空母ヲ級運用指南 ~蜃気楼の海~   作:mafork

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【前回までのあらすじ】

 保護か、実験台か。
 人類に友好的な空母ヲ級、その未来を決める演習は、佳境を迎えた。
 ヲ級の捨て身の爆撃で、敵の旗艦『翔鶴』は中破。艦載機の着艦能力を喪失する。
 だが一方で、ヲ級達の方も司令塔の『熊野』が大破する。

 演習の勝敗は、旗艦の損傷度合いが大きく響く。熊野の大破により、勝敗判定は翔鶴達の側に傾いたかに見えた。
 だが、熊野達はあっさりと逃走を開始。
 まるで勝利を確信したように。
 その裏にある秘策とは――。




2-6.嵐の後は凪ぐ

 回流丸の艦橋では、情報の集約が続けられていた。

 海図には味方を示す青い駒が3つ置かれ、それを追うようにして赤い駒もまた3つ配置されている。

 青い駒は熊野達を示し、赤い駒は翔鶴達を示している。その位置関係は時間経過と共に更新されていくが、翔鶴達が逃げる熊野達を必死に追っているという構図は明らかだった。

 

「なんか、ねぇ」

 

 艦橋で、ある船員がぽつりと言った。

 彼は整備要員であり、戦闘時下では仕事がない船員の一人だった。同じように仕事がない、交代直後の操舵員が応じる。

 

「なんだ」

 

「やっぱり、博打ですよねぇ。うまく行かなかったら、どうするつもりだったんでしょ」

 

「しらん。だから博打なんだろ。丁か半かでも、各上相手に勝機が見えるなら、やる価値ありってことなんだろ」

 

 操舵員は社長の沖田が言ったことを、そのまま話した。

 

「翔鶴の戦績見たか? ついこの間の珊瑚海でも、敵の空母をボッコボコにしたそうだ。あれはヤバイ。きっとゴリラみたいなやつに違いない……」

 

「でも汚くないですか」

 

「社長に聞こえるぞ」

 

「でもねぇ……こんなことして、向こうさんは認めてくれるんですかね」

 

「認めるさ」

 

 操舵員は言った。

 

「やけに、自信ありますね」

 

「社長がそう判断してる。あの人が言うなら、確かだろ」

 

「へぇ?」

 

 整備員は首を傾げる。操舵員は、知らんのか、とでも言いたげに眉を少しだけ上げて、ポケットから煙草を取り出すと甲板へ出ていった。

 

 

     *

 

 

 演習とは、勿論実戦と同じように行われるのが正しい。

 だがその目的が訓練である以上、色々な便宜が図られている。例えば、夜戦に移行するかどうかの判断は一方的に攻撃側に委ねられていたり、勝利条件が防衛側の方が緩い場合が多い、などだ。

 そうした便宜の1つに、旗艦の扱いがある。

 旗艦は艦隊の司令塔であり、これを経験することはその艦娘の練度の向上にとって大きなプラスとなる。艦隊運動を指揮したり、僚艦の調子に気を遣ったりするので、経験するだけでも視野が広がる。

 だが、一方で負担が大きいのも事実だ。そのため未成熟な艦に書類上旗艦の立場を与え、成熟を促しつつ、実際の演習では2番艦や3番艦がその機能を大きく代行する、という場合がままあった。演習で見られる、低練度の駆逐艦に戦艦や空母の随伴艦がついている艦隊は、こうしたいわば保護者同伴の艦隊といえる。

 だが、演習はあくまでも真剣勝負だ。その勝敗は軍令部に報告され、司令官の査定にも響く。

 そして、旗艦の損害度合いは演習の結果判定にモロに響く。

 そのため、悪知恵を働かせる者もいる。

 つまり、旗艦を潜水艦にして、深く、静かに潜航させてしまったり、逃げ足の速い駆逐艦にして指揮を放り出して生存を優先させたり、もはや訓練とは全く関係ない意味合いでこの旗艦の仕組みが使われることがあった。

 だが、あくまでもごく一部の話。

 熊野にとっては知識としてはあっても、決して使うことなどない、あまりにも無粋すぎるやり方。

 そう思っていたのに。

 

