夏世のシーンをベースに書いてみました。
かつて日本と呼ばれた国。
その国は、ガストレア戦争によって五つのエリアに分断された。大阪、北海道、仙台、博多、そして東京エリア。 五つのエリアは政治制を撤廃し、統治制を敷いて10年間、ガストレアの脅威からエリアを守り抜いてきた。
しかし。
その均衡は崩れた。
――大阪エリアの崩壊。
エリアを守護するモノリス結界が破壊され、無数のガストレアによってエリアが、人間が虐殺されていく。
それは”大絶滅”と呼ばれ、世界が最も忌避する最悪の事態。
大阪エリアは”大絶滅”により、全ての人間、全ての領土を奪われた。
原因は、大阪エリア領主である斉武宗玄による愚行。
斉武は自身が身を寄せていた『五翔会』に見限られ、激情に任せ”大絶滅”を引き起こす封印指定物『七星の遺産』に手を出したのだ。
『七星の遺産』は最強のガストレア、ゾディアックを召喚する触媒であり、斉武はゾディアックを召喚して東京エリアの”大絶滅”を目論んだ。
その結果、斉武は自身が召喚したゾディアック『獅子宮ーレオー』により、大阪エリアの”大絶滅”を引き起こした。
たった二日で大阪エリアを滅ぼしたレオは、次なる標的を東京エリアに定め、それを危惧した東京エリア領主・聖天子は四組八人のペアを送り込んだ。
序列千位、天童木更、ティナ・スプラウトペア。
序列八百位、片桐玉樹、片桐弓月ペア。
序列百位、蛭子影胤、蛭子小比奈ペア。
序列二十位、里見蓮太郎、藍原延珠ペア。
そして彼らは――レオを撃破した。
山の如く巨大なレオの死骸を背に、四組八人のペアは互いを称え合う。
これにより、里見蓮太郎、藍原延珠ペアは、天蠍宮、天秤宮、人馬宮、そして獅子宮の四体のゾディアックガストレアを撃破した事になる。
世界で最もゾディアックガストレアを撃破したペア。東京エリアに帰還すれば、序列は一桁に繰り上がるだろう。
蓮太郎は疲れの表情が見えない仮面の男、影胤の肩を叩き、座り込む木更の手を取って皆に声をかける。
「さぁ、東京エリアに帰ろうぜ」
「そうね、早く帰りましょう」
「お兄さんの料理が食べたいです」
「ヒヒッ、里見君の料理、是非私も頂こう」
「パパー、なんか気持ち悪い」
「俺っちは姐さんの手料理を」
「変態に恵んでもらうご飯なんてない!」
レオとの死闘により体は限界の筈。それでも彼らは”勝利”に笑顔を見せる。
――ただ一人、俯く少女がいた。
蓮太郎の相棒、延珠だ。蓮太郎が心配そうに尋ねる。
「延珠?」
「……蓮太郎」
延珠は嗚咽を洩らすかのような声で蓮太郎の名前を呼ぶ。肩が震え、ポタポタと地面に落ちる雫。何度も、延珠は蓮太郎の名前を呼んだ。
「ど、どうしたんだよ延珠……」
「ごめんなのだ……蓮太郎」
「一体何を謝って……延珠?」
一歩、また一歩と、まるで蓮太郎から離れていく様に、延珠は後ずさる。
蓮太郎が腕を伸ばして一歩踏み出すが、
「来るな!!」
突然の怒号に他の三組も延珠の異変に気付いた。
「延珠……一体どうしたってんだよ」
「だめ……なのだ……」
「だから何が……」
「……限界、なのだ」
延珠は力を解放し、持ち前の跳躍力で後方に飛び去る。着地したのは、撃破したばかりのレオの死骸の上。
少女はゆっくりと顔を上げる。その顔を見た蓮太郎は現実を疑った。
「延珠、お前……!?」
延珠の顔の右半分の形が崩れ、再生と破壊を繰り返す様にガストレア細胞が姿を見せていた。それは顔から首へ侵食していき、右肩が膨れ上がる。裏地にチェック柄が刻まれたお気に入りのコートは破け、木更とティナ、片桐兄妹が悲痛に目を背けた。影胤は仮面の奥で目を細め、小比奈が「延珠……」と小さく呟く。
蓮太郎は膝から地に崩れ落ちた。
「形象……崩壊……」
絶望的な単語。それはガストレア因子を宿す呪われた子供たちが行き着く末路。
