮守府の船で湾内へ連れ出されていた。電波状況の良いところで、もっと電波を受信できないかを試したいらしい。

 勿論、今までよりもずっと厳重な警備を伴って、だが。

 

「仮定の話をしても仕方がない。今夜にも、ヲ級の返事を聞きます。それで、今度こそあいつとの関係はお終いです」

 

 そう言った途端、ちゃんと話してください、という熊野の言葉がリフレインした。

 思えば厄介な約束だ。

 さて、その生真面目なお嬢様は、今頃はどうしているか――。

 

 

     *

 

 

 まずは川内が船に近づき、様子を探った。陽炎と不知火がそれに続き、ソナーで水中の潜水艦を捉えようとする。

 深海棲艦は、潜水艦以外も水中から突然現れることがあるため、要注意だった。

 

≪こちら佐世保鎮守府、第1艦隊。応答願います≫

 

 川内は、まずは無線で呼びかけた。しかし反応はない。

 コンテナ船は夕日に船体を赤く染めながら、無言で佇んでいる。まるで幽霊船だ。

 

≪留守ですかねぇ?≫

 

≪そんなまさか≫

 

 熊野と青葉が言い合うと、陽炎が告げた。

 

≪ソナーにも、それらしい反応はありません。でも気を付けてください、船の下に隠れているのかも≫

 

 川内はその報告に、しばらく迷っているようだったが、やがて意を決したように叫んだ。

 

「誰かいませんかー!」

 

 驚いたことに、それに反応があった。船の上で人が動く気配がし、誰かが甲板の上に頭を出す。

 青いツナギを着た男性だった。多分、船員だろう。

 彼は海の上の川内達を見て、心底驚いた様子だった。

 

「あ、あんた!」

 

 彼は川内が何か言うより前に、叫んでいた。

 

「逃げろ! 逃げてくれ!」

 

 艦隊の間に、困惑が漂う。

 深海棲艦が活発に活動する海域では、たまに無人の船が発見されることがある。深海棲艦が放つ叫び声や、海から聞こえてくるという『声』に長時間晒されて、精神をやられてしまうのだ。

 普通に人がいて、拍子抜けしたところだった。彼は何をそんなに焦っているのだろう。

 熊野は仲間に意見を聞こうとして、そこで無線機が微かなノイズを吐き続けていることに気が付いた。

 局所的な電波妨害。

 戦慄が全身を駆け抜けた。

 

「深海棲艦!」

 

 熊野の叫びで、艦隊が一瞬で戦闘態勢に移行した。

 川内を先頭にした単縦陣が構成され、逐次回頭、コンテナ船から離れる航路を取る。

 不知火の警告が飛んだ。

 

≪雷跡確認!≫

 

 コンテナの戦の船底から、幾筋もの線が艦隊へと延びていた。

 潜水艦の雷撃だ。コンテナ船の船底に張り付き、ソナーをやり過ごしていたのだろう。

 

≪回避運動!≫

 

 川内のマストの上で、青のランプが明滅した。

 面舵の合図だ。艦隊は右に90度回頭し、向かってくる魚雷を回避する。

 だが危機はまだ続いた。

 

≪ま、また潜水艦を確認! ご、500メートル以内に、4、5……6隻!?≫

 

 陽炎が悲鳴を上げた。

 海面に視線を走らせると、艦隊へ向かう複数の雷跡が見える。

 

≪あの船は囮か!≫

 

 川内の悔しげな声。

 群狼戦術。大勢で艦隊を待ちかまえ、魚雷で同時攻撃するという単純な戦法だったが、輸送船を囮に使うなんてことは初めてだった。

 

≪方位0-9-0からも! 雷跡3!≫

 

 不知火が言う。

 艦隊は今や、北と東から同時に雷撃を受けていた。まるで十字砲火だ。単純な之字運動ではどうしたって避けきれない。

 右に舵を切っても、真横からの魚雷は避けきれない。速度を落とすと背後から迫る魚雷が当たる。

 確実な回避ルートはない。一撃必殺の魚雷が、もうすぐそこまで迫っている。

 