「熊野さん」

 

 随分経ってから、不知火が震える声で言った。熊野は俯いたまま、無言で進む。怒りで肩が上がるのを必死で抑えていた。

 

「これで、いいんでしょうか」

 

≪仕方がありません≫

 

 無線を通して応えたのは、沖田だった。

 

≪ルール的には、認められています≫

 

「で、ですが」

 

≪向こうも悪いのです。そもそもフェアじゃない。これくらいのことは、許容してもらわなければ、こちらに勝てる要素がない≫

 

 沖田が言うのは、熊野達がこうして逃げの一手を打てる理由であった。

 本来であれば、熊野が大破している時点で敗色は濃厚だ。なんとしても敵艦隊を追撃するか、そうでなければ白旗を上げなければならない場面である。

 しかし、それには前提がある。

 熊野が旗艦であるという前提だ。赤松提督に編成を通知する役目は、彼自身の申し出で沖田が担っていたが、彼は熊野でなく不知火を旗艦として申告していた。

 熊野は、意図的に棘を込めて言った

 

「褒められた方法ではありませんわね」

 

≪申し訳ありません、手違いを。熊野さんと不知火さんの旗艦申請を、逆にしてしまいました。でも結果的にはよかったですねぇ≫

 

 手違い。

 だがそれを額面通りに捉えている者は、沖田も含めて一人としていない。

 熊野達がその『手違い』を知ったのは、演習が始まる直前だ。そしてその直後、沖田は流れるように説明をした。

 随伴艦が指示を出してはいけないという決まりはないから、熊野が指揮を執って問題がないこと。ただ熊野が大破し、不知火が無傷である場合に限っては、旗艦の健在を理由に逃走を図るのが得策であること。

 実行するのには抵抗があった熊野達だが、守りの要のヲ級がさっさと逃走してしまったので、やむなく熊野達もその指示を飲んだ形だった。

 この事実からして、熊野は確信している。

 断じて手違いではない。

 旗艦の采配を熊野から不知火にすり替えることで、沖田は演習の勝敗判定で有利がつくことを目論んだのだ。重巡と航空母艦、そして駆逐艦という編成では、敵にとって駆逐艦の重要性は低いから、旗艦が生き残る確率は高い。

 直前まで明かさなかったのは、熊野達が反対するのを見越してだろう。

 こうでもしないと勝てないだろう、と言われてしまえば確かにそうだが、それでも裏切りは裏切りである。

 

(こんな、やり方を)

 

 熊野は、沖田への認識をマイナス方向に改めた。

 熊野も不知火も、一度は心から彼らの身を案じたのに、これではあんまりではないか。

 海軍に思うところがあるのは初対面の頃から分かっていたが、艦娘に対する態度には、どこか節度や、感謝に近いものがあると思っていた。それだけに怒りも強い。

 不知火の肩も、今は明らかに上がっている。魚雷を抱えて敵に突っ込んでいく駆逐艦にしてみれば、侮辱とも取れる作戦である。特に最初からこの演習に懐疑的だった彼女は、完全に面目を失ったと言っていいぐらいだ。

 

(でも、こんな提案をするということは……)

 

 熊野は、沖田に対しある疑念を持った。

 深海棲艦を連れて航海するぐらいだから、一筋縄ではいかないことは分かっていた。

 海軍嫌い、というのは薄々察していたから、こんな手を使ってくることも理解はできる。

 しかし、航空戦の指揮といい、今回の演習といい、彼はひょっとすると――。

 

「くまの」

 

 熊野の後方で、ヲ級が言った。くいくい、と後ろの空を指さしている。

 

「きてる」

 

 彼方の空に、航空機の編隊が現れていた。その下には、大きく白波が立っている。

 向かってくる影は3つ。先頭が陽炎、その次が川内、最後は少し遅れて翔鶴だ。

 川内と翔鶴が中破しているので、船速はそれほどでもない。だが主機が吹き上げる水しぶきと、もうもうと上げる缶の煙は、いつにも増して大きく見えた。

 

「怒ってます」

 

 不知火が、負けないくらい怒った声で呟く。

 

「当然ですわね」

 

