空母ヲ級運用指南 ~蜃気楼の海~   作:mafork

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 我が隊の爆撃を受けて、敵空母は明らかに制御不能の火災に見舞われておりました。
 爆弾でも魚雷でもない爆発が複数回起こったのを、我が隊のパイロット全員が視認しております。
 敵空母はやがて黒煙に包まれ、姿が見えなくなりましたが、煙が晴れた頃には、その空母の姿は海上から消え失せておりました。


 1942年5月8日
 USS レキシントン 飛行隊作戦士官 報告




2-5.不屈の爆撃機

 

 艦娘司令船の中で、赤松提督は戦況を見つめていた。

 電探や無線から海戦の模様はリアルタイムで伝えられ、海図の上に駒や鉛筆での走り書きとして表現されていた。

 艦と艦を結ぶ線が三角定規で引かれ、艦が動くたびにそれが更新されていく。

 

「熊野、大破しました」

 

 若い大尉がそう報告する。即座に熊野を示す赤い駒の上に、青いピンが立てられた。艦の損害状況はピンの色によって把握され、青は戦闘不能なほどの損害を受けたことを示す。なお、撃沈は黒だ。

 傍受している熊野達の無線からは、矢継ぎ早に飛ぶ指示が聞こえる。とにかく指示を出して、冷静さを取り戻そうとしているようにも聞こえる。

 

「こんなものか」

 

「仕方がありません。相手が翔鶴ともなれば」

 

 赤松の言葉に、別の士官が誇らしげに応える。彼は佐世保航空隊の所属で、翔鶴の直属の上官だった。

 

「編成表を」

 

 赤松が言うと、即座に編成表が手渡された。その表情が険しくなる。

 

「……いいんですか?」

 

 編成表を渡した女性は、ひっそりと提督に尋ねた。提督は苦笑して言った。

 

「構わん」

 

 赤松提督は、演習で艦娘に指示を出すようなことはしない。海の上では、司令船からの指示が受けられない状況もあるからだ。

 また、赤松提督は便宜上翔鶴側の司令船に乗ってはいるが、この演習では中立の立場を取っている。編成の情報を翔鶴に流すのは、審判が片方に肩入れするようなものだ。

 

「さてさて、誰の入れ知恵か……」

 

 提督はそう独りごちた。

 

 

     *

 

 

 遠くで、熊野が青い塗料の飛沫に包まれるのが見えた。

 翔鶴は少し申し訳ない気持ちを抱きながらも、役目を終えた安堵を感じていた。

 事前の予想では、相手の旗艦は熊野だった。艦隊運動の動きを見て、翔鶴達はその予想が正しかったことをすでに確信していた。

 旗艦への攻撃成功は、演習での大きな得点だ。

 

「あ、当たりました?」

 

 陽炎が双眼鏡で観測をしながら言った。

 応えるように、無線から審判の静かな声が来た。

 

≪命中です。重巡洋艦『熊野』、大破。撃沈には至らず≫

 

「あれ、それでも撃沈判定なしか」

 

 川内が意外そうに言う。

 翔鶴は気を引き締め、弓を握り直した。

 三人の艦娘は、目線で確認し合う。

 熊野を大破で残してしまった、これは長引くぞ、と。

 

「流石ですね。致命弾はぎりぎりで回避したのだと思います」

 

 翔鶴は状況を整理した。

 熊野を襲った艦載機は、制空権争いの時に一度退避させ、再集合させたものだった。雲の中で集合させ、高高度から逆落とし的に襲撃をかけたため、相手の対応が後手に回ったのは幸運だっただろう。

 敵の連携が十分でなく、索敵に甘さがあったこともある。

 しかし、今の攻撃で翔鶴の攻撃隊と、戦闘機もかなりの損耗を強いられた。

 どういうわけか、敵の航空隊の指揮は的確で、艦載機の練度の割に甘さがない。

 恐らく敵は、次に反撃を仕掛けてくる。砲撃戦の要が破壊された以上、敵にできることは決まっていた。

 

「上空に、敵編隊!」

 