ガストレアウィルスの体内侵食率が五十%を超えた時、人間の姿を保てなくなり、形象崩壊というプロセスを経て宿主はガストレアへ変化する。
今、延珠の身に起こっているのは間違いなく形象崩壊だった。
「嘘だろ……延珠!!」
「……蓮太郎、妾を撃ってくれ」
延珠は原型の残っている左半分の顔を使って、精一杯微笑んだ。微笑んで、愛する相棒に最期の願いを告げた。
ガストレア化する前に自分を殺して欲しい、と。
蓮太郎は何度も、何度も首を横に振る。
――嫌だ、嫌だ延珠。
いつか来ると分かっていた事。それでも、蓮太郎に延珠を殺すことなんて、できる訳がなかった。
「……妾は皆を傷付けたくない。だから蓮太郎、蓮太郎の手で妾を……妾を殺してくれ……」
「嫌だ……延――」
「蓮太郎!!!」
「ッ……!?」
聞き分けのない子供を諭すように、延珠は優しく語りかける。
「妾は、蓮太郎と出会えて本当に良かった。出会った頃は、こんな奴に絶対心を許すものかと固く誓っていた。だが蓮太郎は、そんな妾にたくさん良くしてくれたな。粗末な食材から美味しい料理を作ってくれて、何度も学校の事を考えてくれて……幸せで楽しい日々をくれた」
「延……珠……ッ」
「苦しい戦いも一緒に乗り越えて、序列も二十位まで上り詰めた。……妾は、蓮太郎の力になれていたか……?」
「……――あぁ、延珠が居なかったらここまで来れなかったよ……」
「……そうか。なら妾には、悔いはないぞ」
延珠を蝕むガストレア細胞は右半身を侵食し、刻一刻とガストレア化の時が近付く。
少女は再度、願う。
「蓮太郎。妾を……『藍原延珠』のまま、蓮太郎の手で殺してくれ」
木更が蓮太郎の肩に手を添える。
「里見くん、延珠ちゃんの最期のお願い……聞いてあげて」
「木更さん……」
蓮太郎は震える手でXD拳銃を抜き、残弾を確認する。薬室にはバラニウム弾が、まるでこの時を予見していたかの様に一発だけ残っていた。
降り出した雨が拳銃を濡らす。
延珠の目は焦点を結んでいない。だが、蓮太郎の涙だけは鮮明に見えていた。
「妾のために……泣いてくれるのだな」
蓮太郎は涙に濡れたぐしゃぐしゃの顔で、微笑んだ。
「当たり前だろ。延珠は……俺の唯一の相棒だからな」
「……あぁ、妾にとっても……蓮太郎だけが妾の相棒だ。それだけじゃない、妾は蓮太郎の事を愛しているからな」
「ばーか……十歳の少女が愛を語んじゃねぇよ……俺も、延珠の事を愛してるよ」
それは恋慕、ではないかもしれない。だが蓮太郎は確かに、延珠の事を愛していた。初めてハッキリと伝えた言葉。
延珠には、最高のプレゼントだった。
「今日は、初めて妾と蓮太郎が出会った日……。蓮太郎と出会えた最高の記念日だ……ありがとう、蓮太郎」
「……あぁ」
銃を上げ、延珠の眉間に照準を定める。馬鹿みたいに震える銃口。これでは離れた延珠に当てる事が出来ない。
蓮太郎の手に、そっと木更の手が重なる。
「延珠ちゃん……今も、私が嫌い?」
「木更は妾のおっぱいを奪うからな。……でも、嫌いではない」
「大好きよ……延珠ちゃん」
これまでの延珠との日々が思い起こされ、蓮太郎の胸には愛おしさがこみ上げて来る。
でも、やらないといけないんだ。
木更の手が離され、蓮太郎は銃を両手で強く握った。
「ありがとうな、延珠」
延珠はもう一度、微笑んだ。
掠れる声で、最期の言葉を紡ぐ。
「ありがとう…………さよなら……蓮太郎――――」
固い引き金を、絞った。雨音に混じって発砲音が響き、空薬莢が排出。
少女は微笑んだまま、体を仰け反らせて静かに倒れ込んだ。
異変は、形象崩壊は止まっていた。少女の命の鼓動と引き換えに。
雨脚は強くなる。
蓮太郎はやるべきことを成した。
一人のイニシエーターを、大切な相棒を、愛する家族を失った彼は、ただ、ただ……虚空へと悲しみの叫びを響き渡らせた。
《延珠ーさよならの刻ー 完》