 このままでは結局追いつかれてしまう。

 この後、さらに遅滞戦闘までやらされるのだろうか。遥か彼方の回流丸に20センチ砲を叩き込みたい衝動に駆られた。

 

≪くぅ~ま~のぉ~!≫

 

 無線で、川内の声が来た。

 わざわざ通信してくるところに、彼女の怒りの深さが現れていた。

 

≪見損なったわ! こっちが手加減してるのに!≫

 

「て、手加減? あれが?」

 

≪とにかくそこに直りなさい! 三水戦旗艦『川内』、あんたらの性根を叩き直して、神通の所に熨斗付けて出荷してやる!≫

 

 ひぃ、となぜか無線の先で陽炎が悲鳴を上げていた。

 川内達が砲撃をした。

 熊野達の周りに着色料の混じった水柱がそそり立つ。之字運動で夾叉を避けながら進むが、まるで原生林の中を抜けているようだ。

 

≪不知火!≫

 

 無線からまた声がする。陽炎の声だ。

 

≪不知火がそんな悪いことするなんて! 私ショックだよ!≫

 

「し、不知火の考えじゃありません」

 

≪じゃあ熊野さんっ?≫

 

「そ、それも違います」

 

≪じゃ、誰よ!≫

 

 不知火は黙ってしまった。いつもの落ち着いた表情が苦しげに歪んでいる。

 よくわからない輸送会社の人間に艦娘2人が言いくるめられていた、というのは改めて口に出すと結構恥ずかしい話だ。

 

≪不知火!≫

 

 陽炎にそう声をかけられ続けたのが災いしたのだろう。

 不知火は、至近弾を許した。損害は軽微であったが、頭から真っ青の塗料を被り、自慢の薄紫の髪色が見る影もなくなってしまった。

 彼女の肩が、さらに幾らか上がった。わなわなと震えだす。

 

「し、しらぬい」

 

 ヲ級が、彼女の異変に気付いた。

 熊野も察したが、全ては手遅れだった。

 

「だ、だいじょうぶか」

 

 ヲ級が、そっと手を出した。不知火はその手を払った。

 

「触らないで」

 

「え」

 

「不知火は、やはり、認められません……!」

 

 言って、顔を上げる。いつも通りの無表情。その中で瞳だけがらんらんと光り、海の向こうの陽炎を凝視しているようだった。

 

「不知火を」

 

 熊野は頭を抱えたくなった。

 

「怒らせたわね……!」

 

 駆逐艦『不知火』は、弾かれたようにスタートした。両舷全速、主機は一杯。まるで不知火自身が魚雷になったかのようだ。

 傷つけられた自尊心を燃料に変えて、誇り高い駆逐艦が敵艦へ向けて突撃する。

 

「をー」

 

 ヲ級が間延びした感嘆を漏らす。

 熊野は嘆息し、こめかみの辺りに手を添えた。

 沖田の考えはある意味で正しく、ある意味では間違っていた。

 事前に聞かされていれば、不知火はこの作戦に反対しただろう。しかし、隠して強引に進めたからといって、従うとも限らない。

 小さな体に殺意と魚雷を満載して、軽巡の号令で敵艦に突っ込んでいく艦種が、大人しいだけの少女であるはずがない。

 物わかりのいい駆逐艦など、菜食主義のライオンのようなものだ。

 

≪あ、あれ? 不知火さん?≫

 

 無線の向こうから、沖田の困惑した声がした。きっと今頃、位置情報の伝達ミスか無線機の故障を疑っているのだろう。

 そのさらに奥からは、船員達のどよめきが聞こえる。

 

『駆逐艦が突っ込んだぞ!』

『だから騙すなんてやめときゃよかったんだ』

『大体社長はいつも詰めが甘いんですよ!』

『地中海でもチューリップばっか買わされてぇ!』

 

 静かにせい、と怒声が飛ぶ。きっとあの船長だ。

 

≪ヲ級! 不知火を取り押さえろ!≫

 

 信じられない指示が来た。

 

≪不知火がやられたら、全部水の泡だぞ!≫

 

「でも」

 