 陽炎が報告した。見ると、雲の間から無数の黒い影が覗いている。

 空母ヲ級の、深海棲艦の艦載機群だ。虫の羽音のような独特の飛行音が徐々に近づいてくる。いつみても気味の悪い光景だった。

 翔鶴は自身の零戦隊に指示し、敵編隊の妨害へ向かわせた。

 翔鶴には知る術はないが、雲の中で激しい戦いが始まったのだろう。撃墜された機体が、時折雹のように雲から零れ落ちていく。

 それでも辿り着いた敵の機体が、やがて急降下爆撃を始めた。零戦隊の報告によれば、爆撃機の数は僅か10機ほどだった。戦闘機の妨害で編隊も崩れ、降下角度も不揃いだ。

 セオリーなら太陽を背にして突入をするはずだが、それさえできていない。

 安堵の息が漏れた。

 

「防空してください」

 

 翔鶴が言うと、川内と陽炎が対空射撃を開始した。

 ただでさえ少ない爆撃機が、防空射撃でさらに数を減らしていく。翔鶴は残った数機の爆撃機を見つめ、まず最初の回避運動を取った。

 そこで眉をひそめた。

 急降下する爆撃機のほとんどが、爆弾を落とす前に機首を上げたからだ。何も落とさずに、そのまま大空へと去っていく。

 何機かの零戦がその後を追っていった。

 

(投下装置の、故障? それともミス?)

 

 爆装する前に発艦したのだろうか。いや、しかし明確に爆撃の意志は感じたが。

 訝っていると、大空の一部で、きらりと光るものがあった。翻る翼が、光を反射したのだ。その高度は、高い。今戦っている零戦よりも数百メートルは上だろう。

 そんなところに、何が。

 緊張のメーターが一気に振り切れた。

 

「防空射撃! 第二波が来ます!」

 

 川内と陽炎が、打たれたように反応した。

 曳光弾の痕跡が翔鶴の頭上に注がれる。その先には、翔鶴へ向けて突っ込んでくる、新たな10機の爆撃機がいた。

 最初の攻撃は囮で、こっちが本命なのだろう。先ほどの第一波は、恐らく航空戦の時に爆弾を捨て、迎撃に専念した爆撃機だ。

 回避運動の直後は、慣性と復原力による揺れで、姿勢が不安定になる。次弾が命中する目は高まる。回避行動を取らせればよいのだから、爆弾を落とせないこけおどしでも、十分に用は為すということか。

 

(やはり、戦術に理解がある)

 

 サイレンのような音がする。

 戦闘機の羽音が、統一された急降下の中で混じり合っているのだ。

 

(間に合って!)

 

 しかし、零戦隊の動きは鈍い。というより、敵の降下速度が速いのだ。高高度から急襲する爆撃機は、その黒々とした機体にたっぷりと位置エネルギーを載せている。

 まるで逆落とし。

 隊長機を先頭に、十機の爆撃機が一本の槍のようになって殺到する。

 

「皆さん! 先頭の機体に、防空射撃を集中して!」

 

 艦隊から無数の方向に伸びていた曳光弾の列が、やがて一か所に収斂した。それは、向かってくる爆撃機の列の、真正面。

 隊長機が撃墜される。すると後続の機体も、同じ個所で機銃弾に捕まり、炎の華になった。

 

「やった!」

 

「焦ったわね」

 

 喜ぶ陽炎とは対照的に、翔鶴は落ち着いていた。

 急降下爆撃の編隊は、全機が一列になって標的に突き進む方法と、左右に広がって、敵艦を包むように降下する方法がある。前者は隊長機の技術さえ高ければ、ほぼ同じ個所に爆弾が突き刺さるため、一度の爆撃で致命的な損傷を与える可能性が高い。

 

(敵は、少ない爆撃機で、その可能性に賭けた)

 

 そして、此方の正確な技量の前に敗れた。

 撃墜を免れた爆撃機が、なんとか一矢報いようと翔鶴への降下を続けている。

 だがすでに、直援の零戦が、爆撃機に追いついている。

 終わりだ。

 だが、不意に零戦が、見慣れない機影に撃ち落とされた。

 色は同じ緑。艦娘の航空機。だが、翼が上下に二段あり、フロート(ゲタ)を履いた――水上機だ。

 

「熊野の観測機!」

 

 川内が叫ぶ。水平線の彼方で、きっと彼女はまた「とぉぉう」と声をあげていることだろう。

 

(あの子ったら!)