≪このぉ!≫

 

 青葉が、海面に主砲を放った。

 高い水柱。水中で応力の波が荒れ狂い、艦隊に迫っていた魚雷の1つが、それで粉砕された。

 だが、焼け石に水だった。

 先頭の川内は、速力を生かして魚雷をなんとか回避した。不知火と陽炎も、それぞれ左右に大きく転舵して難を逃れる。

 熊野は主砲で右から来た魚雷を潰し、真後ろから迫ってくる魚雷は、甘んじて右舷で受けた。ただし、装甲に真正面から弾頭がぶつからないようにして、衝突信管の不発を狙う。

 熊野は、ここぞという時の粘りは強い。

 右の足に、ゴン、という衝撃を感じたが、それだけだった。不発だ。魚雷は海の底に沈んでいく。

 貧乏くじを引いたのは、青葉だった。

 青葉は熊野と同じように、どうしても避けきれない魚雷を、艦の右舷で受けようとした。だがそれは、青葉の直前で信管過敏で自爆した。

 爆発した場所は、右足のすぐ近く。人間だったら足が吹き飛んでいる位置だ。

 

≪きゃあっ!≫

 

 青葉の悲鳴。右半身の武装が宙を舞い、青葉が大きく傾斜する。見る見る速度が落ちていく。

 

「青葉!」

 

 熊野は急減速して、彼女の援護に向かった。

 川内の指示が飛ぶ。

 

≪陽炎、不知火!≫

 

≪潜水艦叩きます≫

 

 不知火の言葉には、静かな怒りが漲っていた。

 対潜戦闘が開始される。

 敵は浮かんではこない。潜水艦は速力が遅く、撃ちあいもできないため、存在が露見している場合、潜航してやり過ごすのが定石だ。

 そしてそんな潜水艦を叩くために、探針儀と爆雷がある。

 

≪見つけた。不知火≫

 

 陽炎がソナーで潜水艦を探知、不知火に指示をした。

 

≪目標、方位1-4-0。距離220m、深々度≫

 

 不知火が爆雷を投射、着水、毎秒5メートルの沈下速度で爆雷が潜水艦に迫る。

 東シナ海の、空を写し取ったような青い海。

 その中で爆雷の光が、数度、稲妻のように閃く。

 と、海の一部が膨れがあった。

 しばらくの間の後、鈍く光る油と、髪の毛のようなものが海面に浮かんでくる。鼻を刺すオイルの匂い。

 

≪次!≫

 

≪徹底的に追い詰めてやる≫

 

 陽炎が獲物を見つける猟師だとすれば、不知火はそれに飛びかかる猟犬だ。

 潜水艦が駆逐されていくのを確認しながら、熊野は青葉の元にたどり着き、肩を貸した。

 

「大丈夫ですの?」

 

「なんの、これしき」

 

 明らかな空元気だった。熊野は青葉の右足を見る。水中爆発であったためか、主機自体は無事だった。だが爆風によるものだろう、彼女の右半身には火傷と切り傷が無数に刻まれていた。

 

「大丈夫です。まだ自力航行はできますから」

 

「がんばって。今、司令船まで――」

 

 熊野の言葉は、そこで止まった。

 電探のホログラフ。そこに、緑の点が映し出されていた。

 故障かと思った。今この状況で、艦隊の南200キロ圏に、50機近い航空機がいるなどと――。

 さらに、飛ばしている偵察機が告げた。

 30キロ西に、敵艦隊が出現。艦種は駆逐艦が中心で、特に――それらを嚮導しているような、新型の、『人型』の駆逐艦がいる。

 

(人型)

 

 熊野の中に、ある予感が持ち上がった。

 戦うべき相手とは、また戦うことになる――。

 

「川内」

 

 熊野は、旗艦に呼びかけた。彼女にも電探と水偵がついているからだ。

 そして旗艦の川内もまた、青い顔で熊野を見返した。

 間違いなく、航空機は味方ではない。

 一直線にこちらへ向かっているのだとすれば、接敵まで、30分も時間がない。

 

(なんで、こんなところに?)