≪いいんだ! 今は勝つことだけを考えろ! お前の安全は、今はこの演習の勝ちでしか購えないんだぞ! これ以上、海軍に取られていいものなど我々にはない!≫

 

 ヲ級が虚ろな目で、不知火の動きを追っている。快速の駆逐艦はすでに敵艦隊に接触しつつあった。

 もう、間に合わないと思うのだが。

 

「しゃちょう」

 

≪なんだ≫

 

「そこまでしてわたしはいきたほういいのか」

 

 無線機が沈黙した。湖面に石を投げるような、静かな波を起こす問いだった。

 

≪……なに?≫

 

「わたし かんむす すき」

 

 深海棲艦が続ける。

 

「で、でもしらぬい おこった」

 

 気づくと、艦隊は完全に航行を止めていた。

 ヲ級が首を傾げて、水平線付近にまで遠ざかった不知火を見つめる。

 

「わたしのせい」

 

 熊野は、万感のこもった息を吐いた。

 釣り上げた眉が下がっていくのを感じる。

 勿論、納得したわけではない。だが振り上げた拳の振り下ろしどころを見失ったような、妙な気分だった。

 

「……沖田さん」

 

≪はい≫

 

「埋め合わせは、していただきますわ」

 

≪……はい?≫

 

「お返事は!」

 

≪は、はい≫

 

「けっこう」

 

 言い知れない寂しさを感じる。

 海軍と、深海棲艦と、輸送船。どれもすれ違いばかりで、少しも心が通っていないような気がした。

 熊野は、艦娘であることに誇りを持っている。

 だが輸送船と海軍の関係性は、決して良好なものではない。特に佐世保鎮守府は大量の徴用船を生み出したこともあって、地元の商人との間には深いわだかまりが残ったままだ。

 人は変われない。

 そんな寒々として事実が、熊野の心を吹き抜けていった。

 目の前の海に視線を戻す。

 旗艦の駆逐艦が突っ込んで、海戦は夜戦もかくやという滅茶苦茶な乱戦になっている。まるでボールに殺到する子供のサッカーのように、不知火に艦載機や砲撃が殺到しているが、生き生きと跳ね回る彼女を捉えきれてはいない。

 とすれば。

 戦況は、五分に戻ったといえる。

 

「沖田さん」

 

 余計な策略や思惑が剥がれ落ち、熊野は単なる艦娘としてその戦場に立っている。

 

≪なんでしょう≫

 

艦娘(わたくしたち)のやり方、ご覧に入れてさしあげます」

 

 難しいことを抜きにして、シンプルに作戦を告げた。

 

「不知火、煙幕」

 

 彼方で煙幕が炊かれる。

 

「ヲ級、わたくしについてきて。艦載機で援護を」

 

「どこ いくの」

 

 熊野は言った。

 

「前に」

 

 不知火と合流すると、乱戦が始まった。

 周辺で、無数のペイント弾が炸裂する。塗料の飛沫が目に入り、視界に障るほどの密度。

 容色の艦娘達が、色とりどりの塗料で汚れていく。きっと真面目にこの光景を見返したら、誰もが腹を抱えて笑うだろう。

 ぼ、ぼ、ぼ、と妙な音がした。

 汽笛を短く区切ったようなその音は、ヲ級の方から発せられていた。

 彼女は大きな帽子の左右について高角砲で弾幕を張りながら、少しだけ目じりを下げて、肩を揺らしている。

 

(笑ってる――?)

 

 楽しくて仕方がないような、そんな笑い方だった。まるで友達と遊ぶ子供のようだ。

 敵も味方もなく、深海棲艦と艦娘もなく、ただ純粋に海を駆けることが、そんなに楽しいのだろうか。

 熊野も、少しだけ馬鹿らしくなった。

 

「さぁ、まだまだこれからですわ!」

 

 10分後、不知火大破、陽炎大破。

 さらに5分後、川内、ヲ級の爆撃で大破。ヲ級、川内の雷撃で大破。

 熊野は大破してはいたが、撃沈判定はまだだった。そのため脅威度を下げられたことを逆手に取り、しぶとく、粘り強く、最後の最後まで撃沈判定を出さずに連装高角砲1基を守り切った。