 

 噂通りのしぶとさ。追い詰められてからも、判断を誤らない。

 

(いい随伴艦になるわね)

 

 仕方がない。

 翔鶴は、バランスを崩すリスクを甘受し、高速下での二度目の転舵を実行した。

 至近から多数の爆発音。塗料は浴びたが、直撃弾はない。

 

≪航空母艦『翔鶴』、小破≫

 

 審判の言葉に、翔鶴は笑みを浮かべた。

 旗艦といえど、小破ではほとんど勝敗に影響はないからだ。

 翔鶴は熊野達への後味の悪さを感じつつも、上空を見上げ、航空隊に集合をかけようとした。

 そこで、本当に凍り付いた。

 翔鶴達は北におり、熊野達は南にいる。雲の切れ目から覗く夏の太陽は、すでに高く上り、翔鶴達に灼けるような熱を送っていた。

 その太陽の中に、黒点が一点生まれていた。

 それはどんどん大きくなり、虫の羽音のような音が聞こえ出す。

 

(いったいどこから……!)

 

 たった数機の編隊。

 防空射撃や零戦の傘の中で、撃ち落されないはずがない。

 爆撃機の自衛力とは、詰まる所、多数の爆撃機が後方機銃を同じ方向に乱射して、戦闘機を寄せ付けぬ弾幕を張るところに大きいからだ。

 

「翔鶴!」

 

 川内が報告した。

 

「囮だ!」

 

 囮。理解が来る。

 

「さっきのが囮だ! 防空射撃を集中させて、その間に抜けられた!」

 

 敵はたった1編隊を、この時のためだけに潜ませていたのだ。

 針の穴に糸を通すように。

 笑みがこぼれた。

 静謐な美貌に、戦意の笑みが満たされる。

 陽炎が思わず二度見するほどの、凄みがある微笑だ。

 

「いいでしょう」

 

 敵はすでに急降下を始めている。何をやっても、爆撃は止められない。

 深海棲艦は艦娘にはない高度な無線技術を持っており、艦載機同士、そして艦載機と母艦同士が高度に連携していると聞いている。深海棲艦そのものが艦載機に意識を飛ばし、直接操作するということも可能であるらしい。

 もしそうであるなら、この編隊こそ、敵の母艦が直接操作するエース部隊ではないか。

 足元で、舵の金具が軋む音がする。

 一息だけ、吐く。

 

「認めましょう。全力で回避してあげる」

 

 

     *

 

 

 空母ヲ級は、自身の発した爆撃機と交信を試みた。

 目の前の海原が歪み、やがて視界が艦載機のそれと同一化する。金属のフレームとガラスに区切られた空と、目の前で高速回転するプロペラ。

 艦載機の記憶の中にある、彼らが見ている光景だ。エンジンの轟音が急降下の風切り音と混じり合い、耳朶を打ち続けている。

 ヲ級は擬似的な操縦者となり、艦載機の操縦桿を握った。

 翼のエアブレーキを展開、エンジンの回転数を落とす。背後から零戦の追撃を受けているが、後方の機銃が撃ち落した。

 照準用のスコープを覗き込む。青の塗料に汚れた翔鶴の顔が、大写しになっていた。

 

(わらってる)

 

 ヲ級は直観した。

 これは、本当に、ただならぬ相手なのだ。

 だが翔鶴の足元には、大きくU字を描いた航跡(ウェーキ)がある。

 どんなに優れた操艦をしても、高速での転舵は姿勢を不安定にさせる。

 40ノットを発揮したという、翔鶴型の高速性能。だが今やそれは、慣性という鎖となって、標的の動きを縛っていた。

 現在高度は約1500m。

 

≪ヲ級≫

 

 沖田が、空気を読まずに通信を入れた。

 

「なに」

 

≪もとより数機での爆撃は博打になる。右か左か、丁か半か。敵にでかい回避は無理だ、最後は思い切りでぶっ放せ≫

 

「わかった」

 

 現在高度、1000m。

 視界が赤い。急降下は操縦者にも肉体的な負担を強いる。

 次いで来るのは、不知火の声だ。

 

≪まだ不知火もいます。落ち着いて≫

 

「うん」

 

 最後に、熊野が言った。

 

≪信じます≫

 

 信じる。

 概念は知っていたが、告げられたのは始めてかもしれない。

 現在高度、500m。

 初めて感じる熱を胸に、ヲ級は投下ボタンを押した。爆弾が意思を持ったかのように、標的に突き進む。

 引き伸ばされた時間の中で、翔鶴の視線と、ヲ級の視線が絡み合う。

 

(かたき?)