 

 疑問、疑問、さらに疑問。

 佐世保を襲った空母の所在は、確認が取れていなかった。だから、ここに現れる可能性は、ゼロではなかった。

 だが、この潜水艦の数に、敵の充実し過ぎている艦隊構成。

 何かがおかしい。

 東シナ海は本土ののど元だ。そこに入り込める敵は、潜水艦ぐらいしかいない、という重要な前提が崩れつつある。

 熊野は自分の足元の浮力が喪失し、深く暗い海底へ落ちていくような気分になった。

 

≪まずは、報告だ≫

 

 川内が最初に頭を切り替えた。

 傷を負った青葉。取り残されている輸送船。まだ残っている潜水艦。片づけるべき課題は多く、ここにいる艦娘でできることは、あまりにも少なかった。

 そもそもが哨戒のための艦隊で、敵に出会ったら遅滞戦闘、そして逃走。それも加味した上での、高速艦ばかりの編成なのである。

 潜水艦の巧妙な待ち伏せなど、想定してはあったが、その想定には『最悪の場合』という枕詞が着く。

 

≪こちら、日笠。状況を報告せよ≫

 

 司令船『日笠』が通信を寄越した。

 音質はかなりざらついている。艦娘同士の通信は、深海棲艦の影響下でもある程度通じるため、今は司令船に随伴する駆逐艦『綾波』がこの通信を中継しているはずだった。

 深海棲艦の密度や強さの都合でこれよりもさらに通信品質が下がると、いよいよモールス信号が使われる。

 川内が応じる。

 

≪日笠、敵艦隊の接近を感知≫

 

 この後、川内と日笠が幾つか意見を交換するのを聞いた。相手は川内の直接の上官、第3水雷戦隊の司令官で、若いが優秀、しかし少し慎重すぎる向きがある、という評判だった。

 

≪少佐≫

 

 通信の終わり際に、川内が言った。

 ポンと背中を叩くような、肩の力を抜けさせる物言いだ。彼女はこういうのが上手い、と熊野は思う。

 やがて、司令船が決断した。

 

≪隊を二分する。陽炎、不知火、綾波。対潜哨戒しつつ、生存者をボートで日笠に。彼らの証言を聞く必要がある≫

 

 次いで、熊野達に指示が与えられる。

 

≪川内、熊野。貴官らは、遅滞戦闘をしてもらう。青葉の扱いを含めて、詳細な指示は、旗艦『川内』に委譲する≫

 

 青葉と熊野は、一斉に川内を見た。

 

「どうしますの?」

 

 熊野の言葉に、川内は告げた。

 

≪囮をやる。今から敵艦隊に突っ込んで、反抗戦をしつつ、台湾方面へ離脱する≫

 

 事実上の正面突破。

 すぐ傍で、青葉が固唾を飲む音が聞こえた。

 

「あ、青葉はどうしましょう」

 

≪損害は?≫

 

「航行に支障なし」

 

≪速力、落ちてなかった?≫

 

 川内が言うと、青葉は不敵に笑った。

 

「あれは、バランス崩しただけです。航行はできます。武装は高角砲が幾つか脱落。対空電探は健在」

 

 青葉は対空電探の健在を、それとなく語調を強めて伝えていた。川内が頷いたのが見えた。

 

≪一緒に来て。あんたの目が要る≫

 

「了解です」

 

「それで。突っ込んだ後はどうしますの?」

 

 熊野は話を戻した。

 川内が肩をすくめる。

 

≪台湾海軍に、この事態の連絡も入ってる。向こうの艦娘も急行してるから、うまく行けば深海棲艦を挟み撃ち、最悪でも合流はできる。台湾の戦力は、一応、戦艦含めた連合艦隊クラスらしいよ≫

 

「クラスって、なんですの?」

 

 熊野は咎めた。川内もこめかみの辺りを指先でとんとんやりながら、困惑する。

 