 最後の5分間は、翔鶴と熊野だけが残っていた。

 ただし翔鶴は中破しており、艦載機も魚雷も爆弾も撃ち尽くしている。空にはヲ級が残した航空機がハゲタカのように旋回しており、熊野は空を気にする必要はなかった。

 対して、熊野には高角砲が残っている。蟷螂の斧だが、斧は斧だ。

 お互い機関に稼働制限をかけられており、逃げることはできない。

 熊野はオレンジの塗料をしたたせる翔鶴に砲口を向けた。

 

「どうなさいます?」

 

 翔鶴は嘆息し、矢を矢筒に戻した。

 

「降参よ」

 

 なんとまぁ、と無線の先で沖田が呟いていた。

 それよりも大分粗い音質で、通信が来る。

 

≪終わったか≫

 

 赤松提督の声だった。

 艦隊の状況を確認するような間の後に、続きが始まる。

 

≪どいつも、こいつも。飲まれおって、まるで子供の喧嘩だな≫

 

 厳しい台詞だが、少なくとも、怒っている口調ではなかった。

 

≪演習を終了する!≫

 

 長い汽笛の音と共に、史上初の深海棲艦を含んだ演習は終わりを告げた。

 

 

     *

 

 

 日     時:8月8日19:35(明石標準時刻)

 作 戦 領 域:佐世保鎮守府

 

 

 演習が終わると、参加した艦娘は鎮守府の提督室へ集められた。

 すでに日は落ちており、窓の外は暗い。

 熊野が報告書等で少し遅れて到着すると、他の艦娘はもう揃っていた。

 翔鶴が熊野に気づいて困ったように笑う。川内も肩をすくめ、陽炎と不知火は軽く一礼した。

 熊野より少しだけ遅れて、沖田が入って来た。

 入って来た彼に、熊野を含めたほとんどの艦娘がじろりとした目を向けた。すでに旗艦の采配は沖田の独断であったことが分かっている。

 本人はいつもの細目を伏して、軽く一礼しただけで、特に気にしていない風である。だが熊野は、ひょっとして針の筵を見越して、わざと遅れてきたのかも、と邪推した。

 全員がそろったのを確認し、赤松提督は椅子から立ち上がる。

 

「演習、ご苦労だった」

 

 そう労って、提督は居並んだ面々を見渡した。

 

「結果は沖田さん側の戦術的勝利であった。少々、思うところもあると思うが――」

 

 提督は、横目で沖田を見つめた。沖田は正面を見つめ、表向きは涼しい顔をしていた。表向きは。

 

「結果は結果だ。沖田さん、あなたの主張は正しい。確かにあのヲ級があなたに従っているのは、疑いようもない。処分はせず、佐世保ではひとまず協力者の保護という形で預かりましょう」

 

 沖田が礼をした。

 熊野もほっと息をつく。とりあえず熊野の遠征での失敗もうやむやになったからだ。

 その後幾つか付帯的な指示と、演習での出来事の口外を禁ずる緘口令が出され、その場は解散となった。

 一人、また一人と提督に一礼して、去っていく。

 熊野は他にいくつかの報告事項があったので、部屋に残るつもりだった。

 

「沖田さん」

 

 沖田が辞去しようとすると、提督が呼び止めた。いつもより柔らかい口調に聞こえた。

 

「2年間、いえ往路も含めれば、3年間ですか。お疲れ様でした。お父上のことは、私も残念です」

 

「いえ」

 

「ただ、一言よろしいですか?」

 

 提督は、そこで目を鋭くした。いつもよりもさらに厳しい顔つきだった。

「老婆心ながら言わせてもらえれば、仲間からの信頼を切り売りするようなやり方では、長続きはしませんよ?」

 

「痛み入ります」

 

 沖田はそう言って、頭を下げた。

 熊野は思う。

 懲りてない。絶対懲りてない。

 背を向けて辞去しようとする沖田に向けて、さらに提督の声がかかる。

 

「沖田大尉」

 

 熊野は、一瞬耳を疑った。

 沖田は細目の面構えを心底嫌そうに歪めて、提督を見返した。

 

「……満期除隊は、済んだはずですが」

 