 

 ヲ級は艦載機から感じる思念に驚いた。

 仇? いったい、誰の?

 疑問とは裏腹に、不思議と心は歓喜に塗れていた。

 

 

     *

 

 

 ヲ級は、自身の直援機さえも翔鶴への爆撃に振り向けていた。

 剣戟に例えるなら、防御を捨て、敵の間合いへ身を投げ出し、捨て身の突きを見舞ったようなものだ。

 危険な賭け。

 だが芸術的に決まった。

 凄まじく正確に放たれた爆弾は、翔鶴の右腕を――正確には、そこに取り付けられた飛行甲板を直撃した。翔鶴の青い顔を、飛び散ったオレンジの塗料が染め上げた。

 

≪航空母艦『翔鶴』、中破。飛行甲板に深刻なダメージ、機関に稼働制限20%かけます≫

 

 審判が無情に告げた。

 陽炎が波を蹴って駆け寄る。

 

「しょ、翔鶴さん!」

 

「陽炎さん! 陣形を維持して!」

 

 幸い、ダメージは致命的ではない。

 翔鶴は姿勢を整えると、矢継ぎ早に指示を出した。

 

「発着艦は不可能です。現状飛び上がっている機体だけで、今後の航空戦は行います。川内」

 

「はーい」

 

 やれやれ、と不敵に笑う川内も、体中に赤と茶色の塗料を被り、制服が迷彩服みたいになっていた。損害は中破との判定である。

 

「これより海域を離脱、勝利を確定させます」

 

「え? 大丈夫?」

 

 川内からの質問に、翔鶴は頷き、自身の考えを明かした。

 

「こちらは旗艦と軽巡が中破、駆逐艦が無傷。一方で、向こうは旗艦の熊野さんが大損害を受け、航空母艦も損害を受けています。恐らく、現状ではこちらに優勢が付くでしょう」

 

「逃げ切るってことか」

 

「ええ。ただし、確実に勝てるかは微妙です。なので、追撃してくる相手を叩いて、勝利を確定させましょう。勝利を目指す以上、趨勢で負けている相手には追撃以外の選択肢はありません」

 

「なるほどー。ちょっと容赦ないけど、まぁしょうがないね」

 

 翔鶴の言葉に、川内は腕を組んで何度も頷いてみせた。

 しかし陽炎は首を傾げていた。先ほどから何度も、双眼鏡で水平線の辺りを見つめている。

 

「でも翔鶴さん」

 

「なんでしょう」

 

「熊野さんたちも……逃げてますよ」

 

 川内と翔鶴は、同時に「え」という声を出した。見ると確かに、熊野達は水平線の彼方へ一目散に逃げ去ろうとしていた。

 

(こちらの被害状況を、誤認した?)

 

 しかしその割には、後ろ姿に迷いがない。どころか、そそくさ、というようなどこか後ろめたい感じすらある。

 翔鶴の中で、ある予感が持ち上がった。

 

「……今、向こうの損害状況は?」

 

「え? 熊野が大破で、ヲ級が小破、不知火が損害なし、ですけど」

 

「陽炎さん」

 

 翔鶴は震えながら、陽炎に指示を出した。

 

「もう一度見てください。離脱する艦隊の先頭は、誰ですか?」

 

「はい。……えーっと……不知火だ。旗艦の熊野が被弾したから、先頭を交代したんでしょうか」

 

 翔鶴の震えが止まった。大急ぎで指示を出す。

 

「両舷全速! 皆さん、敵艦隊を追いかけます!」

 

「え? 離脱じゃないの?」

 

 困惑する川内と陽炎に、翔鶴は予想を話した。推測に過ぎないが、九割がた正しい自信があった。

 説明が終わると、川内と陽炎が、わなわなと口を開く。

 

「き」

 

「き」

 

 やがて2人は、顔中を口にして叫んだ

 

「きったねー!!」

 

 

 

 

 





あらすじは投稿間隔が短いので割愛させていただきました。
次回はまた1週間後の予定です。
ゆっくりお待ちいただければ幸いです。


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