≪艦種としては連合艦隊並で揃ってるんだけど、向こうさんの事情でさ、ちょっと練度が≫

 

「ああ……」

 

 青葉が複雑な表情で納得した。

 熊野達が逃走した場合、台湾海軍の方に深海棲艦が向かうだろう。つまり台湾海軍の救援も兼ねているということだ。忙しい話である。

 

≪でも、いると分かっている深海棲艦の艦隊を、野放しにはできない≫

 

 敵の先遣部隊かもね、と川内は呟いた。

 

「意見具申を」

 

 熊野は意見具申を申し出た。

 

「敵に駆逐棲姫がいますわ」

 

≪そういうことだね≫

 

「以前、翔鶴が取り逃した空母ヲ級と、駆逐棲姫は連携していたことがありますわ。もしかしたら……」

 

 熊野は、ちらりと電探のスコープを確認した。航空機の数は変わらない。

 艦隊の面々は、きっと同じ胸騒ぎを感じていることだろう。

 だが命令はすでに出されている。それに台湾海軍を救援する必要があることも、不知火と陽炎に時間が必要であることも理解できた。

 進むしかない。

 そのための訓練、そのための艦娘だ。

 

≪気を引き締めて行こう。でも最優先は、時間を稼ぐことと、私たちの離脱≫

 

「深追いはしなくていいということですわね?」

 

≪そう。接敵して、離脱。それだけでいい≫

 

 熊野達は陽炎達をその場に残し、西へ向けて針路を取った。

 

 

 彼女たちの連絡が途絶したのは、それから約3時間後のことだ。合流予定だった台湾海軍は、随伴する艦娘と共に全滅していた、という連絡が随分遅れて外交ルート、そして政府を経て鎮守府へもたらされた。

 その報告はひどく丁寧で、敵艦隊の編成や想定される損害まで事細かく記されており、当時台湾海軍がいかに現場にもたらされる破壊と悲劇を正確に予見していたかを示すものであった。だが、事前に届かなければそれには何の意味もない。

 川内、熊野、青葉からの通信は、最初の方は比較的クリアな音声で、次いで、暗号化されたモールス、最後には悲鳴のような平文になっていた。

 

 『敵が減らない』

 

 それが、彼女達が発した最後の通信だった。

 佐世保鎮守府は、輸送のアキレス腱、そして目と鼻の先である東シナ海のどこかに、無尽蔵に深海棲艦が供給される巨大な『泊地』ができていることを確信した。

 『本土襲撃部隊』は、2つあったのだ。

 だが、時刻はすでに夜になっている。敵には強力な空母もいる。

 泊地を探査することも、行方不明の艦娘を捜索することも、もはや艦娘の偵察機では不可能だった。

 

 

 




 登場艦船紹介

 重巡洋艦:青葉

 一等巡洋艦青葉型 1番艦
 全長:185メートル 全幅:17メートル
 排水量:9000トン
 速力:33ノット
 乗員:657名

 兵装:50口径20.3cm連装砲×3
    45口径12cm単装高角砲×4
    61cm4連装魚雷発射管×2
    九三式魚雷×16
    25mm連装機銃×4
    13mm連装機銃×2

    1927年就役。
    太平洋戦争以前から稼働していた艦であり、
    あの戦争においても緒戦ウェーク島の戦いから参加。
    その後も主要な海戦で活躍したが、ついに渾作戦において被雷、
    本土回航となる。
    同じく大破していた重巡洋艦『熊野』と共に、本土を目指すことになったが、
    熊野は潜水艦の雷撃を受けて損傷、やむなく青葉は熊野を置いて本土へ回航する。
    その後、呉軍港まで帰投し、空襲による大破着底で戦後を迎える。
    1942年除籍。
    なお、艦娘としての青葉は
    「ちょっと、ほんの少し、噂好きだけどすごくいい子(古鷹談)」
    とのこと。


もうヲ級の中身は9割くらいでばれてそう。
次回で、やっと正式に明らかになる予定です。



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