「知っています。船団の指揮官が不足していますので、前のように予備士官で戻っていただけると、大変助かるのだが」

 

 沖田は応えなかった。最後に軽く頭を下げ、部屋を後にする。

 ドアが閉まり、部屋には提督と熊野だけが残された。

 

「……やっぱり、鎮守府関係者だったのですね」

 

 熊野は、提督に確認した。

 演習での指揮や、航空戦のノウハウ。何より演習の勝利条件を把握していたところで、熊野もうっすらと予感してはいた。

 ヲ級が行っていた戦法の数々は、翻ってみると、鎮守府が体系立てをした航空戦の戦法によく似ていた。泥縄ではなしえない、高度な戦術も含まれていた。

 ヲ級の管制をしていたのが彼だとすれば、どこかで正式に艦娘を用いた航空戦の訓練を受けていた、ということになる。

 予備士官ということは、一度満期除隊したのだろう。徴兵された民間人は、一定の年数を過ぎると民間に戻り、その後は次の招集に備える予備役を迎える。

 しかも船団の指揮官にいたというのは、どういうことだろう。

 海上護衛のための船団の指揮官は、予備士官が務めることも多い。だが過酷で、地味で、手当も低い職種だ。海軍嫌いの彼が、そんな役職を、自ら志願してやっていた頃があったというのだろうか。

 

「さて、な」

 

 提督は少し口角を上げただけだった。

 ため息が落ちる。沖田と提督の関係性からして、今回の演習がどういうものであったのかはすぐに想像がついた。

 

「……茶番、だったのですね」

 

「そんなことはない。あの深海棲艦の危険度は、見極めねばならん」

 

 つまり、勝利か敗北かでヲ級の扱いを変えるという部分は、やはり茶番だったのだろう。

 冷静に考えれば、人語を話す、友好的な深海棲艦を無下に扱うわけがない。

 後から聞いたところによれば、提督は演習海域に潜水艦を忍ばせていた。これは審判にするためと、深海棲艦の能力である『泊地化』――海域の水質を変化させ、他の深海棲艦を呼び込む海域に変えてしまう能力――の発現を見極めるためだった。

 結果としては、あの空母ヲ級が戦っても海域の泊地化は起きなかった。

 さすがの提督も、彼女がトロイの木馬であることを疑っていたのだろう。

 

(まぁ、聞いてもはぐらかされるだけでしょうけど)

 

 熊野は気を取り直した。

 本来の要件を口にする。

 

「提督。バシー海峡の経過をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 

 ずっと気になっていたことだった。

 台湾の南に広がる海域で、佐世保にやって来る前に、回流丸は深海棲艦の襲撃を受けていた。熊野が遠征中に攻撃を受け、海を漂うことになった場所でもある。

 何か出てくると、熊野は確信をしていた。

 

「あそこか」

 

 熊野の問いに、提督が頷く。

 

「お前の話では、戦艦以上の深海棲艦が海域に潜んでいる、ということだったな」

 

「はい」

 

「残念だな。まだ君が言うような戦艦以上の深海棲艦など、あの海域では見つかっていない。だが……」

 

 提督は苦笑して言った。

 演習が終わり、提督の表情は少し柔らかくなっていた。厳冬の雪山が、春になってその表情を変えるように。

 元より、厳しいだけの人物ではない。

 

「謝らねばならないな。艦隊の手前、厳しいことを言ったが……あの夜、襲撃を受けた艦艇の数は、総計すると20に及ぶ。少なくとも今は私も、あそこで何かが起こっていると感じている。明日にも瑞鶴を中心に、大規模な敵の捜索を行うつもりだ」

 

「大規模な……」

 

 熊野は呻いた。平穏になったと言われているバシー海峡では、異常な出来事だった。

 提督は椅子を軋ませながら、続ける。

 

「あの人型の駆逐艦の件もある」

 

 熊野は、気づくと拳を握りしめていた。

 

「バシー海峡で、最後に君を雷撃した相手だ。その前にも、確か色々とあったな。鎮守府はあれを『駆逐棲姫』と呼称することにした。存在が発覚してからかなり経つが、活動範囲の広い危険な個体だ」

 

 『駆逐棲姫』。

 しばらくはその名前が意識から消えることはないだろう。

 提督は窓の外を見た。

 佐世保の夜だ。造船所の灯りと、タンカーの船灯が、夜闇の中に鬼火のように浮かんでいる。

 

「呉の連中が、MI作戦をやってる。それが終わるまで、バシー海峡(あそこ)は静かでいてもらいたいものだがな」

 

 その言葉に、熊野の気持ちは重くなった。本来熊野が旗艦をするべき、最上型艦娘の第7戦隊から数名が、MI作戦に参加しているからだ。

 

「以上かね?」

 

 問われ、熊野は我に返った。

 

「はい。熊野、退出します」

 

 熊野が部屋を辞去しようとすると、提督の声がかけられた。

 

「航空巡洋艦の艤装は、まだ慣れんかね」

 

「……はい」

 

「艤装はただの鉄の塊ではない。込められた魂に、巧く応えてやることだ」

 

 痛み入ります、と熊野は礼を言った。提督は続けた。

 

「まだある。それとな」

 

「はい」

 

「回復した。意識はまだだが、じき、よくなる。太鼓判だ」

 

 ドアノブを握る手が、震えた。

 完全に不意打ちを食らってしまった。

 

「お心遣い、痛み入ります」

 

 声の震えを悟られない内に、熊野は提督室の扉を閉めた。

 足早に部屋を離れる。MI作戦には佐世保からも艦娘が多数参加しているため、鎮守府の中はかなりがらんとしていた。

 熊野は人気のない非常階段の辺りまで来ると、ゆっくりと息を吐き、近くの壁に背中を預ける。

 海に出た艦娘には常にプレッシャーがかかる。敵の襲撃だけが脅威ではない。機関が故障しても大変だし、悪天候も大敵だ。そしてそれらに関する責任は、全て艦娘本人が負うしかないのだ。

 だから、艦娘は誰しも気を張っている。

 誇りと海軍魂で、弱気を律し続けなければやってられないのだ。そしてやがて、戦場と日常との往復が当たり前になっていく。

 だが、常に心を強く保てるわけではない。

 耐えて、凌いで、持ちこたえて。

 やっと迎えた自由の身で、予想外の吉報を受けては、目元の熱さを堪えるのは無理だった。

 

「あれ」

 

 変な声が出た。

 頬を触ると、温かい滴が手に着いた。

 自分は、今泣いている。

 落ち着こうとした深呼吸は、胸に何かがつかえたように、嗚咽のような息になった。

 

「……わたくしと、したことが」

 

 遠征で気を失ってから、矢のように過ぎた時間。そこで置き去りになっていたあれやこれやの感情が、一斉に来た。

 あの子は無事だ。また会える。

 熊野自身も生き残った。2回も死にかけたのに。

 ヲ級にも、感謝しなければならない。彼女に助けられたのだ。

 ただ、沖田は別だ。彼には警戒しておこう。

 そうした思いの一つ一つを落ち着かせ、棚を整理するように然るべき位置に戻していくのに、しばらく時間が必要だった。

 どれくらい、そうしていただろうか。

 壁に寄りかかって見る白い天井は、親しげではあったが、もう滲んではいなかった。

 ハンカチで顔を拭いて、熊野が自室へ戻ろうとした時、廊下の少し先に佇んでいる人影を見つけた。ツナギを着て、白いキャップを目深に被っているが、熊野はすぐにそれが空母ヲ級だと気づいた。

 周りには誰もいない。彼女は一人だった。

 

「しゃちょう は」

 

 熊野に気づくなり、彼女は言った。

 

「さきほど、出ていきましたけど……どうして、一人で」

 

 言ってから、ふと気づく。そう言えば彼女は、回流丸でも一人うろついていたりした。

 実は、相当に脱走が達者なのかもしれない。

 

「わたし?」

 

 言いながら、ヲ級は右手を伸ばし、熊野の肩を触った。左手も出して、頬に添えてくる。

 ひんやりしていた。

 しかし、なんというか、大変問題のある状態である。

 

「……あなたね」

 

「くまの つよいな」

 

 ヲ級は言った。

 まつ毛の長い、血色が悪いだけの、美しい顔立ちだ。こんなの抱き付かれている姿を見られたら、どんな噂が立つか分からない。

 熊野は苦労してヲ級を引きはがした。

 

「しょうかくも」

 

「はいはい」

 

「かんむす おもしろい」

 

「離れなさい」

 

 押し問答している間に、ヲ級の首の辺りを触った。そこには首輪のようなものがついており、マッチ箱くらいの四角い箱を、白い首に固定していた。

 その瞬間、ヲ級が怖れたようにぱっと離れた。

 

「これは だめ」

 

 あまりの反応に、熊野は首を傾げる。

 

「だめ」

 

「え?」

 

「はずすと しぬ」

 

 熊野は口を開けたまま、しばらく硬直した。

 しばらく、音が上手くつながらなかった。

 死ぬ。

 その言葉に対して、目の前の少女が特に感想を抱いた様子はなかった。

 青々とした深海棲艦の瞳が、熊野の驚いた顔を映している。

 その眼は、虚ろだ。心なしか、演習する前よりもさらに虚ろになっているように、熊野は感じた。

 

「ほれちゃった?」

 

 ずっと見つめていたら、ヲ級が両手を頬に当て、しなを作った。

 熊野は無反応。ヲ級もその後は、無言。

 寒々とした風が流れる。

 

「……なんですの、それ」

 

「おそわった みんなから」

 

 見つめられたら、これをやれと。その方が面白いと。

 みんなとは、回流丸の船員のことだろうか。

 

「おバカ……」

 

 熊野は呆れかえり、しばらくして、真顔でしなを作るそのシュールさに、確かに頬が緩むのを感じた。

 

 

     *

 

 

 日     時:8月9日08:50(南西諸島海域 現地時刻)

 作 戦 領 域:馬公泊地 第4実験棟 地下2F

 コンディション: ―

 

 

 男は原稿を見つめた。白衣のポケットからメモ帳を取り出し、横須賀の番号を探す。

 ポケットに入れっぱなしだったゴミも一緒に出てくるが、彼は気にしない。ボールペンでコーヒーをかき混ぜながら、無造作に秘書へ電文の指示を出した。

 

 1 発 馬公泊地 艤装開発班 宛 横須賀鎮守府 提督 東雲大将

 2 速ヤカニ件ノ海産物ノ経過ヲ報告ノコト。

 3 鎮守府ノ管轄ニアラズ。

 4 拙速ハサケラレタシ。

 5 開ケテミルマデ箱ノ中身ハ分カラヌ。

 6 降リソコナイ ノ 可能性9割5分以上。

 7 

 8 ソノ魂ヲ最優先デ確保スベシ。

 9 海外ノ艦デアル場合 急グ 重要性 論ヲマタヌ。

 10 アノ体ハ 長クハ 持タナイ。

 11 以上

 

 平文の暗号が、アルファベットと数値に置き換えられ、電文として打たれていく。

 

 

 




登場艦船紹介

 駆逐艦:不知火

 陽炎型駆逐艦 2番艦
 全長:119メートル 全幅:11メートル
 排水量:2,033トン
 速力:36ノット
 乗員:239名

 兵装:50口径12.7cm連装砲×3
    25mm連装機関砲(機銃)×2
    61cm魚雷発射管4連装×2
    対潜水艦用爆雷16個 ほか

    1939年就役、同型艦「陽炎」らと共に第2水雷戦隊に所属。
    機動部隊の護衛や通商破壊に活躍。
    1944年除籍。
    本来は呉で神通(第2水雷戦隊旗艦)の指揮下にいるべき艦娘だが、
    色々あって佐世保へ転籍中。
    MI作戦で層が薄くなった本土の駆逐艦の穴埋めと、練度の維持を担う。
    好きなものは「陽炎」。



お読みいただきありがとうございました。
おそらく、ほとんどの方が気づいていたであろう秘策でありました。
次回、3章はMI作戦が本格的に絡んでまいります。MI作戦といえば、アレですね。
しかし一年も前のイベントのSSを今更書いていくのか……(困惑)


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